幻想博打録カイジ 作:名もない石
今のところ話数にストックがあるので、一週間に1話は必ず投稿できる予定です!
それではお楽しみください!
また是非感想や評価もお願いします!モチベ向上にも繋がりますので!
翌朝、カイジは障子の隙間から差し込む柔らかな光で目を覚ました。
身体を起こし、昨日までと同じ薄っぺらい布団を丁寧に畳みながらカイジは改めてこの薄汚い物置部屋を見渡した。
(……こことも、今日で最後か)
別に名残惜しいという感情は微塵もなかった。寂しさもない。むしろ、こんな埃っぽくガラクタだらけの場所からおさらばできるのだ。清々しいとさえ思う。
だが、なぜだろうか。
カイジは部屋を出て行こうとする足を、なんとなく少しだけ留めてしまっていた。
たった一日と少し。その短い時間の中でこの場所で見た悪夢、感じた理不尽。そして、ほんの少しだけ交わしたあの巫女との奇妙なやり取り。それらがまるで幻灯のように脳裏をかすめては消えていく。
それも、ほんの数分のことだった。
カイジはくだらない感傷を振り払うようにかぶりを振ると、今度こそ部屋を後にした。
居間を抜け、台所の方を覗くとそこには意外なことに霊夢が立って朝食の準備をしていた。
彼女はかまどの方を向いているが、カイジが来たことには気づいているらしい。料理の手を止めることなくその背中からどこか弾んだような声が飛んできた。
「あら、起きたの。ちょうど良かったわ。今日は私の気分がすこぶる良いから、特別に豪華な朝ご飯を作ってあげる。感謝しなさいよね」
その言葉にカイジは少し意外に思った。昨日あれだけ冷たく自分を切り捨てたというのに、今朝は随分と上機嫌だ。まあ、メイドが三人来るのだから当然といえば当然か。
カイジは特に何も返事をせず居間のちゃぶ台の前にどかりと座り込んだ。
……
…………
……………………
待っている間、やることがない。
テレビも、携帯も、ゲームもない。この世界にはカイジが慣れ親しんだ暇を潰すための俗物が何一つとして存在しないのだ。
だが、不思議と退屈ではなかった。
カイジはただ縁側の向こうに広がる神社の境内をぼんやりと眺めていた。
朝露に濡れた木々の緑、澄み切った青い空、そして時折聞こえてくる鳥たちのさえずり。その全てがカイジのささくれだった心を穏やかに癒していく。
これがこの幻想郷という場所が持つ根源的な美しさのせいなのか。それとも、ただあの喧騒に満ちた欲望渦巻く世界から離れたこと自体に癒しを感じているだけなのか。カイジには分からなかった。
そんなことをとりとめもなく考えているうちに、台所から香ばしい匂いが漂ってきた。
どうやら霊夢が料理を終えたらしい。彼女はいくつもの皿が乗ったお盆を手にちゃぶ台へとやってくると、一つ、また一つと手際よく料理を並べていく。その顔はやはりどこか楽しそうだった。
カイジは霊夢が手際よく並べていく料理に思わず目を奪われた。
そこにあったのは、昨日までの質素な食事とは明らかに一線を画す豪華な朝食だった。
炊き立ての白米と、豆腐がたっぷり入った味噌汁はいつも通りだが、その隣には分厚く、そして完璧な焼き加減の鮭の塩焼きが鎮座している。
さらに、ふっくらと焼き上げられただし巻き卵。小鉢にはきんぴらごぼうまで添えられている。
質素な食材で作れる、最大限の贅沢。それが目の前にはあった。
