──以下はK-1844がO-05-k30の影響下にあった際に記した文書を要約し、当該職員による独白の形式へと校正したものである。なお、この作業を担当した情報チーム職員へはすでに記憶消去手続きを適応済み。
俺は都市の生まれじゃない。いや……そもそもこの世界の生まれですらない……はずだ。
はずだって言うのは……俺が、その世界の手がかりになるものを、何一つ持っていないから。
身体や服でさえ、この世界に訪れたときには別物になってたわけだから。
で、俺のいたところだけど、そこは外郭みたいに怪物がそこらじゅうにいたわけじゃないし、都市みたいに特異点で社会が発展していたわけでもない。ただの……平和な場所だった。
でもある日、近所の森で行方不明になったらしい友達を探していたら、突然気絶して……気づいたら外郭の変な施設にいたんだ。その時はまだ、そこが外郭だなんて知らなかったけどな。
目が覚めたときの視界には、大量の血だまりが見えた。俺は悲鳴を上げたけど、その悲鳴すら知らない声だったから、他の誰かがどこか叫んでるのかと思って、もっと恐怖を感じてた。
でも一通り叫びきった後は、逆に突然冷静になったのを覚えてる。変だよな。どういう情緒してるんだって話だ。
後から考えると、そのときから俺はなんとなく分かってたのかもしれない。
その惨状が自分の手で作ったものだったって。
今でも俺は、あの光景の原因が自分だと思ってるんだ。
妙な感覚を振りはらって、俺は血だまりの上を歩いた。とにかくその場から出ていきたかった。
ぴちゃりと音が鳴る。血だまりを踏んで、生温かい感触が足首まで浸かったから、俺ははじめて自分が裸足だってことに気づいた。寒気すら覚える不快感。でも、うずくまることすら怖くて、歩き続けるしかなかった。
息が詰まるような心地のまま、張りつめたような感覚が襲う胸をおさえて歩く俺には、目の前の角から突然得体のしれない化物が出てくるような妄想さえ現実的に思えた。
どれだけ歩いても、なじみのある光景に出会うことはできない。
割れたガラス。よく分からない色とりどりの液体が血と混ざってぶくぶくと音を立てる何かの反応。故障した機械が漏電して発した光。
押し寄せる光景を詳しく理解しようとすら思えず、ただ、のろのろと迂回する。
血の匂いに鼻が慣れていく。
見かけた設備から、なんとなくそこが古びた研究施設なのかと思ったけど……変だったのは、猛獣でも捕らえてるかのように厳重な扉と壁。
ガラス張りの収容室めいた部屋に……えっと、まあ、昔やってた好きなゲームみたいだって、場違いな感想を抱いたのを覚えている。
もちろんそれらも、すべて血まみれだった。
死体はなかったけど、それが人間の血だってことはなんとなく分かった。いつの物とも知れない、流れこんできた記憶の中で、その人たちはなにかの来訪を望んでいた。
いまでも、その場所の目的はわからない……確かなのは、誰かが『神』を望んでいたということだけ。
その願いは叶ったのだろうか。俺はなんなのだろうか。
一人も生存者と会うことなく、俺はその施設を出た。そして外を見る。そこは丘になっていて、辺りが一望できた。
だから俺は、うすうす感じていた元の世界に戻れないっていう不安が、確固たるものになるのを感じていた。
ただ延々と水平線に横たわる荒野。遠くの列車。黒い森。見たこともない景色。
立ち尽くしていた。未知と感情を処理できない頭が、ズキズキと痛む。見知らぬ場所にこれ以上いたくなかったが、来た道を戻っても既知の場所に戻ることはできない。だから、立ち尽くしてた。
視線を泳がせつづけた末、荒野の上に、ミニチュアみたいな見知らぬビル群を見つけた。それが遠くにあるのか、それとも小さいのかは分からなかったけど、人の痕跡があることが重要だった。
そこに向かって歩きはじめる。奇妙なことだけど、どんな存在とも、その道中で会うことはなかった。外郭でそんなことがあるのか。
大きく見えたビル群の周りの壁はやはり途方もないほど高く、その足元には門があった。見張りもいる。
目が合った。その瞬間、かなり遠くから、またたきをする間に、門にたどり着いてもいない俺を、彼らは拘束した。
いま思うとツヴァイやエイト協会の制服を着ていた彼らは、俺の処遇を話し合っていた。俺を都市から離れた場所へ放逐するとか、そんな話だった気がする。
元の世界では考えられない
面倒くさそうな顔をする見張りのフィクサーたちは、俺を殺そうとした。あまりにも簡単に向けられる刃に涙を流しそうになって……
どこからともかく現れたその女に俺は驚いたけど……二人のフィクサーよりはマシだったろうな。二人は畏怖の表情をして、ただ黙っていた。あそこまで恐怖してる顔も、いま思えば見たことなかったな。
