主に原作8巻および9巻(つまり懐玉・玉折)を読み返す度に湧いてくる澱を1話にギュッとしたもので、この話はこの1話だけです。第2話は無いです。
 1話だけにしないと他が滞るのが目に見えているので1話に全部ねじ込みました。
 どういう展開なら五条の隣に夏油が居続けられるかとか、隣に居続ける場合はもちろん夏油ももっと強くなってるはずだよなとか、そういう妄想が込められています。
 主に夏油らへんに関する設定の捏造があるのと、原作に存在しないモブキャラ及び名前ありのチョイ役(呪霊、補助監督など)が複数登場します。

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比翼の鳥

「問題ない」

 

 ツンツンと四方八方に逆立った透き通るように白く柔らかい短髪の青年が、心配そうな表情でこちらを見つめてくる親友に強がりを言った。

「術式は間に合わなかったけど内臓は避けたし、それにすぐ呪力強化して刃を動かさせなかった。ニットのセーターに安全ピン刺したようなもんだって。ホントに大丈夫だから」

 

 呪術高専の2年生にして「数百年ぶりの玉体」たる若き五条家当主、天上天下唯我独尊を地で行くヤンチャ盛りのクソガキ五条悟(ごじょうさとる)は、いつになく切羽詰まった精神状態で、可能な限り普段通りの表情を作ろうとしながら親友を急かす。

 

天内(あまない)優先! 俺がアイツの相手するから(すぐる)は2人連れて先に天元様のところ行って!」

 

 五条悟の親友にして相棒、今回の「護衛任務」を共に拝命した同じく呪術高専2年の夏油傑(げとうすぐる)には、迷う時間など無いということだけは辛うじて理解できる程度の余裕しかなかった。

 そして夏油はすぐに、絶対に最良の回答ではないと判っていながら、それでも決断した。

 

「わかった。二手に別れよう」

 

 彼ら2人の「護衛任務」の護衛対象たる天内理子(あまないりこ)の抹殺を請け負った刺客である男の、最大の計算違いがこの瞬間だった。電車の車両ひとつ分くらいある巨大なイモムシのような、もしくは大腸に顔がついたような呪霊を内から斬り裂いて無力化した伏黒甚爾(ふしぐろとうじ)の目に飛び込んできたのは、海。

 

「私が二手に別れよう」

 

 視界も地面も空中も埋め尽くすほどの夥しい数の呪霊の群れで形成された、呪いの海だった。

 

 その海を創り出した当人だろう、見るからに生真面目そうな「五条悟の隣の術師」の決断力を見誤っていたと伏黒甚爾が気づいた時には既に、状況は劇的に厄介になっていた。

(すぐる)なにやってる!」

 いつも掛けている真っ黒な丸いレンズのサングラス越しに遠い空のような色の両目を覗かせている五条悟は珍しく血相を変えて親友を問いただすが、夏油傑は正気だった。

 

「何って手持ちの呪霊を全部出したんだよ(さとる)。言いたいことはわかるけど、私の言いたいこともわかってほしいな。きみね、腹に穴が空いてる親友に『大丈夫』って言われて、しかも無傷のきみの胴体を刃物で刺せるような奴がまだ狙ってるのに、それで心配しない人間が居ると思うかい?」

 

 あっちの呪霊操術持ちの黒髪のほうが冷静だなと、伏黒甚爾は優先順位を推し量っている。

 

「理子ちゃん、黒井さん。私の呪霊を半分つけて道案内と護衛させるから、天元様のところへ」

 

 スグルという名前らしい呪霊操術持ちの青年にそう指示されて無言で頷いた女と星漿体の小娘の背中を裂こうとした伏黒甚爾は、神社の境内のような風景の「都立呪術高専」の玄関先の結界内で、かなり広々としているはずのこの場所で、まるで渋谷のスクランブル交差点にでも突入したかのように数多の呪霊の肉壁に阻まれて時間を稼がれる。

 

「面倒くせえな烏合が!!」

「チじゅブ繝るЙ繧ゑぃぱな゙」

 

 浴びてはいけないと直感した伏黒甚爾は今斬り裂いた呪霊の返り血を猫のような動きで飛沫の一粒に至るまで残らず躱し、うじゃうじゃ居やがる呪霊どもを雑に斬り捨てて始末しながらその間を縫うように進んで、呪霊の群れの向こうに居る五条悟を狙う。

 

「蒼」

 

 五条悟のその声を聞き取って即座に距離を取った甚爾が今の今まで居た位置の地面が周囲の何体かの呪霊ごと、目に見えない巨大な手にでも握り締められたかのように一緒くたに圧縮されて抉れて、限りなく小さいサイズにまで潰されて無くなった。

(話にゃ聞いてたが)

 抉れた地面を見て、報酬に色をつけて貰えないもんかとか思いながら、伏黒甚爾は笑っている。

 

「あーー。……そう言えばたぶんアンタの噂は聞いてたぜ? 『天与の暴君』さんよ」

「そりゃこっちのセリフだ『五条悟』」

 

 その途端、どこからともなくけたたましい音量の警報が鳴り響いた。 

「フカシこいてたのが、こんな役立ち方するとはね……」

 注意深く伏黒甚爾を睨みながら、夏油傑はしみじみとそう呟く。その声色は状況から考えれば不自然に落ち着いていて、それがせめて上っ面だけでも冷静さを取り繕うことで可能な限りの落ち着きを取り戻そうという咄嗟の努力の発露なのが、五条にはありありと察せた。

 

「ああ、登録してないのもまとめて出したのか傑」

「そ。だから時間が経てば経つほどここに大勢集まってくるだろうね」

 

 常に幾重もの結界で守られている呪術高専の敷地内では、未登録の呪力を感知すると安眠なんかできるはずもない大音量の警報が敷地内全域に鳴り響くのである。

 呪術高専の生徒である夏油傑の呪力はもちろん登録済みだが、では彼の術式の支配下にある無数の呪霊が全て残らず登録済みかと言えば、全然まったくそんなことはないのだった。

 

「お前が抱えてる呪霊の数フカシこいてたの知ったら夜蛾セン(ヤガ先生)めっちゃキレんじゃねーの」

「だろうね。一緒に怒られてくれないかな、悟」

「夜蛾センのことだからどーせ俺たち連帯責任で2人ともゲンコツだって解ってるだろ、傑」

 

 解ってはいたが思った以上に「呪術高専の生徒」という言葉から連想される水準を大きく超過しているらしい青年2人と相対して、そして半分が星漿体の小娘に護衛として着いて行っても尚まだ軍隊と表現できる数が居る呪霊共とも相対して、それでも伏黒甚爾は凶悪な笑顔のままだった。

 

 五条悟と夏油傑は、伏黒甚爾を見ている。

 伏黒甚爾は、五条悟と夏油傑を見ている。

 3人が3人とも、まったく同じ理由で笑っている。

 

 負けると思っていないのである。

 

 強い奴と戦える歓びとは似て非なる「強い奴を斃せる歓び」を、五条と夏油も伏黒甚爾も、前借りして味わっていた。

「ホントにやんの? オッサン。俺達最強だけど?」

「ハッ、笑わせてくれるなぁクソガキ。まあ丁度そういうこと言いたい年頃かぁ?」

「ところでさ。単なるムキムキマッチョマンじゃあないみたいだけど、アンタなんなの?」

 

 夏油傑の質問に、伏黒甚爾は快く答える。回答するメリットがある質問だったから。

 

「俺はいわゆる『天与呪縛』だ。知ってるよな?」

「あー、生まれつきの『縛り』と引き換えに何らかのリターンを常に得てる体質、だったか」

 去年のいつだったかに習った内容を、夏油はあたかも今まで忘れていたかのように諳んじた。

「そうだ。俺ぁ生まれつき呪力が全く無い。ほとんど無いんじゃねぇぞ。『全く』無いんだ。そのかわり身体はこの通りお前らなんか比較にもならねえくらいに頑丈で、鼻も利くし目も耳も良いし、虫歯も無いし何喰ってもハラ壊さねえ。……そういうお前はコレ、『呪霊操術』ってやつか」

 今度は反対に伏黒甚爾が質問し、夏油もまた快く回答する。

 

「そう。等級換算で2級以上の差が有るなら――手っ取り早く言うと私を基準にしてある程度弱い奴なら――問答無用で、そうじゃなくても降伏、つまり叩きのめしてからなら呪霊を取り込んで支配下に置いて使役できる。普段はしまっとけるし、見ての通りいつでも出せる。取り込める呪霊の数に上限は…………もしかしたらあるのかもしれないけど、そうだとしてもまだ到達してないね。それで悟。きみの術式はなんて言うんだっけ? プリケツ操術だっけ?」

 

 夏油傑はあえて普段通りの気安い冗談をぶつけることで五条悟の籠もりすぎている肩の力を抜かせようと試みていたが、それは同時に自分が肩の力を抜くための作業でもあった。

 

「『無下限呪術』だっつーの。とっくの昔に知ってるだろ傑。俺の周りに『無限』を置いといて、それでなんでも防げるの。防げるっていうか、俺に近づけば近づくほど遅くなるから、永遠に到達できない。収束する無限級数みたいなもんだよ」

 

 3人が3人とも「術式の開示」を終え、それと引き換えの能力向上を自覚する。

 五条悟と夏油傑と伏黒甚爾は、同時に動いた。

 

「にぃらめっこしぃましょぉぉぉぉぉぉ」

 

 地面の下から湧いてきた髭だらけの丸顔に直接汚い足が5本ほど生えている呪霊を引っ掴んだ甚爾はそのままそれを夏油傑に投擲するが、空中から降下して割り込んできた別の呪霊がそれを捕食して防ぐ。槍の穂先のように長く鋭いくちばしにビッシリとたくさんの目玉がついている鳥のようなその呪霊を躱して、甚爾はあくまでも五条悟から始末するべく突進する。

 

 高価極まる呪具ふたつを贅沢に組み合わせた鎖付き短剣とでもいうべきものを振り回して、伏黒甚爾はまるで裏庭の草刈りでもしているかのように呪霊の群れを斬り裂いていく。

(こんな数を同時に出してきたのは計算外だが、この数をいっぺんに精密に動かせるわけはねぇ。一度に自分の手足みてえに動かせるのは精々数体だろ……それに五条悟の無下限呪術は、確かにあんなもん使いこなせりゃ天下無敵だろうが、それでも手の内は割れてる)

 将来有望が過ぎる若者2人と国を相手にできそうな数の呪霊どもによる飽和攻撃を恐るべき身のこなしで捌き切りながら、伏黒甚爾はまだ自分が負けるとも、状況が不利だとも思っていない。

 

「ゾんば」

 

 数え切れないほどいる呪霊のどれかが放ったものだろう光の柱が降り注いだ地点にも、また別の呪霊によるものだろう黄緑色の炎が噴き上がった地点にも、既に伏黒甚爾はいなかった。

 

「傑!」

 

 いま悟が庇ってくれてなかったら自分はあの見るからに危険そうな呪具で腹を切り裂かれて臓物ブチ撒けて倒れていたと、夏油傑は親友に突き飛ばされながらそう確信していた。

 自分を庇ってくれた親友の悟が、咄嗟に盾にさせた図体の大きさと頑丈さだけが長所の一級呪霊ごと斬り裂かれて、口と身体から大量の血を流すのを見せつけられながら。

 

「わたしきれい?」

「ぶぶづけでもぉぉぉ……いかがぁぁぁぁぁ……?」

「コのひとち力んです」

 

 次の瞬間、髪の長い女のように見える呪霊が展開した「領域」に引き込まれた甚爾を、さらに同時に何体もの呪霊が詳細不明の手段で攻撃する。

 それは傍目には伏黒甚爾とすぐそばの呪霊数体が突如出現した大きな黒い球体に飲み込まれたかのように見えており、中がどのような状況なのかは見通せない。

 

「悟!」

 

 夏油傑が血みどろの五条悟に駆け寄った瞬間、その大きな黒い球体は砕けた。

「たいしたことないなお前ら!」

 伏黒甚爾はスグルという名前らしい呪霊操術使いの青年の腹を呪具の刃物で刺し抉りながらそう叫んで嗤ったが、その勝利の笑みは数秒しか続かなかった。

 呪霊操術使いの青年の腹の傷口から血とともに流れ出るようにして湧いてきた樹木のような呪霊が自分の腕と身体にまとわりつくのを、伏黒甚爾は目撃した。

 こんなもんすぐに振りほどけると伏黒甚爾は瞬時に見抜いて全身に力を込め直したが、しかし、夏油傑はその「すぐに振りほどく」のに必要な「すぐ」を、その僅かな一瞬を狙っていた。

 

 周囲を埋め尽くしていた呪霊が全て捻れて歪み、伏黒甚爾の背後でひとかたまりになって、長い時間見ていたら吸い込まれてしまうのではないかと感じさせる、不気味なオブジェを形成する。

 

「呪霊操術 極ノ番『うずまき』」

 

 2000体を超える呪霊を一度に消費して放たれた強大な呪力の奔流が、地面どころか建物やら木々やら森やら、風景の一部すらも粉砕しながら、伏黒甚爾と夏油傑をまとめて飲み込んだ。

 

(私のとっておきの必殺技なのに。どれだけ頑丈なんだこのクソゴリラ……)

 そうするのが最も意外性があるだろうという咄嗟の思いつきで自分ごとブチ抜く射線を選んだ夏油傑は、道連れ覚悟だった自分の最大の奥の手が単なる人間ひとりのただの筋肉と骨に遮られてまったく自分まで届かないのを見て、驚きを通り越して呆れ返りながら意識を失った。

 

「あ゙ぁ゙あ、クソ……くだらねー真似しやがって……」

 特級呪具たる短刀「天逆鉾」に繋いで使っていた「万里ノ鎖」が千切れてバラバラに粉砕されてしまっているのを残念そうに眺めながら、背中の肉が全面的にザックリ潰れて削れて血みどろの伏黒甚爾は、普通なら死んでいるはずの損傷を抱えたまま、まだ立っていた。

 

「ヴぉエ゙ぇ、ゔぁ……なんでまだ生きてんだゴリラ!」

 派手に吐血した五条悟もまた、死ぬはずの大怪我を負った身体から止めどなく流血しながら、根性だけで無理やり立っていた。いま自分が意識を手放したら傑が殺されると、五条は思っている。

 

「こっちのセリフだクソが。五条悟、テメエさては反転術式を――」

「お陰様で生まれて初めて成功して、いま治してる最中だよ! 派手に抉ってくれやがって……」

 

 今これ以上動いたら流石に死ぬだろうなと直感しながら、伏黒甚爾は全身に力を込める。特級呪具「天逆鉾」を左手に、呪具ではないがそれ故に呪力感知されない単なる刀を右手に構えた甚爾は、再び筋力のみで五条悟の生まれ持った「六眼」を置き去りにした。

 いくら視力が特別でも、眼が特別でも、それを動かす眼輪筋の方は間違いなく俺未満だろうと、五条悟について伏黒甚爾はそう推測している。

 

「蒼」

 

 死にかけの身体を無理やり動かしているのも、そのせいでいくらか動きが鈍いのもお互い様だった。しかし、かたや主に術式で戦うので極論全く動かなくていい上に隙あらば反転術式を再開してどんどん自分の傷を治している五条悟と、己の肉体のみを駆使して戦う上に自己治癒などできない伏黒甚爾。呪術界において対極の立場に居る2人の怪物の睨み合いは、その場に残って親友と共に戦うことを選択した生真面目な夏油傑の頑張りによって、大きく五条悟の有利に傾いていた。

 

「当たるかそんな有名な攻撃がァ!!」

 

 呪霊操術のガキの根性だけが計算違いだったなぁと、伏黒甚爾はしみじみ思った。一歩地面を踏みしめる度に俺じゃなけりゃ耐えられねえだろうと確信できる激痛が全身を貫くが、伏黒甚爾は突撃の速度をほとんど落とさない。

 

「くたばれ五条悟(呪術界)!!」

「位相、波羅蜜、光の柱。――術式反転『赫』」

 

 術式反転を放ちながら反転術式で自分の身体の治癒を進めている五条悟はこの時、さらにニュートラルな無下限呪術を併用して「無限」で自分を守る余裕は、まだ無かった。

 防御に意識を割くよりはこの禪院家が飼育放棄した怪獣を確実に仕留めるべきだと、でなければ硝子まで危ないかもしれないと、五条悟は普段ならそう思っていただろう。

 

 しかしこの時、「赫」を浴びて左半身を喪失しつつ尚も突っ込んできて自分の頸を刺しにきた伏黒甚爾の刀を避けきれず右肩を貫かれながら、五条悟は、伏黒甚爾のことすら見ていなかった。

 この時の五条悟の心の中には、ただ唯一、出どころのよくわからない悦びだけがあった。

 

「九綱、偏光、烏と声明。表裏の間――」

 

 伏黒甚爾が最後に聞き取ったのは、かつて禪院の屋敷で読んだ資料のどれにも無かったはずの、まったく知らない謎の呪詞だった。

 

(…………ま、戦いたくなっちまったんだからしょうがねぇか……)

 

 コイツらなんか無視して星漿体のガキだけ追って殺してトンズラが正解だったか、などと地面に転がったまま思いを巡らせている伏黒甚爾は、胴体から下の感覚が無いのは単なる疲労のせいではないと、本当にそこから下の身体が今の自分には無いのだと、なんとなく察していた。

 

(ああ、思い出した。めぐみ……恵なぁ。俺が名付けたんだったわ……)

 

