諏訪子視点、あんなことやこんなことあったんちゃうか?という妄想のもとかきました。
第一章 外の世界における諏訪大社の状況
諏訪の空は、よく風が鳴る。古い社の檜皮を撫でて、湖の面をくすぐり、坂の多い町のポスターをばたばたさせる。神奈子ではないが居心地は、昔からここがいちばんいい。
私はその風のすべり台にちょこんと座って、社殿の棟木の上から朝の参道を眺めていた。屋台の骨組みがまだ眠たげで、通学鞄の群れが傾いた鳥の群れみたいに斜面をのぼっていく。手を合わせる人は──うん、今日も少ない。
社務所の戸が開いて、神奈子が出てきた。空気が一枚、薄く張り替わったみたいに、朝の匂いが澄む。
彼女は境内の端から端までを測るように歩き、石段に立つと遠い工業団地の煙突を見た。ゆったりと私に視線を動かす。指先は、隠しきれないほど急いでいた。
「今月の参拝者、前年比マイナス八。祭りの協賛も減ったわ。けれど、風は増えたわね」
私が言うと、神奈子は短く笑った。
「風は測れないから、いいわね」
神格って、風に似ている。見えないし、測りにくい。けれど、人がこちらに向けてくれる「気」がすこしずつ薄まると、肩にかかる重さが変わる。神様はね、体重計に乗らないけれど、毎朝、自分の重さに敏感なの。
神奈子はそれをとっくに知っていた。だから、彼女は山の外にも根を伸ばしていた。町役場の会議室、県の産業振興課、大学の研究会、企業の事業計画書。コンサルタントの言葉を覚え、法令の枝ぶりを把握し、補助金の風向きを読む。彼女は神の皮膚の下に、現代の血流を通そうとしていた。
午前十時。社務所の奥、長机の向こう側に、スーツが三人。市の企画担当、大学のリエゾン、そして、理化学の会社の所長。壁のポスターには「地域共創・研究拠点」の文字。
神奈子は座っているのに、立っているようだった。
「諏訪に来る理由は三つです。水、風、そして物語」
彼女は指を折る。
「水は研究に不可欠。風は発電にも実験にも使える。そして物語──ここには古い神話が息をしている。『ここで研究する』こと自体が、語るに値するブランドになるわ」
所長が苦笑する。「神社がブランディングを語るとはね」
「神社は千年以上、地域ブランドの中核でしたもの」
神奈子は、資料の棒グラフをなぞった。人口の曲線は、見慣れた下り坂だ。
「でも時間がない。次の補助金の枠は一つだけ。組むなら、今期です」
私は机の下をするすると歩く蟻を目で追いながら、少しだけ首をかしげる。補助金、申請、協定。神様のやり方としては、ずいぶん細かい。けれど、風の吹き出し口が変わるのなら、神様は風車を立ててもいいのだ。
私は神様。いや、もっと古い言い方が好き。祟り神。祟りと祝ぎはお友だちで、どちらも「気」の流れを変える遊び。遊びはいつだって、世界を動かす最短のやり方だ。
*
昼。湖のほとり。冬鴎が一羽、風を計るみたいに水面すれすれを走っていく。
鉄橋から貨物が二編成、連なって渡る。その箱の中身は、町の外へ世界へ、町の外から世界から、行って帰ってくる。
神奈子はベンチでノートパソコンを開いていた。画面には国際会議のアジェンダ、輸出管理のレギュレーション、各国のセキュリティ動向。
「武神様、難しい本を読むの?」
私は背もたれに乗っかって覗き込む。
「難しくしてあるだけよ。神話の方がよほど厄介だわ」
「そう?」
「ええ。神話は、信じてくれる人の数で書き換わる。技術の文書は、検証で書き換わる。それだけ」
彼女は笑って、指先で風をつまむ真似をする。
「私はその両方を使うの。信仰と技術。どちらも『見えないものを、見えるようにする道具』だもの」
私は頷く。神奈子の言うとおり、テクノロジーは新しい祝詞だ。遠くの人と話せる呪、目に見えない波を火に変える呪、数の精霊を並べて未来を占う呪。
問題は、人間たちが「呪」と呼ばなくなったこと。呼び名が変われば、贈り物の受け取り方も変わる。
でも、まあ──私は困らない。遊びの相手はいくらでも見つかるから。
*
夕方。境内に、灯りが生まれた。提灯、屋台、焼きそば、金魚すくい。町の祭りは規模をすこしずつ小さくしたけれど、音の粒はまだ元気で、太鼓は胸に来るリズムを忘れない。
私は石灯籠の上にちょこんと座って、綿あめの匂いに鼻を鳴らす。人間の子どもはよく笑い、よく泣く。笑い声は風に乗りやすい。泣き顔は雨を呼びやすい。
そのとき、屋台の影に、一人の少年がいた。
彼は、群れを遠巻きにしながら、輪投げの景品をじっと見ている。指先に、小さな湿った跡。さっき泣いた? 誰かと喧嘩? あるいは──
私は灯籠からひらりと飛び降りて、彼の隣に立った。
「投げないの?」
少年はびくりと肩を揺らす。目をこすって私を見た。
「だめだ。百円、なくした」
「百円なら、風が拾ったよ」
私は足元の砂利をつまんで、輪の中に軽く弾く。砂利はふっと浮かんで、輪の向こうの景品にいたずらをして、金色の鈴をちょこんと鳴らした。忙しいおやじは金をもらったことに気が付かない。
「ほら、鈴が鳴った。じゃあ一回分」
少年はあっけにとられて、それから笑った。
「ずるい」
「遊びは、ずるい方が楽しいの」
私は輪を一つ受け取り、空に放る。輪は風に乗って、ふらふらと、けれど迷いなく、木馬の首にかかった。
拍手。屋台の親父が目を細める。「お嬢ちゃん、うまいねえ」
「神様だから」
「はは、そいつはありがたい」
少年は、景品の中から小さな風車を選んだ。色のついた羽根が、わずかな夜風にもくるくると回る。
「ねえ、君は一人?」
少年はうなずく。「お母さん、遅くまで働いてる。祭りのときは、だいたい一人だ」
「じゃあ、今夜は二人だね」
私は風車をひょいと奪って高く掲げる。
「追いつけたら、返す」
少年は「待てよ!」と笑い、私は境内を走る。石段、鈴の音、屋台の光がぱらぱらほどけて、夜が走る子どもみたいに元気になる。
風車は回り続けた。風は嘘をつかない。
走り疲れて石段に座り込むと、少年は肩で息をしながら、風車を抱きしめた。
「ありがとう」
「礼はいらないよ。神様って、そういうものだから」
「神様?」
「そう。私は洩矢諏訪子。ここでは、昔から遊び担当」
少年は信じるでも疑うでもなく、ただ「ふうん」と言った。子どもは世界の名前を増やしていく天才だ。
「また遊べる?」
「もちろん」
*
夜の最後の太鼓が、山の背骨に吸い込まれる頃。私は社殿の欄干にもたれて、神奈子を見た。彼女は人混みの端で、風を読む人の顔をしていた。
「楽しかった?」
「ええ。けれど、ここにいる風の数が、去年より少ない」
神奈子は私の隣に立ち、湖の方を向く。
「神格は、落ちていくわ。私の名を呼ぶ声は、これから先も、年々少なくなる」
「消えるかもね」
「ええ。だから、私は消えない方を選ぶ」
彼女は淡々と言う。
「研究所を呼ぶ。企業と組む。現代学術の語彙を身につける。国際政治の地図を描く。祈りを、技術に接続する」
「唯一神になるつもり?」
私が茶化すと、神奈子は肩をすくめた。
「唯一である必要はないわ。ただ、真ん中に風車を立てたいの。皆が同じ方向を見て、同じ風で回るように」
「風は縛れないよ」
「だから面白いのよ」
私は欄干に頬をつける。木の温度は、今日の人の体温で少しだけ暖かい。
「ねえ、神奈子。私が消えるのは、ぜんぜん嫌じゃないの。祭りって、始まって終わるから嬉しい。終わらない祭りほど退屈なものはない」
「知っているわ」
「でも、あの子と遊べなくなるのは、少しだけ、寂しい」
神奈子は私を見て、目を細めた。
「あなたが寂しいと言うなんて、珍しいわ」
「珍しいから、言ってみた」
風が、坂の上から降りてきた。目には見えないけれど、衣の裾がふわりと持ち上がる感じ。私はその風の膜に、わずかな異物感を嗅ぎ取った。
外の世界の匂いじゃない。もっと深い、古い、異界の堺に近い匂い。古い向こう側から手紙を押し込むような、そんな手ざわり。
山は眠っている。けれど、目を覚ましたものがいる。
私は小さく口笛を吹いた。
「蛇が来るわよ」
「ここにいるわよ」
私はこつんと頭をたたくと神奈子は苦笑する。
祭りは終わったけれど、祭りは始まる。遊びは、次の遊びを連れてくる。
「時間が、足りないかもしれない」
神奈子がつぶやいた。
「じゃあ、駆け足で遊ぼう」
私が答えると、神奈子は、彼女には珍しく、無邪気な顔で笑った。
*
夜更け。屋台の影は片付けられ、境内は元の大きさに戻る。私はさっきの少年を探した。風車の音が、かすかに聞こえた気がした。
けれどもう、どこにもいない。
私は石段の一番上に座り、空の黒と湖の黒と山の黒を見比べた。黒は三種類あって、それぞれの中に別々の星が沈んでいる。
遠くで、烏が一声、笑った。いや、笑ってはいないかもしれない。ただ、私にはそう聞こえた。
明日の風は今日とは違う。明後日の風はもっと違う。そして、もうすぐ来る風は、きっととても賑やかだ。誰かがこちらに向かって、風の綱を投げてくる。
私は両手を広げた。
「おいで。遊ぼう」
第一章‐二 双子の誕生と見えなくなる神
あの夜祭りで出会った少年のことを、私はずっと覚えていた。けれど、それきり会うことはなかった。風に紛れて流れてきた噂によれば、家族で引っ越してしまったらしい。風はよく知っている。子どもはどこへでも行ってしまう──風車を残して。
時は流れて、二年後。諏訪の山を抱く神社の一族に跡取りが生まれた。双子の女の子。名は東風谷天音と東風谷早苗。私の最新の末裔だ。
私は初めて彼女たちを見た時、思わず膝を抱えて座り込んでしまった。小さな命からあふれ出る気配は、風のように軽やかで、まだ形を持たない。だが、双子の一方──早苗には、とくに濃い匂いがあった。
彼女は「先祖返り」だった。赤子でありながら、霊や神の姿をかすかに追える目を持ち、指先で見えないものに触れる素質を備えていた。遊ぶように私の髪を引っ張ったこともある。神様が幼い子どもにしか見えないのは常。けれど、この子は長く、深く、神と交わり続けるのだろうと直感した。
もう一人の天音は、私と一緒に駆け回り、泥んこになって笑った。二人で境内を転げまわり、石段でかくれんぼをした。けれど、私はわかっていた。天音は成長するにつれて、やがて私を見失うだろう。子どもが大人へと歩むたび、神の輪郭は薄れる。それは決まり事のようなものだ。
*
そして、その時はやってきた。天音の十二歳の誕生日。思ったよりも長かった。
朝から境内は祝いの準備でにぎわっていた。親族が集まり、笑い声が絶えない。けれど、天音の顔は少し曇っていた。彼女の目は、もう私を追えなくなっていたのだ。
「……諏訪子、いるんだろ?」
社殿の影で、彼女は泣きながら空に向かって話しかけた。私の姿はもう見えないのに、声だけはまっすぐこちらへ届いている。
「見えなくなっても、毎月、手紙を書くから。東京の中学に通っても、絶対忘れないから」
