教国の剣 〜孤独と虚無の鞘〜   作:えびふぉねら

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9話 欺瞞

 任務を終え、教皇への報告を済ませたシードは大聖堂へと足を運んでいた。

 荘厳な建物の中央には、死と再生を司る神ロスリエスの彫像が静かに鎮座している。

 

 昆虫のような二対の薄羽を持ち、漆黒のトカゲの姿を模したその神像は、見上げるシードを冷たく見下ろしていた。

 その鋭い眼差しは、まるで彼の魂の奥深くまでを見透かしているかのようだ。

 

 シードは像の前で足を止め、目を閉じた。

 祈るでもなく、悔やむでもなく。ただ、言葉にできない何かが胸中を巡る。

 心の奥に微かに生まれた痛み――それが何なのか、彼にはわからない。

 

 まるで小さな棘が突き刺さるような感覚に、彼は無意識に胸へ手を当てた。

 だが、指先に触れる自らの肌は、異様に冷たく感じられる。

 

(……これは何だ……?)

 

 その冷たさは単に身体のものではなく、心の奥深く、芯から凍りついているような感覚だった。

 彼はふと自らに問いかけた。だが、答えはどこにも見つからない。

 

 ――その時、背後に微かな気配を感じた。

 振り返ると、そこにはイリューフェとアダンが立っていた。

 大聖堂の高窓から差し込む月明かりが、二人の表情を照らし出している。

 その顔には、出陣前同様のどこか重苦しく曇った感情が浮かんでいた。

 

「なぜ、そんな目で僕を見るのですか」

 

 感情の欠片もない声が静寂を破り、冷たい銀色の瞳が二人を捉えた。

 

「猊下。アンタが無理してんの、俺たちが知らねぇとでも思ってんのか?」

 

 アダンが一歩前に進み出る。

 その言葉にイリューフェも腕を組みながら頷き、続けた。

 

「そうじゃそうじゃ。このこわっぱはともかく、わしの目はごまかせんぞ」

 

 彼女の声にはどこか優しく、それでいて怒りが込められていた。

 

「僕が……無理をしている?」

 

 シードは眉を僅かにひそめた。

 その言葉の意味を測りかねているのが、彼の冷たい瞳からも窺えた。

 

「アンタ、自分の心までわかんなくなっちまったのかよ!」

 

 突然、アダンがシードの肩を掴み、激しく揺さぶった。力強い手には、言いようのない怒りと悲しみが込められている。

 

「痛みを抱えたまま戦うぐらいなら……なんもかんもブチまけちまった方がマシだろ……!!」

 

 彼の声は震えていた。橙色の瞳が、銀色の瞳を射抜きながら強く訴えかける。

 

「……俺ぁな、オヤジと仲が悪かった。いつも殴り合いの喧嘩ばっかしてた。それで、何度も家を飛び出して……殺してやろうかと思ったことだってある」

 

 アダンの低い声が、静かな大聖堂に響く。

 彼の語る言葉には、懐かしさと後悔がない交ぜになっていた。

 

「けど、ある日、あいつがボロボロの姿で俺の前に現れたんだ。そりゃあもう、見るも無惨な格好でな……」

 

 彼は一度言葉を切り、唇を噛みしめた。

 

「ぶっ殺してやろうって思ったよ。俺は殴りかかった。けど逆に殴り倒されて……あいつは俺をぶん殴りながら、泣いてやがった……」

 

 どうしようもない悔しさと愛しさを滲ませながら声を震わせる。

 

「馬鹿野郎って、何度も罵りながら泣いてたんだ……その時初めて、あいつが俺を大事に思ってたってわかったんだよ……!」

 

 シードは無言で彼の話を聞いていた。

 感情を表に出すことのないその顔には、僅かに影が差しているようにも見えた。

 

「すまん……感傷的になっちまった」

 

 橙色の瞳に浮かんだ涙を隠すように、アダンは大きく息を吐く。

 そしてシードの肩から手を離し、一歩後退した。

 

「でもな、猊下……俺たちだってアンタのことを守りたいんだよ」

 

 その言葉を聞いても、シードの表情は変わらない。だが、彼の中には確かに何かが揺れ動いていた。

 短い沈黙の後、イリューフェが口火を切った。

 

「おぬしはいつも教皇聖下や国のためばかり動いておる。だが、自分がどう生きたいのかは考えたことがないじゃろう」

 

 彼女の青い瞳はまっすぐだった。

 

「僕が……どう生きたいか……」

 

 イリューフェがそっと彼の手を握りしめる。

 彼女の温かな手が、シードの冷たい指先を包み込むように触れた。

 その温もりが、彼に自らの冷たさを改めて気付かせる。

 

「僕は……」

 

 彼の口から漏れた声は微かだったが、その一歩は確かに始まっていた。

 大聖堂に差し込む月光が、彼の銀髪を淡く照らしていた。

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