メロスは激怒した。必ずかの
メロスには
メインスポンサーを含めた複数のスポンサーが撤退するとの噂が飛び交い、チーム解散が激しく危ぶまれるような状況であった。
シーズン序盤は調子が良かったものの、開発の遅れやチーム内の不和が重なって何人ものスタッフの首が飛び、罵声が飛び交う中で成績が伸び悩み、悪循環のなかでようやく少し立て直したところでのチーム解散という話である。
ドライバーのポテンシャルは概ね高いと言えた。片方は派手ではないがクレバーに好成績を出すタイプ。そしてもう片方の性格はきわめて直情的で、メンタルに左右されて成績も上下したりと不安定な天才タイプであった。
ピット奥の会議室に立つ
「分かっているな、せめて私のキャリアを傷つけるな。つまりマシな結果を出せ。まあ、できるなら、の話だがな」
メロスとのブリーフィングの最後で吐き捨てられたディオニスの声は、どこまでも事務的で、感情の欠片も感じられなかった。メロスは激怒した。
メロスは部屋を出ていこうとしていた
「なんのつもりだ」
メロスは怒りにまかせていきり立った。
「あんたはチームのことをなんとも思っていないんだな」
「何を言うか、私ほどチームのために奔走している者はおるまい」
ディオニスのそんな冷めた口調に対し、メロスは半ば嘲るように吐き捨てた。
「その結果がチーム解散か?随分落ち着いていられるな」
ディオニスはそっとため息をついた。
「やはりお前たちは何も分かっておらん。金のことを考えずにただ走ればいいのは楽なもんだな。私がどれだけ心を配ってスポンサーと日々駆け引きをしているかなど知らんだろう。ああ、そうだ、私はチームの
メロスは思わず目を逸らした。そう言われてしまえば反論の術がない。
何度か口を開きかけては口ごもって、そして嘆願するようにこう言った。
「しかし、
そう啖呵をきった。そんなメロスの台詞に対し、
「ばかな」
と、ディオニスは嗄れた声で呟いた。
そして数秒沈黙した後、ディオニスは続けた。
「セリヌンティウスは予選
ディオニスはそこで嘲るような顔をし、
「しかし、こうして私に食ってかかって
そう言い放って、スーツの襟を整えながら部屋を出ていった。
こうして、この最終戦はチームの存続とドライバーたちのキャリアを賭けた運命のレースとなった。ドライバーが2人とも表彰台、すなわち3位以内に入れればチームは解散を免れる。 しかし
メロスはブチ切れて勝手にそんな交渉をしたことをセリヌンティウスに謝罪した。自身のキャリアまでもが懸かった話であるにもかかわらず、セリヌンティウスはただ無言で頷き、固く抱擁した。それで十分だった。
◆ ◇ ◆
……
…
……
メロスは、闘志を
序盤の混戦を制し、メロスは
前戦で不調だった
チームメイトのセリヌンティウスは無線によると
さて、メロスの前を阻むのは
まぁ行けるだろう。なんとなくそんな楽観的な気持ちを持ちつつ、メロスは慎重に隙を伺っていた。
◆ ◇ ◆
12周目。P5を走るへミルトンとの
しかしメロスがハンドルに力を込め直した時、無線から
『メロス、5秒タイムペナルティ。』
(ふざけんな、
悪態をつきつつ、まずはマシンを遠隔チェックしてもらう。幸いフロアなどに大きなダメージは無さそうだ。ウイングやサスペンションにも異常は見当たらない。不幸ではありつつその点は幸いだった。
動揺している間にへミルトンは離れてしまった。また追いかけたいところだが問題はペナルティだ。ピット時に作業をせずに5秒静止する必要がある。
どうしたものか。C4ミディアムタイヤの寿命は
我慢して走ってあとでタイヤを贅沢に使うというオーバーカット戦略もありえたが、
メカニックはすぐに用意すると答えたが、その後にディオニスの声が続いた。
「終わりだな、せいぜい五体満足でレースを終えることだけ考えろ」
その冷めきった声にメロスはどこか心が折れるような感覚を覚えた。悪あがきかもしれないがまだやれることはあるだろう。それなのにそんな言い方はいくらなんでも無いだろう。
しかし……彼の言う通りなのかもしれない。
きっと自分にF1のシートは不釣り合いなのだ。シートを失っても仕方ない。そう、自分にはF2あたりでのんびり走る程度の実力しかないのだ。そうだ、そうなんだろう。
セリヌンティウスよ、君は2位を走っている。立派なものだ。素晴らしい友だった。
君はF1ドライバーとして輝くべきだった。しかし彼を巻き込んで無理な約束をするべきではなかった。すべて俺のせいだ。
