では、どうぞ。
早朝、梅郷中にて全校集会が行われた。全校生徒が寿司詰め状態になりながらも、体育座りを維持していると、壇上に一人の男が現れた。黒いスーツの上に白衣を纏い、革靴を音高くならしながら中央に向かった。脇にはーー黒雪姫先輩が、凛々しい表情で集会に臨んでいた。
「それでは、一時間目と二時間目を充てて、桐ヶ谷和人先生の講義を始めたいと思う。皆、心して静聴するように。では、先生お願いします」
さすがだ。さすが生徒会長のことはある。威厳ある風格に何一つ落ち度などない。
「えー紹介いただきました、桐ヶ谷和人です。VR技術を研究しております。よろしくお願いします」
盛大な拍手と共に迎えられた男は、軽く頭を下げた。女子からは黄色い悲鳴が上がり、男子からは嫉妬の視線が送られていたが。彼は、イケメン科学者として有名な側面もあり、CMにも出演したことがあるらしい。まあイケメンという点では納得できる。顔は中性的で整っており、体格は細目だ。目はすごく優しそうで女子を一瞬で虜にするほどの魅力を持っている。
「ああ、ありがとな盛大な拍手と悲鳴を。けど嫁が嫉妬するからあんまりしないでくれ」
苦笑しながら和人先生が話すと朗らかな笑いが体育館を包んだ。そう、彼は相当な愛妻家で、バラエティー番組に妻と一緒に出演したのだが、そのときに固有結界を作り上げたときは、某大手掲示板サイトの実況スレッドの勢いが半端なかった。
「さて、そろそろ本題に入りますよ。では今回はフルダイブ技術のこれからを話していきたいと思います。静かにしてくださいね」
はーいと女子のほぼ全員が大声で叫んで答えた(少なくとも黒雪姫先輩は黙ってた)。その余波が静まったあと、ようやく和人先生の話が始まった。
「では、フルダイブ技術のこれからを話す前にーーーー」
僕は今日は真剣に聞こうと思った。興味のある話題だからだ。いつもは開始1分で寝るが、今日は起きてようと思う。
いつのまにか、和人先生の話す声だけしか響かなくなった。2時間ほどの講義に対し、はじめて前向きになれたのだった。
***
「寝てしまった……」
僕ははあっとため息をついた。涎が垂れており、制服にシミがついていた。僕は慌ててハンカチを取り出して顔についている液体を拭く。
「ハルったら気持ち良さそうに寝てたよ~~」
僕のとなりにいる、ライム・ベルこと倉島千百合が猫のような鋭い目で僕をにらんだ。
「あれ……僕寝ちゃってたんだ……はぁ」
「ハル、勿体ないことしたなあ……」
千百合の隣にいる、黛拓武が苦笑いした。僕は全くだよとうなだれる。
「それで、もう講義は?」
僕は伸びをしながら千百合に聞いた。千百合は呆れた顔で答えた。
「もう終わったよハル。ほら、見てみなよ」
千百合は壇上に指を指す。するとそこではもう、和人先生が黒雪姫先輩に花束を受け取られていた。
「ああ……そんなぁ……」
僕はがっくりと手をついた。拓武はやれやれと首を振った。
「ま、ドンマイハル」
拓武が肩をポンと叩くも、僕の気分は変わらない。折角の貴重な講義を聞き逃してしまったのだから。
「では、桐ヶ谷和人先生にもう一度盛大な拍手をお願いします」
先輩がそう言うが、僕にとってこれが最初の拍手だ。まあそんなのどうでもいいが。僕は適当に拍手した。
和人先生は手をあげてそれに応えた。その後、和人先生は脇に控えている黒雪姫先輩に近づき、耳打ちした。
僕はそれを見逃さなかった。でも、何を話しているのかはわからなかった。
「では、和人先生。講義をありがとうございます。退場なされますので拍手してください」
先輩のとなりにいた生徒会書記の若宮恵が大声で 叫んだ。再び拍手の嵐が巻き起こるなか、和人先生は退場していった。
和人先生の姿が見えなくなり、拍手が鳴りやむ。その直後、黒雪姫先輩が壇上に立って、締めの挨拶をした。
「以上で全校集会を終わりにする。和人先生の講義で何かが学べたと思うが、それらを糧にしていってくれ。3年C組から退場していってくれ。あと、2年C組の有田春雪君」
「ーー!?」
全校生徒の視線が僕に集まる。公開処刑もいいところだが、僕には気にしている余裕などなかった。僕の名前を呼んでくれたのか? もしかして記憶が戻ったのか? 淡い希望の光が指してきたのか?
