さてさて、五月も終わり。
じわじわと気温が上がり、空気に湿り気が混じり始める頃。
夏が近づいていると実感できる、梅雨の季節がやってくる。
この時期はやはりというべきか、雨の日が増える。
そして今日も――例外ではなかった。
空はどんよりと曇り、雲は重く垂れ込めている。
登校途中のアスファルトには、すでに小さな水たまりがいくつも出来ていた。
そんな空模様を見上げながら、私はぼやいた。
「うげえー!今日も帰りに雨え?」
隣を歩いていた石上が、呆れたようにため息をつく。
「お前また朝の天気予報見てねえの?」
「"見てない"じゃない。"見れなかった"の!」
「登校時間ギリギリに毎回起きるからだろ……余裕持って起きろよ」
私は胸を張って反論する。
「わかってないなぁ石上は……女の子はね?朝のスキンケアから髪のセットに加えて今日の占いでラッキーカラーを確認するの。ほれみろ、天気予報を見る時間なんて無いじゃない」
「ラッキーカラー確認するついでに天気予報も見とけばいいだろ……」
「…………」
「…………確かに!」
「こいつはホントに……」
石上は額を押さえていた。
こうやってボケを挟みながら会話するのが、最近はすっかり日常になっていた。
気付けば、朝に顔を合わせればこうやって話すし
放課後もなんだかんだで一緒に帰ることが多い。
今日もきっとそうなるだろう。
私はなんとなくそう思っていた。
放課後
雨は本格的に降り始めていた。
窓ガラスに無数の水滴が叩きつけられ、外の景色を歪ませている。
一定のリズムで響く雨音が、生徒会室の静けさを際立たせていた。
室内にはわずかに湿った空気が漂っている。
そんな中、生徒会の面々は事務処理に取り掛かっていた。
なお、四宮先輩は弓道部の活動があるとのことで今日は不在である。
「今日はなんだかジメジメしてますねー……気分までどんよりしちゃいそうです……」
藤原先輩は机に頬を乗せ、ぐったりと溶けていた。
「ですねー。早く夏にならないかなあ?」
「分かりますー!あーでも、夏が来る前に期末テストが来るんですよね……」
「お小遣い減らされちゃう〜とか言ってましたもんね?」
「そうなんですよ〜……このままだとまた減らされちゃいます……」
藤原先輩は机に突っ伏したまま、ぐでーっと腕を伸ばす。
そんで次の瞬間、バンッ!と机を叩いて立ち上がった
「ということなので!恋話しましょう!」
「いやどういうわけなんです?」
藤原先輩がいきなりそういう話題を振ってくること自体にはあまり驚かない。
ただ、今回のはあまりにも脈絡が無さ過ぎてツッコまざる負えなかった
「だってー!奈緒ちゃん。最近はかぐやさんや会長と仲良さげにしてるじゃないですか!」
「私だって奈緒ちゃんと親睦深めたいですー!!」
「は、はあ‥‥‥だからって恋話と言われましても‥‥」
確かに、言われてみれば藤原先輩と何か話す事は少なかった気もする
だからこうして女子同士で親睦を深めるのに分かりやすい話題である恋話を用意してきたんだろうけど‥‥
「んー‥‥でも、特にそういった話持ってませんよ?私」
「えー?またまたぁー!私知ってるんですよ?三学年の男性からお食事に誘われたってこと!」
「ブッ!?」
思わず飲んでいた午後の紅茶を吹き出しかけた。
めちゃくちゃ油断した。
完全にキラーパスだ
いや、もはや爆弾投下である。
あまりにもわかりやすく動揺したせいで、隣に居た石上もそれを聞いて目を丸くしている
「え、マジなのか?」
「いやー‥‥‥まぁ‥‥‥そう、なんだけどね?‥‥うん」
遡ること一週間前。
放課後、校舎裏に呼び出された。
