プランB/楽園を探して   作:シャブモルヒネ

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ダーリンベイビーダーリン3

 

 昼と夜が入れ替わる夕暮れどきの時間帯。

 暗がりが忍び寄っていた。

 

 自然の静けさが心地よい――と安らぎを覚えることができたのは漂着した始めのうちだけだった。

 近代の人間は雑多な音や声のなかに居てこそ安心を覚えるようになっている。

 

 だからというわけではないけれど、デンジはラジカセをつけた。

 スピーカーからはとっくの昔にピークを過ぎたアイドルグループが愛さえあればどんな苦境も乗り越えられると声高に主張している。

 

 

「平気です」

 

 10歳のレゼは言った。

 生き物を殺すのは段階を踏んできた。

 始めは案山子を標的にして、次は動物。死刑囚。それからやりやすい順にステップアップを踏んでいく。

 だからもう慣れている。それでも直近の試験はキツかったかな、とレゼは零した。

 

「でも凹むのは最初だけ。周りのみんなも私と同じ試練を突破していますから。私より凹んでる子を見ると冷静になれるし、こんなの平気だ楽勝だぜって強がってる子を見るとその姿勢は見習わなきゃって思います」

「それってさ……なんかよ……なんか、ヘンじゃねえ?」

「変?」

「変っていうか……おかしいだろ」

「デンジさんはそう思うでしょうね」

 

 レゼはナイフを手に取って枯れ枝の皮を剥いていく。

 ささくれの形をした層をいくつも器用に増やしていった。

 

「これが私たちの普通なんですよ」

 

 焚きつけはあっという間に完成した。

 次は太い枝にナイフの刃を食いこませ縦に割く。細い薪を作っている。

 焚き火場に数本放り投げ、火打石にナイフを滑らせると火花が散った。焚きつけに火が点いた。

 

「普通なんて場所の数だけあるんです」

 

 子どものはずのレゼは言う。

 何でも自由に発言・発信してよい国もあれば、指導者を批判すると逮捕される国もある。

 幼児が一人で買い物をする様子を見守る番組が成立する国もあれば、女性が独り歩きして襲われたら女の方が悪いと罰を与える国もある。

 余所は余所、うちはうち。

 無い物ねだりをしてもしょうがない。

 

「ホントにそう思ってんの?」

「そこそこには。……あの、デンジさんって働いたことあります?」

「失礼だな。あるよ」

「キツい仕事を頼まれたり、終わったと思ったら追加がきたときって、うわぁ~って思いません? そういう時は前向きな言葉を口にするといいんです。「よーし何だかワクワクしてきたぞ~」みたいに。そうするとですね、本当に気持ちが上向くって心理学でも証明されてるんです」

「……あのよぉ、一個いいか?」

「何です?」

「デンジさん、は止めてくんねえ?」

「では、なんて?」

「デンジ君。あ、いや、デンジ」

「呼び捨てがいいんですか? そういうのは恋人にやってもらって下さい」

「…………そだね」

 

 とにかくですね、とレゼは呟きながら火に細い枝を放りこむ。

 

「明るく笑顔でいるのは大事って話です。私たちが世界平均的に見たら変でおかしいって言われる環境にいるのは知ってます。でもそれが普通って思っている最中はそれが普通なんです」

 

 だから平気なんです、とレゼは本当に平気そうな顔で呟いた。

 今のレゼは何歳だろう。

 デンジには聞く勇気が出なかった。

 また増えてしまっていたらタイムリミットが近付いていると思い知ることになる。

 それが一体いつなのか。

 彼女のトラウマが何なのか。

 想像だってしたくないし、掘り起こされるような目に彼女を遭わせたくないとデンジは思う。

 

「なンかねえのか。上手いやり方は」

 

 催眠状態を解くためにはトラウマの悪魔とやらを倒す必要がある。

 だがもう一つ、デンジは他の解決策を思いついていた。

 催眠術というものはたいてい認識と現実との矛盾点に気付けば解けるものだと相場が決まっている。

 

 ただワンアクション。

 レゼの首元のピンを抜いてしまえばいい。

 

 自分はもう既にボムガールになっていると、その適格者に選ばれる前のモルモットで戦士でエージェントだった段階はとうの昔に通り過ぎていると、そんな圧倒的な現実を見せつけてしまえば納得するしかないはずだ。