「ハル、もしかしたらお話があるかもしれないよ」
「うん、だってクロユキ先輩はハルのことをこんな感じにいつも呼び出すもん」
拓武と千百合のいう通りだ。先輩はいつも公私混同な理由で僕を呼び出す。だから、今回だってきっと……。
「そう信じるよ。俺は、まだ諦めてないから」
俺は、立ち上がる拓武たちを見上げながら言った。どうして僕が残ることになったかクラスでは囁かれているが、親友の二人だけは、にこやかに送った。
やがて全クラスがそれぞれの教室へと戻り、体育館には僕と生徒会のメンバー、それに教師数人がいるだけになった。体育座りをしながら僕が呼ばれるのを待っていると、カツカツと足音が聞こえた。僕は近づいてきた人物を見上げる。そこにはーー黒雪姫先輩がいた。
「せん……ぱい……?」
「ふむ、私は生徒会長だが、先輩という呼び方をするものもいるのだろうか。まあいい。いくぞ」
記憶は戻ってない。恐らく、生徒会長と呼ばれるのを予想していたのだろう。憶測は外れた。けれど今は、浮かび上がっている疑問を解決しなくては。
「い、行くってどこに?」
「ん? ああ、そうか言ってなかったな。生徒会室だよ。君は呼ばれているんだ、桐ヶ谷和人先生に」
「え、ええっ!?」
僕は思わず大声をあげてしまう。一体何を僕がしたのだろうか。ま、まさか寝ていたことを注意するためなのか? で、でもそんなことしているやつなんていくらでもいたはずーー。
「まあ、そういうことだから来てもらうぞ。一緒に来るよう言われたのでな」
「は、はい分かりました」
冷や汗を流しながら僕は頷く。こうなったら素直に謝ろう。そうだ、昨日オンラインをやっていたってことにして……。
下らない言い訳を用意して、先輩の背中を追う。相も変わらず後ろ姿は凛々しい。威厳を保ち、日々積み重なる重圧を跳ね除けているその姿は僕も憧れた。もしかしたら、ブレイン・バーストを失った先輩は、幸せなんじゃないのか? 加速世界においての嫌な思い出もすべて忘れられた。僕たちのことは忘れてしまったけれど、先輩が幸せなら、それでいいんじゃないのか? だって、だって今、先輩は凄く凛々しいから。偽りの強さをつけている訳じゃない。本当の自分を見せているのだ。先輩のコンプレックス、弱さ、脆さを知っている僕だから言える。今は、幸せなんだ。
だからもう、僕も先輩のことを忘れるべきかもしれない。僕が苦しくなるだけだ。もう、お互いは出会わなかったことにすればいいんだ。そうすれば……いいんだ。
僕は、唇を噛んだ。涙が出そうになったから。でも、今はこらえる。先輩、それも僕の知らない先輩の前で泣いても困惑されるだけだ。僕は必死に涙をこらえて、ただただ後ろ姿についていった。
「ついたぞ。生徒会室だ」
「……失礼します」
数分後、僕たちは生徒会室についた。ドアを開くと、懐かしい場所があった。僕と黒雪姫先輩、拓武や千百合と集まってブレイン・バーストについて語り合った、思い出のある場所だ。でも、今は考えちゃいけない。思い出してもいけないんだ。
僕たちは中に入る。すると、和人先生がソファーにてゆったりと座っていた。
「急に呼び出してすみません。有田くん、くろば……いや、黒雪姫さん」
「いえいえ。では私はこれで」
先輩は本名をいいかけた和人先生を、《極冷気クロユキスマイル》で圧殺して去った。だが、和人先生はまるで怯まず、にこやかに見送った。
先輩が部屋を出ると、僕はソファーに腰かけた。そして、生徒会の書記の若宮先輩がお茶を持ってきてくれて、速やかに去った。
部屋の中は僕と桐ヶ谷和人先生だけになった。やばい、寝てたこと怒られたらどうしよう、かなりヤバイぞ……! こうなったらーーーーーーーーーーーー!!