まるで絵に書いたかのような告白シーン、緊張した顔で真っ赤に染めながら、彼は言った。
『ひ、一目惚れしました!付き合ってください!』
人生初の告白、しかも三年生から。
「‥‥‥とまぁ‥こんな感じです。‥告白はもちろん断って、その後せめて食事でもってことで‥‥その場で断るのはなんかこう、気が引けるじゃないですか?だから保留って形で」
「へえええええ!」
藤原先輩の目がめちゃくちゃに分かりやすく輝きを増して行く
「どうして断っちゃったんですか!?その先輩、顔はかなりいい方だったじゃないですか!」
「えぇ‥‥いやだって、タイプじゃないし‥‥一目惚れとか言われてもよくわからないし‥」
私の言い分も分かるようで、藤原先輩は「まあ確かに」と納得したように頷く、それはそれとして勿体無いとか言い出してきた
「せめて食事だけでも行っておいたらいいんじゃないんですか?そしたら何か変わるかもしれませんよ?」
「えー?でもなんか堅苦しそうで嫌なんですよねぇ‥‥それにそんな事よりゲームしたいですし?」
「あー‥‥確かに、変にかしこまって楽しくないとかザラにありそうですよねえ‥‥」
そんな会話で盛り上がってる中、石上の方へと目をやると心底意外そうな顔をしていた。
自分が告白されてることが余程衝撃的だったのかもしれない
「意外?私が告白されてるの」
「‥‥いやまぁ、‥モテはするだろうなとは思ったが、まさか三学年にまでとは」
「んね、正直私もびっくり」
実際私もびっくりしている
前世では恋愛を放棄しながらオタクをしていたり、転生したあとも中学時代は黒歴史で塗りたくったせいでそういった経験は全くの皆無
こんな状況に会えば調子こいてしまいそうになるんだろうが‥‥‥なんだか困惑のほうが大きい
過去の出来事を振り返りながらふけっていると藤原先輩がまたもやぐいっと身を乗り出してきた
「じゃあ、奈緒ちゃんはどんな人がタイプなんですか?」
「タイプ‥‥‥タイプですか?」
「そうです!こういう人と付き合いたい!ってやつです!あ、イケメンとかは単調な奴は無しですよ?もっと具体的な奴です!」
私は腕を組み、少し考える。
好み、‥‥‥私の付き合いたいタイプ‥‥
「んー……」
「…………」
「んー…………?」
「‥‥‥え、わからない。」
心からの言葉だった。
恋愛観が無いわけじゃない。
ただ、「好きになろう」と思って好きになるものでもないと思う。
気付けば隣にいて、
気付けば一緒に笑ってて、
気付けば特別になってる。
そういうものじゃないのだろうか。
ビビッと脳に来る感じではなく、いつの間にか好きになった。とかそういう奴である
だからこそ異性の好みとはと聞かれてもなんとも言えない
それを聞いた藤原先輩は露骨にえーっ?と残念がりながらジト目で見てくる
そんな目で訴えられてもわからないものはしょうがなくないですかね。と言わんばかりに肩をすくめてみせた。
「ではこうしましょう!奈緒ちゃんの好みをしっかり分析していくことにしましょう!」
ということで藤原先輩による私の好みの異性分析大会が始まったのである
「優しい人!」
「まあ、いいんじゃないですか?」
「運動できる人!」
「別にどっちでも」
「勉強できる人!」
「どうでもいいかも?」
「顔がいい人!」
「それはまあ、良いに越したことないですね?」
分析が続く中、あまりにも好みがハッキリしない私に流石の藤原先輩も困惑を隠しきれないようだった
「じゃあ、実在する人で強いて言うならどんな人ですか?テレビに出てる人とかでも良いですよ?」
「‥‥‥実在する人‥‥」
そう言われた時私はふと、ある人物を見た。
ゲーム画面のような無表情で、椅子にもたれている男子。
