視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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第4話

 光明丸は6ノットというゆったりとした速度で本土への進路を取った。一日航海し続けても260

キロしか進まない。幸運なことに敵と遭遇することもなく、しかし不幸なことに味方とは合流で

きず、それでも5日目にはなんとか伊豆諸島周辺まで戻ってくる事が出来た。本来ならもっと西

よりの航路を取って豊後水道を通り日本海へ出るのが筋だが、何せ機関のコンディションが悪い。

深海棲艦がほとんど現れない本土沿岸を伝って舞鶴へ帰ることに決め直した。第二監視艇隊本隊

は一直線に舞鶴へ向かっているだろうから、もはや彼らとの合流は諦めざるを得なかった。まあ、

数日遅れて帰っても自分たちの休みが減るだけで彼らに迷惑が掛かる訳でもないから構うまい。

 5日目、八丈島の南東おおよそ50キロの地点を航海している時のことだ。その日も恨めしいほ

どの快晴で、昨日夜から少し波立ってきた海面はギラギラと真夏の日光を反射し輝いている。海

の上は気温も湿度も高い。それでも20ノットの快速なら心地よい風を浴びることも出来ただろう

が今は違う。おまけに光明丸は沿岸漁業用の漁船と違って鋼製だ。エビに言わせれば「焼肉にな

るかと思うくらい」暑いそうだ。しかし艤装を背負っている光明丸本人はさして暑さを感じない。

艤装を取り付け普通の少女から艦娘第7光明丸へと「変身」をすると、暑さや寒さ、睡眠欲や食

欲、飢えや渇きと言ったおおよそ一切の感覚や欲求に鈍感になるのだった。これは何も彼女に限

ったことではなく他の全ての艦娘も同じところで、でなければどうして24時間足を止めることな

く航海することが出来ようか。立ったまま眠る訳にもいくまいし、数日から数十日にもなる航海

の間に食べる米俵を背負って航海するなど論の外であった。艤装を外し陸に上がるとその反動が

来るのだろうか、猛烈に大食いする艦娘や常に眠そうにしている艦娘を、光明丸は何人か知って

いる。

 一日中開かれたままの目を使い、彼女は常に海上を監視し続ける。流木の一本も見逃すまいと

双眼鏡に顔を押しつける彼女の視界に、一瞬何かが映った。と、次の瞬間それは波の向こうに消

え去る。入れ替わり立ち替わりに波が引き、また一瞬だけシルエットが露わになる。そのシルエ

ットはハッキリとは分からなかったが、どうも浮上航行する潜水艦らしいことが見て取れた。

「2時方向、潜水艦らしきもの、近い!」

 彼女のひと言に弾かれ背部艤装にいた船員妖精達は跳ね上がり、慌ただしく動き始める。高峰

丸の艇長は潜水艦と聞いて顔が真っ青になったが、青くなりたいのはエビも同じだった。速度も

出ない、爆雷もない、無線機は壊れている。立ち向かうだけの手も逃げる手も使えない。船橋に

入ったエビにさらに悪い知らせが聞こえた。

「回頭します。あっ、こっちに突っ込んできます! 見たことのない形の潜水艦です!」

 船員達にも艦影が少しずつ明らかになってきた。白っぽい水着にコンテナのような艤装をした、

酷く小柄な潜水艦だった。海はかなり穏やかなのだが、それでも苦しそうに波をかき分けこちら

へ近づいてくる。

「やるしかねぇな……撃ち方用意!」

「待ってください! 何か見え、あ、日の丸を掲げてます」

 エビの言葉を遮るように光明丸が叫んだ。

「日の丸だ? 旭日旗じゃなくてか?」

 エビは困惑した。旭日旗――つまり軍艦旗――でもなければ軍用船旗でもなく日の丸! 一体

どういう事だろう。光明丸にも軍艦旗は掲げられている。本来は軍人が指揮する船は軍艦旗、そ

うでない場合は軍用船旗と決められていたが、こと特設監視艇は普通の艦娘に比して何かと特別

であり、うやむやのうちに軍艦旗掲揚が暗黙の了解になっていた。これに関してほんの少し安心

したことをエビは覚えている。軍用船旗は白地に青い波線が二本だけとどうにも格好が付かない

