視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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第3話

 万寿丸の逃走疑惑から一夜明けて監視任務最後の日が来た。正午まで何もなければ本土に帰還

でき、4度目の任務完了となる。腕時計をチラチラ見るエビだが、針の進みは遅い。既に日は高

く登り、熱い空気が周囲一帯を覆っている。雲はなく、波は穏やか。敵を見つけるにしても敵か

ら見つけられるにしても絶好の状況だった。見渡す限りでは平和で平穏な海である。もっとも、

周囲数百キロのどこかでは深海棲艦が目を血走らせて獲物を探しているのだろうが。

 エビは双眼鏡による監視を交代するために見張り台からはしごを伝って降り、船橋のドアを開

けた。片隅ではワタノキが海図台の前に立ち、その反対側ではツチガミが通信機に耳を傾けてい

る。エビがツチガミに声を掛けようとした瞬間、突然ツチガミが飛び上がり、目を大きく見開い

て紙とペンを探した。

「高峰丸からだ! 『我、敵ト交戦中』」

 エビとワタノキは心臓が跳ね上がるほど驚き、光明丸も首をひねってツチガミの言葉に聞き入

った。それはおおよそ考え得る最悪の通信内容だった。多くの特設監視艇が「救援求ム」とか

「敵艦見ユ」という電文を最後に消息不明になっていた。消息不明と言えばミステリアスだが、

撃沈された形跡――艤装や、燃料や、救助を求める船員――すらなく消え去っているからそうと

しか記録に書けないのだ。小船が沈む時はあっという間だ。駆けつけた時には艦娘も船員も水底、

という事態が続出していた。

「お隣か、助けに行くぞ! 機関全速! ワタノキ、方位は?」

「方位090、真南です。28キロしか離れていませんよ」

 緯度1度当たり4隻の船が収まるように監視ラインは構築されている。つまり約28キロに一隻の

間隔というわけだ。地図に表せば監視艇を示す点が経線に沿って数珠のように並んでいるはずだ。

「よし、高峰丸に打電。『我急行ス。全速デ方位360ニ退避セヨ』だ。光明丸! 聞こえたな!

