プランB/楽園を探して   作:シャブモルヒネ

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パチモンでもいい何でもいい

 

 アキは銃の悪魔を殺すためだけに生きてきた。

 

 別に珍しい話ではない。

 あの悪魔に家族を殺されて、恨みを晴らすためだけにデビルハンターになった人間なんて公安だけでもたくさんいる。

 だが無関係な者たちはそんな復讐者たちを見つけるとこんなふうに吐き捨てる。

 

 せっかく拾った命をドブに棄てるような生き方だ。

 バカだ。

 寒い。

 自分に酔っている。

 死んだ家族はそんなことを願ってない。

 

 全部、的外れだ。

 やられた側は人生の時間を止められてしまったのだ。

 復讐者はただ再び生き始めるためにケジメをつけようとしているだけに過ぎない。

 

――と、アキはずっと思っていた。

 

 今はその考えも揺らいでいる。

 二ヵ月前、デンジが居なくなったことがきっかけだった。

 初めは、ああそうかよ、と思っただけだった。しかし日が経てば経つほど傍に在って当然のものが消えてしまったという喪失感が膨らんでくる。

 その虚しさは、家族が死んだときと、先輩である姫野が殉職したときと、よく似ていた。

 失いたくなかった。

 認めたくなくてもそう思ってしまっている。

 人間はどうやら、もう二度とまっとうに生きられないと思うほどの苦しみに遭ったことがあろうとも、全くおかまいなしに次の何かを手に入れてしまうものらしい。

 だったら――とアキは思考を巡らせる。

 

 今までの俺はもしかすると……銃の悪魔に父も母も弟も殺されて空っぽになってしまったから、他にすべきことを思いつけずに復讐を選んでいただけなんじゃないか?

 

 ある朝、ベランダで昇る太陽を眺めていたら、すっと腑に落ちた。

 どんなに虚しかろうと、それでも世界は動いている。

 自分の気持ちだって動いている。

 俺の時間は止まっていない。

 

 なら俺は()()()を大切にするべきなんだろうか……。

 いつまでも沈んでしまった太陽を惜しむばかりで今真上にある太陽を顧みようとしなければ、また喪ってしまうかもしれない。

 同じ後悔を繰り返すほどバカなことはない――

 

 

 

 べちゃっ

 

「がはははは! アキの頭に牛のクソが命中しおった!」

「てめえ……」

 

 一発だ。

 たった一発の投擲で、アキのセンチメンタルな気分が破壊された。

 

 新しい何か?

 大切にしたい何か~?

 はあ~? あったま沸いてんじゃねえの?

 

 アキは直前まで抱いていた謙虚な気持ちをびりびりに破り捨てた。

 実に、実に世迷言だった。

 例え一瞬であろうとこのクソガキを――パワーをかけがえのない()()()の側だと思ってしまったのが間違いだった。どうかしていた。こいつは悪魔や魔人といった垣根を越えたクソ野郎中のクソ野郎に過ぎないと、アキは異国の地で盛大にキレ散らかすのだった。

 

「これは! いたずらってレベルじゃねえ! 殺すぞ!」

 

 アキの叫びは高く澄みきっている青い空に吸い込まれていく。

 赤道直下の空だった。

 日本から飛行機に乗っておよそ7時間強南下して、ようやく辿り着ける異国の地。マレーシアの空だ。

 果てしなく青いこの空の下でアキとパワーは小学生同然の低次元の喧嘩をしている。

 

「てめえ一発殴らせろ!」

「は? こいつ何いきなりキレてるんじゃ? コワ~」

 

 

 それはさておき。

 アキとパワーがどうしてここマレーシアにいるかといえば答えはシンプルで、そういう出張命令が下ったからだ。

 銃の悪魔の手がかりがあるからマレーシア政府と協力して捜査にあたれ――そうマキマに命じられ、腕をまくって飛行機に乗りこんだまでは良かった。

 しかし居たのは(じゅう)の悪魔関係の何がしではなく、自由(じゆう)の悪魔。

 

 いやいや、嘘でしょうマキマさん?