「こ、講義中に寝ちゃってごめんなさいっ!」
僕は突然立ち上がって頭を下げた。どうだ、この僕の謝罪スキルは! 自慢じゃないがカンストはしているぞ!
僕はちらりと和人先生の顔を見る。呆気に取られていた。なんだこいつという目をしている。
「あ、あの……何で謝るんだ?」
「え? だ、だって……その、呼び出したのが僕が寝ていたことかなって思って……」
僕はもじもじと答えた。和人先生は訝しげな表情をしていたが、やがて、プッと吹き出した。
「あっはっは……全くそんなこと思ってたのか。でも、それは理由じゃないぞ。まあ、正直に白状してくれたのは嬉しいけど、俺は寝てても何も文句は言わないよ。昨日夜遅かったのか?」
お咎めなし。助かった。僕はふうっと息をついて、質問に答えた。
「え、えーとその、ね、ネットゲームをして……」
考えていた言い訳をどうにか放出できた。だが、ここである失策に気づく。イケメン科学者の和人先生にネットゲームの話をしたら、どこか空気が悪くなるんじゃないのかと思った。勉学に特化している人間は、そういったものを敬遠しがちだからである。
が、それは杞憂に終わった。
「ネットゲームか。もしかしたらVRMMOか? ALOとか、GGOとか俺は今でもやってるよ」
意外にも話に乗ってきた。ゲーマーなのか……?
ALO、GGO。どちらもフルダイブゲームの初期からあるオンラインゲームだ。現在もなおサーバーは稼働しており、ユーザー数も安定している人気ゲームのひとつである。アミュスフィアという20年前に発売されたフルダイブ機器からでも、ニューロリンカーでもログインできるので、廃れはしないのである。
「ずいぶん古いのやってるんですね」
「まあな。まあでも……」
和人先生は、一度言葉を区切った。そして僕に意味深な笑みを浮かべた。
「恐らく君がやっていたのは、ブレイン・バースト、だろう?」
「え……!?」
僕はドキッとした。昨日の夜にブレイン・バーストをしていたことがばれたことではーーそもそもしていないがーーない。何故、一介の科学者があの秘匿アプリケーションの存在を知っているのか、ということに僕は驚いた。
「その顔は、知っているな、ブレイン・バーストを」
「あ……知っています」
「そうだろうな、有田春雪、いや……シルバー・クロウ」
「な……んで……!?」
僕は、開いた口が塞がらなかった。なぜ、僕のもう一つの姿を知っているんだ? まさかこいつはバーストリンカーか? だが、バーストリンカーには制約がある。それは生まれたときからニューロリンカーを装着しなくてはいけないという条件だ。ニューロリンカーを生まれたときから装着できるのはせいぜいティーンエイジャーくらいだ。から、目の前にいる男、和人先生はバーストリンカーのはずがない。だけど――なぜ僕の名前を知っているんだ?
