ほむらちゃん、ごめんね私モテモテになる。さあ叶えてよインキュベーター   作:じゃあな・アズナブル

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第九話 鹿目まどか②

黒く垂れ込めた雲が、空を覆っていた。ニュースでは“スーパーセル”という異常気象が接近していると、何度も繰り返し報じられている。

警報が鳴り、町の人々は市の指定する避難所へと、ぞろぞろと移動していった。校舎の一部を開放した臨時の避難所は、ざわめきと不安の気配に包まれている。

体育館の片隅。毛布の上で、まどかは体育座りをしていた。隣には、さやかがいる。ふたりとも制服のまま、朝からここに避難していた。

周囲から聞こえてくるのは、すべて“天災”に関する会話だった。

「台風のような嵐が来るらしい」「河川が氾濫するかもしれない」「停電に備えておこう」――

そんな言葉が、抑えきれない不安と一緒に空間を漂っていた。けれど本当の原因を知っているのは、この町に、ほんの数人しかいない。だからこそ、その現実を口に出すことはできなかった。

 

「……みんな、戦ってるんだよね」

 

ぽつりと、さやかが呟いた。その声は小さく、かすかに震えていた。

 

「うん……」

 

まどかも、小さく頷く。胸の奥がきゅっと痛んだ。自分だけが、ここにいる。

外ではみんなが――命を懸けて戦っている。マミさんも、杏子ちゃんも、そして……ほむらちゃんも。

 

「戦場には来ないで」

 

三人はそう言った。特にほむらちゃんは、「美樹さやかのそばにいて」と頼んできた。

だから、ここにいる。でも――本当は、自分も行くべきじゃないのか。その思いは、ずっと胸の奥で消えずにいた。

窓の外で、風が唸るような音を立てた。ビルの陰を、不気味な影が這うように流れていく。空の色は、もはや昼なのか夜なのかすら分からない。世界そのものが、壊れかけているようだった。

まどかは、ぎゅっと胸元のリボンを握りしめた。――どうか、誰も死なないで。祈ることしかできない自分が、ただ悔しかった。

ふるふると、指先が震えていた。本人ですら気づかないほどの、かすかな震え。けれど、それを隣にいたさやかが見逃すはずもなかった。

 

「……まどか」

 

その声に顔を向けることもできず、まどかはただ、ぎゅっと膝を抱きしめる。そのとき、甲高い泣き声が体育館の空気を裂いた。

 

「タツヤ……」

 

まどかの母が、立ち上がる。タツヤは、不安な空気に飲まれ、泣き出してしまったようだった。

 

「ちょっと、ここにいると迷惑だから……外であやしてくるわね」

 

父とタツヤの手を引き、母は出入り口の方へ歩き出す。

 

「さやかちゃん、まどかをお願いね」

 

そう言って、小さく微笑むと、母は足早に姿を消した。残されたまどかは、膝を抱えたまま、また小さく肩を震わせる。

 

「……まどか、怖い?」

 

静かな声だった。まるで、胸の奥をそっと覗き込むような声音。まどかは、小さくうなずいた。

 

「うん……」

 

さやかは、少しだけ目を伏せて、それから口を開く。

 

「私ね。魔法少女になるとき、恭介の手を治したいって願った。でも、それだけじゃなかったんだ」

 

まどかは息をのむ。さやかの横顔は、どこか遠くを見つめているようだった。

 

「私が、魔法少女になって……まどかを守るって」

 

「さやかちゃん……」

 

その名を呼んだまどかの声が、かすかに震える。さやかはゆっくりとまどかの方へ向き直った。

 

「まどか。まどかの怖いものから、全部私が守る。他の誰にも、この役目は渡したくないの」

「だから――私、行くよ」

 

まどかの目に、涙がにじんだ。

 

「違うの……さやかちゃん……」

 

何かを言おうとしても、言葉にならない。声よりも先に、一筋の涙が、頬を伝ってこぼれ落ちた。

 