天音の涙は石畳にぽつり、ぽつりと落ちていった。私はその肩に触れたかった。でも触れれば余計に惨い。だからただ風をひとつ送り、涙を乾かしてやるしかなかった。
やがて天音は東京の私立中学へと進学した。都会の生活に揉まれながら、彼女は本当に手紙を欠かさなかった。紙の上でなら、私たちはまだ遊べた。
一方、早苗は地元の私立中学へ通い続けた。理科が大好きで、顕微鏡や元素記号の話をしては目を輝かせていた。時には教科書を私に広げ、「ねえ神様、これはどう思う?」と問いかける。私は笑って、「おまじないと同じだよ」と答えた。科学と呪術は、彼女の手の中では自然につながっていた。
*
だが、社を取り巻く現実は年々厳しさを増していた。参拝客は減少の一途。神奈子が推し進めた企業や研究所の誘致計画も、バブル崩壊や阪神淡路大震災、そして経済危機の波にカルト宗教の犯罪、その弾圧により押し流されて難航していた。
神奈子の表情からは余裕が消え、焦りの影が濃くなっていく。神域を守るというよりも、時代の荒波に呑まれないよう必死にしがみついているようだった。
ある夜、彼女は思い出していた。数年前に訪れた「幻想郷の賢者」の使者──八雲藍との面会を。あの時、賢者は穏やかに微笑みながらも、外の世界の衰退を予見し、別の道を示していた。だが、神奈子は選ばなかった。彼女は現実に足を縛られ、まだこちら側でも足掻こうとしている。
私はその姿を、石灯籠の上から眺めていた。正直、つまらなかった。終わりを先延ばしにしているだけ。何が楽しくてそこまで抗うのか。
「次の遊びを始めればいいじゃないか」
心の中でそう呟く。神様は諦めが肝心だ。だから長生きできるし、楽しく神様ができるのだ。だが、それが神奈子なのだ。彼女は大昔、私を討ち、大社を乗っ取った女。中央の神霊。八百万の私たちとは少し違うのだ。そして、諏訪の新しい時代を切り拓いたのは、あの果てしない足掻きだった。
風が通り抜ける。
遊びの終わりと始まりは、いつも紙一重だ。
私は足をぶらぶらさせながら、まだ見ぬ次の風の到来を待っていた。
第一章‐三 古代の記憶と再会の兆し
それは日本という国がまだ存在しない頃。八百万の神々が当たり前のように山を歩き、谷を渡り、湖で遊んでいた時代。人間は神を恐れもしたが、それ以上に崇め共に暮らしていた。現代風の征服する対象ではなく、むしろ隣人として敬ったのだ。
当時の諏訪は、豊かな水と風に抱かれた土地でありながら、絶えず風土病に苦しんでいた。季節ごとに人を殺す疫病は、やがて「祟り」と呼ばれるようになり、その恐怖は一つの信仰となった。
諏訪湖の神、山の神、風の神──それぞれの存在が渾然と交わり、「祟り神」として祀られた。祟りとは原因不明の症状だ。ありとあらゆる要素が絡み、祟りがおきる。私はその信仰から生まれた。名を洩矢諏訪子。
民は私を祟り神と呼んだが、同時に守護の神でもあった。私は風土病の流れを和らげ、収穫の時期を守り、山崩れや洪水を防いだ。時に夢枕に立って田畑の知恵を授け、黒曜石の扱いを示した。諏訪の地は黒曜石を産し、それによって民は狩猟具や器を作り、生活を豊かにしていった。神と人は、互いの存在を当然のように受け入れていたのだ。
*
だが、外からの風は容赦なく吹き込んだ。
西方に拠点を置く国家──天神の子孫を名乗る一族。彼らは天神の系譜である正当性と大陸との交易をもって手にした技術、水運を抑えること手にした動員力、豊かな食糧を駆使して勢力を拡大していた。中央政権を名乗るかの国家は黒曜石の文化を誇る諏訪を見て、狙わぬはずがなかった。
やがて派遣されたのは、一人の武神と大軍。
武神は戦そのものの化身であった。鉄や黒曜石で武装する私たちに対して、藤蔓を携え、規律ある兵を引き連れ、諏訪へ攻め込んできた。私は風と土の術をもって抵抗した。疫病すらも武器に変え、嵐を起こし、山を揺らした。だが、中央の国力は圧倒的で、民の祈りを削ぎ落とし、私の力を縛り付けるには十分だった。
やがて諏訪は落ち、かの武神が新たな国主となった。信仰は上書きされ、祀られる名は変わっていった。
しかし──武神にも征服できないものがあった。風土病である。
武力でも祈祷でも抑えきれない病は、人々の間で再び恐怖を呼び、その恐怖は「祟り神」として私を呼び戻した。祟りと祝ぎは裏表。私は姿を失いながらも、なお祟り神として蘇り続けた。そんな私を武神は利用しない手はなかった。私という信仰の核をそのままに、彼女は信仰の実権を握ったのだ。全く持って商魂たくましいというか、神魂たくましいというか、本当に武神なのかと疑った。
*
そんな古い記憶を思い出すなんて、神奈子も相当追い詰められているに違いない。参拝客は減り、計画は難航し、外の世界の荒波が押し寄せている。あの誇り高き女神が、八方ふさがりの気配を漂わせている。
私は石段の上で、頬杖をつきながらため息をついた。
「つまらないなあ。終わりを先延ばしするなんて、どこが楽しいんだろう。遊びは始まりと終わりがあるから面白いのに」
けれど、彼女がそういう存在だからこそ、私は討たれたのだ。諏訪を乗っ取られたのだ。終わりを嫌い、足掻き続けるその強さが、神奈子の本質だった。
*
その夜、私は一通の手紙を手にしていた。差出人は八雲藍。幻想郷の賢者の使者だ。数年前にも接触があったが、あのとき神奈子はその誘いを退けた。だが今度は違う。
私はその手紙を神奈子のもとへ持っていった。机の上に置かれた瞬間、彼女の指先がわずかに震えた。
「……また来たのね」
「そう。次の遊びを用意してくれているんだって」
私は茶目っ気たっぷりに言ってみた。
「遊び、ね」
神奈子は目を伏せ、やがて顔を上げた。
「いいわ。もう一度、会ってみる」
こうして、神奈子は再び八雲藍との面会に臨むこととなった。
その先にあるのは、終わりか、始まりか。私は風の中でくすくす笑いながら、その日を待つことにした。
第二章 八雲藍の接触
夜の山に、縫い目が走った。
紙を裂くみたいに空間がめくれて、薄い金の毛並みがそこから滑り出す。九つの尾は風の段差をいちいち確かめながら降り、境内の玉砂利に影を咲かせた。八雲藍。賢者の使者であり、扉そのものでもある狐だ。
私は欄干に腰をかけ、足をぶらぶらさせて、彼女が結び直す結界の糸を眺めていた。
「久しぶり」
「ええ、諏訪の神様方」
藍は軽く頭を下げた。礼はきちんと、でも目は仕事の速度で動く。
社務所の明かりがひとつ、またひとつと灯る。神奈子が戸を開ける音がして、空気が数度、きゅっと引き締まった。
「二度目のご挨拶に参りました」
藍はまっすぐ切り出した。
「前回は貴社──いえ、貴社殿の研究所招聘計画のため、お見送りと伺っています。けれど状況は変わった。外の世界はあなたを待たない。道徳は廃れ、金が信仰の対象になりつつあります。ならば、幻想郷はどうでしょう」
神奈子は黙って歩み寄り、拝殿の縁に腰を下ろした。夜風が袖の紋をやさしくたたく。
「あなた方はいつも急ね。こちらにはこちらの時間があるのよ」
「ええ。けれど神に残された時間は、人よりいつも少ない」
藍は九つの尾を一度だけ揺らし、私に視線を寄越す。
「あなたも、そう思いませんか。洩矢様」
私は肩をすくめた。
「終わりは終わりで、悪くない。けれど、遊び場が変わるのなら、それもまた面白い」
神奈子が片眉を上げる。
「乗り気なの?」
「わたしは、常に遊び担当」
*
会談は淡々と進んだ。
藍は、紙束を置く代わりに風の流れを数える。外の世界で痩せた参道、忘れがちな祭日のカレンダー、人の生活を一列に並べてしまうテクノロジーの便利さと残酷さ──彼女はそれを「信仰の摩擦係数」と呼び、ほぼゼロに近いと告げた。
「信仰は、物質が幅を利かせる社会では効率の悪い贅沢です。だからこそ、精神的に豊かな場が要る。幻想郷はそのためにある」
「豊かさね」神奈子は笑わない。「そこで私が果たせる役は?」
「風を集め、柱を立てること。ここでは神は『物語の耐震壁』でもある。あなたは外で学んだ技術と政治を持ち込める。幻想郷はそれを拒まない。神話は古いものしか食べないわけではないんです」
神話の食性、という表現に私はくすっとした。
神奈子は腕を組み、社殿の梁を見上げる。その視線は、ここ数年で少し重くなった。参拝客は減り、計画は難航し、世界の大きな揺れは山の中にも余震を遺した。
けれど彼女は、いつだって最後まで足掻く。大昔、私を討ったときのように。
「具体的に」
神奈子は短く促した。
「幻想入りの条件、そして此方が支払う対価を」
藍はひと拍置き、夜気を撫でる。
「条件は単純です。あなた方がこちら側で担う『役』。結界の管理者博麗神社との競争関係の『役』そして、向こう側──外の世界に残す『名残り』の扱い」
「名残りの処理は面倒よ。信仰は物理より重い」
「だからこそ、あなたが必要です」
ふたりの声は、太鼓の皮の上を歩く小石みたいに乾いて、よく響いた。
私は相槌の代わりに口笛を吹き、灯籠の火をひと筋だけ高くした。狐の金が、そこにうっすら映る。
「ねえ、神奈子。前は断ったじゃない。研究所、補助金、あれこれ、あなたのやり方で風を変えたかった」
「変えられると思ったのよ。今も半分はね」
「残り半分は?」
神奈子は答えない。藍が代わりに静かに言った。
「半分は、間に合わない」
拝殿の上で、虫一匹鳴かなかった。
神奈子はふっと息を吐き、目を閉じる。決断の前の、あの短い無音。私はその瞬間が好きだ。世界はいつも、刹那で向きを変える。
「……わかったわ。条件付きで、次の段へ進みましょう」
藍の尾が、たしかにひとつ分だけ軽くなった。
「ありがとうございます。口説き落とせた、ということでよろしいですね」
「物言いが俗っぽい」
「外の世界で覚えた言い回しです」
*
合図のように、風が石段を降りてくる。
私はそれを迎えに行かず、逆に少しだけ背を向けた。あの祭りの夜に一緒に走った、あの少年のことを考えていたのだ。引っ越してしまったと聞いた。もし私たちが山ごと境界を越えたら、もう二度と、偶然の風で会うこともない。
それは──ほんの少し、寂しかった。
これまでだってなかったわけではない。多くの子供に会い、その数と同じ別れがあった。それは何回経験しても慣れるものではない。
「洩矢様?」
藍が私を見る。
「うん、なんでもない。遊び場が増えるのは歓迎だよ。減るのは、ちょっとだけ、惜しいけど」
私は指先で夜風をつまむ。風は嘘をつかない。ただ流れを変えるだけだ。
神奈子が立ち上がる。
「次は正式に。賢者本人とはまだ会えないのかしら」
「紫様は舞台の袖が好きでして。けれど、段取りは私が責任を持って」
「袖ばかりで踊らない女は嫌い」
神奈子は吐き捨てるように言って、でも口元だけは楽しそうだった。闘うことも交渉も、彼女にとっては祭りの一部だ。
「では、近日。手筈を整えます」
藍は一礼し、裂け目へと戻る。九つの尾が消えるたび、境内の暗がりは少しずつ「こちら側」を取り戻していく。最後の尾がぴんと震え、夜に縫い付けられた。扉はなかったみたいに閉じる。
