※中の人ネタを含みます。
カメラを向けてくる少女は、シャッターを切るためにレンズ覗き込んだままで、ズレかけの分厚い眼鏡を直そうともしない。
後輩の女生徒──マートル・ワレンの持つカメラを向き、トム・リドルはごく薄く笑った。そうするのが一番、愛想の良すぎない、気取りすぎもしない顔に見えると彼は信じていた。だが、彼女はあまり表情などには気を使っていない。
記者という役割だからか、青褪めたような白さの彼女はカメラを持っているときは愛想がなかった。それで良いと信じているのかは定かではないが、被写体である彼には関係のないことだった。
「アナウサギ通信の記念すべき50回目の記事に選ばれるなんて光栄だな」
「こちらこそ。まさか個人的なフリーペーパーに貴方が協力してくれるとは思いませんでしたよ、リドル先輩」
「はは、個人的とはいえほとんど公式の学生新聞みたいなものだろう、
アナウサギ通信と名付けられたフリーペーパーは、彼女一人によって作られた校内新聞のひとつだ。ただの趣味にしては出来がいい、半公式の新聞。それだけに、個人の趣味や思想が強く出る。
彼女の記事は基本的に勉強の方法や個々の生徒の成功体験についての内容で、そうした内容から学生生活を豊かにするためのアプローチを取り上げる記事が多かった。あるいは、大きな失点があれば取り上げ、問題を起こした意識をなくすためのもの。読んでいて損はないが、勉学ができる生徒自体はあまり狙っていないのであろう。
しかし、学内新聞という文化のはしりであったゆえに読者は一定数を保っていた。読者の半数程度は娯楽として楽しんでいるようである。
「それでも、十分に胸は張れませんよ。課題はたくさんありましたから」
フリーペーパー自体は金にはならない。続けるには理由と、そして金が必要だった。しかし、マートルは貴族でも、魔法族の純血でもない。ただの一市民だ。
個人紙作りに興味を持つ生徒にフリーペーパースクールを開いていた。
学内ではあるもののスクールと称して参加者から金を取り、簿記やマグルの一般知識、種取りの方法を教えている。素人仕事なのに新聞の版組を教えているのはいかがかという声もあったが、今では真似をしようとするものも多い。教材は彼女の新聞らしかった。さぞ儲かっているだろうと外野は噂していた。
そうした、意外にも金になる活動だが、彼女のサークルはマグル寄りの技術を教えている。その性質上、彼女とそのシンパは自陣に取り込むには向かなかった。そして、流行になったフリーペーパーが乱立している中で、同世代のフリーペーパーのはしりとなったアナウサギ通信は最も息が長い新聞だった。
「それでは、よろしくお願いします」
握手をする手は、随分と温かかった。
▲▽▲▽
自分にできることはこれじゃないか、と、ホグワーツへの手紙を受け取ってからまず始めに、ダイアゴン横丁で真っ先に魔法のカメラを買った。
自分がどういうふうに学生生活を過ごすかなんて決まってなかったけど、とりあえず形から入ろうと思ったのだ。
カメラがあるなら校内新聞も作れるだろうと、なんとなく始めてみたことが次から次へ雪だるまがなにかのように膨らんで、いつの間にか50回もフリーペーパーを作っていた。資金なんて雀の涙、けど発行費用はそれよりは少ない。なんとかして元手を増やしながら、入るのすら面倒な寮の扉開けと成績のために必死になっていたら、4年生になっていた。
そこに至るまでに、幸運にもスラグホーン先生にも声をかけていただいたり、取材を続けられた。スラグ・クラブの活動は楽しくて、その中でも自分はかなり出来が悪いほうだったけど、色んな人と話して、その繋がりでずるずる刊行を続けてしまった。
