その日、学校から帰ってくるとお父さんが家にいた。
お父さんは何でも屋だから、仕事が早く終わってやることがない日はこうやって早く帰ってくる。
「おかえり、エリ」
「ただいま」
お父さんはソファーに座って、缶ビールを飲みながらぼんやり天井を眺めていた。
珍しいけど、たま~にこういう時がある。
何でも「男には一人で考え事をする時間が必要」なんだって。
お母さん曰く、昔を思い出しているらしい。
まだ日本に居たときのことや、私が生まれたばかりの頃に亡くなってしまったというかつて同居人だったお兄さんのこと。
アキって名前だったかな。
私はまだ赤ちゃんだったから覚えていない。
とても優しい人だったみたいで、公安からバックレたお父さんのことも心配してこっちで色々手助けしてくれたらしい。
パワーちゃんもお世話になってたって聞く。
パワーちゃんにアキさんのことを聞くと、「鬱陶しいヤツじゃったな~」とかは言うんだけど、悪口はほとんど言わない。クラスの子が親のことを言うのとほとんど同じ感じ。パワーちゃんにとっては他人のはずなのにね。だからいい人だったのは間違いないと思う。
アキさんの死因は、悪魔との契約で寿命を削ってしまったせいだって聞いた。
家族の仇を討つため。復讐のため。
そのために公安に入って、強い悪魔と契約した……。
そんなアキさんだけど、自分が死んじゃう前には考え方が変わったみたい。私が大きくなったらこれだけは教えてやってほしいってお父さんに遺した言葉がある。
――何があっても復讐なんて考えるな。
もっと大切なものが必ず見つかるから、そっちに人生を使え。
私は、誰かに仕返ししたいって強く思ったことがない。
だから今でもピンときてないけど、きっと大事なことだから覚えておこうって思っている。
「……ねえ、お父さん! またお父さんたちのこと教えてよ!」
「ん~? 何が聞きてえの?」
「何でも。楽しいやつがいいな」
「楽しいやつ、ねえ……」
「あ、こないだ言ってたやつは? お母さんがソ連のスパイだったって話」
「お母さん関係は俺もあんま知らねえんだよな~」
「お父さんを狙ってきたとか言ってたよね? 最初は敵だったってこと?」
「お~、そうだな。俺、殺されそうになったよ」
「やっぱり……。どういう経緯があったの?」
「えっとだな……。まず、俺ん心臓がポチタって悪魔なんだけど、それが色んなヤツに狙われてたんだ。理由は知らねえ。お母さんも教えてもらえなかったらしいんだけど、とにかく取ってこいってソ連から命令されたんだって」
「へえ~。それがどうして一緒に逃げることになったの?」
「そりゃお前…………好きになっちまったからだよ」
お父さんはテーブルのお酒に手を伸ばし、ぐいと一気に呷った。
ごくごくと喉を鳴らして息をつく。
「ぷは~。まあ聞けよ? お母さんな~、超~可愛かったんだよ」
目がとろんとしていた。
どのぐらい酔っているかは分からないけど、こんなお父さんは初めてかもしれない。
「え~? “可愛かった”って、過去形なの?」
「だってさぁ、今はエリがいるだろ? 好きの半分ぐらい……いや70%ぐらいはエリの方を向いてんじゃん。けどあん時のお母さんは俺に100%だったわけ。もうね、ヤバいよ? 世界一。今のお母さんも世界一だけど」
うわあ。
親の惚気を聞かされるのってすごく微妙な気持ちになっちゃうなぁ……。
でもこの話を聞きたい自分がいるのも確かだ。
だって、スパイとターゲットの恋。
そこからの駆け落ち。
こんなドラマティックな展開がこんな身近で起こっていたなんてスゴすぎる。
是非とも勉強させてもらいたい。
「そ、それで? どうして駆け落ちすることになったの?」
「まずな、お母さんが、俺んこと殺しに来たわけ。で、初めに俺が口説かれて、断って、後から俺が口説き直して、逃げられて、でもやっぱ好きってことで、一緒になったんだよ」