(やればこんな料理も作れるんじゃねえか、こいつ……)
カイジがその見事な腕前に素直に感心していると、ふと正面から突き刺すような視線を感じた。
「……何か、失礼なこと考えてない?」
霊夢がじとーっとした薄目でカイジのことを見ていた。どうやらまた心が読まれたらしい。
「な、何言ってんだ! 腹が減って早く食いてえなと思ってただけだ!」
カイジは少し焦りながらそう答えると、慌てて両手を合わせた。霊夢もふん、と鼻を鳴らしながら同じように手を合わせる。
「「いただきます」」
二人の声が小さく重なった。
カイジはまず、鮭の塩焼きに箸をつけた。ふっくらとした身を口に運ぶ。絶妙な塩加減と、鮭の旨味が口の中いっぱいに広がる。美味い。
だし巻き卵も、きんぴらごぼうも、そのどれもが昨日までの食事とは比べ物にならないほど丁寧に作られているのが分かった。
カイジは夢中で箸を動かした。その食べっぷりを見て、霊夢がほんの少しだけ満足そうな顔をしたのをカイジは見逃さなかった。
それからはいつも通り二人の間に会話はなかった。ただ、黙々と食事をし、時折食器の音が響くだけ。
でも、やはりこの変に気取らない、無理に話す必要のない空気がカイジにとっては不思議と心地よかった。
やがて朝食を食べ終え、霊夢が淹れてくれたお茶を二人で静かに啜っていると、不意に神社の石段の方から凛とした声が聞こえてきた。
「──失礼いたします。カイジ様をお迎えに参りました」
その聞き覚えのある声。カイジと霊夢が同時に顔を上げる。
声の主は昨日会ったあの完璧なメイド、十六夜咲夜だった。彼女はまるで二人が朝食を終え、お茶を飲み始めるその完璧なタイミングを測っていたかのように音もなく鳥居の前に立っていた。
(……ついに来たか)
カイジの心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。
緊張が全身を駆け巡る。カイジは湯呑みを静かに置くと覚悟を決め、ゆっくりと立ち上がった。
そして霊夢と共にその訪問者を迎えるため、縁側から外へとその一歩を踏み出すのだった。
カイジと霊夢が縁側から下り咲夜の前まで行くと、彼女はまるで舞台女優のように深々と、そして優雅に一礼をした。
「この度は私共の申し出を快くお受け入れいただき、誠にありがとうございます。お嬢様も大変喜んでおられました。これもひとえに博麗の巫女様の寛大なるご判断と、伊藤開司様の賢明なるご決断の賜物……心より感謝申し上げる次第でございます。つきましては──」
咲夜は完璧な笑みを浮かべながら、流れるような口調で社交辞令の言葉を延々と紡ぎ始めた。そのあまりにも丁寧で、しかしどこか回りくどい言い回しに霊夢の眉がみるみるうちに険しくなっていく。
そしてついに我慢の限界が来たのか、霊夢は咲夜の言葉を遮るように苛立ちを隠さずに言い放った。
「もういいわよそういうのは。さっさと本題に入りなさい、こっちは暇じゃないの」
そのあまりにも素っ気ない言葉にも、咲夜は一切表情を崩さなかった。
「大変失礼いたしました。それでは早速」
咲夜はそう言うと何もない空間からすっと一枚の羊皮紙のような分厚く、そして高級そうな紙を取り出した。それは昨日レミリアと約束したカイジとの雇用契約書だった。
「こちらが正式な契約書となります。どうぞ、内容にご納得がいくまで隅々までお読みになった上でご署名をお願いいたします」
