狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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六十六話  兄弟喧嘩・兄

 

「何ダと……?」

 

 弟の狐顔、その眉間に不審げなしわが寄るのを清明は見ていた。

 もっともだ、とは思う。

 

 先ほど忠行に投げ渡すまで、清明は白羽草薙剣を手に弟と戦っていた。剣から吹き出す精(モノ)を式神へと仕立て、次々と放った。その全てが易々といなされ、裂かれ、断たれていた。

 弟の繰り出す爪、放つ式神、それらを防ぐのが手一杯どころか。防ぎ切れず血を流し、胸の傷までまた開く始末だった。

 剣を持ってさえそれなのに、手放してどうしようというのか。おそらく弟が思ったことを、清明自身も思ってはいた。

 

 それでもまだ、笑ってみせる。

「言うたとおりじゃ、兄(あに)様が悪かった。兄弟喧嘩に刃物は無しやな、素手と素手とで行こうかい」

 

 無論、強がりに過ぎなかった。

 剣を渡したことは、忠行の身を案じてのことでもあるが。そうした方がむしろ、清明にとっても打開策となり得るのではないか。そんな計算もあった。

 白羽草薙剣は確かに大きな力を秘めている。その力を利用して形作った式神も、常よりずっと強力だった。なのに、通じない。そしてどこか、何か――違う。

 全ての力を引き出せていない感覚、まだ奥があるのに手が届かぬかのような感触。今の使い方とは違う何かがある――そんな手応えがあるのに、どう使えばよいのかが分からない。

 忠行ほどの練達者ならば、その先を見出(みいだ)してくれるのではないか。それさえ分かれば、清明もどうにか真似られるのではないか――そんな期待があった。

 

「清明」

 

「なんじゃ、尾花(ハナ)」

 

 弟の鼻筋のしわが、さらに強く刻まれた。

「清明……清明っ!」

 

 歩んだ、弟は。何の式神も形作らず、精(モノ)を身にまとうことすらなく。ただ歩み、兄の胸ぐらをつかみ。殴った。

 

「……!?」

 言葉もなく倒れる兄の上から、弟の言葉が浴びせられる。

 

「いい加減にシろ。言イ訳のつもりかっ!」

 

「……何の、話じゃ」

 演技ではなく眉根を寄せる清明に、唾を飛ばして晴明は叫ぶ。

 

「手加減を! すルなよ! なぜだ! なぜいつも、手加減をしテいる!」

 

 口を開けたままの兄の上から、晴明はなおも言う。

「背後を取っタときなぜ本気で斬リかからなカった! 炎を浴びせなガらなぜ水を用意シていた! なぜ今、剣を捨テた! なぜだ!」

 

「そんなもん――」

 

 兄が言おうとした言葉の先を喰うように、弟は歯を剥いていた。

「弟だカら! 弟だカらだろうそシて、お前が兄だカら! そウだろうそんなことは分かっテる!」

 

「だったら、――」

 

 困惑した顔のままの兄へ、鼻面をしわで歪めて弟は言い放った。

「そレが。不愉快だと言っテるんだ」

 

 清明は、兄は、口を開けていた。

 そうして、気づけば、笑っていた。倒れたまま身を揺すり、腹の奥から湧き出るままに、くく、く、くく、く、と喉を鳴らして。こらえるように身を丸めて。

 

 剣を手放したのは計算を含んでのことだったが。手加減してきたのは、確かに言われたとおりだった。

 だが。弟は、分かっていない。

 手加減など、したくてしているのではない。手加減しなかったところで勝ちの目があるかも怪しいのだ、したいわけがない。

 

 ――なのに、してしまう。

 

「ぶっ……はは! ははッ、あははァ! ……はァ、あ」

 地を叩きひざを叩き、思う様転げ回って、ようやく笑みが引いてきたところで。清明はひざに手をつき、立ち上がった。

 

 にた、と笑みを浴びせてやった。

「尾花(ハナ)よゥ。なァんも分かっとらんなお前」

 足を踏み締め、胸を張る。頭と胸の血は乾き始めていた。

「兄の仕事は痩(や)せ我慢(がまん)じゃ。弟の前じゃァな」

 

「な……」

 

 口を開ける弟に、なおも笑いかけた。

「今までもずっとそうやった――なんて、言うンも言われるンも気持ち悪いわな。これは無しじゃ、今の話で行こう。お前、お母(か)ん蘇らすために日の本壊す言いよったけど。わしァ言うたな、そしたら親亡くす子の、たァんと出るぞ、と」

 

 弟の鼻面に再びしわが寄る。

「それが、どうシた。そんナことで俺が、やめよウと思うとデも――」

 

「思うわ。当たり前やろ、親ァ亡くす痛み、誰よりわしより知っとるお前じゃ。そンなもん耐えられるわけなかろ――お前が」

 笑みを消し、弟の目の奥を見る。

「親ァ亡くす子たんと出して。その痛み知っとるお前が、全部背負わんわけなかろ。耐えられるわけなかろ。我(わ)が親一人分の痛みとて、背負いかねとるお前じゃ……優しいお前じゃ」

 

 再び、小さく微笑む。

「な。やから、やめにせんか。拳固(げんこ)も無しじゃ、一緒に帰ろう。いいや、帰る家なんぞも無いが――」

 

「……やメろ」

 一度は表情を失いかけた弟が、再びにらむ目を向ける。

「分かっテなイのは、お前の方だ」

 

 

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