視えざる船たちの記憶――特設監視艇第7光明丸航海記   作:缶頭

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第5話

 ようやく辿り着いた舞鶴で待っていたのは、歓迎の言葉ではなくいきなりの身柄拘束だった。

光明丸は艤装を外されたのち艦娘用兵舎へ連れて行かれ、3人の船員は舞鶴鎮守府の一角に監禁

される。高峰丸の艇長に至ってはどこへ連れて行かれたかも不明だった。3人は口々に反論と反

抗を繰り返したが、銃を突き付けられるとそれ以上の抵抗を止めざるを得なかった。会議室のよ

うな小部屋に押し込められ、外から鍵を掛けられてしまう。一通り暴れ、一通り罵り、一通りわ

めき、それからしばらくして3人の頭は冷えた。

「駄目だ。ドアが鉄板で補強してある。おまけにシリンダー錠と閂とで二重に鍵を掛けているよ

うだな」

 ツチガミがドアをあれこれ弄っていたが、諦めたのかドアを背にしてへたり込む。

「窓もダメだぁ。鉄板とネジで塞いでやがる。外の様子も分からねぇ」

 こちらはエビだ。憎たらしく鈍く光る鉄板を殴りつけてやろうかと思ったが、自分の手を痛め

るだけだろう。代わりに壁を殴ってみたが、軽い衝撃音が室内に響くだけだった。脱出するため

の道具が無いか室内を見回すが、恐ろしいほどに何もない。机も椅子も壁に貼り付けられたカレ

ンダーもない。事務用キャビネットとロッカーがあるだけだが、中身は空だった。閉め切られた

部屋にも関わらず空気は冷たく、蛍光灯がまばゆい光を床に向けてせっせと送り出している。

「僕たち、何かやらかしましたかね?」

 室内に入れられてからはさっぱり大人しくなってしまったワタノキが、部屋の中心に座り込ん

だ状態で二人に問う。

「ツチガミ、手前がまき散らした悪口のせいで捕まったんじゃねぇだろうな」

「だとしても船員丸ごと拘束する理由にはならんよ。海軍がそこまで面子と連帯責任にこだわる

なら話は別だが」

 三人寄れば文殊の知恵、という。けれども3人が必死に考えても有力な結論は出なかった。ど

うせこの部屋からは出られそうにないし、なるようになれ! と乱暴なことを言ってエビは横に

なってしまう。部屋に時計はなく、誰も腕時計をしていない。拘束された時は確か夜の7時くら

いだっただろうか。眠るには少し早いが、されど他にすることもない。ツチガミもワタノキも彼

に習って固い床に横になった。

 翌朝――結構寝ていたから昼かも知れない――3人は武装した人間の兵士2人にたたき起こされ、

つまみ上げられて部屋から連れ出される。

「一体何処へ連れて行こうってんだ、なぁ兄さんや」

 返事の代わりに、兵士は指でエビを小突いた。そのまま連れて行かれた先は、提督の執務室。

「おやまぁ、提督直々に死刑判決文を読み上げてくれるのか」

 兵士がドアをノックする傍らでツチガミが言った。もはや悪気を隠すつもりもないようだ。

「入れ」

 冷たく言うや否や放り出されるようにして部屋へ入れられる。入った執務室には果たして提督

が待ち構えていた。机を挟んで椅子に座った提督と、その右隣にいるのは艦娘大淀。君たちは下

がってよろしい、と若い提督の声に敬礼で答え、兵士達は室外へと出て行ってしまう。整列した

三人を提督はじっと見つめる。一方の三人はほとんどにらみ付けるような目で彼を見る。本当は

殴りかかりたくもあったが、妖精と人間とでは喧嘩にもならない。提督は手元の書類を掴むと椅

子から立ち上がり、応接用テーブル付属の椅子に座り直した。座らせてあげたまえ、の命を聞き

大淀が彼らをつまみ上げ3人掛けの椅子の上に置き、自分は提督の隣の椅子に座る。

「君たちはとんでもないことをしてくれたね」