楽しかった。学内新聞なんて、しかも1年生がうまくもないのに作ったものがそんなうまくいくわけないと思ったのに案外どうにか配りきれて、それを何回もやって、少しずつ部数が増えて、記事も増えて。
そして50回目に、スラグホーン先生の一番のお気に入りの先輩に取材することになった。
気になった。興味が出てしまった。遠い人だったから。直接話をすることなどあまりないが、その発言や振る舞いは見ていた。より深く話を聞くことができたら、もしかしたら私は自分がしたいことができるんじゃないか、生きて卒業して何かできるんじゃないかと、そう思ったのだ。
▲▽▲▽
「ここからは記録をしません。ごく、個人的な質問をさせていただきたい」
「おや、そのための取材だったのかな」
「はい、いいえ。この質問は今まで取材した全員に行っていました。個人紙の特権ですよ。でも、先輩への取材で最後です」
リドルは片眉を上げた。
「辞めるのかい」
「ええ。そう考えています」
「惜しいな」
偽らざる言葉だった。よくも悪くも、と。
「だからこそ、取材がかなえば聞きたいことがあったんですよ」
「そうか。それなら、誠実に答えないとね」
マートル・ワレンはマグル生まれだ。後輩であり、女であり、魔法界で自己を確立しようとしている。魔法族に性差はほとんどないだけに、出世や懐柔方法次第で影響力を強める材料になるかもしれない。これまでのフリースクールの影響力を踏まえると有用な魔女だった。マグル生まれでなければ、だが。
「芽吹かない種は、必要でしょうか」
ここのところ、アナウサギ通信は伸び悩んでいる。
種取りの技能を教えた結果、非公式の学内新聞は乱立し、半ば押し付けなどのトラブルも起きている。彼女を非難する声も大きくなってきていた。
彼女が持ち込んだマグルのやり方が、魔法族の子供のなかで不和を産んでいた。
「必要だ」
「なぜ」
「君はそうは思わないのかい」
「ええ」
「それはなぜ」
「手持ちの水が少ないのに芽吹かない種にまで撒けば、芽吹く種までを殺してしまう。選別しなくては良い実りは得られない」
リドルは種を、マグル生まれと捉えた。魔法族として生まれる種は、決して魔法族の親からだけ生まれるわけではない。選別する必要はあるが、それによってこぼれ落ちる実は少なくあるべきだ。
それを飲み込み、マートルの言葉を引き出す。魔法族に造詣が深く、優等生のスリザリン生として。
結局、マグル自体がいなくなってしまえば半分は済む話だ。あれらは芽吹かない種ではない。種に紛う砂粒だ。そして、他については地を耕してから考えればいい。芽吹かない種は芽吹かない種で、そのままそっくり他の種の養分になる。
生まれながらの魔法族は、マグル生まれと比較するとかなり少ない。そのうえ、時間が経ってから魔法を扱えるようになる純血もいる。それだけに、選別自体は慎重でなくてはならないが、その方法と、選別の後に「処置」ができるか否かは探らねばならない。
魔法族の一族に起こる不幸は、何百年と研究されていたとしてもまだまだ研究が不十分だ。それに、より革新的な方法さえ見つかれば、あるいは。
「そうかもしれない。けれどだ、ミス・ワレン。疑念がなくては、我々は進めない」
「確信があるのに?」
リドルはその問いに、一瞬黙した。薄い笑みが、わずかに深められる。
「では、可能性の排除は望ましいだろうか。魔法族はこれからより広がりを持つようになるだろう、そのためにはあらゆる状況に適応できる必要がある。芽吹かない種もまた必要ではないかな」
なぜなら、魔法族にとっての危険の確認に役立つだからだ。
マグルには欠陥が多いが、それゆえに危惧がある。だが、その危惧は先例によってしか生じえない。反対に、魔法族はマグルの欠陥がないうえ、死の危険を克服する手段を持ち得るが、魔法族は魔法族特有の病に耐性がひどく低い。