 あなたに限ってそんなレベルの低い誤認をするわけがないですよね……?

 

 とアキは国際電話で言い募ったが、憧れの女上司は一切の抑揚を感じさせない声色で淡々と返すだけだった。

 

『どうせなら観光でもしてきたら?』

 

 これもまたアキの知るマキマなら言いそうにない台詞だった。

 アキはおおいに困惑し、同時にうっすらと悪寒を覚えた。

 こんなに優しいマキマはマキマじゃない。

 

 とはいえ、ガセ情報だったなら是非もない。

 仕事がないならすることは一つだ。

 アキは真っ直ぐ帰ろうとした。

 パワーは帰りたくない観光したいと駄々をこねた。

 遊びで来てるんじゃないんだぞとアキは呆れつつ、仕方がないので、折衷案で近場の市場に立ち寄ってやることにした。

 そこで奇妙なことが起こった。

 借りていた車を飛ばしていたら不思議な出会いがあったのだ。

 途中の田舎町でガソリンを補充していた際、今は亡き先輩の姫野の妹によく似た女性と出くわした。

 驚いていると向こうは、

 

――デビルハンターの方ですか? 近くの村で悪魔が出たんです。力を貸していただけないでしょうか……?

 

 と助力を願ってきた。

 アキは他人事とは思えずに「近くの村なら」と退治に向かうことにした。

 悪魔はいなかった。

 すると今度はその村で姫野そっくりの女性から「近くで悪魔が出た」と助けを請われた。

 退治しに行った。

 悪魔はいなかった。

 今度はコベニによく似た女にギャン泣きされて、以下略で、やっぱり悪魔はいなくて道に迷って、水溜まりだと思った場所がものの見事に陥没していて、タイヤが嵌って動けなくなって、アキの疑念はとうとう許容範囲外にまで膨らんだ。

 

 一体なんなんだ……?

 こんな偶然、あるか?

 とてつもなく巨大な陰謀が自分たちを陥れようとしている気がする。

 だがそうされるような覚えもない。

 仮にあのマキマに情報を誤認させ、この広い異国の地にピンポイントで誘導役の女たちを用意できるほどの力を持った相手が居たとして、そんなヤバい奴、あるいは組織が、ただの日本の公安デビルハンターでしかない自分たちをこのマレーシアの地へ迷いこませようとする理由はなんだ?

 アキにはさっぱり分からない。

 そもそもそんな回りくどい罠に嵌めなくても邪魔なら襲撃して始末してしまう方が楽だろう。

 そんなヤバい存在が本当に居たのなら、の話だが。

 

 アキは首を傾げるしかなかったが、それでも動かないわけにはいかなかった。

 現実問題として建物一つない未開拓地域で車が動かなくなってしまっているのだ。

 いち社会人としては早急に対処を講じなければならない。

 ゆえにアキは、この異国マレーシアの地で、太陽がぎらぎらと照りつける中、汗だくになって車を復帰させようとした。

 押してもダメで、穴の泥水を掻きだそうとしてもダメだった。

 パワーは何一つ手伝おうとしない。

 蚊に刺されまくり、新調したばかりのスーツが泥まみれになり、喉が渇いたと喚くパワーに「半分は残せよ」と渡した水筒の中身を一口で飲み干された。最後に無謀と知りつつ半ば自棄になってテコの原理でタイヤを持ち上げようしていたら牛のウンコを投げつけられた。

 お釈迦様だってキレたに違いない。

 

 

「あああ~~っ! もういいっ! 車は捨てる! 歩いていくぞ!」

「ええ……? この高貴なワシに歩けと?」

「うるせえ! 道があるんだ、進めばどこかに着くはずだ!」

「仕方ないのう……」

 

