【RTA】鬼滅の刃RPG『長い長い人の歴史のほんの一欠片』獲得チャート 作:バブ辻オギャン
薄暗い室内に、柔らかな灯りがひとつだけ揺れている。
外界から切り離されたような、そんな静寂が部屋の隅々まで満ちていた。
卓を挟み、二人は向かい合っていた。
麗は背筋を自然に伸ばしたまま、無駄のない姿勢で座している。
青い羽織がわずかに揺れ、その内側の黒衣が影を落としていた。
藍鼠色の長い髪は肩から流れ、毛先にかけて滲むような赤色の髪が、灯りを受けて淡く揺らめく。
その頭上には、一羽の鴉。
「カァ~~……♪」
麗の鎹鴉、江檀はまるで自宅にいるかのようにリラックスしている。
そして膝の上にも、もう一羽の鴉。
指で羽を梳くように撫でれば、鴉は照れくさそうに身体をくねらせた。
「ほら、順番だよ」
「……麗様」
「まぁまぁ、いいでしょ?」
麗はまるで、小さな子供をあやすような穏やかな声で囁いた。
指先がゆっくりと動き、膝に乗る鴉の羽の一枚一枚を、確かめるように静かに撫でる。
撫でられた鴉は喉を鳴らし、目を細める。
もう一羽はそれを見て、静かに身を乗り出す。
「カカッ!イイモンガ見レタ」
「ん。あとちょっとで江檀の番だね」
麗の表情はほとんど動かない。
それでも、ほんの僅かに目元が緩んでいる。
「だから、そんなに急がなくてもいいよ」
低く、柔らかな声。
その声音には、命令も威圧もない。
ただ、静かな確信だけがあった。
「…………」
その様子を、珠世は正面から見つめていた。
白磁のカップを持つ指は、寸分の狂いもなく優雅だ。
だがその目の最奥で、彼女の思考は絶えず巡っている。
表面上は穏やかに見えても、内側では計り知れない警戒が張り詰めている。
(彼女の気配……)
紅茶の香りが鼻腔を抜ける。
しかしその繊細な感覚すら、今は意識の外へと押しやられていた。
目の前の女――花柳麗。
鬼殺隊の者でありながら、その存在はあまりにも異質だった。
(気配が、薄い)
いや、薄いという言葉では足りない。
それは『無い』と錯覚するほどに穏やかで、揺らぎがないのだ。
そのどれもが感じ取れない。
ただこちらを『敵』と見なしていないだけという可能性はゼロではないが、その線は薄いだろうと睨んでいる。
むしろ、これは――。
(底が……見えない)
珠世の瞳がすっと細められる。
花柳麗。彼女のその静けさの奥には、何かがある。
それは、触れれば崩れるものではなく、むしろ底なしの深淵に近いもの。
――かつて、一度だけ。
それに似たものを、かつて珠世は見た事がある。
その記憶は数百年前の古いもの。
しかし、それを見た瞬間から、珠世の中では決して風化していない希望の記憶。
鬼の呪いよりも深く、そして血のように濃く、焼き付いていた。
戦国時代のあの夜。
鬼舞辻無惨が、生涯で唯一追い詰められた夜。
それを成した一人の剣士。
名も知らぬその男は、ただ静かに立っていた。
何の誇示もなく、何の威圧もなく。
それでいて、こちらに『逃げ場は無い』と本能に告げる存在感。
(嗚呼……似ている)
珠世の視線が無意識に麗の髪へと向かう。
藍鼠の色から、血を思わせる赤へと移ろう毛先。
あの剣士は黒髪だったが、しかし目の前の麗と同じように、毛先に異質な色を宿していた。
何より、それ以上に。
(この、在り方が……)
存在そのものが似ているのだ。
穏やかで。
静かで。
そして、理解の及ばぬ『深さ』を宿す、
「……」
珠世はカップを唇へと運ぶ。
紅茶を一口含み、その温度を確かめるように飲み下した。
表情は変わらない。
だが、その内側で警戒は一層強くなっていた。
「…………」
そして、その背後。
珠世の傍に控えている愈史郎は、珠世とは違って明確に敵意を隠していなかった。
麗を見据える視線は鋭い。
ほんの僅かな挙動も見逃すまいと、身体全体に緊張を孕んでいる。
筋肉はいつでも動けるようにしなやかに張り、呼吸すら浅い。
花柳麗という存在が『危険』であると、理屈ではなく、感覚が告げているからだ。
