シードは冷たい銀の瞳でイリューフェを一瞥する。
その視線にもはや情も温もりもなく、まるで無関心な冷酷ささえあった。
彼女が目の前で涙を流していようと、ただの道具であるかのように見下ろしている。
「あなた一人だけで逃げればいい。この状況で逃げられると思うのなら」
雨音に掻き消されそうなほど無情な言葉が、彼女の耳に突き刺さる。
四方を山に囲まれた盆地――唯一の脱出口は、ここに至るまでの道のみ。
狡猾なハイレンス総大司教が、その退路に罠を仕掛けていないはずがないことを、彼女も理解していた。
その時――
鋭く空を切る音と共に、水の刃がシードの左肩を掠めた。
黒い法衣に深紅の血がじわりと滲み、雨に濡れた布をさらに重くする。
だが、彼は顔色一つ変えず、ただ冷徹に敵を見据える。
自らの流す血すらどうでもいいかのように。
* * *
「猊下っ! 退却命令を……!」
湿った土にまみれた僧兵たちが、泥水を跳ね上げながら必死にシードへと駆け寄ろうとする。
しかし、その進路を阻むかのように――
「ウアアアアッ!」
地面から湧き上がった亡霊たちが立ち塞がった。
シードの命令に従い、敵味方の区別なく命を刈り取る霊たちが、凄惨な殺戮を繰り広げる。
「猊下っ……なぜ、なぜこんな……!」
僧兵の一人が叫ぶ間もなく、亡霊の鋭い爪が彼の胸を貫く。
絶望の表情を貼り付けたまま、彼の魂はその場で霧散し、シードの掌へと吸い込まれる。
「う……うわあああっ!」
次々と倒れていく僧兵たち。その無念を受け止める者は誰もいない。
魔術を封じられた彼らには戦う術もなく、死してなお、亡霊として主のしもべとなる。
シードの銀の瞳は、そんな彼らの末路を冷ややかに見下ろしている。
彼の冷酷さはこう語っているようだった――「死んだ者にも使い道がある」と。
「もう……やめてくれ……」
イリューフェの震える声が、荒れ狂う戦場に細く響いた。
彼女の青い瞳には涙が溢れ、その涙が雨と共に頬を伝って落ちていく。
「おぬしは、本当はこんなことをしたくないはずじゃ! アダンを……彼らを自由にしてやってくれ……!」
彼女は痛切に訴えかける。魂の叫びそのもののように。
しかし、その声がシードの耳に届いたのかどうか、彼は何も答えなかった。
ただ無言で、冷徹な目で戦場を見渡している。
渦巻く亡霊たちの中に、一際目を引く存在があった。
――アダン。
虚ろな目をした男が、かつての逞しい体躯と、両手に握られた巨大な斧を揺らしながら、敵味方関係なく薙ぎ払っている。
「ウ……ウォオオオオッッ……!!」
その咆哮は、生者の時と同じほど力強く響く。
だが、そこに宿る意志は今や彼自身のものではない。
亡霊と化したアダンは、シードの命令のままに動く、ただの操り人形だった。
その姿を見たイリューフェは、堪えきれずに嗚咽を漏らした。
「もう……もういい……おぬしの力を、誰も責めたりせん……だから、だから……やめてくれ……」
彼女の涙が雨に流され、空中に消えていく。
だが、その涙が訴える真実は、シードには何の影響も与えなかった。
彼の銀の瞳は冷たく、情の欠片も見せないまま、戦場のすべてを冷ややかに見下ろしている。
もはやそこにいるのは、感情を捨て去り、「剣」としての役目だけを生きる存在だった。
雨は止むことなく降り続ける。
盆地には血と絶叫が渦巻き、亡霊の呻きが終わりなく響き渡る。
その中心で、シードは冷たく立ち尽くしていた。