その日、枢機卿団に下された命令は、教皇の一言に凝縮された冷酷な現実だった。
「国境付近で異教徒が暴動を起こしている。行って、制圧せよ」
「制圧」――その言葉の意味をシードは熟知していた。
殲滅。
教国に仇なす者、信仰に背く者には老若男女を問わず等しく死を与える――それが教皇の掲げる絶対的な掟だった。
シードにとって、それは疑問を挟む余地のない当然の義務だった。今回の任務も、ただいつも通り遂行すればいい。それだけのはずだった。
しかし、彼の背後に控える部下たちの表情は違っていた。
イリューフェは唇を噛み締め、深い青の瞳がどこか翳っている。
隣のアダンは眉間に深い皺を刻み、重々しい息を漏らしながら無言で佇んでいる。
「……何か言いたいことでも?」
シードの冷徹な銀の瞳が二人を射抜くように向けられる。
だが、二人は目を伏せるように顔を見合わせ、何も言わずに頷くだけだった。
* * *
「暴れているのは十中八九、アヴェルスの信徒でしょう」
馬上で遠くを見据えながら、シードは冷静にそう断じた。
草原の向こうには薄く霧が立ち込めている。だが、その先には確かに、戦火の気配が漂っていた。
国境付近――かつてこの地は、水雲神アヴェルスを信仰する者たちが暮らしていた土地だった。
空と海を司る神アヴェルス。その姿は鯨を模した雲のような巨体を持ち、一度吠えれば半年間も雨を降らせると語り継がれている。
豊かな水源をたたえるこの地は、アヴェルスの信徒たちにとっての聖域だった。
しかし、教国の建国者たちはその聖域を侵し、彼らを血で洗い流してこの地を奪い取った。
文化を破壊され、命を奪われ、信仰すら踏みにじられた彼らにとって、教国は永遠に許されざる敵だった。
今、その怨念が再び姿を現しつつあった。
国境の番兵は既に命を落とし、アヴェルスの紋章を掲げた信徒たちが、国境を突破せんと雪崩れ込もうとしている。
「ちぃっ、あいつら!」
アダンが舌打ちと共に怒声を上げるや否や、彼はシードの命令を待たず地を蹴った。
魔力で具現化された巨大な斧を両手に構え、信徒たちへ突進する。
「また一人で突っ込みおって……」
イリューフェが小さく嘆息しながら両手を広げ、光の防護を彼の身体にまとわせる。
シードはその様子を冷ややかに見つめた。
枢機卿団で一騎当千の実力を誇るアダンならば、相手が並の信徒程度であれば問題にはならない。
アダンの斧が信徒たちの中心に叩き込まれた瞬間、戦場は血飛沫と悲鳴に支配された。
「し、死ねええ!」
怯む信徒たちが必死に詠唱し、魔法を放つ。神の加護を受けた水の魔術が、奔流となってシードを襲った。
「来たりて彼の者を
シードの短い詠唱が響き、彼の足元から迸る冷気が場を支配する。
奔流の魔術はシードを捉えることなく凍り付き、術者たちを次々と氷の彫像へと変えていった。
「逃げられるとでも思ったのですか?」
冷たい声が響く。
シードの冷徹な銀色の瞳が、次の標的を映す。
逃げ惑う幼子が、母親の手を引いて駆け出そうとしたその瞬間、氷の刃が彼らを呑み込んだ。
母親の身体は砕け、幼子の小さな瞳から光が消えていく。
凍りついたその目が、シードの視線を捉えていた。
(これでいい……)
シードは冷酷に呟くように心の中で繰り返した。
(これが正義だ。僕は間違っていない。教皇の命令に従うことが、この国の未来を守る唯一の道だ)
だが――その目に焼き付く幼子の絶望が、消え去ることはなかった。
彼の心の奥底で微かな痛みが芽生える。しかし、それを「疑問」として認めることはしなかった。
――圧倒的な枢機卿団の攻撃により、戦場はものの数分で終わった。
残されたのは、冷たく凍り付いた死の静寂だった。
彼は振り返ることなく、ただ歩を進める。
自らに問いかける言葉を胸に封じたまま。