音が戻る。虫、川、遠い踏切。
私は欄干から飛び降り、神奈子の隣に並んだ。
「決めちゃったね」
「決めたわ」
「じゃあ、遊びの準備をしなきゃ」
「そうね。あなたの言う『遊び』が、うまくいけばいいけれど」
私は笑う。
「うまくいかなくても、遊びは遊び。終われば次が来る。次の遊びを考えればいいんだよ」
その夜、山の匂いが少しだけ変わった。
終わりを早めるのか、始まりを連れてくるのか。どちらにせよ、風は回る。私たちはその真ん中に風車を立て、回るものすべてに名前を与える。
狐の通り道は、もう一度、こちらへ続く。次に開く時、いよいよ舞台は山を越えるだろう。
第二章‐二 手紙と選択
夜の諏訪湖は、月明かりを波のように揺らしていた。私は欄干に頬をのせながら、東風谷姉妹のことを考えていた。
天音──あの子は今も毎月きちんと手紙を送ってくれる。東京での学校生活、試験のこと、友人のこと、先生に叱られたこと、ちょっとした悪さとかのこと。紙面から漂うのは、都会に揉まれながらも健やかに生きている証だった。手紙を読むたび、私は少し安心し、同時に苦く笑う。返信はしなかった。
神が人に手紙を返す? 中途半端な関係は、心に毒だ。
けれど、幻想郷へ移るのなら、別れの挨拶くらい送るのが義理だろう。天音が「いないもの」に宛てて綴り続けた手紙は、きっと彼女にとっては安らぎになった。けれど、その安らぎはやがて重さに変わる。想いを積みすぎれば、心を潰す。
だから私は一度だけ、返事を書くことにした。
──天音へ。
君のことは、風が運んでくれるから大丈夫。私が見えなくなっても、遊んだことは消えない。忘れたくないなら、風を信じればいい。私はそっちには行けないけど、君は君の祭りを続けなさい。風を信じて、君の祭りが続けられればきっと全て楽しいもんだ。私は別の祭りを始めるよ──。
筆を置くと、胸の奥で何かが少し軽くなった。いや、気のせいかもしれない。ごちゃごちゃ考えてぐるぐるするのは嫌いだ今も昔も。でも、旋風みたいに翻弄されるのも悪くない。
*
一方、早苗のことが気がかりだった。
彼女は学校で浮いた存在だった。人に見えないものが見え、人にできないことができる。超常の力は、村社会の器からすぐにはみ出してしまう。陰口を叩く者もいたし、近寄らぬ者も多かった。
友人は少なく、心を寄せられるのは私と神奈子、そして理科の教科書くらい。早苗は物理や化学に没頭し、原子の模型や数式を宝石のように磨き続けた。だがその姿は、人間らしい健全さとは言い難かった。
私は思った。早苗を連れて行くべきかどうか。
いや、べき論ではない。遊びの場を選ぶのは本人の自由だ。重要なのは、どちらが彼女にとって楽しいか。
*
ある夕暮れ、私は早苗を境内の石段に呼び寄せた。
「ねえ、もし私たちが幻想郷に行くとしたら、どうする?」
早苗は一瞬の間も置かず、まるで脊髄反射のように答えた。
「行く!」
私は思わず笑ってしまった。「理由は?」
早苗は胸を張って、子どもらしい無邪気さで言った。
「だって、そっちのほうが楽しそうでしょ?」
風が鈴を揺らし、夕陽が背後の山を赤く染めた。
早苗は続けた。
「天音には悪いけど、私は私の人生を生きるよ。お姉ちゃんがどんなに大事でも、見えないものを信じる楽しさを諦めたくない」
私は石段に座り込んで、しばらく彼女を眺めた。幼さと強さが同居する顔。その顔に、未来の影が映っていた。
──遊びは終わらない。場所が変わるだけ。
私は頷いた。
「そうか。じゃあ、準備をしよう。次のお祭りはもっと賑やかになる」
そのとき吹いた風は、ただの風ではなかった。どこか遠くから、境界を跨いで届いた新しい匂いを含んでいた。同時に最も古い記憶で感じた匂いも思い出した。
遊びの合図だ。
第二章‐三 再会の風
幻想郷行きの支度は、思った以上に骨の折れる仕事だった。
人々の記憶の書き換え。残された土地と名の整理。社務所の帳簿に並ぶ数字は、役人の机に積まれる書類と同じで、煩雑で息が詰まる。
けれど、それは神奈子の役割だった。諏訪大社の営業担当として、責任を背負うのは彼女の仕事。私はといえば、石段に座って足をぶらぶらさせ、風を数えるくらいのことしかしていない。遊び担当とはそういうものだ。
*
昼過ぎ。境内は参拝客が途絶え、蝉の声だけがあたりを満たしていた。私は欄干に寝転がり、目を閉じて風を頬に受けていた。
ふと、懐かしい匂いがした。汗と紙のインクと、幼い頃の涙のにおい。
目を開けると、一人の青年が石段を上ってくる。
──あの少年だ。
祭りの夜に風車を追いかけ、笑いながら駆けたあの子。背丈は伸び、肩幅も広がって、今は大学生くらいに見える。けれど、笑った時の皺の入り方は昔と同じだった。
青年は財布から五百円玉を取り出し、気前よく賽銭箱に投げ入れると、深々と頭を下げた。
二礼二拍手一礼。まっすぐ空の方向に向けて。
目の前に私がいるのに、彼には見えていない。
その真剣な祈りに、胸の奥で何かがちり、と鳴った。私は風をひとつ起こす。
青年の頭から、帽子がふわりと舞い上がった。
「よっ、また会ったね。遊ぼうぜ!」
私は屈託のない笑顔で帽子を受け取ってみせた。
けれど、彼の耳には届かない。
青年は慌てて帽子を追いかける。だが風はまた吹き、帽子を遠ざける。私は蛙のように跳ねて石段を飛び移り、帽子を翻す。
「ほら、もっと速く! もっと駆け足! もっと走って!」
けたけた笑いながら、私は風とともに境内を駆け回った。
青年は最初、戸惑った顔をしていた。けれど次第に口元がほころび、やがて笑いながら追いかけ始める。涙が光った。泣いていたのかもしれない。
―――泣くなよ。まったく。
そして──少年の頃と同じ笑顔を浮かべ、帽子を追って走った。
風は嘘をつかない。ただ、遊びの続きを知らせてくれるだけ。
帽子が宙を舞うたび、あの夜祭りの記憶が甦る。
青年はもう神様を見られない。それでも、風の中で遊ぶ気持ちは忘れていなかった。
私は心の中でそっと呟いた。
──ありがとう。また遊んでくれて。
第二章‐四 山に降りた神々
諏訪の社が眠る夜、境界が裂けた。
目を開けると、そこはもう外の世界ではなかった。
諏訪大社は丸ごと引き抜かれたように、幻想郷の妖怪の山と呼ばれる山の頂へと移っていた。風の匂いが変わる。諏訪湖の湿った風ではなく、妖怪たちが幾千年も吐き出してきた気配を含んだ重い風だ。私と神奈子、そして早苗は、そのただ中に立っていた。
*
当然、山は大騒ぎとなった。
八雲紫は今回の件を山の妖怪たちに何も伝えていなかった。ゆえに、天狗も河童も、突如として頂に現れた大社を敵視し、警戒し、ざわめいた。
彼らは本質的に保守的だ。いかなる変革も受け入れない。だからこそ、強引な変化でしか前へ進めない。紫はそれを知っていて、あえて知らせなかったのだ。
「歓迎されてないみたいね」
神奈子は腕を組み、山腹から飛んでくる天狗の群れを見やった。
「歓迎なんてされたらつまらないよ。別に仲良しこよしするわけじゃないんだし」
私はけたけた笑い、風を操って参道に舞い散った木の葉を集めて遊んだ。
*
やがて、八雲藍が現れた。九尾の尾をたゆたわせながら、いつもの冷静な声で言う。
「神奈子様、早苗様。あなた方に最初の試練を提示します」
「試練?」早苗が首をかしげる。
藍は淡々と告げた。
「博麗神社を叩いていただきたい。直接的な破壊ではなく、恫喝です。あの巫女──博麗霊夢に喝を入れるのが狙いです」
博麗神社は幻想郷唯一の神社。妖怪と人間の境界を保つ要。だが、その巫女である霊夢は怠惰で自堕落。藍はそう説明した。
「人と妖怪を守るはずの存在が、職務を怠っている。ゆえに、新参のあなた方が一度、脅してみせるのです」
「なるほど。秩序の再確認、ってわけね」
神奈子はすぐに納得した顔を見せた。
「……本気でやるんですか?」
早苗が遠慮がちに発言すると、神奈子は快活に笑う。外の世界にいた時は大違いの表情だ。
「まさか、力試しのご挨拶みたいなものだわ」
神奈子は早苗の肩を叩く。
「近いうちに、あなたが行くのよ」
早苗は驚いたように目を丸くしたが、すぐに笑顔になった。
「はい、やってみます。楽しそうですね!ご近所挨拶でカチコミなんて!」
早苗は極道映画に影響されたのか、肩を出して凄むようなポーズを取り、神奈子にげんこつをもらう。その光景は母と娘のような関係だ。
空から見守る早苗の両親がみたらきっと微笑むだろう。
*
だが、それより先に山の妖怪たちが動いた。
まず天狗。下級の白狼天狗で編成された斥候部隊が空から威嚇の矢を降らせた。屋根瓦をかすめる程度で、真意は「排除」よりも「警告」だった。
河童は物見遊山。望遠鏡や奇妙な器械を抱え、川の影からこちらを覗いていた。彼らは戦よりも、未知の存在を観察することに夢中らしい。
ほかにも蛇、鳥、狐の妖怪や八百万の神々が関心を持ち、距離を取りながらも様子をうかがった。
そして──。
酒の香りとともに、山頂へとやってきた小柄な影があった。
「おやおや、ずいぶん懐かしい匂いがすると思ったら……」
小鬼の姿をした女が、瓢箪を肩に下げ、にやりと笑う。
伊吹萃香。山の旧主であり、かつて山を統べた鬼の一角。
彼女は軽く瓢箪を揺らし、一口飲んで言った。
「また面白い祭りが始まったじゃないか」
山の風はざわめき、火花を孕んで渦を巻いた。
歓迎されざる来訪者と、旧き支配者。
幻想郷の山頂で、新しい祭りの幕が上がろうとしていた。
第二章‐五 山頂の神と旧き鬼
幻想郷の山頂に、諏訪大社が降り立って数日。
昼夜を問わず、山はざわめいていた。天狗たちは警戒の布陣を整え、河童は好奇心の目で水脈を流れ歩き、狼の妖怪たちは影の中で牙を研いでいた。
それでも、社の空気は崩れない。神奈子は社殿の奥で冷静に会議を重ね、早苗は新しい土地の風を測るように境内を走り回り、私は欄干の上で昼寝をしていた。
──けれど、どこか胸の底が騒ぐ。これは単なる越境ではない。もっと大きな、幻想郷を二分するような「遊び」が始まろうとしている。
*
「なにやら面白そうな密会だな。私も混ぜとくれよ」
初めて山の旧主・伊吹萃香が姿を現した夜、私はすぐに彼女の匂いを思い出した。
昔、鬼たちが外の世界を我が物顔で歩き、無法者のアウトローを率いて、朝廷配下の武士や陰陽師共と衝突を繰り返していた頃、彼女は宴を仕切り、群れをまとめる役割を担っていた。小柄で、子どものように見えるのに、その背中には何百もの祭りを背負った重さがあった。
萃香は瓢箪を軽く揺らし、酒を注ぐように声を放つ。
「お前たち、外から来た神だろう。面白い。けど、山は簡単に人を入れちゃいけない土地なんだ」
神奈子は一歩も引かず、静かに答える。
「私たちは侵略に来たわけじゃない。この山で新しい風を起こすために来たの」
