狐人と物狂いの帝 ~二人で一人の安倍晴明、仇を探す旅路にて空海と出会い、暴悪無双の上皇と相対する事~   作:木下望太郎

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七十話  日本武(やまとたける)、望まれぬまま再び出陣

 

 全員が無言でいる中。

 日本武(やまとたける)一人が辺りを見回す。

「なんとなんと、朕(ちん)が威(い)に当てられて誰一人身動きもならぬと見える! さもありなん、さもありなん! 良い良い、急ぐな。ゆるりと平伏すれば良い! ハッハァーッ、ンバァーッハッハァ!」

腰に両手を当てて身を反らし、天を仰ぐように笑っていた。

 

「……何を言うとンじゃこの呆気(ぼけ)。喚(よ)ばれもせんのに何で出てきたこの阿呆」

 ようやく、清明はそれだけ言った。

 

「やや、いつぞやの狐童(わっぱ)か! 貴様らにしてやられ、かの剣に封じられてより幾年月か、その屈辱片時も忘れたことは無し……この時を一日千秋の思いで待ったわ……!」

 歯を噛みしめ、拳を握り振るわせる武(たける)。

 

「……いや、お前がやられたん今日の話じゃ。一刻百秋ぐらいに言うとけや」

 

 あまりに多くのことがあり過ぎ、弟や貞明を止めるのに必死で忘れかけていたが。思えば、武(たける)を倒してから休息を挟んだとはいえ、その後すぐに文字通り飛んできたのだった。思い出すと――あるいは、この阿呆の相手をしているせいか――どっ、と疲れが出る。

 横を見れば、忠行も同様に肩を落としていた。

 

 構う様子もなく、胸を張った武(たける)は一人で喋る。

「何やら貴様らが力を込め、神よ出でよと念じておったようなのでな。かつての天皇(すめらみこと)にして白鳥(しろとり)明神たるこの朕(ちん)が特別に応えて、御出座(おでま)しと相(あい)成ったわけよ! ハーッハッハァーッ!」

 

 狐顔の大口を開け、弟たる晴明がつぶやく。

「日本(やまと)、武(たける)……伝説にあル英雄か、これが……? なんデこんな所に――」

 

 貞明は無言だった。表情はなく、ただ歯噛みをし、前へ出た。草薙剣を振り下ろすと同時、宙に金気が凝(こご)って幾振りもの剣と化し、武(たける)へと飛んだ。

 

「いかん、来――」

 一応心配して、清明は声を上げかけたが。

 

「【草薙断(くさなぎのたち)】!」

 輝く精(モノ)を立ち昇らせる手刀を幾度も繰り出し、日本武(やまとたける)は全ての剣をへし折り叩き落とした。

 

 蝿でも払うように手を振るい、鼻息をつく。

「フンッ、温(ぬる)い。何か知らんがこの程度で朕(ちん)を亡き者にしようなどと万年早い――」

 

 貞明の表情は硬いままだった。なおも振るう草薙剣が空を裂く音と共に、さらに無数の剣が切先を向け、武(たける)を取り囲むように現出された。

 

 前から上から、背後から左右から飛び来る剣の群れを前に、しかし武(たける)は楽しげに笑った。

「【草薙断(くさなぎのたち)・八重垣(やえがき)】!」

 両手に光を宿し、剣の向かってくる方へと自ら身を乗り出しながら縦横(じゅうおう)に振るう。

 甲高い音が耳障りに重なり響き、それがやんだときには。全ての剣が金属片と化して地に落ちていた。

 

 武(たける)は天を仰ぐようにふんぞり返る。

「ハッハァーッ! 今のは少ぅし楽しめたわ! 何者かは知らぬが上出来、誉めて取らそうぞ!」

 

 貞明はなおも無言だった。草薙剣を振るっては炎を放ち、また振るっては砂礫(されき)を巻き上げ風を放つ。さらには波濤(はとう)を、牙の如き岩の群れを。

 

 草薙断(くさなぎのたち)をさらに振るい、全てを打ち払い切り抜けたものの。武(たける)の羽衣は裾を焦がされ、あるいは虫が食ったように穴が開き、破け落ちていた。

 衣の端に手をやり、浮かべていた笑みが固くなる。

「……寛仁大度(かんじんだいど)たる朕(ちん)も、こうも執拗に打たれてはいささか腹も立とうというもの。畏(おそ)れ多くもかつての天皇(すめらみこと)を前に頭(こうべ)も垂れぬ痴(し)れ者よ、何だ貴様は。朕(ちん)の龍顔(りゅうがん)が未だ笑みを湛(たた)えておるうちに、平伏(ひれふ)して名乗り詫びるがよい」

 

 貞明の表情は変わらない。

「畏れ多くもかつての天皇(すめらみこと)を前に、か。そのとおりだね、痴(し)れ者よ。お前が言上げどおりの者か、そう名乗るだけの雑霊かは知らないが――どうでもいい」

 大上段に構える剣から、なおも無数の精(モノ)を立ち昇らせる。

「邪魔だよ。退け」

 

 武(たける)の顔が、ひび割れる音を立てそうなほどに酷く引きつる。

「な、な、なぁ……!? 性情温和で知られる朕(ちん)も、この無礼には堪(こら)えかねたぞ……!」

 突き刺すような勢いで貞明の持つ剣を指差す。

「ばかりではないわ、よくよく見れば! 貴様の手にあるのは我が愛剣、草薙剣ではないか! おぉ、いと哀れな、そんなにも錆(さ)びて……! 貴様は殺す、我が剣を取り戻す!」