 提督の第一声はこれだった。そう言って彼は掴んでいた書類を3人に渡す。エビが手元に投げ

やられたそれに目を向ける。どうやら公報か何かの切り抜きらしい。タイトルには「過去2カ年

における特設特務艇の活動と損害」と大きく書かれていた。やれ特設駆潜艇はこんな船で、特設

敷設艇はこんな任務に当たって……と対して面白くもない内容が記されているだけだ。これが一

体何だというのか。

「16ページだ」と提督は呟くようにしていった。エビがめくってみると、そこには過去2年間に

撃沈・撃破された特設特務艇が名前と共にリストアップされている。上から順に見ていくと、特

設監視艇の欄があった。まさかまさかと思って見てみると、あるではないか。「第7光明丸」の

名前が。

「これはどういうことですか」

 慣れない丁寧語を使ってエビが質問した。

「それはこちらが聞きたいことだよ。君たちは何故生きている」

 提督が妙に冷たい声で逆に質問してくる。話を聞くとこう言うことらしい。高峰丸を看取った

後すぐに現場を離れた光明丸だが、その後現場海域に2隻の特設監視艇が駆けつけたそうだ。彼

らは何も発見できず、しかも光明丸との連絡が付かなかった事から高峰丸・光明丸の両方が撃沈

された可能性があると判断したそうだ。その後、第二監視艇隊本隊は予定日通りに帰港したが、

普段なら自分たちより早く帰港している光明丸の姿がない。それどころか本隊の帰港後しばらく

経ってもなお帰ってこない。これで撃沈されたとの疑いは強まったのだが、疑いが事実へとねじ

曲げられてしまう出来事が起きた。

 第二監視艇隊の帰還と前後して製作された公報には特設特務艇に関する内容が含まれていたの

である。内容の一つとして「過去2年に沈んだ特設特務艇」をまとめる作業が行われたが、その

中で問題が浮かんだ。編集時点で行方不明の船である。こういう場合、確定したデータのある特

定の日、例えば1月1日時点とか4月1日時点とかで線引きするのが普通だったが、よりにもよって

線引きされたその「特定の日」こそが高峰丸と光明丸が行方不明になった日だった。線引きされ

た日から発行日まではほとんど間隔が開いていない。編集作業に忙殺されるのは目に見えている

のに何故そんな事をしたのか。どこかのバカが気を利かせたのか魔が差したのかは知らないが、

「最新のデータ」という謳い文句を付けるために無茶な編纂スケジュールが定められたそうだ。

最終的には編集者の「行方不明のまま連絡もないし、多分撃沈されたのだろう」という思い込み

のために、「高峰丸」「光明丸」の名が撃沈された特設監視艇の欄に書かれることになった。

 これを聞いてエビは当然反論する。勝手に沈んだことにしておいて何様だ。まさか生きて帰っ

てきたことに文句を言われるとは思わなかった。彼は光明丸の一連の戦闘と、受けた損害、そし

て帰還するに当たってどんなルートをどのように航海したのかを詳しく説明して見せた。が、提

督はまるで興味が無いという顔で聞き流す。挙げ句の果てに「なるほど、なるほど、艦娘の説明

と一致するね」と言って別の書類をよこした。光明丸本人から尋問したらしいその文章は、今エ

ビが言ったことと同じ事柄が書かれている。知っているなら何故俺達をこんな所へ引っ張ってく

どくど言うのか。とエビが問うより早く提督は口を開いた。

「舞鎮の中にはね、死んだはずの妖精と沈んだはずの艦娘が生きていては困る、という者がいる

のだよ。公報との食い違いがあれば海軍の沽券と信頼に関わると言ってね。君たちは既に戦死扱

いとなっている。死んだ者は死んでいなければおかしい。海軍の記録が間違っていて実は生きて

いましたとなっては面子が立たない、というわけだ」

 何とも慇懃な内輪のルールを押しつけてくるものだ、とエビは呆気にとられ、そのために提督