 アキとパワーは車を捨ててとぼとぼ歩きだす。

 河の水で頭を洗い、ついでに飲用水も補充しようとしたがハラワタを食いちぎられた魚が浮いているのを見てやめた。

 歩く。歩く。ただ歩く。

 異国の道路はあぜ道に近い。でこぼこしてぐっちょり濡れている。

 泥を踏みしめ、砂利道を抜け、やがて藪のトンネルに辿り着く。

 苦労の末に見つけた人工物は、分岐路の看板だった。

 こう書いてあった。

 

『左に進めば栄えている街。右に進めば辺鄙な田舎村』

 

 そんなの左に行くに決まってるだろうとパワーと目を見合わせた。

 するとどこからともなく岸辺によく似たジジイが現れた。

 

「右の村に悪魔が出た。助けろ」

 

 アキは人生史上最大の溜め息をついた。

 

 上等だ。

 ここまで来たら何が待ち受けているのかを確かめてやらねば気が済まない。

 

 嫌がるパワーを引きずって右へと進路を向けた。

 そして更に約二時間が経過して――

 

 

 もう深夜といっていい時間帯になっていた。

 道の真ん中に落ちていた懐中電灯に何故か新品の電池まで入っていてありがたく使わせてもらっていると、人家の灯りを見つけることができた。

 木々がまばらに生え始め、目を凝らせば小さな村が見えてくる。

 一番手前には、ぽつんと一軒、高床式の家が建っていた。

 家屋には隣接するようにビニールシートが張られている。

 

「風呂の匂いじゃあ……」

「……サッパリしてえ」

「アキぃ、もう一歩も歩けん……」

「ああ……限界だ……。待ってろ、そこの家に話をつけてくる」

 

 アキは重い足を引きずるようにして玄関への階段を一歩、一歩と踏みしめる。

 ドアの前で立ち止まる。

 ノックした。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その時、レゼに電流走る。

 

「むむっ!」

「どした?」

「なんかこう……ビビっと虫の知らせみたいなのが。そう、物凄い危機があって、それを立った今回避できた予感」

「なんだそりゃ」

「分かんない」

 

 レゼは振り返り、夜闇の向こう側をじっと見つめている。

 遠く、隣の村にある自分たちの家の方角を。

 今日はたまたま悪魔が出たと連絡があったからこうしてデンジと二人で外に出ているが……もし家に居たままなら筆舌にしがたい窮地に陥っていたかもしれない……そんな危険をレゼは察知していた。

 例えば今日も昨夜のように家でゴニョゴニョしていたら……?

 発展途上の田舎村には家の鍵なんて付いていない。もちろん自分たちの家だってそうだ。

 何者かが訪れていたら素っ裸の鉢合わせになっていただろう。

 

「セキュリティって大事だよね」

「? よく分かんねえけど急ごうぜ。悪魔倒してさっさと帰るべ」

「ういー」

 

 

 

 ***

 

 

 

 家に鍵はついていなかった。

 返事はない。

 さすがに深夜だ、就寝中かもしれないとアキが迷っていると、中から声がした。

 

「コケー! どちら様コケ?」

「あ、夜分いきなり申し訳ありません。水を分けてほしいんですが……」

「ひとまず入るコケ」

「ありがとうございます。では」

 

 ガチャリ、とドアを開ける。

 丸太と板材で構成された内装が目に飛び込んでくる。

 テーブル。椅子。壁には釣り竿が立て掛けられている。

 

(あれ、住人がいない?)

