裏ビティさんが高校最後の年の出来事です。
死柄木内閣が誕生して二年目。
神代真一は、手元の書類を確認しながら、深いため息をついた。日本に対して、まだ手を出してくる国家が存在するとは、実に残念極まりない。 AFOが日本のトップに立った際、周辺国家への影響も、日本国内の混乱も最小限に抑えられていた。
それどころか、他国に利益すら与えていた。
AFOによる特権階級への若返りと難病治療。ドクターの医療技術と個性治験による再生医療は、世界の上流層にとって福音だった。
そんな中、神代のもとに届いた報告書には、アメリカが世界の覇権を手放さぬため、日本国内のトップヒーローたちの引き抜きを本格化していると記されていた。もちろん、法治国家として移籍は自由だ。
実際、他国から日本にやってきた強個性持ちも多数いる。AFOに貢献すれば、将来安泰どころか、得られる利益は計り知れない。だからこそ、他国が日本の強個性を引き抜いても文句は言えない……筈だった。
「だが、裏ビティさんはダメですね。アメリカが彼女を欲しがるのは分かります。スターアンドストライプと引き分けた実力者ですから。その二人にアメリカ合衆国が全力でサポートをつけるとなれば、さすがに困ります。それに、裏ビティさんは――色々と知りすぎた」
淫靡な効果音と甘い体臭が充満するホテルの一室。その報告書を持ってきたラグドールは、神代の上で産まれたままの姿で腰を振っていた。サーチによる監視に加え、神代の個性で裏ビティは逃げられない。いや、逃がさない。
「裏ビティさんも大変だニャン。今や世界最強に王手をかける女として、注目の的だよね。彼女と接触したアメリカのエージェントも視ておいたから、サーチ済みだよ」
「流石、ラグドールさん。裏ビティさんの方は、私が直接説得しましょう。今回、アメリカは本腰を入れたようなので、こちらも本気を出さねば失礼というものです」
アメリカ合衆国が裏ビティに提示した移籍条件は、破格だった。
AFOとも繋がり、日本政府の重鎮たちとも繋がっている彼女がアメリカに渡れば、様々な内部情報が漏洩する。だからこそ、アメリカは本気だった。だが、その反面、日本だって本気になる。彼女はすでに――生きて日本を裏切ることはできない。
裏ビティとその家族に対して、アメリカ合衆国は新たな国籍と身分を保証。政府支払い限度無しのクレジットカード、強個性持ちのSPによる24時間護衛。さらに、スターアンドストライプと同様の軍事特権を裏ビティに与えるとまで言い切った。そして、裏ビティの彼氏である無個性の緑谷を、アメリカでスーパーヒーローにすると約束。世界各国で進められている外付け機械による強化や個性譲渡・複製の研究――その被験者第一号にするという話だった。
「神代君ってベッドヤクザだけど、実際殴り合いも強いの?裏ビティさんって、実戦経験はかなり積んでるし、今は殺しの経験もあって躊躇しないわよ」
「致命傷で死ぬなら、殺せますよ。そもそも考えてください。H・EROアカデミアにいる連中をまとめています。そんな私が弱いと思いますか?いいですか、暴力には暴力で対抗するんです。個性無しでなら、私は組織No.2ですよ」
「そうなのね。じゃあ、No.1って誰なの?」
「私の父ですよ。組織の長は、最強である必要がありますから。個性有りでは、順位は変わりますけどね」
神代真一は、反抗心を持つ裏ビティと“平和的な話し合い”をするため、準備を始めた。
………
……
…
首輪をつけられた犬と言っても過言ではない状態の裏ビティ。だが、今の生活は充実している。二重生活という一点を除けば、何一つ不自由はない。その平和を維持するため、彼女は日夜胃痛に悩まされている――些細な問題だ。
そんな中、裏ビティに命がけで接触してきたアメリカのエージェント。AFO、日本政府、H・EROアカデミアを裏切ってタダで済むとは、裏ビティも思っていない。彼らは、裏切りを絶対に許さない連中だ。最悪、日本VSアメリカの戦争が勃発する。その引き金が裏ビティとなれば、間違いなく歴史の教科書に載るだろう。
「でも、ちょっとだけ……待遇改善の交渉材料になるなら。アメリカの話に乗ったふりして、神代君から譲歩を引き出すくらいならいいよね。多分、神代君の個性なら私の心の内も読めるだろうから、大ごとにはならないよね」
嘗ての学生気分。
確かに、裏ビティさんは高校三年生だ。だが、今の社会では“学生だから許される”などという幻想は通じない。裏の世界の住人であり、AFOの最側近にして世界No.2の女の発言とは思えない。
この状況を同級生の爆豪が聞いていたならば、間違いなくこう言っただろう。「寝言は寝てから言いやがれ!!」と。
………
……
…
夜の横浜、人気のない倉庫街。
