善逸が事件の謎を解き、鬼を狩るお話。
善逸は眠らないけどちゃんと考えて戦います。
一時的に動けない炭治郎のために今だけ長男代理をつとめてます。
※こうだったらいいなという話を書いたので実際の設定とは違うところもあるかと思います。
※pixivにも投稿しています。
任務である村を訪れた善逸と炭治郎。
一時的に戦えない炭治郎にかわり、善逸が事件を捜査する。
善逸は眠らずに戦っています。
※pixivにも投稿しています。
二次創作のため実際の設定とは異なるところもあるかと思います。
事の始まり、異変が起きたのは水無月のはじめだったが、誰も気づかなかった。ある屋敷の窓が人知れず分厚い板でふさがれたことや、村に見慣れない顔が増え始めたことに気づいた者もいたが、それだけだった。ひとびとは日々の労働に追われ疲れ果てている。
寂れた集落はその日を境に少しずつ活気づき始めたが、それを歓迎こそすれ訝しむものなど誰もいなかった。
善逸と炭治郎は足早に目的地を目指していた。
炭治郎が半歩先を歩き、善逸がとぼとぼついていく。道中何度か木にしがみついて絶叫したり炭治郎の足にまとわりついて泣き言をいったりと、生来の臆病さは消えないものの、逃げ出すことはない。
怖い死ぬ助けてと泣きはするが、善逸なりに自分を変えようとはしているのだ。
「いや俺もね、ちゃんと戦いたいしがんばる気はあるのよでも実力が……」
もはや様式美となっている口上を続けようとしたところで、善逸はとまった。炭治郎が立ちどまったからだ。
「なんか怖いこというなら心の準備をする時間をくれよ」
「怖いことはなにもない。だが申し訳ないが善逸、俺は体調を崩したようだ。ただの疲労からくる風邪だと思うから心配しないでくれ」
「え、大丈夫かよ、任務受ける前にいえよなそういうことは」
予想外の言葉に善逸がおろおろと手を伸ばすと、炭治郎はすまなそうに続けた。
「症状が出始めたのは旅立ってからだ。俺は長男だから我慢しようとしたが、ちょっと倦怠感がひどい。耳も痛いし、頭痛もするし、喉にも違和感がある。さっきからずっと咳も我慢している」
「それは我慢しなくていいから、いったん戻ろうぜ。伊之助かほかの誰かと交代してもらえれば――」
「大丈夫だ、俺は長男だから一晩よく休めば治る。調査は明日からはじめる予定だったから問題ない」
「長男関係ないしなんの根拠もないよね、はい病人は休む! お兄さんが運んであげるから!」
炭治郎はやたら長男を強調するが、実際は善逸のほうがたった一つとはいえ年上なのだ。お兄さんなのだ。
俺だって起きている間ずっと臆病で情けなくて頼りがいがないわけではない!
……我ながら情けなくなってきた。
善逸は雷の速さで炭治郎を背負うと、いま来た道を引き返しかけ、はたと気づいた。
お天道様は、山の向こうへ沈みかけている。
ここに来るまで、二人の鍛え上げられた足をもってしても半日以上かかった。善逸とて腐っても鬼殺隊、炭治郎を背負ったままでも楽に走れるが、今から戻るとなると……。
「……日が暮れる」
つまり鬼の活動時間だ。山の凶暴な熊やら狼やら野犬やらも出るかもしれない。
がたがたと震え始めた善逸の背から降りようとする炭治郎を、なけなしの勇気で制止した。
ここまで来たら、引き返すより目的地の村へ向かったほうが安全だった。
「俺をなめんなよ炭治郎、俺だって鬼殺隊、足の速さなら自信がある、今から全速力で目的地へ向かい、チュン太郎に連絡を頼む。その間炭治郎を看病して、代わりの隊士『二名』と交代、そんで炭治郎と二人で帰る!」
さりげなく戦線離脱を宣言しながら、無意味に胸をはる。
炭治郎の返事はなかった。
ぐったりとした炭治郎の身体は羽織越しでも熱く火照っているのがわかる。
「……炭治郎?」
ぜいぜいと不規則に漏れる息は明らかに異常で、背を軽く揺すっても反応がない。責任感が強く謎の長男理論で我慢強い炭治郎が任務中に体調不良を訴えるということは、よほどのことなのだ。