「なんで泣くんだよ〜」

 

さやかは照れ隠しのように笑いながら、まどかの頬に指先を伸ばす。まどかは顔を上げられないまま、小さな声で震えるように言った。

 

「わたし……さやかちゃんに、言わなきゃいけないことがあって……!」

 

「じゃあ――帰ってきたら、教えてよ」

 

さやかはふっと笑って、すっと立ち上がる。

 

「それより、今は……わたし、行かなきゃ!」

 

決意に満ちたその目がまどかをまっすぐに捉える。けれどその直後、さやかは頬をかすかに染めて、少しだけいたずらっぽく微笑んだ。

 

「ねえ、まどか。わたし、頑張るからさ。……報酬を――先払いで、もらっておこうかな?」

 

「え、な、なにを……?」

 

まどかが目を見開いた瞬間、さやかはそっと彼女の手を取って、顔を近づける。――ほんの一瞬。触れたかどうかもわからないほどの、かすかなキス。けれどそれは、まどかの胸を深く、確かに打ち抜いた。

 

「……///」

 

頬を真っ赤に染めて固まるまどかを前に、さやかは笑顔でくるりと踵を返す。

 

「さやかちゃんが、もーらいっ!」

 

そのまま駆け出していく背中に、まどかは思わず反応して――追いかけた。体育館を飛び出す。外はすでに嵐の中。

豪雨と轟音が世界を包み込み、視界は濁った灰色に染まっている。強風に髪を乱されながらも、まどかはまっすぐに戦闘音のする方角へ走った。耳を劈くような爆音。空気を震わせる衝撃波。

その先には――使い魔の群れと戦う、三人の魔法少女の姿があった。

ほむら、マミ、そして杏子。

 

「美樹さやか!? なんで来たの! まどかまで連れてきて!」

 

気づいたほむらが、顔をこわばらせて叫ぶ。

 

「なんでって、あんたたちが不甲斐ないからでしょーっ!!」

 

さやかは叫び返し、すぐさま剣を抜く。目の前の使い魔へ、一直線に斬りかかっていく。

 

「ったく……来ちまったもんはしょうがねーか」

 

杏子が舌打ちし、槍を大きく振り払った。振るわれた一撃が、複数の使い魔をまとめて吹き飛ばす。雷鳴のような音。火花がはじけた。

 

「どうせ来たなら、せめて役に立ってもらうぜ! あたしたちが立てた作戦でも、あいつは倒せなかったんだ。もう後がねえ!」

 

「美樹さん、気をつけて!」

 

マミの声が飛ぶ。

 

「この魔女、使い魔ですら、その辺の魔女クラスの強さよ!」

 

その言葉どおり、複数の使い魔は異様な姿で、そして圧倒的な力を誇っていた。けれど、さやかはひるまない。剣を構え、まどかを背に立つ。

その言葉を境に、戦場の空気が一変した。狂気の渦と化していた“あの魔女”――ワルプルギスの夜が、まどかの姿を捉えたその瞬間、明らかに動きを変えた。

 

「……え?」

 

まどかが小さく声を漏らす。空を狂風とともに舞っていた巨影が、ふわりと降下した。竜巻のように渦巻いていた魔力が収束し、やがて“指先”のような形をとる。それは、まるで優しく頬に触れようとするように――静かに、まどかへと伸びてきた。

 

「きゃっ!」

 

悲鳴と同時に、世界が止まった。時間そのものが凍りついたような静寂のなか、ほむらが跳び込んでくる。

まどかの手を取り、その身体を数メートル後方へ引き寄せると、抱きしめたまま――止まった時間のなかを駆け抜けた。やがて動き出す世界のなかで、まどかは息を呑んだ。

 

「……ありがとう、ほむらちゃん」

 

「まどか、ここは危険よ。すぐに下がって」

 

