物語が始まる数年前、一人の隊士が命を落とす。これはそんな悲劇の中、何の因果か、或いは何者かの祈りによるものか、とある一人の男が迷い込んできたお話。

※無限城編を観てモロ影響受けました。何番煎じだよっていう展開ですが、作者は後悔しません。ばっちこい!

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作中、名前をボカしてたりしてますが正直バレバレなんだよなぁ


さながら夢幻の如し

 時は大正。文明開化により、人々の生活様式がガラリと変わり始めた時代。この時代において、かつて侍の魂と呼ばれた刀の所持は違法となり、代わりに西洋文化を取り入れた衣服を身に纏う人々が闊歩する世となっていた。

 

 そんな世の中だったが、刀を持つ者は存在していた。しかしそれは、警察でもなく、ましてや政府に関わる組織でもない。

 

 政府非公認組織『鬼殺隊』

 

 呼んで字の如く、彼らが狩るのは人間ではなく、人の世の裏で蔓延る人ならざる存在、太陽の光でしか殺せないと言われている『鬼』なる人喰いの化け物を相手に、日光の力が宿る特殊な刀を振るう者たち。 

 

 幾千もの間から存在している鬼を狩り続けてきた鬼殺隊は、安寧たる日の下を歩く人々を守るため、己の身を危険に晒しながら、月明かりの下で日夜戦い続けてきた。

 

 そして、満月が煌々と輝く今宵もまた、一人の隊士が一体の鬼と対峙していた。

 

 

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 とある町の路地にて、肌を刺す程の冷たい空気の中、白い息を荒く吐きつつ刀を構える一人の女性。黒椿を彷彿とさせる艶のある長い髪の左右に差した蝶を模った髪飾り、薄い桃のような色合いの瞳。蝶の羽の模様のような羽織を靡かせたその女性は、野に咲く一輪の花を彷彿とさせる美しさ。

 

お淑やかさを絵に描いたような美しい顔立ちは険しく、その目は真っすぐ目の前の存在に……刀の切っ先の先に立つ者を射抜く。

 

「へぇ、君すごいねぇ! ここまで粘るなんて、流石は柱だなぁ。俺、驚いたよ!」

 

 そこに立っていたのは、頭頂部に鮮血を被ったような赤い模様が施された、白い光沢のある長い髪の背の高い青年。端正なその顔は満面の笑みが浮かんでおり、無邪気に女性を褒め称えている。

 

 悪意はなく、純粋な感情が伝わってくるような、そんな話し方だった。何も知らない人間ならば、彼のことを好意的に感じれるだろう。

 

 だが、どこか歪だ。悪意はない筈なのに邪悪。純粋な筈なのに不純。矛盾した何かが青年から発せられ、気分が悪くなりそうだ。まるで人間性というものが抜け落ちてしまっているかのよう。

 

 人間性、というよりも、そもそも彼は人間ではない。彼女の前に立つ者こそ鬼。しかも数いる鬼の中でもとりわけ凶悪な存在。

 

 その証が、彼の虹を思わせる色彩をした瞳、その両目には人間にはない筈の文字が浮かんでいる。

 

 右目には“弐”と綴られ、左目には“上弦”と綴られている。

 

(これが、上弦……“十二鬼月”の中でも、上位の存在……)

 

 女性———鬼殺隊を支える強力な剣士にのみ与えられる称号“柱”のうちの一人、胡蝶カナエは戦慄する。

 

 十二鬼月と呼ばれる、鬼の中でも精鋭とされる存在。鬼の祖にして首魁、鬼殺隊が長年討伐せんと追い求めている元凶『鬼舞辻無惨』の鬼の素となる血をふんだんに与えられた者たち。その数字が上にいけばいくほどより強く、カナエが対峙しているのは十二鬼月の中で二番目に強い“上弦の弐”であった。

 

 薄紅色の刀身を持つ、カナエの刀。“日輪刀”と呼ばれる首を切ることでようやく鬼を葬れる特殊な刀の切っ先が、不意にブレた。

 

「っ、コホッ……!」

 

 胸に走る痛み、それに伴い咳き込んだカナエの口から噴き出す血。鉄の不快な味が口内に広がる。

 

「あ~……けどそろそろ限界かもね。俺の血鬼術、吸っちゃったから」

 

 そんなカナエを見て、青年こと上弦の弐、童磨は気の毒そうに言った。

 

「俺の血鬼術で作りだした氷を吸うと、肺胞が壊死しちゃうんだよね。残念だけど、これ以上戦うと君、死んじゃうよ?」

 

「カフ……ッ」

 

 呼吸しようとすると痛みが走る。彼の言葉はまやかしではなく、このままではいずれ死ぬとカナエも理解した。

 

 鬼殺隊士にとって無くてはならない、鬼と戦うに辺り必須の力、呼吸法。これにより、鬼殺隊士は人智を超える力を授かり、水や雷といったそれぞれに因んだ技を繰り出すことができ、ようやく鬼と対等に戦うことができる。

 

 その中でもカナエは花の呼吸の使い手であり、花柱の称号を持った凄腕の剣士……なのだが、呼吸と呼ぶように、肺を使わなければ十分な力は引き出せない。

 

 呼吸を使う剣士にとって、相性が悪すぎる……上弦と呼ぶに相応しい能力だった。

 

(このままだと、私は死んでしまう……)

 

「もう素直に樂になりなよ。これ以上苦しむ必要はない……俺に食われて、俺と一つになろう。そして俺と、永遠を共に生きよう!」

 

 童磨は両手に蓮の花が描かれた金色に輝く対の扇を持ち、広げた。月の光を受けて鋭く光るそれは、日本刀と変わらない切れ味を誇っている。一度でも切られたら、命の保証はできないだろう。

 

 朗らかに、そして優しくカナエを誘うその言葉は、悪意のない醜悪さを放っていた。そうやって彼は人の血肉を食らって力をつけてきたのだろう。

 

(……だけどっ!)

 

 それを理解しているからこそ、カナエは負けられなかった。

 

 カナエの両親も、鬼に殺された。そうして残された妹と共に、自分たちのように悲しむ人々を増やさないようにしようと約束し、強くなった。その誓いのためにも、逃げ出すわけにはいかない。

 

(ここで上弦を倒せば、より多くの人が犠牲にならずに済む……! 悲しむ人が増えることもなくなる……!)

