教国の剣 〜孤独と虚無の鞘〜   作:えびふぉねら

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8話 出陣

 その日、枢機卿団に下された命令は、教皇の一言に凝縮された冷酷な現実だった。

 

「国境付近で異教徒が暴動を起こしている。行って、制圧せよ」

 

 「制圧」――その言葉の意味をシードは熟知していた。

 

 殲滅。

 

 教国に仇なす者、信仰に背く者には老若男女を問わず等しく死を与える――それが教皇の掲げる絶対的な掟だった。

 

 シードにとって、それは疑問を挟む余地のない当然の義務だった。今回の任務も、ただいつも通り遂行すればいい。それだけのはずだった。

 

 しかし、彼の背後に控える部下たちの表情は違っていた。

 イリューフェは唇を噛み締め、深い青の瞳がどこか翳っている。

 隣のアダンは眉間に深い皺を刻み、重々しい息を漏らしながら無言で佇んでいる。

 

「……何か言いたいことでも?」

 

 シードの冷徹な銀の瞳が二人を射抜くように向けられる。

 だが、二人は目を伏せるように顔を見合わせ、何も言わずに頷くだけだった。

 

 

   * * *

   

   

「暴れているのは十中八九、アヴェルスの信徒でしょう」

  

 馬上で遠くを見据えながら、シードは冷静にそう断じた。

 草原の向こうには薄く霧が立ち込めている。だが、その先には確かに、戦火の気配が漂っていた。

 

 国境付近――かつてこの地は、水雲神アヴェルスを信仰する者たちが暮らしていた土地だった。

 空と海を司る神アヴェルス。その姿は鯨を模した雲のような巨体を持ち、一度吠えれば半年間も雨を降らせると語り継がれている。

 

 豊かな水源をたたえるこの地は、アヴェルスの信徒たちにとっての聖域だった。

 しかし、教国の建国者たちはその聖域を侵し、彼らを血で洗い流してこの地を奪い取った。

 

 文化を破壊され、命を奪われ、信仰すら踏みにじられた彼らにとって、教国は永遠に許されざる敵だった。

 

 今、その怨念が再び姿を現しつつあった。

 国境の番兵は既に命を落とし、アヴェルスの紋章を掲げた信徒たちが、国境を突破せんと雪崩れ込もうとしている。

 

「ちぃっ、あいつら!」

 

 アダンが舌打ちと共に怒声を上げるや否や、彼はシードの命令を待たず地を蹴った。

 魔力で具現化された巨大な斧を両手に構え、信徒たちへ突進する。

 

「また一人で突っ込みおって……」

 

 イリューフェが小さく嘆息しながら両手を広げ、光の防護を彼の身体にまとわせる。

 

 シードはその様子を冷ややかに見つめた。

 枢機卿団で一騎当千の実力を誇るアダンならば、相手が並の信徒程度であれば問題にはならない。

 

 アダンの斧が信徒たちの中心に叩き込まれた瞬間、戦場は血飛沫と悲鳴に支配された。

 

「し、死ねええ!」

 

 怯む信徒たちが必死に詠唱し、魔法を放つ。神の加護を受けた水の魔術が、奔流となってシードを襲った。

 

「来たりて彼の者を(あざな)え――氷砡(ひょうぎょく)の栄冠」

 

 シードの短い詠唱が響き、彼の足元から迸る冷気が場を支配する。

 奔流の魔術はシードを捉えることなく凍り付き、術者たちを次々と氷の彫像へと変えていった。

 

「逃げられるとでも思ったのですか?」

 

 冷たい声が響く。

 

 シードの冷徹な銀色の瞳が、次の標的を映す。

 

 逃げ惑う幼子が、母親の手を引いて駆け出そうとしたその瞬間、氷の刃が彼らを呑み込んだ。

 

 母親の身体は砕け、幼子の小さな瞳から光が消えていく。

 凍りついたその目が、シードの視線を捉えていた。

 

(これでいい……)

 

 シードは冷酷に呟くように心の中で繰り返した。

 

(これが正義だ。僕は間違っていない。教皇の命令に従うことが、この国の未来を守る唯一の道だ)

 

 だが――その目に焼き付く幼子の絶望が、消え去ることはなかった。

 

 彼の心の奥底で微かな痛みが芽生える。しかし、それを「疑問」として認めることはしなかった。

 

 

 ――圧倒的な枢機卿団の攻撃により、戦場はものの数分で終わった。

 残されたのは、冷たく凍り付いた死の静寂だった。

 

 彼は振り返ることなく、ただ歩を進める。

 自らに問いかける言葉を胸に封じたまま。

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