ずり落ちそうになった炭治郎を背負いなおし、善逸は駆け出した。
善逸は反省していた。同時に絶望もしていた。
絶望の理由はチュン太郎が運んできた手紙にある。増援も交代要員もなし、現場判断で対処せよという、善逸にとっては死刑宣告にも等しい知らせだった。
「え、嘘……炭治郎は戦えないっつってんじゃん、実質俺一人なんですけど! もう無理、今度こそ終わったわ俺」
急ぎ宿を取り、炭治郎を休ませたまではよかった。
チュン太郎を飛ばし、炭治郎のために滋養のある食事を宿に頼み、かいがいしく看病をしてこれで一安心、と一晩ぐっすり眠って起きたらこれだ。
「俺は長……」
「はい、長男だからは禁止ね! 全然治ってないから! おまけに鼻も利かなくなってるよね!」
反省点としては、炭治郎に頼り切りだったことだ。いままでの無理がたたったのだ。炭治郎とて人間、謎の長男理論の根性だけでは体がもたないに決まっている。
「いやしかし任務が――」
「炭治郎」
善逸の低く落ち着いた声に、炭治郎は目を瞬いて動きを止めた。善逸はゆっくりと続けた。
「炭治郎は、今から次男だ」
「えっ」
「俺が長男。炭治郎が次男だ。めっちゃ怖いけど、俺が長男だと思えばなんとかなると思う」
よく考えなくとも最初から善逸の方が年上なのだ。
それを今まで年下の友人に甘えてすがってピーピー泣き喚いていたのだから、こんな時くらいは年上の威厳を見せなければならない。
突然長男の座を追われ、茫然としている炭治郎を安心させるように善逸は言った。
「炭治郎が治ったら、長男の座は返す。そしたら俺を守ってくれよな」
炭治郎の目に輝きが戻った。
町というのは小さく、村というには大きい。そんな中途半端な発展をしている集落だった。
「じゃ、さっそく行ってくるからおとなしく寝てろよ」
宿の者にいくらか心づけを渡し、念入りに炭治郎の世話を頼んでから善逸は重い腰を上げた。ぶっちゃけ行きたくないけど。
日輪刀に布を巻き、少しでも目立たぬようにする。
炭治郎の日輪刀は、迷った末に布団の中に隠した。炭治郎の利き手側に並べて置き、いつでも抜刀できるようにする。
まさか宿の中まで鬼は来ないとは思うが、絶対という保証はない。鬼も怖いが、生きている人間も怖いし。
初冬とはいえ少し蒸し暑いくらいの陽気だったが、羽織を脱ぐわけにはいかない。なにしろ背にでかでかと『滅』の文字が入っているのだ。何者だよ。二度見されるわ!
普段はできるだけ閉ざしている聴覚を全開にすると、雑多な情報が一気になだれ込んできて息が詰まるほどだ。それでも丹念に聞き分け、ゆっくりゆっくり大通りを歩き、情報を精査する。夫婦喧嘩、鬼に関係はない。子供の喧嘩、男同士のいざこざ、商売のもめごと、不義密通、年頃の男女の逢引き……。
大通りから一本外れただけで、雰囲気ががらりと変わった。人もまばらになり、雑多な音も不穏なものになってくる。物乞いが何人か視線を投げかけてくるが、かまわず通り過ぎる。
誰もかれもを救うことはできない。
いま善逸がすべきことは、炭治郎の復帰までふんばることと、できればそれまでに鬼を狩ることだけだ。優先順位を間違えてはならない。善逸ができることは限られている。
善逸の羽織は目立つ色のうえ質も良い。そもそも金髪からして派手に人目に付く。目立たぬようにしてはいるが帯刀もしている。詮索される前にすべてを終えなければならない。
俺は長男、俺は長男、今だけ長男……その一心で道端でのけ反って悲鳴を上げたい気持ちを抑えていた。普段の善逸なら動き出すまで相当ごねるところだが、いまは臨時長男の座についている。日々みっともなく駄々をこねて炭治郎に負担をかけた責任も感じている。だからやるしかない。
必死に気持ちを盛り上げていたので、裏通りの奥から耳をつんざく悲鳴が聞こえた時も善逸の呼吸は乱れなかった。
