視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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エピローグ

「そのままタ級フラッグシップに突撃して、差し違えたというわけデース……」

 随分長いこと喋ったな、と金剛は思った。壁に掛かった時計にチラリと視線を送り、渇いた喉

を潤すためティーカップに口を付ける。紅茶のふんわりとした香りを嗅いでから熱く甘い液体を

体に注ぐ。舞鶴鎮守府内に設置された海軍病院、その病室の一角でベッドから身を起こしつつ、

頭に包帯を巻かれた金剛は妹たちに自分と同じ名前の船の戦いぶりを話していた。その脇にはい

つものティーセットが持ち込まれ、愛用のティーポットには比叡の淹れた紅茶がなみなみとして

いた。茶菓子を頬張りながら、比叡はほとんど泣きそうになりつつ話に聞き入っている。

「勇敢な戦いぶりでした。榛名、感服です」

 金剛の隣のベッドでは両手に包帯を巻かれ病衣を身にまとう榛名が霧島に紅茶を飲ませてもら

っていた。火傷しないように冷まされた紅茶をストローで飲み干すと、伏し目がちに「大変な思

いをしたでしょうね」と呟いた。霧島は下にズレてきた眼鏡をつまみあげると、カップを片付け

始める。余計な言葉は必要なかった。

 あのさー、と病室の反対側から声が掛かり、4人の目が声の主を見る。

「なーんで光明丸が死んだことになってるわけ?」

 椅子に座った望月が、彼女のとなりにあるベッドを指さしつつ聞いた。そのベッドでは左腕を

吊り、体のあちこちに包帯を巻かれた光明丸がすやすやと安らかな寝息を立てて眠っていた。

「HAHAHA! 言葉のアヤってやつネ!」

 手を打ちながら一人爆笑する金剛を望月はあきれ顔で眺めた。望月の隣では吉祥丸が、光明丸

の見舞い品として自分で買ってきたリンゴのひとつを取り出し器用に皮を剥いていた。久々に母

港に帰ってくるとお腹がすいて仕方がない。とりわけ新鮮な野菜や果物には抗いがたい誘惑があ

った。

「はい、望月せんぱいにもあげる」

「んー? あぁ、ありがと」

 差し出されたリンゴをかじると、酸味のある甘い果汁が口に広がった。あとで隣部屋の古鷹せ

んぱいや青葉せんぱいにも持って行こっと、と言って吉祥丸もおいしそうに食べる。ふと、大事

なことを思い出した望月は席を立つと金剛に近づき、便せんを渡す。

「これ、光明丸の艇長から」

「ワーオ! Love Letterですカ!」

 金剛は驚いて差出人を見ようとする比叡から身を隠すようにして便せんを庇い、布団に頭を突

っ込んで中身を開いた。つたない字で書かれた手紙はなんだかよく分からない部分が多く、2,3

人の筆跡が混じっているようだったが、要約すると金剛を今まで誤解していたが先日の戦闘で見

直した、今度直接会って感謝を伝えたい――そんな事が書いてあった。さっそく比叡に紙とペン

を持ってきてもらった金剛は、光明丸の艇長の顔を想像しながら返事を書き始める。実は彼を抱

き上げて挨拶したことすらあるのを、彼女は知らない。

 

 

 執務室では、朝潮からの報告書を提督が黙って呼んでいた。数分の間、紙をめくる音と風が室

内に吹き込む音だけが響いていたが、朝潮の視線に気がついたのか提督は書類の束を机において

彼女に向き直った。

「今回の任務は大変困難な物だったが、よくやってくれた。連合艦隊の戦果は現在確認中だが、

過去12ヶ月で最大の物になるのは間違いない。それもこれも君の指揮あればこそだ」

 ありがとうございます、と礼儀正しく返事をする朝潮だが、腹の中には重い物を感じていた。

大戦果は結構だが、自分が旗艦として指揮を執った特一号船団は壊滅と言って良い損害を受け輸

送任務には失敗した。それは動かしようのない事実だ。

「ですが輸送任務は――」

「分かっている、分かっている。特一号船団が多大な被害を被ったのは残念だ。まさかマリアナ

が空襲を受けるとは思わなかった。これも全て私の責任だ。君は気に揉まなくて良い、生きて帰

って来てくれてありがとう」

 提督は穏やかな口調で朝潮を弁護する。繰り返し感謝され、一方で責任は提督が背負う物だと

伝えられる。彼が提督の座にいられるのはこの人心掌握術が一役買っていた。気が楽になる朝潮

だが、心残りはもう一つある。

「提督、船団護衛に参加した特設特務艇のことですが」

 提督の表情が一瞬曇る、が、次の瞬間には再び温和な笑みを浮かべた。

「うん、うん。彼らもご苦労だった。彼らとはギクシャクしたこともあるが、ともかく今回はお

礼を言わないとね。私からもよく言っておくが、君も彼女達に会ったらひとこと労ってあげてお

くれ」

「はい」

 光明丸たちについてとりあえずは安心して良さそうだった。提督のプライドの面から言っても、

まさか漁船に輸送任務の責任を負わせることは無いだろう。言質も取れたことだし満足な結果と

言える。敬礼して退出し、執務室の重いドアを閉める。廊下に一人立つ朝潮は、自分自身で報告

書に書いた特一号船団の戦没船の名前と顔を一隻ずつ思い出す。西波丸、第11北浜丸、金山丸、

近見丸、木崎丸、生野丸……。それに輸送船だけではなく特設特務艇も。光丸との問答が頭の中

で蘇る。舞鶴に帰ってきてから何度も何度も思い出してはあぶくのように消えていった。小を切

り捨て大を生かす、それはおかしいと光丸は身を持って示そうとした。その結果が爆雷の誘爆に

よる撃沈だ。

「私にはこの戦い方しかできない」

 朝潮は手を握りしめて呟く。

「だけど次はもっと多くの味方を守ってみせる。それでどう。光丸――」

 