凛とした声。ほむらはまどかの前に立ち、盾を構える。まどかを奪われかけたワルプルギスの夜は、空中で静かに震えていた。

やがてその巨体が、音のない咆哮を放つ。空が揺れ、風が唸り、雲がねじれて砕けていく。――怒っている。

ワルプルギスの夜の周囲に、黒い渦が巻き起こる。濁流のような魔力が、空間ごと歪ませながら広がっていく。

次の瞬間――

 

「くっ……!」

 

地面ごと吹き飛ばす衝撃波。ほむらは盾を掲げ、咄嗟に身構えた。けれど、それで終わりではなかった。炎と雷を孕んだ“感情の奔流”が、怒涛のように空を裂いて降り注ぐ。

 

「まどかを狙ってる! 守って!」

 

ほむらの声が響き渡る。

 

「――全員、鹿目さんを守るわよ!」

 

マミが叫ぶ。その一言を合図に、四人の魔法少女たちが一斉に動いた。

杏子の槍が唸りを上げ、流れるような動きで使い魔の群れをなぎ払う。

マミのリボンが空間を縫うように走り、仲間たちの盾となりつつ、攻撃の隙をつくっていく。

さやかは回復力にものを言わせて、最前線で何度倒れても立ち上がり、剣を振るい続ける。

ほむらは時間を止め、まどかに迫る攻撃を寸前で防ぐ。

だが――

 

「くっ、どれだけ攻撃しても、キリがない……!」

 

マミが歯を噛みしめた。確かに連携は取れている。全員の実力も想定以上の力をだしている。それでも。

ワルプルギスの夜は、まるであざ笑うかのように、空を悠然と旋回しながら、底知れぬ魔力を垂れ流していた。

 

「おかしいだろ……! こんなもん、どうやって勝てってんだよ!」

 

杏子が叫ぶ。腕には裂傷が走り、足元には瓦礫が散乱している。

 

「はぁっ、はぁっ……でも、でもまどかの前で引くわけにはいかないのよ……! 私が守るんだから……!」

 

さやかの目は血走り、息は荒くとも、その手から剣は離れない。ボロボロでも構わない。ただ、まどかの前でだけは――倒れられないその一心で戦い続けていた。

 

「時間停止を使っても、決定打が与えられない……」

 

ほむらの呼吸も乱れていた。盾に仕込んだ爆薬はほとんど使い切り、弾薬の残量も乏しい。戦術は尽きかけている。

そのとき――

 

「まどか……危ないっ!」

 

再び、ワルプルギスの夜がまどかへと魔力の“手”を伸ばしてきた。さきほどよりも早く、強く、執拗に。

 

「下がって!」

 

マミのリボンが飛び、まどかの身体を後方へと引き寄せた。だがその一瞬、マミが自らを盾にするように前へ出た。

次の瞬間――轟音。衝撃波がマミの身体を襲い、吹き飛ばした。

 

「マミさん!!」

 

悲鳴を上げて駆け寄るまどか。その姿を――ワルプルギスの夜が捉えた。狙われている。この戦いの“焦点”がまどかであることは、もはや誰の目にも明らかだった。

そのときだった。どこからともなく、ふわりと甘い匂いが漂ってくる。チョコレート、キャラメル、苺のムース……まるでお菓子屋のような、懐かしくて優しい香り。

――現れたのは、お菓子の魔女。かつてマミ達を襲った、あの“魔女”だった。

だがその背後には、さらに数多の“魔女たち”が続いていた。骸骨のような者、花のように咲き乱れる者、音楽に合わせて踊る者――

どの魔女も、魔女特有の禍々しさはなかった。代わりにどこか、柔らかく、光を帯びた気配をまとっている。

まどかが呆然と見上げる中、お菓子の魔女の身体が光に包まれた。そして次の瞬間――

そこに立っていたのは、小柄でくるくるした銀髪の、愛らしい少女だった。

 

「この姿なら……あの、可愛くて、あったかくて、甘い匂いのする子と、ちゃんとお話できるのです」

 