任務中に悲鳴上げて酸欠で失神しない俺、成長したな。
任務中に泣いて意識を失うのは、全鬼殺隊士の中でも善逸だけだぞ。
そう突っ込んでくれる仲間がいないので、善逸は自己肯定感高めのまま疾走する。
ものの数秒で音の発生源にかけつけると、見るからにならず者ですと言わんばかりの男たちが何かを取り囲んでいた。
善逸は腹に力を込め、できるだけ低い声を出す。
「おまえら、なにをしている」
振り返った男たちのうち、五人中三人が獲物を持っていた。刀よりは短いが、警官に見つかれば手が後ろに回る代物だ。それは善逸も同じことだが。
「ガキは失せろ」
「いいや失せないね」
男の一人が獲物を持って近づいてきたので、善逸はすらりと抜刀する。武器を持った相手が複数いるなら、こちらも丸腰ではいられない。そのくらいの場数は踏んでいる。
善逸の刀を見て、悪漢たちの顔色が変わった。
善逸の得意とする雷の技は基本的に一般人相手には使えない。
しかし鬼相手なら恐怖ですくむ体も、複数とはいえ一般人相手なら余裕がある。だてに修行を積んではいないし、鬼や山の獣に比べれば格段に恐怖も薄い。
善逸が軽く刀を振るえば瞬きする間に皆殺しだ。善逸の腕前はともかくとして、日輪刀自体が途方もない金と手間暇をかけて作られた業物だからだ。そこらの金物屋で買える刃物とは土台からして違う。
もちろんいくら悪漢とはいえ人間を殺すわけにはいかないので、あくまで威嚇として刀身を見せただけだ。そもそも抜刀術を基本とする善逸にとって、抜身の刀を振るうことは滅多にないし得意な戦術でもない。
はたして悪漢どもは数歩後ずさった。何気なく立っているだけに見える善逸の姿勢にはブレがない。刀は見た目通りのずっしりとした重量を持っているが、まるで重さを感じさせない。善逸の刀は白い鞘に金の雷模様が入った刀身と、金持ちの道楽で作ったのかと揶揄されるほど派手だ。しかし決して飾り物ではないと分かる、使い込まれた刀独特の迫力があった。
こけおどしではないと素人目にも判断できる善逸の刀に舌打ちし、悪漢たちは砂埃を巻き上げながら引き上げていった。
引き際がいいということは、油断ならない相手ということでもある。
弱々の俺にびびったっていうより、切れ味よさそうなピカピカの刀から逃げただけだろうけど。
後に残されたのは、小刻みに震える小さな体だった。
「大丈夫か?」
善逸が手を差し出すと少年はおずおずとつかまり、震えながら立ち上がった。ならず者に囲まれているのを見て勝手に娘盛りの美少女を想像していたが、予想以上に幼かった上に男だった。十は超えているだろうが、まだいとけない子供だ。
炭治郎なら老若男女問わず無邪気に相手の懐に入り込むが、年端もいかない男児となると善逸の不得意分野だった。
「さっきのやつら知り合いじゃないよね? 前にもこんなことが?」
これまでの任務でも何度か遭遇したことのある、よくある話だろうか。
鬼といえば食肉、執拗に狙われるというなら十中八九稀血の持ち主。鬼が潜むと思われる町、狙われる子供、だとすれば簡単な構図ではないか。
懐に常備している藤の花の香袋をお守りだと握らせ、聞き込みついでに買った練り菓子を与えると、少年は落ち着きを取り戻した。
方言交じりのたどたどしい言葉を辛抱強く聞き出すと、少年はこの村に働きにきたばかりだという。貧しい村の出身だが、ぜひにと望まれて高賃金で奉公に出たとか。その奉公先の井筒屋という店の使いで、この裏路地に来たらしい。
まじめくさった顔で事情聴取しながら善逸は思う。
その奉公先、あやしくない?
日が落ちてきたので、善逸はそそくさと帰路につく。続きは明日だ。鬼こわい。
だがその前にやることがある。人気のない路地裏で、声を押し殺してやることが。
イィヤァアアー! 怖い怖い死ぬ死ぬ今度こそ死んだわ助けてェー!
