教国の剣 〜孤独と虚無の鞘〜   作:えびふぉねら

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30話 滅びゆく剣

(死は再生の礎……この国の教えだ。僕の死が、彼女の礎となるのなら――それで構わない)

 

 シードは、静かにその結論を受け入れた。

 

 自らの肉体を媒介としてイリューフェが再生するのなら。

 それが自分の贖罪となるのなら――甘んじて死を受け入れる。

 

 唯一の償いであるかのように、彼は霞む意識の中でその言葉を何度も繰り返していた。

 

 目を閉じる。痛みも苦しみも、そして身体を縛りつけていた重圧すら、何もかもが遠ざかっていく。

 心は驚くほど穏やかで、もはや後悔も恐怖もなかった。ただ、すべてを託し、手放すだけだった。

 

 その瞬間、彼はようやく「教国の剣」としての役目を終えた。

 死の闇が彼を包み込み、優しく深い静寂へと引き込んでいく。

 

 だが――

 

 どこか懐かしい声が、その闇を切り裂いた。

 

「おぬしが自身の道を見失った時、それを助けてやるのが、わしらの務めじゃ」

 

 柔らかで、それでいて芯のある声。

 その言葉に続いて、逞しく熱を帯びた声が重なった。

 

「俺たちだって、アンタのことを守りたいんだよ!」

 

 その声に呼び戻されるように、シードは薄れゆく意識の中で、ゆっくりと瞼を開いた。

 

 霞む視界の中に浮かび上がったのは、老婆ではない――かつての少女、イリューフェの姿だった。

 

 彼女は微笑み、変わらない青い瞳の輝きで彼を見つめていた。

 

「イリューフェ……僕は、あなたたちを『剣』として振るい、使い捨てた。それでも……」

 

 シードの言葉は震え、途切れた。

 

 だが、イリューフェは何も言わずに首を振る。すべてを許す母のような深い愛情を込めて。

 

 彼女の手がそっとシードの胸に触れる。その瞬間、鎮まりかけていた彼の心臓が震え、新たな鼓動を刻み始めた。

 

 身体に生命が宿り、時間が再び流れ始める感覚。

 それは、生死の境を超えた奇跡のようだった。

 

「な、何だ……何が起きている!?」

 

 玉座の間に響く震えた声――レグナの困惑した叫び。

 

 彼の目の前には、霊魂の白い輝きに包まれたシードが徐に立ち上がる姿があった。

 銀の瞳は冷たく鋭い光を放ち、彼を真正面から見据えている。

 

 もはや、そこに立つのは「教国の剣」ではなかった。

 教義を捨て、自らの意志で道を切り開く、新たな剣の姿だった。

 

「おのれぇ!」

 

 怒りに駆られたレグナは、黒曜の剣を振りかざす。

 

 だが、剣がシードを包む白い輝きに触れた瞬間、それはまるで砂のように砕け散った。

 漆黒の刀身が粉々に崩れ、鋭い破片が宙を舞い、無力な音を立てて床へと散る。

 

 白い輝きの中、浮かび上がったのはアダンの姿だった。

 

 再び亡霊の姿となった彼は、黒曜の剣を屈強な拳で砕くと、シードにウインクを投げ、役目を終えたかのように霞んで消えていった。

 

「ば、バカな……! 神から賜った剣が……なぜ……!」

 

 レグナの目は驚愕に見開かれ、恐怖に震える声が玉座の間に響き渡る。

 神聖なる剣の崩壊。それは、彼の信じていた「神の絶対性」の否定そのものだった。

 

 一方、剣が砕けたことでシードの身体には魔力が戻り始める。

 彼の冷徹な銀の瞳がレグナを捉えた瞬間、教皇の威厳は完全に崩れ去った。

 

 ただの怯えた男として、その場に立ち尽くすのみだった。

 

「や、やめろ……! 近づくな……!」

 

 レグナは後ずさりしながら、震える手で祈りの言葉を紡ぎ始める。

 

「き、聞き届け給え……黒天に祀り在わす大いなる者……昏鐘と共に出づる双弓の神……」

 

 だが、その祈りも無慈悲に断ち切られる。

 

「来りて彼の者を灼き滅ぼせ。咎人(とがびと)の焼印――」

 

 シードの詠唱が低く響き、魔力から成る赤い光が玉座の間を照らした。

 

 それは炎のように渦を巻き、天井をも焼き焦がさんばかりの熱を帯びていた。

 

「な、なんだ、この魔力は……!」

 

 レグナが叫ぶ間もなく、赤い光の渦は燃え盛る灼熱の柱となって彼の頭上へと降り注いだ。

 

 それはかつて教国の建国者の一人であり、「燒き盡す者」の異名を持つ魔術師、セルアシア・アルゲンティの裁きの炎を彷彿とさせる絶対的な力だった。

 

 レグナの悲鳴は、炎の轟音に掻き消された。

 彼の姿がその灼熱の中で燃え尽きていくと同時に、玉座の間に静寂が訪れる。

 

 シードは静かにその場に佇み、銀の瞳に冷たい光を宿したまま消えゆく炎の残光を見つめていた。

 

 彼を包んでいた白い光は霞んでいき、かつて部下だった者たちの亡霊の気配は彼の中から完全に消え去っていた。

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