咲夜はその契約書を恭しくカイジに差し出した。
そして、またしてもカイジがそれを受け取った瞬間、目の前にいつの間にか重厚な木製の机と一本の高価そうな万年筆が音もなく出現していた。
カイジはその超常現象にもはや驚きはしなかった。ただ、この異常な出来事に少しずつ、しかし確実に順応しつつある自分自身に言い知れぬ恐怖を感じていた。
カイジは促されるままに椅子に座り込むと、目の前の契約書を手に取った。
そこには昨日、カイジとレミリアが口頭で交わした条件がさらに詳細に、そして法的に抜け目のない完璧な文章で記されていた。
『対等な契約関係』『給金の支払い方法』『一年間の契約期間』『八雲紫との交渉のセッティング』。そのどれもが昨日の合意通りに記載されている。
だが、カイジは決して油断しなかった。
彼はその契約書の一文一文をまるで敵の動きを探るかのように、舐めるように、そして執拗に読み込んでいく。
この契約書に何か罠はないか。自分に不利になるような小さな見落としがちな一文が隠されていないか。
帝愛との契約で地獄を見たあの時の自分の愚かさを、無知を、二度と繰り返すものか。
カイジは時間をかけゆっくりと、そして慎重にその紙面に視線を走らせる。
隣では霊夢が「まだなの?」と言いたげな呆れた表情でこちらを見ているが、今のカイジにそんなことを気にしている余裕は一切なかった。これは自分の命運を左右する重要な儀式なのだから。
「……………」
契約書と睨み合うこと、数十分。
カイジはその羊皮紙に穴が開くのではないかというほど全ての条文を一字一句繰り返し、そして執拗に読み込んだ。
だが、そこにはカイジが危惧するような巧妙な罠や不利になるような但し書きはどこにも見当たらなかった。書かれているのは昨日合意した内容がただより詳細に、そして法的に厳密に記されているだけ。あまりにクリーンで、そしてフェアな契約書だった。
(罠が、ない……?)
むしろその完璧さがカイジに一抹の不安を抱かせた。だがこれ以上ここで時間をかけても何も出てこないだろう。
カイジは覚悟を決めた。そして目の前に置かれた高価な万年筆を手に取ると、その署名欄に震える手で、しかし力強く己の名を刻み込んだ。
『伊藤 開司』
その署名を確認すると、咲夜は満足げに頷きその契約書を恭しく手に取った。そして次の瞬間、契約書はまるで最初からそこになかったかのように彼女の手の中から消え失せ、同時に目の前の机と万年筆も音もなく消滅した。
「ご署名、確かに確認いたしました。改めましてカイジ様。これから一年間よろしくお願いいたします」
咲夜は深々と一礼すると、すぐに事務的な口調に戻った。
「それでは早速ですが、これより紅魔館へとお連れいたします。今からでもすぐに向かいましょう」
「お、おい待て。ここからその紅魔館ってところまでどれくらい時間がかかるんだ?」
カイジは慌てて問いかけた。着替えも荷物もない。心の準備もできていない。
しかし咲夜はそんなカイジの動揺をニコリとした完璧な笑みで受け流した。
「ご安心くださいませ。カイジ様におかれましてはご不便をおかけすることなどないよう、一瞬でご到着いただけますわ」
「……は? 一瞬?」
カイジの頭に大きな「?」が浮かぶ。答えになっているようで全く答えになっていない。どういうことだ? 歩くわけでも乗り物に乗るわけでもないのか?