 しかしデンジは一抹の不安が拭えない。

 今のレゼの認知は危ういところがある。

 

「なあ、俺と今のレゼってどういう関係性なんだっけ? 俺たちはどうしてここに居る?」

「デンジさんが私を連れてきて、ここで暮らしてるんですよね」

「ここは無人島だよな?」

「そうですね」

「ソ連じゃないよな? 秘密の部屋? じゃないよな?」

「……はい」

「だったらさ、もう危ないことする必要ないじゃん? 逃げたんだから。ボムの適格者ってのに選ばれるために頑張る必要もねえ」

「泳がされてるだけですよ」

「へ?」

「どこかで監視員が見張っているんです。こういう特殊な状況に陥ったときにあのモルモットはどんな反応を示すのかって」

 

 そうきたか、とデンジは思う。

 

「ソ連に戻って忠誠心を示すのが正解でしょうね。あなたの首を引っ提げて」

「おいおい」

「もしくはあなたも仕掛け人か。始めは疑っていましたがそんな感じもなさそうです。私が見抜けていないだけかもしれませんけど」

「監視員、ね。仮に居たら俺が追い返してやるよ。俺はチェンソーマンだからな。その力がある」

 

 それに約束したんだ、とデンジは言い募る。

 世界の果てまでレゼを連れていく。

 そして二人で永遠に幸せに暮らすのだ、と――

 

「……。安心して下さい。あなたは殺しません。そもそも勝てませんからね。私はまだ死ぬわけにはいかない。何人も踏み台にしてきた。今さら失敗するわけにはいかない」

 

 ダメだこりゃ、とデンジは頭を掻いた。

 過去の認識が強すぎる。

 こんな状態のまま催眠を強制終了させて現実との齟齬を突きつけてしまったらどうなるか分からない。

 

 デンジは再び周囲に首を巡らせた。

 トラウマの悪魔はどこにいる?

 チェンソーの棘つきチェーンを思い切り伸ばしてぶん回せば命中したりしないだろうか。

 するわけない、とデンジは即座に否定した。

 狙いもつけずに攻撃して倒されるような雑魚なら昨日の時点でプロフェッショナル・レゼがとっくに撃退しているはずだ。

 焼き魚を齧るしかできない無力感にデンジが打ちひしがれていると、レゼが音もなく立ち上がった。

 トイレ? とデンジは聞く。

 答えない。

 暗がりを見つめて直立不動になっている。

 

「レゼ?」

 

 レゼの表情からは感情がすっかり抜け落ちていた。

 まるでマネキン人形のようで、一瞬他人になってしまったのではないかとデンジは錯覚した。

 知らないレゼは、デンジを見ない。

 記憶の向こう側にいる誰かに報告するようにこう告げた。

 

「私、ボムの適格者に選ばれました」

 

 その時、前触れなく焚き火の火が消えた。

 

「デンジさん。あなたがどうして私を誘拐したか、色々な可能性を考えてみました。でも分かりませんでした。もしかして本当に私を連れて逃げたかっただけなんでしょうか。だとしたら、とてもバカです。いくら武器人間だからってそんな生き方をしてたら命がいくつあっても足りません。もう少し賢くなった方がいいと思います。

 でも、ありがとう。

 もっと一緒に居たかったけど、私、平気です」

 

 

 ザザザザザザザ

 

 突然、ラジカセのスピーカーから砂利をぶちまるような凄まじいノイズ音が溢れでる。

 希望さえ捨てなければどんな闇も打ち払える、そんな主張を繰り返していたアイドルユニットの明るい歌声を塗りつぶし、ついにはブツンと断末魔をあげてスピーカーが沈黙してしまう。

 

 レゼはなんでもない証拠とでも言わんばかりに背を向ける。

 その手を握り、引き留めた。デンジにはそれしかできない。

 何とかなる、と心のどこかでデンジは思っていた。トラウマなんかにやられるレゼではないと。

 しかし押し寄せてくる破滅への予感はあまりにも暴力的だった。

 

「平気です。私は大人。苦い薬だって飲めるし、注射も平気。だから手術も大丈夫……」

 

 レゼを強引に振り向かせる。

 正気に戻れとか、そんな役に立たない言葉を吐き出そうとして、

 

「レ、……」

 

