視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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附記「作品世界の船たちと、『視る』ことについての小考」

 太平洋戦争中に失われた漁船は合わせて1595隻にも登ります。人的損害を見れば、商船とそれ

以外の徴用船がそれぞれ約3万人の戦没者を出しており、合計ではおよそ6万人の船員たちが命を

落とした計算です。先の大戦中に戦没した軍人・軍属の母数に対する割合は陸軍で23%、海軍で

16%ですが、民間船員のそれは43%にも達します。母数が異なるので戦没者の数そのものは陸海

軍の方が遥かに大きいのですが、徴用された民間船舶がいかに困難な闘いを迫られていたかが理

解いただけると思います。

 特設監視艇はおよそ400隻。その内300隻が沈んでいます。300隻と言われても正直ピンと来ま

せん。言い方を変えて、太平洋戦争が始まった時点で日本海軍に属する戦闘艦を全てリストアッ

プしてもまだ足りない数だよとか、第二次大戦におけるUボートに匹敵する損害率だよ、とか言

われても余計想像できなくなってしまいます。ですが、想像できないのはその姿だけではありま

せん。目標がやってくるのをじっと待つ、というのは人間にとって極々当たり前な行為でしょう。

ところが、戦争における監視任務というのは地味なためか得てして扱いが小さく、ゲームの題材

にならなければ資料も少ないのが実情です。例えばコーストウォッチャーについて日本語で読め

る資料は恐ろしく少なく、大戦末期に日本沿岸の至る所に設けられたであろう監視台にまつわる

話もほとんど聞きません。人間は日頃あまりにも「見る」ないし「視る」という行為を自然に行

っているせいか、それを特別のこととして書き留めることを忘れてしまったのか、などと哲学め

いたことをも考えてしまいます。

 特設監視艇もそんな「視る」ための「視えない(=資料の少ない)」もののひとつです。作中

で繰り返し述べたとおり特設監視艇にとって「敵を見つける・敵に見つかる・任務達成・撃沈さ

れる」の4つはほとんどイコールでした。史実において船員たちは何を考えながら約20日の監視

任務を行っていたのでしょうか? 何を楽しみに、あるいは何を食べながら、何で暇を潰したの

か。残念なことに船と共にそれらの疑問も海底へと沈められてしまいました。が、船の名前が分

かるだけでもマシなのかも知れません。例えば6700隻ほど徴用されたと言われる機帆船の名前や

船員達、そしてその最期は今に至るまで全く分からないのが実情です。

 洋上の真ん中で敵に怯えながら過ごす、というのは戦争も遠い海での航海も体験したことのな

い自分には分かりませんし、参考に出来そうな手記や体験記も身近にはありません。ですから、

洋上での「日常パート」を作るのは大変困難であり、それゆえ作品後半では表題とは異なり洋上

監視ではなく船団護衛がストーリーのメインになりました。

 それはともかく、話は「視る」ことについて。人間、都合の悪いものを直視するのは辛いもの

です。これは何も今を生きる我々だけではなく古今東西、遙か昔から言われてきたことでもあり

ます。カエサルの言葉を引用するまでもなく、我々は往々にして自分にとって心地よいものだけ

を見ようとする。では、周囲に「見たくないもの」、つまり敵艦しか存在しない洋上で、「見

る」ことを任務とする特設監視艇とその乗組員たちは一体何を「見た」のか?

 これが、自分が大戦中最も困難な任務に当たった船たちのひとつに特設監視艇を加えても良い

だろうと思うに至った理由です。

 

 

 

それはさておき作中に登場する船の解説を史実に絡めて少々。

 