「風?」萃香は片眉を上げる。「鬼は風に縛られないよ。密約も嫌いだね。だけど祭りは好きだ。祭りを開くつもりなら、あたしも混ぜてもらおうか」
その瞬間、天狗たちがざわめいた。旧主の鬼が笑いながら歩み寄っているのだ。涼しい顔をしているのは式神だけだ。
諏訪の神と、鬼。かつては互いに戦った時代もあった。だが今、ここでは一つの舞台に立っている。
私は笑って、萃香の肩に軽く手を置いた。
「いいねえ。祭りは大勢の方が楽しい」
「おや、祟り神もまだ残ってたか」
「祟りと祝ぎは友達だもの」
その場は不思議な緊張と和らぎで包まれた。天狗たちは威嚇を続けながらも、一線を越えず、河童たちはタイプライターをカチカチ鳴らしていた。
*
数日後、八雲藍がふたたび現れた。
「時期が来ました。博麗神社へ」
彼女の声は相変わらず落ち着いていたが、その奥には急かす色が見えた。紫の策略は常に段階的。だが、彼女が舞台を整えすぎると、役者たちの心はしぼむ。だからこそ藍が「喝を入れろ」と促すのだろう。
「博麗神社は、今や幻想郷唯一の神社。あの巫女は力はあるが怠惰。だからこそ、一度揺さぶる必要がある」
「揺さぶる……ね」
神奈子は深く息を吐いた。「要するに、ここにいる神々の存在を示す初手ということか」
藍は静かに頷く。「ええ。山の妖怪たちもそれを望んでいます」
神奈子は思案気な顔だ。「それならやっぱり私が行く方が・・・」
早苗が一歩前に出た。
「私が行きます」
その顔は、子どもが遠足に立候補するような無邪気さと、若い神職としての使命感の入り混じったものだった。
「だって、楽しそうでしょう?」
私は思わず笑い、神奈子は肩をすくめた。
「楽しそうで選んでるうちは大丈夫。やりなさい。失敗しても、それもまた経験になる」
*
準備の合間、私はふと一人で山を降りた。
そこには河童の集落があり、天狗の望楼があり、狼の群れが蠢いていた。
「やっぱり、どこの世界でも同じだな」
私は空を仰ぎ、風に身を任せる。
「いや、狼は絶滅してたっけね」
人は神を信じ、神は人に遊びを与える。妖怪は秩序を嫌い、でも秩序の縁を歩いて生きる。違うように見えて、すべては祭りの一部だ。
そのとき、後ろから声がした。
「祟り神さん」
振り返ると、萃香が立っていた。瓢箪を傾けながら、どこか面白そうに笑っている。
「博麗の巫女に喧嘩を売るんだって? あの子は怠け者だけど、底は深いよ」
「知ってる。でも、遊びってのは、底を試すものだから」
萃香は声をあげて笑った。
「喧嘩祭りかっ!いいね。やっぱり神様はいいね。鬼は力任せだけど、神様は遊び任せだ。だから遊び惚け、流れるまま、外の世界から淘汰されたわけだ」
「遊び足りなくてね。楽しい神楽の音の鳴る方に流れてきたわけさ」
私たちはしばし、昔の話をした。鬼と神が争った時代。鉄と黒曜石、祟りと祝ぎ。
けれど今は酒を交わしながら、同じ山に立っている。世界は回るものだ、と私はしみじみ思った。
*
夜。
社殿の前で、神奈子と早苗と私の三人は月を仰いでいた。
「明日、いよいよ出発だ」神奈子が言った。
「うん!」早苗は力強く答える。
私は両手を広げ、風を抱きしめる。
「ハレの日が始まるね」
風はざわめき、湖のない山頂に、諏訪湖の匂いをほんの少しだけ運んだ。
私は目を閉じて、遠い東京の空を思い出す。天音は今も手紙を書いているのだろうか。もし、彼女が風に祈りを託しているなら、その声は必ず届く。たとえ世界が隔てても。
──けれど、今は前を向く。
次の舞台は博麗神社。幻想郷唯一の神社。そこに巫女がいて、怠惰でありながら秩序を守る役を担っている。
神奈子は唇を結び、早苗は胸を高鳴らせ、私はただ、けたけたと笑った。
「よし、もっと速く、もっと駆け足で。明日は走るよ」
風が答えた。
それは祝ぎの風か、祟りの風か。
まだ誰にもわからない。
第三章 博麗神社急襲
朝霧が幻想郷の谷を覆っていた。
山頂の諏訪大社から、三つの影が出発する。
八坂神奈子、洩矢諏訪子そして東風谷早苗。目的地はただ一つ──博麗神社。幻想郷の秩序を担う唯一の神社。
早苗は緊張と期待の混ざった顔で空を見上げていた。
「これが、私の最初の舞台なんですね」
「舞台? そう、舞台の始まりよ。たったいま幕があがった。役者の私たちを物見遊山で舞台袖から覗く全ての妖怪に見せて差し上げましょう」神奈子が応える。
「もっと気楽にいこうよ」
「あなたは気楽すぎるのよ。今回は、あなたの出番はないからね」
それは八雲藍との打ち合わせの結果だった。
「いいよー、遊ぶチャンスはいくらでもある。今回は譲ったげるから楽しんでー」
二人が空へと舞い上がり、山を降りていく。
私はこっそり、私でやることがあるのだ。
*
博麗神社は、谷間にぽつんと建つ小さな社だった。外から来た者には頼りなく見えるが、ここは境界を支える要。神と妖怪、人と幻想の秩序が、この小さな建物を中心に保たれていた。
縁側には博麗霊夢が寝転がっていた。赤と白の巫女服を着崩し、頬杖をつき、空をぼんやり眺めている。
「……あー、退屈」
彼女は伸びをして、欠伸を噛み殺す。祭祀も結界の点検も後回し。妖怪退治も気が向いた時だけ。永夜異変以降、このありさまだ。
まさしく、八雲藍が「怠惰」と断じた通りの姿だった。
だが、そのだらしなさの奥に、鋭い勘と力が眠っていることを神奈子は知っていた。
「さて、どうやって叩く?」神奈子が問う。
「派手に行きましょう!」早苗は杖を握り、瞳を輝かせる。
神奈子は風を巻き起こし、二ヤリと笑って答えた。
「まずは、外の世界からの風来坊の力をお見せ致しましょうか」
瞬間、境内に突風が吹き荒れた。賽銭箱がひっくり返り、注連縄が千切れ、紙垂が宙に舞う。霊夢は縁側から転げ落ち、髪を乱しながら立ち上がった。
「な、なにっ!? ……誰よ!」
二人は社の前に降り立つ。
「新しい神社のご挨拶よ」神奈子が声を張る。
「諏訪の神──八坂神奈子。そして、これが新しい巫女」
早苗が一歩前に出て、胸を張った。
「東風谷早苗です! 今日からこの幻想郷で巫女を務めます!」
霊夢は眉をひそめる。
「ふーん。勝手に名乗って勝手に来たわけ?」
「勝手? そうだよ、勝手だ」早苗は笑う。「でも遊びはいつだって勝手に始まるものだろ?かかってこい紅白運動会野郎っ!」
次の瞬間、霊夢は御札を一束取り出していた。怠惰そうな姿は消え、巫女としての顔がそこにあった。
「あぁん? 新参が調子に乗るんじゃないわよ」
彼女の投げた札は風を切り、まっすぐ早苗に向かう。
「やっぱり来た!」早苗は嬉しそうに叫び、風を操って札を散らした。
続けざまに、御柱を模した結界を展開し、光の柱を境内に立てる。
「これが私の力……神奈子様、見ていてください!」
霊夢は驚いたように目を細めた。
「……やるじゃない」
だが彼女はすぐに空へ跳び、博麗の結界を背にして宙に舞った。
「こっちも仕事だから、手加減はしないわ」
結界の上で、二人の巫女が向かい合う。
風と札、光と陰。
幻想郷に二つの神社が並び立った瞬間だった。
神奈子は境内の隅に立ち、二人の戦いを厳しい目で見守っていた。
「ここでの勝敗は大事じゃない。重要なのは存在感だ。早苗がどれだけ“神社”として認められるか……」
戦いは激しさを増す。
早苗は風の柱を繋ぎ合わせ、結界を編み、霊夢を閉じ込めようとする。
だが霊夢は軽やかに舞い、隙を突いて札を打ち込む。
「まだまだ甘い!」
境内に閃光が走り、木々がざわめき、妖怪たちが遠くから見守っていた。天狗が望遠鏡を構え、河童が水中から観測器を覗き、狼たちは唸り声を上げる。
そして、その中に小さな影が立っていた。
伊吹萃香だ。
「ふふ……面白い。祭りはやっぱりこうじゃなきゃ」
瓢箪を傾け、酒をひと口。彼女は笑いながら空を見上げた。
やがて、霊夢が大きく札を広げ、境内に力を叩きつけた。
「これで終わり!」
しかし、早苗も叫ぶ。
「まだです!」
その瞬間、御柱が空から降り立ち、巨大な光の柱が霊夢の結界と衝突した。
轟音が山全体を揺らし、風が四方へと吹き抜ける。
神奈子は小さく呟いた。
「これで、もう後戻りはできない」
諏訪の神々は、博麗の巫女に牙を剥いた。
幻想郷に、新しい催しの火蓋が切って落とされたのだ。
第三章‐二 未熟なる勝利
御柱の光が天を裂き、博麗神社の結界と衝突した瞬間、山は地鳴りを上げた。
紙垂が焼け、木々の葉が吹き飛び、参道の石段は崩れかける。
その中心に立つ二人の巫女──東風谷早苗と博麗霊夢。
早苗の目は、昂揚していて明星のように輝いていた。
「これが……私の力!」
霊夢は汗をにじませ、札を振りながら歯噛みする。
「……くっ、調子に乗らないで!」
だが霊夢の動きはどこか鈍かった。寝転がって過ごす日々、結界の調整も手を抜き、弾幕の型も整えていなかった。即席の反撃では、早苗が繰り出す神々の力を受け止めきれない。
戦いは膠着したかに見えた。霊夢が御札の嵐を展開し、早苗が御柱を打ち下ろす。
だが一瞬、霊夢の手から札が滑り落ちた。
「……しまった」
その隙を逃さず、早苗の祈りが光を束ねる。
「神奈子様──見ていてください!」
光の御柱が再び降り、霊夢の結界を真っ二つに裂いた。轟音と閃光。霊夢の身体は弾き飛ばされ、縁側に叩きつけられる。
境内が静まり返った。
天狗たちの望遠鏡がきしみ、河童たちの器械が震える。
そして旧主の鬼・萃香がにやりと笑った。
「勝負あり、だね」
霊夢は立ち上がろうとしたが、足が震えていた。
「……くそっ。準備不足……」
彼女は悔しげに唇を噛み、早苗をにらむ。
「覚えてなさいよ。次はこんな不様な負け方しないから」
早苗は胸を張り、声を張り上げた。
「「はっ、好きなだけ喚きなさい三下のゴミぃ!敗北した恥さらしに次なんてあるの?言い訳野郎のウスノロ。没落は世の習い。バイバイ紅白巫女さん」
「くそめっ」霊夢は強く拳を握った。
「私は神奈子様の巫女! ここに幻想郷の新しい神社を開きます!」
その宣言は山に響き、妖怪たちの心に刻まれた。
やがて霊夢はよろよろと空に舞い上がり、博麗神社の奥へと退いた。
「今日のところは引き下がるわ。でも次は……次は本気で行く」
その目には怠惰な影はなく、鋭い光が宿っていた。
神奈子は息を吐き、早苗に視線を向ける。
「初舞台だからって興奮しすぎね。言葉遣いも荒れていたわよ」
早苗はばつの悪そうな顔をしつつも、誇らしげに頷いた。
「……まあいいわ。今日からが本当の始まりよ」
神奈子はそう言って、再び社を振り返った。
*
夜、博麗神社の縁側で霊夢は肩を落としていた。
賽銭箱は壊れ、結界も半壊。
「はあ……面倒なことになった」
そのとき、黒い影がひょいと現れる。
「やあ、霊夢。ずいぶん派手にやられたみたいじゃないか」
星を散らすように笑う少女、霧雨魔理沙。
霊夢は顔を上げ、悔しさを隠さず言った。
「魔理沙……次は一人じゃ無理だ。あんた、手を貸して」
魔理沙はにやりと笑い、帽子を傾けた。