 同じく大上段に掲げる手刀から、輝く精(モノ)が立ち昇る。

 

 どちらからともなく振るう力が、再びぶつかり合う。

 

「貞じい……」

 困惑したように眉間にしわを寄せ、佇むままの弟、晴明。

 

 兄たる清明は忠行に顔を向ける。

「何ぞやり合い始めたが、ええんか、ありゃ……?」

 

 忠行は渋面のまま黙っていたが。

「……いや、良かろう」

 盤面を見渡すように、争う武(たける)らを見やる。

「あれが院と争う隙に、我らが加勢して院を叩く。そして、草薙剣を奪う。――かの剣こそが計画の要(かなめ)であるはず、国津神の力宿す神器が。それなくば大物主を目覚めさせること叶わず、院やお前の弟が望む世の到来も果たせまい」

 

 清明は目を瞬かす。

「……ええんか、あんた。因縁に水差されて、てっきり怒るかと思(おも)たが」

 

 忠行の目が一瞬だけ険しくなる。

「……言わなんだか。尻でも魔羅(まら)でもさらしてでも、院を御止めできれば僥倖(ぎょうこう)よ。行くぞ」

 

 武(たける)が何度も放つ光の刃――【草薙断(くさなぎのたち)・都牟刈(つむがり)】と、貞明の浴びせた尖石(せんせき)の群れが次々と打ち合い、砂利粒や光るもやと化して消えてゆく。

 

 二人が互いに次の力を練るそこへ、忠行は白羽草薙剣を掲げた。

「急ぎ意に添え律令の如く――【土公神】!」

 

 剣を逆手に持ち替え、地に突き立てる。まるで地面が泡立つように揺らぎ、土で形作られた腕がいくつもいくつも突き出し。貞明の脚をつかみ腰に手をかけ、さらには伸びて剣をつかもうとする。

 

「くっ……!」

 貞明が身をよじらせるも、すでに無数の土の腕はその肩に腕に取りつきしがみつき、ねじ上げて剣を奪おうとしていた。

 

「させルか!」

 弟たる晴明が声と共に、獣の腕を地へと突き込む。黒いもやをたなびかせる腕を。

 白紙に墨を落としたように地は黒く染まりゆき、貞明に絡まる土造りの腕にもそれは染みゆき。

 毒牙を刺されたかのように土公神の腕は震え、指を離し、ぼろぼろと崩れ落ちていった。

 

「行けや、水(ずい)と!」

 兄たる清明が狐影の印を突き出す。その先の空間にもやが立ち込め、寄り集まって大粒の水が浮かび、小枝を踏み折るような音を立てて凍りつき。それが広がり、大きくなり。氷塊で形作られた大猪の姿を取った。

「やれ、【大式神・異吹山神(いぶきやまのかみ)】!」

 

 猪の吐く息が吹雪となって貞明と晴明を襲う。草薙剣に打ちつけられた雪が積もり、氷となってこびりつき、さらに膨れ上がって氷塊となり。貞明の腕が重みにこらえ切れず下がり、切先が地面につく。たちまちに霜柱が地面を押し上つつせり出し、剣を覆う氷塊を取り込んだ。

 

「しまった…!」

 貞明の顔が引きつり。

 

「もらったァ……!」

 清明の顔がほころぶ。

 

 武(たける)の目は見開かれ、大猪へと向けられていた。

「こ、これは……伊服岐能山(いふきのやま)の神……! 忘れておらぬぞ、いつぞや貴様に負わされし痛み!」

 掲げる手刀から、天を衝(つ)くように光が噴き上がる。

「我が怒りのままに滅べぇ! 受けよ【草薙断(くさなぎのたち)・天叢雲(あめのむらくも)】!」

 

 迸(ほとばし)る光の大剣が氷の猪を叩き斬り。貞明と草薙剣を取り込んでいた氷も、蒸発したかのように姿を消した。

 

「なッ……」

 貞明の方へ手を伸ばそうとしていた清明は、駆け寄りかけた姿勢のまま前へつんのめる。

 

「フ……思い知ったか猪め! 朕(ちん)が痛みを、そして怒りを! ぁ、思いぃ、知ったかぁ! フハハ、ハッハァーッ!」

 

 忠行も、貞明さえ口を開けて。ふんぞり返って高笑う日本武(やまとたける)を見ていた。

 

「何か知らナいが、去(い)ネっ!」

 弟たる晴明が、武(たける)へと向け岩石の群れを放つ。

 

「フ……その程度か!」

 鼻息一つつき、手刀を振るう武(たける)だったが。

 腕から上がる光が薄まり、薄まり。草薙断(くさなぎのたち)を構成することもならず、かき消えた。

「あっ。……あっ、あぁあああ!?」

 

 日の本の名を背負う英雄は悲鳴を残して石に打ち倒され、岩の下敷きとなり。積み重なる岩石の群れに埋まり、見えなくなった。

 

「な……」

 口を開けたままの清明はこう言いたかったが、声にするだけの力も抜け落ちていた。

 

 ――何しに来たンじゃ、お前。

 

 

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