 

 口元の血を拭い、刀を構え直す。真正面から切りかかっても勝算はない。技を使い、不意をついて相手の首を狙うしかない。

 

 が。

 

(っ……ダメ……勝てない……!)

 

 確証はない。なのに、カナエの頭には童磨の死角から切りかかるも、返り討ちに合う未来しか見えない。それが致命傷となり、命を落とす……そこまでカナエには見えてしまった。

 

 だが、やらないわけにはいかなかった。そんな嫌な予感を振り払うように、痛む肺に鞭打って息を吐く。

 

「えぇ、まだやるんだ……諦め悪いなぁ君」

 

 心底理解できないと、童磨は呆れ半分に呟く。それに応えることなく、カナエは真っすぐ、童磨を見据えた。

 

「花の呼吸……壱の型」

 

 足に力を入れる。技を繰り出そうと、カナエは姿勢を低くした。

 

 瞬間、脳裏に浮かぶ光景。それはカナエにとって、何よりも大切な物。

 

 カナエと共に笑い合う、二人の少女。カナエに似た幼さ残る顔立ちの女性と、少しぎこちないながらも静かに笑う少女。

 

(しのぶ……カナヲ……!)

 

 実の妹と、血は繋がってなくとも妹と同じく大切な少女の名を呼ぶ。カナエの中にある死の予感が、走馬灯のように二人の姿がよぎった。

 

「っ!!」

 

 それを振り払い、カナエは地を蹴る。そうして彼女は、上弦の弐へと飛びかかる。

 

 

 

 

 筈、だった。

 

 

 

 

 刹那、彼女の横から何かが飛び出す。カナエの視界の端に映る、青い何か。その何かは、カナエが戸惑う間も無く、圧倒的な速さを伴い、

 

「うわっ!?」

 

 咄嗟に扇を眼前へと掲げた童磨へと、躍りかかったのだった。

 

「え……」

 

 鈍い音が夜闇に響く。音の正体は、童磨の扇から鳴った。

 

 カナエは、目の前の光景に思わず唖然とし、出しかけていた技を中断せざるをえなかった。

 

 

 

 何故ならば、童磨の扇にぶつかったのは、何の変哲もない、拳———その拳を繰り出したのは、上下ともに青い布の衣服を纏った、黒い髪の男だったからだ。

 

 

 

 

 

 

 男は、毎日の日課のトレーニングをしていた。腹筋100回、上体起こし100回、スクワット100回、ランニング10キロ。これらを欠かさず、それこそ雨が降ろうが槍が振ろうが、何があってもこなしていた。しかも例え体調不良によって身体の節々が辛い日であろうとも、それを押して強行していた。

 

 確実に、命を縮めかねない程の異常な行動。だが彼にはそうまでしてトレーニングをしなければいけない理由があった。

 

 切っ掛けは、過去にあった事件。就職活動がうまくいかず、それでいて社会に馴染めるか不安を抱いていた日々の中で、偶然彼は出くわした。

 

 人間にとって脅威となる存在“怪人”。その怪人が、子供を襲うという場面に出くわした男は、怪人と対峙して思い出す。子供の頃に夢見た、どんな怪人も一撃で倒す“ヒーロー”という存在。そんな存在になるために、男は就活をやめる決意を固め、怪人に立ち向かい……辛くも勝利をもぎ取った。

 

 それから始まる、過酷な日々。強くなるには一にトレーニング、二にトレーニングであると結論を出した彼は、己に課した筋トレメニューを毎日こなしていた。その途中で遭遇した怪人との戦闘も、ある意味トレーニングの一貫だった。

 

 最初はボロボロになってばかり。怪人の一撃で意識を飛ばすこともあった。だが、日々の努力が実り出し、どんどん怪人と互角に渡り合える程に強くなっていくのを男は実感していた。それに喜びを見出すも、それにともなって最近髪が抜けているような気がしつつ、今日も彼はメニューの最後であるランニングに精を出す。

 

 走り慣れた、アスファルトの道。横を走る車や歩行者に気を付けながら、彼はひた走る。いつもと変わらない景色だったが、今日はなんだか天気がおかしかった。街中で、しかも雨も降っていないのに、徐々に霧が出てきているような……。

 

 そんな違和感を覚えながらも、男は足を止めない。どんどん霧が濃くなろうが、前が見えなくなろうが……霧が晴れてきた時、走っていた地面がアスファルトからいつの間にやら土に、周りの景色が木造住宅ばかりに、さらには空には丸い月が昇るような真っ暗な夜になっていようが、彼は足を止めなかった。明らかに異様な現象を目の当たりにしていたが、それだけ走るのに集中していたというべきか。

 

 もう少しでランニングも終わる……そんな時、彼の耳が音を拾った。

 

 金属と金属がぶつかり合う、まるで誰かが争っているような音。あまり街では聞かないような音に、彼の第六感が告げる。

 

 怪人と誰かが戦っている……そんな予感が、男の足を音の下へと走らせる。

 

 しばし走り続けていると、季節は暖かい筈なのにだんだんと周りが真冬のように寒くなってきたように感じる。やがて辿り着いたのは少し広めの路地。そこでは刀を持った変わった色合いの羽織を着た女性の背中と、派手な扇を持ったニヤついた青年が対峙しているのが目に入った。

 

 一見すると痴話喧嘩のように思えたが、それよりもさらに殺伐とした雰囲気。どちらかが悪党なのだろうが、パッと見では判断がつかない……が、すぐに彼は判断した。

 

 悪党は、向こう側……女性と対峙している、嫌な雰囲気を纏った青年。

 

 男の行動は早かった。判断した瞬間、拳を振り上げて女性の横を通り抜け、青年を殴りつけた。その速さは、並の怪人ならば反応できなかっただろう。

 

「うわっ!?」

 

 だというのに、青年は驚いた声を上げながらも苦も無くそれを扇と受け止めた。金属製の扇の硬い感触が男の拳から伝わってくる。

 

「ちっ」

 

 舌打ちし、男は一歩後ろへ跳ぶ。青年こと童磨も突然の闖入者に戸惑いつつ飛び退いた。

 

