どうしてこんなことになってしまったのか。
霧麟都市アスペシスの市長、アヒム・アスペシスは本日何度目かもわからぬため息をつき、頭を抱えた。
グレンダンとの交渉に向かうことさえ、アスペシスという都市には尋常でない負担であった。
まず、探査機がとらえた方向にある、グレンダンまで向かう車両がない。
放浪バスもなければ、置き去りにされた故障車両を修理する技術を持つ者もいない。
仕方なく、本来都市の脚部の修繕に使う業務用車両に、交渉役を1名、探査役の念威繰者を1名、護衛役として比較的動ける武芸者1名を無理やり詰め込み、グレンダンへと送り出した。
そして無事、グレンダンまでたどり着くことができた。
交渉も、纏まるかもしれなかった、らしい。
ただ、纏まりかけた際、グレンダン側から「グレンダンが走るルートと離れた場所にある鉱山1つでは割に合わない。もう少し、たとえば食料などあればありがたい」という要望があった。
なんでもグレンダンは数年前、循環システムの不調により食糧危機に陥ったことがあり、今も食料の配給が満足にいっているとはいいがたいとのことだった。
追加での要求があった場合、致命的になるようなものでなければ、ある程度差し出しても良いという許可も出しており、要求された食料の量も常識的な範囲で収まったため、交渉官は了承しようとした。
だが……護衛として連れて行った武芸者が口を挟んだ。
『何だ、貴様らは。こちらが下手に出れば調子づいて、鉱山では飽き足らず、食料だと? どれだけ厚かましいのだ!』
すぐさま止めに入る交渉官を無視して、続けて言ったらしい。
『武芸の本場などと呼ばれて良い気になっているようだが、貴様らなどマクギネス殿にかかればひとひねりだぞ!』
それからグレンダン側の交渉官からどれほどの武芸者なのかを尋ねられ、ルイン・マクギネスの偉業を喋り出したらしい。
1000匹の幼生体と雌性体を1人で倒したことを。
裏切者たちにやられ傷ついた同胞を守りながら、都市戦を勝ち抜いたことを。
先日も3期以上の雄性体を含む汚染獣の群れを1人で討伐したことを。
グレンダン側からの回答は、こうだ。
『おもしろい話を聞けて良かった。それほどの腕前の武芸者がいるなら、ぜひ矛を交えてみたい。明日の戦場を楽しみにしている』
終わりだ。
疲れ果てて帰ってきた交渉官からの報告を聞いたアヒムは、あまりの事態に一度失神した。
人がいなくなるということは、人材のレベルが下がるということなのだと、まざまざと実感させられる。
アヒムは、グレンダン出身のサリンバン教導傭兵団と仕事の関係で付き合いがある。
アスペシスがおかしくなってから連絡は取れていないが、それでもグレンダン出身の武芸者たちがどれほどのものなのか、見たことがあるのだ。
サリンバンの傭兵たちを見た、都市出身の武芸者は口々に言った。
『グレンダンがよく外に出したな』
彼らは決まってこう返していた。
『グレンダンには、我々程度の武芸者はゴロゴロいる』
そう口にした中の1人に、ルイン・マクギネスの養父もいた。
彼は元々サリンバン教導傭兵団出身者で、老生体の襲撃で命を落とすまでは、この都市でも指折りの強力な武芸者だった。
サリンバン教導傭兵団レベルの武芸者がごろごろいるグレンダンと、都市戦。
今度こそ、この都市は終わる。
だが……よく考えてみれば、それでいいのかもしれない。
存続させることができない状態になれば。
彼も……ルイン・マクギネスも、ついにこの都市を諦めてくれるかもしれない。
そもそもアヒムは3年前、強力な汚染獣の襲撃を受けて半壊し、人口大減少が起こった時点で、出奔することを決意していた。
もちろん、生まれ育った都市であり、アスペシスの開祖から根付いた一族の一員でもあり、子どものころから「お前がこの都市を守り、発展させていくのだ」と両親から言われながら育った都市だ。
愛着もあるし、後ろめたい気持ちもある。
しかし、都市の惨状を見れば復興は難しい。
それに加え、この都市は汚染獣のいる場所へと向かっているのかと錯覚するほど、汚染獣と遭遇するようになってしまったから。
それでもアヒムがいまだに都市に残る理由は、ルイン・マクギネスという名の悪魔によるものだ。
2年前。アヒムは度重なる汚染獣の襲撃に耐えかね、都市を出る決意をした。
家族と、わずかな護衛と共に。
都市に住む者は皆が疲弊しているため、都市の幹部の逃走に気付くものは誰もいなかった。
そのような中で逃げ出してしまう罪悪感を無視しながら、都市に別れを告げ、護衛と共に放浪バスの駅にたどり着き、設置されたベンチに腰掛けたところ、声をかけられた。
『市長はどちらへ?』
声は、放浪バスの方から聞こえてくる。
顔を向けると、なぜか都市外用装備をつけたルイン・マクギネスが、ヘルメットを脇に抱え、放浪バスの入り口前に立っていた。
今やこの都市の中心的な人物の1人である彼は、年齢にそぐわない賢さと、強さがある。
彼がいなければ、すでにこの都市は汚染獣の餌となり、荒野に果てていただろう。
都市の功労者を、子どもだからという理由で無下にすることはできない。