の追撃を許した。

「それにね、君たちはさらなる襲撃から避けるために離脱したというが、報告によると離脱を開

始したのは1151だ。監視任務が終了するのは1200。この時点ではまだ任務を継続しなければなら

ないはずではないかい?」

 驚いてエビは光明丸の尋問書を見る。確かに正午前に離脱を始めていた。しかし、たったの9

分。戦闘を行って生き延びた上で、さらなる攻撃を避けるために無視された9分がそんなに重要

なのか! しかも万寿丸と違い本当に損傷していたのに、と言いかけてエビは口をつぐんだ。

「あいつもやっているのに」というのはどう考えても詭弁でしかないからだ。

「陸軍の潜水艦と合流できたのなら一報入れて欲しかったねぇ。加えて言えば横須賀や呉で修理

を受けても構わなかったはずだ」

 前者に関しては反論できない。本土へ帰ってきた安堵感からすっかり忘れていたのだ。事実、

そのことに気がついたのは島根沖を航行している時だった。一方後者に関しては半ば言いがかり

である。各鎮守府間の縄張り意識は強い。独立採算制に近いことをやっているとも聞く。鎮守府

ごとに何かと競争させて対抗意識を煽っていたし、提督同士が会う時は名前の前に何処に所属し

ているかを聞くと言うではないか。舞鶴所属の船が横須賀に入ったところで、諸手を挙げて受け

入れてくれるとは到底思えなかった。だからこそ故障した身を押して舞鶴まで戻ってきたのだ。

提督は新たな書類を見せながら続ける。

「以上の命令不服従と職務怠慢、ならびに撃沈として処理された船が生還した件について、本日

朝舞鎮の提督たちに招集がかかったよ。そこで君たちの今後について協議されたわけだが、鎮守

府の決定は見てのとおりだ。ひとつ、君たちが生きていることは外部に漏らさない。ふたつ、本

件に関しては当鎮守府で内々に処理する。みっつ、名誉回復の機会を与える。残念だよ。私とし

ても出来るだけ弁護したつもりなんだがねぇ」

 そういって彼は、さも不服だという顔で両肩を上げてみせるのだが、どこまで信用できるか怪

しいものだ。「死んだはずの妖精と沈んだはずの艦娘が生きていては困る」人間のうちにこの提

督が入っていない保証はない。エビ達が提督に対する不信感を抱いたことをキャッチしたかのよ

うに、彼の言葉は少しずつ辛辣になっていった。

「率直に言うとね、別の意味で残念でもあるんだよ。この決定がではなく君たちの任務に対する

不誠実さが、ね。君たちは少しばかり気がゆるんでいたのではないかね。世界が危機に瀕してい

るという自覚はあるのかい。そんなときに君たちは、言い方は悪いけど我が身可愛さに不名誉な

行為を行い、その危機を推し進めたわけだ。いいかね、わが海軍はかかる不祥事を決して見逃す

ことはないよ。協議の中では君たちのことを舞鶴鎮守府の恥さらし、面汚しとまで言われていた

んだよ。それでこの処置で収まったのが不思議なくらいだよ。君たち、情けないとか恥ずかしい

とか思わないのかい?」

 文字として記すことがはばかられるくらいに下品な言葉で怒鳴りそうになるエビをツチガミが

制止し、代わりにこう言った。

「阿呆らしい」

「なんだって……?」と提督は押し殺した声で言った。人のことを散々言う割には言われること

には慣れていないようで、その顔には露骨に怒りの色が浮かんでいた。

「阿呆らしい、と申しあげたのです。『不名誉な行為』ですって? 生憎ながら我々漁民上がり

の軍属には失うだけの名誉などハナから存在しません。海軍の面子が潰れようが、あなた自身の

出世に響こうが、『率直に言う』というなら率直に言って、どうでもよいのです」

 ツチガミは口ひげを撫でるいつもの癖をしながら第一撃を放った。突然の反撃に提督がひるむ