 

 アキが不思議に思っていると、すぐ足元の幾何学模様のカーペットの上で一匹のニワトリが跳ねていた。

 しかし首が無い。

 首の無いニワトリが元気に跳ねている。

 

「お客さんコケ。ようこそコケ~」

 

 悪魔。

 反射的に刀を抜いて斬りかかる。

 

「コケーッ!?」

 

 疲労の溜まりきった一閃は精彩を欠いていた。

 ニワトリ悪魔は羽を巻き散らしながら逃げていく。テーブルの足を8の字で回りこみ、安物っぽいソファーの陰に隠れる。

 存在しない頭部の代わりに首だけを覗かせた。

 

「いじめないでほしいコケ……。ボクわるい悪魔じゃないコケ」

「ここの住人はどうした?」

「お、お仕事コケ」

「こんな夜中に?」

「隣の村で悪魔がでたから退治しに出かけたコケよ~」

「お前も悪魔だろ」

 

 アキは素早く家屋内に目を走らせる。

 荒らされたような跡は見当たらない。

 

「ボクは悪魔だけど友達コケ。一緒に住んでるコケ」

「悪魔と友達? そんなおめでたい奴――」

 

――友達になれる悪魔がいたらなりてえよ。オレ友達いねえもん……

 

「いないことも……ないかもしれないが……」

「あああーっ! チキンじゃ!」

「は?」

 

 背後にパワーが立っていた。

 夜闇に目を爛々と光らせて獲物に涎を垂らしている。

 

「血も肉もっ! 全部ワシのじゃ! 吸わせろ~!」

「コケ~~!?」

「パワー! 止めろ!」

「唐揚げ! 焼き鳥! 照り焼きィ~! ぐわぇッ!?」

 

 アキに後頭部を打ち据えられ、パワーはべしゃりと床に倒れこむ。

 

「ち、血ぃ~……」

「本当にペットだったら面倒だろ。……おい、悪魔」

「ボクの名前はコケピーだコケ」

「お前は本当にここの家のペットなのか?」

「友達コケ」

「どっちでもいい。ここで人間と一緒に住んでるんだな?」

「ボク弱すぎて人間と争う気力もないコケ」

「……まあいい。妙な真似をしたら殺すからな」

「おっかないお客さんコケ……」

 

 悪魔を飼う。マレーシアでは普通なのだろうか。

 アキは疑問に思いつつも一応家屋内を確認する。

 テーブルに置かれた調味料のビン。

 鉢植えのサボテン。

 カレンダーには日付毎に用事が書かれている。

 つい先ほどまでは人が居たような生活臭がする。

 しかし、とアキは首を傾げながらカレンダーのメモを覗きこんだ。

 

「日本語で書かれている……?」

「あっ」

 

 パワーがむくりと身をおこし、胡坐の姿勢になって鼻を鳴らす。

 

「デンジの匂い……」

 

 パワーはすんすんと空気を嗅ぎ取って「うむ」と大きく頷いた。

 

「デンジの匂いがする!」

「コケ? もしかしてデンジくんのお友達コケ? コケピーと一緒コケ~!」

「なんだって……?」

「あと交尾……」

「はあ?」

「交尾の匂い! あいつ交尾したんじゃあ!」

 

 

 

 ***

 

 

 

「ぶえっくし!」

 

 誰か噂でもしてんのか。

 デンジは鼻をすすりながら足を止めた。

 現場に到着した。

 

 連絡のあった酒場を眺めてみる。

 目当ての悪魔は……探すまでもなかった。

 村一番の大きな家屋に人ならざる巨体が倒れこんでいた。

 大型トレーラーを更に一回り大きくした人型で、腕は四本だと思う。

 その全てが鋭利な傷跡で斬り落とされていた。

 頭部は鼻から上がなます切りにされている。

 

「これ、もう死んでるよな?」

「うん」

「民間のデビルハンターでも居たのかぁ?」

 

 周辺に人は居ない。

 避難してしまったのだろう。

 連絡のあった酒場に目を向けてみると、明かりがついていた。

 一応足を向け、入店してみる。

 がらがらの店内には、店員が一人と、カウンター席に客が一人だけ座っていた。

 

「店員のおっさん。生きてっかー」

「あ、ああ、デンジ君か……。なんとかね……。それと私は店長だよ」

「そうだっけ。それよりさぁ、悪魔、表で死んでたぜ」

「この人がやっつけてくれたんだよ」

「ふうん?」

 

