強引に押しかけてきた彼を、赤木は受け入れた。
ある意味で、全てのきっかけとなったその老人、南郷を。
その部屋の、重苦しい空気。
空気が悪く、誰も彼もが押し黙る様な状態を、「お通夜の様」と例える事がある。
今この部屋に漂う空気はまさしくそのようなもの。
勿論、誰も死んではいない。
否、厳密にいえば違う。
死ぬのだ。これから。
闇に舞い降りた天才、神域の男。そんな異名で呼ばれた、『赤木しげる』が。
早発性アルツハイマー。
発症から3年そこそこで死か廃人になるこの病に罹って。
否、これもまた、厳密には違う。
赤木しげるは、自らがもはや生き永らえぬと理解して、本当にわけが分からなくなる前に、自害する。
最後に、諸々を差配した和尚の金光を含む、『9人』。それぞれと10分かそこら対談してから。
まさにお通夜、まさに告別式。
あまりの異常事態に、ひろゆきは混乱し、金光に詰め寄ったりもしたが、結局当の本人は離れでくつろいでいるのだから、どうにもならない。
しかしここで、1つの妙な事に気付く。
「……9人?」
ひろゆきはその数字に違和感を覚えて、部屋の中を見回す。
確かに9人いる。東西戦の面々に加えて1人、全く見覚えのない老爺が。
「え……?」
ざわ……とひろゆきの背筋を悪寒が走る。
明らかに、アカギよりも年上。今日の通夜はこの男のもの、と言われれば納得するような老人。
その風体からは老人の弱々しさは勿論感じられるが、それでも大柄なその肉体には、今のアカギに無い命の輝きの様なものが確かに息づいていた。
「誰なんですか、アレは……?」
「ん、あぁ……」
金光も少々言葉を濁す。
というのも。
「いや、わしにもよくわからんのよ」
「え?」
「今日、この部屋に集めるように言われてたのは8人だった。つまり、東西戦のメンツだ。そこに強引に乗り込んできたジジイでな。ボケてるのかと思ったら、どうもそういう感じでも無い。勤めてた会社は中小で、退職した時の役職も課長程度。どう考えても、『赤木しげる』との縁者とは思えねえ……一応、赤木に聞いてみたら、『入れてやれ』ってんで、今そこにいるんだが……」
その老爺は、すっと立ち上がって、言った。
「俺から、行かせてもらう」
言葉は少なく、しかし有無を言わせぬ力強さがあった。
何分ことが急だったので、最初は金光が行くつもりだったのだが、これで他の者の猶予が伸びると思えば、この妙な闖入者も歓迎だ。
老人は廊下に出て、離れに進む。
扉を開けると、それを誰何する赤木の視線が向けられる。
「あらら」
「アカギ……」
「どうしたの。南郷さん」
◆◇◆◇
その老爺の名は、南郷。
ただの凡人として生きて、ただのサラリーマンとして退職して、ただの老人として余生を過ごす、ただの男。
何の面白みもない、言ってしまえば、赤木しげるに似つかわしくない凡人だったが、それでも赤木は愉快そうに笑う。
「ククク……」
「どうした? アカギ」
「いや……真逆だと思ってさ」
「真逆……?」
「ああ。初めて会った時と真逆だ」
そう言われて、南郷は昔に思いを馳せる。
その頃の南郷はギャンブルにハマっていて、借金塗れだった。いよいよ払いきれなくなった借金の棒引きを賭けた麻雀に挑み、あわや敗北というところまで行っていた。
もし負ければ、生命保険の保険金で借金を支払うことになる。
そんな勝負の舞台となっていた雀荘に転がり込んできた少年こそ、目の前のアカギだった。
外は大雨で、シャツは砂まみれ。面倒ごとの気配を察した黒服が追い払おうとしたところを、適当こいて雀荘に引き留めたのが南郷だった。
「ああ……今や俺が強引に転がり込んで、お前が引き入れてくれたんだからな……ふ、確かに真逆だ」
「ククク……初めて会った時の真逆の事を、死別の間際にやってやがる……俺の運命ってのは、つくづく皮肉屋だ」
ひとしきり静かに笑った後、南郷が問う。
「アカギ……その、思ったより、元気そうだな?」
