視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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第2話

 ある人や物をあまりにも好きすぎたために、一度嫌いになると恐ろしいまでに嫌悪する。古人

曰く「可愛さ余って憎さ百倍」というが、エビにとっての金剛がまさしくそれであった。

 まともな人間なら、あんな清楚も品もない振る舞いを人前でするだろうか? やれ国の守りだ、

やれ海上交通路防衛の要だと言って、ままごとのつもりでやっているのではないか? 民間船を

駆り出しているのも、実は自分たちには海を守る意思も能力も欠けているからではないのか? 

こんな具合に、エビは思いつく限りのあらゆる罵倒を心の中で何度も反芻した。高速戦艦などと

気取って、その実ただの尻軽ではないか! などという、数時間前の彼が聞いたら殴りかかりそ

うな事まで思いついては飲み込むことを繰り返した。大淀の「金剛さんはいつもあんな様子で」

というフォローは逆効果だった。いつもあんな様子! だとすれば艦娘というのは随分気の抜け

た生き物だ! 「あんなの」に艦娘がつとまるというのなら、うちの金剛丸の方が……との考え

が頭に浮かぶと同時に、エビは脊髄を貫くようなしびれを感じた。

 そう、金剛丸は「あの」金剛から名前を付けた船だ。軍艦金剛を始め艦娘を否定することは、

自分のこの数年間の生活と目に入れても痛くない愛娘の存在を否定することにも繋がる。しかし

今更、もう一度艦娘を好きになれというのは、エビには到底無理な要求だった。艦娘の写真が大

量に載せられた雑誌を喜んで買っていた自分が阿呆に見えて仕方なかった。百年の恋も冷める、

とはこの事を言うのだろうか。「ほんの5分会っただけである人物の人格を判断することは出来

ない」とか「性格の良し悪しと仕事を果たしているかどうかとは別問題だ」などと言ってエビを

批判することはたやすい。実にたやすい。彼が見たのは金剛という艦娘のごくごく限られた一面

しかでしかないことは否定できない。勝手に一目惚れしておいて、いざ実際似合うと「期待を裏

切られた」などと言うのはおこがましい、と言う事すら出来よう。しかしエビを弁護するならば、

彼が持っている全ての書籍や雑誌には、艦娘とは清楚で慎ましく、優雅で繊細、「立てば芍薬座

れば牡丹歩く姿は百合の花」のことわざを体現したかのよう――などと書かれていたのであって、

提督に飛びついて犬のようにじゃれます、などとは決して書かれていなかった。

 その後、巨大な食堂に通されて船員全員に昼食が振る舞われた。他の船員が美味い美味いと喜

んで頬張るのをよそに、エビは箸を握ることすらしなかった。香ばしいハンバーグステーキが泥

団子に見える。あまりの様子に心配したツチガミに、何度も問われてようやく、エビは執務室で

あったことの一切合切を話し始めた。ツチガミはいつもの調子で「可憐な映画女優もスクリーン

の裏では何をしているか分からない物だ。良い勉強になったじゃないか」と皮肉を言いかけて、

麦茶とともに飲み込んだ。そこまでゲスな人間ではない。ツチガミが食堂にチラリと目をやると、

自分たちのように食事を取っている妖精とは仕切られた場所で――何分体の大きさが全く違うの

で、椅子もテーブルも別にこさえてある――艦娘達も昼食を食べていた。何人かは確かに品のあ

る姿で箸を口に運んでいたが、大半の艦娘は女学生と同じ、つまりごく普通の、別段清楚でもな

ければはしたなくもない様子でお喋りしながら食事していた。

 要するに主観の問題である。艦娘をアイドルのように考えていたエビは失望し、大砲を担いだ

女学生に過ぎないと考えていたツチガミはどうとも思わない。それだけだった。

 食事が終わると一服する間もなく宿舎へと案内される。宿舎と言っても鎮守府の外にある集合

住宅を海軍が幾つかまとめて借り上げた物で、金剛丸の船員が行くように指示されたそれはだい

