視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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第1話

 純情だった阿部青年を変えたのは一人の艦娘との出会いだった。当時阿部は若狭湾で操業する

漁船に乗り込み、毎日くたくたになるまで働いていた。「いつかは自分の船を!」と夢を抱いて

始めた漁師生活だったが、現実問題、金は中々貯まらなかった。そこで彼は手っ取り早く稼ぐた

めと、技術を向上させるため遠洋漁船に乗り込もうかとの考えが浮かんだ。現実的利益は別にし

ても、やはり遠い南の海で魚を追う、というのにはある種のロマンを感じた。若い血潮は燃えて

いたのだ。

 漁船で働く傍ら、自分を載せてくれそうな船はないかと探し始めたその矢先、奴らは来た。ど

こからともなく現れた深海棲艦は海を荒らし回り、海に浮かぶ物を見れば軍艦だろうと漁船だろ

うと見境なく沈めた。連中との事実上の戦争状態になると、燃料費と海上保険の価格は高騰し、

軍も漁協も遠洋漁船にはいい顔をしなくなる。稼ぎに行くのは勝手だが万が一沈んでもらうと面

倒事になる、と言ってはばからなかった。あらゆる輸入品の値段は跳ね上がり、それで一儲けし

ようと企てた人々による連日連夜の大騒ぎが続いた。遠洋漁業は死んだのか?