「急ぎます、しっかり捕まってください!」

 光明丸はそう言うと方向転換を開始した。エンジン出力を上げ、スケート選手のように体を傾

けながら右旋回を始める。艤装の煙突から煙を吹き出しつつ、猛然と加速を開始。同時に兵装の

確認をする。特設監視艇はあくまで哨戒・監視が目的だが、深海棲艦は戦う船を選り好みしない。

当初は武装らしい武装がまるで無かった特設監視艇も、戦訓により重武装化が進んでいる。敵の

攻撃から生き残るために、この光明丸にも5つの武器が搭載されている。

 背部艤装の左右に取り付けられたアームの内、右側から突き出た47ミリ速射砲がひとつ目の武

器だ。弾道特性が良く、凪いでさえいればそれなりに命中が期待できる。装甲がないに等しい潜

水艦や駆逐艦なら、当たり所によってはダメージも期待できよう。が、あくまで自衛火砲であっ

て積極的に敵に打撃を与える武器ではない。この速射砲、もとは陸軍の対戦車砲だそうだ。何で

こんなものを海軍の船に積んでいるのかはよく知らない。聞く所に寄れば、徴用した小型船舶に

装備させるためと言ってこの手の小型火砲を陸軍に頼み込んで多数融通してもらっているのだそ

うだ。光明丸のような小船には海軍の改装艦艇御用達となっている旧式8センチ砲ですら持て余

す。何せ2.6トンもの重量があるのだ。

 左のアームには、3つ取り付けられた13ミリ機銃。これが二つ目の武器。対空用だが、こちら

も積極的撃墜を目指すより威嚇や照準の妨害が主目的だ。この武器に関しては少々説明がいるだ

ろう。元は7.7ミリ機銃が一丁だけを搭載していた。しかし3度目の哨戒任務に出撃する前に25ミ

リ機銃に換装される話が持ち上がって、実際交換の後に海上で試し打ちをしてみることになった。

海軍の士官が一人同乗していたのだが、こいつがとんでもない奴だった。

 この25ミリ機銃とやらが如何に優れていて、素晴らしく、何処にどんな部品が使われているか、

実戦ではどのように使われるか、3連装機銃の正しい使い方はこうで、大抵の艦娘は使い方を間

違っている、などと聞いてもいないのにベラベラ説明し出す始末だった。最初は黙って聞いてい

たエビも、この士官が実戦に出たことがないと分かるや否や堪忍袋の緒が切れた。なんとその士

官を光明丸から蹴り落としてしまったのである。発覚すれば大問題だった。が、ツチガミもワタ

ノキも、光明丸までもが口裏を合わせれば4対1である。彼は「思わず船が揺れ」たために落水し

たことになり、ずぶ濡れのまま泣き寝入りする他無かった。

 結局その25ミリ機銃は「試験中に不発を起こした」と嘘をついて工廠送りにし、代わりに13ミ

リ機銃を2丁頂戴したという訳。ではなぜ3丁持っているか? これは沈められた船から剥いでき

た形見であり戦利品である。3度目の哨戒任務の時、今の高峰丸と同じように第3国富丸という船

が敵航空機の襲撃を受けていると助けを求めてきた。駆けつけた光明丸達の目に映ったのは、爆

撃で吹き飛ばされ機銃掃射で穴だらけにされた艤装と艦娘、そして船員妖精だった。半分沈み掛

けた第3国富丸に生存者はなく、とりわけ船員は一人しか確認できなかった。あと数人は乗って

いるはずだが、彼らが既に海中に没しているのか、それとも銃爆撃で文字通り「消えて無くなっ

た」のかについて、光明丸は考えたくもなかった。一人だけ残った船員にしても、機銃弾をもろ

に受けたのか体が半分無くなっていた。水面には艤装の破片と、油とも血とも分からぬ赤黒い液

体が大量に浮かんでいる。堪えようもない嘔吐感を気力だけで堪え、せめて形見にと船員と国富

丸の毛髪を切り取り、奇跡的に無傷だった13ミリ機銃を回収したのだ。

 話を戻そう。

 光明丸の第3の武器。それは艤装の後端に取り付けられた4つの爆雷だ。発射機などと言う洒落

た物が無いので艦尾からドボドボと落とすことしかできないが、駆逐艦や海防艦が装備する物と

全く同等であるから威力は折り紙付きである。もっとも、光明丸には聴音機も探信儀も取り付け

られていない故、やはり威嚇がその目的となる。

 4つめの武器は速度だ。「漁船にしては」という断りが付くが、光明丸は速い。漁船に似合わ

ぬ高出力の船舶用ディーゼルを搭載しているからだ。南方の漁場へ出かけて漁をするのが当初の

トロール船としての目的だったが、なにせ深海棲艦が跋扈する海だ。漁場への行き帰りは出来る

だけ速く済ませたいし、万が一鉢合わせした時に少しでも逃げやすく――最も数の多い駆逐艦ク

ラスの深海棲艦でさえ30ノットを超える速度のため「逃げやすく」はあり得ても「逃げる」は不

可能だった――するにも速度は欲しい。

 待望の船が金剛丸として引き渡された翌日、エビとツチガミは早速若狭湾へと乗り出した。速

度試験と洒落込み機関全速で朝早い海を疾走した時のことは今でも覚えている。金剛丸のつま先

からは白波が立ち上り、艤装はギシギシと嫌な音を立てる。風で服ははためき、機関が吠える。

ほとんどイルカのように海面を飛び跳ねながら進む彼女は、手元の速度計を信用するなら23.8ノ

ットの速度が出ていた。漁船としては驚くほど速い。まだまだこんな物ではないぞ、とツチガミ

はすっかりいい気になっていた。過負荷まで回せば27ノットは出るはずだ、と言う。買ったばか

りの船の機関を痛めるような真似はしたくなかったため、エビは「まあ話半分だな」と言ってそ

れ以上の試験は行わなかったが、彼もまた内心小躍りしていた。帰港する頃には「扶桑・山城が

ごとき旧式戦艦など敵ではないぞ」などと少々ピントのずれた自信ぶりを繰り返し口にしてはツ

チガミに呆れられていた。今考えると、何故排水量が100倍は違う船と速度を比べて喜んでいた

のだろうか?