「ぁ゙ぁぁ゙……くっそ、……俺達は最強だけど、このゴリラオヤジも大概最強だったな…………」

 どうにかそれだけ呟いて、五条悟は再び地面に倒れた。

(ん…………あれ硝子か……? 硝子だったら嬉しいな……違ったら傑がヤバいよな……)

 遠くから駆け寄ってくる誰かの足音を複数人ぶん聞き取って抱いたそんな期待と不安を声に出す余裕も無く、五条悟はあらためて反転術式に意識を集中し始める。

 

「――あ。起きた。無茶したねー、バカども」

 

 目を醒ました夏油傑の視界に映ったのは雲一つない青い空と、もうひとりのクラスメイトの顔。

「硝子……? なんでここに居るんだい……?」

 いつも通りの家入硝子と目が合って、夏油傑は条件反射で緊張を解く。

「『治してくれてありがとうございます硝子様(しょうこさま)』は?」

「治してくれてありがとうございます硝子様(しょーこさま)

 

 たっぷり3秒ぼんやりした後、夏油傑は自分が先程まで何をしていたのかを思い出した。

 

「――悟! 硝子、悟が!!」

「今日もチョーカッコいいって? そんなこと教えてくれなくても知ってるよ傑!」

 

 いつものように自信たっぷりな笑顔でそう言い放った五条悟は夏油の視界に入っていないが、夏油はその声色から親友が無事だと察した。

「良かった、硝子の反転術式が間に合ったんだね悟。……正直ちょっと危ないかと――」

「こいつ自分で治したんだよ夏油。私らが来た時にはお前ら3人とも血みどろ死にかけで倒れてたけど、五条はお前と違って意識があった。で、私が治そうとしたら五条『今おれ自分でできる』だとか『すぐるから』とか言い張ってな。だからお前から治した。けど五条が先に復活した」

 

 夏油傑は地面に横たわって空を見上げたまま、こちらを覗き込んできた親友に言う。

 

「……さとる」

「なんだよ傑」

「ごめん。私が足引っ張った」

「はぁ? そこのゴリラに俺達が勝てたのはお前のお蔭だろ。何言ってんだぁ傑!」

 

 その瞬間に最も重要なことを思い出した夏油傑は、跳ねるように起き上がった。

 

「理子ちゃんと黒井さんは?! それにあの筋肉ゴリラは――」

「星漿体の子とお付きの人は天元様のところ。お前ら任務完了。でトージさんって人は、そこ」

 

 右肩から先と、右の胸部と首と頭部だけ残っている伏黒甚爾は、猛獣のように暴威を振るっていた先程までの在り様からは想像もできないほどの、人違いなのではなかろうかと夏油が懸念してしまうほどの穏やかな顔で、事切れていた。

「フられた」家入硝子は、どこか苦々し気な態度で言う。「こっちの味方になるなら治してあげるって言ったのに。カネなら五条がいくらでも払うって私言ったのに。冥さんだって乗り気だったのにこのおじさん『ほっとけ』だってさ」

 

 切断された根本と先を接合するのならともかく、消し飛んだ四肢を復元できるほどの出力は家入硝子の反転術式には無く、それは本人とて重々承知している。つまり家入硝子は承諾されても履行不可能な契約を、あえて提案したのだ。

 それはもしかしたら、普段から人の死を直に見ている家入硝子が「こんな提案は断られる」と理解した上で見せた深く広い慈悲なのかもしれなかったし、あるいは馬鹿でガキだけど退屈しないクラスメイト2人をイジメた奴への悪辣な報復なのかもしれなかった。

 

 しかし家入硝子の言葉は、夏油に届いていない。聞こえてはいるがそちらに意識を割いていない。綺麗さっぱり無傷にしてもらった夏油は立ち上がって、宙を漂っている親友を見上げている。このとき夏油はひとつ、自分の生まれ持った「呪霊操術」について、新たな発見をしていた。

 

「このゴリラこんな状態でまだしょーこと会話したの? マジで?」

「マジだよ五条。一言ずつの途切れ途切れだったけどね」

 

 五条悟は陽の光を浴びながら、事後処理と周辺警戒を続けている高専関係者たちの頭上を、夏油と家入硝子の頭上を、そのまま天に昇っていきそうな佇まいで、漂っている。

 

 天内理子は、この時もはや夏油にとっても五条にとっても、最優先事項ではなくなっていた。

 

「五条! 何をやってる! さっさと降りてこい!」

 彼ら3人の担任教師である夜蛾正道(やがまさみち)が大きな声を出したが、それでも五条は降りてこない。

 

 五条悟は、夏油傑を見ている。夏油傑も、五条悟を見ている。

 

「いまちょっと試したいことがあるんだよ」

 

 五条と夏油が同時に同じことを言い、そして同時に了承した。

「天内の護衛に回した呪霊ひっこめなくていーのかぁ傑ぅ?」

「いま私が気になっていることは、きみに勝てるかどうかじゃないんだ。きみだってそうだろう? 試し撃ちの的が欲しい。だったら私が使う1体ときみが使う1体でいいだろう、悟」

 先ほど「全部出した」と言っておきながら実際には未だ予備の呪霊を大量に残していた夏油傑は、理子ちゃんと黒井さんはちゃんとお別れ言えたのかなとか思いながら、親友を見ている。

 

 今の悟には勝てないと、夏油傑はこの時どこかで理解していた。いま悟と闘ったら手加減されるだろうと、それはダメだと、夏油傑は強く確信していた。

 私まで手加減されるようになってしまったら、悟の隣には誰も居られなくなってしまうと。

 

「ハァぁー?! 腰抜けかぁ傑ぅ! ……けどまーそれでいーや。呪霊出して呪霊!」

 

 言われるまでもなく、夏油は既に呪霊2体を配置している。自分が狙いやすい地上に1体、悟が狙いやすい遠くの空中に1体。くれぐれも周囲の人間を巻き込まない位置に。

「やらせてあげて夜蛾先生」

 家入硝子は珍しく、クズ共の肩を持った。

 それだけ言ってすぐ何を思ったのか五条の真下まで歩いていった家入硝子を目で追いながら、夏油と五条と家入硝子の担任であり一級術師でもある厳つい顔立ちと厳つい体格に厳ついサングラスをした厳つい夜蛾正道は、大きく息を吐き出す。

 

「なんでそんなに嬉しそうなのか聞いてもいいかな、夜蛾先生?」

「まったく手のかかる奴らだ、本当に」

 

 長くて白い髪を後ろで束ねた背の高い術師に声をかけられた夜蛾正道と、声をかけた当人である一級術師の冥冥(めいめい)は、揃ってその2人を見ている。

 普段から「俺達最強だから」とか「私たちは最強なんだ」とか言って憚らない、その2人を。

 

 そして夏油傑は片手を軽く上げて指を絡めて掌印を結び、確信を抱きながらそれを唱えた。

 

「ゾんば」

 

 向こうにいた肉と樹木の混ざった柱みたいな呪霊が真上から光に叩き潰されて地面の汚れになったのを、家入硝子はお気楽に手など叩きつつ眺めている。

「おー、すごいすごい。新技?」

 しかし夏油は硝子の質問に答えず、硝子もそれ以上何も言わず、2人は五条を見上げている。

 

 夏油の合図で、かなり遠くの空中にいるその呪霊は劇的に膨れ上がり、その外見を何十倍にも拡大させた。それは無差別攻撃の準備なのだが、夏油は今回その攻撃を「狙いやすいだろうから」というだけの理由で発動させていた。

 

「術式順転『(あお)』 術式反転『(あか)』――虚式『(むらさき)』」

 

 かなり高い位置に浮いていたはずの呪霊が周囲の風景もろとも消し飛ばされるのを、地面も木々も何もかもがあまりにも圧倒的な呪力の激流に粉砕されて跡形も無くなるのを、事後処理中の補助監督たちどころか冥冥を始めとする一級術師たちまでもが、呆気に取られてぼんやり眺めていた。

 

「なんだいそれ、悟」

「わりとこっちのセリフなんだけど。さっきのなんだよ傑。呪霊操術にそんなの無いだろ」

「夏油も五条もさぁ、……お前らビーム好きなの?」

 

 家入硝子は、夏油の「うずまき」と五条の「ムラサキ」とやらが大破壊してしまった高専の敷地を、いまの今まで風景があったはずの空間を、遥か地平の彼方まで大きく抉れた地面を見ている。

「そうだ硝子、硝子。硝子硝子しょーこ! 俺も反転術式使えるようになった!」

 はいはいスゴいスゴい偉いぞと、家入硝子はやっと地面に降りてきた五条を雑に褒めた。

「やっぱり私の呪霊操術は、ある程度以上の等級の呪霊を『うずまき』にすると、術式が自動で抽出されて、それを私が使えるみたいだ。けど、抽出した術式は1回だけの使い捨てだねこりゃ」

 

 確信を実証できた夏油傑は、できることが増えたのを純粋に喜んでいる。

 

「…………それなんかメリットあるのか傑。強い呪霊ならそのまんま抱えとくほうが良くね?」

「さあねぇ。『術式の抽出』特有の利点は……今すぐには思いつかないね正直。でも、こういうこともできるって知れたのは大きいだろう。それより悟、さっきの何?」

 夏油にそう訊かれた五条は「ああ、『茈』って言ってな」と、彼の親族にして呪術界御三家の一角たる五条家でも極一部の人間しか知らない秘中の秘を、あっさりと同級生2人に説明し始めた。

 

「たった3人の、2対1の数分間の戦闘の結果がこの荒れ地ですか。……嫌になりますね、本当に」

 

 警報を受けて発令された緊急招集に従ってその場に急行して来た多くの人員のひとりである呪術高専一年生の七海建人は、あの2人に劣等感や嫉妬心なんかを抱くのは完全なる時間と精神力の無駄だと、自分は自分にできる範囲の能力向上を志すべきだと、この時改めてそう決意していた。

 

 都立呪術高専東京校の、3人しかいない二年生たちの会話を、担当教諭の夜蛾正道は止めようとしなかった。普段叱ってばかりいる自覚がある夜蛾正道は、彼らの会話が終わるまで待ち続けた。

 

「でさあ夜蛾セン、盤星教って結局どうなったの?」

 

 それからしばらく後、いくつもの任務をそれぞれにこなし、何度かの休日も経たある日の授業中。五条悟は突如思い出したように、「星漿体の護衛任務」の話を蒸し返した。

「解散命令が出た。奴らが司法におとなしく従うかどうかはわからんが、まあそれはこれからだ」

「…………理子ちゃんと黒井さんは」

「天内理子はつい先日、天元様との同化を果たした。世話役だった黒井美里からは、伝言を預かっている。『お蔭で理子様ときちんとお別れすることができました。感謝しています』だそうだ」

 

 嬉しいわけはないだろうにと、そんな思いを抱きながら夏油傑はやり場の無い憤りのような感情を、じっとりとした視線に変えて夜蛾先生にぶつけた。

 

「そう睨むな夏油。……俺だって思うところが無いわけじゃないんだよ」

「それが大人になるってことなんですよね、夜蛾先生。賛同できない方針に唯々諾々と従うのが」

 かなり無礼な言動をした夏油傑に、夜蛾正道は何も言い返さず、咎めようともしなかった。

 一方、天内理子にも黒井美里にも会ったことがない家入硝子は、両隣のクズ共を見てから、さも興味なさそうに、仕方ないなぁお前らはとでも言いそうな表情を浮かべて、夏油に言う。

 

「そういや夏油お前さ、呪霊を取り込む時さ。毎回すんごい顔してるけど。どんな味なの?」

 

 夏油傑は質問に答えない。

 

「……夜蛾先生、この意地っ張りより前の、昔の呪霊操術使いの資料とかありますか」

「探せばおそらくあるだろうが、そんなに気になるなら夏油の口を割らせればいいだろう」

「言わないつもりですよコイツ。……まあそれってつまり、味の想像もつくって事ですけど」

 家入硝子は今や、夏油傑を睨みつけている。

 

「星漿体の抹消つまり同化も任務に含まれてたんだから、任務の成功ってのはこういうことだって、星漿体の天内って子の人生はどっちにしろ任務期間中いっぱいが限度だって、知ってたはずだろ夏油。なのにそこまで引きずるんなら――」

 家入硝子は夏油傑の顔を掴んで、無理やり自分の方を向かせた。それがあまりにも突然であまりにも速やかだったために、筋力で勝っているはずの夏油は一切抵抗できなかった。

 

「お前ら。――五条もだぞ――いつも『おれたち最強だからぁー』とか言うけどな……」

 夏油傑は、家入硝子の目を見た。この時五条も、すぐ隣の席から家入硝子を見ていた。

「私も居るだろ馬鹿野郎。……特に夏油、お前たまには愚痴ぐらい言え。いくらでも聴くから」

「あー! それ俺も思ってた! 聞いてよ夜蛾セン傑こいつマジで何も言わねえんだよ――」

 

 そして夏油傑はこの日の夜、就寝時間が過ぎてから寮の部屋に寝間着姿で押しかけてきた2人の同級生に詰め寄られて、溜まりに溜まった負の感情やら葛藤やら不満やらを、ついに吐露した。

 

「……まあ美味しいわけねえとは思ってたけどさ。そんなマズいのか」

 

 そう訊き返してきた親友に、夏油傑は真っ黒な球体をひとつ差し出す。

「あの『天与呪縛』の男が武器庫にしてた呪霊が、これ」

 改めてこう見てみるとコレ丸呑みするにはちょっとデカくないかとか思いながら、五条悟はその片手に収まるサイズの球体を受け取って、ちょっと舐めてみた。

 

「ゔゔぉ゜えぇえ゙゛ぇぇ! 傑オマエこんなの飲んでたのかよ………。―― 言 え よ ! ! 」

「そんなに?」

 興味を持ったらしい家入硝子に、五条は黒い球を渡す。

 

 五条がそうしたように黒い球をちょっと舐めてみた家入硝子は、すぐに夏油傑を抱きしめた。

 

「…………実はお前らのどっちかを愛してるなんてことは、夜蛾センが魔法少女になるくらいありえないけどさ。けど、よく頑張ってるよ夏油は。だからさ。もっと頼ってくれよ」

 夏油は私とかがもっと頻繁に褒めて慰めてやる必要があると察した家入硝子はこの時、夏油傑の心の底にずっとあった脆くて壊れやすい部分に、初めて触れていた。

「……頼りにしてるよ。いつも治してくれるだろう」

 家入硝子は夏油を抱きしめたまま、大きく大きく溜息をついてみせた。

「そういう意味じゃないって解ってるだろ夏油。私だって五条だって、抱きしめるくらいしてやるし、愚痴なんかいくらでも聞くから。それとも夏油お前、親友なのは五条だけで私は違うのか?」

 

 夏油と五条にとって互いと私とでは明確に違うのだと、性別とか力量とかそういうものではないもっと根本的な線が引かれていると心のどこかで理解している家入硝子はしかし、この時、断固とした決意をもって、その2人の間に割り込んだ。

 

 やっぱコイツら私が見てないとダメだと、そう確信を抱きながら。

 

「……こんどはなんで笑ってんだよ、傑」

 一瞬だけ、ほんの僅かに表情が柔らかくなった親友に、五条は鋭く訊いた。

「ごめん。魔法少女の格好した夜蛾先生が思い浮かんじゃってね……」

「おま、俺は頑張って考えないようにしてたのに……! クッソ、クッソ……似合わねぇ……!」

「こんのクズ共め……ひとがせっかく優しくしてやってんのに……」

 そう言った家入硝子もまた、堪えきれずに笑い始めていた。

 

「ぬいぐるみたちと力を合わせて戦うんだろうなぁ夜蛾先生。フリッフリの短いスカート履いて」

 

 家入硝子のその発言を皮切りに悟と硝子と3人でひとしきり笑った夏油傑は、そのあと夜が明けるまで2人にじっくり話を聴いてもらって、日が昇りきる頃には少しだけ顔色が良くなっていた。

 

「夏油傑の単独での任務遂行を禁止してほしいだと?」

 

 明くる日。夜蛾正道は、一応訊き返した。

「そーだよ夜蛾セン。とりあえずしばらくの間、夏油が任務に出る時は俺か硝子とのセットで派遣してほしいの。昨日じっくり話してハッキリ解ったこと。コイツは独りにしちゃダメ!」

 そう言い張った五条悟と家入硝子に詰め寄られて、夜蛾正道は大きく大きく溜息をついた。

 

「……もちろん可能な限り、できるだけ配慮はするが。それでも完全に例外なくお前らの意に添えるとは思わないでくれ。わかってるだろうが、緊急事態ってのは起きるもんだからな」

 

 立場と心情の両方が反映された夜蛾正道のそんな発言は、いみじくも翌年、現実になった。

 

「灰原、はいばら! 頑張れ、頼む、頑張れ! 今もう救援が来るから――」

 

 頭から血を流しながら、呪術高専の2年生になった七海建人は必死で呼びかけ続けている。

 

「な゙……なみ、ごめ゙、ん……足、ひっば、っだ…………」

 辛うじてまだある意識をすり減らしながら謝罪の言葉を伝えてきた同じ高専2年生の灰原雄の喉の奥から真っ黒い血がまたしても溢れてきたのを、七海建人はどうしようもなく見つめている。

 

「足なんか引っ張ってない! お前が居なきゃ死んでた!! たのむ灰原頑張ってくれ!」

 

 本来なら土とか砂とか石とか苔とか木の葉とか枝とかそういうもので構成されているはずの地面は、七海建人と灰原雄が今いるその場所は、数限りない骨と臓物で構成されていた。