いつもの奇行だ。こんなことのために鍛えたわけではない驚異の柔軟性でのけ反り、虚空に向かって恐怖を発散する。無音の絶叫に大気が震え、すぐ横の長屋の戸がカタカタ揺れた。
ひとしきり醜態をさらし、気が済んだところで再度自分自身に暗示をかける。俺は長男、いまだけ長男……と。
遅くなったことを詫びながら宿の延泊を頼み、忍び足で部屋に戻った善逸は小さくため息をつく。集められるだけ集めた藤の花を、借りられるだけ借りた花瓶に生けていく。この部屋を安全地帯ということにする。そうでないと俺の精神がもたない。
長男の責任重すぎだろ。
炭治郎の音は深い眠りに落ちていることを示していた。食膳は空になっている。食欲があるのはいい兆候だ。宿の者に改めて礼をしよう。よしよしと長男ぶってうなずきながら片づけてやる。肩が出ていたので掛け布団を直してやり、日輪刀がしっかりと炭治郎を守っていることも目視で確認する。
炭治郎の呼吸は心を落ち着かせてくれる。今日も生き残れたという実感がわく。
今度は日輪刀の手入れにかかる。眠る炭治郎を背にあぐらをかき、か細く灯る蝋燭を頼りに拭紙をくわえ、抜身の刀に打ち粉をかける。ただでさえ弱いのに刃こぼれでもしたら目も当てられない。黙々と手入れをしながら、あまり収穫のなかった本日の調査を歯がゆく思う。
はたから見るとなかなか剣士として様になっているが、善逸の心の中はというと、
なんか俺いま、すっごい真面目に鬼殺隊やってない? 俺すごいがんばって長男やってない? なんでこういう時に限って誰も見てないかなあ、今の俺カッコいいのに。
こんな調子である。
頭を使ってなにかすることは実は苦手ではない。むしろ、あれこれ考えすぎて人よりも一つ二つ先を見すぎてしまうために恐怖を感じやすいのだ。
善逸からすれば、考えなしに突っ込む伊之助や、長男だからという理由になっていない理由で無茶をする炭治郎のほうが理解できない。どうかしてると思っている。
そんな相容れない性格なのに、炭治郎と伊之助はいまや善逸の心の中で大きな存在となっている。親友といってよかった。こいつらのために死ぬならまあ悪くないな、と思える相手。だからこんな状況でも踏ん張れる。
炭治郎の隣に手早く布団を敷き、ごろりと横になる。先に銭湯に寄るべきだったと思いながらも、珍しく弱音を吐かず気を張り続けた一日の疲れには勝てなかった。少しだけ、と誘惑に負けて瞼を閉じ、次に目を開けた時にはもう夜が明けていた。
長男代理、我妻善逸。二日目の、朝。
「……というわけで、調査は頓挫してる」
だいぶマシにはなったが時折苦しそうにせき込む炭治郎に白湯を渡しながら、善逸は報告する。
「なんで炭治郎が長男にこだわるのか分かった気がする。長男の自己暗示すげえよ、俺ですら自分が頼りがいのある男になった気がしたもん、気のせいだけどね、気を抜くとすぐ死ぬけどね!」
「だから善逸は強いって」
「強くねえよ! 俺は鬼殺隊史上最弱なの!」
「そこに嘘の匂いがないのが不思議なんだよな」
「怖いけど今日もいきますよ、俺いま長男だしね! はあ……昨日は俺史上最高にかっこよく女の子を助けたと思ったら男の子だったし、最近の俺確実に死に向かってる上についてないしモテないし」
「善逸はもっと落ち着いたほうがいい。女の子は猫と似てる。しつこく追い掛け回すと逃げられるし嫌われるぞ」
「おまっ、お前に女の子の何がわかるっていうんだよおぉ! お前もう寝ろ! 長男善逸さまのいうことを聞けぇ!」
力任せに押さえつけ、掛け布団をぐいと引っ張り、強引に寝かしつけても、炭治郎は菩薩のような笑みを浮かべている。いつもの長男力が封印されていて調子が狂ってしかたがない。
単純な任務に見えるが、鬼の痕跡が見つけられない。
よほど隠れるのがうまい鬼なのか、善逸の耳をもってしても探知できない。炭治郎の嗅覚が戻れば残り香をたどることもできたかもしれないが、一日二日休んだところで復帰は無理だ。あの咳は長引く、音でわかる。
稀血と思われる子供を狙った男たちは、善逸をただの無鉄砲な少年と侮ることなく撤退した。善逸の頼りなさそうな見た目に惑わされず、相手の力量をある程度はかれる。ただの人さらいではない。
今回の敵は、鬼だけではないのかもしれない。
この集落はここ数か月で急速に栄え始めたという話だ。そのおかげで善逸のような派手な見た目のよそ者がうろついてもそこまで注目を集めないのは幸いだった。
解決の糸口は、相棒チュン太郎が教えてくれた。
ある路地に差し掛かったところで突然甲高くチュンチュン泣き、善逸の頭上をぐるぐる回りはじめたのだ。
「どうしたチュン太郎。俺はいまだかつてないほど真面目に仕事してんだぞ」
意思の疎通は一応できるが、炭治郎のように鳥語がわかるわけもない。
チュン太郎は善逸の金髪をひと房つかみ、ぐいぐい引っ張り続ける。痛い。ハゲる。
ハゲたくないので進んだ路地は行き止まりだった。
「なんだよ、この辺はもう調べつくし、た……」
音が反響しない。チュン太郎の鳴き声は壁に反響することなく遠くに遠くに吸い込まれていく。
ためしに小石を投げると、壁に溶け込んで消えた。
これ進まなきゃいけないわけ? 今日が俺の命日? うそでしょ。
「痛でで、行くってば行くよ行けばいいんだろ今行こうと思ってたとこなんだよ心の準備とかさあ」
最初こそなんで俺だけ雀? と思ったけども、チュン太郎の優秀さは俺を軽く超えている。弱いから一番賢いのをつけてくれたのかもしれない。雀より頼りない俺ってなに?
