視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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第10話

 空襲からしばらくの後、時計の針が進むにつれて雲が多くなってきた。このまま大雨にでもな

ればこちらに有利になる。低く垂れ込める雲は敵機の視界を遮るし、雨風は航空機にとって厄介

な敵となる。いっそのこと先日の低気圧の如き時化が来れば発着艦も出来ないはずだ。早く、早

く曇れ。船団の誰もが空を見上げては念じた。だが雲が来るよりも早く敵機が来た。朝潮の電探

が再び敵機を捉えたのだった。時刻は午後4時を回っている。今回の攻撃を凌ぎさえすれば夜に

なり、航空機の運用は出来なくなる。

「全船戦闘態勢を取れ! みなさん、もう一戦耐えきりましょう!」

 耐えきった所で明日の命が保証されているわけでは無い――などとはさすがのツチガミも言わ

なかった。明日のことは明日考える他無い。今はともかく目の前の敵機だ。電探を信じるのなら、

敵は約30機。前回よりは少ない、凌げるか。

 朝潮の報告を聞きながら光明丸は13ミリ機銃の弾倉を変え、47ミリ砲に砲弾を装填しておく。

少し気になり、前掛けをチラリと覗いて残弾を確認してみた。まだまだ大量の銃砲弾が残ってい

るが、この調子で使っていけばいつまで残るか心配だった。13ミリ機銃はともかく、この船団で

47ミリ砲を装備しているのは光明丸だけだ。弾を融通してもらう訳にもいかないし、サイパンま

で持てばよいのだが。

 さっきと同じく北東から飛来した敵機は50キロほど手前で進路を変え、西から回り込むように

して接近しつつあった。戦闘時間を削ってでも落ちる夕日を背にするメリットを取った安全策だ

ろう、と朝潮が皆に説明したが、大した戦力があるわけでもない特一号船団にそんな搦め手をし

てくるのが望月には可笑しかった。

「過大評価ってやつなんだよ」

「それだけ痛めつけられたってことじゃないですかぁ?」

 望月のぼやきに、吉祥丸が25ミリ機銃をいじりながら笑って返した。その吉祥丸の左前方に位

置する万寿丸は不安げな様子で空を見つめる。彼女の艇長の方がよほど不安がっていて、北東に

150海里ほどの地点にある硫黄島に逃げ込めとまで言っていたが、硫黄島には船団が入れるよう

な大きな港がないこと、戦闘機がいる訳でも対空砲がある訳でもないから港に入った所で無力で

あることを説明されると黙り込んでしまった。

 空と海が夕日に照らされ赤くなり始め、艦娘・船娘達の緊張が頂点に達した頃、敵機は襲来し

た。昼間の戦いと同じく、最初に砲撃を開始したのは朝潮と望月だった。彼女らの砲撃を皮切り

に敵機の攻撃を阻むための弾幕が形成される。砲弾が炸裂し、黒煙が空中に貼り付けられるよう

に残る。その隣を曳光弾のまばゆい光がかすめて飛んでいく。その隙間、隙間をくぐり抜けて敵

機が近づく。太陽を背にしているせいで見辛いことこの上ないが、どの道完全に狙いを付けてい

るわけではない。一発でも多くの銃弾を空中へ、とばかりに誰もが撃ちまくった。

 撃墜され、被弾しながらも敵機は急降下へ。そうはさせじと火線が集まる。ある敵機が東丸の

放った8センチ砲弾の炸裂でよろめいた。そこへ万寿丸の25ミリが飛び込み敵機を砕く。だがす

ぐに後ろから次の敵機が迫り、万寿丸の射撃を躱しつつ降下を始める。狙いを付けた輸送船近見

丸の7.7ミリ機銃弾を避けもせず降下するが、吉祥丸の25ミリ砲弾に捉えられ爆散する。しかし

半分吹き飛びながらも敵機はそのまま降下し続け、近見丸に体当たりを試みた。

 背部艤装に命中した敵機は船体の一部を船員妖精ごともぎ取りながら完全な鉄屑と化した。搭

載していた爆弾の起爆装置が作動しなかったのは全くの偶然だった。しかしさらに次の機体が彼