 周囲は血が乾いたような赤茶色の林と、墨でも流したように不自然な黒一色の空。そして七海と灰原の2人がいま緊急避難している物陰を提供している大きな鳥居は、ひどく傾いている。

 彼らがさっきまで居た神社の本殿らしき建物は数百年誰も足を踏み入れていないのではなかろうかと思わせるほど荒れ果てていて、屋根は大きく崩れている。

 そしてその屋根が崩れてできた穴から、やたら眼の多い巨大な蛇のような呪霊が覗いている。

 

 七海建人と灰原雄は、2級という話だった呪霊の生得領域の内で、戦闘の継続も安全圏への脱出も困難になったまま、救援が来ると信じてただ耐えていた。

 彼らの希望はただひとつ。2級呪霊の討伐に2人で向かったという客観的状況からは考えられないほど時間がかかっている自分たちを、一般人から呪霊と呪術を隠すための結界である「帳」の外で予備人員として待機している後輩の伊地知潔高が心配して、現状に違和感を抱いて、自分たちの危機的状況を察してくれることだけだった。

 

「クソ、あれのどこが2級呪霊だ…………産土神信仰……少なくとも1級案件だろう……!」

 

 七海建人が呪術高専総監部の老人たちを思い浮かべてそう毒づいた時、彼らの頭上を覆っていた重苦しい黒色の空が、割れた。

 そこから突入してきた白い東洋龍のような呪霊の背から飛び降りた2人の先輩と、そのすぐ傍に浮いているもうひとりの先輩を見て、七海建人は全身から力が抜けるのを感じた。

 

「うーわ、あれのどこが2級呪霊だよクソジジイ共め。性根だけじゃなく目まで腐ってんのか」

 

 宙を漂ったまま神社の本殿らしき建物の方向を見据えて、五条悟もそんな言葉を吐き捨てる。

 七海建人も五条悟も今回の件を、常々から多忙極まっている補助監督たちの不手際だとは、考えたくなかった。そしてそんな憤りを良心の呵責無くぶつけられる相手が、総監部の老害共だった。

 

「無事かい七海! 灰原!!」

 

 夏油の声が聞こえても一瞬呆けていた七海建人は、次の瞬間我に返って、声を限りに叫ぶ。

 

「俺は大丈夫です、けど灰原が!! 早く!!」

 

 後輩の必死な声を聞き取った五条は即座に同級生2人の身体を左右それぞれの腕で掴み、同時に夏油はここまですっ飛んで来るのに使った呪霊の「虹龍」をどこへともなく収納する。

 そして五条は友達2人を掴んだまま、七海と灰原のすぐ傍まで瞬く間に移動した。

 

「……硝子連れてきて正解だったね?」

 伊地知からの救援要請を受け取った当初は俺と傑だけでいいだろと言っていた五条悟に、硝子も連れて行こうと一貫して主張していた夏油傑が片方の眉を釣り上げながらそう同意を求めた。

「そーだな。俺、他人に反転術式使えねーし。…………自分に使えるようになってから、改めて、ずっと毎回毎回いつも思ってるんだけどさぁ、それ、マジでどうやってんのよ硝子」

「ん? だからいつも言ってるじゃん。ひゅーとやって、ひょいっ、だよ。わかんない?」

「だからそれがわかんねえんだって……」

 

 案の定いつもの答えしか返してくれない硝子さんの直感的すぎる教えを咀嚼しそこねて、いつもの通りに五条悟も夏油傑も、尊敬とか感心とか言ったものを通り越して、ただ笑うしかなかった。

 そしてそれは奇妙にも、他ならぬ夏油と五条の高すぎる実力を初めて目の当たりにした補助監督や後輩の呪術師たちが決まって見せる反応と、全く同じものでもあった。

 

「ありがとうございます家入先輩……たぶん死ぬとこでした…………」

 

 間一髪で一命を取り留めて起き上がった灰原雄は七海建人と一緒に、この生得領域を創り出している呪霊について、自分たちが経験した内容を救援に来てくれた先輩たちに手短に説明し始める。

「あのでっかいヘビみたいなの、速いし重いし硬いしで、正直打つ手無しだったんですよね」

 そう言った灰原に続いて、七海も先輩たちに説明する。

「この領域に足を踏み入れた時、俺と灰原は向こうにいる呪霊のすぐ背後に出たんです。それでいきなり戦闘になって――まあ、ここまではよくある話ですけど――攻撃が苛烈だったので一旦距離を取ろうとしたんですが、そうした瞬間に激痛が走りまして、私と同じく何もされてないはずの灰原は、倒れていました。俺達、領域から出ることもできず……すいません。お手数をおかけして」

 あろうことか謝罪してきた七海に、夏油は優しい口調で言う。

 

「気にしないで。これは七海と灰原の実力不足じゃなくて、上層部の老人たちの過失だよ」

 

「あー、たぶんあれだ、あのでーっけぇ蛇みたいな呪霊の姿を見て、あの呪霊とちょっとでも闘ったら、そしたらもう絶対あの呪霊から距離取っちゃダメなんだ。一定以上離れるのがトリガーだ。そんで七海が比較的マシな状態なのは、――たぶんだけど灰原、あの呪霊と眼ぇ合っただろ」

 

 生まれ持った「六眼」で遠くに居るこの領域の主である呪霊の呪力を観察して得た情報からそう推理してみせた五条悟は、灰原雄が頷いて肯定したのを横目に見ながら七海建人に訊く。

「十劃呪法は効かなかった感じ?」

「……『黒閃』でなら、辛うじて鱗だけは砕けました。けど、それで精一杯でした」

 それを聞いた五条は「黒閃やったの? やるね七海」とだけ言ってから、共に任務に赴いた際はほとんど毎回行っている意思確認を、傍らの親友に今日もした。

 

「取り込む? 傑」

 

「そのつもりだよ。七海の黒閃で鱗しか割れないっていうなら、十中八九『虹龍』より硬いだろうし。それに術式もけっこう魅力的みたいだからね」

 その回答を受けて、五条悟は「じゃあ赫とか蒼とか茈で消し飛ばすのはやめるか」と方針を決定して、まず家入硝子に声を掛ける。

 

「じゃあ硝子、俺の身体に触って」

「何まさかこの状況で私に性的興奮を……? ついにお前にもそんな情緒が……?」

 上半身を五条の視線から覆い隠して守るかのように両腕で自分の身体を抱きしめる姿勢を取った家入硝子に、さも不服そうに眉間にシワを寄せて五条悟は言う。

「なワケ無いだろ。――ほら傑も早く」

「まさか私に性的興奮を覚えているのかい悟……?」

「ちっげーよ!! ってかお前はこないだの任務で経験済みだろ傑!!!」

 

 あろうことか硝子と同じく自分の身体をいやらしい視線から守るかのように両腕で上半身を隠した夏油を、五条悟は殴ろうかどうしようか迷った。

 

「何お前、五条と『経験済み』なの夏油?」

「こないだの任務で半ば無理やりにね…………」

「だっから違ぇし、は や く し ろ っ て の ! !」

 

 いつもと全く変わらない様子の先輩方を見て、安心を通り越して緊張が解けてしまっていた七海建人は、もはや面倒くささすら湧いてくるのを感じながら先輩たち3人に言う。

「みなさんの仲が良いのはもう知ってますから、勝つんならさっさと勝ってくれませんかね。伊地知が『帳』の外で心配してます」

「ほらぁ七海が怒っちゃったじゃん! 傑も硝子もはやく!」

 はいはいわかったわかったと言ってから、夏油と家入硝子は五条悟に思いっきり抱きつく。

 

「……いや、腕とかちょっと掴むだけでいいんだけど」

 

 口ではそう言いつつも嫌そうには見えない五条悟は、七海と灰原にも「早く」と急かした。

「俺こないだ初めて成功したんだよ『領域展開』。で、俺はちょうどいいから今それの練習をしたくて、俺に触ってれば俺の領域の攻撃対象にならないの。だから触れって言ってるだけ!!」

 

 その説明でやっと理解できた灰原と七海は、五条の左脚にしがみついた。

 

「だからちょっと触るだけでいいんだってのに……」

「悟、さとる。ゆっくりやって。私も領域展開できるようになりたいから」

「はぁ? お前は呪霊にやらせりゃいいだろ傑。そっちの方がよっぽど便利だろ――」

 そこで言葉を一旦切った五条悟は「わぁーかったよ時間かけてやりゃいいんだろ傑」と呟いてから、右手を顔の前に掲げて、伸ばした中指と人差し指を絡ませて掌印を結ぶ。

 

「領域展開、『無量空処』」

 

 その途端、骨肉と臓物が折り重なって形成されていた地面も血の色をした木々も重苦しい黒色の空も荒れ放題の神社らしき建造物も全て、一切合切が消えた。

 入れ替わりに現れたのは、色の無い空間。

 

「なんだこれ五条。これがお前の心象? …………これ地面あるの?」

「あるよ硝子(しょーこ)

「ホント、相手との位置関係と距離が掴みづらいね、これ」

 この領域を見るのは2回目の夏油傑は、七海と灰原より少し落ち着いていた。

 

「あの呪霊からのギトギトした呪力の圧がさっぱり消えましたね。なんなんですこの領域」

 灰原と2人して自分の左足にしがみついている七海からの質問に、五条悟は快く答える。

 

「無量空処。この領域に囲い込んだ奴全員に、無下限を脳に直でブチ込む。これが必中効果だから、避けるとか無い。必ず確実にブチ込む。すると全ての動作と全ての行動の起こりに、無限回の作業が脳に強制されて、情報処理が永久に完結しなくて――」

 そこまで言って言葉を切った五条悟は4人にしがみつかれたまま、全く重くなどなさそうに、やたら眼の多い巨大な蛇の呪霊の目の前まで一瞬で距離を詰めた。

 

「――こうなる。なんかどうも呪霊相手だとヒト相手より効きが悪いっぽいんだけど、まあ戦闘不能だな。それに脳に攻撃してるから、場合によっちゃ死ななくても後遺症とか出るんじゃね」

 その呪霊の数多い眼は全てバラバラな方向を向いたまま、各々別々に震え続けている。

 もはやこの呪霊は脅威でもなんでもないということが、誰の目にも明らかだった。

 

「仮に、今なにかの間違いで、俺があなたから離れたら――」

「もちろんその瞬間お前の脳に無下限がブチ込まれるよ七海。まぁ、そうなる前に領域解くけど」

 

 五条と七海のそんな会話を聞きながら、夏油は片腕を大蛇呪霊へと伸ばして、掌を翳す。

 さっきまで神社の本殿の屋根から身体がはみ出していた巨大な呪霊が黒い球体になって夏油の掌に収まったのを見て、七海と灰原は改めて驚いていた。

 呪霊操術で呪霊を取り込む手順をこんなに間近でしっかり見たのはそういえば初めてなんじゃないかと思い至って、過去の任務の記憶を辿りながら。

 

「夏油さん夏油さん、その球『実はマッズい』って噂が流れてきたんですけど、本当ですか?」

「……じゃあちょっと舐めてみるかい灰原」

 

 灰原が夏油から受け取った呪霊玉をしっかり口に含んで即吐き出したのを見ながら、五条は展開し続けていた領域を解いた。

 

「傑ぅー、ちょっと伊地知と補助監督に連絡入れてくれね?」

「指から出る血で字を書ける呪霊を置いてきてあるから、伝言ならできるよ」

「……ああ、お前いま無下限使えないのか五条」

 

 暗い雑木林の中、何の変哲も無い単なる荒れ果てた廃神社の崩壊しきった鳥居の傍で、夏油が出した太りすぎた白熊のような呪霊に仲良く並んで体重を預けて寛ぎ始めた先輩たちを横目に、七海建人は同級生でクラスメイトで友人の灰原を見ている。

「そんなにか、灰原」

 顔のパーツをギュッと中心に集めたままの灰原雄は、黙って呪霊玉を差し出してきた。

 

「おや、どうしたんだい七海」

 

 五条と家入硝子と並んで微笑みかけてきた夏油に、七海建人はものすごい顰めっ面のまま言う。

「俺は今、俺が生まれ持った術式が『呪霊操術』じゃあなかったことを、両親と運命に心の底から感謝しています。……夏油さん、俺はあなたの助けになれるように、もっともっと頑張ります」

「そうかい? それは嬉しいね。期待してるよ七海」

 真摯なのか辛辣なのかわからない言葉を受け取った夏油傑は、心地良さそうに笑っていた。

 

 しかしその翌月、夏油傑は「まだ人を殺し足りない」とでも言い出しそうな嫌悪に満ちた顔をして、暗い部屋を手前と奥とに隔てている、目の前の頑丈そうな木組みの格子を睨んでいた。

 

 各駅停車が1日に朝夕2本だけ停まる無人の最寄り駅からさらに車で1時間。乗り換えのために経由した別の駅のホームで「あらアナタたち見ない制服ねぇ」と話しかけてきた老婆に地名を告げたら「あんなとこ何しに行くの?! 森と田んぼと重力しか無いのに!」と大いに驚かれた地の果ての山奥の村で、夏油傑は怒りのあまり吐き気を催すという初めての経験をしていた。

 

 そんな夏油の右手首を全力で掴んだまま、急に別の任務が入ってしまった五条と七海の代わりに本日この田舎の果てまでついてきた家入硝子は、私物の携帯電話で補助監督に連絡をしている。

 

 右手首から伝わってくる家入硝子の握力と体温だけが、夏油の心を繋ぎ留めている。

 

 夏油傑は持てる精神力を総動員して優しい笑顔を作りつつ、格子の向こうの暗がりに放った小さな呪霊を操って「もウだぃジョウゔ」と、硝子以外の背後の奴らには聞こえない手段で伝えている。

 

 背後に何人も居る地元住民たちが喋り続けている内容を、2人とも完全に無視し続けていた。

 

「正金寺さん、私も夏油も全然無事なんですけど緊急事態で――あ、いえ。そうではなく――村長の家の奥の部屋で、呪術師の素養がある女の子が2人、座敷牢に監禁されてました」

 田んぼの傍の道端の、ありもしない往来を一応妨げない位置に停めた車の中で待機していた補助監督の正金寺美里は、家入硝子からのそんな緊急連絡を受けて、こんな選択肢を選んだらややこしい仕事がめっちゃ増えると理解していながら、そんな懸念には一切構わずに即決で返答した。

 

「法的なことはこっちでやるから気にしないでください。とにかくその子たちを助けてあげて」

 

 補助監督との通話を終えた家入硝子は携帯電話をポケットにしまって、夏油に「お前のやりたいようにやっていいってさ」とだけ伝えて夏油の腕を放した。

 次の瞬間に夏油傑は両手で格子を掴み、五条悟と本気のケンカをする時くらいにありったけの呪力を全身に込めて、双子らしきその女の子2人の自由を奪っている座敷牢の格子を、ちぎった。

 

 煩さを劇的に増した背後の現地住民たちの声が夏油の中で、1年生の時に悟と硝子と3人で行った動物園で見た、なにやら争っている様子だった、けたたましい猿たちの吼え声と重なった。

 日常的に暴力を振るわれていたのが明らかな酷い状態の2人に、夏油は「もう大丈夫。ここから出ていこう」と優しい口調で語りかけているが、その背中から夏油の手持ちの中の最大戦力の一角である特級仮想怨霊が村民たちを睨んでいるのを、家入硝子はしっかりと視界に捉えていた。

 

 今日はマジで夏油についてきてよかったと心の中で冷や汗を流しながら、家入硝子は憤っている地元住民たちに、一方的に語りかける。

「仮に、みなさんが仰っている通りに彼女たちが種々の不審な出来事の原因なのだとしたら、それこそむしろ私たちが彼女たちを連れて行くことは、願ったり叶ったりではないですか? だって不幸の原因がこの村から無くなるんですよ? 何かそちらにデメリットがありますか?」

 

 マジうるっせえなこいつらと、家入硝子もイライラし始めていた。

 そして結局その2人は、半ば問答無用でその双子の女の子たちを村から連れ出したのだった。

 

「おにーちゃんお名前なあに?」「おしょうゆ?」

「私は夏油傑だよ。げとう、すぐる。きみたちの名前を教えてくれるかな?」

 原住民どもから聞いて既に知っているのだが、それは夏油にとって問題ではなかった。

「わたし美々子(みみこ)」「わたし菜々子(ななこ)

 順番に名乗った2人は、しゃがんで視線を合わせてくれている夏油傑を見ている。自分たちをあの牢の中から助け出してくれた、そしてこの村から連れ出してくれる、見たこともないくらいカッコよくて、そんな人がいるなんて知らなかったくらいに優しいそのお兄さんを。

 

「げとうさま!」「ねえげとうさま、わたしたちホントにもうあそこに戻らなくていいの?」

 お互いの目を見るだけで相談を済ませたその双子は、どうやらその優しい夏油お兄ちゃんの呼び名を決定したらしかった。

 

「もちろん。だってこのお姉ちゃんも、私も、今朝来たばっかりなのに、もうウンザリだよ」

「はい、もういいよ2人とも。身体治ったでしょう? ――あ正金寺さん、この子たちです」

 

 夏油がさっき出したエイみたいな呪霊に仲良く乗ってほどよい高さの空中を移動している美々子と菜々子の2人を並んで歩きながら反転術式で治療していた家入硝子は、車を移動させて来てくれていたらしい補助監督を見つけて両手を振って呼び止めた。

 

「さあ、美々子ちゃん、菜々子ちゃん。私たちが住んでるところに行こうか」

「げとうさまと一緒?」「美々子とも一緒?」

「そうだよ。一緒に居られて、安全で、休めるところ」

 

