「――あの水竜は、あなたが召喚したのですか」
暗闇に溶け込むような、シードの静かな声が廊下に響く。
感情も抑揚も一切含まないその問いかけは、氷のように冷たく鋭い。
総大司教ハイレンスは薄笑いを浮かべ、自分を見据える青年を睨み返した。
深い緑色の目には、侮蔑と歪んだ好奇心が宿っている。
「さて、何のことやら」
唇を歪めながら、しらばっくれるように言い放つ。
短い一言には、明らかな嘲笑と余裕が見え隠れする。
「召喚魔術を行使できる者は限られています」
シードは動じることなく、淡々と言葉を重ねた。
疑いではない、確信が込められた声。
「……私がやった証拠でもあると?」
ハイレンスの表情に薄い焦りが交じるが、それを隠すように挑発的な口調を装った。
「水竜を殺した時、死体は光の粒子となって消えた。これは召喚物に見られる特徴的な反応です。その粒子の一部を、僕の部下が捉え、解析しています」
冷静に告げるシードの言葉に、ハイレンスの顔が僅かに引きつった。
しかしすぐにその表情は醜悪に歪み、彼は下卑た笑みを浮かべた。
「くくく……だからなんだというのだ? 貴様に私をどうにかできるとでも思っているのか? ただの教皇の駒風情が!」
冷たい憎悪と嘲笑を込めた声が、シードを嘲るように響く。
だが、彼は一切表情を変えず、ただ無言のまま立ち尽くしていた。
――その言葉は真実だったからだ。
たとえハイレンス総大司教が自分を陥れようとした証拠を掴んでいたとしても、彼を追及する権限はシードにはない。
教皇の「駒」にすぎない彼が、総大司教という大きな権力を持つ存在に刃を向けたところで、何一つ変わらないのだ。
「死は再生の礎となる」。
それが、ロスリエス教国を支える絶対の教義。
命を繋ぐために、誰かを犠牲にする。
それはこの国に生きる全ての者に適用され、彼自身もまた、その枠を超えることは許されない。
父である教皇にとって、シードがどのような目に遭おうとも、それは「些細なこと」だ。
彼が死ねば、代わりの「駒」を見つければいい――それが、この国のやり方。
シードは心の奥で苦い溜息を飲み込むと、ハイレンスに背を向けた。
何を語ろうとも無駄だ。彼には理解も共感も期待できない。
「……どこへ行くつもりだ、猊下」
背後から投げかけられたその声には、なおも嘲笑が混じっている。
まるでシードを引き止め、再び屈辱を味わわせたいという悪意さえ思わせる。
だがシードは、その言葉に耳を貸すことなく歩き続ける。
暗い廊下に響く自らの足音だけが、彼の心を空虚に満たしていた。
ハイレンスの憎悪に満ちた視線が、冷たく背中に突き刺さるのを感じるが、彼はただ歩き続けた。
胸の奥で沸き上がる昏い感情を、理性の鎖で必死に押し殺しながら――。