口でこそ敵対する気はないと謳ってはいるが、それもどこまでが本心なのか分からない。
覇気のない穏やかな気配も相まって、それが何よりも不気味だった。
そんな愈史郎の視線を浴びながら、不意に麗が口を開いた。
「……そんなに睨まなくていいですよ」
視線は鴉に落としたまま。
まるで、愈史郎の存在など見えていないかのように。
それでいて、しかし確実に意識している声色。
「最初にも言ったけど、今日は斬りに来たわけじゃないので」
淡々とした声音。
そこに嘘の気配は依然として無い。
だが、それが逆に不気味だった。
「信用できると思うか?」
愈史郎の声が鋭く返る。
空気を裂くような緊張が、両者の間に走る。
麗は、その言葉に対してようやく顔を上げた。
赤を帯びた髪がさらりと揺れる。
その奥から覗く瞳は静かで、やはり底知れない。
「思いません。普通は」
あっさりとした肯定。
「だから、信用してもらおうとも思っていない」
でも。
そう一拍置き、言葉を重ねる。
「耀哉様の望んだ通り、僕はただ、話をしに来ただけだから」
その間も、指先は鴉の羽を撫で続けている。
一定のリズムで、優しく、丁寧に。
その仕草だけを見れば、戦いとは無縁の人間のようだった。
だが。
(やはり、この人は)
珠世は静かに息を吐く。
その姿が、あまりにも『あの剣士』と重なる。
理由は分からない。
理屈も、確証もない。
ただ――。
「……産屋敷耀哉のご意向、でしたね」
珠世は、ようやく言葉を選び、口にした。
その声は穏やかで、だが一切の隙を見せない。
「うん」
麗は小さく頷く。
「あなたに、協力をお願いしたいって」
その言葉の裏を探るように、珠世は視線を深める。
だが、やはり見えない。
表面は穏やかで、静かで、何も隠していないようにすら見える。
それなのに。
(どこまでが、真実なのか)
それが、今もまだ分からない。
紅茶のカップが、静かに卓へと戻される。
陶器が触れ合う微かな音だけが、部屋に満ちる。
沈黙が落ちる。
だが、先ほどまでとは違う――それは重さを伴った沈黙。
考え、測り、そして選ぶための静寂。
愈史郎が何か言おうとする気配を、珠世は背中越しに感じ取る。
だが、動かない。
視線はただ一人、花柳麗に向けられている。
その存在が危険であることは間違いない。
だが同時に――。
(この方たちを、ここで退けるべきではない)
何より。
(彼女たちから退ける未来が見えない)
直感が、そう告げていた。
あの夜。無惨を追い詰めた剣士と同じ存在。
もし目の前の彼女が、それの『再臨』だとするのなら。
この存在は、鬼にとって。
自分にとって――何かを変えるものだと、そう確信する。
「……少しだけ、お話を伺いましょうか」
静かに、珠世は言った。
その瞬間。
「珠世様――」
愈史郎が反応する。
だが珠世は、振り向くことなく、ただ視線だけでそれを制した。
「っ…………」
それだけで、愈史郎の言葉は封じられる。
再び、静寂。
麗は僅かに目を細めた。
「……ありがとうございます」
変わらぬ口調。
だがほんの少し、その奥に柔らかなものが滲む。
その時、麗の頭上の江檀が小さく鳴いた。
それは、張り詰めた空気に亀裂が入った合図のように。
この場の均衡が、確かに動いたことを告げていた。
室内に満ちる空気は、先ほどまでの鋭さを僅かに失っていた。
しかし、完全には解けきらない緊張を孕んだまま、静かに揺れてもいる。
卓の上に置かれた紅茶のカップからは、細い湯気が立ち昇っている。
それはゆらゆらと形を変えながら、やがて淡く消えていく。
麗の視線が、ふとその湯気を追った。
「……そういえば」
唐突に、思い出したように口を開く。
声音は柔らかく、場の空気に波紋を広げるほどの強さはない。
ただ、静かな水面に小石を落とすような、そんな自然さだった。
「鬼でも、紅茶は飲めるんですね」
問いというより、確認に近い響き。
それでいて、ほんの少しの純粋な興味の色が滲んでいる。
珠世はすぐには答えなかった。
