視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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第11話

 高かった波は午前のうちに穏やかになり、降り続いていた雨も正午頃には止んでしまった。あ

とは頭上に低く垂れ込める雲だけが味方だったが、艦娘、船娘たちの願いもむなしく昼過ぎには

青空が見えるようになった。昨日の戦闘を思い出し、気弱になってしまったのは一隻二隻ではな

い。味方はまだか、味方はまだかと誰もが繰り返し思う。救援部隊はまだマリアナの遙か彼方だ。

敵が昨晩の内にこちらの位置を見失っている可能性はある。が、だとしたところで予想される進

路上に偵察機を飛ばせばそれで事は足りた。こちらは7ノットしか出ていないのだから、その動

きも掴みやすいことこの上ないだろう。

 事実、午後2時頃に朝潮の13号電探が東方に敵機を捉えた。単機で飛んでいることからして偵

察機であることは疑いようがない。こちらに来るな、という朝潮の願いがあっさり破られると、

次いで生まれたこちらに気付くな、の願いもまた破られた。敵機はこちらと付かず離れずの距離

に張り付く。朝潮と望月の主砲が招かれざる客を迎え撃つと、では帰りますとばかりに水平線の

向こうへ離れていった。恐らくこちらを見失わないギリギリの所に居るのだろう。そしてもちろ

ん、こちらの位置は母艦に送られている。

 とうとう特一号船団は見つかった。それでも――この状況でこんな事が何の気休めにもならな

いことは承知だが、それでも半日以上気付かれなかったのは大きい。救援部隊が本当に急行して

いるのなら。それこそ何ら妨害を受けず、しかも燃料切れに構わず「急行」しているなら、明日

午前中には合流できる可能性がある。現在午後2時。航空機の航続距離と巡航速度を考えれば空

襲は恐らく1度が限度だ。なぜなら片道1時間だとしても行き帰りで計2時間。戦闘に1時間として

3時間。帰還する頃には5時で、補給を考えれば次の攻撃準備が整う頃には夜になる。空母による

夜間作戦は不可能だ。つまり今来るだろう空襲にだけ堪えれば、特一号船団に生存の目はある。

 やれるか。いや、やるしかない。朝潮は覚悟を決め、全船に戦闘準備を命令する。

「皆さん、対空戦闘の準備をお願いします!」

 艦娘、船娘、そして船員妖精たちの態度は様々だった。手足を震えさせる者、敵討ちとばかり

に敵愾心を燃やす者、己の務めを果たそうと疲れた体に鞭打つ者、肉体的・精神的疲労のあまり

無表情で準備をする者……。生物的本能に近い生存欲求、快不快の原則、体に刻まれた命令への

従順、それらが特一号船団を突き動かしていた。本土から1000キロ以上離れては郷土愛も祖国へ

の忠誠心も水平線の彼方へと消える。それらは新聞やラジオで言われるほどには艦娘たちを揺り

動かさなかった。見渡す限り海原と空しか見えない太平洋上で、慰めであり頼りになるのはただ

僚艦のみだった。絶望するに足る状況で、それでも絶望しないのはひとえに僚艦のためである。

その僚艦の存在は、彼女らを動かす理由のひとつとして数えてよい。時に守り、時に守られる、

1+1が3になる関係。友情と言うには血と硝煙の匂いがきつすぎる。絆という言葉はきざっぽく

て胡散臭い。やはり戦友だった。

 戦友のために、戦友のために、ただ戦友のために。

 朝潮は護衛船を集合させて残弾数を確認させる。別に発光信号で聞いてもよかったが、彼女た

ちの顔を見たいと思ったからだ。疲労と不安と闘志の混じった顔だったが、良い面構えになって

きているな、とも思った。一言二言、自分にも言い聞かせるように激励してから配置に就かせる。

 船団の周囲へと戻ってゆく艦娘たち。ふと、万寿丸と光明丸の視線が交差した。万寿丸は一瞬

ためらったようだが、光明丸に近づくとゆっくりと口を開いた。

「光明丸ちゃん。わたし、もう逃げないよ」

 突然の言葉に光明丸は返事をし損ねた。驚いた彼女に、万寿丸はなおも続ける。