 枷場美々子(はさばみみこ)枷場菜々子(はさばななこ)にとってこの日、げとうさまと一緒に車に乗せてもらいながら見た夕焼けは間違いなく、それまでの人生で見た何よりも綺麗な景色だった。

 

「…………お前ちゃんと世話できるんだろうな、傑」

 

 きったねえ犬を拾って来たなぁオマエとか言いそうな表情をして、五条悟はそう言い放った。

「だれこいつ」「げとうさまにしつれい」

 その言葉を聞いた途端、五条はあたかも夏油が犬のクソを拾ってきたかのような表情になった。

 

「夏油『様』って。傑お前、それは流石にお前……」

 

 今朝やっとこの呪術高専東京校まで帰ってきた夏油と家入は枷場菜々子と美々子の双子の姉妹を連れて、待機を指示されたので普段自分たちが授業を受けているこの教室で時間を潰している。

 

「この子たちがそう呼びたがるんだよ。――そうだよねー2人とも」

 そう声をかけた家入硝子に、双子の片方が嬉しそうに抱きついた。

「私しょうこお姉ちゃんもすき! だって私と菜々子のからだ治してくれたから!」

「私も大好きだよー。これからよろしくねぇー」

 いつになく甘くて優しい家入硝子の声色を聞き流しながら、ああ「お姉ちゃん」と呼ばれたのが嬉しいんだなと、夏油も五条も察していた。

 

 そしてかなり待たされてからやっと来た夜蛾先生に「もちろん2人はここに住んでいい」「上層部はすんなり了承した」「とりあえず寮に住まわせる」「寮に空き部屋がある」「世話役のアテもある」と通告されて、自分たちがこれからどういう環境で生活するのかを理解した美々子と菜々子は、2人して大号泣しながら抵抗した。

 

「やだ!! やだやだやだ!!! げとうさまと一緒じゃなきゃやだ!!!!」

「美々子も!!! 美々子だってやだ!! げとうさまと一緒がいい!!!!」

 

 結局、夏油傑が「毎日会えるから」「毎日会うから」と繰り返し繰り返し説得してついに双子を納得させた頃には、昼食の時間がすぐそこまで迫ってきていた。

 

「やーっと泣き止んだぞコイツら……」

 

 ウルセエなぁと何度も呟いていた五条悟は、吐き出すようにそう言って菜々子の前の床に座る。

「で夜蛾セン。その『世話役のアテ』って誰なんだよ?」

 五条がそう訊ねた途端に、その女性は戸を開けて教室に入ってきた。

 その女性の顔を見た瞬間に、五条も夏油も動きを止める。

 

「黒井、さん…………」

 そんな声を漏らすことしかできない夏油と五条に、そのメイド服の女性は深々と頭を下げる。

 

「ありがとうございます。正直、ちょうど何のために生きていくのか判らなくなっていたので」

 

 昨年まで星漿体の少女に仕えていた世話係の黒井美里は、その時着用していたメイド服に、この日1年ぶりに袖を通して呪術高専東京校があるこの筵山までやって来たのだった。

 黒井美里は菜々子と美々子の前まで来て、しゃがんで2人に視線を合わせた。

 

「私は黒井美里といいます。今日から、あなたたちさえ良ければ、あなたたちの生活のお手伝いをします。あなたたちの、お名前を、教えてくれますか?」

 げとうさまとしょうこお姉ちゃんの次くらいには優しそうだと、菜々子と美々子は思った。

 

 そして黒井に自己紹介をしている菜々子と美々子の姿を見ながら、五条悟は、双子2人の警戒心の解け具合を見抜いて(こりゃコイツらの中で傑と硝子は刷り込み効果で別格になってるな)とか考えながら「寮がクソうるさくなるんだろうな」と、自分たち3人を棚に上げてそう思っていた。

 

 この日から、朝起きた時と任務に赴く前と帰ってきた直後には必ず菜々子と美々子が黒井さんと一緒に暮らしている寮の一室を訪ねるのが、夏油傑の日課になった。

 そしてほどなく、五条悟や家入硝子を始めとする他の高専生たちも、時間を見つけてはその双子を気にかけるようになっていった。

 

「げとうさまおはようございます!」「げとうさま任務なの? まだ朝なのに?」

 

 部屋の玄関扉を開けるなり飛びついてきた美々子と菜々子に「おはよう」と挨拶を返してから、夏油傑は今回いっしょに任務に赴く無二の親友を、改めて2人に紹介する。

「美々子、菜々子。こちら『五条悟』。今日はこのお兄さんと2人で任務に行くんだ」

「どうして白トゲトゲといっしょに行くのげとうさま?」

 美々子と菜々子は、げとうさまの隣に立っているその男が、あんまり好きではない。

「しょうこお姉ちゃんじゃダメなの?」

 なぜあんまり好きではないのかといえば、げとうさまの隣に立っているからに他ならなかった。

 

「誰がトゲトゲだ髪の話かフワフワだろ目ぇついてんのか見ろほら絹のようだろ」

「大人げ無いよ悟。まあきみが大人げ無いのはいつものことだけど」

 五条悟は真っ黒い丸型サングラスをずらして夏油を睨み、夏油は挑発的は微笑みを返す。

「ちゃんとわたしたちの代わりにげとうさまをお守りしてよね白トゲトゲ」

「白トゲトゲはあしをひっぱるだろうけど、大丈夫よね。げとうさまなら」

 

 菜々子と美々子がそう言った途端、今にもケンカを始めそうだったげとうさまと白トゲトゲは睨み合いを止めてこっちを向いた。

 

「大丈夫だよ。私たちは最強なんだ」

「そーだぞチビども。俺達に勝てる奴なんか居ないんだぜ?」

 

 そう言った2人の得意げな笑顔からなぜ目が離せなかったのか、昨日からやっと引き算に取り組み始めた菜々子と美々子には、まだ判らなかった。

 そして双子に挨拶し終えて現場に赴く途中。誘拐した補助監督も一緒に3人で「虹龍」の背に乗って最高速度で移動している空の上で、五条は夏油にいきなり、正直な本心を言った。

 

「――でもまぁ。2人まとめて殺されかけたこともあるんだよなぁ、俺達」

 

 いつの話をしているのかすぐに察した夏油も、あっという間に悟と同じ気持ちになった。

 

 天与の暴君、伏黒甚爾。あの暴威との文字通りの死闘以来、五条も夏油も「俺たち最強だから」とか「私たち最強なんだ」という際にその言葉に込める心情が、少し変化していた。

 それまでの、10代の若者特有の万能感に類稀なる才能と実力が伴ってしまった事によるどこか危うさを感じさせるものから、「自分たちはそう在らねばならない」という、決意表明に。

 

「あのゴリラね。伏黒……じゃなくて元は『禪院』甚爾だっけ。あのあと夜蛾センに資料貰って読んだんだけど。呪術における『不具合』の極地みたいな奴だったんだねえ」

「あんなバケモンでも、禪院の家での扱いはヒドいもんだったらしいぜ。あそこ術式至上主義だから、直系だろうが嫡男だろうが術式がショボかったり、家系に代々伝わる相伝の術式じゃあなかったりあとは単にクソ雑魚だったりすると冷遇されんだ。そこにきての『呪力皆無』だから――」

 

 五条悟にそう説明されてほんの一瞬だけ伏黒甚爾を憐れんだ夏油はしかし、すぐに思い直した。

 

「……それ、よくまあまだ在るね。禪院家。あの猛進ゴリラ戦車をイジメたりなんかして、しかも生まれた時から長年そうしてたんだろう? なんで皆殺しにされなかったんだい?」

「さあ? あの殺人筋肉ミサイルの気まぐれじゃね。ってーか、俺たちがまだ上層部のカスジジイ連中を皆殺しにしてないのと似たような理由なんじゃねーの?」

 

「……その心は?」

 

 答えの解っている質問を、夏油傑は五条悟に笑顔で投げかけた。

 

「『殺す価値も無え』『殺すとなるとアイツらの姿を見なきゃいけないのがウゼぇ』『俺たちがそうすることで俺たちの護りたい奴らに迷惑がかかる』とか……お前だってそんなとこだろ傑?」

「そんなとこだね。硝子も、菜々子も美々子も、七海も灰原も伊地知も夜蛾先生も冥さんも歌姫先輩も補助監督の皆さんも。考えてみれば、迷惑かけたくない相手がずいぶん増えたよね、私たち」

 

 護ってあげたいと言ってしまうのは彼ら彼女らに失礼だろうと、この時夏油は考えていた。

 

「夜蛾センと冥さんはともかく、歌姫は弱っちいからなー。あのお前と硝子が拾ってきたチビ共と良い勝負するんじゃねーの?」

「それは流石に言い過ぎだよ悟。歌姫先輩だってあれでもあの人なりに努力してるんだから」

 

 庵歌姫2級術師が聞いていなくて良かった等と考える心の余裕は、その補助監督には無かった。

 

「たっ、高、速、怖、怖い怖あぁぁぁぁぁぁぁぉぉぉおろしてください! ゆるしてください! なんでも、なんでも言うこと聞きますから! なんでもしますからぁ……!」

 今日はあの噂の五条特級術師と夏油特級術師の2人を担当するんだから頑張らなければと心を弾ませて車を出そうとしていた補助監督になったばかりのこの若い女性は、車まで辿り着く寸前でいきなり飛来した五条悟に有無を言わさず腕を掴まれ、そのまま未だ放してもらえていないのだ。

 

「なんでも言うこと聞くって言うんなら静かにしろよな」

「悟やっぱり私の呪霊の上に乗せてあげようよ。足元に何も無いのはそりゃ怖いだろう……」

「なんでだよ。俺が持ってんだから安全じゃん」

「『安全』と『安心』は決してお互いに影響を与えない全く別個の数値なんだよ悟」

 

 五条悟は夏油の顔を見て、雑に捕まえたまま宙ぶらりんの状態でブラブラさせているその補助監督の女を見て、また夏油を見て、面倒くさそうにまた補助監督の女を見た。

「おまえ、この呪霊の上に乗せたら静かにするか?」

 補助監督になったばかりの女は、泣きながら必死で何度も頷いた。

 そして五条が荷物を投げるような動きで雑に補助監督の女性を呪霊の上に移動させると、その補助監督は夏油傑にしがみついたまま離れなくなった。

 

「ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……」

「怖がらせてごめんね。でもほら、せっかくだから景色見よう景色。この水平線でも地平線でもない、……なんだろ。雲平線? とでも言うべき景色は、なかなか見られるものじゃないよ」

 

 五条悟との相対評価で超タイプの心優しいイケメンどころか観音菩薩坐像に見え始めている夏油傑にそう諭されて、若い補助監督の女は勇気を振り絞って涙を拭い顔を上げて、目を開ける。

 

「わあ…………!」

「ね。綺麗な景色だろう? 乃木さん」

「なまえおぼえてくれてたんですか……?!」

 

 この時、高い高い空の上で彼方まで続く雲海スレスレを飛びながら涙声で感動していた補助監督の乃木は、この後すぐに到着というか虹龍ごと着弾した任務の現場で、当初の予測よりもずっと強力で厄介だった特級特定疾病呪霊から咄嗟に庇ってくれた夏油傑の、ファンになっていた。

 

「ありがとございます……」

「ごめんね巻き込んで。――ここの呪霊の射程範囲を見誤ったかな……」

「あー、アレだな。見つけたぞ傑。あれだろ夜蛾センが言ってた『八握脛(ヤツカハギ)』は。ほらあそこの羽根の生えた狐みたいな奴の隣の、でっけぇ蜘蛛みたいなの」

 

 崩壊した高層ビル群を泥まみれにしたような領域の中、1階部分すらロクに残っていないビルとビルの間の交差点の中央に立ってそう言った五条悟と夏油傑は、一瞬、お互いの顔を見た。

 

「………あの羽根の生えた狐は何だろうね悟? 見た感じアレも特級相当っぽいけど」

「あれ『獙獙(へいへい)』じゃね? 出てくると大旱魃が起きるっていう中国の妖怪」

「それはつまり『旱魃に対する畏れから生じた特級呪霊』って理解でいいかい悟」

「たぶんそう。部分的にそう。ってか、けっこう強いぞあれ。俺たち以外が来てたら死んでたな。それと傑もしかしなくてもお前めっちゃ喉乾いてるだろ」

「ああ、やっぱりアイツのせいなんだねこれ。じゃあ水分摂っても無駄だろうな…………」

 全く慌てていない五条と夏油に守られながら、その補助監督は怯えている。

 

「特級呪霊は1体だけって話じゃ――」

「よくあることだよ乃木さん。事前の報告より状況がずっと酷いってのはね。でも、大丈夫」

 

「傑の言う通り! 俺達最強だから。アンタはおとなしく護られててくれればいいよ」

「さて悟、私たちは2人とも他人に反転術式できないから、乃木さんを怪我させるわけにはいかない。乃木さんの呪力耐性じゃあ、あの2体どっちにやられても、かすり傷だって致命的だろう」

「じゃあ俺が掴んでるべきだろ。ほらこっち来いお前」

 

 新人補助監督の乃木は、夏油にしがみついたまま離れようとしない。

 

「オイ、来いって言ってるだろ」

「わたし護ってもらうならげとう特級じゅじゅつ師がいいでず……」

「ワガママ言うんじゃねーよ俺の方が傑より強いんだぞ」

 

 その補助監督を無理やり引っ掴んで夏油から剥がした五条悟を、夏油は見つめていた。

 先日、五条悟が夏油傑と家入硝子に披露した、密かに練習していつの間にやら習得していたらしい新技術。無下限呪術の「無限」による防御の常用と、対象の自動選択。そしてそれを可能にするための、必要最低限度の出力での反転術式の半永久稼働。それを今、夏油は想起している。

 

 最強に成った五条悟と、彼は自分の実力を比べていた。

 

 まだ大真面目に五条悟と自分を比較している者も、まだ五条悟を本気で超えようとしている者も、もはや呪術界には夏油傑ただひとりしか残っていない。

 

 いま五条悟が口にした「俺の方が傑より強い」という言葉を、夏油は噛み締めている。その見解は確かな事実だという思いと、そして絶対にこのままではいけないという焦燥と向上心と、それらと同じくらい強烈に燃え盛っている親友への対抗意識を胸の内に抱えながら。

 

(まず領域展開と反転術式。私にだって――いや、習得しなければいけない。負けてられるか)

 

「悟、あいつらは私にやらせてくれないかな」

「別にいーけど、両方いっぺんにやる事になるぞ傑? 『どっちかだけ先に』は無理だろアレ」

「ひとりでやるんですか?! 無茶ですよ!」

 

 じゃあ行ってくるよ乃木さんをお願いねと親友に言ってから、夏油傑は2体並んでこっちを見ている大きすぎる蜘蛛のような呪霊と翼の生えた狐のような呪霊に向かっていった。

 

 そして、それから10分ほど経過した。

 

「ごっ、五条特級術師! このまま見てていいんですか! 夏油さんがっ、夏油さんが!」

「あのね。俺はいま傑を助けちゃいけないの。傑がそう言ってただろ」

「言ってませんでしたよそんなこと!」

 

 誰がどう見たって劣勢も劣勢、その上なぜか呪霊も普段よりかなり出し渋っている夏油傑は、控えめに言って、殺されかけていた。しかし、それこそが本人の望むところだった。

(さあ、私! そろそろ反転術式できないとヤバい傷になってきてるぞ!)

