卵が先か、鶏が先か。
最初に卵があって鶏が生まれるのなら、その卵を産んだ鶏がいるべきである。
しかし最初に鶏がいて卵を産むにしても、その鶏が生まれた卵があるべきである。
……まぁ、この問いに関しては進化論やら何やらを交えれば説明できるのだろうが。
とは言ってもこの言葉の本質にあるのは、『どちらが先であるのか』という一点のみである。
それと同じことが人間と神仏にも言うことができた。
現代科学では、宇宙の始まりがビッグバンであり、地球に存在する生命は最初が微生物で、そこから巨大化、進化していったものだと理解している。
地球は球体であるし、太陽は世界の中心などではなく、雷とはつまりただの超強力な静電気とでも言うべき自然現象で、地震は地球の運動のひとつでしかない。
昔の人間が神の御業であるとし、讃えたそれらの悉くは解明され、神の力でないことは証明された。
だが、神はいる。
世界を作った神がいる。人を作った神がいる。
太陽を産んだ神、大地を作った神、海を作った神、知恵を作った神、愛を作った神、夜を作った神、空を作った神、時間を作った神、光を作った神。
この世のありとあらゆるすべてに対し、それを産み、司る神が存在する。
であるならば、世界は彼らによって作られているべきであるが、しかし人間はそれは違うと理解してしまっている。
それでも世界に神はいる。
とある神学者は言った。
神とは、人間が世界をそうあるものと認識するために作り上げた虚構である、と。
しかし実際に神はそこにいる。
そこにいて、世界をそういう風に作り上げた過去を持っている。
となればやはり神が人を作ったのだろうか?
いいや、やはりそれも違う。
であればやはり人が神を作ったのだろうか?
いいや、やはりそれも違う。
互いに互いの決定的な反証を握り合っている。
堂々巡りだ。
そうであるとしか言い表せない。
神は存在すべきでないのに、神は存在する。
神の不在は証明できるはずなのに、そこにいる。
科学と宗教。
相容れないはずの二つが並行して存在し、互いに互いを否定し合いつつも、互いに独立して自らの存在を立証できてしまう。
なんでも貫ける鉾と何をも徹さない盾が同時に存在するなどありえない。
だが事実こうして互いに存在する。
そうはならんやろ。
なっとるやろがい。
これ以外の手法で現状を説明できない。
これ以外の手段で以て、今の自分たちの存在を定義できない。
…………本当に?
世界五分前理論。
世界のすべては悉くが五分前に作成されたものであり、ありとあらゆる歴史も、地面の中から掘り出される過去の証明も、自らが保有する記憶までも、全てが全て、五分前に神が作ったもの。
そうであるのなら。
この世界のすべてが。神を含むあらゆる全てが、5分前に作られたものだったのならば。
この矛盾にも説明がつくだろう。
ただ、それを証明する方法など存在しない。
存在するわけがない。
だって、そうだろう?
もし仮に、仮にこの世界がこの世界に存在するありとあらゆる全てよりも上位の存在、『おおいなるもの』が作り出したものであったとして。
『おおいなるもの』が、この世界に存在できるわけがない。
だって文字通り、次元が違うのだから。
だから誰にも観測なんてできるわけがない。
そう、そうだ。
誰にも観測できるはずがない。
じゃあ彼は、あの人は、いったい『何』なんだ?
転生者だよ、そりゃあね。
FANBOXに『夜廻りなお兄さん①』を一般公開で投稿しました。
続きは書けたら更新していくつもりなので、読みたければぜひどうぞ。
あと『呪術廻戦なお兄さん』も一般公開にしました。
こっちもまぁ、書けたら更新しようと思います。
ついでに応援もしてくれ(大学生並感)