間に言葉を続ける。

「一体全体、我が国を除いて、この世の何処に生きて帰ってきた兵士を歓迎しない、それどころ

か死んだことになっているんだから死んでこいなどと言って彼自身の命で償わせるような軍隊機

構がありますか。どうですか、一カ国でも挙げられますか? もっとも、我が国における事例な

ら私のような漁民ですらダース単位で挙げる事が出来ますが。九軍神、振武寮、一空事件、ズン

ゲン支隊、カウラ事件、まだまだありますが、お聞きになりますか」

 提督が憤慨する様子がエビにはハッキリと分かった。が、ツチガミのスイッチはとっくに入っ

てしまっていた。

「まあいいでしょう。『海軍は不祥事を見逃さない』ですか。素晴らしいですな。しかし私は、

かつて連合艦隊の参謀長とやらがみすみすゲリラの捕虜になり、機密文章の一切合切を奪われて

おきながら軍法会議にも掛けられなかった事を存じています。とある高速戦艦の発注に際して莫

大な賄賂のやりとりがあり、内閣が総辞職するにまで話がこじれた事も存じています。そんな組

織に自浄能力や綱紀粛正能力があるとはつゆほどにも思いません。その海軍にちり紙のように扱

われているのが我々徴用された漁民と、特設監視艇なのです。まともな武器も持たずに深海棲艦

がうろつく太平洋の真ん中へ放り出され、そこで20日間の哨戒任務を行うのは、想像しがたいほ

どの忍耐が必要なのです。今この瞬間、水平線の向こうから敵艦が現れるかもしれない。あるい

は音もなく魚雷を撃ち込まれるかもしれない。船員妖精達はそういった恐怖に常に耐えているの

です。気まぐれな一弾、僅かばかりの衝撃が命と直結しているのです。無論これは正規の軍艦と

て同じ所ですが、特設監視艇は戦う船ではありません。特設監視艇にとっては敵を迎え撃つこと

はおろか、撃退することすらままならないのです。手も足も出せない、という言葉がこれほどふ

さわしい軍用船は古今例を見ません。特設監視艇は深海棲艦を見つけるのが任務です。しかし、

深海棲艦を発見するということは、敵にも発見されることを意味します。圧倒的な武装の差と、

課せられた任務。この二つが何を意味するかお分かりになりますか。『任務を果たすことと死ぬ

ことがイコール』なのです! ここまで弱々しく、適当で、顧みられることのない軍用船は存在

しません。物理的に小さいと言うだけでなく、海軍の、あなた方の扱いもまた不当なまでに小さ

いのです。そんなことは無い、とお思いなのでしょう。自分は戦艦も駆逐艦も、特設砲艦も特設

監視艇も平等に扱っていると。ではお聞きしますが、武勲を挙げた特設監視艇を、伝説的と言っ

ても良いあの第二十三日東丸以外に何隻挙げることが出来ますか。片手で数えられるほどにも出

来ないでしょう。当然です。なぜなら特設監視艇が『武勲を挙げる』ことはすなわち任務を果た

すこと、つまり死ぬことなのですから! 任務は重く、扱いは軽い。特設監視艇に限らず徴用船

舶全てに当てはまることなのです。ほとんど消耗品のように扱われるのが我々なのです。でなか

ったら、日頃燃料を無駄に食いつぶすだけの戦艦・空母が如何に素晴らしいかを驕奢な文章で述

べる書籍が本屋にずらりと並ぶ一方で、我々は公文書にすらその存在を『その他』とカウントさ

れるのをどう説明するのですか。空母艦娘が指折り待っているボーキサイトを南の海から運ぶの

は徴用された貨物船で、それを護衛するのも徴用された捕鯨船を改造した特設駆潜艇なのです

よ!」

 ツチガミが機関銃のようにまくし立てるのを聞いてエビは内心ほくそ笑んでいた。良いぞツチ

ガミ、徹底的にやってやれ。

「提督閣下はおそらく、戦意のない漁民は敵を見つけても『我が身可愛さに』通報を怠り見ない

