シードはたった一人で宮殿へ帰還した。
枢機卿団の生存者は彼を除き、誰一人としていない。
黒い法衣は泥と鮮血に塗れ、その姿が戦場での過酷な戦いを雄弁に物語っていた。
教皇レグナ・アンブロゼ・クロウディートが鎮座する玉座の間は、いつも通り冷たく静謐な空間だった。
黄金の装飾が施された壁面に反射する蝋燭の灯火は、シードの銀髪を鈍く照らし、赤く濡れた法衣を一層際立たせる。
彼の足音が石床に響くたび、死者たちの呪詛のような静寂が追従してきた。
レグナはそんな息子の姿を目にしても、微塵も表情を変えない。
冷ややかな金色の瞳は、まるで無機質な宝石のようにシードを見据えていた。
「戻ったか、シード」
玉座の高みから降り注ぐ声は厳かでありながら、感情の一切を削ぎ落としたように冷たかった。
「枢機卿団を率いる者としての責務は果たしたか?」
その言葉に、シードの銀の瞳が僅かに揺らぐ。しかし、彼はその微細な揺らぎを即座に押し殺し、冷静さを装った声で答えた。
「……大司教団が謀反を起こしました。枢機卿団は壊滅。イリューフェも命を落としました」
短くも無情な報告。それに含まれる多くの死――イリューフェの最期の笑顔、アダンの咆哮、僧兵たちの無惨な絶叫。
それらが走馬灯のように頭をよぎる。だが、教皇の反応は無情そのものだった。
「些細な損失だ」
金色の瞳が僅かに細められたが、その声には軽蔑すら混じらない。
あたかも有象無象の虫が潰れたかのような無関心な響きだった。
「すぐに代わりの兵をくれてやる」
その一言に、シードの胸の奥で微かな感情が蠢いた。
怒りか、失望か、それとも悲しみか。
曖昧な、感情と呼ぶべきかわからない何かが、確実に彼の理性の壁を揺らしていた。
だが、その揺らぎを押し殺し、彼は静かに問いを重ねた。
「……大司教団の策謀を、あなたは知っていたのですか?」
ハイレンスとアヴェルスの信徒との共謀。あの時召喚された「水竜」がすでにその始まりだったと、シードは確信していた。
レグナの金色の目が鋭く光る。
そして、玉座の上から冷酷な声が紡がれた。
「知っていたとして、それがどうした?」
その瞬間、シードの心臓を冷たい手が掴むような感覚が走る。
沈黙する彼を前に、レグナはさらなる言葉を畳みかけた。
「大司教団の行動もまた、教国を守り、安定させるための一手だ。お前もそのくらい理解しているだろう」
シードは答えない。ただその言葉を静かに飲み込む。
教皇はその沈黙を肯定と解釈したのか、非情な追い打ちを放つ。
「お前の部下は情を抱きすぎていた。アダン、イリューフェ――」
嘲るような薄笑いを浮かべながら告げる。
「彼らはお前を情で揺さぶり、剣を鈍らせようとしていた。感情を持った駒など、お前には必要ない」
その言葉に、シードの拳がゆっくりと握り締められる。
だが、顔には何一つ変化を見せない。まるでその感情を封じ込めるかのように問いを放った。
「……あなたの言う『守る』とは、一体何を意味するのですか」
その問いが、教皇の理性を打ち砕いた。
レグナは玉座から立ち上がり、金色の瞳に狂気を宿す。
「すべてだ!」
彼の声が玉座の間に轟き渡る。
仰々しく両腕を広げ、まるでこの国すべてを掌握しているかのように、教皇は叫び続ける。
「教国の威光、民の信仰、他宗への制圧――! それらすべてを守るために、犠牲が出るのは当然だ! お前はそのための剣だ! 私に振るわれる剣なのだ!!」
彼の狂気染みた声は空気を震わせ、玉座の間に不吉な圧力を生み出していた。
しかし、それを浴びてもなお、シードの銀の瞳は何一つ動じなかった。
「……もういい」
静かな一言が、二人の間の重い空間へと落ちていく。
シードの身体から、触れた者すべてを凍らせるような昏い魔力が滲み出し、玉座の間を霊気で満たしていった。
金色の瞳と銀の瞳が、決して交わることのない決意と憎悪を宿して、互いを射抜いた。