「あぁびっくりしたぁ! 急に殴ってくるんだもんなぁ」

 

 童磨は前触れなく殴りかかってきた男を改めて見る。

 

 年は20代と見られる、変わった服装の男だった。上下ともに不思議な光沢を放つ青い服に、整っていない黒い髪。目は鋭く、拳を構え、闘志を漲らせながら童磨を見据えていた。

 

 しかしそれ以上に、童磨は内心驚愕していた。そしてそれはカナエも同様だった。

 

「き、鬼殺隊士……じゃ、ない……?」

 

 救援に隊士が駆けつけてきてくれたのかと思った。だが、その身に纏っている服はカナエが見慣れた鬼殺隊の隊服ではないことは明らかで、そしてそれは同時に目の前に背中を向けて立っている男は単なる一般人であるという証でもあった。さらにその手には、何もない。鬼を倒すために必須な日輪刀を持っていない、完全な素手だった。

 

「ん~? ……君、鬼狩りじゃないよね? 突然出てきたから仲間が来たのかと思ったけど……」

 

 童磨も彼が隊士ではないことに疑問を抱く。もしかしなくとも、何も知らない非戦闘員が、格好つけて殴りかかってきた無謀な人間……童磨は、目の前に立つ男をそう判断した。

 

「まぁいいや。どこの誰か知らないけど、君も俺に救われ……」

 

「うおおおおおおっ!!」

 

 童磨が言いかけた瞬間、男は遮るかのように雄たけびを上げながら拳を振り上げ飛びかかった。

 

「わ、随分乱暴だなぁ」

 

 戸惑いながらも再び扇で拳を難なく防ぐ童磨。男は、諦めることなく何度も童磨に殴りかかっていくが、それでも童磨は右手の扇で全てを防ぎ、受け流す。

 

「っ、だ、ダメ、戦ったら……」

 

 素手で挑む男を、カナエは引き止めようとする。日輪刀で首を切らない限り、鬼は殺せない。彼が鬼のことを知っているか定かではないが、いずれにせよ彼に勝ち目などないのは明白だった。

 

「う、ゴフッ!」

 

 そんなカナエの焦燥を他所に、肺がボロボロの状態では声を張り上げられず、代わりに飛び出すのは鮮血。故に声は男に届かず、何度も童磨に拳を見舞い続けていた。

 

「ん~、威勢がいいのは誉めてあげたいところなんだけど……」

 

 相も変わらず余裕の表情で扇を振るっては拳の打撃を防ぐ童磨。別に日輪刀ですらない攻撃を何度も食らったところで何ということもないし、男の自尊心を満たしてあげるためにもあえて食らってみてもいいかなという童磨なりの慈悲を与えることも考えたが。

 

「悪いけど、日が昇る前に君を含めてあの子も食べてあげなきゃいけないからね……残念だけど」

 

 男が拳を引いた瞬間、左手の扇が瞬時に開き、

 

 

 

「これで終わり……っと」

 

 気づいた時には、扇は逆袈裟に振りぬかれていた。

 

 

 

 扇の軌跡をなぞる形で、血が舞う。血の主である男は、血が身体から噴き出すと共に仰け反った。

 

「あぁ……っ」

 

 その光景を、カナエは絶望して見つめていた。肺の痛みに膝を着くしかなく、足に力が入らない。だがそんなものは言い訳に過ぎず、ただカナエの中にあるのは、身を挺して助けに入ってくれたであろう見知らぬ男が、無惨にその命を散らしてしまったことをただ見ているしかできなかったという事実だけ。

 

 自責の念に苛まれるカナエ……だが、

 

「……あれ?」

 

 童磨は、またも戸惑うことになる。

 

 目の前の男は、仰け反りはした。腰から肩にかけて裂傷し、血を流した。

 

「っ……ぐぅ!!」

 

 それだけ(・・・・)だった。大きな傷を負いながらも、男の目からは闘志が消えず、いまだ童磨へと鋭い目を向け続けている。

 

(え……まさか、避けた? 今の一撃を……?)

 

 確実に命を刈り取る斬撃を見舞った筈だった。並の隊士どころか、柱ですら見切れるかどうか怪しい、神速とも呼べる刹那の一瞬による一撃。

 

童磨の手に伝わる、男を切りつけた感覚。だがそれは確実に仕留めたとは言えない、軽いものでしかなかった。つまり、男は傷つきはしたが、致命傷だけは回避したということになる。

 

 偶然か? そう考えた童磨は、あえて防戦に徹していたが、今度は攻撃に転じて対の扇を振るう。それはさながら舞踏のように雅であり、見る者を魅了し、かつそれら全ての命を奪う、並の剣士ならば一瞬で細切れにしてしまう死の舞そのもの。

 

「っ!!」

 

 なのに、その扇の全てを男は躱す、或るいは扇の側面を殴って反らす。偶然ではなく、確かに避けていた。そして僅かな隙を見て反撃する。

 

 その目に恐れはない。ともすれば眼前に迫る死を乗せた扇の舞に臆し、後ろへ下がる筈が、男は一歩も下がることはなく、逆に前へ前へと、避けきれずに掠った扇によって全身傷だらけになりながらも童磨へと迫り続ける。

 

「すごい! すごいね君! こんな人間初めてだよ! しかも素手で戦うなんて、まるで猗窩座(あかざ)殿みたいだ!」

 

 そんな男に、童磨は興奮気味に叫ぶ。顔は無邪気な子供を思わせる笑顔を浮かべ、尚も殴りかかろうとする男に称賛を浴びせた。

 

 並の人間では避けることなど困難な筈の斬撃を回避できる男の反射神経。一撃でももらえば死ぬかもしれないのにそんなこと知ったことかとばかりの男の気迫。日輪刀でなければ殺せないというのに尚も素手で挑み続ける無謀さ。

 

 何より、童磨は気付いていた。男は、後ろで膝を着いて動けないでいるカナエから童磨を離そうとしていることに……彼女を守ろうとしている、男の行動に。

 

 それら全てが、童磨には美しく見えた。人間が持つ可能性、儚さ、愚かさ。自分には到底理解できない、しかし確かにそこにある輝きが、童磨には素晴らしいものに見えてならなかった。

 