・特設監視艇 第7光明丸

 我らが主人公の光明丸。元ネタは実在する特設監視艇「第七明神丸」。この船は凄い。4機のB

-24に攻撃され「我沈没ニ瀕ス」「我暗号書処分完了」と悲壮な電文を送信するも1機撃墜、1機

撃破してしまい、応急修理の後自力で帰還してしまったそうです。しかも帰り際に潜水艦と交戦

するも煙幕展張と爆雷投下でこれを切り抜けてしまう。その後昭和20年7月に撃沈されてしまい

ますが、艦これに登場したら運が20くらいはありそうなエピソードではないですか。

 さて、史実的な正しさから作中の光明丸に関していくつか述べておきましょう。まずはひとつ

目「徴用するに当たって改名した船は実在するのか」。答えは「実在する」です。とはいえ全く

別の名前にしてしまうケースはごくごく希であり、ほとんどが「○○丸という名前が被ったため、

『第二號○○丸』に改名」というものです。

 ふたつめ、「250総トンで24ノット出せる特設監視艇は存在するのか」。前者に関してはあな

がち嘘と言えません。資料によると、269総トンの白鳥丸という船が特設監視艇として存在して

います。しかし後者に関してはフィクションです。ほとんどの漁船は焼玉エンジンでしょうしね。

 みっつめ「陸軍の火砲である47ミリ速射砲=一式47ミリ速射砲を装備した特設監視艇は存在す

るのか」。存在しないと思います。特設監視艇の武装を調べていくと時折「47ミリ速射砲」と書

かれたものを見かけます。最初は「うわー! 一応海軍の船なのに陸軍の対戦車砲積んでやが

る!」とぬか喜びしたのですが、これ、実は山内式短五糎砲のことなんですね。5センチ砲とか

言って口径は47ミリという。ですがせっかくなので「艦これ世界の陸軍は暇だろうし、なぜかあ

きつ丸やまるゆが海軍の管轄下に入ってるし、火砲の一つ二つ融通してくれるだろう」と考えて

登場させました。

 よっつめ「劇中のような強引な徴用は本当にあったのか」。海軍の徴用に関しては定かでは無

いものの、陸軍が機帆船を徴用する場合は多数あったようです。昭和18年後半頃から徴用に必要

な手続きが省略されるようになり、港に停泊中の機帆船に突然陸軍将兵が現れ、その場で徴用を

通告。準備ができ次第指定された港へ回航を命じられる……という理不尽な話が全国で起きるよ

うになりました。これらは辛うじて生き残った船員の証言や手記から明らかになっています。中

には家族と連絡が取れないまま徴用され撃沈などというケースもあったようで、そうなると記録

にすら残らず、その実態は今もなお不明です。そもそも、正規の手続きに乗っ取っていたとして

も「ある日突然の連絡と徴用」には変わりが無く、「来週から徴用」と「来月から徴用」に主観

的な差がどれくらいあったかは疑問です。

 いつつめ「船名の『第○』の部分は漢数字ではないのか」。これはわざとアラビア数字にして

います。その方が変換が楽で読みやすい事がひとつ、まさか無いとは思いますがgoogleなどの検

索エンジンでひょっこり引っかかった作中の船が実在する船と誤解されないようにするのがひと

つ。宮崎氏が「最貧前線」を描いた時には架空の船だったはずの「吉祥丸」が後に実在すると分

かった、なんて話が本当にありますからね。まぁ杞憂だとは思いますが念のため……。

 また彼女は遠洋トロール漁船という設定ですが、実際のトロール船は多くが特設掃海艇として

徴用されました。それはトロール漁と掃海作業は長い網や索を艦尾から流すという作業工程が似

ているため訓練上・設備上の都合が良かったためで、徴用された112隻の特設掃海艇のうち89隻

がトロール漁船だったことがそれを証明しています。

 余談ですが、「金剛丸」という名の船が特設巡洋艦として実際に存在します。

 

参考

http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/J/206/206_048.htm

http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/J/206/206APC.htm

 

・特設監視艇 万寿丸

 元ネタは作家、葉山嘉樹の一連の作品に登場する同名の船。とりわけ「海に生くる人々」に出

てくるそれをイメージしました。葉山氏は船員としての経験があるらしく、作品にもその経験を

元にしたであろう描写が数多く出てきますが、万寿丸は基本ボロ船・泥船として扱われています。

 そもそも言えば、万寿丸は貨物船(石炭運搬船?)であり漁船ではないのですが、貨物船のま

までは今ひとつ活躍できそうになく、また原作に沿って行動させると船員のストライキで出港不

能とかいった事態になりそうなので設定を変更しました。強烈なキャラクターの多い「海に生く

る人々」でも屈指の悪党であり、フィクションと分かっていても頭に来るあの船長の暴虐ぶりを

もっと表現できれば良かったのですが、それはそれで話を根本からねじ曲げる危険もあるような。

 

・特設監視艇 吉祥丸

 元ネタは宮崎駿氏の漫画「最貧前線」より。作中の説明では「特設監視艇としては最小クラ

ス」と記されており、それは本作にもそのまま記述しましたが現在では大戦末期には吉祥丸より

さらに小さい、40総トンを下回るような近海用漁船まで徴用されていたことが分かっています。

25ミリ機銃と7.7ミリ機銃が一丁ずつ、そして必殺兵器(?)として銃架無しの25ミリ機銃を体

に縛り付けているという彼女の武装は原作通りです。また彼女の速度について、原作では「8ノ

ット」と書かれているだけであり、普通に読めばこれが最大速度なのでしょうが、だとしたら巡

航速度はもっと低く、とうてい船団について行けません。なのでここは都合良く「巡航速度が8

ノット」と脳内変換した次第です。それでも正直な所、船団護衛が務まるとは思えませんが……。

 

