多分こんな綺麗にはいかないと思いますが、まあその辺は幸福IFということで。
授業参観を楽しみにしたことはない。どうせお母さんは来ないから、良くも悪くもどうでもいい。……筈だったんだけど。
実際来たら来たでちょっと色々とめんどくさいんだな、と思ったり思わなかったり。
いや私があれこれ考えないといけないからじゃなく、斜め後ろにいるまりなちゃんが物凄くアワアワしててめんどくさい。言わないけどね、うん。
「なんであんたの母親ちゃんと来てんのよ……そしてなんであの位置に立ってんのよ……」
知らんがな。本当に知らんがな。
一応話はしたけどお母さんがわざわざ来ると思わなかったし、それに――まりなちゃんちが両親揃って来るなんてやっぱり思いもしなかったんだから。
まりなちゃんパパとまりなちゃんママ、そしてうちのお母さんは三人並んで教室の後ろにいて。三人ともスゴい気まずそうにしている。まあ、そうだろうな。いやまあ、それこそ知らんがな――だけどね。
全部お前のせいだと言われた。お前がいるから、お前の母親のせいで私の家はめちゃめちゃなんだ。お前たちさえいなければ、お父さんはお母さんを裏切らなかった。お母さんは壊れなかった、私たちは家族でいられた。
もう、死ねよ。謝らなくて良いから、なにも求めないから。とにかく死んでくれ、それでお前も楽になれる。それがきっと幸せなんだ、地獄でも掃き溜めでも良いからあのクソ犬のところに行けよ。
投げ掛けられる罵詈雑言、それは止まらない。振り上げられたペンはきっと、あの日のチャッピーの牙よりもずっと深く私の身体に突き刺さる。
ああ、そうか。今度は私が、いなくなるんだ。もう良いや、もう良いよ。
薄れていく意識、その中で私は聞いた。
まりなちゃんの唇が、ほんの一瞬だけ殺意を置き忘れ――小さな呟きを放ったのを。
「なに、それ」
視線の先にあったのはランドセルから滑り落ちたプリント、その上にある落書き。私が手持ちぶたさに任せて描いた、なんの意味もない図形。いつからか何の気無しに描いてしまっていた、よく分からないもの。分かっているのは、記憶にあるのは一つだけ。
「タコ、ピー……」
どうしてこれをそう呼ぶのかも分からない。でもなんとなく、タコピーとしか形容できない。
「はあ? ごみかすじゃん、気持ち悪っ。壊滅的に馬鹿っぽい、なにもできなさそう。ごみくそ……ごみくそって感じ」
そうだ、これはなにもしてくれない。
それなのに付いてきそうでうっとうしい、なにもできない癖に――
「それでこのごみくそ、……てさ。何の役にも立たない癖に、ずーっと話しかけてくる。絶対帰んないの、バカなのに」
まりなちゃんの手からはもう、ペンは滑り落ちていた。それにさえ気付かないまま、タコピーを見詰めている。
どうしてまりなちゃんもタコピーを知っているんだろう、タコピーってなんなんだろう。
そう思った瞬間、私の中で何かが沸き上がった。
聞いたこともない声が、頭の奥で渦を巻く。
それは私の舌に飛び乗り、口をこじ開けてそして。
勢いよく飛び出した。
「おはなしが……ハッピーをうむんだ……ッピ」
そうだ、私はいつかそう言われた。
誰なのか、いつなのか、それは思い出せない。
忘れてはいけないのに忘れている、一番大切な約束だった筈なのに。
「ごみくそ……そうだ、ごみくそはそんなこと言うんだ……。いやなんだよこれ……なんなんだよ気持ち悪い、知らないのになんで知ってるんだよ……」
まりなちゃんの目からは何故か大粒の涙が後から後から溢れ落ちて、それは私の涙と混ざりあいタコピーはどんどん滲んでいく。
私たちはなにをしているんだろう。落書きを見て変なこと言って、わんわん泣いて。
全部全部、メチャクチャだ。
まるで友達同士みたいに寄り添って、ボロボロの私たちは泣き続けた。
あの夜、東くんが私たちを心配して駆け付けてきてから。私たちは、初めてちゃんと
まあそれはそれとして、だ。
