空に浮かぶ雲の隙間から、細い陽光が差し込む。
それはまるで希望の光のように大地へ降り注ぐが、目の前に広がるのは絶望の惨状だった。
雨上がりの盆地一帯は泥沼と化し、その中に転がる無数の死体が不気味な静寂を物語る。
血に染まり、動かなくなった者たち――僧兵も、異教徒も、全てが土に還ろうとしていた。
シードは泥の中で薄く銀色の瞳を開いた。
全身が鉛のように重く、鈍い痛みが響く。頭の中は霞がかったようにぼんやりとしており、虚脱感と激しい頭痛が彼を支配していた。
耳に届くのは、微かな風が草を揺らす音だけ。
生者の気配など、もうどこにもなかった。
* * *
彼は痛む身体を庇いながら、ゆっくりと上半身を起こした。
泥にまみれた法衣の感触がひどく冷たく、動きは重かった。
霞む視界の中で周囲を見渡すと、そこには一面に広がる死体の山があった。
僧兵たちの無念の顔、異教徒たちの苦痛に歪んだ顔。
それらが彼を取り囲むように、無秩序に散らばっていた。
「……」
シードは額を押さえ、記憶を辿ろうとする。
イリューフェが斃れ、アダンの亡霊に襲われた――その先の記憶は途切れている。
ハイレンス総大司教の姿も、途中から消えていた。おそらく逃げ出したのだろう。
――アダンの亡霊。
なぜ彼は最後の一歩を踏み越えなかったのか。
殺し損ねたのか、殺せなかったのか。今となっては知る由もない。
「……来りて再起せよ。万有の流転――」
魔法禁止区域を生み出していた陣が消えていることに気づいたシードは、微かな声で呪文を紡ぎ、残った魔力で癒しの魔法を発動させた。
掌から放たれる光は、いつものような力強さはなく、弱々しく震えながら彼の身体を包み込む。
だが、それだけでも彼の身体は僅かに動けるほどの力を取り戻した。
立ち上がると、彼はふらつきながらも泥の中を歩き、イリューフェの亡骸の前に膝をついた。
彼女の顔は雨に濡れ、涙かどうかも分からない光が揺らめいていた。
「……守れなかったか」
低く呟く声は、風に掻き消されそうなほど小さかった。
だが、その言葉にシード自身の中で疑問が生じる。
「守る……それを決めるのは僕ではない……」
彼は言葉を飲み込み、口を閉ざした。
その浮かぶ疑問を、父――教皇から与えられた教えで無理やり掻き消そうとする。
自分は剣だ。ただ命令に従い、振るわれる剣であればいい。
泥にまみれた両手を地面につき、彼は頭を垂れた。
自分の行動に間違いはないはずだ。
教皇の命に従い、教国のために戦った。それだけだ。
――だが、なぜ胸の奥がこれほどまでに痛むのか。
僧兵たちの絶叫、イリューフェの涙、アダンの虚ろな目――それらが脳裏に焼き付き、消えない。
「っ……」
彼は胸を掻きむしるように押さえた。
殺したはずの感情が、喉を締め付けるように暴れだす。
だが、彼はその暴走を無理やり押さえ込み、冷徹に心を閉ざした。
この惨状は、自分が作り上げたものだ。
全ては教皇の命に従い、剣としての役割を果たした結果――
「死は……再生の礎……」
掠れた声で、教国の教義を呟く。
だがその言葉はあまりにも空虚だった。
* * *
ふと、彼の銀の瞳が湖の中央に立つロスリエスの巨大な神像を捉えた。
漆黒のトカゲの形をしたその像は、雨に濡れ静かに佇み、彼を見下ろしているようだった。
その瞬間、彼の胸の奥に渦巻く昏い感情が、静かに閃光へと形を変えた。
「……」
無言のまま、彼は思念魔術を発動させた。
銀灰の瞳が冷たい輝きを放ち、次の瞬間――思念の光が一直線に神像を射抜いた。
轟音と共に、ロスリエスの神像は跡形もなく崩れ去る。
その破片が湖へと沈み、静寂が戻る中、シードはただ立ち尽くしていた。
残されたのは、彼の銀の瞳に揺れる冷たい光と、胸の中で鳴り止まない昏い痛みだけだった。