 そうでもなかろう、というのが阿部が経済誌と首っ引きになりそろばんを弾いて出した結論だ

った。舶来品の多くがそうであるように、水産物の値段も上がっている。とりわけマグロやカツ

オは顕著だった。跳ね上がった経費を計算に入れても、それなりに利益が見込めそうだった。だ

が多くの漁師は、自分の命を投げ打ってまで大金を稼ぐ博打的、投機的な漁よりも、多少稼ぎが

減っても命の危険がない近場で安全な漁をすることを選んだ。その頃までには鎮守府近海にすら

深海棲艦が出現することが分かっていたからだ。実際、阿部の気持ちもそのころ新技術の発明が

あった養殖業にほとんど傾きかけていた。

 そんな彼の心をぐらつかせたのが艦娘との遭遇だった。ある日いつものように若狭湾で操業し

ていると、西の方から見たことのない形をした物が現れた。あれが噂に聞く深海棲艦か! と一

堂が慌てている内にそのシルエットはぐんぐん大きくなっていく。最早ここまで、と念仏すら唱

える船員まで出る始末だったが、どうも様子が違う。

 海を走っていたのは女性だった。巫女服のような格好をした茶髪の女性が、背中にゴツゴツし

た大砲やら何やらを背負ってゆったりとしたスピードで海面を滑るように進んでいた。両者は手

を伸ばせば触れるような距離で交差する。食い入るような船員達の目線に気がついたのか、彼女

はウィンクして右手を振り、そして去って行った。ほんの3分か4分か、出会いと呼ぶには短すぎ

るふれ合い。まさしく邂逅だった。彼女が艦娘と呼ばれる存在で、金剛という名前であることを

別の船に乗っていた友人ツチガミに教えて貰ったのはその2日後のことだった。海軍が演習をや

るとかなんとかで、ツチガミが機関士をやっていた船からは金剛始め数人の艦娘が見られたとい

う。「なんだね。エビも笑顔ひとつで惚れてしまうタイプの人間かね?」とツチガミに冗談を言

われたが、冗談どころかまさしく図星だった。惚れたのだ。本当に。それからというもの、エビ

は艦娘に関する本を求め、新聞記事を探し、ニュース映像を穴が開くほど見るようになった。海

軍の、というより艦娘に対する好奇心は好意へと変化を遂げ、いつしか立派な艦娘フリークにし

て艦娘後援者となっていた。ひいきの艦娘は無論戦艦金剛だった。艦娘に焦点を当てた軍事雑誌

が創刊されると聞くや毎号欠かさず購入し、彼女の写真が一枚あるだけで勝手に感動するのめり

込みようだった。極め付けにとうとうこんな考えまで起こすようになった。

 曰く「自分の船を持ったら名前は『金剛丸』にするぞ!」

 それからの数年はあっという間に過ぎ去った。青年から壮年へとさしかかりつつあったエビの

懸命な仕事が功を奏したのだろう、彼は歳と顔のしわが増えたのと引き替えに、口座に結構な金

額を貯め込むことに成功していた。ようやく自分の船を持つ日が来たのだ! 船だけ手に入れて

も船員が居なければ動かないが、嬉しいことに機関長を任せて給料を出すという条件でツチガミ

が名乗りを上げてくれた。当時ツチガミは乗り込んでいた漁船の船長と待遇で揉めていたそうで、

友人であるエビが船員を求めていると聞いてあっさりとその漁船を降りてしまった。

 エビの貯金から7割出し、残りの3割は漁協を通じて借金した。どんな船にするか色々悩んだ末、

やはり遠洋漁業のための船にすることに決めた。勇敢な、あるいは命知らずの先駆者達が己の血

肉と引き替えに、深海棲艦がさほど現れない安全な漁場を見つけ出しつつあったからだ。漁をす

る船が減ったぶん水産資源は豊かになっており、一山当てれば儲けは莫大だと言われていた。大

小様々な問題を解決した後、250総トンの鋼製遠洋トロール漁船「金剛丸」はとうとう彼の前に

姿を現した。エビにとって娘同然に大切な、いや娘そのものだった。なぜなら彼女は、船であり

ながら人でもある、いわゆる船娘であったからだ。墨のようにムラのない乾いた黒髪をショート

カットにした色の白い娘だった。切れの浅い子供のような瞳と少々薄すぎる唇は、エビを親バカ