 だからこそ、残念に思った。

 

「くっ……」

 

 左右に振りぬかれた扇を回避した男は、態勢を立て直すために後ろへ跳んだ。童磨も深追いせず、にこやかに男を見る。

 

「いやぁ、ここまでよく頑張ったよ! 君、鬼狩りじゃないのに本当にすごいね!」

 

「ぜぇ……ぜぇ……」

 

 高いテンションのまま、童磨は男を褒め称えた。嘘偽りのない、心の底からの称賛。扇で己を扇ぎながら、ニコニコと屈託なく笑う。

 

「……でも」

 

 対し、男は荒い息を吐き、そして、

 

「ゴブッ……」

 

 突然、吐血した。思わず手で口を抑えた男は、掌にべっとり付いた己の血を見て、戸惑いの顔を浮かべる。

 

「俺の冷気、吸っちゃっているからね。そりゃそうなるよ」

 

 フフ、と笑う童磨は扇を軽く振るう。同時、扇から凍てついた空気と、月明かりに照らされて煌びやかに舞う冷気の結晶。美しくもあり、どこか悍ましさを感じる光景だった。

 

「俺の冷気は特殊だからね。これを吸い込んだら、君の肺は壊死しちゃうんだ。ごめんね? 最初に伝えておくべきだったよね? あんまりにも君が頑張るから、伝え忘れちゃったよ」

 

「ぐっ……」

 

 おどけた道化のように謝罪する童磨。それに男は言葉を返す余裕もなく、口から、鼻から飛び出す血を抑え続ける。掌から溢れた血が、ボタボタと地面に落ちた。

 

「もういいよ。君は本当によく頑張った。君のように無駄だとわかっていながら最期まで諦めずに立ち向かってくるような人は、俺が食うに相応しい。君も、後ろの彼女も、俺と共に永遠を生きよう!」

 

 救世主を気取った童磨の声を耳にしながら、男はまた血を噴き出した。苦しさを隠しきれない、男の呼吸。目を見開き、苦痛にあえぐ男。

 

「っ……もう、やめてください。お願いだから、私を置いて逃げて……」

 

 そんな彼に、もう見ていられないとカナエが刀を支えに立ち上がった。これ以上、自分のために他人が犠牲になることなどない。無辜の民を守るべき鬼殺隊としての使命を全うするため、カナエは男を下がらせようと足を踏み出す。

 

 そんな彼女だったが、

 

 

 

「うるせえ……アンタは、座ってろ」

 

 

 

 初めて聞いた男の声に、思わず足が止まった。

 

 息もまともにできない状態で、呼吸するだけで精いっぱいの筈の男の言葉。だがその声には、有無を言わさぬ迫力がある。

 

 そして、カナエは見た。男の背中、守るべきものを全て守ろうとする背中。それが異様に大きく、何よりも頼もしく……言葉にせずとも伝わってくる、得も言われぬ安心感。

 

 日輪刀を持たない、隊士ではない人間から感じたことのない圧倒的な心強さに、思わずカナエは目を見開く……そして、

 

「スゥー…ハァー……スゥー……ハァー……」

 

 男は突然、深呼吸を始める。何をするつもりなのかと、カナエも、そして童磨も動かず、男の行動を見つめる。

 

「スゥー…………」

 

 数回、深呼吸を繰り返す男。やがて男は深呼吸を止めた。

 

「…………ぃよし!!」

 

 パァンッ、と鋭い音を鳴らしながら、両頬を叩いた。そして再び、拳を構えて童磨と対峙する。

 

「え……もしかして、まだやるの? 肺が死にかけてるのに? 無茶だよ、大人しく俺に食われた方が楽になるよ?」

 

 もはや満身創痍といってもよい男の姿に、童磨は心底理解できないとばかりに首を傾げながら、男に提案する。それは童磨の慈悲。これ以上彼を苦しめたくないという、彼の優しさでもあった。

 

 それに対する男はというと、鼻で笑って返す。

 

「へっ……ちょうど筋トレメニューこなした後だったからな。おかげで肺の中からクールダウンできたぜ……!」

 

 言って、浮かべたのは笑顔。童磨が浮かべるものとはまた違う、相手を挑発するかのような悪ガキめいた、輝かしい笑顔だった。

 

 そして尚も消えない、男の闘志。最初に殴りかかってきた時から変わらない、圧倒的な闘志が、口から血を吐いた後も一切変わらずそこにある。

 

(……なんだろう、鬼狩り以外でこんな人間、初めて見た……)

 

 ここまで勝算のない戦いを続けようとする人間は、初めてではない。鬼狩りは総じて、鬼を殺すことに執念を燃やす。それゆえか、圧倒的な力の差を見せつけても、彼らは引き下がることなく立ち向かってきた。先ほどまで戦っていたカナエもまた例に漏れず。

 

 だが、それは鬼殺隊士に限った話。彼ら以外に遭遇した人間は皆、立ち向かうことはなかった。童磨を本性を知った人間はすべからく逃げ出そうとする者ばかりだった。

 

 鬼狩り以外にも、こんな人間はいる……そんな事実が、童磨にはひどく新鮮で、どこか喜びに似た感情を覚えたのだった。

 

「そっかぁ……うん、いいよ! 君が諦めるまで、付き合ってあげるよ!」

 

 にこやかに、そして優しさを込めて扇を構える童磨。男はそんな童磨に言葉を返すことなく、再び拳を振り上げた。

 

 狙うは、童磨の顔面。真っすぐに突き出された拳に、童磨は笑みを絶やすことなく扇を持ち上げる。

 

(見えているのに……まったく、愚かしいなぁ)

 

 哀れにも感じる単調な攻撃に、童磨は広げた扇を盾にして拳を防いだ。

 

 

 

 瞬間、胸と腹に衝撃。

 

 

 

「え」

 

 扇に伝わる拳の感触。それとほぼ同時に童磨の身体に伝わる強い痛みが、童磨から余裕の表情を消した。

 

(あれ、確かに顔を殴ってきたのに?)