おそるおそる踏み込んでみると、空気が変わった。心地よく流れていた風は止まり、よどんだ空気が全身に絡みつく。鬼の音はしない……いや、する。ささやくような、か細い鬼の音。善逸も初めて聞く、物悲しい旋律だった。
しかしこの仕掛け、鬼の術とは気配が、音が違う気がする。陰陽術だろうかと善逸はあたりをつける。
いや知らんけど。桑島に拾われ、育てられながら聞きかじったゆるい知識しかないけども。
そうっと進むと長い生垣がある。藤の花がびっしりと咲いていた。あきらかに人為的に植えられたもので、隙間なく狂ったように咲き誇っている。
鬼の音はするのに、たどることができない。あの角を右だと思って曲がると、もとの通りに戻っている。それを数十回繰り返したところで、善逸はあきらめた。
「いっとくがチュン太郎、決して怖気づいたわけじゃないぞ。下準備が必要だ。このままじゃ鬼にたどりつくことすらできない。戦術的撤退だ」
善逸の金髪はむしられなかった。
チュン太郎のお許しがでたので、善逸はするりと路地を抜ける。
ちょうど八つ刻だ。病人が食べやすいおやつというとなんだろう、羊羹か饅頭か、葛餅も捨てがたい。
長男代理、我妻善逸。三日目の、朝。
「そんなわけで、今回の件は人間もかかわってると思う。鬼は藤の花を植えないと思うのよ」
「うん。だから今日から俺も行く」
「焦るなよ。治りかけに油断するとやばい」
善逸の性能のいい耳は、炭治郎の胸の奥のごろごろという不快な音をとらえていた。甘く考えていると肺炎を引き起こす。
しばらく押し黙っていた炭治郎がぽつりと漏らす。
「俺はこわい」
「どうしたんだ炭治郎さんや。いつになく弱気じゃんか」
「善逸が冷静に動いてるのがこわい」
「炭治郎が普段俺をどんな目で見てるのかわかった」
「そうじゃない。善逸はなんだかんだいって俺より物を知ってる。俺は山育ちだから、こういう……人間の闇、みたいなのは疎いんだと思う。善逸がすぐおびえて騒ぐのは弱いからじゃない。戦ったその先をちゃんと考えて、傷つく者の痛みを知ってるからだ」
「そんな持ち上げられてもなにも出ませんけど……いまの俺すごい無理してんのよ、泣きたいの我慢してんの! 炭治郎が復活したらいつもの俺に戻るから安心してほしい」
「それもどうかと思う」
眉を八の字に曲げて困り顔の炭治郎の肩を軽くたたき、善逸は立ち上がる。
鬼の存在を確認したからには急がなければならない。
なにより、あれほど悲痛な音は初めて聞いた。それが鬼であれ人間であれ、できることなら救ってやりたいと、善逸は思うのだ。
稀血と思われる少年の奉公先、井筒屋は、大通りの目立つ場所にあった。
元は竹竿に商品をくくりつけて売り歩く小さな商いからはじまり、店を構えるまでに成長した。たった数か月で。とても怪しい。
病気で療養中の友人に、新しい寝巻がほしい。
善逸の言葉は真実なので、演技するまでもなく相手の警戒を解いた。
世間話交じりに、集落についてあれこれ尋ねる。
「ここには昔立ち寄ったことがあるんですが、ずいぶん発展しましたね。なにかあったんですか?」
「ここは特産品らしい特産品もないんだけども、集落の皆さ力合わせてがんばったんでさあ。いまじゃあ、わざわざ遠方から仕入れに来てくれるお客さんで大繁盛でさあ」
貧しい村が力を合わせたくらいで一夜にして富むなら誰も苦労しない。そうは思うもののこれ以上の情報は引き出せないと判断し、善逸は愛想よく相槌を打つ。
「友人には淡い色より深みのある色合いが似合うと思います」
善逸の説明にもっともらしくうなずき、店の主人は質も値段もいい品を広げていく。
そのうちの一着を手に取った善逸は、得体の知れない感覚が体中をはい回るのを感じた。ものすごくほしい。この寝巻も、いま広げられている品もぜんぶ、ほしい。
いやな視線を感じて顔を上げると、店主がいぶかしげに善逸を見ていた。ああ、そうか、これは。
「この寝巻をいただきます。全部ほしいところですが、あいにく手持ちがなくて」