だが、少なくとも、ブレイン・バーストの関係者であるとはいえる。僕のリアルを調べて何をするつもりだろうか。警戒を強めて和人先生を見る。和人先生は苦笑して喋った。
「まあそう警戒するな。なんで俺がブレイン・バーストの存在を知っているのか、なんで俺がお前のアバター名まで知っているか、そしてなんでお前のリアルを知っているか、教えるよ。それはな、俺が開発者だからだ、ブレイン・バーストの」
「――――!?」
そんなバカな。彼がブレイン・バーストの開発者だというのか。あの、有名な科学者の和人先生が、開発者なのか? にわかには信じられない。僕の知る開発者は、加速世界で出会った最強の剣士だ。そのリアルが彼だというのか。
「驚いたろ? まあにわかには信じられないだろうけどな」
「え、ええ。正直信じられませんよ」
「だろうな。じゃあなんか俺に質問してみろよ」
ずいぶんと挑戦的だ。だったらそれに乗ってやる。
「そうか……。じゃあ聞きますよ。あなたのアバター名は何です?」
和人先生はにやりとしてこたえた。
「キリトだ」
――やるな。だが、まだまだそれだけじゃ足らないぞ。
「じゃあ、武器は何ですか?」
「片手剣と、二刀流だ」
――本物かもしれない、でもまだまだ確証には至れないな。
「じ、じゃあ僕と戦ったのは何回だ?」
「二回だ」
――次で最後にしておくか。
「え、えーとあなたの得意技は何ですか?」
「スターバーストストリーム」
「……本物ですね」
「ふう、ようやく信じてもらえたぜ。良かったよ」
まったく驚いた。ブレイン・バーストの開発者がこんなに近くにいたなんて。でも……驚きとは別の感情が生まれ始める。
「しかし……ブレイン・バーストの開発者がなぜこの梅郷中に来たんですか?」
あの世界であった開発者には普通に荒い言葉使いをしていたが、リアルではそういうわけにはいかない。それを察してくれているのか分からないが、和人先生は普通に質問に答える。
「それはお前がそこにいたからだ。開発者なら、リアルを割ることなんて簡単なんだ。何故ならブレイン・バーストのメイン・ビジュアライザーに記録されている脳のデータから個人情報を覗き込むことが出来るからだ。無論それはおいそれとやっていい行為じゃない。人のプライバシーと尊厳の侵害だからな。でもどうしても今日は君に会いたかったんだ。だから、許してくれないか」
和人先生はそういうと頭を下げた。自分のプライバシーに踏み込まれたことに関して怒りを抱いていない訳じゃないが、そこまで真摯な態度をとられるとなにも言えなくなってしまう。
「い、いいですよ。でも、僕にどんな話を?」
「そうだな……お前に、好きな人はいるか?」
「はい?」
和人先生はにやっと白い歯を見せて言った。僕はどくんと胸が鳴った。今僕は、数あるバーストリンカーの中でたった一人開発者と話をしているのだ。しかも、至極下らない話だ。あの世界で味わった、開発者に対する怒りが再燃し始める。
「だから……好きな人間はいるのかって話だよ」
「な、なんでそんな話を?」
「男同士なんだ、別にいいだろ」
なんなんだこのフリーダムな開発者は? 何かあるのか?
一応僕には好きというか憧れの存在はいる。だが、ここで真面目にいますというとめんどくさそうなので適当に答えることにする。
「いないです」
「……嘘だな」
「え?」
和人先生のバッサリとした言葉に僕は驚いた。実際図星だが、どうして見破られたのか。
「まあ、簡単な話だ。さっきも言ったように脳のデータから読み取ったんだよ。本来恋愛感情とかは余りデータとしては残らないんだが、余りに強い場合は、顕著に現れるんだ。だから今回は分かったんだ、お前に好きな人……いや、大切な人がいるってこと」
「…………」
好きな人、いや、大切な人というなら、あの人しかいない。僕はぐっと拳を握りしめる。
「で、いるのか?」
「ーー聞いて何になるんですか?」
「あくまでいうつもりはないんだな。だったら話を変えるよ。シルバー・クロウの回りに、大切な人はいるか?」
僕は、即答した。
「はい」
「どれくらいだ」
「皆です。僕と仲良くしてくれる、大切に思ってくれている人皆です」
僕には大切に思っている人がいる。ネガ・ネビュラスの皆、クラスメート、生徒会の人間、ニコやパドさん、アッシュさんに輪さん、加速世界で出会った仲間すべて、そして黒雪姫先輩は、僕の大切な人だ。
「その中で……もっとも大切な人間は?」
一体何を僕から聞き出したいのだろうか。詮索を続けるが、まるで分からない。もう考えるだけ無駄だ。僕は素直に質問に答えようとする。
だが、答えをいうべきか踏みとどまった。答えは出ている。だが、それを学校という場所で言っていいのか? 開発者の下らない意図によって振り回された先輩の名前を、この男に言っていいのか?