にさせるに足る魅力を秘めていた。陸に上がっている時はエビと同居していたのだから親子であ

ると断言しても良かろう。

 この辺りの、艦娘や船娘の人間としての生活には色々面白い話もある。例えば金剛丸がエビの

ことを冗談ぶって「お父さん」などと呼んだ時には大変愉快なことになったのだが、それはまた

別の機会にでも記すことにして話を続けよう。

 試験航海を終え、漁網の手入れも済み、漁協経由で船員を集める目処も付いた。さあいよいよ

出港だと意気込んだまさにその時だった。ある日、ツチガミと共に昼飯を食っていると顔なじみ

の漁協職員と軍服を着た男とがエビを尋ねて来た。どうも海軍の人間らしいその軍人は金剛丸に

チラリと目をやるといきなりこう言った。

「本日付でこの船は海軍が徴用した。乗組員共々、以後軍の命令に従っていただく」

 事務的な口調でそう言うと同時に、ペラ紙一枚をエビに渡すのだった。紙には男が言ったこと

と大体同じようなことが書かれていて、どこぞの何とか言う偉い軍人の判が押してあった。近日

中にまた連絡するから、指定した日時に舞鶴港へ船を回航し舞鶴鎮守府に出頭せよ、と言って返

事も聞かずにその軍人は帰って行ってしまった。この時点でのエビの頭には、身勝手な徴用に対

する怒りや憤りは浮かんでいなかった。あまりにも突然の話で、疑問符の他には何も浮かび上が

っては来なかったのだ。ツチガミと漁協職員からの話を飲み込んで理解するには数時間の時を必

要とした。

 今度の戦もまた、海軍の船だけではとても足りないこと。そのため客船を改造して軍艦にした

り、貨物船を徴用して物資の運搬に当たらせたりしていること。外洋を航行できる遠洋漁船もま

た徴用され、例えば特設掃海艇という名前で機雷の除去を行ったり、特設監視艇という名前で本

土の哨戒と監視のための任務に就いていること。乗員となる軍人の不足と、その船のことは持ち

主が一番詳しいという理由から、元の船員妖精が軍属を与えられてそのまま乗組員になるケース

が多いこと。今回のような突然の徴用は他にも例があり、下手をすると家族と連絡が取れないま

ま深海棲艦に撃沈される場合すらあったこと。既に数百隻の民間船――上は豪華客船から下はハ

シケまで――が軍の管理下にあることなどなど……。

 ようやく話を飲み込んだエビはまず怒り、次に騒ぎ、最後には泣いた。その日、金剛丸はエビ

と共にツチガミの家に招かれ夕食をご馳走になったのだが、食後二人っきりになった時、エビは

金剛丸の目の前でおめおめと涙を流した。せっかく手に入れた船を、こんなに可愛い娘を、海軍

は差し出せと言う。他人の娘をさらったら誘拐だ。なのに他人の船をさらうのは許されるのか。

こんな馬鹿げた話があるか、と……。結構な酒が入っていた。が、泣き上戸の戯言と笑って済ま

せることは出来なかった。金剛丸はエビをつまみあげると(念のために書いておくが、二人は船

娘と妖精である。体は金剛丸の方が数十倍は大きい! 今後も二人の体格差についてはご理解願

いたい)彼が寝込んでしまうまで抱きしめ続けた。

 結局、エビはこの話に従う他無かった。軍隊の命令を無視すれば、経帷子とは言わずとも囚人

服を着ることになるやも知れない。それに、ツチガミ達の話が正しければこのまま金剛丸の乗組

員でいられるらしい。どこぞの馬の骨に娘を触らせるくらいなら自分がその手綱を握った方がマ

シだ。乗り込む予定だった船員はツチガミ以外皆船から降ろしてしまった。彼らとは正式に契約

した訳でもないし、こんな事にまで付き合わせる気もしなかったからだ。そうこうしている内に

出発予定日は迫り、エビ、ツチガミ、金剛丸の3人は敦賀港を出発、舞鶴へ向けて気の重い航海

を始めた。ドンドン小さくなる桟橋をおぼろげに見つめるエビの胸中は筆舌に尽くしがたい。

 エビの横顔を見たツチガミに、はて、奴は俺と同年代ではなかったかな? との疑問が頭に浮

かんだ。エビはそれほどやつれた顔をしていたのだ。

 