心底残念そうにいってみると、店主は納得したようにうなずく。
「そうでしょう。皆さんあるだけお求めになりますから」
「たーんじろおー! 俺事件の核心に迫った気がする!」
嵐のように飛び込んできた善逸に、炭治郎はぎょっとした顔で身体を起こす。
「待て待て待て、妙な匂いがするぞ」
「これのことか?」
仕立てのいい深緑色の寝巻を差し出すと、『病気で療養中の友人』炭治郎は青い顔でぶんぶん両手を振って制止した。
「それ宿に持ち込んじゃだめなやつだろ!」
「ひどいわー寝込んでる炭治郎さんへの差し入れなのに!」
炭治郎の声には力強さが戻りつつある。
長男の座ももうすぐ返せそうだ。
冗談はさておき、部屋の隅に注意深く寝巻を広げて検分する。鼻の調子はまだいまいちだが目端の利く炭治郎が、さっそく妙な形跡に気づく。
「この裾の部分、少し厚みがある。いやな匂いもする」
慎重に糸をほどいてみると、白いこよりが出てきた。広げてみると、黒い糸のようなものが入っている。
「たのむ炭治郎、直球でいわないでくれ。まろやかに遠回しに伝えておくれよ俺の繊細な心臓が」
「これは鬼の髪の毛だな」
「だから心の準備ぃ!」
最初の取っ掛かりさえあれば、あとは比較的簡単に事が運んだ。
炭治郎はチュン太郎と真剣な顔で話し込み、善逸を置いてけぼりにしている。
炭治郎が「なるほど、そういうことか」とうなずき、チュン太郎が「チュチュンチュン!」とさえずっている。
だからどういうことよ俺には鳥語わからんのよ。
切なくなった善逸はひとり寂しく部屋の隅で刀の手入れをし、ひとりと一羽の第一回鬼対策会議の結果を待つ。俺も入れて……通訳、通訳がほしい……。
「よし、これならその藤の花の結界も越えられそうだ」
「チュンチュチュン」
「あーなるほど、俺もそう思ってたとこだよなるほどね」
知ったかぶりで相槌を打つのもむなしくなってきた。
チュン太郎に命じられるまま筆と墨と和紙を買いに走り、チュン太郎語を炭治郎に通訳してもらいながら鬼退治の準備に取り掛かる。
あれ、鬼殺隊の隊士って俺じゃなかったの? 実はチュン太郎が隊士で俺はその手下……? かなり頭を混乱させながらも、善逸は奮闘する。
そんなこんなで、長男代理、我妻善逸。四日目の、夕暮れ。
一分の隙もなく手入れされた日輪刀を腰に差し、理屈はわからず仕舞いだったが結界を通れるという呪符を持ち、鬼殺隊隊士我妻善逸は戦支度を終える。最後の晩餐とばかりに豪勢な夕餉もすませた。鰻重は最高だ。
善逸の頭の上にはチュン太郎がちょこんと座って胸をはっている。善逸ひとりでは先が思いやられるからだろう。とてもありがたいですチュン太郎隊士。
あたたかい太陽が地平線の彼方に隠れていく。人間たちは眠りにつき、夜の闇の住人が跋扈する。神無月の夜は冷え込む。上等な黄の羽織をしっかり体に巻き付け、鬼狩り善逸さまのお通りだ。通せんぼをしていた藤の花の小道を通り、奥へ奥へと進んでいく。
善逸は暇さえあればあれこれ考える。頭を巡らせなければ生きていけなかった。だからこの先になにが待ち受けているのかも、なんとく予想がついた。
鬼は藤の花を嫌う。鬼の血肉には魔性の力がある。鬼の毛、血、すりつぶされた肉、すべてが人間を狂わせ、同時に惹きつける。
善逸が病床に伏す炭治郎のために買い求めた寝巻には、鬼の毛が縫い込まれていた。雷の呼吸を習得した、鬼の呪力に耐性のある善逸でさえ、一瞬くらりときた。炭治郎は吐き気をもよおしたようで、必死に手で口をおさえていた。
おそらく、井筒屋だけではない。この集落の商人たちは、どうにかして手に入れた鬼を利用したのだ。
善逸は自分の推理に確信に近い思いを抱いていた。
だって鬼の音が聞こえる。物悲しく、悲痛で、死という永遠の安らぎを願う鬼の音がはっきりと聞こえてくる。
かわいそうに。
行き止まりには重厚な鉄の扉があった。内側に閂錠がかけられていたが、刀を一閃するだけで事足りた。扉の隙間から横木を斬るという芸当は想定していなかったようで、飛び込んできた善逸に反応できるものはいなかった。
