狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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七話  父と、父の本物の妻と

 その夜。兄弟は、安倍の家へと向かっていた。

 つい先日まで、一月経つか経たぬかの頃まで自分たちの家だったそこは、もうすっかりよそよそしかった。(かんぬき)を閉じられた門も、けして広くはない敷地を囲む垣も、まるで素知(そし)らぬ顔をしていた。忠行の式神が打ち壊した屋根も床も、もう新しく板が()がれていた。それでも、裏手の垣に(しつら)えられた枝折戸(しおりど)だけは以前のとおり(かんぬき)が壊れたままで、見て見ぬ振りをするように通してくれた。

 

 母屋まで来たものの、裏口の引戸には突っかい棒がされている、そこからは入れない。足音を忍ばせて庭を行く。みし、と軋む音を立てて、土も拭わぬ土足のまま縁に乗る。真新しい板の()がれた場所、母の死んだ場所の前で立ち止まる。兄弟揃って無言でいた。

 童子丸はそれでも、先に歩き出した。立ち尽くしたままの尾花丸の袖を引いて。

 

 格子状の(しとみ)戸を上げ、その向こうの障子(しょうじ)を開け。板の軋む床の上に、そろりそろりと歩を進める。つい(せん)だってまで、どたどたと音を立てて追いかけ合った床の上を。

 そうする兄弟を眺める母はいつも、目を細めて笑い。父は遠巻きに、固い笑みを浮かべて見ていた。

 

 やがて、床に畳を敷いた上の、寝具の内に身を横たえた父と。隣に――父の手が届くよりも離れた位置に――敷いた畳と寝具で休む母が――いや、母にそっくりな女性、父の本当の妻、葛葉(くずのは)が――いた。

 

 葛葉(くずのは)の方へと足を踏み出した、弟の袖を引いて止め。童子丸は父の枕元にかがみ込んだ。

(とう)さま。……おやじどの。わしじゃ。尾花(ハナ)もおる」

 何度か身じろぎした父がやがて目を開け、身を起こし。童子丸から、跳びすさるかのように身を引いた。

 畳からも降りたわけではない、わずかの距離だったが。童子丸にはもう、手の届くことのない距離だった。

 

 童子丸は、表情を変えずに言った。そんな顔しか、もうできなかった。

「……わしらァ、何ぞしようと思うて来たわけやない。教えてくれ。賀茂忠行は何処(どこ)におる。それに、(かあ)さまは、いったい。何者やったんじゃ」

 

 父は何度か目を瞬かせた後、大きくかぶりを振った。

「……知らぬ。分からんよ、義父上(ちちうえ)何処(どこ)におられるか。なにぶんお忙しいお方、それに御上より、密かに(めい)(たまわ)ることも多いとか……何処(どこ)で何をされておるやら」

 父はわずかに、童子丸の方へ身を乗り出した。

「なあ、わしはの……何も知らなんだ。知らなんだ、葛葉(くずのは)が……いや、そなたの母が、狐だなどと」

 

 父いわく。

 家同士のつき合いのあった、賀茂家から妻をもらうこととなったが。それは数年後との約束であった。遠国(おんごく)での任に向かう忠行の世話に、娘・葛葉(くずのは)も同行することになっていたからだ。

 だが、程なくして葛葉(くずのは)だけが父の下に来た。忠行の許しを得て、先に帰していただいたとの言であった。

 そうして共に暮らし、子を生し、また年月が経った頃。忠行から文が届いた。仕事を終えたため、葛葉(くずのは)を連れてそちらへ向かう、と。

 (いぶか)しんだ父が先に賀茂家を訪ねてみれば。忠行と、確かに葛葉(くずのは)がいた。共に暮らしていたはずの妻が。いや、それと瓜二つの女性が。

 父がそのことを話すと、たちまち忠行の顔が険しくなった。無言のまま、折り畳んだ紙――式神――をいくつかひっつかみ、父と葛葉(くずのは)を連れて安倍家へ向かった。そうして、あの日のことが起こった。

 

「そういえば昔、怪我をしていた狐を見つけて。別の方に逃げたと狩人に教え、(かくま)ってやったことがあっての……そうした(えにし)で、わしを頼って来たのかもしれん、あれは」

 

 その話を聞き終えた後も、童子丸は身じろぎもできずにいた。

 父の話はおよそ突拍子もないが、忠行が言っていたことと矛盾はない。そして実際のところ、尾花丸が狐の姿であるからには。母が化け狐であったというのも、うなずけるところではあった。

 だとしたら。悪いのは結局、母なのではないか? 

 他人の姿に化けて、他人の夫と子まで生した、と。すればまあ、追われるであろう。

 

 そのとき、隣の寝具の上で女性が身を起こした。ひ、と小さく声を上げ、畳から落ちるほどに後ずさる。

 尾花丸が身を乗り出す。

「母サま……!」

 

 弟の衣を強く引き、童子丸は止めていた。女性の方へ――本当に母と似ている、いや、同じだ――向き直る。

 なのに気づけば、自分の足は。母のような女性の方へと踏み出していた。そのまますがりつきたかった、その手に、胸に。

 

 それでも、両の手で無理やりに腿を押さえつけ、(ひし)ぐようにして床に両膝をつく。そのまま身を折り、両手と額を床につけた。

「……御婦人。この(たび)は我らが母者(ははじゃ)が、えろう迷惑をおかけいたした。我ら兄弟、代わってお詫び申し上げる」

 尾花丸は未だ立ち尽くしていたが。やがて、隣で同じく頭を下げた。

 

 童子丸は顔を上げる。

「されど。母の仇は変わらず仇、そなた様の父御(ててご)には……母者(ははじゃ)の痛み丸ごとそのまま、我らからいずれ御返しさせていただく」

 

 たとえ、父と忠行の言が一字一句真実であったとしても。悪いのは母であったとしても。

 命まで取ることであったのか。童子丸らの命まで、同じく取ろうとすべきであったのか。

 いや、たとえ理屈がどうであろうと。母が殺された、真実はただそれだけだ。

 

 女性は後ずさり、兄弟から身を遠ざけつつ、慌てたように枕元を探った。やがて取り上げた文箱(ふばこ)を、震える手で父に差し出した。

 父は受け取った箱に目を落としていたが。しばしの後、枕元に戻した。

 大きく息をついて言う。

「なに、義父上(ちちうえ)からのう。もしお前が来れば、あれを開けるよう言われておっての。……義父上(ちちうえ)の、式神とやらが入っておるそうな」

 

 童子丸も尾花丸も、とたんに身構えて飛びすさったが。

 父は疲れたように笑って、小さく首を横に振る。

「ま、それはええじゃろう。童子丸、ああ……尾花丸、も、おるのか? これから、どうする」

 

 尾花丸は兄の顔を見た。

 童子丸は荒れた黒髪を揺らしてかぶりを振る。

「さて……童子の尾花のと、何処(いずこ)のどちら様のことやら」

 背を向ける。

「我ら、兄は清き明かりの清明(せいめい)。弟は晴れて明るき晴明(せいめい)。二人で一人のセイメイ兄弟が、()っ首(いただ)きに参上致すと……折あらば忠行殿へ、そのようにお伝えを」

 そうして、兄弟は家を出た。土足の跡を残したまま。

 

 

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