カップを持つ手は微動だにせず、その白い指先に灯りが淡く反射する。
紅茶の表面に映る揺らぎを、ほんの一瞬だけ見つめてから――。
「……きっと、私だけでしょう」
静かに、そう答えた。
その声には、特別であることを誇る響きはない。
ただ、事実を淡々と述べるだけの、静かな重み。
「私は……自分の身体を
言葉は穏やかだが、その内側には積み重ねられた年月と試行錯誤が滲んでいる。
人の理を外れた研究と、鬼としての存在を制御し続ける意思。
それは鬼舞辻無惨への恨み、そして自分自身を許さないという呪いの権化。
その全てを、その短い一文の中に収めているようだった。
麗は首を傾けた。
「なるほど?」
短い返答。
それ以上を問うこともなく、掘り下げる気配もない。
ただ、受け取った情報をそのまま心の中に置いたような、あっさりとした受容だ。
その淡泊さに、珠世は少し驚く。
(……深入りしない)
好奇心はある。
だが、それを押し通すことはしない。
(飾らない人なのですね……)
程よい距離感。
それが麗という人間の距離感なのだろう。
その間にも、麗の指先は止まらない。
膝の上の鴉の羽を、ゆっくりと、丁寧に撫で続けている。
指が羽の流れに沿って滑るたび、鴉の身体に光が反射し、黒の中に柔らかな艶が生まれる。
「カァッ!」
「……分かってるよ」
不意に、頭上の江檀が待ちきれないとばかりに小さく鳴いた。
麗は視線を上げず、穏やかに応じる。
「次は君」
その声音は、場に満ちる緊張とは無関係のように、どこまでも穏やかだった。
その様子を見つめながら、珠世はある違和感を抱いていた。
(……最初とは、違う)
空気が変わっている。
先ほどまでの沈黙は、互いを測るためのものだった。
だが今は、言葉が行き来する余地がある。
完全な信頼ではない。
しかし、拒絶でもない。
その微妙な変化を、珠世は正確に感じ取っていた。
そして、麗もまたそれを感じている。
「……どうして」
不意に、麗が言葉を落とした。
指先の動きが、ほんの一瞬だけ止まる。
「どうしてすぐに、僕を信用してくれたんですか?」
その問いは、静かだった。
責めるような響きも、試すような色もない。
ただ、純粋な疑問。
珠世は、答えなかった。
「…………」
沈黙が落ちる。
紅茶の香りが、ふたたび強く感じられるほどの静寂。
カップの縁に触れる指先が、わずかに力を帯びる。
思考が、ゆっくりと巡っている。
どこまで語るべきか。
何を、自分の過去をどう伝えるべきか。
その逡巡が、空気の中に淡く滲んだ。
そして――。
「……ふん」
それを断ち切るように、珠世の背後から短い吐息が落ちる。
その視線は鋭く、まるで刃のように麗へと向けられている。
「鬼狩りが鬼の拠点に堂々と侵入しておいて『信用してほしい』だと?」
愈史郎だ。
声には、露骨な皮肉が混じっていた。
「最初から選択肢なんて無いだろう。『信用する』以外を潰しているだけだ」
言葉は冷たく、正確に状況を突いている。
この場において、麗は圧倒的に優位だ。
力の差ではなく、明確な『立場』として。
その事実を、愈史郎は突きつけた。
だが麗は、その言葉に対して何も返さなかった。
「…………」
否定も肯定もせず。
ただ、静かに受け止める。
その無反応が、かえって不気味さを際立たせる。
珠世は、小さく息を吐いた。
「……愈史郎」
名を呼ぶ。
ただそれだけで、愈史郎は言葉を止めた。
「…………はい」
唇を引き結び、不満を押し殺す。
だが、それ以上は踏み込まない。
再び、静寂。
珠世はゆっくりとカップを卓へと置いた。
陶器が触れ合う、微かな音。
それが合図のように、彼女は口を開く。
「……私は昔、あなたに似た剣士と出会ったことがあります」
その声音は、先ほどまでよりも低く、深い。
麗の指先が、止まる。
頭上の江檀が、不思議そうに小さく首を傾げた。
「名前も、素性も……私は何も知りません」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。