「おいおいいつになく弱気じゃないか。そんなにこっぴどくやられたのか?」
「ふんっ、ちょっと油断しただけよ。それに敵は二人いるって話じゃないの。だから……」
魔理沙は呵々大笑して霊夢の肩とどんどんと叩いた。
「面白そうだな。よし、今度は祭りに混ぜてもらおうじゃないか。そうだな、祭りには花火がほしいな」
魔理沙は八卦炉を取り出すと星うずめく夜空に向けて、マスタースパークを撃った。
「反撃ののろしってな」
*
こうして霊夢は雪辱を誓い、魔理沙と共に神奈子神社への反撃を準備し始めた。
山頂で勝利の笑みを浮かべる早苗にはまだ、その逆襲の気配は届いていない。
第三章‐二・裏話 洩矢諏訪子と地底の囁き
その日、私は境内にはいなかった。
霊夢と早苗が光と札を交わし、博麗神社が震えていた頃。
私は別の匂いに導かれていたのだ。
山の麓。人も妖怪も避ける場所。
岩肌に穿たれた裂け目から、鼻を突く硫黄の匂いが立ち上っていた。
怨霊を押さえ込むために賢者たちが蓋をした場所。
そこは地底へ続く通路の一つだった。
私はしゃがみ込み、湿った風を嗅ぐ。
ただの瘴気じゃない。祟り神としての私にだけ分かる、懐かしい同胞の息吹が混じっていた。
地底には、まだ眠っている。かつての仲間たち──歴史に押し込められた古代の神や妖怪が。
「……やっぱり、まだ消えてなかったか」
私は口の端を吊り上げた。
遊び仲間を思い出すような、懐かしい気配。
________________________________________
管狐の登場
「こんなところで何をしているのですか、諏訪の神様?」
ひょこん、と影が現れた。
管狐を従えた細身の妖怪。じろりと私を観察する目。
──管牧司。
天狗の大幹部の秘書として会議にも同席していた、あの胡散臭い妖怪だ。
「へえ、天狗の飼い狐がこんな所まで。お目付け役かな?」
私が軽口を叩くと、管牧司は薄く笑った。
「お目付け? 違いますよ。ただの“観察”です。
あなたがどこを見ているのか、どこに興味を抱いているのか──それを知るのが私の役目です」
「ここは地底に繋がる通路。怨霊が渦巻き、古き祟り神が封じられています」
管牧司は淡々と告げる。
「そこに眠るものに、洩矢様は心当たりがあるでしょう?」
私は目を細めた。
「まあ、いくつかはね。祟り神の同胞。昔の遊び仲間さ」
管牧司は声を潜め、さらに続けた。
「では、“地獄烏”の話はご存じですか?」
私は首を傾げた。
「地獄烏? ああ……太陽の欠片を飲み込んだとされる烏か」
「そうです。地底にいるそれは、太陽の欠片を宿した存在。
もし貴女と八坂神奈子様の力を合わせれば、太陽の化身の分霊を召喚できるでしょう。それをその烏に与える。
外の世界で言えば──新しい太陽を作るようなものです」
「太陽を盗め、と?」
私が鼻で笑うと、管牧司は指を振った。
「盗むのではなく、“もう一つ作る”のです」
「外の世界は産業革命で神を否定しました。科学が神を殺したのです」
管牧司の声はねっとりと響いた。
「幻想郷は古典的な形を保ち、信仰に依存している。
ですが──千年帝国はあっても万年帝国はない。どんな仕組みも永遠ではない。
賢者たちの支配も、やがて終わる」
私は黙って耳を傾ける。
「そのとき、権威を持つのは“技術”です。
アルフレッド・ノーベルをご存じでしょう? 一人の人間が爆薬を発明し、世界を変えた。
最高神にも等しい影響力を持ったのです」
「なるほどね。神の手で産業革命を起こせと言うのか」
「ええ。神々が新しい技術を人に与えれば、幻想郷はさらに数百年続くかもしれない。
ですが、それは表向きの話。本当の狙いは別にあります」
管牧司の声はさらに低く、鋭くなった。
「……賢者たちが幻想郷を牛耳って久しい。だが、天狗は不満を抱いています。
天狗はこの山を治め、情報と軍事を抑えています。
そして今、守矢神社が入ったことで大義名分が生まれた。
“賢者たちへの覇権の挑戦”をする時だ、と」
私は唇を吊り上げた。
「ふふん。天狗が賢者に牙を剥く? そりゃ見物だね。その愉快な下剋上の仲間になれ、と?」
管牧司はええ、と微笑んだ。
「そこで重要なのは“新秩序”です」
管牧司は扇を広げるように手を広げた。
「これまで幻想郷は“人間と妖怪のバランスオブパワー”で保たれてきました。
人間は恐怖を糧に妖怪を強め、妖怪は人間を必要以上には滅ぼさず、共存する。
──ですが、これはもう限界です」
「限界?」
「はい。恐怖は希薄になり、妖怪は衰えていく。外と同じ現象がいずれ必ず、幻想郷でもおきる。
だからこそ我々が考えるのは、“生活基盤を妖怪側が提供する”新秩序。
つまり人間が生きるための糧、水、火、住居──それを妖怪が握るのです」
私は目を細める。
「なるほど。つまり人間を奴隷にしようってわけか」
「奴隷、という言葉は刺激的ですが……正確です。
奴隷であるがゆえに人間は根源的な恐怖を抱く。
『妖怪に逆らえば生きていけない』という絶対的な恐怖こそが、妖怪の覇権を保証する。
その恐怖を制度化することで、幻想郷を長く維持できるのです。
あなた様にならわかるでしょう?」
管牧司の口元が、面の奥で嗤っていた。
私は岩肌に手を当て、硫黄の匂いを深く吸い込んだ。
「……なるほどね。人間を奴隷にする幻想郷か。人間にとってはディストピアだね」
「さあ、決めるのはあなた様ですよ」
管牧司は妖しい笑みを浮かべた。
「太陽を呼び、新しい革命を起こすのか。あるいは……」
私は立ち上がり、足元の石を軽く蹴った。
硫黄の匂いがさらに濃くなる。
しばし沈黙したあと、私は笑った。
「でもね、私は祟り神だ。
人を栄えさせるのも、滅ぼすのも、ただの遊び。
時代を動かすのが技術だろうと恐怖だろうと、私にとっては遊び道具にすぎない」
管牧司はじっと私を見た。
「……遊び道具?」
「そうさ。私は数万年の昔から祟りを撒き、時に豊穣を与えた。
地底の同胞を呼び起こすことも、太陽をもう一つ作ることもできるかもしれない。
でも、それは“面白ければ”やるってだけだ」
私は踵を返し、通路を背にした。
「天狗の野望も、賢者たちの支配も、いつか壊れる。
そのとき、私が笑っていられるかどうか──それだけが大事なんだ」
管牧司はしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。
「貴女こそ恐ろしい。流石はこの国が作られるより前から存在していた最も古い神の一柱だ。」
私は片手を振り、背を向け、暗がりから離れた。
下では、霊夢と早苗が光と札を交わしている頃だろう。
私はそれを遠くに感じながら、胸の奥で自分の鼓動が早くなるのを覚えた。
──太陽をもう一つ。
──産業革命を神の手で。
――幻想郷を牛耳る
確かに馬鹿げている。だが、もし本当にできるとしたら?
幻想郷そのものを焼き尽くすか、あるいは新たな秩序を築くか。
「ふふ……」
私は笑った。
祟り神にとって、滅びも繁栄も同じ祭りの種だ。
そろそろ地上を恐怖のどん底に陥れても良いかもね。
地底の同胞の声は、まだかすかに聞こえている。
そのときが来れば、私は必ずそこに立ち会う。
風が吹き、地底の裂け目は再び静けさに閉ざされた。
私は踵を返し、山の社へと戻る。
新しい祭りの火種を胸に隠して。
第三章‐三 山登りの祭り(洩矢諏訪子の見物記)
朝の風は山の骨を撫でていた。私は新居となった山頂の鳥居に腰をかけ、足をぶらぶらさせて谷を見下ろす。
──来る。
博麗霊夢。その隣に黒い三角帽子の魔女、霧雨魔理沙。前回は準備不足で早苗に負けた霊夢が、今度は祭り仲間を連れて雪辱にやって来る。いいねえ、大騒ぎは続きがあるから面白い。どんなマジックをみせてくれるか。
「どうせ見に行くんでしょ?」
背後で、神奈子が半眼で笑う。
「もちろん。遊び担当だもの」
「手は出すなよ」
「風ぐらいなら吹かせる」
「それが“手を出す”って言うのよ」
私はけたけた笑い、ぺたりと鳥居から飛び降りた。見世物の最前列は、いつだって一番高いところと一番低いところだ。今日は低い方から登場順に眺めていこう。
麓の紅葉はまだ色づき始めだったが、そこだけ季節が前のめりに進む場所があった。赤と黄が濃く重なり、道幅いっぱいに落ち葉が舞う。
秋の女神、姉の静葉と妹の穣子。彼女たちは小さくて、けれど誇り高い。収穫と寂寥、満ち足りてゆくものと、手放していくもの──両輪の神だ。
「悪いけど通すわけにはいかないの」
静葉が落ち葉で紡いだ扇を開く。
「今年の豊穣は、ちょっとした見世物にしようか!」
穣子が笑い、栗色の弾幕がはぜた。
霊夢は以前と違う。札の束は整然、陰陽玉は足元の軌道に“習慣”の重さを載せて回っている。
「今日は仕事の日なのよ」
彼女がひと息つくだけで、落ち葉の渦が割れた。
「おー、やるじゃん!」魔理沙は箒を傾け、火の粉で実りの弾幕を焼き払う。「秋刀魚の煙みたいだな!」
穣子がむっとする。「魚じゃなくて芋よ!」
「芋もいいよね、焼き芋!」私は遠くの岩に座って手を振る。もちろん聞こえてない。聞こえないから言える軽口。
短いけれど濃い戦いだった。霊夢は“入山許可の儀式”を、必要最低限の力で通過する。
静葉は最後に扇を閉じて一礼した。「あのバカ騒ぎの続き、見せてもらうわよ」
穣子が肩で息をしながら笑う。「次は五穀豊穣の約束、もらっとくわよ」
「約束は出来ないけど、無駄にはしないわ」霊夢が言い、二人を抜けて山道を踏みしめた。
──良い出だし。私は掌で風を弾き、次の舞台へ走る。
渓流が蛇のように曲がる淵、黒緑の渦が生まれ、中心に朱のリボンが一輪、ゆっくりと回る。鍵山雛。厄災の集積、回転で留め、回転で解く。
彼女の周りは、見えない静電気のような“嫌な気配”でいっぱいだ。私は一歩引いて座る。祟りは親戚筋、扱いを誤るとこちらも痺れる。
「お帰りなさい、厄を忘れた旅人さん」
「帰る前提やめなさい」霊夢が鼻で笑う。
「忘れてるから言うのよ。厄はいつも“忘れたい”顔をして来るから」
雛が舞う。スカートの裾がふわりと広がり、弾幕が渦へと整列する。厄はまっすぐ飛ばない、蛇行する、戻る、跳ねる。準備不足の時の霊夢なら、ここで足をすくわれたろう。
「今日は厄払いの準備、してきてるから」
霊夢は結界の結び目を自分の周りに幾つも据えた。小さな“結界杭”だ。蛇行してくる不幸のベクトルを杭ごとに受け流す。
魔理沙は外縁を箒で走り、わざと厄を引き付けながらレーザーで細かい回転を断ち切る。
「回るのは私の得意分野でね!」
「それ、回転じゃなくて爆散でしょ」霊夢が呟き、札を一枚、雛の回転中心へ。
雛は笑って受けた。「厄は誰かの足元で踊るのが好き。なら、きれいな床を作りなさい」
「あいにく、掃除は得意なの」霊夢は踵を返して御祓いの円を描いた。
厄の渦がほどけ、淵の水だけが静かに回り続ける。雛は小さく礼をし、渦の外縁へ退いた。