「えー……雲母坂さんのお父さんが久世さんのお母さんにお金をいっぱい渡してて、それで雲母坂さんの家は貧乏になったしお母さんがどんどんおかしくなっていった。久世さんのお父さんは遠くにいて、チャッピーもそっちにいるってお母さんが言ってた……と」
まあ簡単に言えばそうなのだ、だからまりなちゃんは私を嫌っていた。そういった話を可能な限り聞いて、東くんは数日かけて事態を纏めてくれたのだ。さすがメガネかけてるだけの事はある、東くん頭良い。
「二人の家族の事について色々調べて、僕なりに結論は出せたんだ」
東くんは複雑そうな顔でそう言うと、申し訳なさそうに私たちに向き合った。
僕はこれから、二人に辛いことを言うことになる。でも最後まで聞いて欲しい、出来る限りで良いから落ち着いて。
そう前置きして始まったのは、私にとってもまりなちゃんにとっても理解の範疇外の事。
チャッピーはもう、死んでしまったらしい。人に怪我をさせ保健所に送られたと言うのはそういうことで、お父さんの所にいるなんてのはお母さんが吐いた嘘。そして嘘はもう一つ、お父さんももう帰ってくることはない。お母さんとお父さんは「離婚」してしまって、お父さんはもう私のお父さんではなくなってしまった。
「一応住民票も見たけど、もう何年も前に離婚してしまってるんだ。それと雲母坂さんのお父さんだけど、えっとね……あの、……どうも色んなお店の女の人に、そういう事をしてるみたいだよ」
「は、……あ? じゃあ、このドブ女の母親のせいだけじゃないっての?」
「潤也……兄さんにも調べて貰ったし、あちこちの常連なのは確かだよ。あともし雲母坂さんのお父さんが久世さんのお母さんだけに貢いでるとしたら、久世さんの家が
う。それはまあ、そうかもしれない。まりなちゃんの家がやっていけなくなるくらい、お給料の殆どがうちのお母さんの所に入っているなんて思えないから。幾ら服とかにお金をかけるったって、そんなにいっぱい使える訳がない。
なんにせよ私たちは、するべき事を間違えていた。
私たちはお互いを憎むとか自分を諦めるとかじゃなく、自分の家族とちゃんと
子供だから聞いてくれない、ぶたれるのは怖い、だから黙っていよう……じゃないんだ。
ぶたれても怒鳴られても、お話しよう。納得いくまで、ひたすら。いつかそれが私を、私たちを――ウルトラハッピーにしてくれるから。
ありがとう、東くん。もし東くんに助けが必要なときは、必ず駆け付ける。私たちが助かるきっかけをくれた恩は、必ず返して見せる。
そして、そして。私は泣いてすがって歯茎を剥いてお母さんと何時間も何時間も話し合い、何日もいがみ合い続けた結果、ようやく母娘へと戻ることが出来た。お父さんもチャッピーも二度と帰っては来ないし、ご近所の評判も覆しようがない。それでも一歩、ちゃんと踏み出せた。
それはまりなちゃんの家も、同じだったらしい。
半狂乱になったお母さんにやられて怪我をしたまりなちゃんだけど、でも一歩も引いてやらなかったと笑ってた。もしかしたらうちみたいに離婚するかもしれないし、お母さんはかなりヤバい状態だそうだけど、だからって諦めたくはないと。『まあ、ね。私がパパもママも変えてやるわよ、どうにかなるって』なんて負けず嫌いのまりなちゃんは、今まで通りに胸を張る。
そうそう、東くんも東くんで色々家族と話し合ったそうだ。何があったのかは一々聞かないけど、なんだか私たちの事が切っ掛けになったとかなんとか。
歪で澱んで壊れきった日常を、私たちは少しずつ繕いながら歩いていく。よろめきながら、一歩ずつ。
きっといつか、いつかは報われるさ。
「つーかパパまで来る意味何処にあんのよ……平日なんだから稼いで来いっての……」
「潤也もなんで来るかな、大学良いのかよ」
「皆大変なんだね、うちのお母さん『普段夜の仕事だから早起きして行くの面倒』って言ってたよ」
「しずかちゃんもしずかちゃんで大変だッピ」