 

 意味がわからず、疑問符を浮かべる童磨に、男は追撃の左の拳を振るう。今度は腹に対するボディブロー。見切った童磨はもう一度扇で……

 

「ぐはっ!?」

 

 右頬に走る衝撃で顔が歪む。思わずたたらを踏んだ童磨に、男は追撃の手を止めない。

 

「うおおおおおおおおおおっ!!」

 

 左右の拳が、絶え間なく突き出される。それら防ぐべく扇を動かすが、何故か全てを防ぎきれず、身体のどこかしらに拳がめり込んだ。

 

(え、え、どうなってるの?)

 

 先ほどまで見切れていた攻撃の筈が、見切れなくなってきている。その事実に驚愕する童磨は、扇でなんとか防ぎながらも男を観察する。

 

 そして気づく。それは、傍で見ていたカナエでもわかった。驚愕に彩られた表情のまま、彼女は呟く。

 

「拳が……増えている?」

 

 そんな筈がない……なのに、そうとしか思えない光景。あまりに速く、残像を残す勢いで振るわれ続ける拳。それはさながら、彼の身体から腕が無数に生えたかのように映った。

 

さながら、いやまさにこの光景は、拳の嵐。いかに人外の力を持つ童磨ですら、この嵐を前に完全に抜け出すことはできないでいた。

 

(それなら……!)

 

 成すがままでしかなかった童磨だったが、何とか拳の合間を見つけて扇を振るう。狙うは、男の武器である拳。真一文字に切り裂き、そのままの勢いで首を狙う算段だった。

 

 狙い通り、扇は男の拳に命中。扇の鋭い刃が拳を裂き、血が飛び出す。そして、

 

 

 

 扇もろとも童磨の鼻っ柱に血まみれの拳が打ち据えられた。

 

 

 

「へぇ……っ?」

 

 間抜けな声が童磨の口から飛び出す。潰れた鼻を再生しながら、童磨は心底意味がわからないと、叩きつけられた拳を見た。

 

 確かに、扇によって拳には真一文字の裂傷が入っていた。具体的には、小指から人差し指までの第二間接に赤い線が浮かんでいるかのようで、そこから血が流れ出ている。

 

 が、それだけ。そこから先、扇を振りぬこうとしたら、とてつもなく硬い感触に当たり、扇が進まなくなり……結果、力負けした。

 

(何それ? 意味がわからないんだけど?)

 

 鉄すら切り裂く扇が、たかが人間の骨に負けたというのか。流石の童磨も、この理不尽には思わず目を白黒させるしかなく。

 

「ぐはっ!」

 

 ズドン。その間も振るわれる打撃を重い音と共に腹に食らい、童磨の肺から空気が胃液と共に飛び出す。そして実感する。

 

(い、威力も上がって……!?)

 

 身体全体が軋む痛みを堪えつつ、童磨は扇で反撃を試みる。が、男はそれを回避、カウンターに顔面を殴り飛ばす。先ほどまでギリギリで回避するのがやっとの筈だったのに、まるで童磨がゆっくりと振るったかのように難なく躱されてしまった。

 

 それでも何度か扇を振るい、男に裂傷を付けていく……なのに、それら全ての手応えが、先ほどから全然違う。なんだかまるで、岩を切りつけているかのような硬い感触。人間の肉を裂く時とは明らかに違う感触だった。

 

(力、速さ、頑丈さ……全部が、さっきと全然違う……!?)

 

 先ほどまでは、実力が少しある程度の普通の人間だった筈。それがこの短時間で、まるで別物になったかのようだ。

 

 いや、それよりも、意味がわからないことがある。それは、

 

「ね、ねぇちょっと君!? 肺はどうしたんだい!? さっきまで呼吸するのも辛そうだったよね!?」

 

 男の呼吸が、安定していること。童磨の血鬼術によって肺が壊死している筈なのに、何故か血を吐くこともなく、平然としている。その意味がわからず、たまらず童磨は叫んだ。

 

「んなもん深呼吸して慣らしたに決まってんだろうが! こちとらどんだけ似たような怪人相手にしてきたと思ってんだ! 舐めんなよこのキザ野郎!!」

 

 返す男の怒号。理由にすらなっていない。そんなことで壊死した肺胞が元に戻る筈がない……筈、なのだが。

 

(む、無茶苦茶だぁ!?)

 

 実際、そうとしか思えない力のこもった男の声に、童磨は今度こそ狼狽えた。というかそれはもう、人間ですらなく鬼なのでは? とも思ったが、男の身体の傷はいまだ治っていないのを見るに、鬼ではないのは確かだった。

 

 だが、この短時間による成長、肺の復活は、明らか普通の人間ではない……というか、ひ弱で、大きな傷を負ったら出血多量ですぐ死んでしまうという、童磨の知る人間と思いたくなかった。

 

「うおあああああああ!!」

 

 そんな童磨の心境を他所に、男は尚も迫る。吊り上がった目に、体中の傷から血をまき散らしながら、童磨へと肉薄するその姿。例え死んでも戦い抜くという強い、果てしなく強い意思の下に叫ぶ男は獣の如し。

 

 それを目の当たりにした童磨は、

 

 

 

 ゾワッ

 

 

 

(え……)

 

 背筋から粟立つような、感じたことのない感覚に見舞われた。

 

 一つ一つが重い拳。確かに尋常ならざる力を感じるが、それ以上の物はない。何せ、太陽の光を浴びるか、日輪刀で首を落とさない限り鬼は死なないのだ。どれだけの拳がめり込んだとしても、童磨にはなんてことのない攻撃でしかない。全て無意味なことには間違いない。

 

 筈なのに、童磨の脳裏に浮かぶ、一つの文字。

 

(何だろう、この感じ……味わったことのない感じだ)

 

 足が震えそうになる。いまだ止まらない拳の嵐を前に、童磨は身体をひしゃげさせながら戸惑った。

 

 鬼になった頃から……いや、人間の頃から味わったことのない、未知の感覚。

 

 

 

童磨は、それが“死”という一文字による恐怖であることなど知る由もなかった。

 

 

 

「っ血鬼術……」

 

 未知なる感覚を振り払おうとするかのように、童磨は後ろへ跳びながら扇を持つ手を交差させるように構えた。

 

 

 

「『蓮葉氷(はすはごおり)』」

 

 

 

 左右に振るわれた扇から絶対零度の冷気が放たれ、それは幾つもの蓮の花となって男を襲う。触れただけでも凍り付きかねないその攻撃を前に、男は逃げることもせずに、ただ真っすぐ前を見据え続けた。

 

(終わりだ。この血鬼術を真正面から受けたら、どれだけ頑丈な人間でも内臓すら凍り付く……!)