私はほっと息を吐く。祟りは、遊びすぎると牙を剥くからね。今日はいい塩梅。さあ、次は水の工作室。
山腹に入ると、沢は急に整然とした。石が規則正しく積まれ、管が水を吸い上げ、竹の樋が拍子を刻む。
「ようこそ、実験場へ」
声と同時に、水面がめくれ、青緑の髪の河童が姿を現す。河城にとりとその取り巻き。工具と小型舟、背負子からは配線が覗く。
「通行料は新発明の実地データ。どう?」
魔理沙の目が輝く。「そういうの大好きだぜ!」
霊夢の眉間に皺。「やめなさい。余計な話で長引くのが一番厄介」
にとりは肩をすくめ、両腕から水砲を展開する。「じゃ、短期決戦で」取り巻き河童の援護射撃だ。
水は形を持つ。河童の弾幕は“圧力”があるから、避けるとき体重移動をしくじると足場から削られる。
霊夢は陰陽玉を前に出し、水を“割る”。魔理沙は逆に正面から火力で押す。
「はーっはっは! 科学も魔法も光れば正義!」
「うるさい」霊夢の札が雨樋の支点を抜く。にとりの仕掛けが一瞬止まった──隙。
にとり達はすぐさま水中へ潜り、背後の滝から飛び出した。「さすが博麗。じゃ、次は見たことないやつね」
背負子が開き、無数の“水のドローン”が踊る。
私は思わず身を乗り出す。いいね、工作はいつだって縁日の屋台だ。
魔理沙が笑い、箒を反転。「見たことないのはこっちもだぜ!」
極太の光線が一瞬だけ走り、水のドローンの配列が崩れる。霊夢の札がそこに針金のように入り込み、配線を断つ。
にとりは両手を上げた。「参った。データは充分取れたよ。上でつまずいたら、下りで修理してあげる」
「壊す前提で言わないで」霊夢が息を整える。
「まるで私たちが機械みたな言いぐさだな」魔理沙は怪訝な目だ。
「まさかまさか、人間は河童の盟友だからね」
「道具の間違いじゃない?」
私は彼女たちの背に親指を立てる。見えてないけどね。
山が急に“軽く”なる瞬間がある。気圧が落ちたみたいに、音が遠くなる。
風の主、射命丸文。黒白の翼を畳み、カメラと筆記具を提げて、レンズ越しの笑顔。
「特ダネ、いただきに上がりました。新興宗教対古参神社、歴史的対決! 見出しはどうしましょう」
「見出しより見出しを叩き落とす方が先よ」霊夢が即答する。
「あと身たしなみも気を付けろってな」
「急な出撃で準備不足だったんですよ~」
文の速度は、私の遊び心を直撃する。風は私の領分、でも今日は手を出さない約束。うずうず。
「風、もうちょっと右に寄って」なんて言いたくなるのを飲み込む。
文がにやり。「では、速度を上げます」
風が結界を撫で、髪が一枚ずつむしられる感覚。彼女の弾幕は“記録”だ。残像が紙面のように重なり、当たり判定を騙す。
魔理沙は真っ向勝負だ。「速いのが自慢か、なら速いのぶつけるだけだ!」
光の線が何本も交差する。文はそれを“記事の余白”みたいに軽やかに抜ける。
霊夢は速度に付き合わない。境内のように自分の“快適速度”を結界で作り、そこへ文を引きずり込む。
「ほら、こっちに来なさい」
紙面の端を破るみたいに、文の軌道が一瞬ぶれる。
「……やりますね。では、談合しましょう」
文は距離を取り、カメラを構えた。「“新参の巫女、緊張の面持ちで待つ。古参の巫女、準備万端で挑む。二人の背に神々の影──”。うん、いい絵面です」
「記事にならないわよ、ぶっ飛ばすから」霊夢が冷たく言い、札の投射角を変える。
「暴力記事だぜ」魔理沙は笑う。
文は肩を竦めると、最後の一撃だけ軽く出して、すっと退いた。「上で、続きがあるでしょうから」
「逃げ足は速いのよね」魔理沙が舌打ち。
私は胸をさする。今のは危なかった。無意識に風を曲げかけた。いけないいけない、見物は見物。
__
いよいよ山頂。私たちの社の前に、東風谷早苗がまっすぐ立っていた。
前回は彼女が勝ち名乗りを上げた。今日は逆。霊夢は準備してきた。魔理沙は背中を預ける覚悟で来た。
早苗は唇をきゅっと結び、でも目は嬉しそうだ。
「おかえりなさい。今日は“正しい挨拶”をしましょう」
「それ、こっちの台詞」霊夢が返す。「まず最初に土足で上がり込んできたのはそっちよ」
神奈子は拝殿の影で腕を組む。私は石灯籠の上で胡座。
「魔理沙、相手は一人だし。今回は私一人でやらせてもらうわ」
「了解」
開始の合図はいらない。心の準備はとっくに済んでる。
早苗は御柱の模型を四本、空へ立て、線で結んで“空中社殿”を組む。
「祈りは形にすれば強くなる」
霊夢は低く、結界の結び目を足元に重ね置く。「形は壊せば消えるわ」
御柱の十字が回り、風が柱を歌わせる。早苗の弾幕は“楽しさ”で押してくる。見る者の心をつい前のめりにさせる、危ない出来の良さ。
霊夢はそこに乗らない。目線は常に端、柱の“音階”が外れた一瞬だけを突く。
「そこ」札がひとつ、柱と柱の“継手”に刺さる。
早苗は一瞬たじろぎ、すぐ祈り直す。「まだ、これからです!」
私は頬杖をつく。よく学んだ。でも、喧嘩は相手も学ぶ。
やがて早苗の空中社殿は二度、三度と組み直され、四度目で音が濁った。霊夢が深く息を吸い、陰陽玉を“地面に落とす”。
熱が走り、地の結界が膨らんで、早苗の足を取った。
「っ……!」
彼女は空へ跳ぶが、御柱の位相が遅れた。そこへ札が一本、すっと通る。清潔な勝ち方。
早苗は膝をつき、額に汗。
「負け、ですね」
霊夢は息を整え、「準備の差よ」とだけ告げた。
拍手。魔理沙と私は思わず手を叩いた。魔理沙は音が多いことに気づき辺りを見渡す。神奈子がこちらを睨む。ごめんて。
空気が一段、硬くなる。
神奈子が拝殿から出てきた。袖の紋が風に鳴る。彼女は山の屋根そのものだ。
「最初の喝は、確かに届いたわ。次は、神と神の話」
「神社と神社の話よ。魔理沙、今回も見てなさい」霊夢は引かない。
「ちぇー、へいへい、負けそうになったら呼んでな」
「いや、二人でかかってこい。神相手に人間が一人とは愚かなことだ」
神奈子は神気を解放し、わかりやすいくらい威嚇する。
魔理沙は舌打ちをすると立ち上がる「おい霊夢、これは伊達じゃないな」
私は灯籠の影で膝を抱える。ここからは、遊びと仕事の境界が曖昧になる。けれど、それでも祭だ。ハレの日だ。バカ騒ぎだ。
神奈子は御柱ではなく、風車を立てた。社殿の前に一本、空に一本、見えない一本。
「皆が同じ風で回るように」
彼女はそう言って、手を叩く。風が立つ。
霊夢は地に結ぶ。紅白と風神の激突。
風車は回転数を上げ、山の木々が音を立てる。弾幕は“風洞実験”のように流線形になり、かわし方を間違えると一気に持っていかれる。
「お前たちの風は、どこから来てどこへ行く?」神奈子の声が届く。
「今、ここ」霊夢は短く答え、陰陽玉を風に“乗せる”。
魔理沙が笑って叫ぶ。「星は流れるためにある!」
光線が風車の影を縫い、霊夢の札が影の中心に止め針を打つ。
神奈子は片眉だけ動かした。
「……学ぶのが早い」
それでも神は神。山の風そのものが彼女の弾になる。
早苗のときと違って、神奈子は“遊び”を挟まない。効率と理で詰める。私はそこが少しだけ苦手。
霊夢が押される瞬間が二度あった。魔理沙のフォローで一度目を繋ぎ、二度目は陰陽玉の戻りが間に合わない。
「ここ!」神奈子が風車を一段上げた。
霊夢の帯がほどけ、転びかけた――
そのとき、魔理沙が前へ出た。
「派手に行くぜッ!」
彼女の光が、風車の羽根の“影”だけを焦がす。実体を焼かず、位相をずらす。
霊夢はその影に札を一枚、薄く挟んだ。
風車の“見えない一本”が軋み、回転が一瞬だけ鈍る。
神奈子は笑った。久しぶりに見る、彼女の“嬉しい時の顔”。
「いいわね。じゃ、最後」
空と地が反転するほどの突風。鳥居が唸り、注連縄が悲鳴を上げた。
霊夢は結び目を増やし、魔理沙は光の橋を架ける。二人で一つの“道”を作った。
「そこ」
霊夢の声と同時に、札が風車の中心を正確に貫く。
回転が止んだ。風はただの風に戻り、山が「はあ」と息を吐く。
神奈子は袖を整え、静かに一礼した。
「博麗神社、実力を認める」
「何様のつもりよ」
「まあ、神様ではあるな」
霊夢は肩で息をし、魔理沙は帽子のつばを指で弾いた。
私は灯籠の上で立ち上がり、ふうっと長い口笛を吹く。今のは傑作。舞台上の大団円にふさわしい手順だった。でも手を抜いたのは気に入らない。
________________________________________
余韻と、次の遊び
山の妖怪たちは遠巻きに拍手したり、ひそひそ声で記録を交わしたりしている。
文はもう記事の見出しを三案は用意しているだろう。にとりは風車の残響を測り、雛はほどけた厄がどこへ飛んだかを追う。秋の姉妹は葉脈を撫で、今年の色づきの早まりを相談している。
よくできた“総出の大祭”だった。
「……終わったのね」
早苗が境内を見回しながら呟いた。顔は泣き笑い。勝って、負けて、それでもちゃんと立っている。
神奈子が隣に立ち、肩に手を置く。
「終わりは次を呼ぶためにあるんだよ。今日、いっぱい学んだでしょ」
「はい。悔しいけど、楽しかった」
「それがいちばん強い言葉だ」
少し離れた場所では、霊夢と神奈子が短い言葉を交わしていた。神社と神社の話。結界の重なり、参拝者の分け前、祭りごとの取り決め。具体的な処理はきっと藍や紫があとで面倒を見るのだろう。
重要なのは、この二人が「喧嘩して」「言葉を交わせた」という事実だ。
霊夢がちらりと視線を流す。
合わない。けれど、風が肩を叩くようにすれ違う。
──「今度はあなたも出てくる?」
そんな声が聞こえた気がした。
舌を出す仕草はしない。ただ静かに、影の奥で笑っていた。
お祭りの“こっそり枠”は、最後に回した方が甘いのだから。
魔理沙が空へ手を振り上げる。
「次はもっと派手なの、期待してるぜ!」
「勝手に決めるな!」霊夢と神奈子の声が同時に飛んで、周囲は大爆笑。
──祭りは終わった。けれど、次が始まる。
________________________________________
幕間 博麗神社の宴
夕陽が山の稜線に沈み、博麗神社の境内に提灯の明かりが並んだ。
──戦いは終わった。負けても勝っても、幻想郷ではそのあとに必ず「宴」がある。そういう風に世界ができている。
「ほらほら、座敷を広げて、酒を並べて!」
魔理沙がどこからか運んできた樽を叩きながら叫ぶ。
「こら、うちの神社を勝手に居酒屋にするな!」
霊夢は抗議しながらも、結局は誰よりも手際よく肴を並べている。串焼き、漬物、川魚の塩焼き……博麗神社は祭祀よりも、宴の準備のほうが手慣れているようだった。
神奈子は盃を掲げ、笑った。
「ふふ、負けたあとで酒盛りなんて、霊夢は豪胆ね」
「異変の終わりはいつも宴会が幻想郷流だ。なっ?」赤ら顔の魔理沙が霊夢の肩を組む。
「うるさいわね。こういうときに飲まなきゃ、やってられないでしょ」霊夢はふてくされた顔で酒をあおる。
そこへ天狗の文が風のように舞い降りる。