マグルのかからない魔法族特有の病があること、また安寧による停滞。芽吹かない種はこの2つの問題の研究に使える。
「なるほど、先輩はそのようにお考えなのですね」
「ああ。では、君はどうなんだい、ミス・ワレン」
「どう、とは」
「もし、もしもだ。多くはなくとも限られた種を有効に扱うためにできることは、決して手ずから水を与えるだけではないはずだ。そうだろう」
マートルは目を瞬かせ、そしてゆっくりと笑った。
そのとき初めて、リドルは彼女の目の奥に光を見た。険しい顔つきや、硬い表情が解けたせいかとは感じたが、本当に、いっそ日の出にカーテンを開けたのかとすら思えるほど、光ったように見えたのだ。
「そうですね」
ややあって、彼女は口を開いた。
「……芽吹かない種も、決して不要ではないでしょう。芽吹かなければ、他の養分になりますから」
彼女の声は静かなものだった。
きっと、在学生たちが生まれるほんの十年前までマグルの新聞組合での教育が上手く行っていなかったことを踏まえてのことだろう。もしかしたら、彼女の親族が種取りや文士だったのかもしれない。
よく弁えた、澄ました言葉だ。
「ただ、これはマグル生まれの魔女としての意見です。
ご用心を。たしかに、確信のみによる行為は、誤り、行き詰まる。ですが、多くの場合、疑念の先にあるのは確信です。その確信に至って、それから逃れられる人間は多くはありません」
「ご忠告痛み入るよ」
僕はそんなヘマはしない。
ワレンはただ、あいまいに笑った。
▲▽▲▽
けど、魔法の鬼才──半純血の怪物を前にして、やっと、自分が間違えていたのだと理解した。気づくのが遅すぎたのだ。
結局、私が何かをしたところで、何も変わりはしない。
それでも、それならばもう。
▲▽▲▽
その日の取材が最後のアナウサギ通信になったのを読んで、酷く残念に思ってしまった。
スラグクラブにこそ出入りしているが、彼女は以前よりも控えめになってしまった。積極性はそのままではあるが、食らいつくような必死さがどこか薄れてしまったように見え、そこにいささかの苛立ちを感じるようになった。
加えて、最後の刊行後、ワレンはそれまでと違う行動をとるようになった。
ニキビだらけだった顔面は、彼女自身が魔法薬を調合してか治療され、分厚い眼鏡はいくらか薄くなった。少なくとも、以前よりハッキリとオオフクロウのような虹彩が見える程度には。それから、よく持ち歩いていたカメラや手帳は影を潜めた。それだけで随分と印象が違った。ただ、あの時のような目の奥の光はなかった。
マートル・ワレンは、どこにでもいる生徒になった。
影響力はまだ残るが、ただ、それだけだ。それだけの、取るに足りない女子生徒の1人。
計画には何の支障もない。何も引き起こさない。
「……あ。おはようございます、リドル先輩」
庭の一角に腰を下ろしているワレンは、複数の本を傍に積み上げている。そのどれもが、最近始まったばかりの魔法界に関する研究だ。それも、大陸のマグルと魔法族との関係についての。世情から話題書となったものであり、また一部からは忌避され、嫌悪されるものでもあった。
「ああ、おはよう、ワレン。おや、君もそれを読むのか」
「ええ。この前ニワトコ新聞で取り上げられていたので」
「新生アナウサギ通信では書籍欄を作るといい。マグル生まれの理解の助けになるだろう」
ワレンは、僕の言葉に返事をせずに、積んでいた本を全て抱えて薄く笑った。
▲▽▲▽
最近は、ずっと鏡を気にしている。今までは持ち歩かなかった手鏡まで持って。
自分の顔を見て、まるで自分の顔じゃないみたいに思う。少し前までは、それよりもやりたいことがあったからと後回しにしていたのを、ちょっとずつきれいにしたからだろうか。