「わたしだけ逃げるのは、もうおしまい。最後までやり抜いてみせるから、だから……」

それ以上は言葉が続かないようだった。光明丸が代わりにそれらしい言葉を見つける。

「お互い、頑張ろうね」

 万寿丸は頷くと、ゆるやかに光明丸から離れる。先ほどの万寿丸の言葉を、光明丸は何度も頭

の中で繰り返した。艇長の言う事に従うだけの、文字通りの道具であった彼女が、自分の力で自

分の態度を決定した。他人事ながら妙に清々しく感じてしまう。こういうのを憑き物が落ちた、

と言うのだろうか? 視線を動かすと、船団の反対側には東丸。その後方すぐに万寿丸が戻って

いくのが見えた。船団の後方では吉祥丸が望月にじゃれついている。面倒くさそうな望月だが、

満更ではないらしい。先頭では朝潮が、妖精の報告に耳を傾けていた。船団中央には緊張した顔

を見せる何隻もの輸送船娘たち。

 準備らしい準備をすることもなく戦闘準備は終わり、1時間とすこしの後、予想通り敵機は来

た。

「朝潮と望月が撃ち始めた! おっ始めるぞ!」

 光明丸の船橋でエビが叫ぶ。言うが早いか、光明丸は47ミリ砲を東の空へ向けた。20機から30

機ほどの敵機が高高度と低高度に別れ迫る。弾幕と呼ぶには頼りないながらも、それでも触れれ

ば撃墜は免れない火線が形成される。

 例により銃弾の雨をかいくぐった敵機が最初に狙いを付けたのは、輸送船第2大倉丸と東丸だ

った。どちらに爆弾を落とすか一瞬迷った敵急降下爆撃機は投弾直前になってようやく東丸を狙

うことを決心した。放り出された爆弾は緩いカーブを描いて飛ぶが、大倉丸と東丸の間、何もな

い海面に潜り込んで爆発した。高い水柱が上がり、周囲の船をずぶ濡れにする。大きく揺らめい

た東丸だったが、視線は常に敵を追っている。大丈夫、どこもやられてない。

 雷撃機が迫る。8センチ砲と25ミリ機銃で応戦。彼女の背後にいる万寿丸も撃ち始めた。水面

にぶつかってしまうのではないかと思うほど低く飛ぶ雷撃機に曳光弾混じりの弾が送り出される。

1機が火を吹いた。さらに1機がバラバラになった。だがそれまでで、3機か4機かが魚雷を投下し

た。思い切り叫んで味方に回避を促す東丸。一本目、二本目、三本目と心の中で数えながら魚雷

を回避する。二本目は大倉丸ともう一隻(忙しくて見ていられなかった!)の間ギリギリの所を

通っていった。どうやら全て外れたらしい。周囲を見回すが、投下体制に入る雷撃機は見えない。

東丸が次の目標を探し始めた時、万寿丸が叫んだ。

「10時方向から魚雷ですっ!」

 驚いて振り向く東丸が見た先には、確かに白いあぶくを出して突き進んでくる魚雷があった。

彼女の前方を斜めに横切ったそれは輸送船市谷丸へ向け一直線に進んでいき、吸い込まれるよう

にして命中する。信じ難いほどに大きな炎と煙とを上げた市谷丸は、その煙が晴れる頃には姿を

消していた。彼女はその船倉に大量の爆薬や弾薬を積載していたに相違ない。

 こつぜんと、という言葉が白々しく感じるくらいに、まさに瞬きする間に、彼女の命は炎と共

に消え去ってしまった。東丸は魚雷が来た方角を目で追う。あっちの方向に雷撃機はいなかった

はずだ。なのになぜ……。一瞬、波の向こうに黒い物体があるのがちらりと見えた。かと思うと

再び波に隠れてしまう。再び波が上下する僅かの時間がもどかしい。再び通った視線の先にいた

のは、全身がボロボロになりながらも敵意をむき出しにしてこちらに迫る深海棲艦だった。

「潜水ヨ級!」

 東丸は目と口を大きく開く。艤装がねじれ、所々脱落し、本人もどうやら擦り傷切り傷ではす

まぬ大怪我をしているようだった。その船体からは鈍い黄色の光が発せられている。いわゆるフ

ラッグシップというやつだろう。あいつが昨日の潜水艦だ――東丸は直感でそう思った。

 あいつは舞鶴港を襲い、第11戦隊が危うく壊滅する打撃を与え、常時飛行していた哨戒機の目

をくぐり抜けて本土沿岸から脱出し、暴風雨で煙に巻こうとした特一号船団に追いすがり、気付

かれないまま発見し、雷撃で2隻を沈め、爆雷攻撃に耐えた上、今また攻撃に移ろうとしている。