 

 童磨は、男の逃げない様子を見て勝利を確信した。

 

 

 

 男は、内心歓喜していた。

 

 突然現れた優男風な怪人。こいつは、今まで戦ってきた怪人の中でもトップクラスに強かった。

 

 凄まじい速度で振るわれる鋭い扇、殴っても殴っても回復する回復力、何より肺に直接ダメージを与えてくる特殊能力。

 

 男は、過去にも毒を持った怪人を相手取ってきた。掠っただけで死に至らしめるとされた猛毒を食らった後、三日三晩高熱にうかされて苦しんだ。クラゲのような毒の触手を持った怪人の攻撃で、電気をモロに浴びたかのように全身が痙攣して動けなくなることもあった。

 

 それら全てを、男は跳ね除けてきた。だからこそ、今回も肺に直接攻撃されても何とかすることができた。普通の人間では到底なしえないことを、男はやってのけてみせたのだ。

 

 それを抜きにしても、この怪人は強い。久しぶりに圧倒的強者と出会って、男は力の限り戦った。

 

 一撃食らうごとに、一撃躱すごとに、一撃叩きつけるごとに、男は強くなっていく。やがて男の力は、目の前の怪人に迫る力を手にしていく。それは、人間としてのリミッターが外れた人間のみに起こりえる超成長だった。

 

 やがて、怪人は必殺技を出してきた。離れていても伝わってくる、絶対零度の冷たさ。綺麗な蓮の花を模した氷が、男に迫る。触れたら確実にただでは済まない一撃であることは明白だった。

 

 避けようかとも思った。だが避けたら、背後で息も絶え絶えにしている女性の身が危ない……ならばどうするか? 答えは単純だった。

 

 

 

———必殺

 

 

 

 腰を落とし、拳を思いきり引く。鍛えられた筋肉が膨張し、腕の血管が浮き出た。

 

 死ぬギリギリの死闘を演じたことにより、男の限界は突破する。それによって繰り出されるのは、何の変哲もない、ただのパンチに他ならない。

 

 唯一違うことと言えば、このパンチは、

 

 

 

マ ジ 殴 り

 

 

 

 全身全霊を込めた、本気のパンチ(マジなぐり)であるということだ。

 

 

 

 突き出された拳は、凄まじい衝撃を伴い、童磨を襲う。いや、凄まじいなんていう言葉では片付けられない。

 

天変地異。そう表現する以外の言葉がない。

 

「はぇ」

 

 拳は童磨の生み出した氷の蓮を砕き、冷気を吹き飛ばし、さらに童磨の上半身を木っ端みじんにし、その後ろの家屋すら破壊していき……ようやく収まった頃には、遥か彼方まで一つの道を作り出してしまった。

 

 あまりの威力に、男の突き出された右の袖が肩まで破れ、逞しい腕が顕わになってしまっていた。

 

「……っ」

 

 今度こそ、カナエは呆気に取られざるをえなかった。隊士ではない一般人が鬼と対等に渡り合ったばかりか、ただのパンチで鬼含めた目の前の物全てを吹き飛ばすなど、誰が想像できようか。恐らく、この話は他の人間に話したとて、絶対に信じてもらえないだろう……当事者である筈のカナエですら、いまだ脳が理解を拒んでいるのだから。

 

「……はぁ……はぁ……!」

 

 腕を下ろし、息を吐く男。仁王立ちしながら、いまだ前を見続けている。

 

 

 

「い、いやぁ……まいったなぁ、こりゃ……まさかここまでやるなんて……」

 

 

 

 その理由は、上半身を砕かれて下半身のみとなって横たわっていた童磨の身体が、再生したため。瞬時に肉体を元に戻した童磨は、ゆっくりと身体を起こした。

 

 その顔には、いまだ張り付いたような笑顔があった……が、口の端がひくついていて、どこかぎこちなさを感じた。

 

「正直、俺は信じられないよ……こんな力を持った人間がこの世にいるなんて……」

 

 胡坐をかき、扇で顔を扇ぐ童磨。つぅっと額から頬にかけて流れ落ちる汗。それが冷や汗であることに、いまだ警戒を解かないでいるカナエは気付いていた。

 

「ハッキリ言って君を放置するのは、かなり危険だっていうのはわかったよ……あぁ、けど」

 

 不意に、童磨は空を見上げる。遠く見える山間から差し込む光が、黒一色だった空を照らし出していた。

 

 朝が来る。光はまさに、その予兆だった。

 

「もう時間がないな……残念だけど、ここは逃げさせてもらおうかな」

 

「っま、待ちな、さい……!」

 

「ああ、君は無理しない方がいいよ! 彼と違って、君は肺をやられてるんだから」

 

 逃げようとする童磨に追いすがろうとするカナエだったが、童磨の言う通り、身体が言うことを聞こうとしなかった。それが悔しく、歯噛みする。

 

「けど、せっかくだから名前だけは聞いておこうかな? ……君、名前は?」

 

「怪人に名乗る名前なんかねぇよ」

 

「え~……辛辣だなぁ」

 

 ばっさりと切り捨てられた童磨は、至極残念そうに言った。

 

「まぁしょうがないか。次会った時に君たちの名前、聞かせてもらうよ! ……じゃあね」

 

 言って、童磨は胡坐のままから瞬時に飛び上がる。そして建物の向こう側へと消えていった。

 

 逃げられた……そう実感した男は、追おうか一瞬悩んだ。ああいった輩はまた悪さをする。今逃がすと犠牲になる人がまた出てくる。

 

「う、ぁ……」

 

 しかし、その考えは却下された。何故ならば、彼の傍で刀を支えにしていたカナエの体力が、限界を迎えていたからだ。

 

「おいアンタ、大丈夫か?」

 

 男の気遣う声が、カナエの耳に届く。それに返す余裕はなく、カナエの意識は沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 早朝。月は消え、日の光が朝もやに覆われた地上を照らす時刻。爽やかな朝とも呼べるような気候。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ……!」

 