カメラを首にかけていない時間が長いことには、きっとすぐに慣れるのだろう。きっと、長く「どうでもよく」なる。
談話室の暖炉に当たりにきて、どうせ真夜中だからと独り占めしていたが、いい加減戻らないと明日に響く。
手鏡をポーチに戻し、髪を括り直そうとして、紐を持った手に何かがぶつかった。
そっちに気を取られた途端、今度は目元に衝撃が来て、思わずソファから崩れ落ちて尻もちをつく。遅れて鈍い痛みがやってきた。膝の皮を擦りむいたらしい。手も痛い。何かをぶつけられたらしい痛みだが、物体自体は何もない。何かが落ちる音もしなかった。
原因の正体を知ろうと、攻撃の飛んできた方を見た。
明るい茶髪の女が、意地の悪そうな顔をして目の前に立っている。ああ、この人、たしかプライベート・プレスの。
「ダッサい眼鏡! それ、薄くしたところでアンタの目はちーっちゃいまんまなの、わかんない? そんなことしたって先輩に振り向いてもらえるわけないじゃん」
「……は、」
言われたことを脳がじわじわと理解して、沸騰しそうになる。
一度もフリーペーパーなんて作ったことのない、私家版印刷所の家の出らしい奴が。どうせアナウサギ通信の一部すら読んだこともないくせに。
あ、は。
口が、勝手に笑みをつくる。
もういいや。
「ンハハハハハハハっ!」
「……は? きっしょ。何、言いたいことがあるなら言えよ」
「アンタ幸せな結婚なんてできないよ。くっだらない理由押しつけんな」
吐き捨てるだけ吐き捨てて、居心地が悪くなって談話室から逃げ出すように飛び出た。
ホグワーツに来て、初めて暴言を吐いた。この先があると思いたくてなるべく品よく過ごそうとしていたから。
自棄になって思う通りの言葉を投げたが、気分がいいのか悪いのかわからなかった。
ただ、なんだかいつもと違って、変な感じだ。
少し嫌な自分に染まってるみたいで、言わなきゃ良かったかもしれない。
けど、なんだか私が目指してるところは、本当はこれでよかったのかもしれない。あいつ自分で新聞すら作らないくせに目の敵にしやがって、腹立つ。全部勝手に都合のいいところに付け替えるんじゃねぇ、バーカ!
私はレイブンクロー生で、闘うのが怖くて、勇気なんてない。でも泣き虫ではない。けど、アタシはマートルだ。
校内新聞作って、スラグ・クラブに参加して。眼鏡は幾ら薄くしたって、ニキビを消したって。頑張ったけどだめだったみたいだ。
でも、ちょっとだけ、嫌なやつに言い返してスッキリしてる。
目元を拭うのに、眼鏡を外した。下を向いて、まぶたを擦る。
そのまま歩こうとして、足元で湿った音がし、足が止まった。
……床が水浸しだ。
あーあ、逃げられなかったんだ、やっぱり。
さいあく。
▲▽▲▽
目が。視線が、合った。
──その確信に至って、それから逃れられる人間は多くはありません。
悲鳴はなく、小さな呼吸音もたった一瞬で体もろとも石化した。
よく見知った後輩は倒れている。いずれは我々の手でこうなった。いや、どうだろう? 違う、少し早かっただけだ。
ただ、運が悪かったのだ。計画通りの人影のない夜の底に、水浸しの床で長い髪が今際の際の黒蛇のように揺らめいていた。青ざめた白が、土気色に変わっていく。
──軽く、枝を踏むような音がする。
──踏みしめる。踏みしめる。踏みしめる。
秘密の部屋への入り口から入ったのだろうか。今回も痕跡は後で消さなくては。
芽吹かない種は、目の前で沈んでいる。そうだ、もはや芽吹かないのだ、これは。養分にすらならず、ただ、水を無駄に使ったという事実だけが横たわっている。
ふと、無駄ではないという反駁はなぜだったかと首をかしげた。どう答えたか思い出そうとし、それも浪費かと感じて、やめた。
どこかで、何かが砕けたような音がした。