「……いや、全然分からないんだけど」
「なに、なになに? 聞きたいの? マジで? 今日はレゼと会った時の話してもいいのか!?」
「まあ、うん」
「しょーがないなー! エリも知っといたほうがいいもんなー! そう、あれは俺がまだ日本の東京に居た時の話だよ。パトロールしてたらにわか雨が降ってきて、電話ボックスに入ったんだ。そしたら「わーー! ひーー!」って女の子が逃げこんで来た。これがお母さんな。お母さんは「いやいやスゴイ雨ですねえ」って話しかけてきて……」
「ちょっと待って。もしかしてセリフ一つ一つ話してくの? っていうか全部覚えてるの?」
「当たり前じゃ~ん! だってレゼがどう可愛かったかって話するんだからよ~!」
「あ、あの……もうちょっとまとめてもらえると助かるんだけど……」
「ダメ! この話ずっとしたかったの! でもお母さんの素性に関わるから誰にもできなかった! させて! させろ!」
「ええ~……」
ぷしっ、と二本目のビール缶を開けてから続きが始まった。
お母さんとの逢瀬について、じっくりと、微に入り細に穿つ語りぶりだった。
カフェの店員として潜伏していたお母さんに会うために一週間通い続けたこと、夜の学校を探検したこと、プールで泳ぎ方を教えてもらったこと――
自分の両親の体験談でさえなければロマンティックが止まらなかったと思う。
「……あのさ、すっごい青春って感じの話になってるところ悪いんだけど……お母さんってその時はスパイで、命を狙いに来たんだよね?」
「そうそう。ハニートラップってやつだよな。ハニトラ」
「それ、やる必要なくない? 目的は情報を聞き出すとかじゃないんでしょ?」
「エリもそう思う? ホントなら最初に会った時点で殺しゃあよかったよな。ま、実際そうするつもりだったって当人も言ってたし」
「うわ」
「でもしなかった。なんでかっつーのは聞いても全然教えてくれねえけど、きっと俺が花ぁプレゼントしたからだと思う」
「ええ~? それだけで?」
「俺も後から知ったんだけどな、ソ連の方じゃすごい意味があることなんだって。それに、ずっと訓練訓練だった女の子が自分を慰めるためだけにプレゼントされるなんて初めての経験だったんだろ。もう任務どころじゃなくなったんじゃねえの。……ヤバい! 動揺してる! いったん保留! ……ってな」
「ふぅん……」
あのいつでも穏やかで冷静なお母さんが?
ちょっと想像できない。
というか、カフェでやったというお母さんの絡み方も信じられない。
それってもう好きを通り越して絶対に落とすって決めた人にやるやつじゃ~ん! って女の子ムーブしちゃってる……。
それがソ連で教えこまれたやり方なのか、素の気持ちが出ちゃってるのか……想像するだけでイケナイものを覗いている気持ちになってくる。
「――で、こっからだよこっから! 次の日にお祭りデートをするんだけどな、」
にやにやとお父さんが笑みを浮かべていると、突然、家の電話が鳴った。
トゥルルル……と話の腰を折ってきた電話機をお父さんは見つめる。
フッ、とわざとらしくほくそ笑んだ。
「エリ、出なくていい。お母さんだ」
「え?」
「お母さんが止めにきたぞ。焦ってんな~? でもざ~んねん! この話、しちゃうもんね~!」
お父さんは私を立たせ、リビングラックに置いてあるクマのぬいぐるみの前に連れてきた。
ピースしろと言う。
戸惑いながらピースを作ると、お父さんは私の肩に腕を回して同じようにピースした。
お父さんと二人、並んでクマを覗きこみながらピースしている。なんだこれ。
「いえ~い、レゼ見てる~? 今からキミの娘に~、お母さんの超可愛い話を全部しちゃいま~す!」
すると、
ヴー! ヴー! ヴー!
ピピピピ! ピピピピ!