 できなかった。

 顔が、

 野犬に追いつめられた野鼠のように怯えていた。

 

「繋いだ手は、離すけど……さよならは言わなくていい?」

 

 それでもレゼはどうにか口角を上げてみせた。

 平気、平気、と。

 私は強いから、と息を荒げながら。

 

「――畜生ッ!」

 

 デンジは耐えきれなくなってレゼの首元のピンに指をかけた。

 一瞬の躊躇、

 思いきり引き抜いた。

 

 

 ボンッ

 

 

 間近でレゼの頭部が爆発する。

 飛び散る火の粉、吹きつける熱風。火傷を負いながらもデンジは目を逸らさない。

 何度も見た変身。

 失われた頭部が金属に覆われていき光沢のある表面に自身が映る。

 ボムガールの顔がデンジに向けられて、鋭い牙がゆっくりと動く。

 声を発した。

 

「あれ、デンジ()()……?」

 

 瞬間、デンジは額をぶつけるほどに抱きしめた。

 僥倖だった。

 レゼの時間が本来のそれに戻っている。

 何故――?

 

――そうだ、頭だ! 頭が吹っ飛んだからそこに掛かっていた催眠も解けたんだ!

 

 それは正しい理解であった。

 意味の無い理解でもある。

 

「うぅ……?」

 

 意識不明瞭な戸惑いが少女の口から漏れていた。

 どろり、とデンジの目の前でボムの金属頭が溶け始める。

 変身が解除され、小さな人間の頭が現れる。

 虚ろな瞳が宙を彷徨った。

 

「デンジ()()……? どうして、ここに……」

 

「な……また催眠~!? なんでだよ!? レゼ! 聞こえるか!? 正気に戻れ! 戻れ戻れ戻れっ!」

 

 風が吹く。

 夜の暗がりに染められた山々から吹き降りて、まだ暖かなオレンジ色に照らされる浜辺の暖かさを追いやろうとする。

 明けない夜はないように、暮れない昼もないのだと、一つの終わりを告げていた。

 その声は山からやってきた。

 

『ヒヒヒ……。一度やり過ごせた体験は……二度目も耐えられるはずだった……』

 

 宙空に声が鳴り響く。

 

『この女は強かった……。正直付け入る隙がなかったのさぁ……』

「なんだァ……? てめえがトラウマの悪魔か!」

『そうさぁ~!』

 

 デンジは当てずっぽうに走り出す。

 広い浜辺。身を躍らせるが僅かな直感はすぐに消えてしまう。

 両腕を振り回して敵の姿を求めた。

 しかし、誰も居ない。

 誰も居ない。

 

『なぁ~~、デンジくぅ~ん? オマエには感謝してんだよぉ~? なんせ! この女をわざわざ弱くしてくれたんだからなぁ~! そう、お前がだぁ~!』

 

 レゼが、

 震える瞳が、デンジを映した。

 

「……デンジ……お兄ちゃん……?」

 

 ずっと欲しかった宝物を思いがけず見つけてしまったかのような目つきだった。

 レゼの時間はこの数秒でどれだけ進んでいるのだろう。その顔は、遠い昔に生き別れたはずの男を見た驚愕に覆われていた。

 

 かつて自分を攫って南の島でいっしょに遊んだ男。

 水かけごっこに、鬼ごっこ、砂のお城――

 仕舞いこんでいた想い出が暖かな記憶とともに滂沱の勢いで蘇り、少女の“今”をどうしようもなく緩ませていく。

 それはここ一番の窮地に垂れ下がってきた蜘蛛の糸に他ならなかった。

 誰だって手を伸ばすだろう。

 それが例え人生の全てを強くあるために捧げた少女であったとしても。

 

『お前という逃げ道がぁ! この女を弱くするぅ~!』

 

 唖然としていた少女の顔がくしゃりと歪む。涙がにじむ。

 少女は身を捩る。

 直立したまま動けない。

 まるで拘束台に固定されているかのように身体も足も曲がらずに、頭の向きさえ留められて、ただ手首から先だけを懸命に動かした。

 拳が強く強く握られて一筋の血が垂れ落ちていく。

 少女の唇がかすかに動き、喉が引きつれた音を立てた。

 いや……だ、と。

 熱に浮かされるように呟いたらしい。

 

 

 ――私の心臓、とられたくない。

 悪魔なんかになりたくない。

 人間のままでいたい……!