今は使われていない倉庫の一角に、裏ビティが腕を組んで立っていた。その隣には、警戒を強めるアメリカのエージェント。彼は、裏ビティの一挙手一投足を監視していた。
そこへ、神代真一が手土産を携えて現れる。倉庫の扉を開けた瞬間、空気が張り詰める。
交渉というよりも、尋問に近い緊張感が漂っていた。
「いけませんね。こんな夜更けに異性を人気のない場所に呼びつけるなんて。日本女性の貞操概念はどうなっているんですか? 緑谷君に悪いとは思わないんですかね?」
『裏ビティ。彼も亡命希望者ですか? 聞いていた話と違います』
「いいえ、彼は違います。ただの知り合いです……神代君、私が言いたいこと、分かりますよね?」
裏ビティは、堂々と要求を突きつける。
「待遇改善を求めます!! 完全週休二日制! 有給は当日申請でも受け付けて!あと、女子供の殺害は勘弁してよ。敵対者だからって容赦なさすぎだってば。それから、できれば実家の建築会社の株を手放して! 経営権を握られてるのは、正直つらいんだって!以上の要求を呑めないなら、アメリカに移籍します!!」
その世迷い言に、神代は冷静かつ冷酷に応じる。神代は、エージェントの方を見る。
「アメリカのエージェント……CIA所属、コードネームは“スペクター”。個性はフェイズアウト。一定時間、物理的・視覚的に存在を消すことができる。壁抜けはできないが、センサーでも発見不可能。透過系の個性に近いですね。潜入任務には最適でしょう」
『そこまで初見で見抜けるとは……裏ビティさんが、わざわざ呼び出しただけのことはあります。彼の個性で我々の真偽を探られたと見ていいのですね。情報特化型の個性持ちなら、彼も好待遇で迎え入れることが可能です』
CIA側は、裏ビティが寝返る可能性を半々と見ていた。世界の覇権を再びアメリカが握るためには、彼女の確保は絶対条件。だからこそ、粘り強く交渉を続ける。
「で、神代君。私の待遇の件だけど、答えを聞かせてよ。もう、視たんだから分かるでしょう?結構本気の交渉なんだからね」
神代は、静かに頷く。そして、手土産を差し出す。
「じゃあ、答えを教えてあげるよ。その前に、手土産を見てね」
彼が持参していた真っ赤な麻袋を、裏ビティの足元へと投げる。袋は床を転がり、地面に赤い線を描く。
裏ビティは、その匂いで中身に気づく――これは、血だ。しかも新しい。いや、麻袋だと思っていたそれは、何かが違っていた。人間の顔の皮を丁寧に縫い合わせて作られた“袋”。
中には、眼球が四つ――明らかに人間のものが入っていた。
「……じょ、冗談きついな〜。か、神代君。ねぇ、気のせいじゃなかったらさ……父ちゃん、母ちゃんの顔しとるやん」
『裏ビティさんのご家族には、我々エージェントの護衛がついています。フェイクです!ありえません!』
裏ビティは、必死にガラケーで家族へ電話をかける。だが、すぐ近くでスマホのバイブ音が鳴る。
神代がポケットからスマホを取り出し、通話ボタンを押す。
「こんな近くにいるのに電話で話すなんて、悲しいですね。私と裏ビティさんの仲じゃありませんか。……いいですか、一度だけ言います。あなたの父親と母親は、“まだ”生きています」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーー!」
裏ビティの感情が爆発する。
怒りで我を忘れ、アーマード裏ビティを展開。完全に神代を殺す気で間合いを詰める。彼女の個性は、触れさえすれば勝利確定。相手を地球から追い出すことすら可能。
当然、神代の外付け武器では、今の裏ビティを止めることはできない。だが、神代はすでに準備済みだった。
「OFAフルカウル85%!『筋肉増強』『硬化』『ツインインパクト』! デトロイト・スマーーーッシュ!!」
AFOから一時的に借り受けたOFA。
裏ビティが緑谷から回収してAFOに売り渡した個性の一つ。神代の鍛え上げた肉体に適合し、常時85%まで適用可能。オールマイトのような化け物ではないが、他の個性による補助で理論限界に近い出力を実現していた。
怒りで思考が埋まった裏ビティの攻撃を回避し、殺人的な一撃を腹部に叩き込む。アーマーの防御シールドが何枚も砕け、天井を突き抜けて打ち上げられる。 その衝撃波で倉庫街に大きな震動が走る。
そして、ツインインパクトが二撃目を自動発動。一撃目より重いダメージが、同じ箇所に炸裂する。
十数秒後、裏ビティは元の場所に落下。受け身すら取れず、原型を留めているのが奇跡だった。高性能アーマーのおかげで、まだ生きている。
「殺す気で殴ったのですが、意識があるとは……流石ですね、裏ビティさん。あ、エージェントさん。申し訳ありませんが、彼女は渡しません。これからも活躍していただかないといけないので」