いつもならメロスはこれしきで諦めることはない。むしろアグレッシブな走りを繰り出して結果を出すタイプだ。
しかし自身のみならず友の選手生命が掛かった局面でのFIAの理不尽な裁定とボスの冷たい言動が彼の強靭な精神をもじわじわと折ろうとしていた。
◆ ◇ ◆
心がささくれるのを感じながらメロスはピットに戻った。
マシンを停車させてから5秒間静止する。実にもどかしい。
まるで永遠のように思える時間が過ぎたあと、ミディアムタイヤが取り外されてハードタイヤにつけ変わる。しかし普通なら2秒で終わるはずが、一向にジャッキオフされない。
もう5秒ほど経ってようやくサスペンションが沈むと
「どういう事だ!」
コースに復帰したメロスが無線で叫ぶと、申し訳なさそうにチーフエンジニアが答えた。
「すまない、
その言葉にメロスは「了解」とだけ答えたあと、
アンダーカットとはいえ5秒ペナルティ、さらにピットトラブルで順位は激しく後退。諦めという言葉は辞書にないが、それでも望みは限りなく薄く思われた。
メロスはアグレッシブな走り方でまだ温度の低いタイヤに熱を入れながら前を猛追する。しかしレースが進んでそれぞれのタイム差が激しく、ちょっとやそっとでは追いつきそうにない。あまりプッシュすればタイヤを痛め付けることになるし、限界領域まで攻め込めばコンマ0.0数秒レベルのゲインに対してただただクラッシュやコースアウトによる大幅なタイムロスのリスクが増大するだけだ。車が物理法則に支配されている以上、ある程度のタイムより速くなることはありえなく、ただ単にハードに攻めてどうにかなるような問題では無い。状況はきわめて厳しかった。
ほとんどのチームでタイヤ交換が進み、レースは20周を経過した。交換タイミング前後のタイム差と彼の渾身のプッシュにより、順位が落ち着いた段階で彼は実質10位という位置にいた。望みは薄い。もう少しはポジションを上げられるかもしれないが、スタート時の10位とは訳が違う。何しろ車ごとに数秒以上のタイム差があるのだ。ここからP3という目標ははるか彼方で霞んでいた。
5秒ペナルティは痛かった。それに加えてピットトラブル。誰のせいという話でもないが、メロスのせいではないだけに口惜しい。どちらにしても怒りをぶつけることも出来ないし、ただ感情を抑え込むしかないのである。
(
そんなことを思いかけた時、突然コースマーシャルが赤色の旗を振り始めた。レッドフラッグ、レース中断の合図だ。余程大きなクラッシュでも起きたのだろうか。不謹慎なことは分かっているが、メロスにとってそれは天の恵みの事故と言う他なかった。
◆ ◇ ◆
ピットで待機する。なんとももどかしい。空気が悪くなってもおかしくないところだが、クルーはそれを表に出さずにテキパキと仕事をこなす。タイヤを交換し、ここまでの膨大なデータからストラテジーを詳細に検討しているとあっという間に再開の指示が出た。
5つの赤いライトが消えた瞬間、メロスは光のように飛び出した。
そこから先はさっそく間隔があいてしまった。メロスの長い戦いが再び始まる。
20周目という絶妙なタイミングのレース中断からのタイヤ戦略は各チームで差が見られた。アブダビはコンディションが過酷なためソフトを選ぶチームはさすがに無く、ミディアム→ハードを選ぶチームがやや多かった。しかし、チームによって
メロスは
それは今のところ良い方に働いていると思われた。ミディアムタイヤをほとんど丸ごと使い切る勢いで
「
無線のその指示にメロスは頷いてピットを目指した。
◆ ◇ ◆
今度はピットトラブルもなく、アンダーカット気味のピットインはむしろタイム的にアドバンテージに繋がっていた。
しかし目指すは
前を走る
しかし3位争いの彼らが42周目でもつれるようにピットインし、再びコースに戻ったのはぎりぎりメロスの
メロスは奥歯を噛み締めた。ここで抜けなかったのは痛恨である。彼らはフレッシュミディアムで圧倒的なアドバンテージがある。メロスのハードタイヤでは勝ち目は無い。
彼らのタイヤが温まり切る前に抜くしかないとメロスは反射的にオーバースピード気味に突っ込むも、
「ダメか……!!」
メロスの必死の走りにも関わらず、45周目には2秒の差が開き、もはや絶望的な状態であった。
ジリ貧のまま、あと13周でレースが、そしてシラクス・レーシングが終わりを迎えてしまうのだ。
