教国の剣 〜孤独と虚無の鞘〜   作:えびふぉねら

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12話 面影

 夜が明け、薄い朝焼けの光が宮殿の廊下に差し込む頃、シードは教皇の間へと足を運んだ。

 彼の表情には疲労の色が浮かび、銀灰の瞳も僅かに陰りを帯びている。

 

 

   * * *

 

 

 教皇レグナは黄金の装飾が施された王座に座し、冷たく響く声で彼を迎えた。

 

「単独で向かったようだな。苦戦したのか?」

 

 その声音には息子への労いも心配もない。ただ事務的なやり取りだ。

 

「多少手傷は負いましたが、任務に差し支えはありません」

 

 シードは短く答え、僅かに首を振る。

 

「……そうか。下がってよい」

 

 教皇の言葉に軽く頭を下げ、シードは部屋を出ようと扉に手を掛けた。

 その時、背後から教皇の鋭い声が背中を刺した。

 

「シード、お前は私の剣だ。その身が折れるまで、ただ私に振るわれる剣であればよい。それを忘れるな」

 

 冷たい声が宮殿の高い天井にこだまし、重くシードの胸を圧迫する。

 教皇の言葉は、危険を冒した彼への忠告ではなく「剣が傷ついたことへの軽蔑」のようだった。

 

 シードは一瞬だけ足を止めたが、振り返ることなく低く答えた。

 

「……御意」

 

 

   * * *

   

   

 外に出ると、アダンが待ち構えていたかのように立っていた。

 屈強な体格と橙色の瞳が、安心と警戒を同時に漂わせる。

 

「猊下、大丈夫か? 俺たちが出払ってる間にやべえ敵が現れたって聞いたが……」

 

「問題はありません。あなたの方こそ、無事で何よりです」

 

 その言葉に感情の色は感じられなかったが、アダンは嬉しそうに顔を緩めた。

 

「ああそうだ、アンタも湯に浸かってくるといいぜ。戦いの後はリフレッシュが大事だろ、坊ちゃん」

 

 軽くウインクを飛ばしながら、親指で宮殿浴場を指し示すアダン。

 シードはその無邪気さに少し戸惑いながらも、静かに頷き、自室へ向かった。

 

 

   * * *

 

 

 自室で魔術書を机の引き出しにしまい込むと、シードはアダンの言葉に従い宮殿浴場へ足を向けた。

 

 白い石畳が広がる広大な浴場には、流れる水の音だけが静謐に響き渡る。

 高い天窓から柔らかな光が差し込み、湯気がゆらゆらと空間を包み込んでいる。

 

 シードは白い湯気に目を細め、肩の力を抜くように深く息をついた。

 

 だが、その時――

 

 突如背後から何者かがゆっくりと手を伸ばしてきた。

 

 彼は反射的に飛び退き、振り向きざまに声を投げかける。

 

「誰だ――」

 

 冷ややかな声とともに視界に入ったのは、白い法衣を纏ったスキンヘッドの中年の男――ハイレンス総大司教だった。

 

 深い緑の瞳に不気味な狂気を宿しながら立っている。

 

「何の用事ですか、総大司教」

 

 シードが冷たく問うと、総大司教は口元に歪んだ笑みを浮かべながらゆっくりと歩み寄る。

 

「あの女……ファレムは魔術書を持っていたはず。それはどうされたのですかな?」

 

「……焼却処分しました」

 

 短い返答。だが、その言葉を聞いても、ハイレンスはなおも歩みを止めない。

 

「あの死霊術師もあなたが差し向けたものか」

 

 鋭く問い詰めるシードの視線を受け流し、答えようともせずハイレンスは彼を壁際に追い詰めた。

 

「あぁ、ヒューメリア……」

 

 顔を近づけ、荒い息を漏らしながら彼が呟いたのは、シードの母の名前だった。

 

「母の名を語るな――」

 

 シードが言い切るより早く、ハイレンスは彼の頬に舌を這わせた。

 

「……っ!」

 

 全身を駆け抜ける悪寒に歯を食いしばりながら、彼は総大司教を突き放そうとする。だが、ハイレンスの手が彼の腕をがっしりと掴む。

 

「ヒューメリア……美しい銀髪……あなたのその面影が……」

 

 ごつごつとした手が、シードの法衣の胸元の合わせ目をゆっくりと広げていく。

 

 狂気の呟きが彼の耳元に響く中、舌が首筋まで滑り下りた瞬間――

 

「……っ! 下がれ!」

 

 シードは膝を引き上げ、全力でハイレンスの股間を蹴り上げた。

 

「……ぉ……!!!」

 

 稲妻が駆け抜けたかのような強烈な衝撃が、ハイレンスの下半身を容赦なく貫く。

 一瞬、時間が止まり、彼の中の何かが爆ぜた。

 

 だが、それを知覚するいとまもなく、両の手で股間を押さえながら声にならない呻き声とともに崩れ落ちた。

 

 汗の玉が顔にいくつも吹き出し、冷たく滴り落ちていく。

 内臓が裏返ったかのような鈍痛の波は彼の呼吸さえ許さず、微かな喘鳴が唇を震わせていた。

 

 無様に全身を揺すりのたうつその姿は、まるで地上に打ち上げられた魚のようだった。

 

 そんな彼を蔑みの目で見下ろし、シードは冷徹に言葉を投げつける。

 

「何の真似だ、総大司教。母の姿を僕に重ねたのか?」

 

 ハイレンスは悶えながらも、苦痛と狂気の入り混じった顔をゆっくりと上げた。

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