ふりをするのだとお思いなのでしょう。それは全く事実に反します。漁民は、純朴ですが愚かで

はありません。知恵者ですがずる賢くはありません。彼らは自分たちの任務が何で、任務達成の

暁には自分たちがどのような目に合うか、ハッキリ分かっています。分かっているからこそ、深

海棲艦を発見したら『必ず』報告するのです。矛盾するようですが真実なのです。なぜだかお分

かりですか」

 提督は黙ったまま何も言わない。ワタノキと大淀は互いに目配せし、来るべき殴り合いを止め

ようとあわあわしていたが、手の施しようがなかった。

「敵を見つければ同時に見つかりもする。漁民はそのくらい理解しています。そして自分たちの

焼玉エンジンが発揮する10ノットの速力ではいかなる深海棲艦からも逃げられないことも、また

理解しています。ですから、どの道死ぬのが決まっているならせめて『敵艦見ユ』の電文をしっ

かりと打って、自分の務めを立派に果たしたことを船団に知らせてから死にたい、そう思ってい

るのです。それが我々に出来る、自尊心を満たす唯一の行為なのです。提督閣下はまた、特設監

視艇は味方が攻撃を受けても『我が身可愛さに』助けにも行かないと思われているかもしれませ

ん。答えは否です。無論、全ての者がそうではありませんが――漁民は味方の船を見捨てません。

決して味方を見捨てません。自分たちが大枚をはたいて購入した船が傷つくことを漁民は大変に

恐れています。しかし、攻撃を受けて沈みつつある特設監視艇の乗組員――大抵は船ごと徴用さ

れた船員達――もまた、苦労して自らの船を手に入れたであろう事を漁民は理解しているのです。

互いに理解し合い、他人の痛みを自分の痛みとできるからこそ、見捨てないのです。私の隣に座

るこの艇長が、何故自身の船をむざむざ危険に晒してでも高峰丸を援護に向かったか、あなたは

ご理解できないでしょうね。彼は光明丸を失うことを何よりも恐れています。しかしその恐れが

他の艇長達にも等しく存在することを知っています。だからこそ無制限の勇気が、もはや蛮勇と

言って差し支えない勇気が、彼に与えられるのです。たかが漁民風情が、と仰るかもしれません。

海軍がお前らの漁場を守ってやっているのだと。それはとてつもない思い上がりです。海軍が本

気で民間船を守っていると思っている者など、鎮守府の外には一人だっていやしません。もしそ

うだとしたら、何故鎮守府の目と鼻の先に深海棲艦が現れるのですか。あなたがたはこのような

深海棲艦を『はぐれ艦隊』と呼んでいるそうですね。しかし、そのはぐれた深海棲艦ですら、漁

船を沈めるのには十分すぎる武装をしているのです。そしてたまたま迷い込んだ深海棲艦が、と

もすれば大虐殺をも引き起こしかねないことは、漁協に問い合わせていただければ幾らでも証拠

があります」

 そう言ってツチガミはちらりと、部屋の片隅に掛けられている掛け軸に目をやった。掛け軸に

は毛筆で大きく「海上護衛」と書かれている。開けられた窓から風が入り、掛け軸を小さく揺ら

した。

「加えて言えば、漁民は海軍に依存していません。光明丸は一切の手助け無く深海棲艦の群れを

やりすごして漁をするために強力な機関を積んでいます。しかしそれ故、足の速さが見込まれ海

軍に徴用されたのです。元のトロール漁船のまま漁をしたとして、揚がった魚はあなたの口にも

入ったことでしょう。その魚はまったく自身の力のみで得た魚です。小骨の一本に至るまで海軍

の労力などと言う物は含まれていません。もちろん、我々は商売として漁をしています。正当な

代金を受け取っています。しかし海軍の協力があってこそ得られた金などは一円たりとも無いの

です。海軍は我々から魚を買い、あるいは船を徴用している。一体どちらがどちらに依存してい