にこりと微笑んで、少女――なぎさは手を掲げた。

 

「さあ、みんな――あの子を、助けるのです!!」

 

その号令とともに、魔女たちが動き出す。空を切り裂くような叫びではない。舞うように、踊るように、優雅な動きで、しかし確かにワルプルギスの夜へと突撃していく。

魔法陣がきらめき、ハート型のビームが走り、花が咲き、星が瞬く。戦場に吹き込んだのは、これまでとは違う“魔法”だった。

 

「……まさか、魔女もまどかを……!」

 

ほむらが目を見開く。

 

「魔女が……助けに来たってのかよ……!」

 

杏子が呆然と呟く。隣でマミも、空を見上げて言った。

 

「信じられない……でも、たしかにあの魔女たちはワルプルギスの夜とだけ戦ってるわ」

 

魔女たちは意思を持つかのように動き、連携して攻撃を繰り出す。その攻撃は美しく、正確で、戦況すら塗り替えてしまいそうに見えた。

……だが。

ワルプルギスの夜が、その軌道を狂わせた。狂気を孕んだ魔力の奔流が、空気を切り裂くように吹き荒れる。

一体の魔女――愛らしい姿をした者が、衝撃に巻き込まれた。砕けた身体は粉のように舞い、風にさらわれて消えていく。マミが低く呟く。

 

「やっぱり……力が、別格だわ。他の魔女たちじゃ相手にならない……!」

 

希望に染まりかけた空気が、急速に冷え込んでいく。ほむらが唇を噛む。

 

「……結局、やはり……単純な戦力では、届かない……」

 

杏子が地面を蹴った。

 

「クソッ、来るなら来いよ……! やるしかねぇだろ……!」

 

マミも構えを取り直し、リボンを一斉に展開する。

 

「まだよ……! まだ終わりじゃない、やるわよ!」

 

けれど、誰もがどこかで感じていた。このままでは――届かない。

どれほどの想いを重ねても。どれほどの力を注いでも。あの怪物には、届かない。

ワルプルギスの夜は――あまりにも、絶望的だった。

 

***

 

どれくらい時間が経ったのだろう。いつの間にか、嵐の音にも慣れてしまっていた。

耳が麻痺しているのか、それとも、心がもう――この結末を、どこかで受け入れようとしているのか。

まどかは、ただ――戦場を見つめていることしかできなかった。ほむらちゃんも、さやかちゃんも、マミさんも、杏子ちゃんも。そして、助けに来てくれた魔女たちまでもが――命を懸けて戦っている。

なのに、自分は。ただ、立っているだけ。足が、動かなかった。

そのとき――

 

「やあ、まどか」

 

耳元に、聞きなじみのある声がとどいた。

 

「キュゥべえ……っ!」

 

顔を上げると、白い身体がのそのそと歩いてくるのが見えた。まどかは咄嗟に数歩、後ずさる。

 

「今さら……今さら現れて! 今までどこにいたの!?」

 

怒りとも、恐怖ともつかない感情が胸に広がって、声が震えた。だが、キュゥべえは気にした様子もなく、尻尾を揺らして首をかしげた。

 

「ぼくもね、いろいろ妨害を受けていて……ようやく辿り着けたんだ。いやはや、ぼくにも訳がわからないよ。何かに――干渉されてるとしか思えない」

 

「干渉……?」

 

「そう。あるべきものがない。逆に、ありえないものが存在している。今の世界は、観測可能な事象として――あまりにも異常だ」

 

「それって……」

 

「きみの願いが関係しているんじゃないかな、まどか」

 

感情のない光を灯した瞳で、淡々とキュゥべえは言った。

 

「きみはたしかに“契約”したんだろう。魔法少女の力も感じる。――なのに、変身しない。魔法も使わない。……おかしいと思わないかい?」

 

まどかの背筋に、冷たい何かが這い上がる。

 

「まどか、君に訊ねたい。君はなぜ、変身しないんだい?」

 

その問いは穏やかで――けれど、鋭く心を貫いた。

 

「へんしん……?」

 

そうだ。自分は願った。キュゥべえと契約した。ならば魔法少女として、力を使えるはず。戦えるはず。……なのに、どうして?