でも、訴えたいとは思った。先輩がどんなに苦しい思いをして来たか、どのくらいブレイン・バーストに捧げたのか、下らない意図を知るために戦い続けた先輩がどれだけ戦ってきたか、全てを伝えてやりたい。
「黒雪姫……いえ、ブラック・ロータスです」
久々に呟いたこの名前。冷酷で残忍で屈強なアバター名。誰もが《絶対切断》と畏怖し恐れ、忌み嫌われ、底辺の僕を救い、愛してくれた人の名前を僕は言った。
和人先生はそれを聞くと、やっぱりなと呟いた。
「やっぱりな。お前はそういうと思ってた。何故なら、君たち二人には、特別な感情が生まれていたからだ。《親》と《子》の関係以上のものがな」
和人先生は笑いながら話した。だが僕は……笑わなかった。和人先生は僕の顔を見て、笑顔を引っ込める。
「なあ、何か言いたいことがあるならいってくれ」
「…………ならいいます。貴方は、なぜ先輩の、レベル10への夢を奪ったんですか?」
「……どういうことだ」
「貴方は……ゲーム内でブレイン・バーストの存在理由を教えてくれました。でも、それは余りに自分勝手だ。仮にそういった理由だとしても……なぜ、なぜ……先輩、いえ、他のバーストリンカーたちを永久退場させるんですか!? なぜ……もう一度チャンスをくれないんですか!?」
僕の必死の訴えに、和人先生は目を瞑って受け止める。先輩は今、どんな気持ちだろうか。楽なのだろうか、それとも苦しんでいるだろうか。でも、どちらにせよ……僕は納得がいかない。
「ゲームは、仮想空間じゃなく、現実だからだ。現実では一度死んだら、終わり。それを再現というか、取り入れたんだ。決して遊びなんかじゃないんだ。ブレイン・バーストは」
取り入れた……? 再現した……?つまりこういうことなのか?
プレイヤーの思いは、どうでもいい。
ふざけるな。
僕は、怒りで頭が灼けてきた。押さえられない激情の洪水がどばっと口から流れ出す。
「……自己満足も大概にしてくださいよ。貴方はそうやって、皆を苦しめたんだ! 全バーストリンカーの全てを自己満足で壊したんです!! ーーそれにたかがゲームじゃないか! ゲームオーバーが来たら終わりですか!? ゲームオーバー=死なんて……そんなの遊びじゃない!」
「ああそうさ。先人の言葉にな、こんなのがあるんだ。゛これはゲームであって遊びではない゛。これはな、こういうことを意味しているんだ。仮想世界は仮想世界にとどまらず、現実でもある、と。俺はこの人物を尊敬してた。この人物の作った仮想空間を越えるものはないと思っている。だから俺はそれを目指してこの世界を作ったんだ。遊びじゃない、ゲームを。自己満足と言われようと構わない。それくらいの覚悟がないといけないんだ」
ふざけるなと叫ぼうとした。だが、僕はなにも言えなかった。彼は夢を追求していたのだ。僕は今それを否定しようとしている。今、他人の夢を否定しないでくれと言った自分が、和人先生の夢を否定している。矛盾だ。だからなにも言えなかった。
黙りこくった僕を見て、和人先生はふうっと息をついて穏やかな声で再び語り始めた。
「でも……お前のいう通りな部分もあるんだよな」
「え……?」
急に静かな声で言われたので僕は少し肩を跳ねさせて驚いた。
「これはゲームでなく遊びではないっていうのが通用するわけがないんだ。それに、俺の実験のために現実を犠牲にしてまで付き合わせてしまったんだ。文句は言えないさ」
彼のしたことは、悪く言えば、加速能力という物で釣って、その中で身も削るような思いをさせてまで、自身の理想の仮想空間を実現させたということになる。
「そして俺はこの《ブレイン・バースト》を商品化しようとまで思った。今までにない、ハイクオリティな、それも現実と化した仮想空間をな 。でも、結局は失敗だ。不安定なシステムが成り立っている上に、争いが起こり、人は悲しみ、見返りはない。こんなの、商品として認められるはずがないんだ」