「え? おいおい、ちゃんと見てくれよ。こんな血の気の無い人間のどこか元気だってのさ」
「いや、そうじゃなくて……アルツハイマーって聞いてたから、そんな昔の事忘れちまってるって、てっきり……」
「ああ……どうも、この手のボケってやつは、ずっと昔の事は鮮明に覚えてるものらしい」
「じゃあ、最近は……」
その新たな問いに、赤木は何も答えなかった。
それだけで、南郷が全てを察するには十分だった。
「アカギ……俺は……お前が市川と戦った後、さ。嫁が出来たんだ」
しばらくの沈黙が続いた後、南郷、突然の独白。
赤木はそれを、あくまでも穏やかに聞いていた。
「これでまた、すぐガキが出来てさ。これが生意気でよ、言う事なんて聞きゃあしねえ。けど、立派に育って、そのガキが更にまたガキこさえて、俺は立派なお爺ちゃんよ。あんな生意気がガキがって感慨深かったけど、まあ、お前に比べれば可愛いもんだった」
南郷が語るのは、ただただ平凡で、ありきたりで、幸福な人生。
しかしそれを語る南郷の顔は笑っているようで、同時に涙を浮かべてもいた。
「で、その孫がこれまた無邪気に甘えてきてさ。ついつい小遣いを渡しちまうもんだから、息子にぐちぐち言われて……それで、それで……」
そこで南郷は、限界を迎えたかのようにボロボロと涙を零す。
「俺ぁ……俺ぁ、あの時、お前の事を、『この世界』に引きずり込んじまった。俺がお前に託すなんて、そんな事しなけりゃ、お前、お前は……」
「よせよっ!」
「うっ……!」
赤木はちびりと酒を口にして、少し言葉を選んでから言う。
「南郷さん、俺はあの時、嬉しかったんだぜ?」
「え?」
「そりゃあ、何かしら思惑はあったんだろうけど……それでも、あの時適当言って雀荘に入れてくれた。それだけといえばそれだけだけど……それだけで十分だった」
「アカギ……」
「別に俺は、何かきっかけがあってこう『なった』訳じゃない。産まれた時からこう『だった』んだ。南郷さんがいなくたって、遅かれ早かれさ……」
「そりゃ、そうかもしれねえが……」
「俺は偏ってる。自分が、なんて言うか、一般的じゃない自覚ぐらいある。でもさ、そんな俺だって、親切にされたら嬉しいし、恩を感じたら報いたくなる」
「アカギ……」
「だからさ、南郷さん」
少し躊躇った後、赤木は言う。
「ありがとうよ。あの時、俺を『この世界』に引きずり込んでくれて」
「ぐっ……!」
それは南郷にとって、間違いなく赦しの言葉だった。
唯一残った肩の荷を、ようやく下ろせたような気がした。
しばらく涙を流していた南郷は、すっと立ちあがって離れを出る。
「あれ? 言わないのかい? なんで死ぬんだ、生きてみろ……みたいなことをさ」
「何言ってやがる。死ぬ前の身辺整理なんざ、お前より俺の方がよっぽど切羽詰まってるんだ。そんなジジイが、ちょっと年下のジジイに死ぬななんざ言えるかっ」
「ククク……」
考えてみれば、出会った時の赤木は13歳。その時点で南郷は三十路も超えただろうという風体だった。
そのまま年齢差をスライドさせると、今の南郷は70そこそこ。
平成11年の70歳といったら、これはもう老い先短いどころの騒ぎではない。棺桶に片足を突っ込んでるような年齢だ。
だとしても、老人から順番に死ぬもんだ、俺が死ぬまで死ぬんじゃねえ、などと言えはする。
しかしそれでも、多少無理があるとしても引き留めたりしなかったのは、せめてもの意地、或いは報恩だったのかもしれない。
「
「ああ、
◆◇◆◇
その後の赤木について、特筆する様なことはない。
残った8人相手に、柄にもなく説教垂れてみたり、簡単な
それでも、結局赤木は自分を曲げることをしなかった。
自分を曲げずに、あくまでも赤木しげるのまま、この世を去った。
Q:なんで南郷さんはまだ生きてるの?
A:アニメ版見てみろよ。あんな僧帽筋した奴が長生きしないわけがないだろ