ぶ年季の入った建物だった。ツチガミ曰く「木賃宿レベル」の代物である。食費も家賃も海軍持

ちで、それどころか給料まで出るという実にうまい話だった。が、騙されはしない。本来のトロ

ール漁船として漁をしていればその数倍の金額を稼ぐ事だって出来たのだ。それでいて、命の危

険がある航海になる点については両者とも何ら変わらない。「使い捨て」であると思われないよ

うにしたいのか、乗り込むことになる船員は皆噂通り軍属として待遇されるらしい。その点に関

しては評価しないではないが、死んだ後になって手当てや勲章を贈られたところで本人は浮かば

れない。死人に対してそれ以上の何が出来るかといえば難しいところではあるが。

 段板を踏む度に不気味に軋む階段を上って3階へ。割り当てられた部屋に入ってみると意外に

も建物の外観ほどには古びれていない。対して広くはないが、まあ3人が足を伸ばして眠るには

十分だろう。3人。そう言えば金剛丸は今何をしているのだろうか。朝に別れてから全く音沙汰

無い。船員に関しては今日のお勤めは終わりとのことで、明日朝また来いとだけ言われていた。

が、船娘は一体? 新兵教育でも受けているのだろうか。

 蒸し暑い部屋に外気を入れるためにエビは窓に手を掛ける。がたついて動きが渋い窓を苦労し

て開けると、その向こうには舞鶴港が見える。自動車や、船娘や、時には艦娘達が行ったり来た

りを続けていた。エビは自分でも驚くほど長い間港の様子を眺め続けていた。奴さん随分痛めつ

けられたみたいだな。そこまで酷かったのか――備え付けの座布団を押し入れから取り出しなが

ら、ツチガミは心の中で呟いた。

 

 

 一夜明けて、エビの心もだいぶまとまった。彼の艦娘に対する印象は決定的なまでに悪化し、

もはやちょっとやそっとでは直せそうになかった。その勢いのままツチガミの「手続き一つにも

金が掛かるんだぞ」という制止も聞かず、電報を2通送った。一つは地元の漁協宛に、曰く「

『金剛丸』ハ本日ヨリ船名ヲ『第7光明丸』ト変更ス。変更手続キヲ乞ウ。我海軍ニ徴用サレ窓

口ニ向カウコト能ワズ」。もう一つは地元の友人宛。「我ガ家ノ本棚ニアル『艦娘月報』全41冊

ヲ焼イテ灰ニサレタシ。モハヤ不要ナリ」。

 後者はともかくとして、前者の勝手な船名変更のせいで海軍に睨まれることを始め面倒くさい

ことが色々起きたが、一番困ったのは金剛丸本人に伝えることだ。昨日から艤装は海軍工廠で改

装されている。金剛丸、もとい光明丸は船娘から艦娘へと変化を遂げるための基礎的知識を頭に

詰め込まれるように教えられていた。まさか「本物」の金剛に幻滅したので名前を変えます、と

も言えまい。しかし「父親」に似ず妙に聡明なところのあるこの娘はちょっとした嘘など見抜い

てしまうだろう。その日の昼食は3人で取ることが出来たが、前もってツチガミは光明丸を一人

呼び出すことに成功した。本人を前にすると流石のツチガミもいつもの皮肉がでなくなる。あれ

これ考えた末に、海の上で任務に就いた時の事を考えれば揉め事や喧嘩を引き起こす種となる要

素は減らすべきである、と判断した。正直に話す他無に是非も無し、出来るだけ言葉を選んで伝

えた。

 光明丸は「そうですか……」と落ち込むような声で、しかし顔には表情を出さず返事をした。

質問も反論も無し。それで終わってしまった。ツチガミにはその態度が逆に不気味に思えた。良

い子過ぎる必要はないのだが。昼食の席で、エビは丸一日ぶりに金剛丸、もとい光明丸を見るこ

とになった。「良いものを食べさせて貰っているか」「どんなところに寝泊まりしているのだ」

と彼女を質問攻めにし、食事は量も質も大変優れていること、艦娘と同じ待遇を受け広く綺麗な

部屋で徴用された他の船娘と共に寝起きしていることなど概ね満足する回答が得られると僅かに

眼を細めて自分のことのように喜んだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとはよく言うが、流石に娘ま

