プランB/楽園を探して   作:シャブモルヒネ

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ばら撒く乱心

 

 夜の帳がすっかり降りたマレーシアの片田舎。

 木々がまばらに生え始める村の端っこに、ぽつんと一軒、高床式の木の家が建っていた。

 ささやかな灯りが庭先を照らしだし、家屋に隣接するように張られたビニールシートをぼんやり浮かび上がらせている。

 その内側は簡素な入浴場だった。デンジがロープを張ってシートをかけて目隠しをし、中にドラム缶を改造した風呂を設置しただけのもの。

 今は使用中だった。白い湯気がほんのり夜空へ立ち昇っている。

 

「ばばんばばんばんば~ん♪」

 

 湯に肩まで浸かっているのは十代半ばほどの少女だ。

 濡らした黒髪が額に貼りついて、頬は湯気と熱でほんのり桜色に染まっている。

 空を見上げると満天の星々が煌めいていた。

 南半球の夜空は天然のプラネタリウムそのもので、ずっと眺めていると吸いこまれて宙に落ちていくような錯覚を覚えてしまうほどに深かった。

 

「い~い湯だな~♪ い~い湯だな~♪」

 

 少女の名はレゼという。

 テンション高めなはしゃぎ声でリズムに乗ってドラム缶の腹を叩いている。

 湯面がぱしゃりと揺れた。月光が反射して銀色の光を跳ね返し、呼応するようにレゼの左手の薬指に嵌められた指輪がきらりと光る。

 

「湧き水の~湯舟は~天国だ~」

 

 少女は両腕を広げて夜空を仰ぐ。

 湯気越しに見える星々は、まるで自分に応えて瞬いているようだった。

 小さな蛙がどこかで鳴き、椰子の葉がさらりと風に揺れる。

 

「おーーい、デンジくーーん! 一緒に入るぅ~?」

 

 悪戯っ子めいた明るい声は、家屋に響き、寝室へと入りこむ。やがてベッドでうつ伏せになっているデンジの耳に届く。

 デンジはぴくりとも動かない。

 死体のようだがちゃんと生きている。

 ただ全裸で、死にかけになっているだけだ。

 デンジはほとんど動いていない頭の中で、十秒数えたら本気出す、と決めた。カウントダウンを始める。

 十~、九~、八~……

 あっという間にゼロになる。仕方なしに活力を絞り出すことにした。

 枕に顔を埋めたまま、やっとのことで「結構ですぅ~……」と呻き声をあげた。

 レゼはドラム缶風呂の中で「あはっ」と笑う。

 

「せっかくいい湯なのにな~! ははあ~ん、分かった! お嫁さんの裸を見るのが恥ずかしいんだ~!」

 

 どの口が言うんだろう、とデンジは思う。

 今さら恥ずかしいも何もないだろう。

 まあ何度でも見たいとは思っているけれど。

 

「ぐぬう……」

 

 デンジはまだまだ動けない。

 ベッドで精も根も尽き果ててくたばっている。

 

 

 

 

 

 村長のババアがやり手だったのだ。

 

 あの無人島をイカダで脱出し、村々を転々としながら何でも屋のようなことをして日銭を稼いでいたら、ある村で悪魔に遭遇した。

 倒すのは楽勝だったが、問題はそこではない。

 旅の若い男女がいとも簡単に悪魔を撃退したと噂話が広がってしまう方が厄介だった。

 そそくさと出発の準備をしていると、村長のババアが現れて引き留めた。

 

――せめて礼をさせてくれ。

 アンタらは観光客か? えらく強いもんだね。どうやって倒したんだい?

