教国の剣 〜孤独と虚無の鞘〜   作:えびふぉねら

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15話 昏い闇

 どこか微睡むような意識の中、シードはゆっくりと目を開けた。

 

 窓の外から差し込む夕刻の光が、彼の銀髪を柔らかく照らしている。

 穏やかな空間に、微かな埃の舞う気配だけが漂っていた。

 

 テーブルの上には開かれたままの魔術書。

 その脇に無造作に置かれた羽ペンと紙――どうやら、魔術書を読み耽るうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 

 彼は軽く肩を回しながら、立ち上がろうとした。

 だがその時、隣から小さな気配が伝わってきた。

 

「……イリューフェ?」

 

 彼女が、彼の隣でテーブルに突っ伏して静かな寝息を立てていた。

 柔らかく波打つ金髪がオレンジの陽の光を浴びて揺らめき、まるで陽炎のように美しく輝いている。

 

 シードは魔術書をそっと引き出しに戻すと、彼女を起こさないように注意深く部屋を出ようと足を運ぶ。

 

 しかし――

 

「うーん、むにゃむにゃ……ほえ、猊下?」

 

 不意に、彼女が身じろぎし、顔を上げた。

 寝ぼけ眼のイリューフェが、涙の痕がうっすらと残る顔で彼を見つめる。

 

「イリューフェ。なぜここにいるのですか」

 

 シードが問うと、彼女の表情はたちまち沈み、眉尻を下げた悲哀に満ちた瞳が彼を捉えた。

 

「……あのバカがいなくなって……寂しかろうと思って来たんじゃ」

 

 「あのバカ」――アダンのことだ。

 彼女の言葉を受け、シードは一瞬言葉を探し、冷静な声で答えた。

 

「彼は枢機卿団の優秀な戦闘員でした。戦力を失ったのは痛手ですが、すぐに代わりの者が――」

 

 パンッ――!

 

 その言葉を言い終わる前に、乾いた音が部屋に響いた。

 イリューフェの小さな手が、彼の頬を打ちつけていた。

 

「……本気でそう思っておるのか?」

 

 彼女の目には涙と怒りが滲み、声は震えている。

 しかし、シードは冷淡な表情を崩さず、打たれた頬に手を添えながら彼女を見返す。

 

「おぬしが枢機卿になってから数年間、隣でおぬしを守り続けた男がいなくなって……心の底から出てきた言葉が、それなのか!?」

 

 その叫びに、シードは僅かに目を伏せた。

 一瞬、胸に何かが刺さる感覚があったが、それすらも意識の奥底へと押し込める。

 

「枢機卿団は教皇の『剣』です。部下の損失など、日々のありふれたことに過ぎない。あなたはその度に涙するとでも言うのですか?」

 

 冷酷な言葉が、イリューフェに鋭く突き刺さる。

 彼女は何かを言い返そうとするが、喉が詰まり声が出ない。

 

「感情が、涙が……彼という『剣』を錆びつかせた。だが、彼の死は確かに僕の礎となった。それだけです」

 

 シードの瞳には一切の揺らぎがない。

 その言葉を聞いたイリューフェは、拳を握りしめながら唇を噛み、声を震わせた。

 

「シード殿……おぬしはそうやって、理性を選び続けることを正当化してるだけじゃ……本当のおぬしは……」

 

 彼女はそっと手を伸ばし、シードの冷たい手を握った。

 

 その瞬間――

 

 イリューフェの青い瞳が見開かれ、息を呑む音が聞こえた。

 

 彼女の神聖魔術の使い手としての鋭敏な感覚が、シードの内に潜む昏い闇に触れてしまったのだ。

 

「……シード殿……おぬし……」

 

 彼の虚ろな銀の瞳が彼女の視線を受け止める。

 そこには、彼女がかつて知っていた青年の面影はもはや存在しなかった。

 

 イリューフェの強張った身体が震える。

 その震えが恐怖からくるものなのか、それとも彼を救えない自分への無力感なのか――彼女自身にもわからなかった。

 

 部屋の静寂が、二人の間に深い溝を作る。

 それはかつては存在しなかった、あまりにも冷たく、深い溝だった。

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