で恨むようなことはないらしい。エビが昨日とは打って変わって勢いよく箸を進めていることと

合わせ、ツチガミはようやく胸をなで下ろすことが出来た。

 昼からはまた別行動、狭い会議室に連れ込まれ光明丸へ乗り込む軍人、渡貫航海士と顔合わせ

をすることになった。特設監視艇へと改装された漁船は、海軍籍に入れられた時点で成りは小さ

くとも海軍のフネとなる。元の船員を軍属としてそっくりそのまま船を操らせるとしても、命令

や意思決定は軍人が乗り込んで行う、という決まりになっていた。ただし、折りからの戦況芳し

くなく、慢性的な人不足――正確には妖精不足――が続くこと甚だしいため実際には兵装や電探

の操作に当たる軍人が少数乗り込むだけだった。

 これにしても、艦娘は自分でその主砲を発射する事が可能であり、加えて特設監視艇は戦闘が

主任務ではないから、ほんの一人二人が乗り込むだけだった。光明丸の場合も、結局乗り込む妖

精は軍属2人に軍人1人の3人だけだった。

「渡貫です、よろしく」

 若い、20そこそこくらいの青年はエビに握手を求める。割合に真面目そうだが、いやいやこう

いう妖精こそ心の中では何を考えているか分からないに違いないぞ、とエビは勝手に警戒してい

た。

「よろしく。早速で悪いがあんたをあだ名で呼んで言いかね? 堅苦しいのは無しで行こうや」

「べつに構いませんが」

 とりあえず、妙案でてくるまで名字をもじったワタノキと呼ぶことに決めた。この「あだ名の

儀式」はエビが良くやる人を判断するテクニックだった。嫌がる者、ノって来る者、無関心な者

など反応次第で大体の性格を掴もうという訳だ。エビはワタノキを割とノンキな性格ではない

か? と見込んだ。

 ワタノキから書類を渡され目を通す。太平洋が書かれた地図に何本もの線が上下、つまり南北

方向に走っていた。それこそが監視ラインだという。東西に渡り数千キロにも及ぶ監視網だが、

監視艇隊は全部で3つ。全ての船を合わせても100隻といったところだ。全ての船が同時に監視任

務に就いている訳ではないから、海の上にいる船の実数はさらに減る。これでは到底カバーしき

れない。であるからこそ光明丸も徴用されたのだ。国中の漁船を片っ端からかき集めている割に

は監視艇の数が少ないじゃないか、とは質問しなかった。大量に徴用され、大量に沈められてい

る。それが特設監視艇の実態だった。

「えーっと、3,4日後には艤装の改装が終わるそうです。試験が済み次第哨戒任務に出発するの

だとか」

 書類を読みながらワタノキはそう言った。彼にとっても寝耳に水なのか、信じられないといっ

た口ぶりだった。

「早いな。海軍はよほど余裕がないと見える」

 ツチガミの皮肉に、ワタノキは生真面目に返答した。

「ここだけの話ですが、つい最近海軍の精鋭たちと深海棲艦の大艦隊とが派手にやりあったそう

です。両者痛み分け、どころか下手をすればこちらの負けらしい。長門・陸奥と言った主力艦が

即日ドック送りになっていましたから。海軍は発表してませんが数隻の艦娘が海の藻屑になった

とも」

「おいおい。あんた、そんな事喋っちまっていいのか」

 エビが割り込んで話を中断させた。どうも聞いて良いような話とは思えない。

「一応箝口令が敷かれてはいますが、鎮守府内では公然の秘密として話されてますよ。食堂に出

入りする業者だって知ってるに違いない。で、ここからが肝心なんですが、海軍はその敵艦隊の

生き残りを撃滅するのだとか言って血眼になっているともっぱらの噂なんです」

「それで特設監視艇か」