「なんだおまえ、この前の……」
いつかの五人組のごろつきだった。今度は五人全員が腰に獲物をぶら下げている。なぜだ? ここには隠さなければならないなにかがあり、場合によっては迷い人を殺してでも秘密を守りたいからだ。
「夜分遅くに悪いが、通らせてもらう」
男たちは一瞬顔を見合わせた後、一斉に襲い掛かってきた。今度は抜刀しなかった。殺してしまうからだ。善逸の剣術は基本的に一撃必殺のため、手加減が苦手だ。鞘に刀を納めたまま、一呼吸する間に男たちの意識を刈り取る。手刀の要領で首の後ろを鞘で打ち据え、転がった五人をまとめて荒縄で拘束する。騒がれても困るので、猿ぐつわもしておく。
俺が次にやるべきことは? まず『罪なき人間』の救出、鬼を捜索、そして滅する。鬼の音はひとつ、人間の音はふたつ。考えながらも歩みがとまることはない。善逸の前には意味をなさない鍵を斬り捨て、扉を蹴破りながら進んでいく。広い屋敷だが、飾り気がなく窓がふさがれているので牢獄のようだった。
最後の扉を開き、善逸は事態を把握し、自分の推理が間違っていなかったことを知る。
「君は、昨日店に来た……なぜこんなところに、見張りがいたはず――」
狼狽する井筒屋の主人の足元には、後ろ手に縛られた少年が転がっていた。善逸が助けた少年だ。
「その節はどうも。今日はこちらを返品したく、うたがいました」
対話できるなら争いは避けたい。目まぐるしく頭を働かせながら、善逸は静かに深緑の寝巻を差し出した。
「うちの商品を返品したいだなんていうお客さんは、はじめてですよ」
「でしょうね」
なにしろ、人を狂わせ惑わせる、鬼の肉体の一部が入っているのだから。
井筒屋は落ち着きなく体を揺らし、品定めするように善逸を見た。やがてなにかを決心したようにうなずくと、懐から黒い筒を取す。拳銃だった。
相手が敵対行為に出たので、善逸はよそ行きの言葉をやめた。
「その子から離れろ。子供を傷つけるなら容赦しない」
拳銃と、日本刀。どちらに分があるかは明白だろうといわんばかりに、井筒屋はにやつく。
「何者だ……誰に雇われた? 商売敵が多すぎてわからんな」
「おまえに用はない。用があるのは、そこの鬼だ」
善逸は迷いのない足取りで古ぼけた木箱に近づく。人を撃ったことはないらしく、井筒屋は善逸の動きを止められずにいた。人を殺めたことがないならまだ救いがあるかもしれないと思いながら、善逸は木箱の蓋を外す。弱り切った鬼の身体をそっと抱き上げ、長椅子に横たえる。男か女かもわからないくらいやせ細っていた。継ぎはぎだらけの擦り切れた着物を着ていることから考えても、貧しい出なのだろう。鬼に襲われ、鬼になり、おそらく陰陽術で封じられ『集落を救うため』利用された。
善逸の思考はいったん途切れた。井筒屋が撃った銃弾を日輪刀ではじいたからだ。井筒屋には善逸の抜刀から納刀までの動きがまるで見えていなかったらしく、目を見開いて固まっている。一度人間を撃ったことでタガが外れたのか、間髪入れずに撃ってきたがすべてはじき返す。
「な、なんで……化け物……」
ぼたぼたと汗をたらしながら喘ぐ井筒屋に、善逸は自分でも驚くほど冷静に返した。
「化け物はおまえらだ。鬼という化け物を利用するおまえらは、化け物以下の虫けら以下だろうよ。俺に決定権はないが、おまえらの所業は上に報告しておく。ふさわしい裁きは受けてもらう」
「う、上って、なんなんだ、一体、だれなんだ」
「おまえに言ってもわからないだろうが、俺は鬼を狩る組織の一員だ。俺が間に合わなければ、おまえはいまごろ鬼の腹の中だった」
少年の縄を解いてやりながら、善逸は真実を告げる。飢えた鬼を生かすために稀血である少年の血を与えようとしたようだが、そんなことをすれば瞬時に再生した鬼に村ごと皆殺しにされていたはずだ。
放心状態の井筒屋を無視し、少年を扉の外に押しやる。
「はやく逃げたほうがいい。少し金もやる。もうじきこの村は、騒がしくなるだろうから」