 

 工廠に足を運んだエビは、真っ二つになった光明丸の艤装を飽きもせず眺めていた。舞鶴まで

曳航されながら帰ってきて、最後の最後でとうとう切断してしまったのだ。心配そうに見つめる

彼を、明石は「絶対に元通りにして見せます」といって励ましたが、本当に直るのかエビには判

断がつきかねた。光明丸本人もひどい怪我だがこちらは艤装に比べればマシで、数カ所の骨折と

裂傷程度で済んだ。とはいえ両者が無事直った所で徴用解除になった訳ではない。また特設監視

艇として終わりのない洋上監視に就くだけだ。その事を考えると胃が重くなった。

 右手に握った、丸めた厚紙を開く。光明丸の今回の働きを称える云々と小難しく書かれた文章

と提督のサインが筆で書かれていた。何が書いてあるかは大して興味が無い。それよりも、この

賞状だか感謝状だかをくれるという状況そのものから分かることがひとつある。提督は律儀に約

束を守ったらしい。すなわち光明丸とその船員妖精たちは赦免――もともと無実の罪ではあるが

――されたと考えてよいということだ。

 修理の順番待ちをしている光明丸の艤装は、今は工廠の片隅で静かに眠っている。左右のアー

ムは折れ、船体は前後で真っ二つになり、マストは上半分を喪失、船橋は段ボールのようにベコ

ベコになっている。あそこに自分が乗っていたのか、と今更のように思い返してみと寒気がする。

ツチガミとワタノキを含めた全員が打撲や切り傷で済んだのだから奇跡以外の何物でもない。あ

ちこち検査されたが骨の一本も折れていなかった。ツチガミは治療ついでだと言って健康診断の

フルコースを受けている。ワタノキは書類を出すだのなんだのといった雑用をしてくれていた。

 そのおかげでエビはこうやってボケッと工廠に突っ立っていられる。右へ左へと動くクレーン

や溶接の音、工作機械がうなる音をしばらく聞いていたエビだが、肩を叩かれて急に我に返った。

振り向いた先には吉祥丸の艇長がいた。年季の入った竹竿を数本担ぎ、どこかからくすねてきた

らしい「修復」と書き込まれた緑色のバケツを引っさげている。

「やっぱり光明丸の艇長か。どーだね、一緒に釣りでも。駆逐艦寮の裏を少し行った所の防波堤

に入れ食いの穴場があるんだ」

 ウシャシャと笑うひげ面の艇長に誘われるがまま、エビはそのとっておきの釣り場へと着いて

いった。鎮守府内をしばらく歩くと、海沿いの道に出る。そこから「立ち入り禁止」の看板をそ

しらぬ顔で素通りすると防波堤が見えた。二人横に並んで釣り糸を垂れる。釣り竿で魚を釣るな

ど久々のことだったが、腕は鈍っていないようですぐに魚が掛かる。

「よく釣れますナァ」と吉祥丸の艇長が誉めるのを聞いていたエビは肝心なことを思い出した。

「急にこんな話で恐縮なんだが、あんたが『生きねばならん』と言ってくれたおかげで死なずに

済んだよ。でなきゃ『英雄的一撃』とやらをしていたかも知れん」

ひげの艇長は「それはよかった」とまた笑い、続けて「釣りが出来るのも生きている間だけです

からナァ」と妙に感慨深いことを言うのだった。

 20分ほど糸を垂れていただろうか、二人の眼前に広がる海に艦娘が現れた。どこかで見たシル

エットを思い出す。そう、特設砲艦安州丸だ。その後ろには数十隻の特設監視艇が続き、一列に

なって安州丸の後を追い舞鶴湾の外へと向かっていく。

「第一監視艇隊だ」

エビはぽつりと口にした。そうか、第一監視艇隊が今まさに出撃しようとしているのだ。遠い太

平洋上では第二監視艇隊か第三監視艇隊が今も苦しい任務に就いている。艦娘たちはそろそろと

海上を滑り、徐々に小さくなっていく。またぽつり、生きねばならん、とエビは呟く。任務は過

酷で危険。自己主張をすることもなければ世間の注目を集めることもない。あらゆる海と天候の

中で戦う船。最も弱々しいがために、最も強い心を必要とする船。それが特設監視艇だ。それで

も、それでも生きて帰って来い。エビはいつの間にか大声を出して艦娘たちに叫んでいた。おそ

らくは聞こえなかっただろうが、それでも叫び続ける。

 

 特設監視艇たちの戦いは、今もなお続いている。

 

 

 

「『金剛丸』ヨリ興和丸ヘ。定時報告。異状ナシ」

「『金剛丸』ヘ。確認ス。任務続行サレタシ。洋上給油予定通リ実施――」

 

 

 


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