彼の姿を見て、私は"何か"に気付く
「……強いて言うなら」
「石上みたいな奴?」
「‥‥‥‥‥は?」
瞬間、その場に居る者たちに沈黙が流れる
まるで時が止まったかのように誰もが固まった
「えーっ!?石上君ですか!?なんで!?」
「だって、一緒に居て気楽ですし、優しいし、面白い。割と優良物件ですよ?彼」
「いや待て待て待て!」
石上が珍しく露骨に狼狽えていた。
「なんでそこで俺が出てくんだよ……!」
「え?だって実在する人って言ったじゃん?」
「そういう問題じゃねえ!」
耳までうっすら赤くなっている。
……あ、こいつ照れてる。
そう分かった瞬間、ちょっと面白くなってきた。
「へぇ〜?」
私はニヤニヤしながら肘で小突く。
「石上くん、照れてます?」
「照れっ‥‥!?」
「耳赤いよ〜?」
「う、うるせえよ!やっぱ揶揄ってやがったな!?」
そんな私達のやり取りを見ていた藤原先輩は、ぱああっと顔を輝かせた。
そして私達に聞こえない声で小さく叫ぶ
「きましたよ会長!!青春です!!」
「え、これ青春判定なのか?」
「当たり前じゃないですか!好きな人の名前出されて照れる!これぞラブコメです!」
会長はこの時、少し考える素振りを見せながら私達のことを見ていたそうだった
(‥‥進上は少なからず石上への好意はある。
それが友人としてなのか、愛情なのか‥‥それはこちらではまだ判断出来ないだろう)
(‥‥‥‥だが、)
白銀は二人のやり取りを眺める。
楽しそうに言い合う進上、それに振り回される石上
その光景が、妙に自然だった。
藤原が言うように、そこには確かな青春の一ページが描かれていた。
(‥‥無自覚‥‥‥か。)
進上奈緒は、まだ自覚していない。
だが。
石上優という存在を、かなり特別視している。
それだけはこれまでの行動からして明らかだ。
そして何より――
石上の方も、あれだけ真正面から好意的な言葉をぶつけられて、満更でもなさそうにしている。
白銀はそっと視線を逸らした。
(俺達はあまり触れない方が良さそうだな)
下手に刺激すると、たぶん二人とも意識し始める。
今のこの距離感は、まだ“無自覚”だから成立している。
「いや〜〜〜〜!!"青春"ですね!会長!」
「‥‥‥‥まあ、そうだな。」
白銀は石上の方へと一瞬目を向け、楽しそうにしている後輩に思わず笑みを零した。
帰り道、雨はまだ降っている。
街灯に照らされた雨粒が、静かにアスファルトへ落ちていた。
私は隣を歩く石上に声をかける。
「そんじゃ、今日も傘に入れさせてもらおうかな〜」
「……全く……わざとやってんじゃねえだろうな……」
私はその言葉を否定しなかった。
正直な話、わざと忘れてきた節もある。
どうせ石上が入れてくれる、そう思っているから。
「またよくねえ噂が流れても知らねえからな……」
「むしろ好都合かも」
「は?」
「私に寄ってくる男が減るってことでしょ?」
「俺は虫除けかよ……」
「かもね」
雨音だけが静かに続く。
この時の私は、彼に対する感情をまだ理解していなかった。
同情なのか。
応援なのか。
それとも――別の何かなのか。
それを考えるのが少し怖くて、私は気付かないふりをしていた
それでも
私はこんなしょうもない約束をしてしまった
「それじゃあさ」
「卒業するまで石上に彼女が出来なかったら」
「私が立候補してあげるよ」
石上は少し黙った。
そして小さく言った。
「……その頃には出来てるだろ」
「お前に、彼氏が」
相変わらず卑屈的な彼に私は少し笑った。
「ふふ。かもね」
そう。
きっとその頃には石上に彼女は出来ている。
私ではない、別の誰かが。
次は夏休み前のエピソードかもです