 想像を絶するバイタリティだった。東丸はヨ級へ向けてすぐさま8センチ砲を撃ち込むが、敵

航空機への対処もあってなかなか命中しない。不思議なことにヨ級は潜航して逃げようとしなか

った。右へ左へ舵を切り、再び好条件の射点へ着こうとしている。多分、昨日の攻撃のせいだろ

う。

 爆雷攻撃を耐えきりなんとか浮上したが、その後の応急修理に失敗して潜航できなくなった。

そんな所か。東丸は悔しさと腹立たしさがこみ上げてくるのを感じた。あのヨ級を攻撃する際に

指揮を執ったのは自分だ。あのとき朝潮と望月にもう一度攻撃をさせてもよかったし、二人の探

信儀と聴音機で念入りに海中を調べてもよかった! 自分のミスで、今一人の船娘が命を落とし

た。そう思うと腹の奥にねじれるような痛みが起こった。――あいつはあたしが倒さなきゃ。

 呼び止める万寿丸に「あいつを仕留めてくる!」とだけ叫ぶと東丸は機関全速で船団から離れ

る。8センチ砲を何発も撃ち込みつつ、上空の敵機への警戒も忘れない。ヨ級との距離はどんど

ん迫っていく。と、突然ヨ級の正面から白い泡が吹き上げた。魚雷が発射されたのだ。

「当たるか!」

 舵を切り回避する東丸。そんな考えはとっくにお見通しだった。だが東丸の回避運動もまた、

お見通しだった。ヨ級は不敵な笑みを――彼女(?)が感情を持つかは定かではないが――浮か

べると、へしゃげた艤装をたたき壊すようにしながら乱暴げに備砲を前方へ向けた。東丸が驚く

間もなく発射。初弾にもかかわらず恐ろしく狙いは正確で、彼女の前方数メートルしか無い場所

へ着弾した。舐めるなとばかりに東丸の反撃、至近弾がヨ級を揺らす。

 方や捕鯨船。方や沈没寸前の潜水艦。最初に敵に命中させた方の勝ちだった。互いに2発3発と

撃ちまくりながら接近しているせいで、今や白目が見えるような距離まで近づきつつある。雷撃

をわざと回避させ、油断させた所を狙うつもりという事か。深海棲艦のくせに頭が切れるじゃな

いか。東丸は撃ち合いながらそう考えた。だがその考えすら、ヨ級にはお見通しだった。

「東丸さん! 後方上空!」

 万寿丸から報告を受けた朝潮の声が無線電話に響いた。言われるがまま仰ぎ見るとそこにはこ

ちらへ向かって緩やかに降下する敵機。航空機銃の先端から無数の閃光がきらめき、避ける間も

なく大量の銃弾が東丸の艤装と体を貫いた。直後、左舷にヨ級からの砲弾が命中。艤装が盛大に

引っぺがされ、巨大な穴が開いた。飛び散った破片は船員妖精と東丸自身に襲いかかり、

何者問わずに傷つけた。東丸は言葉にならない叫びを上げる。口の中に血があふれた。

「東丸、すぐに戻れ。今助ける!」

 朝潮の言葉が聞こえるが、何を言っているのか単語の意味が分からない。ただ目の前にいる、

あの憎い潜水艦だけは、何をしてでも沈めたい。そう思った。

 そう。何をしてでも。

 指先が急に冷たくなっていき、痺れが起こる。逆に顔は熱く感じる。左手で触ってみるとべっ

とりと赤い物がついた。瞬間、東丸の中で何かが切れた。彼女は血を吐き出すと絶叫し、ヨ級へ

向け一直線に突撃を始めた。

「うあぁぁああ!」

 自分の船体を最後の武器として敵にぶつけようと言うのだ。この試みを壮絶だとか勇烈だとか

記すことは不適当である。しかし献身的とか滅私的とか記すのもまた、不適当だった。自身の命

と引き替えに、相手の命を奪う暴力的行為。この行為はある者に言わせれば英雄的で、別の者は

犯罪的だという。

 東丸自身にとってはそんな哲学はどうでもよかった。自分のミスを埋め合わせ、ケジメを付け、

船団の皆を助ける。それだけで満足だった。船員妖精たちは全員が死亡するか致命傷を負ってい

た。例え五体満足だとしても東丸を敢えて止めるようなことはしなかっただろう。

 相変わらずヨ級の正確な射撃は続き、敵機の機銃掃射が彼女に命中したが、それでも機関はま

だ生きていた。機関は異音混じりの唸りを上げ、スクリューは懸命に海水をかき回し続ける。東

丸は気を失いそうな激痛と恐怖に耐えていた。というより、もはや何も感じていなかった。敵機

の機銃弾が艤装を貫通し彼女の背中にまで突き刺さる。砲撃が8センチ砲を砲架ごともぎ取る。

