某VTuberとは無関係です。
焦げたタレの匂いと、寸胴鍋に踊る玉ねぎの甘い蒸気――その戦場で私は目覚めた。
胸甲もマントもなく、橙色のエプロンが鎧の代わり。手には騎士槍ではなくメタルおたま。眼前では巨大な炊飯ジャーが唸りを上げ、噴き出した湯気が兜のない頭皮を熱した。
私は王国第一騎士団長エルセリア・アルティミア。魔竜討伐の折に胸を貫かれ、確かに絶命したはず。だが今、私の口は勝手に――
「いらっしゃいませえっ! ご注文は並盛でよろしいでしょうかっ!?」
声だけは戦陣で鍛えた腹式発声。オフィス帰りの客がビクッと肩を震わせた。
理解不能な状況。だが客は容赦なく増える。厨房奥から店長らしき小柄な女性が悲鳴混じりに叫んだ。
「新人ちゃーん! 盛り付け急いで! 牛丼が渋滞中!」
命令には従うが騎士の性。私はおたまを槍と見立て、渾身の“気合い斬り”で米を丼へ転送。だが力み過ぎて陶器が真っ二つ。割れた破片に跳ねたタレが、白いシャツに鮮血のようなシミを作る。
さらに「つゆだくで」と言われれば「兵站は厚く!」とタレを三倍。結果、汁海が決壊し客のスーツを染めた。
周囲が騒然とする中、同期バイトらしい根暗大学生タムラが飛んでくる。
「女騎士さん、盛りすぎ! 割りすぎ! 滞留時間オーバー!」
「我が高潔なる盛りに不備があったか!」
「不備しかねえ!」
かくして初日から丼は割れ、山のようなクレームが積み上がった。
それでも私は気づく――剣の要らぬ戦場も、悪くない、と。
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翌日正午。店の前に行列が連なり、店長は青ざめた。
「サラリーマン波状攻撃、来るわよ……!」
私は騎士団長時代の指揮感覚を蘇らせる。
――一列目、米担当。二列目、肉担当。私は中央に立ち、伝説の二刀流おたま“千手盛り”を発動。米を掬い高く掲げ、空中回転から正確に丼へ着地させる離れ業。客の視線が釘付けになり、タイパよりもエンタメ性で待ち時間ゼロを実現。
味噌汁の蒸気が曇らせた視界を、紅生姜の鮮烈な赤でマーキングし敵味方を判別。さらにタムラを副隊長に任命し、カウンター側面からの来客フローを最適化。
客は驚き、SNSは映像を拡散。「牛丼屋で女騎士が無双中」ハッシュタグは瞬く間にトレンド入りした。
だがピーク後、厨房に残ったのは破れたエプロンと湯気焼けした素肌、そして燃え尽きた私たち。
カウンター越しに並ぶ食券タワーを見つめ、私は息を吐く。
「良き戦であった。されど……胃袋は限界だ」
「女騎士さん、糖質制限? もう米見たくない顔になってる」
「否、戦士とは最後に笑う者。いざ、追い飯!」
私は自作“騎士盛り”で自軍を鼓舞、炭水化物をさらなる炭水化物で追撃した。
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バズ効果で売上が跳ね上がった数日後。黒スーツの男が来店。胸元の社章には金色の牛――本部監査官、通称“聖牛”桜庭。
彼は開口一番でPOPの角度、タレの濃度、盛り付け高さまで規定違反と断罪し、冷徹に宣告した。
「本日付で店舗閉鎖を検討します。例外はありません」
店長が崩れ落ちる。私はしゃもじを抜く。
「騎士たるもの、民の笑顔を守る。そのための丼である。規定が魂を殺すというなら、我が剣で斬り伏せよう」
桜庭は冷笑しつつ課題を叩き付けた。
「本日中に限定フェア丼を三百杯売れ。材料は各店持ち出し不可。君たちの在庫と工夫だけで、だ」
無茶だ。だが私は副隊長タムラに命じ、瞬時に以下を実行。
1. 近隣農家へ直電。余剰玉ねぎを即納させ“騎士割”で仕入れ。
2. コメ業者へ突撃配達を依頼。駿馬の如きUberバイクが米袋を背負い疾走。
3. SNS信者を〈試食騎士団〉に任命し“映え”投稿で集客ブースト。
夕刻17時58分、最後の一杯を売り切り、厨房で鐘の音が鳴った。
桜庭は腕時計を見やり、悔しげに吐息を漏らす。
「……騎士道、悪くない。閉鎖は撤回だ」
勝利。私は高々としゃもじを掲げたが、指先は震えていた。
それを見たタムラが呟く。
「女騎士さんって、本当は剣より丼の方が似合うんじゃ……」
「やかましいわ!」
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監査突破から一週間。店長はエリアマネージャー昇進に伴い退職することとなり、送別会が開かれた。
店長は泣き笑いで言った。
「次の店長? もちろん——エルセリアちゃんよね?」
私は口をつぐんだ。
確かに、この厨房は我が第二の戦場。だが同時に、まだ見ぬ大陸が呼んでいる。
騎士は旅をやめない。
深夜、タムラと二人でまかない牛丼をつつく。
彼は就活サイトを開きながら、黙って紅生姜を盛った。
私はしゃもじを握り締め、決意を告げる。
「唐突だが、私はこの店を旅立つ」
「……次はどこ行くんすか」
「カツドーン帝国。開店準備で人手不足らしい。誰かが支えねば、民は飢える」
「牛丼からカツ丼へ……糖質の騎士道は終わらないっすね」
翌朝、制服とともに封蝋付き退職届を残し、私は店を去った。
玄関先、店長とタムラ、常連客たちが手製の表彰状を掲げている。
『最優秀しゃもじ騎士 賞』
胸が熱くなり、私は思わず敬礼した。
朝日を浴びるしゃもじが剣のように輝いた。
「いざ、新たなる戦場へ!」
――こうして女騎士エルセリアは牛丼屋を後にし、カツ丼チェーンへと旅立った。
その背に、焦げタレの香りと紅生姜の赤を纏いながら。
〈完〉