 舞鶴鎮守府に出頭してエビがまず驚いたのは軍人だらけと言う事だ。当たり前と言えば当たり

前で、こんな事を口に出せばツチガミに嫌みの一つくらい言われるのを覚悟しなければならない

が、しかし軍事施設に入ることなど初めてなのだから仕方がない。ガンガンとうるさい音がする

のは海軍工廠か、バンバンと砲声がするのは艦娘達が射撃訓練でもしているのか、あそこで歩い

ているのは雑誌で何度も見た巡洋艦娘、こっちでくつろいでいるのはかの有名な空母艦娘だ、な

どと観光客のように目をあちこちに向けていると、自分たちと同じように徴用されたらしい船娘

とその乗組員達に出会った。

 金剛丸の一団を併せて4,5組くらいだっただろうか、彼らは「徴用の詳細について説明する」

とだけぶっきらぼうに言われると小さな講堂に押し込められた。右も左も分からないまま着席し

待つこと数分。「秘書艦」という腕章を付けた齢20くらいの女性が入室し、昨今の海軍事情と任

務の重要性について説明し始めた。今回徴用された漁船は小改装の後特設監視艇として運用され

る。3個ある監視艇隊のうち第二監視艇隊に編入され、母艦である特設砲艦興和丸の指揮の下太

平洋上に進出。監視と哨戒に当たるという。一度の監視任務は6~10日間の母港での待機・整

備・休養と15~20日間の哨戒活動からなり、3個の監視艇隊のうちいずれかは常に洋上で任務に

就いているのだそうだ。

 大淀と名乗る女性のその話しぶりは上品な割に言葉言葉に力が込められており、あれほど嫌が

っていたエビの胸にも使命感や責任、勇気を多少は湧かせる効果があった。が、ツチガミの「騙

されるなよ。本当に『一刻を争う危機』ならこの鎮守府の艦娘は一人残らず出撃していなきゃお

かしいだろう」とか「国家存亡の分水嶺などと言うが、それをどうにかするのが海軍の仕事じゃ

ないのか」などという耳打ちで気持ちもすぼんでしまった。4,50分も話していただろうか。ガチ

ャリと講堂のドアが開き、ボリュームの多い桃色の髪をした女性――彼女も艦娘なのだろう――

が入ってきて壇上の大淀と一言二言話した。大淀は頷くと、船員達の方に向き直った。

「それでは、提督からのお言葉があるので各船の船長は私に付いてきてください。船娘の皆さん

はこちらの明石とご一緒して工廠へお願いします」

 のそのそ付いて行き、鎮守府の巨大な建物の中を右へ左へと進んでいく。時々艦娘とすれ違っ

たが、彼女らは皆こちらに挨拶をしてくれる。マナーのある娘達だ、と感心している内に提督の

執務室らしき部屋の前に付いた。巨大な木製の扉は手入れが行き届き艶が出ている。黄銅色に光

るドアノブは顔が写りそうなくらい磨き上げられていた。大淀は船長達を待たせ、ドアをノック

して先に自分一人入室する。船長達を連れてきたことを報告するとすぐにドアが開け、彼らを招

き入れた。

 この提督、随分若いな、というのが第一印象だった。彼の指一本で死地に向かわせられること

を考えると言いようのない息苦しさを感じる。とはいえここでの「お言葉」は、まあ大したこと

は言われなかった。ツチガミが言うところの「校長先生のお話」レベルの事であって、大して心

を奮い立たせるような物ではなかった。「君たちはもはや船長ではなく艇長だ」という言葉には

ドキリとする物が無いでは無かったが、そのくらいのものである。

 それより大問題はこの後であった。提督の話が終わってでは退出というところで、ドタドタと

こちらへ向かってくる足音が室内に響いた。ドアが勢いよく開かれると同時に「戦果Resultがあ

がったヨー!」の叫び。声の主を見たエビの体には電気が走った。戦艦金剛! なんと因果な巡

り合わせもあった物だ、と思いをはせるよりも先に興奮と感動が起きた。本物の金剛が俺の目の

前にいる! 数年前に会った時と変わらぬ姿で! 心臓が跳ね上がるほど驚いたエビだが、次の

瞬間全く逆方向に驚くこととなる。金剛は背中に艤装を背負ったまま提督に飛びつくと、首に腕

を回し「私の活躍見てくれた?」と言うのである。大淀の叱責が飛び、次いで提督が金剛の腕を

引きはがしつつ立ち上がった。ポカンとしたまま立ち尽くす船員達をよそに、金剛はなおも提督

に抱きつこうとあれこれ試みている。 その姿を眺めながら、エビは心の中で何かが音を立てて

崩れていくのを感じた。崖から突き落とされたような、という表現では生ぬるい。一度殺されて

から生き返り、再び死の恐怖を味遭わねばならない人間、あるいは半生に及ぶ苦労の末に開墾し

た土地が実は他人の物だと知った老人のような、凄惨という言葉では足りぬ感情。自らのアイデ

ンティティーの基礎となる理屈が完膚無きまでに砕かれるのを見せつけられる拷問。それら言葉

にし得る一切の苦痛がエビを襲い、頭を締め上げた。「金剛さん!」と大淀の二度目の叱責。そ

れでようやく諦めた金剛はふくれっ面をすると、怒られた子供が言うのと同じトーンで「大淀は

話の分からない人デース」と振り返る。そこで彼女の視界に映ったのは、大淀の足下にいる妖精

達。半ば死にかけの目線で目の前に起きた現実を見るエビと目が合った金剛は、新しいおもちゃ

を見つけたとばかりに彼を抱きかかえ「妖精さん、こんにちはデース!」と挨拶するのだった。

 それから後のことをエビは覚えていない。ただ、艦娘金剛に対する永遠に修正不可能な心象が

我が身に刻み込まれてしまったことだけは、今でもハッキリと覚えている。


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