 

 それらの質問にデンジとレゼは用意していた言い訳を並べ、誤魔化そうとした。

 ババアにはお見通しだったのだろう。年季の入った皺の奥にある小さな瞳でデンジたちをじぃっと見つめていたと思ったら、事もなげに鼻息を鳴らした。

 

――まあいい。泊まってきな。

 

 それからアレよコレよと宿泊を長引かされ、気がつけば一ヵ月が過ぎ、村人たちとサッカーをするほど仲良くなってしまった。

 デンジたちも初めは長居するつもりはなかったのだ。

 しかしある日、ババアの甥と名乗るおっさんが現れて、抱えきれないほどの食材を運びこんできて村人たちを集めて勝手に宴会を始めた。いいから飲め飲めと酒をたらふく飲まされてデンジたちはすっかり出来上がり、出身地も逃亡生活をしていることも暴露してしまった。(主にデンジが)

 おっさんは気にも留めなかった。ガハハと笑い飛ばしたと思ったら、急に真剣な顔つきになって、こう懇願した。

 

 お前さんたちは亡くなった息子夫婦に似ている。

 人助けと思って村に住んでくれないか――

 

 結果、こうして村長所有の家に住んでいるというわけだ。

 初めはボロのあばら家だったが今ではデンジが補修して虫も隙間風も入りこまないまともな家にバージョンアップしている。

 村人たちは陽気で優しいし、そこそこの賃金が手に入る仕事ももらえた。

 何よりババアも村人たちもデンジたちの事情を詳しく聞こうとしなかった。

 

 あのお婆さんは全部分かってやっている、というのがレゼの見解だった。

 

 村を預かる村長としては時たま現れる悪魔を退治してくれる強い守り人を必要としていたのだろう。

 だが別に利用されている感はない。

 むしろ新しい村人の一員として温かく迎え入れようとしてくれている。

 だったらこのまま住み続けてもいいんじゃね? というのが現状の二人の結論だった。

 

 

 

 

 

 さて、今も昔も変わらないデンジの興味の矛先といえば男女間における肉体コミュニケーションにあるだろう。

 女といえば柔らかく、熱く、蕩けるような甘い匂いを放つもの。その認識もまた変わらなかったが、一つ変わったのはそれが妄想ではなく実体験になったことだ。

 デンジは新たな視座を得た。

 男と女は全く違う生き物だ、と。

 

 例えば、デンジはいつでもシたいと考えている。

 仕事で疲れていても関係ないし、なんならデートの初手から人目のつかない場所に連れこみたいと思っている。

 でもレゼは――いや、他の女を知らないデンジからすればそれが一般的な女性像であると断じていいかは分からないのだが――とにかく女という生き物は自分とは決定的に違う、という結論にデンジは至った。

 女とは、凪いだ水面を慎重に揺り動かして波をうねらせるかのごとく慎重にリードし楽しませリラックスさせながら心の重心を少しずつ男側に寄せていかなければその気にならない生き物なのだ。

 そうして向こうの意識がこちらの肩にもたれかかってきたと判断してからようやく勝負が始まる。キメ台詞を囁くか無言の見つめ合いで雰囲気を作るかはその時によるが、とにかくその最後の審判にオッケーをもらうことでようやく服を脱がすことができるようになる。

 そしてもう一点、その後のエンジンの掛かり方もやはり違った。

 男は短期決戦だ。

 よーいドンの合図とともにどこまでも際限なくかぶりつき、またそれに応えてくれることに無上の喜びを覚え、まさにこのためだけに生まれてきたのだという確信に魂を捧げて超超超・イイ感じになって爆発する。その後は燻る炭火となって余韻に浸りたいと思うようになる。

 しかし女は違う。

 女はスロースターター。

 いや、これまた彼女が特別そうなだけかもしれないが、とにかく彼女は、走り出しは遅いがいったん芯に火が点くと一度の決着で火の勢いを収めるようなことはしなかった。

 食えば食うほどより腹を空かせて噛みついて、獲物の首筋の血液を啜らんとする吸血鬼のごとく奪い尽くそうとする。組み敷いた獲物が音をあげようと関係ない。そのしなやかな指使いで無理やり再起動させてくる。

 デンジだってまだまだ若い。そのぐらいならまだ付き合えた。しかし三回戦ともなると話は変わる。死力を振り絞る必要があったし、四回戦なんて挑まれた日にはもうどうにでもなあれと死んだ魚の目でマグロになるしかなかった。

 

 それでも次の日になったらまた脳内ピンクになって胸と尻にばかり目がいくようになるのだから男という生き物は救いがたいのだが。

 