「はいはい! 現場写真をばっちり押さえました! 記事にしますので、皆さんもっと盛り上がって!」
「取材料払え!」霊夢が即座に突っ込みを入れる。
河童のにとりは背に機材を背負い、「宴用の簡易冷却装置!」と桶を指さした。中の酒瓶が一瞬で冷え、歓声が上がる。
秋の姉妹も輪に混ざり、焼き芋を振る舞う。「豊作祈願はこういう場が一番効くのよ」と穣子が胸を張り、静葉は紅葉で盃を飾った。
さらには萃香が瓢箪をぶら下げて現れる。
「宴と聞いて黙ってられるか!」
盃を振るだけで酒は増え、人は寄り、笑い声は膨らんだ。
「ほら、これで百人分! 飲め飲め!」
境内はあっという間に百鬼夜行のような喧騒に包まれた。
________________________________________
巫女同士の一幕
「ねえ、霊夢さん」
早苗が遠慮がちに声をかける。
「なに?」
「今日は……ありがとうございました。おかげで、もっと強くなりたいって思えました」
霊夢は目を細める。
「礼を言うなら勝ってから言いなさい」
「はい!」早苗は満面の笑みを浮かべた。
そのやり取りに、魔理沙が茶々を入れる。
「次はもっと派手に行こうぜ! 博麗神社も八坂神社も、両方巻き込んで大祭にしよう!」
「勝手に決めるな!」霊夢と神奈子の声が同時に飛び、周囲はまた爆笑に包まれた。
________________________________________
余韻と影
深夜。
笑い声と歌声が途切れ、月明かりだけが境内を照らしていた。
縁側の隅に、気配を消して座っている小さな影があった。
誰も気づかない。ただ、風が少し強く吹いたとき、提灯がひとつ揺れた。
「終わりと始まりは、いつも宴のあとにやって来るんだよね」
その独り言に、返事をしたのは萃香だった。
瓢箪を差し出しながら笑う。
「飲むか?」
「うん。次の遊びのために」
杯を干したとき、遠くの山から別の気配がした。
まだ顔を見せていない妖怪たち。
まだ名乗りを上げていない異変の種。
宴のあと、祭りは必ず次へ続く。
影の中で、二人の笑い声が風に溶けていった。
第四章 天狗との交渉
山頂に根を下ろしてから数日。
祭り騒ぎも落ち着き、参道にはようやく人の歩調が馴染んできた。けれど、山そのものはまだ私たちを「異物」として見ている。
特に厄介なのは天狗。
彼らは妖怪の山の「管理者」であり、軍事も情報も抑えている。新参の神社が勝手に頂を占拠したのだから、何も言わずに黙認するはずがない。
「近々、天狗たちの代表と会談することになったわ」
神奈子が静かに告げたのは、早朝の社務所だった。
「やっとか」私は足をぶらぶらさせる。「ずいぶん警戒されてるもんね」
「当然よ。彼らにとって山は生活そのもの。勝手に神社が生えたんだから」
「会談って、どんな感じ?」早苗が目を輝かせる。
「形式は“交渉”。でも実質は“力比べ”になるでしょう」
神奈子の言葉に、私は口笛を吹いた。
──遊びの匂いだ。
*
会談の場は、山中腹にある天狗の集会所。
切り立った崖の上に板敷きの広場があり、望楼と幟が林立していた。天狗たちの軍服の黒と白が風にひるがえる。
空には鴉天狗の斥候が旋回し、地には白狼天狗の兵士が列を組む。
私たち三柱──神奈子、私、早苗──がそこに現れた瞬間、空気は鋭い刃に変わった。
最前に立つのは、白狼天狗の隊長。鋭い眼光でこちらを射抜く。
「外から来た神々よ。我らが山頂に居を構える理由を問おう」
声は冷たい。背後の兵が一斉に足を踏み鳴らす。
神奈子は一歩も引かずに答えた。
「理由は単純。この山に新しい風を吹かせるためよ」
「風?」
「停滞は死だもの。神も妖怪も生きる限り変わり続ける。私たちはそのためにここに来た」
ざわめき。天狗たちは互いに顔を見合わせ、ざらりと羽音を鳴らす。
彼らは秩序を好む。変化は嫌う。だが同時に、新しい力を試すこともまた本能的に求める。
私は心の中でけたけた笑った。
──ほらね。もう祭りの空気だ。
*
「何を言っているかわからんよ。我らが剣で語り合おう」
白狼天狗の隊長が吠えるように言い、剣を抜いた。
鋼の刃が日を反射する。
「力を示せ。さもなくば山を降りろ」
「来ると思ったわ」
神奈子が御柱を背に立てる。
「では、儀礼として一戦。ここで勝ったら、交渉の席に着く。負ければ私たちが引く。それでいい?」
「望むところだ!」
周囲がざわめく。鴉天狗たちが筆を走らせ、記録を取る。射命丸文もどこからともなく現れ、カメラを構えた。
「歴史的瞬間ですからね!」
早苗は横で杖を握りしめる。
「私も出ます!」
「だめ」神奈子は首を振った。「これは“神と天狗”の戦い。巫女は後で役割がある」
早苗は悔しそうに唇を噛んだ。
私は灯籠の上にひょいと座り、頬杖をつく。
──いいねえ、こういう緊張。わくわくして仕方がない。
*
戦いは短く激しかった。
白狼天狗は俊敏で、剣筋は鋭い。だが神奈子の御柱は一振りごとに風を巻き、衝撃波となって兵を押し戻す。
地を蹴るたび、御柱が結界を張り、風の流れを変える。剣は当たらず、逆に衝撃で押し返される。
数合交わしただけで、隊長は大きく息を吐き、剣を納めた。
「……実力、しかと見た」
天狗たちが一斉にどよめいた。
「これで席に着けるかしら?」神奈子が問う。
隊長は深く頷いた。「交渉の場を設けよう。我らの上層部に意志を伝える」
妖怪の山の中腹。
霧が晴れた瞬間にだけ見える天狗の望楼に、火が灯っていた。
鴉天狗の羽音が絶え間なく行き交い、白狼天狗たちが槍を携えて門を守る。
その広間に私たちは通された。
八坂神奈子、洩矢諏訪子、東風谷早苗。
対するは鴉天狗の幹部たちと、列を成した白狼天狗。
そして、最奥の座にひとり──天狗の棟梁、天魔。
年老いた身体は微動だにしないが、その存在感だけで場を覆っていた。
声を出さずとも、誰も軽口を叩けない圧。
ああ、やっぱり面白い。こういう“舞台”が一番ぞくぞくする。
「我らが山に、新参の神が居を構える──」
口火を切ったのは、鴉天狗の幹部、飯綱丸だった。
声は冷ややかで鋭い。
だが、その口調は抑制されていた。
普段の切れ味を知っている者なら「随分と大人しいな」と感じただろう。
──天魔の前では、彼女は“従順な側近”を演じている。
「それ自体が無礼。山は我々のもの。誰の断りを得たのかは知らんが……」
そこで一拍置いて、彼女は天魔の方へ視線を流す。
「──看過できぬ話です」
この場を仕切るのはあくまで天魔であり、飯綱丸はその筆頭幹部にすぎない──そういう姿を“見せている”のだ。
________________________________________
神奈子は扇子を指で弾き、静かに返した。
「そちらの棟梁自ら座しているのに、“話にならん”では筋が通らないわ」
天魔はゆるりと瞼を上げた。
「ふん、小賢しい。だが……まだ容認の余地はある。ただし条件がある」
声は重く、床に沈むようだった。
「お前たちは天狗の傘下に入れ。山の秩序は我らが守る。神社はその一角を与えられただけにすぎぬ」
早苗が思わず立ち上がりかける。
「そんな──!」
神奈子が手で制し、続きを促した。
「信仰も参拝者も、すべて天狗の監督下に置く。山も風も、我らのものだ。抵抗するならば、この山を去れ」
白狼天狗たちが一斉に足を踏み鳴らした。
軍靴の響きが床を震わせ、威嚇の音が広間にこだました。
私は心の中で笑った。
──やっぱり、私たちを“道具”としか見ていない。
神奈子は杯を置き、天魔を正面から見据える。
「従属しろ、というのね?」
「当然だ」飯綱丸が応じる。
だがその声は妙に抑えられていた。
「外から来た神ごときが、勝手に旗を立てて許されると思うな」
神奈子は笑みを浮かべる。
「でもね、人間ってのは、上から押さえつけられるほど、逆に反発して面白い行動を取るものなの。それは神と妖怪も同じ」
「何が言いたい?」
「提案があるのよ」
神奈子は膝を進め、堂々と声を張った。
「人里と守矢神社を結ぶロープウェイを作る」
広間がざわついた。
白狼天狗たちがざわめき、幹部たちも目を見交わす。
「……ロープウェイだと?」
飯綱丸は一瞬だけ目を細め、すぐに顔を作り直した。
怒気を帯びた声を張り上げる。
「馬鹿げている!神聖なる我らの山に人間を安易に通すというのか!?」
だが、ほんの刹那、彼女の瞳に別の光がよぎった。
──面白がっている。
やはり、彼女はただ天魔の影に徹しているわけじゃない。
別の打算を隠している。
神奈子はさらに畳みかける。
「人間が空を渡り、山頂の社へ直接来る。考えてごらんなさい。山を支配するはずの天狗の縄張りを、人間が笑いながら通過するのよ」
沈黙が広がった。
「それは天狗にとって屈辱であり、同時に武器になる。人間たちは恐れるわ。“天狗の縄張りに勝手に足を踏み入れている”とね。あなたたちにとって、それ以上に強力な“威圧の象徴”はないでしょう?」
天魔は扇を広げ、場を鎮めた。
「……面白い考えだ。確かに人間が恐怖に震えながら参拝するなら、信仰も強まる」
「その通り」神奈子は頷いた。
「あなたたち天狗は“威”を得る。私たちは“信仰”を得る。互いに利益がある。これは従属ではなく“協定”よ」
長い沈黙の末、天魔は頷いた。
「よかろう。守矢神社の滞在を認める。ただし、山の掟を破るな。人間が我らを侮るような行為をすれば直ちに殲滅する。総力を挙げて、な」
「約束するわ」神奈子は静かに頭を垂れた。
早苗も深々と礼をした。
初期は淡々と筆を走らせ、協定の記録を残す。
「この件、記事にすれば大騒ぎになりますね。……まあ、うちの文屋たちにはきつく言い含めておかないと」
飯綱丸の口調は渋いが、その目はどこか愉しげだった。
私は盃を傾けながら笑った。
──芝居はここまで。本音はこの後だ。
会議が散じ、人払いがなされたあと。
望楼の渡り廊下に、私と飯綱丸だけが残った。
月明かりが差し込み、風が羽根を揺らす。
「……さっきは随分とお行儀がよかったね」
私が笑いかけると、飯綱丸はわざとらしく肩をすくめた。
「天魔様の前では、ね。あの方は“正統”を尊ばれる。余計な策を口にすれば、その場で斬り捨てられるでしょう」
「なるほど。だから小物を演じていたわけだ」
「演じているうちに、それが本当に染みつく者もいますが……私は違う」
飯綱丸は扇で口元を隠し、囁くように続けた。
「話は管狐から聞いていますね?──外の賢者たちに、天狗が挑む日が来る。その時、守矢は便利な道具になる」
私は視線を細めた。
「ほう……」
それ以上は言わない。だが胸の奥で、さきほどの確信がさらに濃くなった。
“やっぱり、天狗は私たちを利用するつもりだ”
その夜、神社に戻ったあと。
境内の灯火を前に、神奈子と並んで腰を下ろした。
「……あの連中、完全に私たちを道具扱いね」
神奈子が杯を置き、低く呟く。
私はけたけた笑った。
「いいじゃない。道具にするつもりなら、こっちも道具にしてやればいい」
