任務を終え、教皇への報告を済ませたシードは大聖堂へと足を運んでいた。
荘厳な建物の中央には、死と再生を司る神ロスリエスの彫像が静かに鎮座している。
昆虫のような二対の薄羽を持ち、漆黒のトカゲの姿を模したその神像は、見上げるシードを冷たく見下ろしていた。
その鋭い眼差しは、まるで彼の魂の奥深くまでを見透かしているかのようだ。
シードは像の前で足を止め、目を閉じた。
祈るでもなく、悔やむでもなく。ただ、言葉にできない何かが胸中を巡る。
心の奥に微かに生まれた痛み――それが何なのか、彼にはわからない。
まるで小さな棘が突き刺さるような感覚に、彼は無意識に胸へ手を当てた。
だが、指先に触れる自らの肌は、異様に冷たく感じられる。
(……これは何だ……?)
その冷たさは単に身体のものではなく、心の奥深く、芯から凍りついているような感覚だった。
彼はふと自らに問いかけた。だが、答えはどこにも見つからない。
――その時、背後に微かな気配を感じた。
振り返ると、そこにはイリューフェとアダンが立っていた。
大聖堂の高窓から差し込む月明かりが、二人の表情を照らし出している。
その顔には、出陣前同様のどこか重苦しく曇った感情が浮かんでいた。
「なぜ、そんな目で僕を見るのですか」
感情の欠片もない声が静寂を破り、冷たい銀色の瞳が二人を捉えた。
「猊下。アンタが無理してんの、俺たちが知らねぇとでも思ってんのか?」
アダンが一歩前に進み出る。
その言葉にイリューフェも腕を組みながら頷き、続けた。
「そうじゃそうじゃ。このこわっぱはともかく、わしの目はごまかせんぞ」
彼女の声にはどこか優しく、それでいて怒りが込められていた。
「僕が……無理をしている?」
シードは眉を僅かにひそめた。
その言葉の意味を測りかねているのが、彼の冷たい瞳からも窺えた。
「アンタ、自分の心までわかんなくなっちまったのかよ!」
突然、アダンがシードの肩を掴み、激しく揺さぶった。力強い手には、言いようのない怒りと悲しみが込められている。
「痛みを抱えたまま戦うぐらいなら……なんもかんもブチまけちまった方がマシだろ……!!」
彼の声は震えていた。橙色の瞳が、銀色の瞳を射抜きながら強く訴えかける。
「……俺ぁな、オヤジと仲が悪かった。いつも殴り合いの喧嘩ばっかしてた。それで、何度も家を飛び出して……殺してやろうかと思ったことだってある」
アダンの低い声が、静かな大聖堂に響く。
彼の語る言葉には、懐かしさと後悔がない交ぜになっていた。
「けど、ある日、あいつがボロボロの姿で俺の前に現れたんだ。そりゃあもう、見るも無惨な格好でな……」
彼は一度言葉を切り、唇を噛みしめた。
「ぶっ殺してやろうって思ったよ。俺は殴りかかった。けど逆に殴り倒されて……あいつは俺をぶん殴りながら、泣いてやがった……」
どうしようもない悔しさと愛しさを滲ませながら声を震わせる。
「馬鹿野郎って、何度も罵りながら泣いてたんだ……その時初めて、あいつが俺を大事に思ってたってわかったんだよ……!」
シードは無言で彼の話を聞いていた。
感情を表に出すことのないその顔には、僅かに影が差しているようにも見えた。
「すまん……感傷的になっちまった」
橙色の瞳に浮かんだ涙を隠すように、アダンは大きく息を吐く。
そしてシードの肩から手を離し、一歩後退した。
「でもな、猊下……俺たちだってアンタのことを守りたいんだよ」
その言葉を聞いても、シードの表情は変わらない。だが、彼の中には確かに何かが揺れ動いていた。
短い沈黙の後、イリューフェが口火を切った。
「おぬしはいつも教皇聖下や国のためばかり動いておる。だが、自分がどう生きたいのかは考えたことがないじゃろう」
彼女の青い瞳はまっすぐだった。
「僕が……どう生きたいか……」
イリューフェがそっと彼の手を握りしめる。
彼女の温かな手が、シードの冷たい指先を包み込むように触れた。
その温もりが、彼に自らの冷たさを改めて気付かせる。
「僕は……」
彼の口から漏れた声は微かだったが、その一歩は確かに始まっていた。
大聖堂に差し込む月光が、彼の銀髪を淡く照らしていた。