彼らにとっても幸いなことに、ニヤニヤと笑うその女はフィクサーたちとただ交渉をして……最終的には、フィクサーたちから俺を買ったんだと思う。
その結果、フィクサーは俺の拘束を解き、自分の持ち場に帰っていった。だけど俺は安心できたわけではなかったな。
ジェナに限って、好意でそんなことをしたわけじゃないだろうし……なんとなく、試されてるような気がした。何を試されてるのか、それがどんな試練なのかさえ、俺には分からなかったけど。
実際、ジェナは俺に万力のような力でつかみかかって、どこかの裏路地へ転移させた。ジェナ自身は俺を置いて去っていた。
一瞬のことだったから、そりゃ呆気にとられるし……なにより、あのジェナをこの目で見たことの驚きと、目の前にある死の予感への恐怖で、しばらく動けなかった。
そう、ジェナの顔を見て、俺は驚いた。言葉も出ないくらいに。理由は説明できないけど……とにかくジェナの顔を見たのもあって、俺はここが都市って名前だってこと、どんな世界かだって、すべてわかったんだ。
……だから、都市の裏路地が、裏路地の夜が、どれだけ危険なのかもよくわかっていた。
遠く、ところどころに赤い点が光る黒い塊が見えた。黒い服のような外皮と、無数の赤い目。……掃除屋の波。
果たして、ジェナの目的は俺の確実な処分だったのか。襲いかかる裏路地の夜にただ逃げ惑う。しかし強化施術も受けてない一般人が逃げきれるはずもなかった。
押し倒され、刃を向けられる。無機質な仮面に何度も命乞いをしていた。もちろん、掃除屋はそんな言葉に聞く耳など持たない。
だけど、その声に気づいてくれる人がいた。剣閃がきらめき、掃除屋の腕に切れこみが入る。掃除屋の注意が俺から離れた。俺もその剣の持ち主を見る。
決して、身なりのきれいな人じゃなかった。裕福にはもちろん見えなかったし、戦いに慣れてそうな人でもない。それでも、間違いなく彼は俺を助けようとしてくれていた。
掃除屋の腕に食い込んだ剣が、強引に引き抜かれる。すぐに大きく剣を振りかぶる。覆いかぶさるように掃除屋の胸を斜めに突き刺した。
その剣は地面まで届いて、掃除屋はその場に縫い止められ、身動きも取れなくなったようだった。
それなのに俺は、すぐ近くに突き刺さった剣に震えて、逃げようとすらできなかった。なのに、その人は手を差し伸べてくれた。
『逃げるぞ!』
手を取る。差し伸べられた手は、俺と同じように震えていた。
掃除屋を難なく殺せるほどの実力なんてその人にはなかった。言わずともそれがわかって、俺は互いの震えを抑えるようにその手を強くにぎった。
それから、逃げて、逃げて……夜が明けたころには、俺はその人と同じ事務所のフィクサーになっていた。彼が組織員だったら同じ組織の人間になってただろうし、会社の人間だったなら同じ会社に入るために勉強していただろう。
フィクサーの仕事はたいていの事務所と同じようにホワイトなものではなかったし、なんならキツかったけど、その人と一緒ならやっていけた。もちろん彼とは特に仲良くなったし、軽口を叩ける間柄になれた。
……でも、そんな日々もすぐ終わった。事務所での仕事にも慣れてきて、初めて一人での仕事を任された日。
一体あんな等級の低い事務所が、どんな恨みを買っていたのか。戻ってきた事務所は半壊して、血があちこちに飛び散っていた。
見たくもない景色だったけど、中に入らざるを得なかった。入り口のガレキを力いっぱい持ち上げて、どかして……せめて、生き残っている人がいないか、確かめなきゃいけなかった。
どうしても、直接見るまでは信じられなかったんだろう。短い間なんとか保ってきた日常が、あまりにも簡単に壊れてしまったことを。
直接見れば、もっと傷つくことになるって、わかってただろうに。
仲良くなった同僚、だんだん認められてきた気のする代表、そして、助けてくれたあの人の姿を見て、俺は死体を掘り起こすのをやめた。
ガレキの隙間に彼の顔を見つけたときは手を差し伸べようとしたけど、彼の体にはもう、両腕なんてものは存在していなかった。
せめて形見にと、あの人の剣を探そうとした。だけどその剣も主人と同じようにいたく傷つけられたようで、粉々の破片と柄が隣に散乱しているだけだった。
──復讐をする気にはならなかった。そんな性格じゃないし、無謀だし……なにより、あの人はそんなことはしないだろう。そんなことをしたって、居場所を失ったことに変わりはない。
ただ絶望していた。
途方にくれて事務所の外に出ようとしたとき……事務所のポストから、俺宛てに来ていたらしい手紙がひらりと落ちた。
それが、ロボトミーコーポレーションからの手紙だったんだ。