教国の剣 〜孤独と虚無の鞘〜   作:えびふぉねら

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34話 女神ラナスオル

 シード・セルアシア・クロウディート――彼が教国を滅ぼし、その血塗られた幕を閉じたことで、かつて教国領だった大地は静寂を取り戻したかのように見えた。

 

 水源豊かな広大な草原、美しく輝く湖。

 この地が再び「アヴェルスの信徒」の手に戻るかと思われていた。

 

 しかし――

 

 歴史は皮肉にも、血の連鎖を繰り返した。

 シードが教国を滅ぼし去ったその地を巡り、周辺諸国の勢力が争いを始めた。

 美しい大地は再び血で赤く染まり、憎悪と欲望に満ちた戦いが繰り広げられた。

 

 人々はその混乱を「教国の呪い」と呼んだ。

 だが、それは呪いなどではなく、ただ人の業が生み出した結果に過ぎなかった。

 

 

   * * *

 

 

 一方で、シード自身の名は瞬く間に広まった。

 

 彼が禁忌の力――死霊術を用いて教国を壊滅させた事実は、周辺諸国の耳に届き、恐怖と共に彼の名声をさらに高めた。

 

 そして、禁忌に手を染めた彼には莫大な賞金が懸けられ、冒険者や傭兵、さらには他国の精鋭部隊までもが彼を討つべく動き始めた。

 

 ――だが、誰一人として戻る者はいなかった。

 

 彼に挑む者は悉く命を落とし、その数は日に日に増えていった。

 彼は襲い来るすべての敵を無慈悲に葬り去り、死霊術でその魂を縛り付けた。

 彼の存在そのものが、人々の間で生ける死神のように語り継がれるようになっていった。

 

 孤独と虚無――それが禁忌の代償だった。

 

 しかし、シードはそれすらも受け入れていた。虚無の中に生きながらも、彼の銀の瞳には冷えた光が宿っていた。

 力の極致に至るまで、彼は立ち止まるつもりはなかった。ただ、己の存在を確かめるために、訪れるすべてを破壊し続けた。

 

 そして、その恐ろしいまでの冷酷さに、ラナスの人々は震え上がった。

 

 

   * * *

 

 

 数年後――

 

 草原に、かの存在の到来を告げる一陣の風が吹く。

 前触れもなく、冷たい緊張感が走る瞬間が訪れた。

 

 風の中から現れたのは、一人の若い女性。

 だが、その存在はただの「人間」のそれではなかった。

 

 神々しい光を纏い、圧倒的な威厳を放つ彼女。

 

 白く長い髪が柔らかく輝き、石膏像を思わせる滑らかな肌は人間離れした美しさを備えている。

 何よりも印象的なのは、紫色に輝く瞳――そこには、見る者を圧倒する力と覚悟が宿っていた。

 

 彼女はシードの前に降り立つと、凛とした声で名を呼んだ。

 

「君が死霊術師シードか」

 

 その声は風に乗り、静かな草原に澄んだ音として響いた。

 

 シードは視線を上げた。銀灰の瞳が彼女を捉え、その目に一瞬の驚きが走る。

 だが、それはすぐに冷静な光へと戻った。

 彼は一目で理解していた。この存在がただの敵ではないことを。

 

 彼女の美しいドレスが風に揺れる中、その口が再び動いた。

 

「私は女神ラナスオル。この世界の秩序を守る者だ」

 

 その名を聞いた瞬間、シードの脳裏に、かつての教国での記憶が蘇る。

 

 ――いつの日か、教国は女神の怒りを買い、彼女を敵に回すことになるだろう。

 

 皮肉にも今、それは現実となっていた。

 だが、女神の視線が向けられているのは教国ではなく、他でもない彼自身だった。

 

「君の存在そのものが、このラナスを蝕んでいる。私は……君を殺さねばならない」

 

 低く静かな一声。しかしその中には揺るぎない決意が込められていた。

 

 女神は両手を構える。

 その拳に宿るのは、破壊を司る右手セヴァストと、創造を司る左手フェルジア。

 圧倒的な三位一体の神の力が、シードの前に立ちはだかる。

 

 だが、彼は微動だにせず、その表情には恐怖どころか、畏敬すら浮かんでいなかった。

 

「なるほど……世界の守護者たる神が、僕を直々に粛清に来るとは。光栄ですね」

 

 その言葉には皮肉が込められていたが、同時に、彼の本心も滲んでいた。

 

 自分の力が、この世界の絶対的存在――女神ラナスオルにどこまで届き得るのか。

 

 その問いこそが、今の彼にとって唯一の興味だった。銀灰の瞳には闘志が宿り、冷徹に女神を見据えている。

 風が吹き抜ける中、二人の間には静かな緊張が漂っていた。

 

 虚無に囚われ続けていた男に、「生」を実感させる戦いの幕が開けようとしていた。

 だが、これが長い神話のはじまりとなることは、女神も、彼自身も気づいていなかった。

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