 油の浮いた下水みたいな色の血を全身から流しながら、いま新しく頭にも攻撃を貰った夏油傑は、ぼんやりと霞み始めた視界のまま、巨大な蜘蛛のような特級特定疾病呪霊「八握脛」の脚なのだろう部位による鋭い攻撃をギリギリ躱しながら、一歩。大きく踏み込んだ。

 

 この時、フラつきながら「八握脛」にありったけの呪力を籠めた右拳での一撃を放った夏油傑と、それを離れた位置から見守っている五条悟は、なぜか2人とも確信していた。

 

「黒閃…………!!」

 

 思わず声を上げた補助監督の女を小脇に抱えたまま、五条悟は自慢げに笑っている。

「できるって解ってたよ、傑」

 

 呪霊にめり込ませた己の拳から黒い稲妻が飛び散ったのを見ながら、夏油傑は確信を得ていた。

 

 今ならできる、と。

 

 全身血まみれで、その血も下水のような不自然な色で、身体に幾つも深手を負っているのに加えて喉の乾きと空腹感も限界を超えている夏油傑の心はしかし、雨上がりのように穏やかだった。

 

 そして夏油傑はあたかも戦闘態勢を解くかのように棒立ちになり、どこか晴れやかな、それでいてとても嬉しそうな微笑みを浮かべながら、迫りくる特級呪霊2体による直接攻撃をあろうことか完全に無視して、両手の甲を自分の胸の前で合わせ左右の人差し指から小指までを交差させて、仏教においては「反叉合掌」と呼ばれている掌印を結んだ。

 

「――領域展開」

 

 どちらかの呪霊の生得領域だったのだろう残骸に成り果てたビル群と汚れた舗装道路という景色が一瞬で塗り替えられたのを見た五条悟が自分を抱えていない方の腕を振り上げて拳を握って喜ぶ様を、補助監督になったばかりの若い女は目撃した。

 足元の地面は足首まで届かないくらいの浅さで濁った水に浸されており、さらに周囲を見渡せば歪に腹部が膨れた女の死体らしきものと苦悶に満ちた顔が幾つも組み合わさった、見上げるほどの大きさの禍々しい樹木のような何かがそこらに何本も生えている。

 黒に近い焦げ茶色の汚い空を見上げながら、五条悟は親友の傍まで一瞬で移動した。

 

「なあ傑、お前の心象、なんかすっげぇ不安を煽られるんだけど。なぁハグとかした方がいい?」

「ふうー。できたよ悟! 見てくれほら!」

 1年ぶりに親友の精神状態が心配になった五条悟をよそに、夏油の表情は実に爽やかだった。

「見てるって。――良い領域だな傑。お前コレ呪霊相手なら優位どころか絶対的じゃねーか!」

 

 大きすぎる蜘蛛のような姿の特級特定疾病呪霊「八握脛」と、もう1体の特級だろう呪霊の両方が同時に、独りでに掌に収まる見慣れたサイズの黒い呪霊玉になって、さらに次の瞬間ドロリと形を崩してシュルシュルと夏油の身体に吸い込まれていったのを見届けて、生まれ持った「六眼」と培った洞察力でこの領域の詳細を把握してしまった五条悟は、やっと笑った。

 

「呪霊操術が必中になってるから、口からひとつずつ丸呑みしなくても良くなったわけか傑」

 

 黒閃を叩き込んだとはいえ「降伏」には程遠かった「八握脛」と、完全に無傷だったはずの翼の生えた狐の呪霊を本来の手順を全て省略して取り込んだ親友の隣で、五条悟は誇らしげだった。

 

「まあ理論上はそうだけど、実際には毎度毎度いつも領域展開を濫用するわけにはいかないし、場合によって選ぶって形になるだろうね。……それでも正直これで、かなり楽できるよ」

「あの。私『領域展開』って初めてホンモノ見たんですけど。これ、この夏油特級術師のこの領域は、もしかして、呪詛師っ…………とかには……その」

 恐る恐るといった声色で意見を述べた補助監督の女性に、夏油傑は優しい口調で言う。

「おや乃木さん鋭いねえ。お察しの通り今のままだと呪霊以外の敵には何の効果も無いけど、そこは今後どうにかするさ。『うずまき』で抽出しといた術式も必中に選んだりとか、できないかな」

 

「練習すりゃできるようになるだろ、傑なら」

 

 五条悟のそんな言葉にずいぶん可愛らしい笑顔を返して、夏油傑は領域を解除した。

 

「悟」

「なんだよ傑」

「私いま大怪我してるよね」

「……傑お前」

「うん。忘れてた」

 

 そう言い終えた瞬間にブッ倒れた親友を掴んで、反対の腕で補助監督の女も抱えて、五条悟は無下限呪術の最大出力で帰路をぶっ飛ばしたのだった。

 

 そして夏油傑が反転術式習得のきっかけを掴んだのは、それから数ヶ月後の、誰かの命の危機どころか任務中ですらない、真っ昼間の呪術高専東京校の敷地内だった。

 目の前で転んで膝を擦り剥いた枷場菜々子に「たちどころに効く“痛いの痛いの飛んでけ”」をしてあげたいという想いだけで、夏油傑は反転術式を初めて成功させた。

 

「えっ何それ。マジで言ってんの? どうやったらそんなことになるんだ夏油」

 

 授業が始まるのを待ちながら、五条と共に真っ先にその報告を受けた家入硝子は、彼女にしては珍しく、目を丸くして驚いていた。

 五条悟も、夏油が言ったことの意味が解らなくて、訝しげな視線を親友に注いでいる。

 

「他人にしか使えないってどういうことだよ。聞いたことねーよそんな奴!」

 

「文字通りの意味だよ。まあ厳密にはその『他人』に私自身も入ってるというか、私自身は反転術式を使えないけど『反転術式を発生させる方法を見つけた』というか――つまりね。私は、硝子とか悟が使えるような、自分の中で作る反転術式は相変わらずできないけど、『うずまき』をやる時と同じように、すなわち呪霊を消費して呪力を絞り出す形で、その呪霊由来の負のエネルギーを掛け合わせて正のエネルギーを作れるようになったんだ。……やってみせた方が早いかな」

 

 そう言った夏油は、呪霊操術の極ノ番「うずまき」を行使する際に形成されるような、呪霊が巻き取られたような捻じくれた渦状の物体を、自分の右手の掌の上に小さなサイズで出現させた。

 そして夏油は反対の手の人差し指を顔の横に立てて、それを口に咥えて無理矢理へし折る。

 

「ほら。悟も怪我して」

「ウッス……」

 

 夏油に笑顔で促された五条悟も、自分の左手の人差し指を掴んで力いっぱい折った。

 

 それと同時に、家入硝子が他人を反転術式で治療する時と同じ穏やかな光が夏油の掌の上にある呪霊だった渦状の物体から周囲に発散され、それが消えた時には夏油の掌の上の物体も消えていて、夏油と五条の指は綺麗さっぱり治癒していた。

 

「反転術式の出力は、『うずまき』と同じで呪霊を擂り潰して絞り出した呪力の量と質次第。あとまるごと全部正のエネルギーにしちゃってるから、これに準1級以上の呪霊を消費しても術式は抽出できない。で当然、出力の絶対値が同じだとして比較すると、燃費は『うずまき』の倍、悪い」

 まあ消費するものは九分九厘が僕の呪力じゃなくて呪霊だから考え方によっちゃ燃費はとても良いとも言えるけどね、という言葉で説明を締め括った夏油は、いつになくキラキラした目で硝子がこっちを見つめていることに気づいた。

 

「……どうした硝子」

 

 五条がそう訊いた瞬間、家入硝子は五条と夏油すら聞いたこともないほどの大声を出した。

 

「睡っ! 眠! 時間がっ! 増やっせる!! 夏油!! お前! さいこう!!」

 

「もちろんこれからは今まで硝子が独りでやってた仕事を私もやるよ――」

「マッジでお前! 夏油お前! 愛してるよマジで!!! 抱かれたくはないけど!!」

「ガッデム! 何を大騒ぎしてる家入!」

 ちょうどその時教室に入ってきた厳つい夜蛾正道先生に、五条悟は恐る恐る訊く。

 

「……夜蛾センってさ、もしかしてもうすぐ魔法少女になる予定が立ってたりとかする?」

「何を言ってるんだ五条お前」

 

 この日、夏油傑は自身が少々特殊な方法ながら反転術式を使用可能になったことと、それを用いて他者を治癒できることを夜蛾先生に報告し、ついでに先延ばしにしていた「領域展開」の報告もした。そして夏油はこの日を境に負傷者の治療や救命などの任務も受けるようになり、家入硝子は期待した通りに劇的に増えた自由時間と休日によって、ついに健康的な安眠を取り戻した。

 

「はい、完了です。お疲れ様でした冥さん」

 

「ありがとう夏油くん。助かったよ。……ところでこれもしかして、呪詛師と殴り合いながら自分を治すとか、敵味方入り混じってる乱戦中みたいな状況だと使いづらかったりするかい?」

 冥冥の指摘を、夏油は肯定する。

「ええ。多少離れた位置にも出せるんですけど、効果を及ぼす半径を見誤ると敵呪詛師の傷も治すことになります。言うなれば、反転術式を詰め込んだ爆弾を起爆してる感じですね」

 じゃあ私は今爆弾に救われたってことになるねと呟いて、冥冥は微笑んだ。

「それはまた、画期的というべきか難儀というべきか。……ところで、あの例の双子の姉妹と世話役の美里さんって、いま正式にはどういう扱いになっているんだい? あの双子、身寄りが無いんだろう高専以外に。それに黒井家は代々星漿体に仕える家のはずだけど、いま星漿体なんて――」

 

「美々子と菜々子は私が養子に迎えました。恥ずかしながら、美々子と菜々子がそれを強く希望しましたので。なので黒井さんも、厳密には高専所属ではなくて、私が雇用しています」

 

 学生が親になって養子縁組なんてよく認められたねえ、と冥冥は驚いてみせる。

「養子を迎え入れるのって、子がいる夫婦ってのが大前提だろう? それにきみまだ未成年だ」

「呪術高専東京校という組織と、あと五条家当主の協力あればこそですね、それに関しては」

 夏油傑の端的な説明に冥冥はまたしても、そうすることが礼儀かのように驚いてみせた。

 

「五条くんはともかく、総監部の老人たちがよく賛同したね、そんなの」

「あの人たちに私と悟を2人まとめて敵に回すような肝っ玉はありませんよ」

 

 夏油傑が事も無げにサラリとそう言い放ったのを受けて、冥冥は思わず笑いを漏らした。

 

「きみたち2人を処刑したい人も総監部には何人も居るという噂だけど、仮にそんな処分下したって『誰がそんな完遂不可能な指令を実行するのか?』って話になる。自分たちが未だ生きてるのはきみたちの気まぐれだけが理由だって、あの老人たちも本当は気づいているんだろうね。だから、きみたち2人の意向を無下にはできない。……まったく、あの老人共、なんのために居るのやら」

 それだけ言って、冥冥はまた元通りの笑顔を作り直した。 

「すまない2人とも、愚痴を聞かせてしまったね。じゃあ失礼するよ。治療してくれてありがとう夏油くん。お蔭で痛みもすっかり無くなったよ」

 

 任務お疲れ様でしたともう一度言って、夏油は冥冥を送り出した。

 

「ねえねえ悟、悟。他者が対象の反転術式って、領域の必中効果にできないかな」

 珍しく血みどろで帰ってきた冥冥の治療を終えたばかりの夏油は、呪霊を絞って使い切るという前代未聞の方式での反転術式を行使して冥さんを治す自分を見ていた五条に声をかけた。

 

「お前ならそのうちできるだろ傑。ま、俺はできる気しねぇけどなー。反転術式のアウトプット」

「おや。五条悟ともあろう者が? 今や私たち3人の中で他人を治療できないの、悟だけだよ?」

 

 勝ち誇った顔で親友にそう言われて、五条悟はアッサリと対抗意識に火を点けられた。

 しかし五条悟は、その後何週間たっても、どうしても「反転術式のアウトプット」だけは、一向に習得のきっかけすら掴めないままだった。

 そして夏油は夏油で「硝子と悟ができるのと同じ」自分の中で行う通常の反転術式も習得しようと、五条と2人して四六時中ずっと練習し続けていたが、彼も一向に習得できないままだった。

 その一方で、五条悟は長距離の瞬間移動と「蒼」「赫」それぞれの同時複数発動を、夏油傑は「うずまき」で呪霊から抽出した術式を任意で領域の必中効果にしたりしなかったり自由に選択するコツと使役している呪霊との感覚共有を、各々わりとすんなり習得してみせた。

 

「また『茈』の最高火力を更新したね、悟」

「そう言うお前は最高火力は大して進歩しねえのに手札の数はマジ際限なく増えてくよな、傑」

 

 やがて夏が来る頃には、まだ呪術高専の最高学年ですらないにも拘らず、任務や訓練でその2人の実力を目の当たりにした者たちは、術師も補助監督も口を揃えて「あの2人のどっちかだろう」と、五条悟と夏油傑の2人を「現代最強の呪術師」と評するようになっていた。

 

「あ、正金寺先輩。先輩は次どなたの任務なんです?」

 真っ黒なスーツに身を包んだ2人の補助監督が、高専敷地内の駐車場で挨拶を交わしている。

「五条悟の単独任務だよ。神奈川の端っこまで送るんだ」

「うぇ、それはまた、お疲れ様です…………」

「そういうお前は誰を送るんだ乃木?」

「夏油特級術師と七海くんです! 箱根まで送るんです」

「……私もそっちがいいなぁー」

 

 そんな意見と同時に、五条悟と夏油傑が互いを無二の親友だと考えていることも広く知られている以上、どちらかではなく2人揃ってこその「最強」だと考えている者たちも多かった。

 

 そしてそれは他でもない当人たちの考えと、全く同じものでもあった。

 

トーキョーコー(呪術高専東京校)の3年ふたりと一緒の任務ぅ? なんでやの先生(せんせえ)

「まあそないヤイヤイ言わんと。あの五条悟と夏油傑やで? ええ機会やないの。呪術界の頂点っちゅうやつを良ーぉ見してもらい。……先生も前ご一緒したけどな、メッチャ男前やで2人とも」

「ほんまに?!!! ウチいつ出発したらええの? 今もう出発してもええの?!!」

 

 枷場菜々子と美々子の姉妹を保護して以来、というよりは彼女たち姉妹を監禁、虐待していた村の類人猿共を見て以来、夏油傑が当初抱いていた「術師は非術師を守るためにある」という主義信条は、「私たちは私たちが護りたい皆を護るためにある」という内容に変化していた。

 夏油自身この己の心の変化を自覚しているし、自分の思う「護りたい皆」に五条悟が含まれていないことにも気づいている。夏油傑にとって五条は、唯一の「私と一緒に皆を護る」相棒だった。

 

 それは五条悟から見た夏油も同じだったし、彼ら2人はどうしようもなく一体不可分だった。

 

 しかしそんな五条悟と夏油傑にも、怖いものはある。

 本気で怒った時の硝子ちゃんである。

 

「てめえらマジでいい加減にしろよ」

「ゴメンナサイ……………」

 

 お互い以外の全てに圧倒的大差をつけて呪術界の頂点に君臨している現代最強の呪術師2人が揃って床に正座させられているのを、彼らの先輩である1級術師の冥冥と、ひとつ下の後輩である七海建人と灰原雄、そしてふたつ下の後輩である伊地知潔高が、呆れ顔で見ている。

 

「あの2人は今度は何をやらかしたんだい七海くん」

 

 冥冥の質問に、七海建人は聞くだけ時間の無駄ですよと言いつつも答える。

「寮の夏油さんの部屋のベッドで3人一緒に仮眠してたら、まず五条さんがイタズラで超低出力の『蒼』を発動して、それを浴びた夏油さんが呪霊を出して家入さんを挟んだまま2人でケンカを始めたそうです。それで家入さんは安眠を妨害されて、ああして怒ってらっしゃいます」

 

 聞くだけ時間の無駄だったねと言って笑った冥冥は、その3人を眺めてしみじみと、その場の全員がいつも思っていることを改めて口にした。

 

「相変わらず、本当に仲良しだね」

 

 結局そのあと家入硝子の怒りが収まるよりも早く、五条は伊地知と、夏油は灰原と、そして冥冥と七海は歌姫と一緒の任務をそれぞれ言い渡されて、すぐそばの屋外で黒井さんに連れられて遊んでいた美々子と菜々子に皆で挨拶してから、揃って出発していった。

 

「しゃーない。ひとりで寝直すか……、いややっぱ美々子ちゃんと菜々子ちゃんに……」

 そう呟いた家入硝子もまた、癒やしを求めてその双子の元へと向かったのだった。

 

 そして、それぞれに任務を終えた呪術師たちが高専に戻ってくる頃には、夕方になっていた。

 

「ふぃー。帰ってきたわ。たっだいま硝子ぉ! それに菜々子ちゃん美々子ちゃん美里さん!」

「うたひめだ! 菜々子うたひめ好き!」「美々子もうたひめ好き! おかえりなさい!」

「ただいま菜々子、美々子。ただいま硝子。それに黒井さんも、皆も」

「げとうさま! げとうさまおかえりなさい!」「げとうさまおつかれさま!」

 

 自分の姿を見るなり抱き着きに来た菜々子と美々子を受け止めて、夏油傑は笑っている。

 

「あ゙ーーー!! 絶対適任オレじゃなかったろあれ!! ああ゙もう!! 通用路狭ぇし!」

「今回はホントに面っ倒でしたね五条先輩…………」

 伊地知は珍しく、五条と完全に同じ意見だった。2人とも、肉体よりも精神が疲弊している。

「そんなだったのかい悟? もしかして壊しちゃいけないもの壊したのかい?」

 ほぼ同じタイミングで呪術高専の敷地内まで帰り着いた夏油にそう訊かれて、五条は吼えた。

 

「美術館だったんだよ現場が! しかも生得領域も展開しねー無駄に図体だけデカくてそこそこ速い呪霊が何体も暴れてんの! 絵とか彫刻とか壊さねーように気ぃ使ったんだよ俺なりに! なのにあのクソ猛牛ども、よりにもよって収蔵庫に突撃かましやがって――」

 

「領域を展開しなかったのかい悟?」

 

 夏油傑は、答えも理由も解っていながらわざとそう訊いた。

 ただでさえ術者の呪力を膨大に消費する上に、展開した領域を解除もしくは破壊された直後は術式が焼き切れて一時的にほぼ使用不可能になるので、予定外の呪霊と連戦になる可能性などを考慮すると、領域展開せずに状況を終了させられるなら、それに越したことは無いのだ。

 

「領域閉じてもまだ呪霊残ってたら俺はともかく伊地知を護りきれるか怪しくなるだろ傑」

 

 一方で夏油傑はと言えば、領域展開終了直後の戦闘能力低下という問題に関しては「領域展開する前に強めの呪霊を何体か出しておく」という方法で実にあっさりとリスク軽減に成功していた。

 

「そうなると悟の術式は大味だから苦労しただろう、お疲れ様。伊地知も怪我してないかい?」

「は、はい。大丈夫です。……一応。収蔵品もほぼ完璧に無事でしたし」

(めー)さんと七海と歌姫はどうだったんだよ! 任務!」

 私たちも苦労したよと言って欲しいらしい五条に、冥冥ほか2人は望まれた通りの回答をする。

「こっちも、強さよりは面倒さの際立つ相手だったね。あんなに走ったのは久しぶりだ」

「右に同じです。殺傷力の高い術式を持った小型の呪霊に高速で逃げ続けられると――」

「――基礎体力ってやつはどんだけあってもいいんだって、改めて思い知らされたわね」

 そう言った七海と歌姫の2人は冥冥と違って、見るからに膝が笑ってしまっている。

 