珠世の視線は、遠くを見ている。
今ここではない、過去の一点へと。
「ですが、その方は私の目の前であの男を――鬼舞辻無惨を、死の淵まで追い詰めました」
その一言で、空気が変わる。
愈史郎の気配が鋭くなり、麗の瞳もまた音もなく細められる。
珠世は続ける。
「その方も……あなたと
視線が、再び麗へと戻る。
逃がさないように、確かめるように。
「覇気も、闘気も感じられない。まるで強そうに見えなくて……そして、ただそこに在るだけのような、穏やかな気配」
言葉は静かだが、確信を帯びている。
「ですが、その奥には……底の見えないものがある。覗き込めば、どこまでも落ちていきそうな……そんな深い谷のようなものが」
声が沈む。
室内の空気が、ひやりと冷える。
「得体の知れない、底が知れない何か」
はっきりと、言い切る。
珠世の瞳が、細くなる。
「あなたはその方に、とてもよく似ているのです」
藍鼠の髪。
その先に滲む赤。
しかし、その身体的特徴以上に。
「その在り方が」
短く、しかし重く。
言葉が落ちる。
「……酷く、似ている」
沈黙。
麗は、すぐには何も言わなかった。
止まっていた指先が、ゆっくりと再び動き出す。
鴉の羽を、今度は少しだけ慎重に撫でる。
まるで、何かを確かめるように。
「……そうですか」
ぽつりと、呟く。
驚きはない。
否定もない。
ただ、受け入れるような響きだ。
「その人は……多分『始まりの呼吸の剣士たち』の一人なんでしょう」
珠世は答えない。
だが、その沈黙が何よりの肯定だった。
麗は小さく息を吐く。
「僕は……どうでしょう」
独り言のように、静かに零す。
それは謙遜ではなく、自己評価でもない。
ただ、事実を測ろうとするような声音。
頭上の江檀が小さく鳴く。
それに応えるように、麗は江檀の身体を両手で優しく掴み、膝の上に置く。
――その時だった。
ことり、とあまりにも小さな音が足元から響いた。
麗の視線が下へと落ちる。
珠世もまた、同じように視線を下げた。
そこにいたのは、一匹の猫だった。
三毛の毛並み。
丸みを帯びた体躯に、しなやかな尾がゆるやかに揺れている。
金色の瞳が、まっすぐにこちらを見上げていた。
「……茶々丸」
珠世がその名を呼ぶ。
猫――茶々丸は軽く喉を鳴らしながら、珠世の足元にすり寄る。
まるで、届け物をするかのように。
麗はそれを見下ろしながら、目を細める。
「……この子が?」
問いとも独り言ともつかない声。
珠世は頷き、ゆっくりと膝を折る。
その動作は、いつも通り優雅で、無駄がない。
だがその内側に、確かな緊張が走っている。
茶々丸の背に括り付けられていた包みを、丁寧に解く。
現れたのは、細く、鋭い形状の器具。
投げナイフを思わせるそれは、ただの刃ではない。
血を採取する為に作られた、愈史郎が手掛けた特殊な道具。
珠世の指先が、それに触れる。
その瞬間。
「……――」
動きが止まった。
まるで時間が切り取られたかのように、完全に。
採取道具の、柄の部分に含まれるもの。
その血。
珠世の瞳が、わずかに見開かれる。
「……これは」
声が微かに震えた。
信じ難いものを前にした時の揺らぎ。
「……上弦の血――?」
「なに……?」
愈史郎の気配もまた、一瞬で張り詰めた。
低く、信じられないという響き。
だが珠世は、それに応じない。
ただ、その器具を見つめ続けている。
――あり得ない。
そう断じるには、あまりにも確かな現実の感触だった。
この濃度、そして気配。
間違いない、これは上弦の鬼の血だ。
それも、ごく最近採取されたもの。
――百年ぶりの上弦の討伐。
室内の空気が再び変わる。
だがそれは、先ほどまでの静かな均衡ではない。
静かに、しかし確かに。
――新たな未来へと傾き始めた静寂だった。
ここ最近は一年間ほったらかしにしてた原神二次の短編を更新してたりしました。
『神の目を売りたい少年の話』って作品です、興が乗った方は是非。