 そんな中を全力で駆ける一人の少女。青み交じりの黒髪を後ろに束ねた少女は、焦燥に駆られながらひた走る。

 

 少女、胡蝶しのぶは、姉のカナエとは別任務にあたっていた。姉は鬼殺隊の中でも最強と呼ばれる柱の一人。任務でしくじる筈はない……そう思っていた。

 

 しかし、一夜明け、しのぶが任務を終えても姉は帰ってきていない。その知らせを聞いた途端、しのぶは胸騒ぎがした。

 

 脳裏によぎる、折れた日輪刀の傍に、血の海に横たわる姉の姿。絶望の光景そのもの。どうしてそんな最悪なことを考えてしまったのかもわからない。

 

 気づけば、しのぶは駆け出していた。息せき切って走り、姉が赴いたとされる任務地へとひた走る。

 

「はっ、はっ、はっ……!」

 

 鼓動が早鐘のように胸を叩く。足がもつれそうになる。呼吸する喉が苦しい。汗が目に入ってくる。それでもしのぶは足を止めない。

 

(姉さん……姉さん……姉さん……っ!!)

 

 しのぶの嫌な予感は消えない。頭の中は何よりも大切な姉のことばかり。姉の無事を祈って祈って祈り続け、それでもなお胸騒ぎが止まらない。頭を振って最悪の光景を消そうとしても消えようとしない。

 

(お願い、姉さん! どうか無事でいて……!!)

 

 もっと早く、速く、足を動かす。前へ前へ、姉の姿を探して走り続け、やがて一つの角を曲がった。

 

「———ッ」

 

 足を止めた。そして、息を呑んだ。

 

 そこに広がっていたのは、想像していた絶望の光景。力無く横たわる血まみれの姉の姿……ではなく。

 

 そこにいたのは、一人の人間。白い肌着に青いズボンの黒髪の男性。それだけならまだいい。だがその風貌は異様の一言で、全身が傷だらけの血塗れで、足を進めるたびに血が滴り落ちていく。明らかな死に体だが、少し足取りは重くとも地に足をしっかり踏みしめ、歩み寄ってきていた。

 

 どう見ても治療が必要な人間が目の前に現れたことに戸惑うしのぶだったが、視線を男の背中へと向けた瞬間、血の気が引いた。

 

 男が誰かを背負っている。肩越しに見える、見慣れた黒い髪に蝶の髪飾り。そして血に汚れた蝶の羽を模した羽織。さらにその上にはボロボロの青い服が羽織られている。それだけで、しのぶは男の背中にいるのは誰なのか瞬時に理解した。

 

「姉さん!!」

 

 叫び、再び走り出す。男は今しのぶに気付いたのか、「お」と声を上げると、誰に言われるまでもなく腰を下ろす。

 

「姉さん! 姉さんッ!!」

 

 男の背中から降ろされた姉の身を駆け寄ってきたしのぶは抱き留める。仰向けにしたカナエは瞳を閉じていて、力の限りしのぶは叫んだ。

 

 身体が異様に冷たい。口元からも吐血の跡が見える。もしかして……と、絶望しかけたしのぶ。

 

「……っうぅ」

 

 ピクリと、カナエの瞼が動く。やがてゆっくりと、瞼が開いていく。

 

 数回瞬きをし、意識を覚醒させていくカナエは、ようやくその薄桃の瞳でしのぶの顔を捉えた。

 

「し……のぶ?」

 

 最愛の妹がどうしてここにいるのかという疑問が浮かんだ。しかし、次の瞬間にはそんなもの消し飛ぶ。

 

「姉さんッ!!」

 

 何よりも、誰よりも大切な姉が生きている。心臓が動いている……その事実が、しのぶの感情を決壊させた。目から涙を溢れさせながら、力の限りしのぶは姉の身体を抱きしめた。

 

「よかった……よかったっ! 無事で本当によかった……!」

 

「しのぶ……」

 

「お願いだから、無茶しないで……私とカナヲを置いていったら、許さないからッ!!」

 

 抱きしめながら涙ながらに姉の無事を喜び、そして懇願した。最悪の、姉の死という絶望の未来が覆された歓喜。それは何物にも代えがたく、しっかり抱きしめるしのぶは、まるでカナエの存在を何度も確かめているかのようだった。

 

 そんなしのぶを見て、カナエの瞳からも雫が溢れ出す。その胸中にあるのは、生きていたこと、妹の下に帰ってこれたという喜び……そして、そんな愛する妹たちを置いて命を投げ出そうとしていたことに対する罪悪感。

 

 鬼殺隊の柱となったからには、命など惜しくないと、そう思っていた。しかしこうして、妹の涙ながらの懇願を聞き、カナエは改めて思う。

 

「ごめんね、しのぶ……もう無茶はしないわ」

 

 やはり、生きていたいと。妹たちを置いて逝くわけにはいかないと、強くそう思うのだった。

 

「……」

 

 一方、そんな姉妹の感動的な再会を目の当たりにし、男はふぅと満足気に一息つく。やがて踵を返し、何も言わずに歩き出した。

 

「ぁ……ま、待って……!」

 

「ん?」

 

 が、それに待ったをかける声。振り返れば、カナエがしのぶの腕に抱かれながらも、何とか身を起こそうとしていた。

 

「おい、無茶すんなよ。アンタ怪我してんだろ?」

 

「そ、それはあなただって……というより寧ろあなたの方がひどい怪我を……!」

 

 気遣う男だったが、逆にカナエは男を心配した。それも当然、確かにカナエは肺をやられてしまってはいるが、明らか全身傷だらけのボロボロなのはどう見てもカナエよりも男の方だったからだ。急ぎ治療が必要なのは誰の目から見ても明らかだ。

 

「別に、こんな怪我大したことねぇよ。寧ろ勲章だよ勲章。まぁ、あいつは逃げちまったけど」

 

「そんな滅茶苦茶な勲章があるもんですか!?」

 

 勲章にしては目立ちすぎである。聞いていたしのぶも、男のその言葉に思わず口を挟む。

 

 しのぶとて理解している。このボロボロの、鬼殺隊士ではない人間が姉を救ってくれたということを。そんな大恩ある人間を、このまま放っておくわけにはいかない。

 