 Яне хочу(いや)! Яне хочу(いや)! Яне хочу(いや)

 助けて、お兄ちゃん――!

 

 

『……美しいねぇ~。張りつめていた精神がぷつんと音を立てて一気に崩れていく様はぁ……。最高にぃ! 芸術だねぇ~~!』

 

 デンジは、思う。

 死ぬのは怖くない。

 痛いのは嫌だが、怪我をするのも死ぬのも怖くない。

 それは自分が死なない生き物だからではない。

 ただ生という実感を持てなかった。

 それがどんなに大事なものかという体験をしてこなかったから、誰が死んでも泣けないし、凹むことがあってもすぐに忘れる。

 自分はそういう人間なんだと思っていた。

 じゃあこの怒りはなんだ?

 自分が何に怒っているのかは分からない。分からないが、分からなくても許せないことはある。

 

「悪魔がよお~……大人がよお~……」

 

 激情の奔流に身を任せ、思いきりスターターを引っ張った。

 

「六歳の! 七歳の! 八歳九歳十歳の……ガキをよおおッ! 泣かしてんじゃああねえええ!!」

 

 トラウマの悪魔はせせら笑う。

 

『無理無駄無謀……。オマエには何もできやしない……』

 

 チェンソーマンは何匹もの悪魔を葬ってきた回転刃を振り回す。

 だが今は虚しく大気を掻き混ぜるのみだった。

 見えない相手が斬れるはずがない。

 悪魔は透明になったまま背を向けた。

 今の標的であるボムの少女に集中するために、その巨大な単眼を標的に向ける。

 にたり、とほくそ笑む。

 

 さあお楽しみはこれからだ。トラウマを的確に抉りだそう。

 加工して、捏造し、より陰惨な悪夢へと仕立て上げ、瞼を固定して直視させ繰り返し何度も体験させるのだ。

 人間である最後の証明の喪失を、悪魔となり果てて世界中のどんな場所にある普通にも入れてもらえなくなる恐怖を、これまでの人生何一つ平気ではなかったという現実を!

 

 

 ビチャッ

 ビチャチャッ

 

 

 粘質の音だった。

 何かが、落ちた音。

 液体ではない柔らかな固形の何かがすぐ後ろで落ちた。

 

 トラウマの悪魔は振り返る。

 そこに、

 信じがたいものを見た。 

 

 

 ヴヴヴヴヴ

 

 

 振動が大気を叩いている。

 悪魔の脈動が彼の血管にガソリンを流しこんでいる。

 夕暮れの眩い光が照らす浜辺の真ん中に、眉間から凶器を生やした少年が立っている。

 チェンソーマン。

 その血肉を切り裂くチェンソーが、今は自身の頭部を斬っていた。

 

『は…………はぁ?』

 

 金属頭を深く切り裂いて、隙間から血飛沫が飛び散っている。硬い頭蓋骨の破片も、柔らかな脳みそも。

 

「テメエにはあああ感謝してててんだぜぜぜぜ~! いい夢見せてててくれたからなああああ~!?」

『はぁ~!? な、何してんだぁ~、オマエぇ~!?』

「分かんねえのかバァーーカ! 頭バグっちまえばよおお! 催眠なんて効かねえだろおお!?」

『――はっ!?』

 

 悪魔はたたらを踏んで戦慄いた。

 チェンソーマンの光る両の目がぴたりと寸分の狂いなくトラウマの悪魔を捉えている。

 認識できないはずの実体が見えていた。

 

「だからテメエはぁ! 情状しゃくりょおおの余地ありでえええ~! 死刑死刑死刑死刑死刑死刑死刑だああああーッ!!」

『く、来るなぁ~!? ……さ、催眠ッ!』

「催眠解除ぉーー!」

『催眠んん~!!』

「解除解除解除ぉーー!」

『うおわああああ!?』

 

 ゆっくりと確実に歩み寄ってくるチェンソーマンが不吉な音を打ち鳴らす。

 全ての悪魔を切り裂く皆殺しの交響曲。

 トラウマの悪魔は両の手をパンッと打ち鳴らす。

 

『なっ舐めるなぁ~!』

 

 単眼を限界まで見開いた。

 