 

「……あれ……?」

 

視界が、ふらりと揺れた。頭の奥で、なにかが軋む。ひっかかる。

 

「わたし……なんで……?」

 

その瞬間――

 

ドンッ!!

 

空気が破裂するような音とともに、キュゥべえの身体がピンク色の閃光に貫かれた。そのまま、塵のように弾けて、消える。

驚いて顔を上げたまどかの前に――もうひとりの“自分”が立っていた。

淡い光をまとい、神聖なほど静かな気配を纏ったその姿。同じ顔、同じ声。けれど、明らかに異なる“存在”。

 

「……余計なことは、言わなくていいんだよ」

 

その“彼女”は、静かに、優しく微笑んだ。

 

「怖がらせちゃったかな……ごめんね」

 

まどかは、言葉を失った。ただ、目の前にいる“自分”を――その眩しすぎる光を――見つめる。光に包まれた彼女が、微笑みながら手を差し伸べてくる。

 

「わたしに……そっくり……?」

 

思わず漏れた問いに、“彼女”は愛おしげに笑った。

 

「ふふ……本当に可愛い。やっぱり、あなたは私。私はあなた」

 

その声は柔らかく、どこか母性すら帯びていた。

 

「もう、大丈夫。私が来たから。安心して。 ――あなたを守るために、ここに来たの」

 

「……あなたは、一体……誰なの?」

 

戸惑いと恐怖、そして説明のつかない安心感が、胸の奥で渦を巻く。まどかの問いかけは、呼吸のように自然に漏れ出た。“彼女”は、ふっと目を細めて優しく告げる。

 

「私は、別の世界の鹿目まどかだった存在。かつて、“すべての魔女をその生まれる前に消し去りたい”と願った鹿目まどかが、願いの果てに辿り着いた存在」

「その結果、私は生まれた。願いの力によって、魔法少女たちを救うために。魔女になる前の彼女たちを回収し、包み込み、安らぎへと導く――そんな存在として」

 

彼女は、そっと手を伸ばし、まどかの頬に触れようとする。その仕草は、まるで祈るように――慈しみに満ちていた。

 

「人は“円環の理”と呼んだわ。あるいは、神や女神と呼ぶ者もいた。はたまたアルティメットまどかなんて呼ぶ子もいた……でも、私にとってはそんな呼び名はどうでもいい」

 

その瞳に宿るのは、全てを赦すような光。

 

「今の私は、ただ――あなたを感じていたい」

 

その言葉は、まどかの肌に直接触れるように、静かに、深く、沁み込んでいく。

 

「その……別の世界の“わたし”が、どうして……ここに?」

 

まどかが問う。震える声だった。アルティメットまどかは、静かに目を伏せ、そして――微笑んだ。

 

「……見つけてしまったの。あなたを」

 

その声は、優しさと――ほんのわずかな狂気を孕んでいた。

 

「本来、どの時間軸にいても、“私”たちは最終的に一つになるはずだった。どの世界でも、どの未来でも、鹿目まどかは“私”へと回帰して、円環の理として統合されていく運命だったの」

 

まどかの瞳が揺れる。彼女は一歩、まどかへと歩み寄る。その瞳の奥には、得体の知れない執着の色が宿っていた。

 

「でも――あなたを見つけたとき、違うって思ったの。こんなの、だめだって。一つになったら、私はあなたを“見る”ことができない。あなたの声を、聞けない。触れられない。笑顔に、恋をすることすら、できない」

 

――だってそれは。

 

「あなたが、私になってしまうということだから」

 

だから――

 

「私は、この世界を“隔離”したの」

 

その言葉が発せられた瞬間、空気が一瞬――重く、軋んだ。

 

