「猊下……!」
イリューフェの悲痛な声が、激しい雨音に掻き消される。
彼女はシードのもとへ駆け寄った。濡れた金髪が頬に張り付き、彼女の青い瞳には悲哀が宿っている。
彼女が守りの力が込められたネックレスを握りしめると、僅かではあるがそれは枢機卿団の守護となった。
僧兵たちもまた、武器を構えながらシードの側に集結する。
だが、彼らの表情には明らかな恐怖が浮かんでいた。
それは敵に対してではなく、自分たちの主であるはずのシードに向けられたもののように見えた。
こちらの魔術が封じられ、さらには「雨」という、水の神アヴェルスの信者にとって圧倒的有利な状況。
劣勢は明らかであり、戦う理由すら問われかねない中。
それでも、枢機卿団の指導者は敵を見据えたまま退くことはない。
雨の中、シードは冷然と口を開く。
「この程度の罠で僕を仕留められると思うのなら、試すがいい」
銀の瞳が光を失い、冷酷な闇だけを湛えている。
彼は右手を高く掲げ、低く抑揚のない声で呪文を紡ぎ出した。
――魔法禁止区域。
その名の通り、特殊な魔方陣に囲まれたこの場においては、現代語魔術や神聖魔術といった一般的な術式は全て機能しない。
だが、シードが手にした死霊術――理を超えた禁忌は例外だった。異なる規則に従い、彼の力を顕現させた。
「霊び遍く宿怨の魂魄よ。冥約の
詠唱と共に、周囲の空気が揺らぎ始めた。
雨音に混じり、亡霊たちの低く呻く声が響き渡る。
人の姿を形どった薄白い霧のような存在が次々と姿を現し、大地を覆い尽くすように徘徊する。
亡霊たちはシードの命令に応じるかのように、敵へと襲いかかった。
その手が触れるだけで、命の灯火が刈り取られ、ハイレンスの配下たちは次々と崩れ落ちていく。
だが――
「ぐっ……猊下っ……!」
苦悶の声が背後から響いた。
枢機卿団の僧兵たちがその場に膝をつき、胸を押さえてもがき苦しんでいる。
シードの操る死霊たちが発する負の霊気が、敵味方を問わず命を蝕んでいるのだ。
「はははっ、猊下! まるであなたは死神だな!」
盆地の上から見下ろすハイレンス総大司教が、歓喜の笑い声を上げる。
彼の背後では、大司教団の神聖魔術とアヴェルスの信徒たちの水の魔術が放たれ、矢継ぎ早にシードたちを襲う。
「シード殿、やめるんじゃ! ここは退却じゃ! このまま戦えば、被害は甚大じゃ……!」
イリューフェは雨に打たれながら、シードの背中にしがみつくように叫んだ。
だが、その声は彼に届かない。
いや――届いていても、届かないふりをしているだけかもしれなかった。