『この俺にぃ~! 堕とせなかった奴はいなぁい! 全力全開ぃ! 100%の催眠だぁ~!』

 

 悪魔は後先構わず全ての力を目の前の男に集中させた。不可視の波動でチェンソーマンを包みこむ。

 びくん、とチェンソーマンが震えた。

 歩みが止まる。

 がくりと砂浜に膝をつく。

 

『や、やったか……?』

 

 チェンソーマンは動かない。

 頭部にチェンソーを突き立てたまま夢うつつになっている。

 

『あ、危ないところだった……』

 

 トラウマの悪魔は心底安堵した。

 どうにかあの男のバグった頭に催眠をかけることができた。

 しかし、ぎりぎりの綱渡りであることも理解していた。

 感触で分かる。少しでも能力を緩めれば催眠が解けてしまう。

 だからあの負傷した脳みそを少しでも正常な状態に戻そうと、チェンソーマンに一歩近付いた。

 その時、チェンソーマンが意識不明瞭のまま呟いた。

 

「俺たちは……最強の黄金コンビだぜ……」

 

 

 ピィン――

 

 

 甲高い、金属音。

 トラウマの悪魔は、見た。

 浜辺に一人の女が立っていた。

 相棒を――自身の頭にチェンソーを食いこませている相棒を一瞥し、確かな意思を滲ませて呟いた。

 

「状況は不明瞭……けどあなたがムカつくヤツって事だけは分かった」

 

 その女の右手には一片のピンが摘ままれていた。

 爆弾の起動を妨げるためのセーフティピン・アッセンブル。

 たった今、砂浜に投げ捨てられた。

 

「私たちの邪魔をしてるから、殺すね」

 

 

 ボンッ

 

 

 血煙を、まとわせて――

 音もなく、人型の火薬庫が出来ていく。

 導火線が身体を伝い、細胞には爆薬が満ちてくる。

 刃物ならば、加減ができる。

 銃器ならば、急所を外せる。

 だが、爆弾には手心を加える余地がない。

 完成された死への手続き。男も女も老いも若きも、無機物ですら一切合切容赦しない、破壊の権化――ボムガールが現れる。

 

『うっうおおぉぉ!? ま、またかよぉ~!? さっ催み――』

 

 できない。

 女にかければ男が再起動してしまう。

 あるいは死に物狂いで能力を奮えば両者ともに封じ込めることができるかもしれない――そんなありもしない希望に縋って悪魔は覚悟を決めた。

 単眼を血走らせ魂の底から活力を滾らせる。

 しかし、その前に、

 

 手刀だった。

 

 レゼは即座に自らの首を斬り落とす。

 それでも身体はおかまいなしに動いている。

 分離した頭部の口内に指を突っこんで、掴み上げ、足を開いて地を噛んで、ぐるりと腰を回転させながら振りかぶる。

 

『ああああ頭ァ~!?』

 

 ボムの爆弾頭が投げつけられる。

 トラウマの悪魔の眼前に死が迫る。

 引き延ばされた時間の中で、悪魔は怯みながらも一筋の勝機を見いだしていた。

 

 これは、チャンスだ。

 避けてしまえば時間を稼げる。

 女が再生する前に男により深い催眠をかけてしまい、その後にまた女に催眠をかけ直せばいい。

 

 避けろ! 避けろ! 避けろ!

 

 衝撃、

 閃光が夕暮れの海岸を染めあげる。

 耳を聾する炸裂音が湿った大気を吹き飛ばし、振動で砂煙が巻き上がる。

 薄い煙がぶわりと広がった。

 

『ひ、ひィ……ひぁぁ……』

 

 不明瞭な視界の中でトラウマの悪魔は痛みに耐えていた。

 どうにか生き延びている。

 しかし脚は吹き飛んでしまっていた。

 

『危な、かった……』

 

 だが、生きている。

 トラウマの悪魔がここまで追い詰められたのは初めてだった。

 これまでは催眠をかけてしまえばどんな相手でも意のままに玩具にすることができた。

 しかし今回は違った。

 運が悪ければ死んでいた――そう安堵の息をついていると、砂の霧の中からぬるりと人影が現れた。

 

『あええ!? もう復活したぁ!? バカな早すぎる――はあっ!?』

 