 それはそれとして、最後の武器、船員の説明をしなければならない。人生の半分は海の上で過

ごしている男、いまや船長ではなく艇長となったエビ。気性は荒いが船乗りとしての肝っ玉は本

物である。加えてつい数ヶ月前まで艦娘マニア、と言って悪ければ強烈なファンであったため、

艦船や兵器に関する多少の知識がある。自由と自律とを愛するアナーキスト、ツチガミ。何かと

ストイックな皮肉屋だが、光明丸とエビがむざむざ徴用されるのを見捨てておけず自分も付いて

きた情け深い男だ。彼の冷笑的洞察力が、光明丸や監視艇隊が置かれている状況を理解しやすく

することもあろう。航海士ワタノキ。臨時のあだ名がすっかり定着してしまった彼は光明丸唯一

の軍人だ。彼の持つ航海士としての専門知識は海の上で迷子にならないために、どこからか仕入

れてくる噂は巨大組織である海軍に押しつぶされないよう立ち回るために、どちらも欠く事が出

来ない貴重なものだ。そして最後の最後に光明丸。艦娘として僅かばかりの訓練を受けただけの

彼女だが、それでも4度目の哨戒任務を成功させつつあった。船員の命が彼女自身の一挙一動に

掛かっているというプレッシャーに耐えながらも、愚痴の一つも言わない心の強さを見せている。

 クルーと艦娘との一致団結こそ、最も強力な武器であり、最も養うのに時間がかかる武器でも

あり、ひとたび真価を発揮すれば値千金となる武器だった。これが特設監視艇第7光明丸である。

優雅さも力強さも持ち合わせていない船。子供達にも軍艦マニアにも名が知られていない船。ニ

ュースに取り上げられることも映画になることも無い船。気ままに徴用され使い捨て同然にすり

潰される船。あらゆる統計に「その他」としてカウントされる船。人知れず任務を遂行し、人知

れず沈められる船。それが特設監視艇だ。とはいえ、この特設監視艇もまた艦娘である事も確か

だ。彼女と、乗り込んでいる船員妖精は何時の日かまた漁船に戻り漁を行う日を夢見て、血を吐

きながら危険な監視任務を今日も続けているのだ。

 

 

