教国の剣 〜孤独と虚無の鞘〜   作:えびふぉねら

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24話 崩壊

 空に浮かぶ雲の隙間から、細い陽光が差し込む。

 それはまるで希望の光のように大地へ降り注ぐが、目の前に広がるのは絶望の惨状だった。

 

 雨上がりの盆地一帯は泥沼と化し、その中に転がる無数の死体が不気味な静寂を物語る。

 血に染まり、動かなくなった者たち――僧兵も、異教徒も、全てが土に還ろうとしていた。

 

 シードは泥の中で薄く銀色の瞳を開いた。

 全身が鉛のように重く、鈍い痛みが響く。頭の中は霞がかったようにぼんやりとしており、虚脱感と激しい頭痛が彼を支配していた。

 

 耳に届くのは、微かな風が草を揺らす音だけ。

 生者の気配など、もうどこにもなかった。

 

 

   * * *

 

 

 彼は痛む身体を庇いながら、ゆっくりと上半身を起こした。

 泥にまみれた法衣の感触がひどく冷たく、動きは重かった。

 

 霞む視界の中で周囲を見渡すと、そこには一面に広がる死体の山があった。

 

 僧兵たちの無念の顔、異教徒たちの苦痛に歪んだ顔。

 それらが彼を取り囲むように、無秩序に散らばっていた。

 

「……」

 

 シードは額を押さえ、記憶を辿ろうとする。

 

 イリューフェが斃れ、アダンの亡霊に襲われた――その先の記憶は途切れている。

 ハイレンス総大司教の姿も、途中から消えていた。おそらく逃げ出したのだろう。

 

 ――アダンの亡霊。

 

 なぜ彼は最後の一歩を踏み越えなかったのか。

 殺し損ねたのか、殺せなかったのか。今となっては知る由もない。

 

「……来りて再起せよ。万有の流転――」

 

 魔法禁止区域を生み出していた陣が消えていることに気づいたシードは、微かな声で呪文を紡ぎ、残った魔力で癒しの魔法を発動させた。

 掌から放たれる光は、いつものような力強さはなく、弱々しく震えながら彼の身体を包み込む。

 

 だが、それだけでも彼の身体は僅かに動けるほどの力を取り戻した。

 

 立ち上がると、彼はふらつきながらも泥の中を歩き、イリューフェの亡骸の前に膝をついた。

 彼女の顔は雨に濡れ、涙かどうかも分からない光が揺らめいていた。

 

「……守れなかったか」

 

 低く呟く声は、風に掻き消されそうなほど小さかった。

 だが、その言葉にシード自身の中で疑問が生じる。

 

「守る……それを決めるのは僕ではない……」

 

 彼は言葉を飲み込み、口を閉ざした。

 

 その浮かぶ疑問を、父――教皇から与えられた教えで無理やり掻き消そうとする。

 自分は剣だ。ただ命令に従い、振るわれる剣であればいい。

 

 泥にまみれた両手を地面につき、彼は頭を垂れた。

 自分の行動に間違いはないはずだ。

 教皇の命に従い、教国のために戦った。それだけだ。

 

 ――だが、なぜ胸の奥がこれほどまでに痛むのか。

 僧兵たちの絶叫、イリューフェの涙、アダンの虚ろな目――それらが脳裏に焼き付き、消えない。

 

「っ……」

 

 彼は胸を掻きむしるように押さえた。

 殺したはずの感情が、喉を締め付けるように暴れだす。

 だが、彼はその暴走を無理やり押さえ込み、冷徹に心を閉ざした。

 

 この惨状は、自分が作り上げたものだ。

 全ては教皇の命に従い、剣としての役割を果たした結果――

 

「死は……再生の礎……」

 

 掠れた声で、教国の教義を呟く。

 だがその言葉はあまりにも空虚だった。

 

 

   * * *

   

   

 ふと、彼の銀の瞳が湖の中央に立つロスリエスの巨大な神像を捉えた。

 漆黒のトカゲの形をしたその像は、雨に濡れ静かに佇み、彼を見下ろしているようだった。

 

 その瞬間、彼の胸の奥に渦巻く昏い感情が、静かに閃光へと形を変えた。

 

「……」

 

 無言のまま、彼は思念魔術を発動させた。

 銀灰の瞳が冷たい輝きを放ち、次の瞬間――思念の光が一直線に神像を射抜いた。

 

 轟音と共に、ロスリエスの神像は跡形もなく崩れ去る。

 その破片が湖へと沈み、静寂が戻る中、シードはただ立ち尽くしていた。

 

 残されたのは、彼の銀の瞳に揺れる冷たい光と、胸の中で鳴り止まない昏い痛みだけだった。

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