・特設駆潜艇 第6東丸 第4光丸

 彼女らには特定の元ネタはありません。そこそこ高速で航続距離も長く凌波性も良い。おまけ

に同型船が複数ある。そのような理由から捕鯨船は海軍にとって徴用するのにもってこいの船で

あり、当時存在した南氷洋用の捕鯨船63隻は戦争勃発前の時点で全てが徴用され特設掃海艇か特

設駆潜艇へと改装されました。しかし戦局の拡大に伴って遠洋マグロ・カツオ漁船などをしぶし

ぶその任に当てざるを得なくなっていきます。特設駆潜艇は合計265隻存在しますが、そのうち

捕鯨船が占める数は39隻であり、徴用できる捕鯨船が「枯渇」してしまったことが伺えます。

 本編には登場しませんが、彼女達の「母」である捕鯨母船も徴用の対象であり、鯨油倉を活用

した油槽船として軍務に従事したようです。

 また海軍は駆潜艇を船団護衛に使用していたのは周知の通りですが、特設駆潜艇が護衛艦艇と

して使われ本土と太平洋の島々を往復したかはちょっと分かりません。

 

・軽巡洋艦 ユリシーズ

 元ネタはわざわざ説明するまでも無いアリステア・マクリーンの傑作、「女王陛下のユリシー

ズ号」から。正直一番扱いに困った船でもあります。「窮地に立つ特一号船団、そこに颯爽と助

けに現れるユリシーズ」というのはどう転んだ所でご都合主義の範疇を出る物ではないですから。

ですのでスパイス程度に名前を出し、原作のネタをストーリーに混ぜる程度に留めています。

 

・特設砲艦 興和丸 安州丸

 地の文で僅かに登場したこれら監視艇隊の母艦はいずれも実在した船です。今回作劇するに当

たり、42年前半の監視艇隊をモチーフに編成や任務を若干アレンジの上引用しました。本編冒頭

で光明丸が監視任務に就いている「K」地点も実在する哨戒線で、特設監視艇が所属する第五艦

隊第二十二戦隊というのも史実を引用しています。

 これら監視艇隊は通称「黒潮部隊」と呼ばれていましたが、駆逐艦黒潮が指揮していたという

訳ではなく、黒潮の流れと監視ラインとがおおよそ一致していたために付けられた名前です。し

かし駆逐艦の方の黒潮も黒潮海流から付けられている訳で……ああややこしい。

 閑話休題、この2隻の砲艦は開戦から戦い抜いたものの双方とも44年に撃沈されています。

 

・特設監視艇 第二十三日東丸

 本編中会話文の中に一度だけ登場したこの船は、おそらく最も知名度の高い特設監視艇でしょ

う。ドーリットル空襲の際空母ホーネットを視認し通報した船です。この時日東丸は監視任務を

終え他の船と共に母港へ帰還しようとしており、その矢先の出来事でした。日東丸のエピソード

のみ取り上げられることが多いのですが、第二十一南進丸、長久丸、第一岩手丸、長渡丸と計5

隻の特設監視艇が撃沈されています。

 特筆すべきはこの時米機動部隊が日本近海へと侵入したルートでしょう。米艦隊は北緯33~38

度、東経155度に設けられた「ヲ」哨戒線のど真ん中を突っ切っており、当時そこでは第三監視

艇隊が任務に就いていました。まさにドンピシャリ、読み通りに敵艦を発見することが出来た

(監視艇の乗組員にとっては「発見してしまった」)のですが、本土の陸海軍は発進したB-25を

1機も撃墜することが出来ませんでした。

 

 

 

 最後に、本作を執筆する上で参考にした資料を紹介して終わりにしたいと思います。艦これは

娯楽のためのゲームであって、しかもそのゲームに特設監視艇は登場しませんが、この文章を読

まれた方が少しでも興味を持って頂けたら幸いです。

 

大日本帝國海軍特設艦船データベース

http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/J/index.html

旧軍戦史雑想ノート - 旧大日本帝国陸海軍の戦史

http://pico32.web.fc2.com/index.htm

神奈川新聞社の連載記事「漁師たちの戦争」

http://www.kanaloco.jp/ 新聞社のサイト内で検索すれば読めます

大内健二「戦う日本漁船」

 

 


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