 その客はパーカーのフードを目深にかぶっていた。

 どんな奴かは見えないが、女だとデンジは思った。胸に膨らみがあったから。

 そいつは前を向いたまま注文を追加する。やはり女の声がした。

 

「おい、ウォッカだ」

「……あの、お礼に奢るとは言いましたけど飲みすぎじゃないですか?」

「このぐらい余裕だ。ウォッカの三杯や四杯……お前もそうだろ、レゼ?」

 

 レゼはデンジを手で制す。

 無言で歩を進め、カウンターの端の席に座った。

 フードの女とは4席空けている。

 

「何しに来たの」

「来てねえよ。私が吞んでたら、お前が勝手に後から来たんだ」

「そんな言い訳……」

「任務だよ。国外逃亡したオルガリヒのぼんぼんがデビルハンター雇ってなぁ、面倒だから私にお鉢が回ってきたってわけだ。今はその帰り。外のゴキブリは目障りだったから潰した。他に質問は?」

「ええと……お姉さん、レゼの知り合い?」

 

 口を挟んだデンジに女は見向きもしない。

 カウンターの前を向いたまま「そんなところだ」と返した。

 レゼはふぅと息を吐く。

 

「はあ~。やっと来たかって感じ。いいよ、外でやろう。ここだとお店に迷惑かかる」

「…………何言ってんだ、お前?」

 

 フードの女は心底不思議そうに尋ねた。

 

「もしかして知らないのか?」

「何を」

「お前らには手を出すなってお触れが出てんだよ。なんでも対外情報庁の連中が叩き潰されたらしくてな。だが普段ならその程度で故国は諦めないだろ? だからお前がアメリカあたりに手を回して上に圧力かけさせたんじゃないかと勘繰っていたんだが……違うようだな?」

「私一人でアメリカを動かせるわけない」

「だよなぁ。だから理由を知りたかったんだが……そうか、当人のお前も知らないか。……おい店員、まだか?」

「お待たせしました。あと、私は店長です」

「あっそう」

 

 フードの女はぐいとグラスを持ち上げて喉を鳴らす。

 レゼも注文した。カクテル。

 

「そんなのよく飲めるな。ジュースも同然だろ」

「一回ぐらい飲んでみたらいいのに」

「酒といやあウォッカって決まってんだよ」

「……なあなあ。この人、誰なの?」

「私の同輩」

「え」

 

 それって……とデンジは訝しむ。

 レゼの出身は秘密の部屋。そこで戦士の訓練を受け、ボムの心臓を移植されている。

 その同輩ということは、勿論似たような経歴を辿っているということになる。

 

「おい、勘違いするなよ。今の私はオフだ」

「初めて聞いた。ソ連の戦士にオフなんてあったんだ」

「ないな。訂正する。さっきも言ったが、お前らには接触禁止令が出てるんだ。粛清しに来たんじゃない」

「接触してんじゃん」

「だから、お前が後から来たんだろ? 私は何も悪くない」

「そんなことばかりやってるから貴女は……」

「裏切者に説教される覚えはないな」

「忠告だよ」

 

 なんか怖え、とデンジは思った。

 現役時代のレゼの顔。その仕事モードはかつて体験させられたこともある。デンジは全身丸焦げになった熱さを思い出し、顔をしかめた。

 と、女が唐突に立ち上がる。

 

「まあいい。何も知らないなら用は無い。せいぜい生き永らえるといい」

「貴女は?」

「別に? これからも戦士をやり続けるだけだ……と言いたいところだが、そうもいかなくなった。秘密の部屋はおしまいだ」

「へ」

「これも時代の流れってやつでな。閉鎖だとよ」

「それって……」

「終わりだよ。何もかも」

 