神奈子は目を細めた。
「利用し合う関係か……まぁ楽な道といえば道ね。どのみち我々も天狗なんて道具に過ぎない」
「鞍馬山みたいに?」
「天狗っていいわよね。赤面で鼻が高くて、キャッチ―だもの。みんなそれ目当てに神社に来てくれるわ」
「腹ぐろーい」
ケラケラ笑い、杯を干しながら、私は心の中で呟いた。
天狗も人間も神も妖怪も、互いに利用し合い、裏切り合い、笑い合う。
それが幻想郷。
──さあ、舞台は整った。
次の遊びは、どんな形になるだろうか。
風が吹き抜け、御柱の影が月に伸びた。
私はけたけた笑いながら、夜空を見上げた。
洩矢諏訪子は、退屈していた。
守矢神社は表向き、八坂神奈子がご祭神であり、東風谷早苗がその巫女だ。
だが実態は違う。神奈子が神としての力を保てるのは、諏訪子に向けられる祟り神としての信仰のおかげだった。
つまり、守矢神社の「心臓部」は諏訪子。
神奈子が人前に立ち、早苗が人を導く構図は、言ってみれば見せかけの舞台装置にすぎない。
本当の主役は、陰に潜むこの私だ。
だからこそ、今回の博麗神社への「カチコミ」は神奈子と早苗が主導せねばならなかった。
力の均衡を保つためにも、里への体裁のためにも。
……分かってはいる。けれど、暇なのだ。
暇は祟り神にとって毒だ。
何かを壊したくなり、遊びたくなり、騒ぎたくなる。
私は一計を案じて、新聞記者・射命丸文にリークを流した。
──守矢神社には、もう一人の神様がいる、と。
________________________________________
文の記事と博麗の反応
数日後、山から里へ飛び交う文々新聞の号外には、大きくこう記されていた。
「守矢神社、隠されたもう一柱の神? 目撃証言相次ぐ」
霊夢がその記事を目にしたのは、縁側で昼寝をしていたときだった。
酒を片手に新聞をひったくると、渋い顔で文字を追い、深いため息をついた。
「……余計なことを……」
ちょうど訪ねてきた魔理沙が肩越しに覗き込み、目を丸くする。
「なぁ霊夢、これ本当か? 守矢神社には神奈子だけじゃなくて、もう一柱いるって?」
「知らん」霊夢はぶっきらぼうに答えた。
「知らんって……お前、巫女だろ?」
「だからよ。神様なんて妖怪みたいなもんよ。異変を起こすなら退治するだけ。喧嘩売るなら買うだけ」
魔理沙は口笛を吹いた。
「……巫女とは思えない発言だな。まあいい、面白そうじゃないか。挨拶に行こうぜ、“もう一柱”とやらに」
霊夢は立ち上がり、御札を帯に差した。
「いいわ。どうせ放っておいても面倒になる。先に殴っといた方が楽だし」
こうして、博麗神社の二人は「ご挨拶」と称して守矢神社へと攻め上がることを決めた。
守矢神社。
山道を登る霊夢と魔理沙の気配を、神奈子はすぐに察知した。
「……またあの子たちか」
横で控えていた早苗が驚いた顔をする。
「えっ、どうしてわかるんですか?」
神奈子はため息をついた。
「諏訪子が何かしたんだろう。あの性格だ。退屈になると必ず火種を投げ込む」
すぐに事態を理解した。
諏訪子は直接表に立たず、裏から遊びを仕掛ける。
だからこそ、自分は「友を守る神様」という善の顔を演じねばならない。
「いいわ。私が出る。あの二人に神社を守る神の役を見せて、そしてわざと敗れる」
「えっ、敗れるんですか?」早苗が戸惑う。
「その方が話が転がる。諏訪子が望んでいるのは、きっとその先だから」
山頂。
霊夢と魔理沙が鳥居をくぐると、風が荒れ、御柱が唸りを上げた。
神奈子が堂々と立ち塞がる。
「ようこそ。歓迎するわけじゃないけど、ここまで来たのなら一戦は避けられないわね」
「守矢の神、八坂神奈子……か」霊夢が腕を組む。
「もう一柱いるって話を聞いたから、挨拶に来たのよ」
「……やれやれ」神奈子は薄く笑う。「友を守るのが神の役目だ。あの子に近づく前に、まず私を倒してもらおう」
戦いが始まった。
霊夢は御札を放ち、魔理沙はマスタースパークを放つ。
神奈子は風と御柱でそれを迎え撃ち、境内は閃光と衝撃で揺れた。
だが、神奈子は決して本気を出さなかった。
あえて攻撃を緩め、二人に押し込まれるまま、最後には大きく吹き飛ばされて御柱に寄りかかる。
風がざわめき、境内の空気が一変した。
小さな影が御柱の上に跳び乗り、蛙帽子の庇から、にやりと笑う口元が覗いた。
洩矢諏訪子。
守矢神社のもう一柱。古き祟り神。
気まぐれに民を守り、気まぐれに災厄を振りまく、日本最古の「恐れ」の象徴。
「やっと会えたね、博麗の巫女に魔法使い」
その声は幼く澄んでいるのに、背後に千年以上の怨霊のざわめきを孕んでいた。
霊夢と魔理沙は同時に身構える。
「……やっぱりいたのね。黒幕」霊夢の目が細まる。
「ははっ、チビっ子かと思ったが……やべえな、気配が違うぜ」魔理沙は汗を滲ませつつも笑う。
諏訪子は両手を広げ、空を仰いだ。
「ハレの日の最終日だ。異変の最後を飾る“神遊び”。人間と神が遊ぶお祭りを始めよう今日は私の弾幕お祭りの番よ」
諏訪子が手を打つと、境内の池から無数の蛙が飛び出した。
それらは宙に浮かび、弾けると光弾へと変わる。
「スペルカード! 土着神『蛙石神様の祟り』!」
光の蛙が飛び跳ねるように弾幕を描き、境内全体を覆い尽くす。
霊夢は御札を放ち、
「陰陽玉、いけっ!」
白と赤の玉が飛び、光の蛙を撃ち落としていく。
魔理沙はほうきに跨り、
「スターライトブレイクショット!」
星型の弾をばら撒き、祟りの蛙を焼き払いながら突破した。
だが諏訪子はけたけた笑い、蛙の群れをさらに呼び寄せる。
「ほらほら、もっと遊ぼう!」
次の瞬間、大地が唸りを上げ、境内に巨大な柱がせり上がった。
それは山の御柱。諏訪信仰の象徴。
「スペルカード! 神具『洩矢の鉄の輪』!」
御柱が回転し、鉄輪となって弾幕を撒き散らす。
霊夢は神速の飛翔で隙間を抜け、札を叩きつけた。
魔理沙はマスタースパークをぶっ放す。
「恋符『マスタースパーク』!」
極太の光線が御柱を貫き、爆ぜ散らした。
諏訪子は柱の上でひょいと蛙跳びし、光線の直撃を受けながらも笑みを崩さない。
「うんうん、いいね! やっぱりお祭りは派手じゃなきゃ!」
風が冷たく変わり、硫黄の匂いが漂った。
諏訪子の背後に、古代からの祟り神の影が無数に現れる。
「スペルカード! 祟符『ミシャグジさま』!」
黒い蛇のような弾幕がうねり、無数の呪詛の声が境内を覆った。
「うっ……!」霊夢は眉をひそめる。「重い……」
「こりゃヤベェな……!」魔理沙の魔力も軋む。
だが二人は背を合わせ、同時に突き進んだ。
陰陽玉と星弾が交差し、呪詛を切り裂く。
諏訪子は楽しげに両手を叩いた。
「そうそう、それだよ! 人間ってのはさ、恐れながらも笑うんだ! だから面白いんだ!」
空に巨大な御柱が四本、光の柱となって出現した。
諏訪子が高らかに宣言する。
「ラストスペル! 土着神『宝永四年の赤蛙大噴火』!」
地が裂け、火山のように炎と蛙と光弾が噴き上がる。
夜空が昼のように輝き、地鳴りが山全体を揺らした。
「これが祟り! これが祝ぎ! これが、神遊びだあ!」
霊夢は全身を震わせながら、最後の御札を放った。
「夢想封印!!」
円環状の弾幕が広がり、赤蛙の群れを閉じ込める。
魔理沙は歯を食いしばり、ほうきを前に突き出す。
「ブレイジングスター!」
星の尾を引きながら光速の突撃をかまし、御柱ごと突き抜けた。
轟音と閃光が境内を包み、弾幕の嵐が弾け飛ぶ。
静寂。
諏訪子は帽子を押さえ、御柱の残骸にちょこんと座った。
にやり、と口角を上げる。
「うん、いい遊びだった。それなりに満足かな。ハレの日はこれでおしまい。……でも、またすぐ始まるよ」
霊夢は肩で息をしながら、呆れ顔をする。
「……ほんと、たちの悪い祟り神ね」
魔理沙は汗を拭いながら笑う。
「でもよ……悪くなかったぜ」
夜風が吹き、蛙の鳴き声が遠くに響く。
祟りと祝ぎはぐるぐると巡り、終わりは始まりに寄りかかって座る。
──祭りは終わった。だから、また始まるのだ。
翌朝、博麗神社には妖怪たちが詰めかけていた。
異変の顛末を聞きに来たのだ。
「で、どうだったのよ?」
「ふっ……そりゃもう、大祭だったぜ」魔理沙が胸を張る。
「御柱が空を裂き、蛙が星みたいに降り注いでよ、最後は大噴火さ!」
「そんな大げさな……」妖怪が笑ったが、霊夢は真顔で言う。
「大げさじゃないわ。本物の祟り神だった。古代の怨念を背負った存在よ」
人々がざわめく。
そこに、紅魔館からレミリア・スカーレットと咲夜が姿を現した。
「ほう……祟り神、ね」レミリアは微笑む。「力の古さと気まぐれさ。そういう存在は嫌いじゃないわ」
咲夜は冷静に頷いた。「しかし気まぐれほど厄介です。博麗も守矢も、扱いを誤れば秩序は崩れます」
「ほう、じゃあコイツはどうなんだ?」
魔理沙がニヤニヤしながら、レミリアをつつく。
レミリアはムッとした顔でぎゃあぎゃあと騒ぐ。
霊夢はため息をつく。
「遊びたがりの神様ほど迷惑なものはないのよ」
その頃、紅魔館。
文々新聞を広げたフランドール・スカーレットが、目を輝かせていた。
「わぁ! すごい! 御柱が空を裂いて、蛙が爆発して、火山みたいに大噴火!? ねえねえパチェ! 私も行きたかった!」
パチュリーは椅子に座りながら紅茶をすする。
「落ち着きなさい。次の祭りがあるわ。幻想郷はいつだって騒がしいんだから。それより、お勉強の続きよ」
フランはうげぇとあからさまに嫌な顔を作る。
「次は絶対見に行く! 絶対に!」
数日後の文々新聞には見出しが躍った。
『守矢神社、第三の神現る!? 異変は“遊び”の祭りだった!』
記事には書かれていない事だが、事情通は分かっていた。
――ただし。
山を統べる天狗社会では、この騒動を「取るに足らない茶番」として退ける声が大半である。
だが一部の幹部の間では、「祟り神の信仰を利用し、新しい秩序を打ち立てるべきだ」という議論も起こりつつある。
人間と妖怪の関係を変え、信仰を武器に賢者たちへ挑む──そんな不穏な動きが、水面下で芽吹いているようだ。
記事を読んだ霊夢は、縁側で頭を抱えた。
「……また余計なことを書いて……」
魔理沙は大爆笑しながら隣で酒を煽る。
「いいじゃねえか! 次の祭りも盛り上がる!」
一方その頃、守矢神社。
諏訪子は帽子を目深にかぶり、記事をにやにや眺めていた。
「ふふ、いい記事だ。これで次の遊びの種もばっちりだね」
神奈子は額を押さえて呆れ、早苗は真っ赤になって記事を読み上げる。
「『幼子の姿で祟り神』って……! 諏訪子様!」
「だって事実でしょ?」諏訪子はけたけた笑った。
夜風が吹き、湖なき山頂に蛙の声が響いた。
祟りも祝ぎも、遊びも戦も、全部ひっくるめて“祭り”。
──祭りは終わらない。
終わりは始まりの縁に座り、次を呼び込む。
そして幻想郷は、また一つ新しい物語を回し始めるのだった。