 だが、男は再び歩き出す。その足は先ほどよりもしっかりしており、怪我人とは到底思えない足取りをしていた。

 

「別に俺のことは気にしなくていいから。アンタはちゃんと治せよー」

 

 呆気らかんと手を振りながら去ろうとする。治療どころか、お礼の言葉すらちゃんと言えていないというのに、そんな恩人の態度にたまらず姉妹は彼をもう一度呼び止めようとした。が、そんな彼女たちを遮るように、どこからともなく白い霧が立ち込め始めた。

 

「霧……?」

 

 何故、霧が発生し出したのか。空は快晴。立地的にも、霧が発生するような状況じゃないというのに。だが、男はそんなこと気にも留めず、霧の中を歩いて行こうとする。

 

 カナエは予感がする。男はこのままだと、本当に消えてしまうのだと……もう止まることはないのだと、彼女の勘がそう告げていた。

 

 止まらないのなら、どうしても聞きたかった。

 

「あなたは……一体、誰なの……?」

 

 剣士でもないのに、鬼と戦った。カナエを守るために、傷だらけになりながらも必死になって立ち向かった。カナエから見ても、彼は鬼のことを知らないような素振りを見せていた。

 

 義理も何もないというのに、どうしてそこまでしてくれたのか……カナエの疑問に、男は足を止めた。そして「んー」としばし考え、そして振り返る。

 

 

 

「俺は趣味でヒーローを目指してる者だ……まぁ、アンタが無事でよかったよ」

 

 

 

 少しだけ、得意気に笑ってそう告げた。

 

 再び「じゃあな」と告げて前を向く。今度こそ止まることなく、霧の中へと吸い込まれるように消えていった。

 

「あ、まっ……」

 

 しのぶが声を上げた。やがて男の姿が消えたことを確認したかのように、霧が晴れていく。完全に開けた視界の中に、男の姿はない。

 

 跡形もなく、男は姿を消した。滴っていた血の跡も、何故か途中で消えていた。

 

「え……消え、た……?」

 

 信じられないような光景。狐に摘ままれたような気持ちになりながら、茫然とする姉妹。

 

 血の跡を見るに、本当に消えたとしか思えない。あれは夢幻だったのだろうかと、二人は自分が一瞬信じられなかった。

 

 と、カナエの肩からずり落ちる物があった。それは、あの男がカナエを背負う際にかけてくれた、男の服。童磨との戦いの後、冷気を操る童磨によって周囲の温度が底冷えしたままだったため、男が気を利かせてくれた物。

 

 カナエはそれを、そっと手に取る。血によって汚れ、あちこちが切り裂かれた挙句、右の袖は完全に消し飛んだボロボロの服。不思議な手触りをした、触ったことのない布で作られたそれを、カナエは見つめる。

 

「ひー、ろー……」

 

 ヒーロー……カナエの知識にある、西洋の言葉。それは確か『英雄』という意味だったか。

 

 今時の子供でも考えないような、突飛な存在。そんなものを目指していると、堂々と、ハッキリと告げた男。しかし、カナエにとって彼は、間違いなく英雄そのものだった。

 

 彼は確かに存在していた。それをしっかりと、己の中に記憶するかのように、カナエは胸に彼の服を抱きしめた。

 

 風が吹く。カナエの胸元で揺れる服に所々付着した黒い髪がパラパラと落ちていく。

 

 

 

 そして靡く服の裾に、大正にはないマジックペンで綴られた『サイタマ』という文字が揺れていた。

 

 

 

 

 

 

~オマケ~

 

 

 

「…………」

 

「………………え、えっと、胡蝶様?」

 

 場所は蝶屋敷と呼ばれる建物。鬼殺隊の診療所にあたる施設にて、カナエは一人の人間をじっと見つめていた。

 

 あの戦いの後、カナエは柱を、もとい剣士を引退した。その理由は、一度壊死した肺は元に戻らず、呼吸も満足に使えなくなったせいだ。鬼殺隊の戦力にはもう戻れないと、彼女は苦渋の判断で剣を置いた。そうして彼女は、我が家でもある蝶屋敷において、看護婦という役割を担い、怪我をした隊士の治療に専念することになった。

 

 戦えなくなったことは残念に思う。だが、命は助かったのだ。それには彼女自身だけでなく、妹のしのぶと、義理の妹でもあるカナヲも大いに喜んだ。だからこうして、剣以外のことで力になろうとカナエなりに考えた結果が今の立場だった。

 

 で、現在。カナエは診療所に怪我人を運び込んできた一人の人間と対峙している。その者は黒子のような服装で目元以外を隠した、鬼殺隊の中でも鬼に関わる事実を消すための隠ぺい工作や怪我人の運搬といった影の仕事を行う『隠』と呼ばれる者たちの一人だった。

 

「……あなた、確か後藤さんって言ったかしら?」

 

「え、ええはい。そうですけど?」

 

「……少し前に、会わなかったかしら? 例えば、私を助けるために上弦の弐相手に大立ち回りとかした?」

 

「いや無理ですよそんなん!? 俺隠ですよ!? 上弦なんかと戦う能力ありませんって!?」

 

「そう? ……うーん、確かに雰囲気違うし……うん、ごめんなさいね?」

 

「い、いえ……」

 

「……………」

 

「……あ、あの、まだ何か?」

 

「うーん、けどやっぱり何か引っかかるなぁ。一度ちょっと手合わせしてみない? ほら、私呼吸はもう使えないけど一応剣は振れるから」

 

「いやホント無理です勘弁してくださいっ!!」

 

 哀れ、後藤さん。カナエの耳に残る“彼”の声とどこか似ていると思われたせいで、ちょっとしたトラブルに見舞われるのだが……まぁ、それは余談である。

 




サイタマさんがボロボロになる話。まぁハゲる前には普通に傷だらけになってたし、こういうサイタマさんもまたかっこええんじゃ。

あと必殺マジシリーズはこの時はまだ無く、マジ殴りくらいしかなかったんじゃないかなーと思っての独自設定だったり。しかしながら書いてて思いましたが、これいいのかな? 童磨しばいちゃったけどいいのかな? カナエ姉さん助けちゃったけどいいのかな? …………

内なる作者「許す」

許されました。なので投稿します。

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