教国の剣 〜孤独と虚無の鞘〜   作:えびふぉねら

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14話 損失

 処刑場に吹き抜ける湿った風が、シードの頬を冷たく撫でていく。

 その風には鉄錆の匂いが混じり、彼の記憶に幾度となく焼き付いた「死」の感覚を呼び起こしていた。

 

 目の前には絞首台があり、その上に立つ一人の男――アダン・ウィットロック。

 枢機卿団の僧兵であり、シードの忠実な部下であった男だ。

 

 叛逆罪――死刑。

 

 あの日、ハイレンス総大司教に拳を振るい、重傷を負わせたアダンには、それ以外の未来はなかった。

 

 教皇直属の司法機関である大司教団に刃を向けるということは、即ち教皇そのものへの謀反と同義だった。

 

 シードはアダンを見上げる。

 絞首台の上に立つ彼の顔は、いつものように堂々としていた――ように見える。

 

 だが、よく見れば、その橙色の瞳にはほんの僅かな震えが宿っていた。

 

「猊下……すまねぇな」

 

 アダンが口を開く。その声は掠れて弱々しかったが、それでもなお、彼特有の軽さを保っていた。

 

「アンタのこと……もう守れなくなっちまった……」

 

 シードは静かに目を閉じた。

 胸の奥で何かが疼くような感覚を覚える。だが、それを押し殺し、彼は言葉を飲み込んだ。

 

「……あとは、イリューフェのババアがなんとかしてくれるさ。あいつは俺よりバカじゃねぇからな……」

 

 アダンは薄ら笑うように言った。

 その笑顔は死を目前にしてもなお、どこか達観しているように見えた。

 

「猊下、最後に……」

 

 言葉を切り、彼はシードを見据えた。

 その瞳には、今まで見せたことのない深い感情が宿っていた。

 

「アンタとサシで勝負したかった……続きはあの世で、か……でもよ、あんまり早くこっちに来たら……ぶっとばすぜ……へへ……」

 

 ――それが彼の最後の言葉だった。

 

 絞首台から響く、命を刈り取る冷たい音。

 それは、すべてが終わったことを告げる音だった。

 

 シードはただその音を聞きながら、胸の中で何かが締め付けられるのを感じていた。

 だが、彼はそれを顔に出すことなく、ただ立ち尽くのみ。

 

(感情が彼を殺した。感情に飲まれては、僕も同じ道を辿る――)

 

 心の奥で、教皇の教えが淡々と囁く。

 感情を捨て、理性を優先しろ――それが彼に叩き込まれた絶対的な信条。

 

 

   * * *

 

 

 処刑場を後にし自室へ向かう途中、シードの耳に不快な笑い声が届いた。

 

「ククク……。猊下……あのような愚かな部下を持って、さぞお嘆きでしょう……」

 

 ――ハイレンス総大司教。

 

 包帯に巻かれた顔の傷が痛々しいはずだが、その緑の瞳は狂気と満足感で輝いている。

 

 シードは一瞥もせず、ただ歩を進める。

 

「いずれ、あなたも同じ結末を迎えることになるでしょうな……ふふふ……」

 

 ハイレンスの声が後ろから降り注ぐが、シードは振り返らなかった。

 

 

   * * *

 

 

 自室に戻った彼は、引き出しを開け、あの不気味な魔術書を取り出した。

 

 血で固められた革で装飾されたその本には、禁呪である「死霊術」の秘密が記されている。

 

 彼は、まるで幼子が初めて与えられた玩具に触れるように、その本を読み耽った。

 文字を追うたび、血のように濃い闇が彼の内側を染めていく。

 

 無心でページを捲る。彼の中の何かが徐々に冷たくなっていくのを感じる。

 だが、彼はそれを止めようとは思わなかった。

 

「これでいい。僕は間違っていない」

 

 何度もそう自分に言い聞かせる。

 

 アダンの死も、ハイレンスの狂気も、自分に押し寄せるこの昏い闇も――全て、彼にとっては通過点に過ぎない。

 

 ――自分は教皇の剣だ。感情に惑わされることなく、ただ振るわれる剣であればいい。

 

 そう繰り返し考えながら、彼は魔術書に没頭していく。

 

 知識を貪り尽くし、やがてその銀の瞳に宿ったのは、冷たい輝き――否、狂気にも似た光だった。

 

 その光は、彼の心がもはや「帰る場所」を失ったことを物語っていた。

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