女へ爆弾を命中させると、スクラップになっていた敵機の爆弾までもが何かのはずみで起爆、2

発分の爆発が一度に襲い、船娘の体と艤装をボロ布のように切り裂いた。近見丸はもんどり打っ

て海面に叩き付けられた後、ズブズブと沈んでいった。

 輸送船木崎丸はさらに悲劇的な死を迎えた。至近弾で舵を損傷し身動きが取れなくなった所に、

数機がかりの機銃掃射を受けたのだ。ミシンが布に糸を縫い付けていくのと全く同じように、彼

女の艤装と体にも機銃弾が縫い付けられた。痛みで声を上げる木崎丸は機銃の引き金を引いたま

ま目茶苦茶に振り回した。しかしそのどれもが敵機に命中せず、どころかあやうく左方にいる東

丸に当たってしまう所だった。敵機は旋回して再び銃撃を繰り返す。3度目の攻撃が終わった後、

木崎丸の艤装には無数の穴が開き、船員妖精達は血まみれとなり、船娘本人は浮かんでいるだけ

の屍となっていた。東丸は背後の絶叫を聞いたが、チラリと目をやると何事もなかったかのよう

に機銃を撃ち続ける。他の艦に世話を焼ける余裕など何処にもなかった。東丸の背後から続く万

寿丸は木崎丸の最期の姿をじっと目に焼き付けると、日頃から悲壮気味な顔をいっそう悲壮にし

て続航する。彼女の目には明らかに涙が浮かんでいたが、やはり気に掛ける者はいなかった。

 近見丸と木崎丸が文字通り虐殺されている間も、船団の反対側では必死の対空戦闘が続けられ

ていた。船団の先頭を進む数隻の船へ向けて雷撃機が矢のように突き進む。それを全力で迎え撃

つ護衛船たち。例によって全ての敵機を落とすことは叶わず、それどころかほとんどの敵機は無

傷なまま魚雷を投下していった。高速・身軽が持ち味の駆逐艦である朝潮と望月、それに漁船に

しては異様に速い光明丸の3隻は増速しつつ最大舵角で易々とかわした。光丸もギリギリで魚雷

から逃げおおせた。だが、鈍重な輸送船娘は逃げ切れない。

 一本の魚雷ですら輸送船を沈めるのには十分だというのに、生野丸には2本の魚雷がほとんど

間を置かずに命中した。不運なことに生野丸はタンカー、それも航空機用ガソリンを満載したタ

ンカーだった。彼女の艤装からこぼれたガソリンに火が付き、一瞬で体が火に包まれる。こうい

う時、一般に想像される派手な爆発、映画のような大爆発はなかなか起こらない。タンクの中に

ガソリンが一切の隙間無く詰め込まれているため、燃えるのに不可欠な酸素が存在しないからだ。

しかし、それは生野丸にとって災いである。彼女は安らかな死、一瞬で終わる苦痛による死を与

えられることなく、自らの体と艤装が焼け落ちるまで続く苦しみを味わうことになる。地獄のよ

うな、と形容してよければそれはまさに地獄の苦しみだった。船員妖精達はポンプで消火を試み

るが、焼け石に水のことわざを証明するだけだった。やがて生野丸は大きく傾き、転ぶようにし

て海に倒れ込む。ガソリンが海上にまき散らされ、船員妖精は投げ出される。そして不運は重な

った。

 海上に大量に撒かれたガソリンに引火し、辺り一面を火の海にしたのだ。船員妖精達は必死に

もがき、火の手から逃れようとする。火から逃れようと海中に潜れば溺死、海上に顔を出せば焼

死。確定された死が訪れるまでの間、船員達は考えつくあらゆる行為を行った。だがそのどれも

が無意味だった。彼ら船員妖精達が、水の上で火に焼かれるという言葉とは裏腹に恐ろしく残酷

な光景を見て、光明丸は思わず目を背けた。目を背けて、背けた先に敵機がいるのを発見すると、

無性に怒りが湧いてきた。

 13ミリ機銃を右へ左へ振って敵を追う。一瞬、敵機が直線飛行に移ろうとしているのが見て取

れた。そこで機銃を敵機の進路上に向け、敵機が銃弾の雨へ飛び込むように狙って撃ちまくった。

チカチカと何度か閃光が瞬き、敵機は真っ二つになって落ちていった。敵機撃墜。しかし嬉しさ