 肩を竦め、目の前を通り過ぎていくパーカーの女を、レゼは驚愕の目で見ていた。

 ソ連は。

 いくら有能だろうと政治の都合で簡単に人を切り捨てる。処分する。その歴史があった。

 秘密の部屋が無くなるというのなら、その生き証人もまた消されてしまうのは想像に難くない。

 

「命令に従って消えるのも仕事のうちってこと?」

「私はこういう人間だ。こんなふうに生きてきた。それを今さら都合の悪い命令だからって聞かないのはナシだろ」

「わー。すごーい。カッコいい~」

「馬鹿にしてんのか?」

「デンジ君。こいつのこと教えてあげる。こいつ、すごい変態なんだ。拷問が大好きで、外で任務があると一般人にわざと正体バラして死ぬまで追いかけ回すのが趣味」

「オエ~。そんな悪い奴いる?」

「おい」

「友達が欲しかったんだよね」

 

 ぴたり、とパーカー女の足が止まる。

 レゼはかつての同輩をじっとりと見上げて、肩を竦めた。

 信じられないアホ女だと言わんばかりにわざとらしい溜め息までついてみせた。

 

「私たちみたいなモルモットじゃなくて、外の世界の、普通の友達が欲しかったんだよね。だから自己紹介しちゃうんでしょ? 相手の話も無理やり引き出して、仲良くなる過程を味わいたかった」

「……ふ、ふふふ。面白いなぁ、ええおい? お前がそこまで馬鹿になってるとは思わなかったよ。以前そうやって舐めた口を叩いたチビ助が……私に何をされたのか……知らないお前じゃねえよなぁ……?」

「やってみなよ」

 

 レゼも応じて立ち上がる。

 半生を懸けて殺しの技術を磨いてきた女が二人、距離30センチで真正面から睨み合う。

 デンジはビビった。

 事情は一つも分からない。二人の間にどんな因縁があるのかも。

 ただ一つ分かるのは、これから起こるのはキャットファイトのような可愛らしい争いではないということだ。

 二人に挟まれた大気が陽炎のごとく歪み、周囲に妖気のようなものが漂ってくる。

 レゼは一つだけ呟いた。

 

「店員さん、隠れてて」

 

 その言葉が合図になった。

 レゼは首元のピンを抜き、女はフードを思い切りまくり上げた。その頭には奇妙なものが突き刺さっている。そういう形状をした魔人だった。

 爆発、同時に斬撃音。

 デンジは「ぎゃああああ!」と外に吹っ飛んで、店員は「私は店長だあ!」と屈みこむ。

 そこからはもうメチャクチャだった。

 レゼも女も悪魔の力で村中を縦横無尽に飛び回り、衝突と同時に打撃を交差させる。

 その決闘は、ライバルが夕暮れの土手で殴り合うといったレベルの生易しさではなかった。目玉は突くわ腕は折るわ、臓物とともに容赦のない殺意が飛び交った。

 

「こ、コワ~」

 

 決着は、およそ300秒でついた。

 レゼの引き絞った拳から発生した大爆発とともに、魔人の女が消えたのだ。

 どこからともなく声が響き渡る。

 

『クソッ、やっちまった……。ムカつくがそろそろ時間切れだ。私は逃げる。お尋ね者になっちまったからな……』

「礼は要らないよ!」

 

 レゼは夜空に声を張り上げた。

 

「今度はウォッカ以外も飲んでみなよ! ワインにウイスキー、日本酒……いくらでもあるんだからさ!」

『ぬかせ! 人の人生設計メチャクチャにしやがって……。有終の美が台無しだ』

「あはは! ざまあみろ!」

 

 返事はなかった。

 夜の静けさにレゼは立ち尽くし、いつまでも世界へと繋がる空を見上げていた。 

 

 

 

「なあ、あんなの解き放って大丈夫なんか?」

「あいつ、あれでもプロだから。普通の世界でしか生きられないって状況になったらちゃんとそっちに適応できるよ」

「そっか」

「……多分。うん、きっと。巡り合わせが良ければ……」

「ええ~」

 

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