和人先生はふっと自虐的に笑う。ちょっと責めすぎたかと僕は反省した。
「すみませんでした。ちょっと言い過ぎました」
「謝ることはないよ。むしろ俺が謝らなきゃいけない。で、その詫びとしてなんだけど」
「はい?」
不意に和人先生はニヤリと笑った。僕は訝しげに尋ねる。
「ま、本当は君がレベル10になったご褒美としてやりたかったけど、名目は変更だな。これだ」
すっと和人先生のバッグから、リング上の何かが取り出された。僕はそれをまじまじと見る。
「これはニューロリンカー……?」
「そうだ。この中に、ブレイン・バーストがインストールされている」
なるほど。きっと和人先生のニューロリンカーか。だが、これでどうするのだろうか。正直、まだ疑心暗鬼な状態だ。
「それで、僕は何をすればいいんですか?」
「簡単なことだ。今から黒雪姫さんを呼び出す。そのあと、黒雪姫さんがこのニューロリンカーを使ってブレイン・バーストを起動して、そのあと君が入るんだ。そのあとは二人で話してこい」
「ちょ、ちょ、ちょっとまってください! ブレイン・バーストを強制アンインストールされたら、もう二度とブレイン・バーストは使えないんじゃ……?」
「一時的に解除させてもらったんだ。このニューロリンカーで遠隔操作ができるからな」
「へ、へえ……」
「ま、俺に出来るのはこれくらいだ。あとは君が決めろ」
「え? き、決めるって何を?」
僕が問いかけると、和人先生はこめかみに手を添えてため息をついた。
「決まってるだろ? 彼女の記憶を取り戻すか否かだ」
「えーーーー」
重要な選択だと思う。下手すれば先輩の人生を決めてしまいかねないものだ。加速世界のすべての記憶を消し去って平穏な生活を送るか、全てを取り戻して過去の良くも辛くもいろいろあった記憶を取り戻すか。
どちらの方が本人にとって幸せなのだろうか。記憶をなくした人物の一人、能美征二はものすごく爽やかな男になっていた。黒雪姫先輩は凛々しく、無理をしていなかった。やはり、記憶をなくしたままでいいのだろうか。そもそも記憶を取り戻せるのか?
僕は疑問を投げ掛ける。
「あの……記憶を取り戻すことは可能なんですか?」
和人先生はすぐに首を縦に降った。
「可能だ。ブレイン・バーストの記憶消去は完璧ではなく、断片的に残ってしまうものなんだ。裏を返せば、記憶に直結する事象が起これば、記憶が戻る可能性がある。また、その断片的な記憶を放置していると、時々フラッシュバックを起こし、一生苛まれることになる。ただ、記憶を戻したところで、彼女はそれなりに辛い思いをすると思うけどな」
「…………!」
一生フラッシュバックが起こるとしたら、先輩は一生苦しむことになるだろう。一体どうしてこうなっているのか、ここはどこか、全く分からないままだ。しかも永遠に解にたどり着けない。そんなのは、僕は嫌だ。そんな目にはあってほしくない。
記憶が戻っても辛い思いをするというが……前者の方がよっぽど辛い。誰もそばにいてくれない先輩はすぐに倒れてしまう。だったら……僕が支えてやりたい。決意は出来た。
「それで……どうするんだ? 行くか? 行かないか?」
答えは、決まっていた。僕ははっきりと口にした。
「行く、やります」
「よし、彼女を呼んでくるからな、待ってろよ」
「はい
僕は先生がドアから出ていったのを確認し、ニューロリンカーを起動する。ブレイン・バーストのアプリに指でタップし生徒会室にてコマンドを叫んだ。
「バーストリンク!!」
誰よりも大切な人を縛る呪縛を解くための、最後の戦いが始まったーー。
ご都合主義満載な回でした。次回は最終回です。
では、感想などお待ちしております。