デザインだったからだ。

 それはさておき、この日の丸潜水艦である。ワタノキに聞いても首をかしげるだけでなしのつ

ぶて。深海棲艦がこちらを騙すためにカムフラージュしたのではないか、とそれらしい事を言う

だけだった。ごく短い協議の後、相手から距離を取るようにしつつ発光信号で誰何することに決

めた。万が一返事が返ってこないようなら敵として決死の一戦を挑むまでだ。光明丸が腰から拳

銃型信号灯を引き抜いてモールスを打つ。1分経ち、2分経ったが返答がない。さあ、腹を決める

時だ。

「クソ、やっぱり深海棲艦か!」

 ツチガミの憤りの声と共に火蓋は切られ、光明丸は47ミリ砲での攻撃を始めた。3発目、4発

目と打ち続ける。彼我の距離は1キロもない。着弾点が徐々に敵艦に近づき至近弾となって行く。

そろそろ命中か、という時、突然敵艦が光った。その光というのが、よりにもよって発砲炎では

なく信号灯の光だった。

「艇長! 敵艦信号しています! 『我陸軍潜水艦ナリ』」

 ワタノキの報告にエビは驚いた。が、次には一段と困惑の度を増した。陸軍の潜水艦だって?

そんな物聞いたことも見たこともない。深海棲艦がモールスを解する可能性と陸軍が潜水艦を持

っている可能性と、どちらがあり得るだろうか? もし深海棲艦だとしたらもう少しまともな嘘

をついても良い。もし陸軍の潜水艦だとしたら何故最初の誰何ですぐに返答しなかったのか。光

明丸に撃ち方止めを命じた後、ツチガミの発想で一案を講じ、「時ニ、氷水ハ何味ガ美味ナル

ヤ?」と信号してみた。相手はいきなりグルメな問いを押しつけられたことにしばらく考え込ん

だようだった。が、その返事は「良ク冷エタ『カルピス』ヲ掛ケルノガ通ナリ」と痛快な物であ

った。

「味方ですね。そんな食べ方をする深海棲艦だったら友達にしても良いくらいだ」とはワタノキ

の弁である。合流してみると、なんとまぁ、確かに潜水艦娘だった。だがエビが舞鶴で見たそれ

とは随分違う。一般には潜水艦娘は水着ひとつで潜るかの如く言われているが、これはエビ曰く

「写真撮影のための演出」だそうだ。本物の潜水艦娘は魚雷発射管と予備魚雷、潜航・浮上を迅

速に行うための注排水タンク、潜水艦の目である潜望鏡、聴音機に探信儀、そして妖精を載せる

ための艦橋構造物をまとめた大柄な艤装を身につけているのだという。

 それと比較してみると――眼前のこの潜水艦娘はいかにも貧弱な装備と言う他無い。まず艤装

が海軍のそれとは異なっている。具体的には小型で垢抜けていない感じだし、魚雷発射管が見あ

たらない。大事そうに抱えている武装も、下手をすると光明丸の47ミリ砲より小さいかも知れな

い。

「陸軍に潜水艦があるなんて、全然知りませんでした」

 光明丸が感心して言う。彼女がこの三式潜航輸送艇、通称「まるゆ」なる艦娘(であろう)に

砲撃したことを繰り返し謝罪している間も光明丸乗組員は奇異の目をその船に向けていた。彼女

の艤装から、舞鶴で見た水兵達とは服装が全く違う乗組員が姿を現し、こちらに敬礼して見せた。

ツチガミがいつもの調子で「陸軍が潜水艦を造るなんて、この戦も長くないな」と皮肉を言って

いたが、今度ばかりはエビも同意見だった。

「まるゆの存在は極秘事項なので、味方に警戒されたり撃たれたりすることが結構あるんです…

…」

「なるほど、なるほど。本当に済みませんでした。それで、どうして信号せずに突っ込んできた

んですか?」

 光明丸が神妙な面持ちで聞く。

「それは、あの……まるゆ、モールスが苦手で」

 申し訳なさそうに指を弄りながらまるゆが答える。エビは「潜水艦発見」の報を聞いて飛び跳

ねる程驚いた事を苦笑しながら思い出した。こんな海のものとも山のものともつかぬ艦娘相手に

宿題を忘れた小学生のように縮み上がっていたのだから、笑えない。

「私に何かご用だったんですか?」

「はい。実は――」

 まるゆはさらに申し訳なさそうに体を小さくする。次のひと言を、エビは生涯忘れることがな

いだろう。

「現在位置を教えていただきたいんですが……」

 