 高峰丸は浮上した敵潜水艦から砲撃を受けているようだった。身を隠してこそ意義のある潜水

艦が浮上砲戦を挑むなどとは、よほど特設監視艇をバカにしているのか、それとも魚雷がもった

いないのか。恐らく両方だろう。逃げ惑う高峰丸から付かず離れず、6~700メートルという至近

距離から好き放題に砲撃を続けている。既に被弾して戦闘能力を失っているのか、高峰丸からの

反撃が無い。

「目標11時方向、距離3キロ! 潜水カ級と思われる!」

 双眼鏡をのぞき込む光明丸が習ったとおりに敵船を報告する。光明丸の背部艤装に設けられた、

彼女より頭二つ高い位置にある見張り台で前方を睨んでいたエビとツチガミはそれを聞いて顔を

見合わせた。

「助けに来たのはいいが、勝ち目はあるんだろうな」

「任せとけ! 進路そのままァ! 敵の鼻っ柱向けて突っ込めェ、撃ち方用意ィ!」

 ツチガミの疑問に対しエビが怒鳴るようにして命令を下す。と同時に二人は滑るように見張り

台を降り、その主柱が据え付けられている船橋天面部にバランスを崩しながら着地。ラッタルを

駆け下り船橋のドアを蹴破るようにして開き中に入った。船橋と言っても窓と屋根のある小部屋

に過ぎない。光明丸より頭一つ高いだけの場所で、正面に設けられた窓からは彼女の黒髪ごしに

海面が見える。その片隅ではワタノキが海図台に捕まりつつ窓から外を睨め付けていた。監視任

務の際には3人が交代で見張り台に立ち、戦闘時には全員が船橋に入ることになっていた。船橋

の壁に防弾効果などまるで期待できないが、見張り台から吹き飛ばされるよりマシである。

 敵は潜水艦だ。とは言えどその最高速力は光明丸とほぼ等しい。戦闘に入った以上、もはや逃

げることは出来ない。生き残りたければ最初から味方の救援要請を見て見ぬふりするか、敵と戦

って撃退するかのどちらかしかない。光明丸達は前者を選ぶほど臆病ではなかった。後者を選ん

だなら言うことは一つ。勝利か死か、だ。

 1.5キロまで接近してから射撃を開始する。この時にはもうカ級も新たな獲物がやって来たと

ばかりに狙いを定めていた。左側のアームを引き出して13ミリ機銃を構える。シャリシャリとい

う独特の発射音と共にはき出される機銃弾で当たりを付けてから本命の47ミリ砲の狙いを付ける。

陸上と違い、彼我が常に動き波の影響もある海上では命中させづらいことこの上ない。案の定、

47ミリ砲弾は見当違いの所に着弾する。入れ替わりにカ級の射撃が着弾。が、こちらも外れ光明

丸の前方に水柱を作っただけだった。その水柱に突っ込みながら光明丸は次弾を装填する。20ノ

ットで突っ込めば1.5キロは2分半で走ってしまう。ドンドン相手が大きく見えてくるが、弾は全

く当たらない。一方カ級の砲撃は徐々に精度を増してきている。

 仮に、この時カ級が雷撃をしていたら、しかも逃げ場がないように扇状に雷撃をしていたら、

間違いなく光明丸を撃沈せしめただろう。だが最初の「魚雷節約のため砲撃で沈める」という決

断にこだわり過ぎた。複数本の魚雷をちっぽけな監視艇ごときに使うことを彼女(?)はあくま

で拒んだ。この妙な人間くささが深海棲艦は撃沈された艦娘の幽霊だ、怨念だ、生き霊だとなど

と言われる理由の一つである。双方の距離は500メートルを切っていた。が、互いに命中弾が出

ない。

「爆雷投下用意! 調定深度15メートル! すれ違いざまに奴の周囲にバラまけ!」

 エビが叫んだ。すぐさまワタノキが青い顔をして答える。

「浅すぎます! 自分の爆雷でやられてしまいます!」

 やれ! とエビは再び叫ぶ。これはワタノキにではなく光明丸に言ったのだ。エビの口が閉じ

ないうちにカ級の至近弾が光明丸全体を揺さぶる。派手に海水を被った光明丸だが、それを除け

ばダメージは無い。

「いいおしめりだよ、これは!」

 ツチガミはずぶ濡れになった窓に顔を押しつけるようにして正面を見た。光明丸の頭の向こう

に敵いるのが肉眼でも分かった。カ級はもうほとんど目の前だ。灰と黒で構成された、ガスマス

クを付けた人間のような気味の悪い不気味なシルエットがはっきりと浮かび上がり、臭いさえ漂