カイジがその意味を問い質そうと口を開きかけたその時。隣から心底面倒くさそうに霊夢が代わりに答えた。
「あんたまだ分かってないの? こいつは時間を操れるのよ」
「はぁ!? 時間を……!?」
カイジは余計に混乱した。時間を操る? そんなSF映画のような話があるものか。
霊夢はそんなカイジの様子に呆れ果てたように大きなため息をついた。
「あんた慧音からこの幻想郷の住人は大なり小なり、みんな何かしらの『能力』を持ってるって教えてもらってないの?」
「あ……」
そう言われてカイジは朧げながら、そんな話を聞いたような気がすると曖昧に思い出した。だが、思い出したからといって到底納得できる話ではない。
(時間を操れるなんて、そんなファンタジーな……)
そこまで考えてカイジは、はたと気づいた。そうだ、忘れていた。今自分がいるこの世界そのものがファンタジーなのだと。
妖怪がいて、魔法使いがいて、吸血鬼がいる。そんな世界で「時間を操る」能力を持つ者がいたとして、何ら不思議はない。
カイジはもう深く考えることをやめた。この世界では自分の常識など何の役にも立たないのだ。
「……分かった。じゃあよろしく頼む」
カイジは観念したように咲夜に向かってそう言った。その言葉を聞いて、咲夜は満足げに、そして恭しく一礼するのだった。
「ではカイジ様。失礼いたします」
咲夜がそう言って懐中時計を取り出し、その銀色の蓋を開けようとしたその瞬間。
「──ちょっと待ちなさい」
霊夢が不意にカイジに声をかけた。カイジが振り返ると、彼女は腕を組み、いつもの不遜な態度で、しかしどこか悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「あんた、紅魔館で給金がたっぷり溜まったらこの博麗神社にちゃんと『お世話してあげた料』として賽銭箱にたんまりと入れていきなさいよ。期待してるわ」
その時の霊夢の表情は朝日に照らされて、カイジが今まで見た中で一番綺麗に見えた。
カイジはその不意打ちのような美しい表情に一瞬心臓が跳ねるのを感じた。だがすぐに照れ隠しのようにいつもの悪態で返す。
「……誰がてめえみてえな貧乏巫女に払う金があるかよ! 稼いだ金は全部俺のもんだ!」
「な、何をっ! この恩知らずが! やっぱりあんたなんかメイド三人と交換して正解だったわ!」
霊夢が顔を真っ赤にして怒り出す。そのあまりにも子供っぽい反応を見てカイジは思わず、ふっと笑ってしまった。
「やべ、逃げろ! 咲夜さん早く運んでくれ!」
カイジが慌てて咲夜に助けを求めると、咲夜は二人のそのやり取りをまるで微笑ましいものを見るかのようにくすりと小さく笑った。
「──かしこまりました」
彼女がそう答えた次の瞬間。
パチン、と指を鳴らすような乾いた音がしたかと思うと、世界から一切の音が消えた。
風の音も、鳥の声も、そして、背後で怒鳴っているはずの霊夢の声も。全てがぴたりと止まっている。
咲夜は時が止まった世界の中で二人の表情を見た。
霊夢は怒りの形相を浮かべているが、その瞳の奥は楽しそうに笑っている。
カイジもまた本気で恐れているわけではなく、まるで悪戯が見つかった子供のような、そんな表情を浮かべていた。
(……存外、お似合いだったのかもしれませんね)
咲夜は一瞬だけそんなことを思った。
しかし、すぐにその緩みかけた表情をキリッとプロのメイドの顔に切り替える。
彼女は時が止まって固まっているカイジをまるで米俵でも担ぐかのようにひょいと軽々しく背中に背負うと、音もなく空へと舞い上がった。
目指すは紅い悪魔の棲む館、紅魔館。
カイジの新たな、そしてより奇妙な日常が今、始まろうとしていた。
カイジの意識が、ふっと、現実へと引き戻された。
最後に感じたのは霊夢の怒声と、咲夜の静かな笑み。そして世界から音が消えるあの奇妙な感覚。
目を開けると、そこはもう博麗神社の境内ではなかった。目の前に、そびえ立っていた。あまりにもバカでかい、西洋風の館が。
「なっ……!?」
カイジは思わずその場にへたり込みそうになった。
この「一瞬で移動する」という異常な体験には心臓がついていかない。
だが、それ以上にカイジの度肝を抜いたのは、その館のあまりにも異様な外観だった。
どこまでも続く巨大な壁。天を突くかのようないくつもの尖塔。その規模はカイジが今まで見たどんなビルや城よりも遥かに巨大に感じられた。
「──ここが、紅魔館になります」
その言葉でカイジははたと我に返った。そうだ、ここがこれから一年間自分が働くことになる場所なのだ。
まだその現実離れした光景に頭が追いついていないカイジを尻目に、咲夜はまるで自分の庭を歩くかのように巨大な鉄の門へとすたすたと近づいていく。
そして門の脇に立つ何者かに向かって冷たく声をかけた。
「……まったく。いい加減に起きなさい」
カイジがそちらに目をやると、門の柱に一人の女が気持ちよさそうに寄りかかって、こっくりこっくりと船を漕いでいた。
鮮やかな緑色のチャイナドレス。その長い赤髪と頭に被った星の飾りがついた緑色の帽子が特徴的だ。
咲夜はその居眠りをしている女の前に立つと、一切の躊躇なくその頭を思いっきり強く平手で叩いた。
バシンッ!