 ため息混じりにツチガミが言った。「あくまで噂ですがね」とワタノキは繰り返したが、海軍

のやりそうな事じゃないか――とツチガミは思う。おおよそ一切の権力・強制・支配を嫌い、自

由と自律を愛するツチガミにとって軍隊(ご存じのとおり、お役所の一つである)は宿敵と言っ

ても良かった。彼のアナーキー的意識と軍隊機構とは水と油で混じり合うことはない。それがま

た彼の皮肉の言葉を辛辣な物にしていた。

 ではなぜ光明丸が徴用された際に下船しなかったのかと言えば、ひとつには次の働き口、しか

も気持ちよく働けるような船が見つかるかどうか定かではなかったこともあるが、それ以上にエ

ビと光明丸の父娘を放っておけないというのが大きかった。仲むつまじい彼らをみすみす嫌いな

軍事官僚達に使い潰させるのを黙って見ていることは彼の良心が許さなかった。

「一将功成りて万骨枯る、だ。せいぜい我々の血がしたたる勲章を受け取って喜ぶが良い」

 エビは黙ってそれを聞く。昨日会ったあの若い提督が野心と出世欲に取り付かれている姿を想

像してみるが、どうにも締まらない。本当に野心があるなら万が一にも腹の外に本音を出したり

はしないだろうが。その後はワタノキも入れた3人で別室に移り、昨日会った船員達と共に講堂

で4時間の集中講義を受けた。宿舎に帰って寝る。起きて鎮守府へ行き、講義と実習。飯を食っ

て宿舎に帰る。この繰り返しであっという間に4日が過ぎ、あれやこれやと慌ただしくしている

間に出撃が決まった。

 舞鶴港に再び現れた第7光明丸は船娘から艦娘へ、トロール漁船から特設監視艇へとその姿を

変えていた。新しい衣服と改装された艤装に身を包んだ彼女は、見てくれだけは軍艦のようにな

っている。同じように改装を受けた他の元船娘達も、銘々が武器を手に持ち凛々しい姿をして日

の光を浴びていた。桟橋に整列した第二特設監視艇隊の艦娘約30名がずらりと並ぶと、小船だら

けと言えどなかなかに迫力があった。この中で何隻が生きて再び舞鶴へと帰ることが出来るのか、

エビには予想も付かなかった。

「予定通り0830を以て第二監視艇隊は出撃、太平洋上にて監視任務を行って下さい。ご武運を」

 大淀が叫び、敬礼してみせる。艦娘と乗員の妖精も同じようにして返礼する。光明丸もエビも

右に同じ。ワタノキは軍人だけあって流石にポーズが決まっている。この手の行為が嫌いなツチ

ガミはただ一人腕を組んだまま突っ立っていた。大淀以外誰の見送りもない寂しい出撃だ。別に

軍楽隊の演奏と共に見送れと言う訳ではないが、声援の一つくらい求めても罰は当たらないだろ

うに。送ってくれるのは気ままに散歩をしている猫だけなのか。そんな事を考えながらエビは光

明丸の背部艤装、備え付けられた船橋部に我が身を押し込んだ。母艦の特設砲艦興和丸を先頭に

して一隻また一隻と出港していく。

 港から出るとすぐ、海鳥の大群が空を覆った。100羽や200羽くらいはいるだろうか。とても数

え切れない数だ。東の空から西の空へ、一団となって飛んでいく。その姿が自分たちと妙にダブ

って見え、エビは思わず声を上げて笑ってしまった。光明丸の機関は一段と唸りを高くし、その

体を前へ前へと押し出していった。朝日が彼女の艤装に照りつけ、新たに塗られた塗装をきらめ

かせる。我々を気に掛けてくれるのは猫と海鳥ばかり。だが、これも案外悪くないでかもしれん

な。ギャアギャアと鳴き声を上げつつ、鳥たちはしばらくの間艦娘の上を飛び回っていた。

 ここまでが、今から3ヶ月半ほど前の話だ。


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