エージェントは目の前の光景に言葉を失う。スターアンドストライプと引き分けた女が、一撃で沈められた。
『今の威力……まさか、オールマイトの血筋!? それならば、最高待遇でアメリカに――』
「……無理でしょう。内心分かっているのに、気づかないふりをしている。一緒にアメリカに行くつもりなら、ここで彼女をボコボコにする理由はない。アメリカは、裏ビティさんの策謀にはまり、大きな痛手を負うことになります。さようなら、エージェント」
エージェントは咄嗟に個性を発動して逃げようとする。
だが、時すでに遅し。彼の心臓をナイフが貫く。
プロのエージェントにすら気配を悟られないほどの暗殺術。透明化であらゆるセンサーから身を隠せる女――葉隠透。雄英高校を中退し、死に物狂いで身につけた技術だった。
「エージェントは彼で最後です。……裏ビティさん、我々はもう子供ではない。あなたの軽率な行動が、どれほどの被害を生むか――それを考えて動くべきです」
神代の声は冷静だったが、そこには明確な怒りと失望が滲んでいた。
彼は、裏ビティに二つの選択肢を提示する。
「我々を裏切り、脳無に改造されて好きなように扱われるか。それとも、再び我々の手を取り、明るい未来を目指すか。ちなみに、その顔の皮はトゥワイスさんの個性で“増やした”あなたの両親です。スマホも、デッドコピー品で本物ではありません」
裏ビティは返事をしようにも、肺が潰れて咳き込むばかりだった。
その様子を見かねて、近くで待機していた癒月静が静かに歩み寄り、治癒を始める。彼女の個性は、触れた対象の損傷を穏やかに修復する。裏ビティの潰れかけた肺、裂けた筋繊維、砕けた骨――それらが、ゆっくりと再生していく。
呼吸が戻り、顔色が少しずつ回復する。涙と血にまみれながら、裏ビティは震える声で言葉を絞り出した。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
神代真一は、無表情のまま頷いた。
「はい。よくできました。我々は人間なのですから、不満があるなら、直接言えばいい。
こうして変な状況を作って交渉するなど、愚策です。私はこれでも、裏ビティさんとは良好な関係を築けていると思っていました。だからこそ、今回の一件は非常に残念です」
神代にとって、組織の上に立つ者とは、感情ではなく構造で動く存在だ。
不満があるなら、まずは言葉にする。それが通るかは別として、言葉にされれば改善の余地はある。だが、裏ビティは“策”を選んだ。
その代償が、今の惨状だった。
癒月が治癒を終え、そっと裏ビティの肩に手を置く。
「もう大丈夫。あなたは、まだ戻れる。でも、次はないよ。次に同じことをしたら、私は治さないかもしれない」
裏ビティは、涙を拭いながら小さく頷いた。その姿は、“世界最強の女に最も近い者”と呼ばれた者とは思えないほど、脆く、儚かった。
神代は、裏ビティに近寄り、静かに告げる。
「アメリカが太平洋沖に展開している原子力潜水艦、第七艦隊を壊滅させ、スターアンドストライプを持ち帰ることで、今回の罪を清算とします。ご安心ください。貴方の身体を修理するための個性も借り受けてきています。元々、死んでも直すつもりでいたので、ちょっと痛いですが我慢してくださいね。分解して、再構築しますから」
神代の手が裏ビティに触れた瞬間、彼女の身体はバラバラに分解され、再構築された。一瞬の出来事だった。激痛を感じたと思ったら、何もなかったかのように身体が完璧に戻っていた。
そして、神代はおまけで“処女”まで再生しておくという、謎のサービス精神を発揮していた。
まさに紳士だった。
「わ、私……頑張る!! だから、家族には手を出さんといて」
「だったら、やることは分かりますよね?アメリカ合衆国に寝返ったと見せかけて、壊滅させてください。できなければ、どんな手段を使ってでも、貴方を殺しに行きます」
神代の手の中には、一つのスイッチが握られていた。先ほど裏ビティを再構築した際、彼女の脳に小型の爆弾を埋め込んでいた。殺傷能力はほぼないが、脳内で爆発すれば無事では済まない。
保険は、常に用意しておくべきだ。
「はははは。ねぇ、神代論理次官……過去に戻る個性とかない?あるなら、過去に戻って自分を殴り倒して、無かったことにしたいんだけど」
「馬鹿言ってないで、働いてください。生きて、日本の地を再び踏むためにもね」
裏ビティは、オーバーホールで再生されたアーマーを纏い、太平洋へと飛び立つ。その日、アメリカは“最強の女”の座を日本に渡すことになった。
第七艦隊と原子力潜水艦は、アメリカ西海岸にまで吹き飛ばされ、沿岸部は壊滅。原子力潜水艦からは放射能が漏れ、人が住める場所ではなくなってしまった。
そして――アメリカ合衆国の歴史教科書には、怨敵・裏ビティの名が、未来永劫刻まれることになる。