「他のどの時間軸からも干渉されず、誰にも観測されない、ただひとつの“外れた世界”。この世界は、私が“あなた”を愛するための、唯一の場所」

「……それにしても、本当に大変だったんだからね」

 

まどかは、きょとんとした。

 

「えっ……?」

 

「“モテモテになりたい”なんて――可愛い願いだし、それはいいんだけど」

「私があなたを見つけたとき、急いで修正したの。……そのまま放っておいたら、この世界、どうなってたと思う?」

 

少し頬を膨らませるようにして、アルティメットまどかは言った。

 

「私が抑えてなかったら、あんなことやこんなこと――されてたかもしれないんだよ?知らない男たちに囲まれて、触られて、抱きしめられて――っ」

 

言いかけて、アルティメットまどかはぶんぶんと頭を振る。

 

「……ふぅ。思い出しただけで、血の気が引くわ」

 

そして、ぴっと人差し指を立てて。

 

「だから私は、あなたの願いの“効果範囲”を、できる限り抑えたの。本当は全部抑えたかったけど、あまりに強すぎて……私でも完全には抑えきれなかった」

「せめて影響範囲だけでも――女の子たちに限定したのよ。これでも、かなり頑張ったんだから?」

 

まどかは戸惑いながら聞いていた。

 

「そ、そんなことしてたの……?」

 

「当然よ。“私”以外の誰にも、あなたの身体を触らせたくなかったもの」

 

にっこりと笑いながら、彼女は言う。その瞳の奥には、神にも等しい存在が宿す――冷酷で絶対的な独占欲が、静かに、狂おしく燃えていた。

まどかは息を呑む。脳が理解するより早く、本能のどこかが――拒絶しようとしていた。

 

「でも、大丈夫。あなたは、ここにいてくれるだけでいいの」

 

アルティメットまどかの声は、祈るように優しかった。

 

「この世界にいれば、あなたは魔法少女にも、魔女にもならない。願いの代償も、何も背負わなくていい。だから――」

「“可愛いあなた”のままでいてくれれば、それで……いいの」

 

その目は、本来すべての魔法少女を救う神でありながら、

ただひとりの少女に恋焦がれる――狂気に似た執着と愛情に、あふれていた。

 

「ごめんなさい……全然、意味がわからないよ……?」

 

まどかの声は震えていた。目の前にいる“自分そっくりの自称神様”が何を語っているのか――そのすべてが、どこか遠く、現実味を持たなかった。

けれど、アルティメットまどかは微笑んだ。まるでその困惑すらも、愛おしくてたまらないというように。

 

「いいのよ。わからなくて」

「あなたはただ、“ここ”にいればいい。私がぜんぶ、守ってあげるから」

 

その声は優しく、柔らかかった。けれど、どこか壊れていた。まるで温度を失った録音のように、心に届かない。

 

「だから教えて」

「『まどか』はどうしたい?」

「何が欲しい? 何を願う? 何を、してほしいの?」

 

ぐいと、距離が詰まる。その瞳は、熱に浮かされたようにきらめきながら、ただまどかを映していた。

 

「さあ! さあ! さあ!」

 

――襲いかかってきたのは、圧倒的な「好意」だった。まどかは、思わず一歩だけ後ずさる。無意識に、逃げるように。

だけど。胸の奥から、絞り出すような声が、漏れた。

 

「……助けてくれるの?」

 

その瞬間、彼女の顔がぱっと花開いたように笑みに染まった。

同時に、風の音が消えた。魔女たちの叫びも、仲間たちの声も、何もかも――一斉に、凍りついたように止まった。世界が、静止した。

 

「……え?」

 

まどかだけが、その中で震えながら息をしていた。目の前の神を名乗る彼女も、腕を差し出したまま動かない。まるで時間ごと凍りついた、人形のように。

――ほむらちゃん?