乾いた、しかし非常に痛そうな音が静かな湖畔に響き渡る。
「いっっったぁ!?!?」
女はまるで飛び起きたかのように悲鳴を上げると、頭を押さえながらその場にうずくまった。
「と、突然何するんですか咲夜さん!」
女は涙目で抗議するように咲夜を見上げる。しかし咲夜はそんな彼女を氷のように冷たい視線で見下ろした。
「寝ているあなたが悪いのよ。門番が白昼堂々居眠りとはいい度胸ね」
「うぐっ……そ、それは……」
女はぐうの音も出ない、といった様子で言葉に詰まっている。どうやらこの二人の間ではこれが日常的な光景らしい。
やがて女がどうにかこうにか立ち上がると、そこで初めて少し離れた場所でその一部始終を見ていたカイジの存在に気がついた。
「あれ? その人はどうしたんですか? ……あ、もしかしてお嬢様の新しい食料?」
何やらとんでもなく物騒な言葉が聞こえたような気がしたが、カイジが聞き返す前に咲夜が心底呆れたように答えた。
「あなた……昨日、私が言ったでしょう? 今日からこの紅魔館で一年間従業員として新しく働いてもらう人を連れてくるって」
「あ、あ〜〜……」
咲夜に言われて女はようやく思い出した、といった様子でぽん、と手を叩いた。
「そういえばそんなこと言ってましたね! いやー、すっかり忘れてました! てへへ…」
そのあまりにも緊張感のないへらへらとした態度に、カイジはようやくこの非現実的な状況から正気を取り戻した。
(こいつも大概だな……)
カイジは心の中でため息をつくと、この能天気な門番に向かって自己紹介をすることにした。
「……伊藤開司だ、カイジでいい。今日から世話になる」
「お、おお! ご丁寧にどうも! 私は紅美鈴って言います! ここの門番をやってるんで、まあ気軽に美鈴って呼んでください!」
美鈴はそう言うと、にかっと人懐っこい笑顔を見せた。
カイジはこの紅魔館で初めて出会った従業員がこの調子で大丈夫なのだろうかと一抹の、いやかなりの不安を覚えるのだった。
「それではカイジ様。お嬢様にご挨拶に参りますのでこちらへ」
咲夜は美鈴との間の気の抜けたやり取りを断ち切るようにそう言って、さっさと館の方へと歩き始めた。
カイジも慌ててその後に続こうとする。その時、ちらりと視界の端に先ほどまで話していた美鈴の姿が入った。彼女はカイジたちが去っていくのをいいことに、また門の柱に寄りかかって気持ちよさそうに寝る体勢に入ろうとしている。
(こいつが門番で本当に大丈夫なのか……? この館のセキュリティはガバガバなんじゃないのか……?)