いそうだ。

「投下します!」

 カ級と殴り合いが出来そうな程に近づいた瞬間、光明丸の声と共に艤装尾部の金具が外れ、4

発の爆雷が次々とカ級の間近にばらまかれる。そのまま当て逃げの如く過ぎ去る光明丸。カ級が

光明丸の意図に気がついた時には、すでに爆雷は調定深度に達していた。ほぼ同時に4発の爆雷

が炸裂し、海中を目茶苦茶にかき回した。衝撃波がカ級を捉え、船体をズタズタに切り裂いた。

勢い余った衝撃波はそのまま光明丸をも襲い、あわや転覆するのではないかと言うほどにその華

奢な体を弄ぶ。ワタノキは海図台に、エビはその隣にある無線機に叩き付けられ、ツチガミは船

橋の端から端まで転がっていった。艤装はきしみを上げ、鋼製の船体が応力に耐えるために恐ろ

しいほどにしなる。二度三度と大きく揺らいだ光明丸は、しかし衝撃に耐え抜いた。ワタノキが

体をさすりながら船橋から出てみた時にはもうカ級の姿は消えていた。あぶくも破片の一つも無

い。

「こんなデタラメな戦法、一体どこで習ったんですか?」

 彼は振り返り、激しく頭をぶつけたのか足取りがふらふらしているエビに問いかけた。

「その昔、こういう事をする専門の船があったんだと。その船が――」

「ちょっと! 高峰丸が!」

 船橋の中からツチガミが叫んだ。高峰丸はがっくりと膝を折るようにして転覆。うつぶせのま

ま沈没し始めた。光明丸に命じて急ぎ駆けつける。一人だけ、海に投げ出されもがいている船員

妖精がいた。光明丸は素早く彼を掴み上げ、背部の艤装で待機している3人に渡す。次いで沈み

つつある高峰丸の腕を取り引きずり上げたが、彼女は既に事切れていた。艤装は穴だらけ、本人

も血まみれで見るも無惨になっているが、不思議なことに顔だけはさして傷も無かった。彼女の

形見とばかりに、ほとんど裂けていた右袖の布を破ってから、光明丸は彼女の手を組ませて静か

に水面に横たえた。高峰丸は音もなく、ゆっくりと日の光を味わうかのように沈んでいった。彼

女の目が再び光を見ることはなく、沈む彼女を再び太陽が照らすことはない。海の底は何時だっ

て船の最後の友だった。

 やりきれないだろうな、と光明丸は思った。やりたいことはまだまだいっぱいあっただろうに

ね。

 高峰丸があまりに不憫で仕方なかった。思わず目に涙が浮かぶが、瞬きして堪える。私だって

死にたくない。船長と南の海に出かけ、気の済むまで魚を捕ることが出来るその日が来るまでは。

彼女はエビのことをかたくなに船長と呼んだ。自分はあくまでトロール漁船の第7光明丸であり、

エビとは船長と船娘という関係だと思っているからだ。最初は困っていたエビも、今では彼女の

芯の強さの表れだと思うようになり、呼ぶがままに任せていた。

 拾い上げた船員は高峰丸の艇長だった。泣きながら経緯を説明する彼の話によると、最初の電

文を打った直後に至近弾を喰らい船員は彼一人を残して全滅したという。光明丸の到着まで良く

持ちこたえたが、とうとう被弾。そしてその一発が致命傷となったらしい。「親より先に死ぬ娘

なんて、そんな馬鹿な話があるか」と言ってずぶ濡れの高峰丸艇長は泣き崩れた。高峰丸もまた、

船と船員がセットで徴用されたのだろう。何事かを喚きながら涙を流し続ける彼に掛ける言葉を、

エビは持ち合わせていなかった。

 ――明日は我が身だ。幾度となく繰り返したその言葉を、また自分の胸に刻みつける。その時、

エビは背後に気配を感じた。こっそり現れたツチガミはエビの袖を引っ張り船橋へ連れ込むと、

髭を撫でながら無線機を指さした。

「少々まずいことになった。さっきからウンともスンとも言わない」

「壊れたのか」とエビは事も無げに聞き返した。元の民間用無線機から載せ替えた、頑丈さと信

頼性が売りの海軍用無線機がいとも簡単に壊れるとは思えなかったからだ。

「さっきの爆発で電線の一つでも切れたかな……。エビよ、お前頭でもぶつけなかっただろう

な」

 ツチガミの質問にエビは言葉を詰まらせる。ご明察だぜツチガミよ。爆発の衝撃で、エビは自

身の石頭で思い切り無線機に殴りかかってしまっていた。