 

 北緯32度70分、東経140度10分。その一言を問いただすためにまるゆは随分と無茶をしてくれ

た。危うく同士討ちをするところだったのだ。一時は酷く肝を冷やした光明丸達だったが、過ぎ

たことは仕方がない。最初はカンカンに怒っていたエビやツチガミもが、身の上話を聞くうちに

まるゆにシンパシーを抱くようなっていった。

 光明丸達はまず彼女の装備に同情した。彼女の武装はたった一門の37ミリ砲。輸送任務が第一

で敵と遭遇したら潜航して隠れ身の一手で対処すると言うが、光明丸以下の武装である。次に任

務に同情した。まるゆも光明丸を始めとした特設監視艇と同じく、恐ろしく無理難題な任務をこ

なしていることが分かったからだ。単身危険な海に放り出される彼女の孤独と苦痛は察するに余

りある。そして最後に、まるゆ本人の健気さに同情した。自身が運ぶ物資は孤島にいる同胞の命

と直結している。一日でも早く、一キログラムでも多く、全ては戦友のために。それだけを考え

て日々の辛い任務を遂行しているという。軍隊嫌いのツチガミもまるゆの献身には感じるところ

があったらしい。日頃の皮肉は形を潜め、ひとこと「健気な話だ」とだけ言って黙り込んでしま

った。

 まるゆは任務を終え広島は宇品にある母港に帰る途中だという。その任務が何かは「軍機で

す!」と言われて教えて貰えなかったが、まぁ、八丈島辺りで「自分の位置が分からない」と迷

っていたのだから、おおかた小笠原諸島あたりに輸送任務に行っていたのだろう。袖振り合うも

多生の縁、とばかりにくつわを並べ2隻は航海する。速度が出ない光明丸だが、それでもまるゆ

の方が遅いくらいで、ややもするとおいて行ってしまう。少し波が出てくるとたちまち激しくピ

ッチングしながら進むまるゆを見て、光明丸はつくづく不憫な船だと感じ入ってしまう。予定を

変更して紀伊水道から瀬戸内海へ。鳴門海峡を通過すれば流石にもう深海棲艦に怯える必要はな

い。ばら積み船に、タンカー、フェリーに遊覧船、そして漁船までもが大量に行き交いしている。

ああ、本土に帰ってきたんだ……と光明丸は思わず口に出してしまう。明日をも知らぬ戦い、24

時間続く危険な任務、胃がキリキリとする孤独な任務は、この海にはない。感慨深げにしている

間に広島にさしかかっていた。

「お世話になりました。このご恩は忘れません」と大げさなことを言ってまるゆは手をさしのべ

る。

「また何時か、生きてお会いしましょう」

 光明丸はがっしりと握手しながらそう言った。船員妖精達も互いに手を振って挨拶する。その

まままるゆは彼女の母港へと進路を取る。その姿は少しずつ小さくなり、やがて水平線の向こう

へと消えた。さあ、次は我々が母港へ帰る番だ! 関門海峡を抜け日本海へ、後はひたすら東へ

東へ進むだけだ! 舞鶴に帰ったらまず一杯引っかけ、それから万寿丸の艇長をぶん殴りに行く。

未だに落ち込んだ顔をしている高峰丸の艇長も誘ってやらねば。いや、その前に、味方と連絡も

つけず、しかも予定通り帰らなかった事について小言の一つも言われるかも知れないな。しかし

反論する材料は色々あるぞ。それに潜水艦一隻撃沈はでかい。「勝利者は裁かれない」という警

句があるくらいだからな。あれこれ考えるエビだが、彼の想像する以上に事態は奇妙な方向へと

進んでいた。


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