るか、お分かりになると思います。このように、徴用漁船を特設監視艇とし、任務に就かせるこ

とはそれ自体がすでに徒刑に等しい。その徒刑から帰ってきた者達に、今度は死刑を科そうとい

うのがあなたのしようとしていることなのです。どうですか。聞いていて『情けないとか恥ずか

しいとか』お思いになりませんか。情けなくて恥ずかしい。そのようなことが今まさに第五艦隊

第二十二戦隊第二監視艇隊で起きようとしていて、その第五艦隊の指揮官はあなたなのです、提

督。あなたにとってこれほど『不名誉な』こともありますまい」

 提督はますます怒った様子になるが、しかし次にはその怒りを飲み込むと、薄気味悪いほどに

こやかな顔になってツチガミへの反駁を開始する。

「ははは、なかなか良い演説だったよ。つまり君たち徴用された特設監視艇は日頃ひどく苦しい

任務に就いていて、だから多少の不祥事を見逃せと言うんだね」

 それは違います! とのツチガミの声を手で遮り、さらに提督は続けた。

「君たちは自分たちだけが辛い目に合っていると思っているようだけれども、それは大きな誤解

だよ。艦隊決戦から海上護衛まで、艦娘たちは日々戦い傷ついている。洋上監視だけが苦しく困

難な仕事ではない。そもそも監視任務は戦闘を前提とした任務ではないのだから、同じ土俵で比

較してよいものだろうか。空母艦娘や戦艦艦娘に逆恨みのような感情を抱いているようだが、し

かし君たちは彼女らの何を理解しているつもりなのだい。彼女達も日々訓練に励み来るべき戦闘

に備えているんだ。もし戦闘になれば確実に戦果を上げられるようにね。洋上監視と違って艦隊

決戦は四六時中起こるものではないし、起こったとすればそれは監視任務とは比べものにならな

い激戦になるだろう。ここ一番の戦いで大きな役割を背負うことになる彼女らにかかるプレッシ

ャーがいかほどか、想像も出来ないだろう。暇そうにしていると言うだけの理由で彼女達を恨む

のは筋違いも良い所じゃないか。確かに洋上監視はつまらないし誉められもしない任務かも知れ

ないが、しかし『勝利のない戦い』である海上護衛だって同じようなものだよ」

 なんと無理解な、とツチガミは心の内で叫んだ。今言ったことを全然聞いていないではないか。

 艦隊決戦に望む空母艦娘や戦艦艦娘は、勝つ見込みがあるからこそ決戦を挑む。特設監視艇は

いかなる敵に対しても勝ち目がない。護衛任務に就く駆逐艦娘や巡洋艦娘は、自分どころか他艦

をも守れる兵器と技能がある。特設監視艇は自分の身を守ることもおぼつかない。特設監視艇は

機械的に、ルーチン的に、慣例的に送り込まれ、そして手も足も出ないまま沈められている。徴

用した船娘たちのことを使い捨てだと思ってはいないか、不当に扱いは軽くないか、偏見の目で

見てはいないかと問いたいのだ。もっと厚遇せよなどと図々しいことを言っているのではない。

そうなったところで問題は何も解決しない。ただ理解して欲しいだけだ。徴用船娘たちは海軍の

ツケの帳尻を合わすべく戦っているのだということを。しかし海軍の見通しの甘さ、無計画さの

せいで貯まったツケは下手にほじれば彼ら自身の職能を問いかねず、それがために、徴用された

船たちの戦いは顧みられないということを。

 しかし提督の無理解にひとつひとつ反論するためには無限にも等しい時間を要するのは明白だ

った。ツチガミに出来ることは、ただ口を真一文字に結んで黙る事だけだ。

「私は何も特別なことを言っているのではない。仮にも軍属なのだから軍の命令には従って欲し

い、それだけをお願いしているんだよ。君たちが自分の都合で任務を放棄すれば、その分の負担

は同輩である他の特設監視艇に押しつけられることになるが、君らはそれでも構わないと思って

