ハイレンスは引かぬ痛みを興奮で押さえ込むようにして、よろめきながらも立ち上がった。
両の目を見開き、狂った思惑が再び鎌首をもたげる。
「そうだ……はぁっ……美しかったヒューメリアの面影を……はぁ……あなたに……感じてしまうのだ……」
ハイレンス総大司教の狂気に満ちた声が、浴場の静寂に滲むように溶けていった。
その言葉に乗る荒い吐息の一つ一つが、シードの肌を冷たく撫でていくようだった。
嫌悪感が胸を満たし、シードは一歩後ずさった。
「ヒューメリア……私は彼女を愛していた……だが、彼女は私のものにならなかった……」
ハイレンスの声は震え、熱を帯びた感情が言葉の端々に滲み出す。
暗緑の瞳には愛憎が絡み合い、言い知れぬ激情に彩られていた。
「そう……だから……『壊した』……」
その言葉を聞いた瞬間、シードの銀の瞳が微かに見開かれた。
「……!?」
病死だと聞かされていた母の死。
――それが嘘だったのか?
彼の心の中に冷たい波紋が広がる。
「そうだ、その銀の瞳! 彼女が壊れる時に見せた、あの絶望に塗りつぶされた銀色!! 私はもう一度、あの美しい瞳を見たいのだよ、猊下!!!」
ハイレンスのうわずった声音が浴場の空気を押し潰すように響き渡る。
だが、シードの瞳は冷たく細められ、まるでゴミを見るような視線をハイレンスに投げかけた。
しかし、その視線すら彼にとっては興奮の材料でしかないようだった。
「総大司教……あなたの存在は危険すぎる」
シードの低く冷徹な声が放たれる。
だが、ハイレンスは狂った笑みを貼り付け、肩を震わせながらにじり寄った。
そして再び彼の首に手を伸ばし、喉を押さえつける。
「……っ……」
締め上げられる圧迫感と悪寒に耐えながら、シードは指先に思念魔術を構築し始めた。
(ここで粛清するしかない……)
そう心で呟いた瞬間――
突如、浴場の静寂を切り裂くような怒声が轟いた。
「っらぁ!!!」
轟音とともに、逞しい身体が浴場に飛び込んでくる。
赤茶の短髪を振り乱しながら、アダンがハイレンスを突き飛ばし、白い壁に叩きつけた。
「てめぇ、ざけんじゃねえぞゴルァ!」
橙色の瞳を燃え上がらせ、アダンはハイレンスに馬乗りになり、拳を何度も振り下ろした。
バキィッ――!!
乾いた打撃音が響くたびに、血の匂いが浴場に立ち込める。
「アダン? 何をしている……やめろ」
シードは冷静な声で彼を制しようとしたが、アダンは振り返りもせず、拳を振り続けた。
「何が『死は再生の礎』だ! 猊下の母上が亡くなって、こんなクソみてぇな化け物が生まれただと!? ざけんじゃねえ! クソったれが!!!」
アダンの拳がハイレンスの顔面を叩き潰すたびに、血が勢いよく飛び散る。
彼の積年の憤怒が堰を切ったように溢れ出ているようだった。
「やめろと……言っている……」
シードは低く、それでいて鋭い声で命じる。
アダンはその声に振り返り、シードの銀の瞳を見つめた。
橙色の瞳には涙が浮かんでいる。
激しく息を切らせながらも、アダンは震える声で訴えた。
「猊下……どうしてアンタがこんな目に遭わなくちゃいけねえんだ? どうして、力も才能もある、若いアンタが……愛されるべきはずのアンタが……どうして……」
その言葉にシードは無言で応じる。
あくまで冷徹な表情のまま――しかし、瞳の奥には微かに動揺の色が見えるようだった。
アダンの拳が宙を切り、彼は亡霊のようにふらりと立ち上がった。
床に打ちつけられたハイレンスは、折れた歯の隙間から血を滴らせながら薄く笑みを浮かべていた。