銃弾が尽きた井筒屋は発狂状態で善逸に突進してきた。いくら自らを鬼殺隊最弱と称する善逸でも、中年太りのろくに鍛えてもいない男に負けるわけがない。あっさり返り討ちにして、身動きできないよう拘束する。
「こんな辺鄙な集落、鬼でもなんでも利用しなきゃ食っていけない。子供らが飢えてもいいのか? あんたは人間の味方なんだろ?」
まだなにかほえているが、聞く価値はなかった。
鬼より生きた人間のほうが怖いこともある。
井筒屋の泣き言を無視して、最後にやるべきことがあった。
善逸は鬼に近づき、その音を聞いた。
小さな音が訴えていたのは、ただひとつだった。解放してほしい、ただそれだけだった。
ぎゅっと唇をかみしめ、善逸は一息に抜刀する。日輪刀を大きく振りかぶり、哀れな鬼に涙した。炭治郎が復帰するまでは泣くまいと自分を奮い立たせていたのに、涙を抑えることができなかった。
雷の技を使うまでもない。抵抗せず、いや抵抗できず、ただ死を望むだけの弱り切った鬼を楽にしてやれればいい。
「ごめん。俺にはこれしかできない」
なにが正しいんだろうか。
せめて苦しみが一瞬で終わるように、善逸は刀を落とした。刀身が稲光を帯び、無意識のうちに呼んだ雷が鬼の命を最速で奪う。
信じられないが皆はいつも、善逸が眠っている間に鬼を倒しているという。
でも意識のない自分にこの鬼を斬らせるのはすごく卑怯な気がした。だから自分の意志で、自分の手で刀を振るう。転がった鬼の首はころころと鞠のように転がり、壁にぶつかる前に塵になって消えていく。
善逸が稀血の少年を救わなければ、首謀者も罪なき村人も皆死んでいた。どちらが加害者なのか被害者なのかはさておき、善逸は人間たちをすんでのところで救った。鬼殺隊らしく……。
善逸は日輪刀を鞘に納めると、乱暴に目元をこぶしで拭う。
鬼は滅した。誰にも文句はいわせない。
これより先、善逸ができることなどなにもなかった。善逸に裁量権はない。すべてをあますところなく報告し、上の判断を待つ。ただ、それだけだった。
すぐに宿に戻る気になれずに凍てつく夜道をぶらついていると、チュン太郎が右肩に降り立った。善逸の頬に小さな頭をすりすりとおしつけてくる。やわらかくて暖かい羽毛がくすぐったく、心を慰めてくれる。
今回は善逸もがんばった、よくやったとほめてくれているのかもしれない。
「炭治郎の前では泣いてないからいいよな。チュン太郎もそう思うだろ? 俺けっこう無理してたんだぜ、でも最後まであきらめずにやり通した」
そうしてすべてが終わった翌朝には炭治郎の熱も下がり、身体も回復し、村を去ることになった。
「本当にすごいよ善逸。やっぱり善逸は強い」
炭治郎は満面の笑みだ。陽の光を集めて人の形にしたらこんな感じになるんじゃないだろうか、そう思わせる陽だまりのような少年だった。
年下だが、いつだって俺たち三人組の長男だった。
ふいに炭治郎が笑顔を引っ込めた。いつになく真剣な顔をしている。
「なんか怖いんだけどその顔やめて」
「善逸になら長男の座を譲ってもいいと思ってる」
「いやいらんわ! 今後は全力で俺を守ってよ長男さん頼むからさあ!」
「長男の善逸は頼もしかった」
「確かに俺すごいがんばったけども! これ以上長男やったら俺しんじゃう! 俺の弱さをなめんなよ雀以下だぞ!」
ぎゃあぎゃあ騒ぎながら帰路につく。気心の知れた、軽口を言い合える友人がいるのは幸せなことだ。とりわけ、いつ命を落とすかわからない身の上としては。いまこの瞬間の心配事といえば、今日の昼飯と、伊之助への土産はどうするかぐらいで、深刻な問題はまだ先送りにできる。
足取りは軽く、朝日はまだ上ったばかり、鬼の潜む夜はまだはるか遠い。
少年たちの鬼狩りの旅は、まだしばらく続きそうだった。
完
初投稿のため勝手がわからず不手際があるかもしれません、なにかあれば修正します。
善逸は好きなキャラなのでサイドストーリが読みたいと思い書きました。