いると他人に受け取られてしまうよ。漁民はそういうことを平気でする人たちだと、そう誤解さ

れるのは君たちの本意でもないだろう。万が一、監視網をすり抜けた深海棲艦に本土近海への接

近を許してしまえばどうなるか。艦載機による空襲や艦砲射撃の悪夢が現実の物となった時、一

番被害を被るのは国民たちだよ。海軍を貶し、艦娘を貶し、同僚と国民まで危険にさらして、君

たちはいったい何を守りたいのだい。そんなに命が惜しいのかい?」

 我慢の限界だった。こちらの意見に同意してくれないのはまだしも理解するつもりすらないら

しい。

「ええ、ええ、もちろんです。『板子一枚下は地獄』が厳然たる事実であっても、いや、である

からこそ命の重みをひしひしと感じますゆえ。さらに言わせて貰えば、犬のフンをバラと呼んで

も香りが変わらないように、犬死を名誉の戦死と呼んだところで中身は変わりません。漁民はそ

んな手には引っかかりませんよ。海軍とは違ってね!」

 売り言葉に買い言葉ではあった。が、最後のひと言は明らかに言い過ぎだった。提督は机を思

い切り、ワタノキと大淀が飛び跳ねるくらい大きな音を立てて叩くと、やおら立ち上がり身を乗

り出した。そして勝ち誇った顔で宣言する。

「それでは仕方がない! 君たちは徴用解除だ。すまないが光明丸は明日から海軍軍人によって

運用されることになる。彼女のことは一切合切任せてもらおうか」

 ふざけるな! とエビの怒号が飛んだ。光明丸を好き勝手にされる、それだけは絶対に認めら

れない。すわ殴り合い――もっとも、人間と妖精では勝敗は火を見るより明らかだ――かと思わ

れたが、突然ノックも無しに入室してきた艦娘とその声が水を差した。

「Hey,提督ゥ! 第3、第4戦隊が帰港したヨー!」

 室内にいる全員がその声に振り返ると、立っていたのは艦娘金剛だった。秘書艦と書かれた腕

章が千切れそうになるほど腕を振っている。

「すぐに給油と整備に入るネ!」

 エビとツチガミは幸運だった。意見はおろか、彼ら自身があやうく物理的に握りつぶされると

ころだった。提督はどっかりと椅子に座ると、温和な顔を乱さぬまま金剛の報告を聞いていた。

 エビは金剛に目をやる。徴用されて以降、彼女を見た事は何度もある。そのたびに何とも言え

ない落ち着きの無さを感じて仕方がなかった。恨み辛みでもあったし、同時に好感や憧れでもあ

った。そんな相反する感情がぐちゃぐちゃにミックスされた得も言われぬ思いが渦巻き、金剛に

視線を向けるのがはばかられた。失恋とはこういう感じなのだろう、と別段大恋愛も大失恋もし

たことのないくせにそう思う。一通り説明をし終えると、金剛は空いていた椅子に座り面々を見

渡す。

「ワタシもMeetingに混ぜてもらえますカー?」

 今までのやりとりがぶち壊されて気分が冷めたのか、ツチガミを始め皆が黙りこくってしまう。

沈黙に耐えきれなくなったワタノキが恐る恐る手を挙げて質問した。

「あの、提督の仰る『名誉回復の機会』とは……?」

 自分にイニシアチブが回ってきた提督だが、もはや演説を打つ気分ではなかった。

「詳細は大淀から説明させる」とだけ言うと、立ち上がり退室してしまう。続いて金剛が提督を

呼び止めつつ室外へ。エビ達が入室してから一言も喋っていない大淀はしゃべり方を忘れてしま

ったかのように黙っていたが、一つ大きなため息をつくと手元の資料を見ながら説明を始めた。

「皆さんには4日後に敦賀港を出港する輸送船団の護衛任務に当たっていただきます。船団は24

隻。名称は特一号船団。目的地はラバウルです」

 これはまた、いきなりなことを言う。哨戒任務のため硫黄島の東に進出するのですら十分遠く

感じるのに、ラバウルとは!しかも4日後に出撃と来た。特設監視艇隊は帰港した後は10日は休