も何もあるはずがない。機銃に新たな弾倉を装填し、次の獲物を狙う。苛烈、壮絶、唖然、騒然

……どんな言葉を並べても、特一号船団を襲った攻撃の前ではあっという間に消費され尽くして

しまうだろう。様々な形態の攻撃が、様々な船歴を持つ船娘と艦娘を襲い、彼女らの生命を刈り

取らんとしていた。

 雷撃を終えたある敵機が船団の最後尾を守る吉祥丸へと狙いを付ける。うなりを立てて弾をは

き出す航空機銃の火線を右へ左へとすんでの所で彼女は避けた。旋回して再び射撃位置に付く敵

機。今度は機関後進でブレーキを掛けつつ回避。さらに攻撃を続けようと旋回した敵機に彼女の

放った25ミリ機銃弾が命中し、黒煙を吹いて真っ逆さまに落ちていく。

「艇長、やったよ!」

 吉祥丸は小さくガッツポーズしながら報告した。船橋では髭を生やした艇長が腕組みして頷く。

ふと、吉祥丸の顔に冷たい物が当たった。なんだろうと思っていると腕や足にも次々当たる。雨

だ。雨が来たのだ。彼女が空を見上げると、いつの間にか灰色の雨雲が低く広がっている。あっ

という間に勢いを増した雨は、海に数え切れない数の同心円を作る。雨が降ったからという訳で

はないが、少なくともそれを切っ掛けに敵機は攻撃を諦めた。

 退却していく敵機になおも機銃弾が送り込まれたが、そのほとんどは雨粒と同じく海に小さな

同心円を作っただけだった。視界は悪く、風も出てきて、波も徐々に高くなる。今やこの風雨が

特一号船団を救う恵みの雨だ。

 朝潮が点呼を取る。撃沈された船は4隻。損傷した船は5隻で、うち2隻が航行に支障有りと返

事をした。今回も護衛船たちは無事で済んだが、狙われていなかったのではなく持ち前の武装と

速力で被弾せずに済んだというのが正しい見方のようだ。輸送船娘は護衛の艦娘達に一瞬疑いの

目を向ける。自分の身ばかり守って輸送船の護衛など気に掛けていないのではないかと。しかし

その考えはすぐにしぼんだ。艦娘達が死に物狂いで戦う姿は何を隠そう船娘自身が最前列で見て

いたのだ。艦娘たち、とりわけ朝潮・望月を除く特設特務艇の5隻に言わせれば、輸送船娘を守

っているという実感はなく自分の身を守るだけでも精一杯だったそうだが、客観的には十分護衛

の体を成していた。5隻には対空戦闘の経験が無かったことも主観と客観のズレを起こしていた。

「慣れないうちはぜんぶの飛行機が自分めがけて飛んでくるって勘違いしちゃうんだよねぇ」

とは望月の言葉である。敵味方の戦力を考えれば、艦娘達はよくやっている。それについては感

謝したって良いくらいだ。

 しかし現実として特一号船団はわずか1日でその数を22隻に減らした。大損害というほかない。

輸送船娘達の疑いの目は艦娘達から自分たちをこんな目に合わせた海軍へと向けられた。艦娘達

が必死に自分たちを守ってくれる一方で、鎮守府に住まう者達は間食つきののんびりとした生活

を送っているに違いない。雨に濡れたまま寝ない夜を過ごしたりはしない生活。潜水艦にも空襲

にも怯えることのない生活を。

 このようにして、無謀な輸送計画が生まれる度に民間海運業者と輸送船娘の海軍への不信が募

っていった。その不信が向かう先は出港拒否である。もちろん、海軍の権威を笠に着れば港から

引きずり出すことはたやすい。もっともそんな事をすれば士気が崩壊するのは目に見えている。

この問題について海軍は今のところ有効な手を打てていない。

 一日にして9隻の船を失ったのは朝潮にとってショックだった。船団旗艦としての責任は重い。

だが彼女は弁護されるべきだった。彼女は与えられた状況の中でベストに近い選択をした。例え

どのような人物が統率していても、特一号船団は同じ目にあっただろう。襲撃の切っ掛けとなっ

た、舞鶴港を襲った潜水艦。かの深海棲艦の行き先を掴めないにもかかわらず特一号船団を結構