それでも東丸は止まらない。30メートル、20メートル、10メートル……。2メートルまで近づい

た時、ヨ級の顔には恐怖が浮かんでいた。

 船と船とが、正確には艦娘と深海棲艦とが衝突し、一瞬東丸の体は水面から跳ね上がった。か

と思うとそのままヨ級の上へと乗り上げ、潜水艦の黒い船体や艤装、ヨ級自身の肉体をもズタズ

タに引き裂きながら両者は海中へと没していった。一瞬でぶつかったように、沈むのも一瞬だっ

た。水面に残ったのは僅かな破片と、燃料か血潮か区別の付かぬ液体のみ。

「東姉ぇぇえっ!」

 光丸が信じられないような大声で叫ぶのを聞いて、光明丸は敵機に狙いを付けている最中だっ

たにも関わらず彼女の方を見てしまった。入れっぱなしの無線電話に朝潮の声が聞こえていたか

ら、東丸がなにかしたらしい事は分かっていた。敵機からの攻撃の隙を突いて、光明丸も東丸が

いたはずの方向を振り返る。だが何もない。万寿丸が必死に対空戦闘をしているだけで、その前

方にいなければならないはずの東丸の姿がどこにもない。それだけで理解できた。彼女はもうい

ないのだ。光丸はパニックを起こしたように機銃に指をかけたまま振り回した。そのまま弾丸が

無くなるまででたらめに撃ちまくり、弾が切れるとわなわなと身を縮ませ、戦闘騒音の中涙を流

して叫んだ。

「東丸が潜水艦に体当たりしたらしい!」

 光明丸の船橋で、無線機にかじり付いていたツチガミが叫んだ。

「潜水艦って、昨日の奴でしょうかね」

「そうに違いねぇだろうな。うおっ! 光明丸、4時方向!」

 エビの声に振り向き、斜め後方から進入していた敵機に13ミリ機銃の雨を降らせる。敵機の機

銃弾と光明丸の機銃弾が交差し、光明丸の足下に着弾の水しぶきが飛ぶ。次いで敵機が彼女の真

上を飛んでいった。双方とも命中弾を得られなかったようだ。船団の反対側へ抜けようとする敵

機は朝潮の火線に捕まり火を吹いて落ちていく。敵機が落ちていく方を見ていた光明丸は、その

先にまたも攻撃態勢に移る雷撃機3機を捉えた。光明丸の反対側、ちょうど万寿丸がいる方から

敵機は突っ込んでくる。

 今や一隻で船団の左側面に立つ万寿丸だけでは、敵機の迎撃は困難だった。やすやすと接近す

る敵機はいつもより余分に距離を詰め、ぶつかりそうになるくらい近距離から魚雷を投下してい

った。一機が投下して離脱。また一機が投下して離脱。3機目も投下しようとしたが、不運なこ

とに魚雷は機体から外れなかった。機械的不具合か生物的理由か、それは分からない。ただ深海

棲艦の艦載機にも時折不調があるらしいことだけはよく知られていた。魚雷が投下された機体は

急激に軽くなり、そのはずみと舵の力とを合わせて機首を上げ敵艦の上をすり抜けていく。少な

くとも空母艦娘の雷撃機はそうだった。深海棲艦の雷撃機とて、それは違わないらしい。では、

万が一魚雷が落ちなかった時、魚雷が投下されることを前提として操縦されていた航空機はどう

なるか。

 輸送船鶴見丸がそれを証明した。敵機は魚雷を抱いたまま彼女の土手っ腹に命中し、肉体と艤

装とを引き裂いて潰れた。赤みがかって来た海と太陽に一際明るい赤い血潮が流れた。艤装から

は黒煙が吹き出す。機関にダメージを受けたことの証明だ。鶴見丸が手負いと見るやまだ投弾し

ていなかった敵機は次々と彼女へ攻撃を仕掛ける。2発の爆弾と数え切れない回数の機銃掃射を

受けてもなお、彼女は浮いていた。悪く言えばそれはただ浮いているだけの屍だったのかも知れ

ない。鶴見丸がどの時点で絶命したのか誰にも分からなかった。

 ただ、彼女が言葉通りの被害担当艦、生け贄となり敵機の攻撃を多数吸収したことだけは間違

いなかった。彼女をばったりと倒れ込ませ、船体の割に巨大な水柱を上げ沈めたことと引き替え

に、敵機は割に合わぬ時間と弾薬を浪費した。物のついでとばかりに余った機銃弾をバラまいて

から、敵機は攻撃を終え東の空へと消えていった。

 


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