みが貰えるはずなのに。一難去ってまた一難。朝からへとへとに疲れつつ、それでもエビは口を

開いた。

「質問が色々ある」

「どうぞ」

「何故俺達がそんな任務を?」

 大淀は眼鏡を押し上げると生真面目な口調で疑問に答える。曰く、非常に緊急性の高い輸送任

務なのだが、大規模な作戦が迫っているため舞鶴鎮守府の艦娘ほぼ全てが出撃予定だという。そ

のため船団護衛に割ける戦力が足りない。海防艦の類も出払っていて都合がつかない。特設特務

艇のうち、比較的大型で足の速い船を探していたところ、昨晩都合良く光明丸が帰港したという

次第。自分の身を守ることすらままならない特設監視艇だが、輸送船やタンカーは完全に丸腰な

のだからいないよりかはマシといった所だろうか。特設監視艇のくくりで見れば大型でそこそこ

の重武装、そしてやたらと足の速い光明丸は確かに打って付けだろう。けれども特設監視艇に護

衛任務をさせるなど前例があるとは思えなかった。

「光明丸の修理と給油くらいはしてくれるんだろうな。それに、24隻も船がいるんじゃ一隻じゃ

とても守りきれやしねぇ」

「それについては問題ありません。すでに明石が光明丸さんの艤装の修理に掛かっています。護

衛は計11隻で行います」

 24隻の船に11隻の護衛。それが多いのか少ないのかエビには判断しかねた。腕組みして考え込

むエビの代わりにワタノキが発言する。

「それが『名誉回復の機会』ですか」

「はい。無事任務達成の暁には今回の件に関する一切を不問にする用意がある、と」

 言葉に含みを持たせた言い方が気になったワタノキだが、それ以上聞く勇気もなかった。どの

道船員達に選択肢など無いのだ。嫌だと言ったら今度こそ本当に体を握りつぶされてしまう。3

人の船員妖精はしばらくの間黙りこくった。何かを考えているのではない。今はその必要すらな

い。何を考えた所で結局は命令の下るまま、また海へとこぎ出すだけだ。彼らは突然自らに課せ

られた厳しい運命――と言って悪ければ状況――を受け入れるため、個人的な時間、自分の内面

と向き合う時間を欲していた。5000キロ近い海を渡り、赤道の向こう、ニューブリテン島のラバ

ウルへ。あまりに遠すぎるためにまったく現実感が湧かなかった。そこにはどんな海が広がり、

どんな星が輝き、どんな太陽が昇っているのだろう? 本来のトロール漁船としての光明丸に乗

り込んでいたのなら、あるいはそこまで行くこともあったかも知れない。どこそこの島にはどん

な人々がこんな風に暮らしていて……と自慢げに語ることも出来ただろう。しかしエビのその可

能性は、深海棲艦と海軍によって潰され、また今後も当面潰され続けることが確定している。

 そこまで思いをはせたエビは目眩を感じ、少し目をつぶった。目を開けると、大淀が心配そう

にこちらをのぞき込んでいた。目眩で頭がふらふらするのを耐え、エビは「最後に一ついいか」

と言って続けた。

「命を大事にするのがそんなに悪いことなのか、あんたはどう思うんだ。他人には言わねえから

教えてくれねぇか」

 大淀は視線を足下に落とししばらく考えると、慎重に言葉を選んだ。

「皆さんの仰ることも分かります。ただ、提督の言わんとすることも、同じくらい分かります。

その上で私自身の経験で言わせて貰うなら――時として命と同じくらい重大な、命を賭してでも

果たすべき使命が存在することは確かです」

 それが連合艦隊旗艦の経験を有する巡洋艦大淀の答えだった。その使命とかいうクソみたいな

物が山盛りになったお鉢が俺達の所に回ってきた。エビはそう理解することにした。

 


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