させたのは提督の責任だ。船団へ攻撃できる距離に敵空母が居たのは全くの偶然で、そもそも朝

潮は船団の航行ルート上にいる敵についてほとんど知らされていなかった。あらゆる証拠が彼女

を雄弁に弁護していたが、それでも朝潮は失った船娘達の事を思うと責任を感じずには居られな

かった。

 現在位置からマリアナ諸島まで大雑把に言って1000キロ。どう少なく見積もっても丸3日以上

かかる。一日で9隻減るなら3日後には船団が海の上から消えて無くなってしまう。サイパンにだ

って航空隊はいるはずだが、サイパンから現在位置までは彼らの行動半径の二倍は離れている。

 こうなったら覚悟を決めるまでだ。

 朝潮は高知沖で味方の哨戒機に別れを告げてからずっと続けてきた無線封止を解き――どのみ

ち現在地点は敵に知られている――船員妖精に命じて電文を打たせる。

 執務室にいる提督がリアルタイムで洋上の艦娘と連絡を取り合い指示を出す、などというのは

ニュース映画やラジオドラマの世界にしかないフィクションだ。船はひとたび舫(もやい)を解

けば後は自分で考え自分で行き先を決めねばならないからだ、という古くからの船乗りの精神を

別にしても理由は2つある。

 ひとつは不要な電波を出せば敵に位置を知られるため。信号灯の光ですら深海棲艦に対する誘

蛾灯になるとして、可能な限り旗流信号始め声や身振り手振りで意思疎通を図るべきだと主張す

る艦娘もいた。深海棲艦が虫のように光に集まる性質があるかどうかはさておくとしても、余計

な電波は出さないに尽きる。とりわけ敵の攻撃に対して脆弱な輸送船団はそうだ。特一号船団も

その例に漏れず、不必要な無線交信は厳禁だった。作戦行動中は可能な限り電波的に「死んだ」

状態になり、抜け足差し足で目的地へ向かう。これが機動部隊から機帆船の一団までに共通する

基本戦術だった。唯一の例外は朝潮の13号電探から発せられる電波くらいのものだが、これとて

敵に逆探される危険は常にあった。

 ふたつめは送り先の問題。真夜中に電文を送った所で、提督をたたき起こして判断を仰ぐ訳に

も行かない。いや、彼一人で判断出来る問題ならそれでも構わないのだが、他の鎮守府や泊地が

絡むとそうもいかなくなる。無論鎮守府という組織自体は24時間体制で動いている。しかし会議

で決めるような話や他の艦隊の協力を仰ぐとなれば、やはり待ち時間は生じる。そもそも洋上で

困難に遭遇し上の指示を求める船団や艦隊は一つ二つではないのだし、そのために提督を呼び出

しては彼という人間はおちおち食事をすることもトイレに行くこともままならない。数時間のタ

イムラグはどうしても避けられなかった。

 朝潮が口頭で言ったとおりに彼女の船員妖精は文章をしたため、暗号を施した上で電鍵を叩く。

「発 特一号船団旗艦朝潮。宛 舞鶴鎮守府。特一号船団攻撃ヲ受ク。現在位置北緯22度30分、

東経140度40分。針路145。敵潜水艦ト空母艦載機ニヨリ輸送船ニ被害多数。9隻ヲ失ウ。護衛艦

艇ニ被害無シ。敵ナオモ触接ヲ保ツ。至急救援ヲ乞ウ。救援無キ場合ハ輸送任務ノ中止ヲ許可サ

レタシ」

 叱責されようが構わない、と朝潮は思った。一隻でも多くの船を生き残らせるのが今の自分の

任務だ。ならばそのための輸送任務中止はありうる。とはいえ仮に「輸送任務ノ中止」が決定し

たとして、今から本土へのこのこ帰ろうとすればそれこそよい獲物だ。本土よりもマリアナの方

が近いのだから、どの道サイパンに駆け込むことになるだろう。入港した後のことはそれから考

えれば良い。反対に輸送任務の続行と救援部隊の派遣が決定したとしても、救援に来てくれた艦

はそのままラバウルまで同行してくれるはずだ。それならそれで当初の予定通り任務を完遂すれ

ばいい。もっとも、こちらの仮定は救援が来てくれなければ画餅に過ぎないのだが。

 

 

