オラリオの朝は早い。まだ陽が昇りきらないうちから、冒険者たちは武具を整え、迷宮都市の中央にそびえるダンジョンへと向かっていく。
リムルとベルも、例外ではなかった。
「ふわぁ……眠いです……」
ベルが目をこすりながらリムルの後ろをついていく。ファミリアに正式加入し、数日が経った。リムルの導きによって順調に経験を積み、少しずつ自信を取り戻しつつある。
それでも、朝はまだ苦手なようだった。
「ダンジョンは朝が一番空いてるからな。敵の数も控えめだし、慣れるにはちょうどいいんだ」
「そ、そうなんですけど……もう少し寝ても……」
「ほら、文句言ってるとまたバグベア出るぞ?」
「で、出ないでくださいぃぃぃ!!」
二人のやり取りは、どこか兄弟のようでもあり、リムルにとってもベルにとっても、心安らぐ時間だった。
◆
第一層に降り立ち、モンスターを探して通路を進んでいたその時だった。
──ズンッ。
突如、頭の奥に響くような鈍い感覚がリムルを襲う。
(……なんだ? 今のは……)
《知覚異常の兆候を検出。原因不明。念のため魔素の循環を安定化しますか?》
(ああ、頼む……)
ふと、足が止まっていたことに気づく。前を歩いていたベルが、不安そうに振り返った。
「リムルさん……?」
「いや、なんでもない。ちょっと、懐かしい匂いがした気がしただけさ」
(……でもこれは……記憶? いや、違う。記憶の“断片”か……?)
頭の奥に、誰かの笑い声が響く。暖かな光に包まれた日々。強く、優しく、時に愚かで──それでも、心を通わせた仲間たちの影。
(……俺は、何を……)
気づけば、胸の奥が苦しくなっていた。理由もなく、涙がこぼれそうになる。
《……記憶封印領域に、微細な揺らぎを確認。接触原因不明。封印は維持中ですが、影響は徐々に表面に現れる可能性があります》
(……これが、“忘れている何か”か)
◆
その日の帰り道、ベルはリムルの様子を何度も気にしていた。
「……あの、リムルさん」
「ん?」
「今日、やっぱり変でしたよね? なんだか、すごく寂しそうな顔してました」
リムルは少し黙ってから、歩みを止めた。
「……もし、すごく大事なことを忘れてるとしたら──ベル、お前ならどうする?」
「……僕なら……思い出すまで、諦めません。たとえ思い出すのが辛くても、大事なことなら、ちゃんと向き合わないといけないから……」
真っ直ぐな言葉だった。
リムルは思う。この少年は、迷いながらも自分の心に正直であろうとする。その姿は、かつて自分が守ろうとした誰かに、どこか似ている気がした。
「……そうか。ありがとう、ベル」
「えっ?」
「やっぱり、俺も──思い出さなきゃいけないみたいだ」
◆
夜。静かな宿の一室。
ベッドに座ったリムルは、目を閉じて呼びかけた。
(シエル……俺は、何を封印された?)
《──主様、現段階では開示できません。ですが、近く……いずれすべてを思い出す時が来るでしょう》
(その時、俺は……)
《選択を迫られるでしょう。かつての世界に戻るか、それとも──》
(……今は、まだ選べないな)
《了解。ですが……主様。貴方の本質は、決して失われません》
その言葉が、どこか嬉しかった。
見えない霧の奥に、確かにある何か。いつかそれを掴むために──リムルは、前を向くと決めた。