狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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六十七話  兄弟喧嘩・弟

 

 狐顔の鼻面に歪むようなしわがまた寄るのを感じながら、弟たる安倍晴明は言った。

「それで分かっタつもりなんだろウがな……分かっテなイのは、お前の方だ」

 

 そうだ、何も分かっていない――あるいは俺自身も、今の今まで。

「俺は。――そこまデ母様を、蘇らせたイわけじゃナい」

 

「……へっ?」

 間抜けに口を開けた兄が目玉を剥く。

 

 取り合わず晴明は続けた。

「言わレるまでもなイさ、あの母様だ。父様どころか子ノ俺たちまで、謀(たばか)っテ生キた母様だ。……俺たちは、母の名も知らナい」

 

 葛葉(くずのは)という名は母が化けた女人――賀茂忠行の娘、父の本当の妻――の名に過ぎない。狐としての姿も最期に垣間(かいま)見たのみ、妖物としての名は知らない。

 

 肩を揺すり、息をついて続けた。

「だが、今はそウ思うとしテも。蘇らセると一度は決めタこと、一度は本気で願っタことだ。あんなデも俺の母だ……俺を喰らおウとしたとしテも」

 

 耳の傷に触れた。未だ疼(うず)くような痛みが残るそこを、強く握った。

「俺一人ぐらい、あノ人を案じテやってもいい。俺はあの人を完全に蘇らセられるぐらい強くナる、あの人に喰われナいぐらい強くナる。……蘇らセた後は、あの人とは離れテ生きる」

 

 兄は目を瞬かせ、何度も口を開け閉めしていた。

「待て、尾花(ハナ)、待てッ、お前……そこまで分かってまだ、あのお母(か)ん蘇らせる……そう言うンか。そんな者(もん)のために犠牲出して、それを背負って――」

 

 晴明は表情を変えなかった。

「出すさ、犠牲は。背負うさ、もちろん。……もウ母様のためだけじゃナい。俺のためだけデもナい。貞じいのために」

 

 兄を見、貞明と対峙する賀茂忠行を見る。

「俺は裏切っタりしナい。貞じいのかつての友や、母様みたいには。俺が、貞じいを護ル」

 

 兄は、清明は目を見開いたままでいた。その焦点はどこに向けられているか分からなかった。何も見えていないかのような目で、口をただ開けていた。

 やがて小さく、肩を揺する。

「は……はは。じゃあ何か、お前は。そのために進んでぶち壊すンか、日の本。喜んでぶち殺すンか、この国中の、関係ない親も子も」

 

「ああ」

 

「……ぶち殺すぞ、お前」

 兄の目は、晴明を見ていた。射殺すような視線をしていた。

 震える頬を引きつらせ、兄は続けた。

「お前、あ? ……わしが心配してやりゃァ、お母(か)ん蘇らせてどうなるか、日の本壊してどうなるか分かっとらンのか思うて、心配してやりゃァ……あ? その様(ざま)かい」

 

 深く息を吸い、呼気を吐いた後。

「ぶち殺すぞ。尾花丸」

 唾を吐き捨てて続けた。

「わしも今気づいたわ、お前らのやる外道に、その犠牲に耐えれんのはお前やない。わしじゃ。お前が耐えれても、わしが耐えれん。親やら子やらの死んでいく命に、そいつらの想いに……そんなことより何より。弟がその外道をやらかす、その一事にな」

 

 晴明は――尾花丸は――、知らず、笑っていた。

 

「なにが可笑(おか)しい」

 

 相変わらず引きつった顔でそう言った、兄へと返す。

「可笑(おか)しイさ。痩(や)せ我慢(がまん)とやらはもウ終わリか? ええ、兄(あに)様よ」

 

「ッ……」

 

 さらに引きつる兄の顔を見ながら、尾花丸は嬉しかった。

 

 尾花丸は尾花丸だ、誰はばかることなく尾花丸だ。たとえ、誰の目にも見えなくとも。たとえ、兄がいなかったとしても。

 

 ――兄がいての俺ではない。俺がただの一人いる、それだけで俺は、俺だ。そのことにようやく気づいた。

 

 護ってもらう必要などない。慮(おもんぱか)ってもらう必要、ましてや痩(や)せ我慢(がまん)など無用も無用だ。

 不愉快だった、それらが。兄から護ってもらうことが。そのことにようやく気づけた。

 

 だから、尾花丸は嬉しかった。そんなものを取っ払って、尾花丸を見た童子丸が。貞明に小言を言われたときと同じ感覚。もっと大きな感覚。

 

 満面に笑みを浮かべる。

「言っタな? ぶち殺すと? こノ俺を、弟を?」

 

 兄が、童子丸が歯を軋(きし)らせる。

「おォ言うたわ、ぶち殺す。殺してでも止めてやるわ糞が……覚悟せェ、尾花丸。忘れそうなら暦に書いとけ、今日がお前の命日じゃ」

 

 尾花丸は、晴明は、強く笑みを深めた。

「安倍晴明。そレが俺の名だ」

 

「その名で死にたきゃそうしたるわ! 死ねや外道、安倍晴明ッ!」

 

「ああ。行クぞ、清明」

 

 互いの両手に精(モノ)が宿る。獣のそれのように伸びゆく兄の爪にも、刃物のように伸びる弟の爪にも。

 同時に駆け、跳びかかる。

 兄と弟は初めて今、全力でぶつかり合った。

 

 

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