◆ ◇ ◆
メロスは誰よりも丁寧にタイヤを労りながら高い速度を維持することに全神経を集中させていた。唯一の望みはレース最終盤だと彼は信じていた。
55周目、果たしてメロスが睨んでいた展開が現実になろうとしていた。
P5のメロスに対して決定的な差が開かないままリバース戦略を採用した
42周目でミディアムタイヤに交換したら最終盤でタイヤが厳しくなるだろうとメロスは予想していた。しかもフェラーリとマクラーレンは
つまり、前を行く彼らは必然のバトルでタイヤを激しく消耗させていた。
ここへきて彼らのタイムは明確に落ち始めている。メロスは最後の勝負に出る覚悟を決めた。
やることはシンプルだ。プッシュしてタイムを上げてDRS圏内まで追いつき、ぶち抜く。ヤス・マリーナのオーバーテイクポイントの少なさ、追いつく難易度の高さ、そして2台を一気に抜いた後に再び抜き返される展開などを考えると、チャンスはファイナルラップのセクター2という一瞬のタイミングしかないと思われた。そこにはコースに2箇所しかない
57周、全身全霊をかけた走りでメロスはとうとうピアステのDRS圏内まで追いついた。セクター1を終えて高速区間のセクター2へ。
テクニカルなセクター3を抜け、いよいよファイナルラップに突入である。
自分のみならずセリヌンティウスの選手生命や大勢のクルーの首も掛かった運命の1周だ。クルーは瞬きもせずにモニターを凝視し、ファンもまた固唾を飲んでライブ中継を見守っていた。
セリヌンティウスはP2で単独クルージング気味に走っているとのことだ。待ってろ、どうにか追いついてみせる。ああ、走れ!メロス。
◆ ◇ ◆
セクター1終盤、検出ポイントでのタイム差は0.4秒。
ピアステは前を走るルクリールとのバトルに過熱していて後ろから近づくメロスにはあまり注意を払っていなかった。
立ち上がり重視のラインからDRSによってドラッグが減少したマシンはピアステのマシンが作り出す
そして再び超高速コーナー、2つめのDRS区間である。メロスはDRSと共に
その差はトップスピードで秒速5mにも達するアドバンテージをもたらす。ピアステとの勝負でERSの電力がほとんど底をついていたルクリールは、メロスのマシンが横をすりぬけるのを指をくわえて見ていることしかできなかった。
9コーナーを抜け、第3セクターにてメロスは必死にマシンを駆る。
DRSはもう使えないが、気を抜いたら至極簡単に抜き返される。メロスはスクーデリア・フェラーリの真っ赤なマシンが後ろに張り付いているのを背中でピリピリと感じながら、垂れかけたタイヤを引きずって必死にラインをブロックする。
コーナーでは
最終コーナーを抜け、
メロスは最後の電力を使い切るべくERSモードを
メロスが帰って来た。約束のとおり、いま、帰って来た。
◆ ◇ ◆
激闘の末に
急速に身体から力が抜けていくのを感じた。
アクセルを緩め、
ガッツポーズを取る力すらなく、目が潤むのを堪える。
無線越しにはどよめきが聞こえる。あっぱれ。口々に何かをわめいている。
メロスは何か言おうとしたが、喉が掠れて何も言葉が出てこなかった。
ピットに戻り、車を停車させた。
マシンから降りようとするとセリヌンティウスが手を貸し、メロスがコンクリートに両足をつけると同時に彼らは固く抱擁しあった。
しばらくそうした後、メロスは小声で言った。
「すまん、正直、ペナルティ食らった時は心が折れかけたよ」
そう言うとセリヌンティウスは軽くメロスのヘルメットを小突いたあと、こう言った。
「まぁ、チーム解散が全く頭を過ぎらなかったかといえばさすがに嘘になるかな」
その言葉に、メロスはヘルメット越しに軽く頭突きをし返した。
そこにディオニスが近づいてきて、不満そうに鼻を鳴らした。
「まったく、やってくれたな」
彼はそう呟くと、かすかに口元を緩めた。
「まあ、あんな戦いを見せられては、チーム解散は回避するしかないだろう」
その言葉にメロスとセリヌンティウスは目を見開いた。
それからディオニスは他のクルーや近くの報道関係者にも聞こえるように声を張り上げた。
「スポンサー撤退の話は撤回された。来年も私がお前らのボスだ、残念だったな」
ピットクルーたちが爆発した。万歳、と叫ぶ者もいた。
セリヌンティウスは気を利かせて教えてやった。
「そういえば、君の彼女が待っているぞ、
勇者は、ひどく赤面した。
(古伝説と、シルレルの詩から?)