 比較的すんなり任務が終わった夏油傑と灰原以外、今日はみんなヘトヘトだった。

「みんなおつかれさま」「おしごとがんばってえらい」

 幼い菜々子と美々子そして2人の世話係である黒井美里は、間違いなく、呪術高専東京校に所属する術師や補助監督たちの心の健康に、大いに貢献していた。

 

 そのまま各々がこなした任務の話や菜々子と美々子が今日何をして過ごしたかを聴いたりしつつ寮の共有スペースまで移動してきた一同は、菜々子と美々子と黒井さんを真っ先にソファに座らせた。そしてそれまで疲労を隠そうともせずグッタリしていた術師たちは一斉に笑顔になり、五条と夏油と冥冥の3人がそれぞれに携えていた紙袋の中身を取り出し始める。

 

「菜々子、美々子。私たちお土産買ってきたからみんなで食べよう」

「げとうさまだいすき!」

 

 菜々子と美々子に勧められるがまま、夏油は2人の間に座った。

「まずこれが赤福。それでこっちが御福餅だよ」

 夏油が今回赴いた伊勢で買ってきたのは同地で最も有名な銘菓と、その最も有名な類似品。

「俺のはこれ。美術館の売店で買ったクッキー」

 そう言って五条が開封した菓子は、どうやらその美術館の展示作品を模しているようだった。

「私からは黒井さんに化粧品と、2人にはこの良いオレンジジュースをあげよう」

 ひとりだけ黒井美里個人へのお土産も買ってきていた冥冥は、黒井に一回り小さい紙袋を手渡してから、丁寧な包装が施された大きなガラスのボトルをテーブルに置いた。

 

「えっ、えっこれすんごい高いやつ――あっあっ、あのありがとうございます……!」

「気にしないで美里さん。どういたしまして」

 

 純粋な善意なのか故意に恩を売っているのかが傍目には判別し辛い冥冥が黒井美里に微笑みかけている中、夏油と五条によって全てのお土産のお菓子が開封されて、ちょっとしたパーティがこの呪術高専東京校の寮の共同スペースで始まった。

「当然のように呪霊に手伝わせますよね夏油さんって。それ、どのような呪霊なんですか?」

「特級叛霊『魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)』だよ伊地知くん」

「お。見たことあると思ったらソイツ1年の時に硝子と3人で行った任務で出くわして、俺と傑と硝子で丸3日ぶっ通しで戦ってやっと降伏した奴じゃん。俺が初めて黒閃キメた時の!」

 夏油が自室までコップを取りに行かせた大きな武者のような呪霊を見て、五条が声を上げた。

 

「ああ、4級呪霊と蠅頭が大量発生してるってだけのはずだったのに全然帰ってこないから私と冥さんで助けに行ったのよね。あったあった。山が丸ハゲになっててビックリしたの覚えてるわ」

「私と歌姫が現着したのとほとんど同時に終わったけどね。実質なにも助けてないよね私たち」

 人数分のコップを抱えて帰ってきた魏石鬼八面大王を見ながら、冥冥と歌姫もその2年前の任務のことを思い出している。

 

「あれ蠅頭じゃなかったんですよ冥さん。呪霊なのに取り込めないからどういうことかと思ってたら、悟が見破って教えてくれたんです。『大元の本体が別に居る』って。それがこいつだった」

 魏石鬼八面大王からガラスのコップを4つ受け取って自分と美々子と菜々子と黒井さんの前に配置しながら事も無げにそう言った夏油傑は、冥さんからオレンジジュースのボトルを受け取って、美々子と菜々子のコップに注いであげている。

「ありがとうげとうさま」「はちめんだいおーはオミヤゲ食べないのげとうさま?」

「呪霊だからね。普通の食事はしないんだよ。さ、食べよう美々子、菜々子」

 

 夏油がそう言ったのを合図に五条が「いただきます」と手を合わせて宣言し、それに釣られるようにして他の皆も、一部の者はかなり久しぶりに、「食事を始める際の挨拶」を執り行った。

 

「そう言えば僕、冥さんに訊きたいことがあったんですけど。冥さんって実は高専所属じゃないって話は本当なんですか!」

 遠回しに訊く、などという器用な真似はできない灰原雄からの質問を受けて、冥冥は微笑む。

「おや? そうだけど、私としてはむしろ高専所属だと思われていたことが驚きだね」

「冥さん最近よく高専に来てるからじゃないですか? 高専でよく見る術師は高専所属の術師だっていうのは、別に突飛な発想ではないでしょう――ところで、任務の報告でしか来てないわけじゃないと私は勝手に思ってるんですけど、何しに来てるのか訊いても構いませんか?」

 夏油は灰原に便乗する形で、自分も常日頃からのちょっとした疑問を冥冥にぶつけた。

 対する冥冥は数秒沈黙した後、庵歌姫を見る。

 

「――このあいだの写真、見せても構わないかい?」

「ダメぇっ!!!!」

 

 我が子が車に轢かれようとしているかのような声量で拒否した庵歌姫を、菜々子と美々子もビックリしながら見つめている。

「私と冥さんのツーショット見せてやるよ。ありがたく思え夏油」

 家入硝子が小声でそう言いながら差し出してきたのは、現像された1枚の写真だった。

「…………つまり、硝子の部屋に時々『今は入るなノックもするな呼びかけるなクズ共』って張り紙がしてあるのは、これが理由だったんだね?」

 五条悟が買ってきた美術館のクッキーに手を伸ばしながら夏油はそう確認し、硝子は肯定する。

「そう。予定が合った時に『歌姫せんぱいを着せ替える会』を冥さんとしてる。冥さんもだけど、歌姫先輩って何でも似合うんだよね。――五条、お前の実家って十二単とか持ってたりしない?」

 

 その秘密の会合は、硝子に煙草を永久に止めさせたい庵歌姫の、思いきった交換条件だった。

 

「あったと思うぞ。なんかの行事で着てるの見たことあるし」

「あったと思うのか…………」

 

 典雅にも限度があるだろうと思いながら五条家の古めかしさに驚いている夏油は、クッキーを口元まで持ってきた状態のまま硬直している。

 

「ねーねーげとうさま、こっちのお餅とこっちのお餅、おんなじの2つ買ってきたの?」

 双子の片方にそう訊かれたことで、夏油はようやく再起動した。

「それがね菜々子、作ってるお店も違う、全然関係ない別の商品なんだよこの2つ」

「餡の味わいがかなり違うと聞いたことはありますが、食べ比べるのは初めての経験ですね」

 僅かに弾んだ声色でそう呟きながらその餡が被さった餅を付属のヘラで取ろうとして大いに苦戦している七海建人に、夏油が可笑しそうに笑いながら助け舟を出す。

「それ餡の下で餅が全部くっついてるんだよね。だから塊から1個ずつ切り出すイメージでやるといいよ。それで食べるときは1個を一口でいく」

 

 アドバイスに素直に従ってみたら無事に餡が被さった餅をひとつ容器から引っ剥がせた七海は、餡の上から素手で餅を掴んだ五条悟を、信じられないものを見る目で眺めてしまった。

「手よごれちゃうよゴジョー」「おギョーギ悪いよゴジョー」

「無下限があるから汚れませーん――やっぱ俺は赤福の方が好きだわ。餡が美味い」

「おや、ずいぶんおいしいね。このクッキー。……形だけの商品かと思ったら」

「とーぜんだよ冥さん。なんてったって伊地知が選んだんだから!」

 思いがけず五条に褒められた伊地知は嬉しそうだったが、同時に褒められたのが呪術に何の関係も無い分野の手腕だったことについては、少し思うところがありそうな様子でもあった。

 

「伊地知さんはそういうの外しませんよね。――この餅、どっちもとても美味しいですし、確かに少し味わいが違いますけど、好みが人によって分かれると言えるほどの差でもない気がします」

「すごいね七海! 僕これとこれの違い全然わかんないよ! どっちも同じ味! 夏油さんこれアリなんですかこの、こっちの商品」

「んー、そっちは300年以上前から売ってるけど、こっちも280年くらい前から売ってるんだよね。だから、事の起こりがどうだったとしても、『もう別に今更』って感じかな」

 

 そう言いながら菜々子と美々子がオレンジジュースを飲む様子を眺めていた夏油は、そういえば一言も発さなくなった家入硝子が蒼い顔をして固まっていることに気がついた。

 そして「硝子、どうかしたかい?」と夏油が訊いた瞬間、家入硝子は大きな声を出した。

 

「五条、夏油、ごめん! 忘れてたことがある! 伏黒甚爾から伝言があったんだ!」

「はぁ? 去年の話じゃねーかショーコちゃんよー」

「…………どういう内容なんだい?」

 

 今更思い出したのにわざわざ律儀に伝えるってことはそこそこ重大な内容なんだろうか、という夏油傑の想像を、事実はアッサリと超えていく。

 

「『あと2、3年したら俺のガキが禪院家に売られる』『好きにしろ』って」

 夏油傑と五条悟は、家入硝子を見ている。

 冥冥と七海と灰原と歌姫も、家入硝子を見ている。言葉に出しこそしないが、そんな重要な話を丸1年忘れていたのかと、その場の皆が思っている。

 

「そんな大事なハナシ忘れてたのかよ硝子ちゃんったらもー!」

 

 翌日朝早くから、きのう菜々子と美々子が寝たのを確認してからの一晩を全て費やして調べ見つけ出した伏黒甚爾の遺児の現住所に、五条悟は夏油と共に大急ぎで向かった。

 

「アンタら誰? っていうか、何? その顔」

「いやあ、ソックリだなって思っちゃってね」

 

 五条悟が五条家当主の権力を行使し、夏油傑が必要書類の作成と夜蛾先生などへの説明を行い、菜々子と美々子が来た時と同程度にすんなりと、一週間と経たない内に、その伏黒甚爾の忘れ形見である伏黒恵(ふしぐろめぐみ)伏黒津美紀(ふしぐろつみき)は呪術高専東京校の寮に迎え入れられた。

 津美紀には呪術の素養が無いのだが、しかし身寄りも無いのだからそうする他ないだろうと夏油傑と夜蛾正道が上層部に強く主張して押し切った形である。

 

「貴様ら呪術高専を児童養護施設か何かだと勘違いしていないかね?」

 そう言われるのも仕方がないよなと、夜蛾正道は口では反論しつつも内心では頷いていた。

 

 津美紀はすぐに菜々子と美々子の2人と仲良くなり、伏黒恵は姉と共に手の空いている補助監督に車で小学校まで送迎してもらう日々の傍ら、美々子と菜々子と共に呪術の基礎訓練に励んだ。

 この子たちが将来呪術師を志すかどうかはともかくとして、どちらにせよ持って生まれた才能の正しい使い方だけは覚えてもらう必要がある、という周囲の大人たちの判断だった。 

 

 そして数日後、五条悟は夏油傑を連れて、禪院家の屋敷を訪れていた。

 

「事前の連絡も無く何の用だ?」

「久しぶりじゃんスーパービットくん。今日はちょっと頼みがあってさ」

 

 自分を聞いたこともないアダ名で呼んだ五条悟を、その広い和室の中央奥に座する禪院家の現当主である禪院直毘人(ぜんいんなおびと)は、豪快な笑い声で歓迎した。

「――それで、甚爾の子の事で来たのだろう? さては生得術式が判明したか?」

十種影法術(とくさのかげぼうじゅつ)

 五条がそう返答した瞬間、直毘人は更に豪快な、牛1頭くらい丸呑みにしそうな笑顔になった。

 

 しかし次の瞬間、直毘人は一気に真顔に戻る。

「持ち出しさえしなければ資料は今日のところは好きに読んで構わん。ただしその代わりに」

 

 そらきた、と身構えた五条をよそに直毘人は、頭を下げた。

 

「夏油傑と言ったな。我が家の者どもが何度か任務で世話になったと聞いている。夏油傑、お前――俺に、『領域展開』を。教授してはくれんか」

 

 禪院家内外の多くの人間から嫌なジジイだとしか思われていない禪院直毘人はしかし、禪院家当主ひいては呪術師の気位(プライド)とは実力が伴ってこそだと考えている人物でもあった。

(当主でさえあれば無条件で偉いのではない。強い奴が偉いのだ。弱い当主など、蠅頭にも劣る)

 彼が五条悟を嫌いなのも、何も五条家当主だという理由だけでもなければ、自分より上の実力を持つ相手に嫉妬しているわけでもなく、ただ五条悟という人間の人柄を嫌っているのだった。

 

こやつ(アホの五条悟)の説明はサッパリ要領を得んのだ。頼まれてくれんか」

「わかりました。どこまでご期待に添えるか自信がありませんが、できる限りの事をやります」

 

 そして禪院直哉という名の少年が呼び出され、五条を書庫に案内して行った。

 

「では早速、始めてもらおうか」

「はい。――直毘人さんとお呼びしても?――まずは、直毘人さんの現状を見せてください」

 

 特級術師夏油傑と禪院家当主による領域展開の講習会という高度極まる授業が始まった時、五条悟と禪院直哉は、あまりにも数が多すぎる禪院家書庫の古文書の山と格闘を始めていた。

 

「五条家当主に禪院の相伝術式の資料読ますとか、正気やないでほんま」

 

 次期当主である直哉の不満げな態度は、禪院家の皆の総意を代弁しているに等しかった。

「まあまあ。強い親戚が増えるんだから良いじゃんラブリー直哉にゃん」

「ゾワッてしたから二度とその呼び方せんといて――この辺がそやった思うけど…………嘘やろ字ぃきったな! 誰やのこんなん書いたん……読みづら……パパが達筆で良かったわほんまに」

 父である直毘人と同じ術式を生まれ持った直哉は「もっと字ぃ練習しよかな」と呟いてからまた別の文書を読み解き始める。ついでやからボクの術式とおんなじの使(つこ)てたご先祖さんの資料とか読ましてもらお、と直哉は直哉で早々に五条を放置して自分の調べ物を始めていた。

 

「あ。やっぱ毎秒16フレームでも既にご先祖様が術式拡張してくれた後やったんや……」

「は? 投射呪法って毎秒24じゃねーの?」

「今はそやけど、それは僕のパパがキバって術式を改良した結果や。元々は秒間16――やと(おも)ててんけど…………ええわ読ましたるわ。ほらこれ、ここの字ぃこれ読んでみぃや」

 

 それは、禪院家の先達の日記。その最初のページに書き残されていた「1秒に1回」という一文を、普段は口を開けば厭味や面罵ばかりの禪院直哉は驚きつつも、珍しく誇らしげに示していた。

 

「このお人が独りで16fpsまで術式を拡張したんや。なんぼなんでも頭上がらんで僕」

「…………たまーーーーに可愛くなるよねエンジェル直哉ぴょんは」

「その呼び方も二度とせんといてゲェ吐いてまうから」

 言っても無駄だとは理解しつつも言わざるを得なかった禪院直哉は、どうしても訊きたかったことを、絶対に確認しなければいけない疑問を、五条悟にぶつけた。

 

甚爾(とーじ)クン、強かったやろ」

 

 思い出させないでほしかったという抗議の気持ちを大きな溜息にして吐き出した五条悟は、感想を記憶から掘り出して文章にまとめるという作業に数秒を要してから、諦めたように口を開いた。

 

「いーや俺と傑の方が強かったね!」 

 

 直哉少年は条件反射で五条悟のスネを蹴ろうとしたが、当然、五条の「無限」に阻まれる。

「ほんまクソ憎たらしいわぁ無下限んん…………!」

 直哉少年が投射呪法を使ってまでローキックに再挑戦している中、五条は急に真顔になった。

 

「最強だったよ、あのゴリラも。結果だけ見りゃギリギリ勝てたけど、勝った時には俺も傑も死にかけだったからな。100回やって100勝てるかっつったら、今でも怪しいもんだと思うぜ、正直」

 

 五条悟って他人を褒めるとかできたんや、と直哉少年は率直に驚いている。

 

「ホントに失礼なガキだな」

「どの口が()うてんねん」

 

 そんなやりとりをしつつ五条と直哉が十種影法術の資料を紐解いているころ、夏油傑と禪院直毘人の領域展開講座は、夏油が手本を見せる段階へと移行していた。

 

「これが私の領域です。何も調節しなければ呪霊操術が必中になるので、呪霊以外の相手には何の影響も与えません。今もそうです。ですが呪霊なら、たとえ無傷の特級呪霊でもこの領域に取り込んだ時点でそれ即ち私の呪霊操術に取り込んだ事になります……その呪霊が領域への対抗手段を間に合わせてこなければ。――それで、ここからが直毘人さんの参考になりそうな話なんですけど」

 

 御三家秘伝の領域対策をやめても本当に自分に何も起きないことを確認して少々呆れながら、禪院直毘人は夏油の話を目を見て聴いている。

 

「呪霊操術の極ノ番『うずまき』は任意の数の呪霊をひとまとめにして消費して絞り出した呪力を放射するんですけど、このうずまきに準1級以上の呪霊を使うと術式を抽出できて、それを私が1回だけの使い捨てですけど、使えるんです。それで私はこの『抽出した術式』を領域の必中効果にして色々試してる内に、気付いたんです。『領域展開とは必中必殺たる呪術戦の極地』だってなんかよく聞きますけど、『必殺』に拘るのをやめるだけで、かなり難易度が下がるんです」

 

 それでは領域の意味が、と言おうとした直毘人はしかし、すぐにその考えを捨てた。

 

「――才能と、如何に術式の解釈を広げられるか。そして努力次第か」

 