カイジはそんな根本的な疑問を抱きつつも、今は咲夜について行くしかない。彼は一抹の不安を胸に巨大な紅魔館の扉へと向かった。
咲夜がその重厚な観音開きの扉に手をかけると、ギィィ……と、低い音を立ててゆっくりと開かれていく。
そしてカイジはその中に広がっていた光景に息を呑んだ。
そこは、外観と同じくどこもかしこも赤で統一された空間だった。
床には深紅の絨毯が敷き詰められ、壁には赤いベルベットのカーテンがかけられている。天井からはいくつもの蝋燭が灯された巨大なシャンデリアが吊り下げられ、その光が部屋全体を幻想的な赤い光で満たしていた。
外から見た時のあの悪趣味な印象とは全く違う。そこにあるのは一つ一つが選び抜かれた高級品であることが一目でわかる、圧倒的なまでの気品と豪奢さだった。
「……すげえ」
カイジの口から思わず感嘆の声が漏れる。まるで、ヨーロッパの王侯貴族が住む宮殿のようだ。自分が今まで生きてきた薄汚れた世界とはあまりにもかけ離れた光景だった。
「こちらです」
呆然と立ち尽くすカイジを咲夜が静かな声で促す。
カイジははっと我に返ると、その完璧なメイドの後を絨毯の感触を確かめるようにゆっくりとついて行った。
やがて咲夜はひときわ大きく、そして豪華な装飾が施された巨大な扉の前でぴたりと足を止めた。
「この広間の奥にお嬢様がお待ちです」
その言葉にカイジの心臓が再び、ドクン、と大きく脈打った。
これからあの吸血鬼と改めて対面するのだ。今度は客としてではなく、従業員として。
カイジは一度目を閉じ、大きく、深く深呼吸をした。
そして胸の中に渦巻く不安と、緊張と、そしてほんの少しの反骨心を無理やり心の奥底へと押し込める。
大丈夫だ。俺は伊藤開司だ。どんな逆境だろうと、乗り越えてみせる。
カイジはそう自分に言い聞かせ、ゆっくりとその目を開いた。その瞳にはもはや先ほどまでの動揺の色はなかった。
「お嬢様、失礼いたします。カイジ様をお連れいたしました」
咲夜がその巨大な扉に向かって凛とした声をかける。すると、扉の向こうから鈴を転がすような、しかし、どこか威厳を帯びた少女の声が微かに聞こえてきた。
『……ええ、入りなさい』
その許可を得て、咲夜はゆっくりと、そして音もなくその扉を開けていく。
カイジはその先に広がる光景を目の当たりにして、再び言葉を失った。
そこは先ほどのホールよりもさらに豪華で、そして広大な空間だった。
天井は教会のドームのように高く、壁一面には巨大なステンドグラスが嵌め込まれている。床には天文学的な値段がするであろう緻密な模様が描かれたペルシャ絨毯。部屋の隅々にはカイジには価値も分からないアンティークの調度品がこれみよがしに並べられていた。
この館の主であるレミリア・スカーレットという存在の絶対的な権力と、富を象徴するかのような光景だ。
そして、その広間の一番奥。
巨大な窓から差し込む赤い光を背に、彼女はそこに座っていた。
その小さな身体には到底不釣り合いなほどに大きく、そして威厳のある玉座のような椅子に。
その光景は一見すればまるで大人の真似事をして背伸びをしている子供のように滑稽に見えるかもしれない。
だが、実際は全く違う。
彼女から放たれる絶対的な王者の圧。それは昨日博麗神社で感じたものよりもさらに強く、そして純粋な形でカイジの肌をピリピリと刺激する。
そして、その幼い容姿の中に宿る妖しいまでの美しさと、恐らく自分より長い時を生きてきた者にしか持ち得ない底知れぬ深淵。
カイジはゴクリ、と乾いた喉を鳴らした。
そして緊張した面持ちで一歩、また一歩とその玉座へとゆっくりと進んでいく。
やがて玉座の前までたどり着くと、カイジは促されるでもなく自然とその片膝をついていた。それは恐怖からではない。ただ目の前の存在が自分とはあまりにも格が違う、絶対的な上位者であることを本能的に理解してしまったからだった。
レミリアはそんなカイジの様子を満足げに、そしてどこか楽しそうに見下ろしている。
