視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

1 / 20
プロローグ

「我機関不調。母艦ト合流ス。後ヲ頼ム」

 真昼の熱い海に発光信号を瞬かせ、特設監視艇万寿丸は踵を返して北上していった。その背中

を遠くから眺める1人の艦娘と3人の船員妖精の眼には失望とも、怒りとも取れぬ表情が浮かび上

がる。

「あの、腐れ頭! またサボって手前だけ帰る気か! 何が機関不調だ」

 最初に我慢の限界に達したのは「エビ」こと艇長の阿部だった。特設監視艇第7光明丸の背部

艤装に設けられた船員妖精用見張り台から双眼鏡をのぞき込みつつ罵りまくった。万寿丸艇長の

赤ら顔を思い出しながら、今度舞鶴に帰ったらあのクソッ面に拳骨をお見舞いしてやる、と続け

る。その罵声を聞きながら、光明丸本人は気まずい思いをする。万寿丸本人――つまり、艦娘本

人――は取り立てて性格が悪いようには思えなかった。友人と言えるほど話し込んだことはない

が、その少ない経験によれば、掛けている眼鏡がよく似合う気弱な感じの艦娘だった。監視任務

中はしょっちゅうおどおどしていたものの、それは早く帰還したいがための手の込んだ演技では

なく、彼女自身の性格であろう。

「4回の哨戒任務で4度の機関不調か、大した船だよ。あれは」

 ため息混じりにこう言ったのは、エビの隣に立っている機関士兼通信士のツチガミ、本名土田

だ。

「その昔、臆病な兵士は馬と鞍の間に小石を挟んでわざと馬を怪我させ戦いから逃げたと言うが、

まさに生き写しじゃないかね」

 口ひげを撫でるいつもの癖と共に放たれた言葉の端々にはたっぷりと嘲笑が込められていた。

万寿丸とその船員は機関不調だとか舵が効かないとか言って、いつも1日早く任務を切り上げ1日

遅く任務に就く。最初の1度目は、誰もが万寿丸クルーの言う事を信じた。2度目になると半信半

疑。3度目には完全な疑いの目になった。そして今日、4度目の自称「機関不調」。これで疑いは

確信を通り過ぎて怒りに変わった。3度目の時点で万寿丸とその船員は爪弾きになりつつあった

のだから、今度帰ればどんな目に合うか分かった物ではない。だが自業自得だろう。

 何処でどう伝わったのか、3時間後には光明丸と万寿丸が属する第二監視艇隊の32隻の船全て

がこの勝手な撤退行を知るところとなっていた。誰もが怒り、罵り、呆れを隠さなかった。と同

時に心の何処かで、ごくわずかな、ほんの指先ほどの大きさの同情心も湧いた。誰だって死にた

くないのは同じだった。しかし万寿丸が、まさに死にたくがないために、自分以外の特設監視艇

に任務を押しつけた事を理解すると、かすかな同情心はたちまち消し飛んでしまった。

「母艦の興和丸と合流するなら交差針路は060です。万寿丸は310に進んでいる」

 この船の3番目にして最後の乗組員であるワタノキ、もとい渡貫航海士が、見張り台のすぐ下

にある船橋で海図に線を引きながら伝声管で上の二人に伝える。呆れ声がハッキリと分かった。

「方位310は本土へ一直線のルートです」

 ほとんど敵前逃亡と言っても良い万寿丸の持ち場放棄に3人はほとほと呆れを感じたが、すぐ

に頭を切り換えた。胸くその悪いことはすぐに水に流せる紳士だからではない。ここ数日強烈に

照りつける夏の太陽が、亜熱帯特有の熱い空気と混じり合って彼らから凄まじい勢いで思考力を

奪っていくためだった。

 光明丸はなおも任務を続ける。北緯24~26度、東経147度の南北に延びるライン。硫黄島から3

10海里ほど東に進んだこの「K」地点が、彼らの持ち場だった。現時点では29本存在する特設監

視艇の監視ラインのうち最南端かつ最西端に位置する「K」地点だが、これが最北端の「B」地点

だと北緯51~53度、東経163度とカムチャッカ半島の東になる。哨戒地点は暑いか寒いかのどち

らかだった。周囲360度何処を見渡しても青い空と海しか広がっていない大海原で未知の敵を待

ち続けるのは一見暇に見えるが、内心は常に焦りと苛立ちを感じるものだ。

 特設監視艇は敵を見つけ、味方に無電で知らせるのが任務だ。しかし敵――すなわち深海棲艦

――を見つけたという事は敵にも見つかるという事に他ならない。そして、漁船を改造しごく僅

かな武装を施したに過ぎない特設監視艇には、おおよそ戦闘力と呼べる物が無い。ひとたび敵艦

と交戦ともなれば勝つことはおろか生き延びることすら不可能に近かった。木造はおろか、鋼製

の船ですら艤装に敵弾が一発当たればそれでお仕舞いだった。逃げの一手を打とうにも、漁船の

最大速力などたかが知れている。足の速いクジラを追うために高速性が求められる捕鯨船がベー

スの船を入れてもなお、20ノットを上回る速力を出せる船は片手で数えられるほどだった。

 敵を見つける、それが特設監視艇の任務だ。しかし任務を達成した瞬間、特設監視艇の生命は

終わりを迎える。人間レーダー、生体ピケットと言う他無かった。元は遠洋トロール漁船の第7

光明丸がなぜこんな場所でその「生体ピケット」をしているのか?

 

 

話は遙か以前に遡る――。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。