 重々しく、苦しい一夜が過ぎた。この航海でもっとも苦しい一夜だった。潜水艦による襲撃の

恐怖は常に艦娘たちの心の内にあった。輸送船娘が沈められる瞬間を誰もが見た。彼女らは爆撃

と銃撃で苦しみ、うめき、血まみれになって沈んでいく。あるいは雷撃によって痛みを感じる暇

もなく沈む。その瞬間を艦娘たち、船娘たちは脳裏で何度も巻き戻しては再生した。そして再生

する度に胸が締め上げられた。死者は死ぬ経験を一度しかできない――逆説的だが事実だった。

車にはねられて死んだ人間がいるとして、彼の死と苦しみは一度、たった一度だけであり、二度

死ぬことも二度悲劇に見舞われることもない。生きている者だけが死を受け止めて、彼の悲劇と

痛みを延々とリピートし続けた。それは全く想像上の苦痛である。しかし敏感になった神経は、

いつの間にかその苦痛を自分のものとして変換してしまう。戦闘経験のない輸送船娘はとりわけ

その傾向が激しいようだった。

 先日の暴雨風には全くかなわないが、それでもそこそこ強い雨と風が夜の間ずっと続いた。特

一号船団の誰もが、潜水艦と航空機の枷となるこの雨風がいつまでも続くよう願いを込めて暗い

夜空を見上げる。その願いが届いたのか、果たして朝になっても雨は続いていた。前進に雨水を

浴びながら、特一号船団は輪形陣を組んだまま続行している。天候が回復したらすぐ爆撃が来る

のは明白だったからだ。

「いいぞ、このまま土砂降りにだってなっちゃえ!」

 光丸が濡れた髪をかき上げながら笑顔を作って叫んだ。船団の中で笑顔を作れるのは今や光丸

と東丸くらいのものだ。他の皆は疲労が蓄積してきたと見える。嵐を乗り越え、潜水艦の襲撃を

受け、2度の空襲に耐えた後、今三度の空襲に怯えつつ雨に濡れる。体力と精神力は容赦なく削

り取られていった。

 翌早朝、朝潮宛に信号が届いた。妖精に暗号を解読させて読み上げさせる。色よい返事が来る

ことはあまり期待していなかった朝潮だが、にもかかわらずその顔は一瞬で凍り付いた。

「発 舞鶴鎮守府。宛 特一号船団旗艦。昨日夕、マリアナ諸島敵ノ空襲ヲ受ク。『サイパン』

『グアム』『ロタ』各島被害甚大。在マリアナ艦隊ニモ損害大。敵正規空母推定6隻カラナル機

動部隊尚マリアナ東方ヲ遊弋中ト思ワレル。此撃滅ノ為、在トラック艦隊緊急出港。任務中止許

可デキズ、現針路断固維持セヨ。艦隊ヨリノ分遣戦隊特一号船団救援セント交差針路ヲ急行中」

 血の気が引く、という言葉を朝潮は始めて実感した。サイパンにさえ滑り込めば、そのために

サイパンにいる船や飛行機が助けに来てくれれば、全て何とかなると思っていた。その前提がガ

ラガラと音を立てて崩れていく。昨日夕という時間帯、マリアナ東方を遊弋という情報、そして

地理的関係からするに、特一号船団を襲った空母とマリアナを襲った空母は別部隊の可能性が高

い。もちろん後者の方が遥かに強力だ。そして、こちらの位置は前者を通じて後者にもとうに知

られているに違いない。

 マリアナのついでとばかりに特一号船団がその機動部隊に喰い殺される可能性は十分考えられ

る。トラック在泊の艦隊が出港したとて、例え30ノットで突っ走ってもマリアナまで20時間ほど

かかる。しかし20時間あれば特一号船団をなぶり者にするのに十分すぎる。漂流している船員妖

精を一人二人救うくらいの行為が「救援」と言って良ければ、救援は間に合うだろう。現針路、

つまりサイパン島への直線コースを維持しろと言うのも、無体な要求である。これは味方と合流

するための最短ルートだが、敵機動艦隊と鉢合わせするための最短ルートでもある。もっとも、

敵の方が優速な上空母を含んでいるから、南に向かおうが西に向かおうが特一号船団は敵の攻撃

圏内から逃れることは出来ない。だからこそ味方との合流を優先させるというのは分からないで

はないから、絶望的ではあっても必死とまでは言えないだろう。

 頭の中であれこれと計算し、電文の裏に書かれた真意を見抜こうとした朝潮は、堂々巡りを何

度も繰り返した末ある結論に辿り着いた。――特一号船団に期待されている「役割」を考えるに、

確かに任務続行の決定には一理ある。海の上で今ももがき続ける艦娘と船娘の感情を考慮に入れ

なければ、ね。彼女は出来うる限り冷静に努め、各船にマリアナから救援が来ることになったと

だけ伝えた。それ以上は何を言っても動揺を招くだけだった。

 


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