「『いつ頃までには』って話は直毘人さん御本人にしか判りませんけど、さっきのを見た感じだと、このまま練習を続ければ直毘人さんならいずれ必ずできるようになりますよ。それと――」

 領域を解除してから、夏油は直毘人に、最も肝要だと思っている「早期習得のコツ」を伝える。

 

「直毘人さんも何度もご経験なさったと思いますが、領域展開もやはり、実戦で強い相手と戦って死にかけることですね。これが一番得るものが多い……もちろん逆転勝利できればですけど」

 

 とりあえず討伐に出る頻度を増やすか、と直毘人が呟き、夏油が「来週辺りまた来ます」と約束した直後に五条と直哉が戻ってきて、それでこの日は終了となった。

 

「マコラ?」

 

「うん。スーパービットくん(禪院直毘人)に読ませてもらった古本に載ってた。十種影法術の最奥。今までの影法術使いが誰も調伏できていない、最強の式神。八握剣異戒神将魔虚羅(やつかのつるぎいかいしんしょうまこら)。こいつは俺と傑が2人とも居る時で、なおかつ俺たちだけじゃなく夜蛾センも許可した時しか喚ぶの禁止な。だからとりあえず魔虚羅のことは忘れていい。ていうか忘れたほうが良いかな。で恵が今日挑戦するのは――」

 

 高専敷地内、ふだん座学の授業や任務の説明を受けている教室棟のすぐそば、実戦訓練用の道場で、幼い伏黒恵は五条悟の教導を受けつつ、初めての「新たな式神の調伏」に挑もうとしていた。

「だっと!」「うさぎさん!!」

 菜々子と美々子と黒井と津美紀と、夏油傑と家入硝子。見学希望者たちが夏油の呪霊の術式で涼んでいる中、引き算の筆算を習得したばかりの伏黒恵は手で影絵を作り、その式神を喚び出した。

 

 そして、3時間後。洪水を彷彿とさせる数のウサギの大群の中から1匹だけの「本体」をついに捕獲し調伏した伏黒が改めて喚び出した式神「脱兎」と戯れている黒井さんとちびっこたちを少し離れた位置から眺めつつ、夏油傑と五条悟と家入硝子は卒業後の進路の話を、初めてした。

 

「まあ俺らあと1年あるけどさ。硝子は何か考えてる? ……っつっても選べねえに等しいけど」

 

 お互いの方向に傾いて体重を預け合いながら、3人はいつになく静かに言葉を交わす。

「大学行く。医師免許取る。その後はまあ、今までやってた事をやるだけだよ。怪我して帰ってきた奴を治して、静かになって帰ってきた奴を、できるだけ綺麗にしてやる。あとお前らの監視な」

 夏油の隣から夏油と五条の間へと一旦立ち上がってわざわざ移動した家入硝子は煙草に火をつけようとして、ウサギの群れと戯れている美々子と菜々子と津美紀と恵が目に入って、やめた。

 

「傑は?」

 

 親友の質問に、夏油傑は穏やかな微笑みを返す。

「たぶん、きみと同じこと考えてるよ。悟」

 そう言われた五条悟も、夏油の目を見て微笑んだ。

 

「……キモいなお前ら」

 ずいぶん辛辣な感想を述べた家入硝子はしかし、冗談めかして提案する。

「3人で高専の教師でもやるか?」

「えっ何で俺の夢しってんの硝子」

 

 五条が素っ頓狂な表情で驚きの声を漏らした一方、夏油は露骨に嬉しそうだった。

「私もそれを考えてたんだ。――悟。私は思うんだよ――私と悟で育てた生徒が、私と悟より強くなったら。それってたぶん、想像もつかないくらい嬉しいんじゃないかなって」

 

 お前ら2人に勝てる生徒ねえ、と家入硝子は思ったが、それを口には出さない。こいつらにしては殊勝な心がけで良い目標設定だと感じて、「その光景」を見てみたくなってしまったから。

 

 そして、それから10年ほどの月日が過ぎた。

 

「――でも、熟慮ってのは時に、短慮以上の愚行を招くよ。きみってその典型!!」

 

 夜の学校。階段の傍の廊下で、全身ツギハギだらけの肌をした若い男のように見える何者かが、男子学生の肩に手を置いたまま、その生徒の顔も見ずに話しかけている。

 

「順平、逃げろ!! 早く!! そいつは――」

 

 ピンク色の短い髪をした青年が必死で叫ぶが、ツギハギだらけの男に話しかけられている男子学生は、決断できずに狼狽えるばかりだった。

 確かに逃げなければいけないのだろうという理解と「真人さんは悪い人じゃない」という縋り付くような願望が心の中でせめぎ合ったまま、吉野順平(よしのじゅんぺい)は身体をどちらにも動かせずにいる。

 

「順平って、きみが馬鹿にしている人間の、その次くらいには馬鹿だから。だから、死ぬん――」

 

 そこで唐突に言葉を切ったツギハギ姿の人型特級呪霊「真人(まひと)」が完全に微動だにしなくなったのを訝しんだ吉野順平ともう1人のピンク髪の青年は、警戒しながら真人を見ている。

 真人に一歩近づこうとしたピンク髪の青年、少々特殊な経緯で呪術師に最近なったばかりの虎杖悠仁(いたどりゆうじ)は、足元が濡れていることに気づいた。

 

 それどころか自分たちがいる場所は学校の建物の中ですらなくなっており、辺りには人の身体と顔らしきものが歪に組み合わさった樹木に見える巨大な何かがいくつも生えている。

 吉野順平はただただ狼狽えるばかりだが、一方の虎杖悠仁はこの現象に、見覚えがあった。

 

「領域展開…………!」

 

 これがもし真人の領域だったらかなりマズいと懸念した虎杖悠仁だったが、それは杞憂だった。

 

「虎杖! 生きてる?」「よしのんは?!」

 こちらに駆け寄ってくる1学年上の双子の先輩たちの後ろからゆったり歩いてくる腰のあたりまであるボリュームたっぷりの黒髪をして袈裟を纏った背の高い男を、虎杖悠仁は知らなかった。

「ナナ先輩! ミミ先輩! なんでここに――」

 虎杖悠仁の問いかけに、美々子と菜々子ではなくその後ろの男が答える。

「七海の残穢を見つけたからね。物見遊山のつもりで来たんだけどそんな状況じゃなさそうだったから参加させてもらったよ。七海ー! そっちはどうだい! 手伝おうかー?」

 

 校舎とグラウンドをまるごと自身の領域で呑み込んだ夏油傑が近くまで歩いてくるまでもなく、特級呪霊の真人はその姿形を崩していき、数秒で黒い小さな玉になり、その形状もすぐに歪んで滲んで薄れておぼろげになりながら、夏油傑の身体へと吸い込まれるようにして消えていった。

 

「夏油さん、菜々子さん美々子さん。来てくれて助かりました。虎杖くん、紹介します。こちら夏油傑特級術師です。五条さんと互角の実力を持っているのはこの人だけです」

 つまり自分たちは助けてもらったのだとようやく理解して、虎杖悠仁は大きな声でお礼を言う。

 

「あの! 俺! その、ありがとうございました! それでその、真人は――」

「取り込んだよ。…………ああ、そっか知らないよね。えっとね、私の術式は呪霊操術と言って、あらかじめ取り込んでおいた呪霊を操るものなんだ。それで、1級とか特級の呪霊だとブチのめしてからじゃないと取り込めないんだけど、領域展開でならその手順を無視できるんだ」

 

 イマイチ理解できていないのが目に表れている虎杖悠仁を見て、夏油傑は笑った。

 

「つまりきみが戦ってたあの呪霊は、『伏黒くんにとっての玉犬』みたいな立場になったの。完全に私の制御下にあって、逆らおうとか騙そうとかは考えることすらできない。それで、きみは?」

 

 菜々子と美々子から話は既に聞いていたが、それでも夏油傑は本人に訊ねた。

 

 そして吉野順平は話を聞き終えた夏油に促されて、自分が傷つけた人たちの内、自分に危害を加えたことがない部外者たちに謝罪し、虎杖悠仁にも謝罪し、七海建人にお礼を言い、呪術高専東京校の、1年生の生徒になった。

 

 母である吉野凪が死んでいないことと目を醒ましたことを吉野順平が知らされたのは、それから数日後の、初めての呪霊討伐任務を終えて高専の敷地内まで帰り着いた直後のことだった。

 

「話は聞いたわ。親としてはアンタを叱らなきゃいけないんだろうけど――」

 自分に縋り付いて泣き続けるたったひとりの息子に、吉野凪は言う。

 

「――おかえり。順平」

 

 美々子と菜々子から「ゆーじと一緒に遊びに行ったの」と聞いた吉野順平の家に夏油傑が「うちの子がお世話になりました」という旨の挨拶をしに行ったのが、ちょうど吉野凪が切断された指らしき不気味な物体をリビングのテーブルの上に発見したその時だったのだ。

 一方、夏油傑と家入硝子が両者ともに「知るかよ」と切り捨てたために、吉野順平をイジメていた主犯格の男子生徒には、反転術式による治療が施されずじまいだった。

 

 それはその男子生徒の消えない罪の証であると同時に、吉野順平の消えない罪の証でもあった。

 

「あ、メグくんおかえりー!」

「伏黒あんたメグくんって呼ばれてるのね」

「のばらんもおかえり! 任務どうだった?」

「ただいま菜々子先輩、美々子先輩。もちろん楽勝だったわ!」

 

 数日後、今日も各々任務をこなして帰ってきたばかりの呪術高専の生徒たちは、いつものように訓練を積むため高専のグラウンドに集合していた。

 

「何人かはもう会ったことあると思うけど改めて。こちら、新しく1年に入った吉野順平くん。歳だけなら2年なんだけど、生得術式に目覚めたばっかなんで1年からです。仲良くね! それで順平。さっそくだけど、悠仁と野薔薇と恵と4人で、ちょっと遊んでもらいな」

 1年生の担任である五条悟が生徒たちに説明しているすぐ隣では、今年は特にどの学年の担任もしていない夏油傑が準備運動を続けている。

「誰にです? 真希さんかパンダ先輩ですか?」

 

 呪術高専1年生4人を代表してそう質問した伏黒恵が見ている前で、その先輩たちは堂々たる大遅刻でグラウンドにやってきた。 

「やあ秤。星。任務お疲れ。今回はどうだった?」

 夏油傑先生からの質問に、その生徒たちはちょっと渋い顔になりながら答える。

「わりと骨のあるやつだったよ。ただ、喋る奴だったんだがな……音では何言ってんのか解んねえのに、言ってる意味は理解できるんだよ。マジ気色悪ぃ体験だったぜ、あれは」

「大自然がどうとかずっと言ってんの。意味わかんない」

 

 何かでっかいバイクとか蹴っ飛ばしてそうな奴らね、と釘崎野薔薇は思った。

 

「こっちが秤金次(はかりきんじ)で、こっちが星綺羅羅(ほしきらら)。2人ともカワイイ奴だからみんな仲良くしてあげてね。秤、早速で悪いけど1年たちと遊んでやって」

 鉄パイプか釘バットが似合いそうな派手で攻撃的なファッションセンスをした2名を引率してきたその先生は、秤とも星ともまるで正反対に見える、爽やかな佇まいの若い男性だった。 

「りょーかい灰原先生」

 担任なのだろうその教師からの指示に以外にもすんなり従った秤金次は、のしのしと肩で風を切って歩いて、伏黒と釘崎と虎杖と吉野順平の4人を見据えた。

 

「このヤンキーゴリラが私ら4人まとめて? ナメてんの灰原先生?」

「いーや。むしろ大抜擢だよ釘崎さん。だって秤は――」

「領域展開『坐殺博徒』!!」

 

 灰原先生が見てくれているので大いに張り切っている秤金次は、夏油を相手にしていた2年生たちや、五条と星や灰原などの待機見学組までも全員まとめて自身の領域に引きずり込んだ。

 生得術式の十全な運用に必要があるのかなんなのか、何故か上半身裸になった秤金次に、虎杖悠仁を始めとする1年生4人は精一杯の善戦をしたが、それでも4人まとめて蹴散らされ続ける。

 

「オメーはそのでっけぇクラゲに頼りすぎだヒョロガリ!!」

「僕はっ、吉野順平!! です!! ヒョロガリじゃない!」

「そうか悪かった名前は覚えるよろしく順平! けどヒョロガリは撤回しねえ!! 鍛えろ!!」

 大きなクラゲの姿をした自身の式神「澱月(おりづき)」を踏み台にして飛び蹴りを敢行してきた吉野順平を、秤金次は防御も回避もせず、蹴りを顔で受け止めてみせた。

 

「今の熱意は良いぞ順平!!」

「私の脳味噌にゴミみたいな情報を流してんじゃないわよクソゴリラ!!」

 

 背後からトンカチで殴りかかりにきた釘崎野薔薇も、秤金次は無抵抗で受け止める。 

「ヌルい!!」

 吉野順平と釘崎野薔薇は、そう叫んだ秤金次に左右の手でそれぞれ顔を捕まれ、突撃して来ていた虎杖悠仁の方向に2人まとめて投擲された。

 

「何? 休憩って言ったっけ? 向こうの見物なんて余裕あるねパンダ」

「ヴげ!! 背中に目でもついてんのかあんた!」

「ついてるよ今はね。ほら」

 

 首の後ろ、ボリュームたっぷりの長い後ろ髪に覆われた下に追従させているほとんど目玉しか無い小さな呪霊を誇示してから夏油傑は左の拳で殴ったばかりのパンダをさらに右のラリアットで吹っ飛ばし、禪院真希の刃物を躱して美々子と菜々子に迫る。

 

「『動くな』!」

 

「棘は呪言で直接攻撃するばかりじゃなくて、『下がれ』とか言って殴りやすい位置に誘導するほうが負担が少ないんじゃないかい?」

 アドバイスしながら、夏油傑は狗巻棘(いぬまきとげ)に刺すようなハイキックを放った。

 

 ずらりと並んだパチンコ台だけがある真っ黒な空間で1年生は秤金次に、2年生は夏油傑に、あまりにもうるさすぎるゴキゲンなリズムの騒音公害が鳴り響く中で根気強く挑み続けたが、それでもその場に立っているのが秤金次と夏油傑の2人だけになるまでに、そう時間はかからなかった。

 

「ゴリラめ…………」

 

 どうにか上体だけを起こした釘崎野薔薇が悔しそうに呻いたすぐ横では、夏油傑にのらりくらりと攻撃を躱され続けて疲労困憊になった枷場菜々子と美々子がベッタリと倒れ伏している。

「むー、夏油様ってば菜々子と美々子にだけ手加減してた! 悔しい!」

「私ら全員手加減されてたろ菜々子」

「追加で手加減されてたもん! 真希だって気づいてるでしょ!」

 禪院真希も、他の2年生たちも体力を使い果たして座り込んでいる。

 

 暴れたりない秤金次は、夏油傑へと接近していく。

 

「いくら呪力が漲ってても、当たらなきゃあんまり意味ないよね」

 獲物に飢えた獣のような笑顔で殴りかかってきた秤金次を、夏油傑はほんの少し姿勢を変えるだけですんなりと躱す。

 なぜ秤金次がよろめいて2歩3歩と後ろにさがったのか、理解できたのは数名だった。

「カウンター入れやがった……」

 そう呟いた禪院真希の声は悔しそうだった。

 

 次の瞬間、秤金次が展開していた領域はガラスが割れるような音とともに崩壊し、グラウンドの砂を何度も踏みしめながら、秤金次と夏油傑は殴り合った。

 そして2分後、秤金次は夏油傑の後ろ回し蹴りを側頭部に喰らって吹っ飛び、1年生と2年生たちはその瞬間に夏油先生の蹴り脚から黒い稲妻が飛び散ったのを、呆然と見ていた。

 

「おや。半年ぶりだ」

「金ちゃん!!」

 

 星綺羅羅が秤金次に大慌てで駆け寄って助け起こし、自分の術式の副次効果である全自動反転術式のお蔭で死を免れた秤金次は盛大に嘔吐しながら痛みに耐えている。

「きっ、金ちゃん! 金ちゃん大丈夫?? 死なない? これ死なない?」

「前やった時より動きが良くなってるよ秤。その調子その調子」

 悪びれもせず生徒たちの講評を始めた夏油傑の背後に渦を巻いたような形の大きな何かが出現し、まだ何か来るのかと思った吉野順平と虎杖悠仁は思わず身構える。

 

「2級呪霊10体ぶんで必要最低限には治るだろう。経験則の勘だけど」

 

 夏油傑がそう言った直後に渦巻き状の不気味な何らかはグラウンドの隅まで届く温かな光を放って消滅し、咄嗟に釘崎を庇った吉野順平は体中の痛みが消えていることに気づいた。

「これって、家入さんがやってくれたのと同じやつ……」

「庇ってくれたことにお礼は言うけど、お察しの通りそもそも今のは攻撃じゃないわよ」

 

 晴れやかな笑顔で悔しがりながら立ち上がった秤金次の吐瀉物を夏油が出現させた呪霊に焼却させているのを見ながら、五条悟と灰原雄は1年生と2年生たちの改善点を指摘していく。

 全く意識していなかった部分の不備を忠告されてハッとしている者も、要改善だと自分でも思っていた至らない部分に言及されて悔しそうな者もいたが、それで不貞腐れて努力を放棄するような者だけは、ただのひとりもいなかった。

 