私の携帯とお父さんの携帯が同時に鳴りだした。
ちょっとビビる。
「ぎゃははは! 俺さあ! 一字一句覚えてっからなァ~? 告白! あれ絶対本心だったろ!? 今からエリに聞かせて判断してもらうからなァ!?」
「なに、何が起きてるの……? もしかしてこの電話、お母さんから?」
「そう! お母さん、聞いてんのこれ! 盗聴器!」
「ええ~……。そんな気はしてたけど……」
「ついでに言うと色んなところにカメラも仕掛けてあっから。侵入者が来るとお母さんとこに電話がいって、カメラで確認するってわけ。あとな、電話番号の違いで特定の場所の罠を起動させる仕組みもあって……」
唐突に、電話が止んだ。
静寂。
「おっ……。諦めて帰ってくるつもりだな」
「だ、大丈夫? お母さん、怒ってない?」
「知らね~。平気だろ! 車飛ばしても30分はかかるからなァ!」
「お父さん、結構酔ってるでしょ……」
そしてお祭りデートの話が始まった。
うわ。
わ~~~!
なにそれ~~~!?
「う、嘘でしょ……。あのお母さんが……そ、そんな恋人ムーブをしていたなんて……!」
「ぎゃはははは!」
「私の中のイメージが崩れていくぅぅ」
「なー!? 超可愛いだろ~? で、最後は花火よ! 俺んこと誰も来ないマル秘スポットに連れてきてこう言ったわけ!」
お父さんは立ち上がり、拳を握りしめて窓際まで歩いて行って振り返る。
――仕事やめて……私と一緒に逃げない?
私がデンジ君を幸せにしてあげる。
一生守ってあげる。
お願い。
私はゆっくりと目を瞑る。
例えば、だ。
戦場で陣地に立て籠もっているとする。
弾は尽きた。食料も無い。味方はみんな負傷していて、敵は100倍いる。
今まさにそんな気分だった。
「――それ、ガチだよ。絶対本心だよ」
「だろぉ~~!? エリもそう思うよなギャッ!? アアアア!?」
「えええ!?」
窓際に立つお父さん、その足に、矢が刺さっていた。
頭の中が真っ白になって戸惑っていると、遠くから『ひゅるるる……』と何かが飛来する音がやってくる。
家のすぐ裏で交通事故でも起こったかのような激突音がした。
「な……なになになにっ!?」
もはや何が何だか分からない。
バタバタバタ! と何者かが玄関への階段を駆け上がってくる足音が聞こえたと思ったら、お父さんが「ヤバい! 飛んできやがった!」と叫んで身構えた。
次の瞬間、その背にあった窓ガラスが盛大に割られ、私は確かに見た。お父さんの肩を謎の黒い腕が掴んで引っ張っていく瞬間を。
「あああ!? レっ、レゼッ!? ぎゃああ!!」
お父さんが外に連れ去られた。
どうすべきか分からず硬直していると、ドッ、ゴッという鈍い音が聞こえ、お父さんの悲鳴が止まった。
「……お、お母……さん?」
「ただいま」
姿こそ見えなかったけど、窓の向こう側から聞こえたのは確かにお母さんの声だった。
穏やかな声色なのが却って怖い。
「今からちょ~っとお父さんとお話してくるから、いい子で待っててね」
「あ、はい」
「あと、お父さんのした話は、とっても、と~っても誇張されているから……忘れてね」
「はい……。エリ、今の話、忘れます……」
お父さんたちは一時間帰ってこなかった。
不思議なのは、戻ってきたお父さんの足が無傷だったこと。
確かに矢が刺さっていたはずなのに。
あともっと不思議なのは、そんなことをされたお父さんがまだヘラヘラしていたことだ。
「なあ~、ごめんってホントさあ~許してくれよ~」って感じに、待ち合わせに遅れた程度の謝り方をしている。
メンタルどうなってるんだろう。
ちらりと家の壁を見る。
ぱかっと一部分が開いて、奥にボウガンが隠れていた。
あんなのが仕掛けられているなんて全然知らなかった……。
私の両親って何なんだろう。
もう悪魔の力がどうとかよりも本質的なヤバさを感じた一日だった。
追記。
レゼが焦ってた本当の理由は、恥ずかしい話をされるからではなく、あそこからエグい話になるからです。
舌ぶっつんキスと被害者多数大暴れの話を酔ったデンジが暴露する可能性があったのでぎりぎりまで粘った末に「いいや限界だ押すねッ!」とボウガンを選択しました。
一人称視点だとこういうフォローをできないのが難しいところです。