「とりあえず直してみるが、直らなかったらどうする。高峰丸の電文を受け取った船は他にもあ

ると思うが」

「いや、移動した方が良いだろう」

 電波を発信すれば、内容はともかくとして「そこに何らかの船がいる」ことが敵味方双方に分

かる。味方が来る可能性はあるが敵が来る可能性もある。そして後者との遭遇を避けるメリット

は、前者と合流するメリットより遥かに魅力的だ。では何処に移動するか。これに関してはそれ

ほど悩まなくて良い。すでに哨戒任務は終了し、今頃各船が母艦興和丸と合流に向かっているだ

ろう。

 港から哨戒海域までは母艦を中心に監視艇隊全船で船団を組んで行き来していた。その方が迷

子も出ないし、万が一敵に襲撃されても反撃も救助もしやすくなる。ところが、監視艇の中には

とんでもなく低速な船も混じっていた。そして集団行動の原則――最も遅い者に合わせよ――通

り、そういった低速船が発揮しうる最大の巡航速度に合わせて船団は進むこととなっていた。一

部の高速船はこれを嫌がり、単独での移動をしたがった。たとえ独航船になろうと高速で突っ切

った方が敵に狙われにくい、という理屈である。結局の所なし崩し的にその主張が認められ、足

の速い船は単独で、足の遅い船は母艦と船団を組んでの移動となっていた。光明丸はもちろん前

者だ。だから彼女の現在の任務は「母港に帰還する」であって、もはや好き放題に航路を選択で

きる。帰還する前に母艦に一報打つのが決まりだったが、ツチガミの修理の甲斐無く無線機は沈

黙を保ち続けていた。もしかしたら光明丸も沈んだと思われているかも知れないが、なに、母艦

達と合流して自分たちの無事を知らせればそれで済む。ワタノキに命じて母艦達の航路を推定さ

せる。方位が定まったら早速出発。巡航速度まで増速した光明丸だが、異常な振動が船体を襲っ

た。

 何が起きたんだ? と減速してみると振動が収まり、増速するとまた振動する。どうやら先ほ

どの爆雷投下でプロペラシャフトが歪んだらしい。これではせっかくの高速も形無しである。そ

れどころではない、精々5,6ノットの速度で母艦達に追いつけるだろうか? 向こうは「光明丸

も撃沈された」と思っている可能性があるし、まさか待ってはくれまい。味方が来てくれる可能

性に賭けてここで待つか、無理を押してでも一人で帰るか。

「こりゃいけねぇな」とさしものエビも困惑した。客観的に見れば、敵潜水艦撃沈、船員一名救

助と引き替えにこの程度の損害なら十分引き合うものだろう。特設監視艇の貧弱な戦闘力を考慮

すれば殊勲と言っても良い。だが、エビは内心船を危険にさらしすぎたと考えていた。娘同然の

光明丸を無意味に損傷させるような真似は慎むべきだった。

 彼が身銭を切って購入したからという理由もあるが、それ以上に、将来徴用が解かれた暁に漁

に行けないほどのダメージを背負わせる事を恐れていたからだ。これは徴用された多くの監視艇

乗組員が意見を同じくするところだった。海軍が気前よく補償してくれるとはどうにも思えない。

着の身着のままの我が身と借金しか残らない危険性は常にあった。艦娘という女性自身に関する

諸々の問題を除けば、軍艦は国家と国民の財産であって、沈んでしまっても特定個人の懐が痛む

ことはない。しかし特設監視艇始め徴用船舶は個人や組織が自分で金を出して所有した財産だ。

それをむざむざ使い潰されてはたまらない。そのため船員妖精達の間には大小様々な形で厭戦感

情が蔓延していた。万寿丸の逃走劇は何も故無き事ではなかった。

 とはいえ、現実として壊れた部品はどうしようもない。結局、最終的に母艦達へと可能な限り

近づくルートで母港に帰ることにした。少々の不安を覚えはしたが、舞鶴港に帰れるのだから誰

も悪い気はしなかった。最初は「いっその事俺も沈めてくれ!」と泣き叫んでいた高峰丸の艇長

も、一夜明ける頃には気が収まったようだった。ただし、落ち着いたと言うよりは気が抜けてし

まったといった面持ちで、それが気がかりではあったのだが。


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