「ふふっ、昨日と比べ随分と殊勝な態度じゃない? カイジ」
その声は子供のように無邪気で、しかし神のように尊大だった。
「……今日からあんたの……いや、お嬢様の従業員になるんでね。これくらいの礼儀は弁えてるつもりだ」
カイジは顔を上げずにそう答えた。
レミリアはその答えにくすくすと楽しそうに笑う。
「いい心がけだわ。……咲夜」
「はっ」
レミリアがいつの間にやら隣に控える咲夜に声をかけると、咲夜は恭しく一礼した。
「この男に館のルールと最初の仕事を教えなさい。……ああ、それと」
レミリアは一度言葉を切ると、まるで面白い玩具を見つけた子供のような残酷な笑みを浮かべた。
「──この男の『運命』がどう転ぶか。せいぜい楽しませてもらうとしましょうか」
その不気味な言葉が広間に響き渡ったその時。レミリアはふと、何かを思い出したかのように玉座からひらりと軽やかに降り立った。
「ああ、そうだわ。少しパチェに用事があるんだった。咲夜、あとのことは全てあなたに任せるわ」
「かしこまりました、お嬢様」
咲夜が恭しく頭を下げる。
レミリアはカイジの横を通り過ぎる瞬間、ぴたりと足を止め、その顔を覗き込むようにして意味深な、そして悪魔的な笑みを浮かべた。その瞳は、「これから、せいぜい楽しませてちょうだいね」と、雄弁に語っていた。
そして彼女はまるで何事もなかったかのように、コツ、コツ、と小さな足音を響かせながらその広間を去って行った。
レミリアの姿が完全に扉の向こうに消えてから数秒。
カイジの全身を縛り付けていたあの絶対的な王者の圧が、ふっと、霧が晴れるように消え失せた。
「……はぁ……っ」
カイジは全身の力が抜けるのを感じ、その場にどさりと座り込んだ。まるで何時間も全力疾走したかのような凄まじい疲労感。額からは冷や汗が滝のように流れている。
しかし、そんなカイジの短い休息を容赦なく断ち切る声がした。
「休んでいる暇はないわよ」
声の主は咲夜だった。
カイジが顔を上げると、彼女は先ほどまでの完璧なメイドの仮面を外し、冷徹な、そして有無を言わさぬ上官のような目でカイジを見下ろしていた。
その口調にはもう「カイジ様」と呼んでいた時の丁寧な敬語のかけらもない。
どうやらここからが、この十六夜咲夜がカイジの直接の上司としてその本性を現す瞬間のようだ。
「今からこの館のルール、あなたの仕事内容、その他、説明することが山ほどあるわ。立ちなさい」
咲夜はカイジに有無を言わさぬ口調で命令する。
「……ここで、説明するんじゃないのかよ」
「こんな場所で地べたに座り込んでいる新人に長々と説明するほど私は暇じゃないの。あなたがこれから一年間寝起きすることになる部屋に案内するから、そこで説明するわ。さっさとついてきなさい」
咲夜はそう一方的に告げると、カイジが返事をするのも待たずにさっさと踵を返し広間の出口へと歩き始めてしまった。
カイジはそのあまりの態度の豹変ぶりに一瞬呆気にとられたが、すぐにこれがこの紅魔館での自分の「立ち位置」なのだと、理解した。
(……結局どこへ行っても俺の扱いはこんなもんか……)
カイジは心の中で悪態をつきながら、重い身体を無理やり引きずるようにして立ち上がるのだった……
お読みいただきありがとうございました!
レミリアのカリスマ度が現在投票でほぼ五分五分な状況になってます……
やっぱりカリスマ溢れるレミリアと、カリスマ(笑)のレミリアどちらとも愛されてますね。
今のところはカリスマ(ガチ)の方で書いてますが、投票次第ではまた変わるかもしれません…
レミリアの性格について
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カリスマ(ガチ)
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カリスマ(笑)
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どちらもありうる……そんだけだ