 それから数日後、夏油傑は特級呪霊討伐任務で大阪に赴いたついでに、送迎役の補助監督と共に呪術高専京都校の所有する、とある施設に立ち寄っていた。

「送ってくれてありがとね新田さん」

「いえ、私も弟の様子が気になってたんでこちらこそありがたいっス」

 今回はじめて夏油傑の実物を見た新人補助監督の新田明(にったあかり)は、夏油傑という人物の伝え聞く実力と実績を頼もしく思いつつも、同時に夏油を大いに警戒してもいた。

 

「やあ歌姫。しばらくぶりだね」

「……話は硝子から聞いてるけど、最終的にどうするか決めるのは本人だからね」

「もちろん。私はただ彼に新しい選択肢を提示するだけさ」

「ところで夏油あんた、若い女の補助監督を片っ端から孕ませてるって噂が流れてるわよ」

 

 なぜ補助監督の新田ちゃんからじっとりとした視線を向けられているのかを理解して、夏油傑はかなり長めの溜息をついた。

「歌姫まさか信じてないだろうねそんな与太話」

「あの子達を引き取ったのをきっかけにスッパリ止めたって知ってるわよ。硝子から聞いたもの」

 庵歌姫の、というよりは家入硝子の故意犯だろうキツい冗談に対しても夏油傑はどうにか外交的な笑顔を保っているが、しかしその眉間にはシワが寄っている。

「学生時代もしてないんだけど?」

「知ってるわよ。硝子ったら昔っから酔っ払うとあんたたち2人の話しかしなくなるんだから」

 さらっとそう言い放った庵歌姫は、野良猫のような警戒心を全身から放っている新人補助監督の新田明に、呪術高専京都校の生徒が選ぶいちばん好きな教師ランキング1位の笑顔で語りかける。

 

「あのね(あかり)ちゃん」

 

 困惑と防衛本能から来る敵意に満ちた視線を夏油にぶつけながらとうとう拳を構えて暴力で抵抗する準備を始めてしまった新田明に、庵歌姫は優しい口調で言う。

「こいつは高専の生徒だった頃から、一見すると気配りができるし対応が優しいように思えるから勘違いしちゃう補助監督とか術師の女の子が多かったってだけで、前科は無いの」

「…………ホントっスよね? 歌姫先生が把握してないだけじゃあないっスよね?」

「そこまでクズじゃないわよ。むしろ東京校の2年生の双子がコイツの養子よ。知ってるでしょ? 枷場美々子と枷場菜々子。準2級術師の双子の姉妹」

「ミミナナちゃんたちッスか?! ホントに? こないだ1回カラオケ一緒に行ったっス!」

 

 美々子と菜々子の親代わりだと聞いて、新田明は一気に警戒を解いた。

 

「……なのにあの2人から夏油の話聞いてないの?」

「延々ずっと歌ってばっかりだったんで……」

 

 そして新田と一旦別れた夏油は庵歌姫の案内で呪術高専京都校の学長を務める老人、楽巌寺嘉伸(がくがんじよしのぶ)とも合流して、施設の地下にある秘匿区画へと向かった。

「正直、戦力としては今のままの方が役立つと思うがの」

「でも、本人はきっと戦力評価とか呪術師としての等級なんてどうでもいいと思いますよ」

「ここよ、この扉の向こう。この部屋に居るわ」

 庵歌姫が扉を開き、夏油傑はその部屋の奥に居た入院患者かのように管やら包帯やらを大量に纏った青年に声をかけた。

 

「やあ、与幸吉(むたこうきち)くん。私は夏油。夏油傑。今日はきみに、提案があるんだ」

 

 特級術師が何の用だと与幸吉は警戒心を顕にしたが、夏油の後ろから歌姫先生も部屋に入ってきたのを見て、ほんの少しだけ警戒を解いた。

 歌姫先生が騙されているという可能性を、与幸吉は捨てきれていない。

 

「…………はじめまして。与幸吉と言います」

「メカ丸越しに会ったことあるでしょ。私この後も任務あるからもう本題に入るけど、きみさ、その体が治る代わりに天与呪縛の『恩恵が消えるかも知れない』って選択肢があったら、選ぶ?」

 

 冗談を聞かされているわけではないらしいと、与幸吉は歌姫先生の表情を見て判断した。

「選びました。この身体が治るなら、呪力なんか喜んで手放しますよ」

「後から『やっぱさっきの無しで』とか『元に戻せ』とか言われても聞けないからね」

「言わない」

 

 夏油傑は庵歌姫と楽巌寺嘉伸に無言で最終確認をし、2人の京都校教職員は無言で是認する。

「良いかい与幸吉。私は呪霊を取り込んで使役することができる。そしてその応用として、取り込んだ呪霊を任意の数まとめて消費して呪力に変換して射撃することもできる。この際に準1級以上の呪霊を消費すると、その呪霊の持っていた術式を私が1回だけ使える。いまから私は今朝の任務で消費した呪霊の術式をきみに使う。魂を直接いじった結果として肉体を変化させる術式だから、念には念を入れて、操った呪霊にやらせるんじゃなく私がこの手でやる」

 与幸吉は夏油傑の説明を聞き終えてすぐに無言で頷き、夏油傑は与幸吉の頭に片手で触れた。

 

無為転変(むいてんぺん)

 

 そして与幸吉は起き上がり、自分の脚で床を踏みしめて、立ち上がった。

 

 翌日、呪術高専京都校のいつもは授業が行われている教室のひとつに早朝から集められた1年生と2年生と3年生の合計6名は、庵歌姫先生が何の用なのか説明してくれるのを、この人数ってことはよっぽど大掛かりな任務なんだろうなと思いながら待っていた。

 

「私から2つ連絡があるわ。ひとつは、あなたたち全員、明日の昼まで任務無し。もうひとつのお知らせは、2年生に新しい生徒が加わる。――さあ、入ってきて!」

 

 緊張した面持ちで入室してきたその男子生徒が自己紹介を終えるよりもずっと早く、声を出すよりも先に、戸を開けて入ってきた瞬間に、東堂葵よりもさらに早く、その女子生徒は声を上げた。

 

「メカ丸!!」

 

 どう説明すれば信じてもらえるだろうかと様々なパターンを想定していた究極(アルティメット)メカ丸こと与幸吉は、「そうだけどどうして」という驚きの言葉すら、満足に言えなかった。

 

「あなたメカ丸ですよね! そうでしょ?!!」

 あろうことか自分より先に嬉し涙を流し始めた同級生の三輪霞(みわかすみ)に手を取られて、与幸吉はまたしても「どうしてわかったのか」と訊けなかった。声が声にならなかった。

 

「理由が必要か?」

 

 傍若無人に脚が生えていると周囲の人間から思われている3年生の東堂葵が、呪力からしてメカ丸の本体でまず間違いないと考えられるその男子生徒に、堂々たる佇まいで言う。

「三輪にお前が誰なのかを説明する必要が無かったことに、お前は理由を求めるのか? 無ければ納得できないのか? お前はそんなつまらない人間だったかメカ丸!」

 

「俺はメカ丸じゃない」

 

 与幸吉は、やっと声を出せた。

 

「メカ丸は俺が傀儡操術で遠隔操作してた傀儡の名前だ。俺は、与幸吉。むた、こうきち。その、なんだ……特級呪術師の夏油傑さんが、1度しか使えない方法を俺に使って、身体を『普通』にしてくれた。だから……だから…………その、これから、……よろしく」

 

「メカ丸!!!」

 

 抱きついてきた三輪霞の涙と鼻水で、与幸吉の買ったばかりの制服は早速ドロドロに汚れた。

 

「その、早速で悪いんだが、……天与呪縛がどうなったのかと、それに伴って術式の性能がどう変化しているのか、もしくは変化していないのかを調べたいんだ。付き合ってくれるか、皆」

 三輪がようやく泣き止んだころ、与幸吉は恐る恐る、そう提案した。

 

「そんなもん後にしなさい!!!」

 顔中べしゃべしゃにして号泣しながらそう勧告したのは、庵歌姫だった。

「きね゙んっ、しゃ、しん、を゜とる゙わよ!!!」

 教師の威厳も何もあったものではない酷い顔をしていたが、東堂葵すらすんなりと従った。

 

「夏油さん、こちらは済みました」

 

 電話の向こうに居る高専時代の先輩に、1級術師の七海建人は報告する。

「はい。次はこのまま隣の市へ向かいます。そちらもお気をつけて」

 本来なら呪術高専京都校の生徒たちが今日やるはずだった任務の数々を何も訊かずに代行している七海建人は、恐らく夏油さんが半分こなしてくれていると察しつつも、それ以上は事情を推測しようともせずに、ただ黙って次の現場へと向かうのだった。

 

 そして、現在。夏油傑と五条悟は、ほとんど更地になった新宿跡地の上空で、乙骨憂太の従える呪霊のような式神のような呪力の塊「リカ」の中の異空間に居る。

「一応最後にもう1回、何があったのか教えてくれる、『天元様』?」

 黒のサングラスをかけている五条悟は、すぐ背後に立っている若い女にそう質問した。

 

羂索(けんじゃく)という呪詛師がおる! 脳を入れ替えて他人の身体を乗っ取るという気色の悪い術式を持っておって、それを使って平安の世から生きておる妾みたいなやつじゃ! しかも過去乗っ取った身体の元の持ち主が所持しとった術式を全て使える連続窃盗犯じゃ!それで、それでの! 禪院家の忌庫に保管されておった禪院甚爾の遺体が強奪されたのじゃ! それで案の定これじゃ!!」

 

 五条悟はギュッと眉間にシワを寄せて、隣まで来たその女性をじっとりと睨む。

 

「僕は天元様に訊いたんだけどー? てかお前いい加減のじゃのじゃ言うの卒業しろよ天内(あまない)

「お主こそ『僕』は止めたほうがいいと思う! なんか気色悪いのじゃ!」

 その時、五条悟とやたら親しげなその女性のうなじに人の口が現れ、それが勝手に喋り始めた。

 

「その羂索は昭和の中頃に手に入れた呪霊操術と、天保年間に入手した『人の脳を弄る術式』を用いて何やら企んでいたが、おそらくは私がこの天内理子と無事に同化できてしまったせいだろうね。あいつは毎度これを阻止しようとしてくるんだけどね。それで、恐らくは延期すべきだった何らかを、予行練習のつもりなのかヤケを起こしたのか、羂索は無理矢理に始めた。生得術式を持っていたが脳が呪術師の仕様ではなかった者達が呪術師として覚醒し、過去の術師が受肉した。しかし当の羂索は、何を考えたのか単なる好奇心か、よりにもよって『天与の暴君』伏黒甚爾の死体に移ったんだ。それで案の定おもいっきり自我に不具合が起きて、あのザマだ」

 

「その羂索って呪詛師はバカなんですか?」

 灰原雄の端的な問いに、天元様(あまないりこ)が答える。

「そうじゃ! 宿儺を開放しようとするようなやつじゃ。バカに決まっておる!」

 発言を遮って自分の口で喋った天内理子に合わせてくれたのか、天内のうなじの口は黙った。

 

「で、その宿儺はどうなったんだっけ理子ちゃん?」

 

「おぬしらの話を聞く限りではそこの伏黒恵。お主に受肉したかったのじゃろう。しかし知っての通りあの高羽とかいう猥褻物が乱入して宿儺の指を奪って喰ってしもうた! それで宿儺はあの高羽とかいう猥褻物に受肉し! 高羽の意識を殺しきれず、身体も乗っ取りきれずに大反抗されておる! これは大チャンスじゃ! 今、大いに殺傷能力の弱った宿儺が、羂索の脳を閉じ込めた禪院甚爾の身体に襲撃されておる! じゃから機を見て突入して、あやつら両方祓うのじゃ!!」

 

 さっき5回くらい聞いた説明を改めて聞いて、五条悟は乙骨憂太に声をかける。

 

「憂太ぁー。ここ開けてー。僕ら行ってくるよ」

 

 しかし乙骨憂太が返事をするより早く、天元様こと天内理子がまたしても大きな声を出す。

「アホか! 機を見てと言うたじゃろうが! 今はまだ羂索も宿儺も元気いっぱいじゃ! それにお主『僕』は止めるのじゃ! なんか、ゾワゾワするから!!」

 天元と同化し、1つの肉体を共同で使っているために天元様本人として扱われ、黒井美里などの極限られた数人とたまにしか話せない天内理子は、適切な声量などとうに忘れていた。

 

「五条先生、もう行くんですか? 天元様の言う通り、もっと待ってからでも――」

「大丈夫だよ憂太。だって僕1人で行くんじゃないからね」

 

 そう言った五条悟の隣に立っているその呪術師も、背後の皆に向き直った。

「悟の言う通りさ。皆はこのまま身体を休めてて。私たちなら大丈夫だから。だって――」

 

「俺たち最強だから!!」

「私たちは最強だからね」

 

 今まで何度も聞いたその言葉に勇気を貰っている高専関係者の中にあって、ただひとりだけが吹き出すように笑い声を漏らした。

 

「なんだよ硝子! そこは『無事に帰ってきてね悟きゅん!』とか『死なないでねスグるん!』とか言って俺らに抱きつくとこだろー?」

「マジでいつまでもガキだな、お前ら」

 学生時代からの古い付き合いの2人を死地に送り出すというのに、家入硝子は笑っている。

 

「行ってこい、クズ共。帰って皆で黒井さんと津美紀の作ってくれたご飯食べるんだからな」

 

 家入硝子に送り出されて、現代最強の2人の特級呪術師、夏油傑と五条悟は、肩を並べて決戦の地へと飛び降りていった。

 そして束の間、どんどん近づいてくる地上までの落下の最中、親友2名は短く言葉を交わす。

 

「やるよ、悟」

「やるぞ、傑」

 

 万が一あの2人が負けたらどうしようと心配しているのは、家入硝子だけだった。高専関係者たちを始めとする他の呪術師たちは皆、あの2人なら大丈夫だと安心しきって休んでいた。

 

 そして羂索と宿儺が討ち祓われたこの決戦は、呪術界の歴史に永く刻まれたのだった。

 

 




 
【この話における羂索】
 好奇心に勝てなかった。腹から下と左の胸と肩と腕が無かった甚爾の身体を降霊術とか反転術式とか色々使ってどうにか無傷の状態まで治したが、それがいけなかった。

【この話における宿儺】
 高羽史彦に呑まれた。自分の口から「ガビーーーン!!!」ってリアクションが出たことを現実だと受け入れられないまま祓われて消滅した。

【この話における高羽史彦】
 羂索の「天保年間に入手した術式」で脳を弄られて術師になった内のひとり。
 宿儺&羂索討伐におけるMVP。なんてったって宿儺に右半身の支配権しか渡さなかった。

【この話における黒井美里】
 呪術高専京都校で寮母さんをしている。みんな黒井さんの作るご飯が大好き。
 つい最近、天内理子with天元様と再会して以来、週1で会うようになった。2人が皆に内緒で会う日は夏油と五条が丸1日つきっきりで護衛している。

【この話における天内理子】
 天元様を相手にギャン泣きしてジタバタ転げ回って大抗議した結果、向こう80年は自我の同化を先延ばしにしてもらえた。それからは天内理子の身体を天内理子と天元様の魂が共有している。
 天元様が「こっそりお出かけする時用の結界」を開発&調節するのに時間がかかり、黒井と再会できたのはつい最近。
 どうにかして恋人とやらを作ってみたいと思っているがそもそも出会いが無い。

【この話における伏黒津美紀】
 羂索の計画に大幅な狂いが出た関係でたまたま呪物を取り込まされなかった。ゆえに元気。
 高専の寮から補助監督の送迎で大学まで卒業し、現在は呪術高専東京校で寮母さんをしている。
 みんな津美紀ねえちゃんのお説教だけは恐れる。

【この話における五条悟 & 夏油傑 & 家入硝子】
 3人揃うと学生時代のノリが復活するが、よく3人揃う。家入硝子の目にクマは無い。家入さんって夏油先生と五条先生と一緒だとよく笑うよね、と評判。夏油が習得した「うずまき」の応用で反転術式をバラ撒く術は使い所を弁えないと貯蓄している呪霊をとんでもない速度で消費するので、味方と自分の治療以外で使うことは稀。なにせ反転術式で祓っちゃうと取り込めないからね。
 五条は夏油と家入と会話するときだけ一人称が「俺」。

【この話における美々子と菜々子と吉野順平】
 呪術高専東京校の生徒。美々子と菜々子は補助監督に送迎されて高専から小学校と中学校に通学していたので、学校のみんなからはとんでもねー大金持ちの家のお嬢様だと思われていた。
 順平は努力の甲斐あってわりと筋肉がついてきた。

【この話における秤金次&星綺羅羅】
 担任の灰原先生(上層部に謝罪)と寮母の津美紀ねえちゃん(秤と星にお説教)のお蔭で停学を免れた。なので灰原先生と津美紀ねえちゃんには逆らえない。逆らわない。

【この話における直哉、直毘人、真依、夜蛾正道、七海建人、灰原雄などなど】
 元気に生きてる。与幸吉は「今度こそ三輪をデートに誘おう」と毎日考えている。直哉は直毘人から領域展開を習い始めたが、いまのところ習得できる気配は無い。

 七海建人が始めて黒閃したのが必死で灰原を守ろうとした時だったら無常で良いなって思っています。

 ところで、そこにどういう風景が投影されるかはともかく、名前は自分で好きに決めてもいいんじゃないんだろうか領域展開って。本人がそう決定したんなら「わくわくざるそば王国」とかでも良いんじゃないんだろうか。それとも領域展開使えるようになった瞬間に天啓みたいに「自分の領域の名前は〇〇〇〇だ……!」っていきなり「理解」するんだろうか。

 気が済んだのでハリポタの二次創作に戻ります。


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