 とかく、そのようにしてデンジは実体験を重ねたことにより以前より女という存在を特別視しなくなった。より自然体で付き合えるようになり、そのおかげか生活上で縁がある村の女性陣たちからは「あの人ちょっといいよね」と湿度の高い視線を向けられる機会が増えた。レゼは気付かぬフリをしながら優越感に浸った。もちろん水面下では牽制を忘れなかったが。

 

 

 

 ……とまあ、何はともあれ、そんな生活が続いた先が今日この夜というわけだ。

 

 深夜の静けさが広がる寝室――

 デンジはベッドでうつ伏せになったまま、これまでの一ヵ月間を思い出していた。

 

 荷運びをしたり、農作業を手伝ったり、悪魔をぶった斬ったり、とにかく働いた。

 日本と違ったのは一つ終えるたびに感謝の言葉と本物の笑顔が返ってくる点だった。

 ただ金を得るための労働ではない。人の為になっているという実感はそのままモチベーションアップに繋がった。

 アキの言っていた大人の理屈が初めて心で理解できたのだ。

 その上、貰ったお金でレゼと楽しく暮らすことができるのだからこんな素晴らしい生活サイクルはない。

 貯めたお金で指輪をプレゼントしたときのレゼの顔は――きっと一生忘れないだろう。

 まあ安物にしてしまったのは心残りではあるけれど。

 あの時はいつまでも他人同士のままでいることに我慢ができず、できるだけ早く買えるものを選んでしまった。

 こういうのは他で埋め合わせをすべきだろうか。

 今度村の既婚者の誰かに聞いてみよう――

 

 と、うつらうつら考えていると、

 寝室にぺたりと素足の音がした。

 よく知っている足音が、一歩、一歩と近付いてくる。

 ベッドに体重がかかり、寝そべっている自分の身体が少し傾いた。

 

「駄目だよ、デンジ君……」

 

 優しい声が降ってくる。

 例えるなら赤ずきんを誘い寄せようとお婆さんの声真似をする狼に近いとデンジは思う。

 

「そんな隙だらけな姿を見せちゃ……。悪い子だなぁ……」

 

――き、来たな。

 

 予感はしていた。

 彼女の火はまだ消えていない。

 

 デンジは動かず、非暴力不服従の意思を固めた。

 もう逆さにふってもナニも出てこない。

 今夜は寝よう? 明日も仕事が早いんだからさ……と寝たふりをきめこんでいると、背中にぴとりと熱く柔らかな人肌が押しつけられる。

 女が耳元に唇を寄せてきた。

 

「いつもみたいに勝負して決めよっか」

 

 負けた方は何でも言うことを聞くこと、と女は囁いた。

 

「じゃあ今日はあいうえお作文で。先攻は私から。まずは『あ』! ……愛してます」

「ぐあっ」

 

 急所に当たった!

 初手から強すぎる。

 デンジは虫の息のまま応戦を始めた。

 

「『い』……。一緒に居よう」

「『う』! 嬉し~い!」

「『え』……エロ女!」

「お兄ちゃん大好き」

「くっ……、『か』、『か』……甲斐性もうあるよな?」

「筋肉ついてきたね。えっちだね」

「臭いからさ俺、風呂入ってきていい?」

「結婚しよ」

「してるだろ! 『こ』……『こ』……『子作り』……じゃなくて」

「触り合いっこしよっか?」

「しない!」

「好・き」

「ぐうう~……!」

 

 もうだめだった。

 ここまで据え膳されても食わないでいる自分の方がとんでもない悪であるような気がしてきた。

 自分は彼女を悲しませないためなら命だって捧げると決めたのではないか?

 デンジは歯噛みしながら自身に脳内で問いかけた。

 

 問い一。

 俺に金玉はついてるか?

 勿論ついてるに決まってる。

 

 デンジは勢いよく起き上がる。

 

「『せ』! セックス!」

「やぁん♡ 助けてくださ~い! えろ~い男の子に襲われてま~す♡」

 

 デンジは滾る頭の片隅で、こう思った。

 

――俺ぁ多分一生勝てないんだろうな。

 









エピローグに入ってるんですけど、全然収まりそうにないので、もうちょっとだけ続きます。
ちなみにこれR-15タグ付けたほうがいいんですかね。
ダメそうなら教えて下さい。
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