何より、逃走が露見してしまえば、ただでは済まされない。
アヒムはあらかじめ考えていた言い訳をする。
『いやなに、少し散歩にね。たまには市長室から出ないと』
『散歩にしては随分遠いですね。都市の中心から外縁部までとは』
明らかに疑っているルインに苦笑しながら、アヒムは続ける。
『……実は久しぶりに放浪バスが来たことを聞いてね。不甲斐ないが、都市の復興の見通しをいまだに立てることのできないここから、外に出る人たちも大勢いる。せめて、そんな人たちを見送ろうかと思ってね』
『そうでしたか』
納得した風だったので、市長は内心ガッツポーズをする、
だが、ルインは続ける、
『……市長にそこまで気にかけていただいているとは知りませんでした。市長のお気持ちは都市に住まう1人の人間として大変ありがたいのですが、どうかご心配なく。この状況の都市を、仲間を見捨てるような人はもうこの都市にいません。もしそんな不届き者を見つけたら、私が成敗しておきましょう、ははは』
まだ10歳にもならない子どもが、都市の最高権力者である、アヒムを見ていた。
まるで、ガラス玉のような目で。
(成敗されてしまうのはきっと私たちだ)
アヒムは確信する。
着用している都市外用装備は、たとえ放浪バスに乗れたとしても、追いかけることが可能であることを見せつけているのだろうか。
汚染獣の襲撃を1人でどうにかできる人間にとって、その程度は容易いことだろう。
ヨンシャ・トゥアハーデはこの子供にどのような教育をしたのだろうか。
(まるで悪魔だ)
アヒムは荒れ狂う内心を抑え、挨拶もそこそこに足早にバスターミナルを立ち去った。
その日からだ。
アヒムが、どうにかルインを都市から遠ざけ、あわよくば排除しようと躍起になり始めたのは。
通常であれば、都市の防衛を一手に担うことになった武芸者の殺害を企てるなど、ただの自殺でしかない。
実際に、そのように諫言する都市幹部もいた。
しかし、都市の最高責任者という重圧と、考えられないペースで続く汚染獣との戦いで精神を疲弊させたアヒムに、正論など通用しない。
ルインさえ排除できれば、皆がこの都市から逃げ出すことができる。
そう信じて止まない彼は手始めに、都市の疲弊と都市民の安全を理由に、これからは都市外で汚染獣を迎え打つよう、ルインに要請した。
アスペシスに残った念威繰者たちは皆、実力が低く、都市外でのサポートを満足にこなせないと聞いていたからだ。
渋るかと思ったが、ルインは不承不承ながらも受け入れた。
そのうえでアヒムは、都市に向かってくる1000匹以上の幼生体と、巣の中の雌性体を1人で倒すよう言いつけた。
探査機が拾った汚染獣らしき影を確認してくるよう、念威端子のサポートが一切届かない領域まで確認に行かせた。
逃亡を計画していた武芸者たちに少しばかりの金を握らせ、都市戦でどさくさに紛れて殺すように依頼した。
ルインは大した怪我もせず、生きて帰ってきた。
市長室に報告したときも、いつも通りだった。
『やっぱり都市外は念威繰者のサポートがないと厳しい戦いになります。今度からは彼らのうち1人を、都市外に連れて行ってもいいでしょうか?』
苦笑しながら言う彼は、先ほどまで生きるか死ぬかの戦いをしていた人間とは到底思えなかった。
ひとつ面倒な仕事を片付けた。
そんな態度だ。
恐ろしかった。
武芸者とは、都市の守護者であり、そのために命を賭す。
それが武芸者の
しかし、だれもがそのように生きられるわけではないことを、アヒムは知っている。
だというのに、ルイン・マクギネスという少年は、まるで迷惑な客に絡まれたような態度で、彼は汚染獣戦へと赴くのだ。
汚染獣を倒しても誇らしげにしたことはない。
作業のように、淡々と。
都市に接近した汚染獣を、彼は殺し続ける。
さらに恐ろしいことに、彼はアヒムの企みに気付いている。
市長室で任務完了報告を終えた彼は、わざわざ市長邸近くの公園で「訓練」をはじめ、市長邸に衝剄を放ち、挑発をしてきたことすらある。
その時は白々しく『成長中なのを忘れて加減を間違えた』などと謝罪までしてきた。
今まで見たことないほどに必死に謝る態度が、アヒムの目には演技臭く映る。
そして、アヒムは確信した。
わかった上でやっているのだ、奴は。
アヒムの謀略をすべて看破したうえで、これ以上余計なことをするなという警告を放ってきたのだ。
ちょうど自分の部屋に飛んできた衝剄に破壊された壁の穴に、胸を撃ち抜かれた自分を幻視した。
もうダメだと思った。
一生この都市に執着する化け物のような子どもを恐れながら、死に体の都市で名ばかりの市長を続けることになるのかと思った。
しかし、ここにきて、不本意ではあるが、グレンダンとの都市戦が決まった。
もちろん、都市戦での敗北はアヒムにとっても賭けだ。
都市戦で負けた都市の最高責任者は難癖をつけられた挙句殺され、財産を全てを奪われるような場合もあるが、背に腹は代えられない。
「化け物には化け物をぶつけるんだよ!」
アスペシス市長アヒム・アスペシスの心は今、都市中の誰よりもたぎっていた。