慌てて振り向く。そこには、戦場で戦うほむらの姿があった。けれど、その姿もまた、完全に静止している。

 

「どういうこと……? 時間停止の魔法……ほむらちゃんのじゃないの……?」

 

まどかの声だけが、この世界に響いた。静まり返った舞台で、唯一の“生きた存在”であるかのように。

再び、目の前の女神に視線を戻す。けれど、彼女もまた――微笑んだまま、ピクリとも動かない。

 

「じゃあ……これ、誰が……?」

 

――そのとき。背後から、やわらかな風が吹いた。冷たくて、でも熱い。矛盾した感覚。羽ばたきのような気配。黒く、大きな翼が――まどかの身体を、やさしく包み込む。

 

「っ――!」

 

振り返るより早く、声が降った。

 

「ゆるせないわね。私のいないところで、好き勝手やるなんて」

 

その声に、まどかの身体が震える。

 

「……誰……?」

 

黒翼の中心。夜のような影から、少女が一人、現れた。闇よりも深く、愛よりも狂った――燃えるような瞳。黒い翼と漆黒のドレス。暁美ほむらの姿だった。

まどかを包み込んでいた黒い翼が、ゆっくりとほどけていく。そこから現れた彼女は、まどかに微笑みかける。その姿に、まどかは目を見開いた。

 

「ほむら……ちゃん……?」

「ふふ。そう呼んでくれるのね。嬉しいわ、まどか」

 

暁美ほむらの顔。けれど――明らかに“知っている彼女”とは、違っていた。

長く艶やかな黒髪、身体にぴたりと密着した漆黒のドレス。肩や胸元は大胆に露出し、背には黒い羽が広がっている。

 

「ちょっと……その格好は……/// なんだか過激すぎない……?」

 

まどかは頬を赤らめながら、目を逸らす。

 

「そうかしら? 私はもっと、あなたに見てほしいのよ、まどか」

 

悪魔のような笑みで、彼女は囁く。その視線には、歪んだ愛が宿っていた。

 

「あなた……本当に、ほむらちゃん……なの?」

 

「私は暁美ほむら。でも――あなたが知る暁美ほむらとは別の存在よ」

「私は神を堕とし、その力を奪った者。円環の理を食らい、愛の名のもとにすべてをねじ伏せた。神を堕としてしまった悪魔とでも、呼ぶべき存在」

 

「……え?」

 

まどかの瞳が揺れる。目の前の彼女の言葉の意味が、すぐには呑み込めなかった。

 

「ああ……まどか」

「もし、あなたがまた神のシステムに支配されようとしているのなら、私が助けてあげる」

「私はあなたを自由にしたい。誰のものでもない、あなた自身のままで――私の隣にいてほしいのよ」

 

「……っ」

 

まどかの胸の奥が、何かに締めつけられるように痛んだ。――そのとき。

 

「……あなたは、一体……?」

 

静止していたはずの空間に、再び声が生まれる。まどかと悪魔ほむらの視線が、同時に、同じ場所へ向いた。さっきまで止まっていたはずの“女神”が、ゆっくりと歩み寄っていた。

 

「どうやって、この世界の中に介入したの……?」

 

アルティメットまどかの表情は、まだ微笑を浮かべていた。けれどその奥に、確かに――警戒の色があった。

そして、静止していたはずの世界が。ふたりの神と悪魔によって、“軋み始めた”。




本当はこの前に、お菓子の魔女(百江なぎさ)をメインにした話を入れる予定でした。
なぎさが、まどかに会っても怖がられないように人間形態をとろうと努力したり、ワルプルギスの夜が近づいてきていることを察して、他の魔女たちを仲間に引き入れつつ戦場に向かう……そんなお話になるはずでした。
ですが、書いているうちにネタが枯れてしまい全カットしました。

登場したアルティメットまどかと悪魔ほむらについてですが、もし設定的に無理がある部分があったらごめんなさい。
そのあたりは想像と妄想をたっぷり交えておりますので、どうか広い心でお楽しみいただければ幸いです。
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