 その生き物には、頭がなかった。

 首から下だけの人間の身体。

 死体のはずである。

 しかし一歩、一歩とその死体は砂を踏みしめてにじり寄ってくる。

 目も無いのに正確に、トラウマの悪魔を目指して歩みを進めてくる。

 トラウマの悪魔には逃げるための足がもう無い。

 

『さっ催眠! 催眠!』

 

 女の歩みは止まらない。

 当たり前だ。催眠がかかる脳みそ自体が無いのだから。

 チェンソーマンの窮状からダイイングメッセージを正確に読み取ったボムガールの対策だった。

 

『う、う、あああ!? ばっ、来るな! 何なんだお前はぁ~!?』

 

 自動追跡爆弾が距離を詰めてくる。

 その遅々とした歩みは死のカウントダウンに他ならない。

 トラウマの悪魔は砂まみれに這いながら必死に叫ぶ。

 

『催眠! 催眠!』

 

 効かない。

 

『催眠~っ! 催眠んんん~~っ!!』

 

 効くわけがない。

 けして届かない希望と自身でも知りながら足掻き続けるしかないこの状況は悪魔にとってすら悪夢でしかなかった。

 

『たっ助け、誰かっ』

 

 首の無い女の指が悪魔にかかる。

 首を絞め、マウントをとって、存在しない頭でずるりと標的を覗きこむ。

 トラウマの悪魔は絶望の底で悲鳴をあげた。

 

 いっそすぐに殺してくれ――!

 

 その恐怖はおそらく来世まで刻まれるトラウマとなっただろう。

 

 

 

 南半球のとある無人島、その浜辺で、大爆発が巻き起こった。

 大気が震え、圧倒的な轟音が島中に伝播していく。

 目を覚ましたデンジは見た。

 天まで届けと伸びていく一筋の閃光を。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夢。夢を見ている――

 大きな背中におんぶされ、子守歌のような歩みに揺らされている。そんな夢を。

 ただ心地良さに溶けこんで、終わりなんてないとずっとまどろみ続けていた。

 

 

 

 

 

 波が寄せては返す音を聞いていた。

 

 レゼは目を覚ます。

 視界には、一人の少年。

 覗きこんでいる。

 レゼのよく知っている顔のはずなのに、その真剣な眼差しが別人に見えた。

 

 デンジ君ってこんなに――――だったっけ……

 

 まだ頭がぼんやりする。

 無防備なところを晒してしまうのが恥ずかしい。そう理性の一欠片が嗜めてくるのに、取り繕う活力が湧いてこなかった。頭の下に敷かれた少年の膝が心地良すぎる。

 重力にたゆたって、人肌の温度に身を任せた。

 夢見心地で、レゼは問う。

 

「私、ヘンなこと言わなかった?」

「かわいかったヨ」

「……なんて言ってた?」

「お兄ちゃん大好き」

「ウソお~……」

「はは」

 

 首を横に傾ける。

 茜色に染まった海が、波のたびにゆらゆらと光を揺らしていた。

 潮風が優しく吹き抜ける。

 夕暮れの浜辺はまるで二人きりの世界のように静かだった。

 

 レゼの髪は潮風に乱れ、額に貼りついている。

 デンジはそっと指先で梳いた。

 

「なあ。この島、出ていこうぜ」

「……ん。どうして?」

「ここじゃ手に入らねえ物があっから」

「なに」

「指輪」

「ゆびわ」

「結婚しようぜ」

「けっこん」

 

 指の間を滑り落ちていく髪は、海の光を映して金色にきらめいている。

 しばらく波音だけが二人の間を満たしていた。

 

「ふっ」

「……」

「ふふっ、ふふふ」

「…………っぷ」

「ふふっ! あははは!」

「あはははは!」

「はああ~あ~! ……ったくさ~、ほんとにさ~!」

「いいだろ?」

「ここで来たかぁ~、とか、口説き文句! とか、言いたいことは色々あるけどさ~……。あ~あ! もういいや!」

 

 膝枕をされたまま、レゼは少年の顔に手を伸ばす。

 頬を挟んで、微笑んだ。

 それは嘘偽りのない素直な笑みだった。

 まるで期待していた通りの事が実現したような、心待ちにしていた約束が果たされたような、そんな――

 

「よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」

 









特典第二弾ほしかったなぁ。
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